自分の文化に誇りを持つということ-②
2008年 02月 18日
ケニアで暮らしていた時に感じたことを綴ってみます。ケニアは、イギリスの植民地だった所で、アフリカの首都とも言われているものの、貧富の差がとても大きな国。英語とスワヒリ語が公用語で、欧米志向がとても強い国です。植民地時代は、宣教師やキリスト教の団体が、キリスト教や学校という概念を持ち込んで、現地の人を教育していました。この国の人達、骨の髄まで植民地化されて、自国やアフリカへの誇りが全く無いなあと感じることが多々ありました。エリートクラスの人達は、欧米志向がとても強く、欧米(白人)の人達と関わっていくことが大切で、アフリカを恥じている人が多かったです。文化でも外見でも何でも、アフリカは欧米に劣っているという感覚。バスも、白人は一番前に座るのが当然。私は、首都のナイロビに最初の2ヶ月程住んでおり、残りは、最も貧しいといわれる西部の、ある村で暮らしていました。
ナイロビは、市内の最も空気が良い場所に、白人居住区が。そこには、植民地時代に、役人としてやってきたイギリス人の子孫達や、国連や外務省の職員や企業の駐在員の御家族が住んでいます。それはそれは、その辺のアメリカの高級住宅地など比べようにもならないほど、豪華な地域で、邸宅が並び、お洒落なブティック、美味しいレストラン。発展途上国とは思えない別世界です。もちろん安全な地域でもあるので、私も、ナイロビにいるときは、そこでよくくつろいでいました。国連の食堂なんて、それはとても美味しくて、職員だった日本女性の友達とよくそこで食事していました。白人地区に隣接するのが、アジア人(インド人)居住区。綺麗なサリーを身に纏った方達がうろうろしている、綺麗で安全な地域。ショッピングセンターや、スーパーももちろん充実しています。そして、市内の大半は、アフリカンの住む地域という感じでした。
ナイロビのある御家庭(外国人を滞在させることが出来るということは、ある程度裕福な家庭)にホームステイしていたアメリカ人の大学生の女の子(白人)に実際におこった話。ケニアでは、白人と一緒に歩いていることは、とても名誉なことです。ましてや、白人のガールフレンドがいたりすると、ケニア人の女性からもモテモテ。だから、そのお人よしで、「No」と言えない女の子は、同じ年のホストブラザーに、よく、夜バーに連れて行かれていたのです。ただでさえ、「白人女性は、バーを出入りし、現地の人と寝る」という偏見があったり、女性がバーに出入りするのはよくないことと見なされる土地柄なのに。しまいには、その女の子の寝室に、夜、ホストブラザーが進入するようになってしまい、、、これ以上は記載しません。私達の常識だったら、そんなこと、ホストファミリーの母親が注意して止めさせるのが当然ではと思いますよね。でも、その母親、そんなとんでもないことをする息子さんを応援していたのです。自分の息子が、これを機会にアメリカ人と結婚でもしてくれたら、親族一同、末代までの名誉と富が約束されたようなものですから。
肌の色が白いほど、お金持ちで、神に近いという感覚も浸透しており、白人は、ものすごい値段をふっかけられます。都会では、日本人もお金持ちという知識が浸透しているので、よく市場とかで値段の交渉をする際は、「東南アジアから来ました」と、スワヒリ語で嘘をついていました。英語なんて流暢に話すと、物の値段、はね上がりますからねえ(笑)。マーティンとは絶対にアフリカに行きたくないです。色が白くて髪が茶色だと目立って、すりや引ったくりの対象になりやすいし、彼が側にいるだけで、物の値段何倍も上がるし。
田舎では、白人とアジア人の違いが分からない人がほとんどだったので、私は白人と言われていました。それと同時に、映画の影響か、カンフーや空手をして見せてとせがまれてばかりで大変だったのですけど(笑)。地元の人が語ってくれました。
「私達アフリカンが、こんなに色が黒くて、貧しくて病気ばかりなのも、神が定めた使命。白人が裕福でいい生活をしているのは、白人は私達より、神に祝福されているからなのよ。」
「あなたの髪はとてもストレートね。髪に祝福されているからよ!」
ケニアでは、ある程度の地位と財力のある女性は、必ず髪の毛をストレートに伸ばしています。髪の毛がストレートなことは、ステータスシンボルです。そんな「アフリカンを祝福しない神」でも、皆さん、毎週きちんと教会でお祈りを捧げます。
NGOとかで働いている立派な方も、単なる(当時)学生の私に、「アフリカはとても貧しい!僕達は、君から学ばないといけないことが多い!」と、気色悪いほど、ちやほやしてきて。寄付金欲しかったのでしょうね、きっと。
