間違い1 「小学生から英語教育なんて早すぎる。まず国語をきちんと学ぶのが先だろう」

バイリンガルじゃない人が陥りがちな錯覚のひとつに「『英語』は『国語』の仲間だ」というのがある。どちらかといえば「英語」は「体育」の仲間だ

文法を操る能力や、音素を聞き分け、あるいは発音する能力は、身体能力の範疇にあたる。そう考えれば、なぜ幼少期に他(多)言語に触れることに圧倒的なアドバンテージがあるのか、なぜ学習に「実技」が重要なのか分かると思う。

例えば「国語」でも日本語の活用を習いはするけど、別に国語の授業で五段活用を学習してはじめて動詞が活用できるようになるわけではない。あれは、既に自分が無意識に身につけている言葉の仕組みを系統だてて深く知るための学問であって、その言語を話せるようになるための訓練とは全く性質が違う。

一方、英語の授業で文法を習うのは、その「幼少期から英語に触れることで無意識に文法を身につける」という贅沢な体験が出来なかった人のためのショートカットだ。可能なら文法など習わずに、体験的に無意識に身につけるのが理想なのだろう。



間違い2 「国際社会で通用するために奇麗な英語を話せるようになりたい」

まあやっておくに越した事はないけれど、実務で必要な英語能力のランクは実はちょっと違う。

1. 英語の文章が読み書きできる
 ↓
2. 標準的な英国人/米国人の英語が聞き取れる
 ↓
3. 英語ネイティブ/非ネイティブの人に一発で聞き取ってもらえる英語が話せる
 ↓
4. 標準的でない(特にインド・中国語訛りの)英語が聞き取れる 

という状況が実際には多いと思う。下に行けば行くほど難易度は高く、重要度も高い。

英語を「話す」能力としては、3.で必要十分だろう。「ネイティブと間違われるような発音を目指す必要はない、ネイティブの人は多少の訛りや文法間違いは補完して理解してくれる」というのはよく言われていることだし、それで間違いはない。

(ただもちろん、標準的な英語の方が伝わりやすいのは確かだし、「あなたは先ほど○○と言ったが、それによると○○という結論になるはずであり、一方私の考えではそこは○○ではないかと思う」という程度の論理は伝えられるようでないと(しかも電話で)仕事にはならないので、情熱さえあればなんとかなるというものでもないことは