田舎では、白人として扱われていた私も、首都のナイロビでは、「白人の次」扱い。外国人観光客を対象としたレストランでは、私より後に来た白人客が先にサーブされることもよくありました。白人と同席していると、ウェイトレスの人たちも、私よりも、同席の友人にばかり露骨にちやほやすることもしばしば。「白人=金持ちでチップが多い」という感覚らしいです。後で学んだのですが。
エリートアフリカンがよく利用するYMCAのレストランで、たまたま同席した、ウガンダの名門マケレレ大学の教授。アメリカ人の大学生の女の子と食事していたら、話しかけてきたので、一緒に食事をすることになったのです。
私:「マケレレ大学は、アフリカの名門大学だから、アフリカ中から留学生とかたくさんくるのでしょうねえ!」
教授:「僕の大学には、アメリカやヨーロッパの留学生がたくさんいるのだよ!」(他のアフリカ人留学生に触れること全く無し)
その教授さん、私の存在なんて全く無視で、ひたすら、同席のアメリカ人の学生さんに、ちやほやアメリカを絶賛して、コネを作ろうと頑張っていました。
日本人とのみ行動していたら、不快な経験もここまですることなかったのでしょうが、私は、白人といることが多かったため、色々感じることが多かったです。ねずみが出たり、宿泊先のYWCAでは、朝出されたホットココアの中に、ゴキブリが丸ごと入っていたとか、旅先での衝撃的な経験は数知れず。電気も水道も無い田舎での生活とか、バケツ2杯の水で顔と体と髪と下着を洗うとか、エイズで亡くなっていく人が多いため、毎週のようにお葬式の煙が向こうの丘で見えるとか、物理的な環境には結構すんなり慣れて、そこまで苦痛に思ったことはないのですが(気に入っていた部分もありました)、いつも、この「植民地メンタリティ」にはうんざりしていました。「どうしてこの人たち、自分の文化やアフリカに誇りを持たずに、欧米を崇拝しているのだろう?」て。日本も欧米への憧れ強いですが、自国に対するプライドもとても高い国だと思うのです。植民地になったことがないから?同様に植民地になったアジア諸国の皆さん、自国にとても誇りを持っているように私には見えるのですが、どうしてケニアはこうも根こそぎ「誇り」が欠けてしまっているのか。未だに、この違いはどこから来ているのか考えることあります。答えはひとつではありませんが、アジアの歴史にもう少し精通すれば、新たな視点がでてくるのかも。
日本やアメリカで通用する善悪の基準や常識が全く通用しないケニアでの生活。自分や日本やアメリカについて、また、先進国について、客観的に見つめることが出来た、本当に学び多きひと時でした。
ナイロビは、市内の最も空気が良い場所に、白人居住区が。そこには、植民地時代に、役人としてやってきたイギリス人の子孫達や、国連や外務省の職員や企業の駐在員の御家族が住んでいます。それはそれは、その辺のアメリカの高級住宅地など比べようにもならないほど、豪華な地域で、邸宅が並び、お洒落なブティック、美味しいレストラン。発展途上国とは思えない別世界です。もちろん安全な地域でもあるので、私も、ナイロビにいるときは、そこでよくくつろいでいました。国連の食堂なんて、それはとても美味しくて、職員だった日本女性の友達とよくそこで食事していました。白人地区に隣接するのが、アジア人(インド人)居住区。綺麗なサリーを身に纏った方達がうろうろしている、綺麗で安全な地域。ショッピングセンターや、スーパーももちろん充実しています。そして、市内の大半は、アフリカンの住む地域という感じでした。
ナイロビのある御家庭(外国人を滞在させることが出来るということは、ある程度裕福な家庭)にホームステイしていたアメリカ人の大学生の女の子(白人)に実際におこった話。ケニアでは、白人と一緒に歩いていることは、とても名誉なことです。ましてや、白人のガールフレンドがいたりすると、ケニア人の女性からもモテモテ。だから、そのお人よしで、「No」と言えない女の子は、同じ年のホストブラザーに、よく、夜バーに連れて行かれていたのです。ただでさえ、「白人女性は、バーを出入りし、現地の人と寝る」という偏見があったり、女性がバーに出入りするのはよくないことと見なされる土地柄なのに。しまいには、その女の子の寝室に、夜、ホストブラザーが進入するようになってしまい、、、これ以上は記載しません。私達の常識だったら、そんなこと、ホストファミリーの母親が注意して止めさせるのが当然ではと思いますよね。でも、その母親、そんなとんでもないことをする息子さんを応援していたのです。自分の息子が、これを機会にアメリカ人と結婚でもしてくれたら、親族一同、末代までの名誉と富が約束されたようなものですから。
肌の色が白いほど、お金持ちで、神に近いという感覚も浸透しており、白人は、ものすごい値段をふっかけられます。都会では、日本人もお金持ちという知識が浸透しているので、よく市場とかで値段の交渉をする際は、「東南アジアから来ました」と、スワヒリ語で嘘をついていました。英語なんて流暢に話すと、物の値段、はね上がりますからねえ(笑)。マーティンとは絶対にアフリカに行きたくないです。色が白くて髪が茶色だと目立って、すりや引ったくりの対象になりやすいし、彼が側にいるだけで、物の値段何倍も上がるし。
田舎では、白人とアジア人の違いが分からない人がほとんどだったので、私は白人と言われていました。それと同時に、映画の影響か、カンフーや空手をして見せてとせがまれてばかりで大変だったのですけど(笑)。地元の人が語ってくれました。
「私達アフリカンが、こんなに色が黒くて、貧しくて病気ばかりなのも、神が定めた使命。白人が裕福でいい生活をしているのは、白人は私達より、神に祝福されているからなのよ。」
「あなたの髪はとてもストレートね。髪に祝福されているからよ!」
ケニアでは、ある程度の地位と財力のある女性は、必ず髪の毛をストレートに伸ばしています。髪の毛がストレートなことは、ステータスシンボルです。そんな「アフリカンを祝福しない神」でも、皆さん、毎週きちんと教会でお祈りを捧げます。
NGOとかで働いている立派な方も、単なる(当時)学生の私に、「アフリカはとても貧しい!僕達は、君から学ばないといけないことが多い!」と、気色悪いほど、ちやほやしてきて。寄付金欲しかったのでしょうね、きっと。
田舎では、白人として扱われていた私も、首都のナイロビでは、「白人の次」扱い。外国人観光客を対象としたレストランでは、私より後に来た白人客が先にサーブされることもよくありました。白人と同席していると、ウェイトレスの人たちも、私よりも、同席の友人にばかり露骨にちやほやすることもしばしば。「白人=金持ちでチップが多い」という感覚らしいです。後で学んだのですが。
エリートアフリカンがよく利用するYMCAのレストランで、たまたま同席した、ウガンダの名門マケレレ大学の教授。アメリカ人の大学生の女の子と食事していたら、話しかけてきたので、一緒に食事をすることになったのです。
私:「マケレレ大学は、アフリカの名門大学だから、アフリカ中から留学生とかたくさんくるのでしょうねえ!」
教授:「僕の大学には、アメリカやヨーロッパの留学生がたくさんいるのだよ!」(他のアフリカ人留学生に触れること全く無し)
その教授さん、私の存在なんて全く無視で、ひたすら、同席のアメリカ人の学生さんに、ちやほやアメリカを絶賛して、コネを作ろうと頑張っていました。
日本人とのみ行動していたら、不快な経験もここまですることなかったのでしょうが、私は、白人といることが多かったため、色々感じることが多かったです。ねずみが出たり、宿泊先のYWCAでは、朝出されたホットココアの中に、ゴキブリが丸ごと入っていたとか、旅先での衝撃的な経験は数知れず。電気も水道も無い田舎での生活とか、バケツ2杯の水で顔と体と髪と下着を洗うとか、エイズで亡くなっていく人が多いため、毎週のようにお葬式の煙が向こうの丘で見えるとか、物理的な環境には結構すんなり慣れて、そこまで苦痛に思ったことはないのですが(気に入っていた部分もありました)、いつも、この「植民地メンタリティ」にはうんざりしていました。「どうしてこの人たち、自分の文化やアフリカに誇りを持たずに、欧米を崇拝しているのだろう?」て。日本も欧米への憧れ強いですが、自国に対するプライドもとても高い国だと思うのです。植民地になったことがないから?同様に植民地になったアジア諸国の皆さん、自国にとても誇りを持っているように私には見えるのですが、どうしてケニアはこうも根こそぎ「誇り」が欠けてしまっているのか。未だに、この違いはどこから来ているのか考えることあります。答えはひとつではありませんが、アジアの歴史にもう少し精通すれば、新たな視点がでてくるのかも。
日本やアメリカで通用する善悪の基準や常識が全く通用しないケニアでの生活。自分や日本やアメリカについて、また、先進国について、客観的に見つめることが出来た、本当に学び多きひと時でした。
by krkonose | 2008-02-18 02:20 | 異文化 | Trackback | Comments(0)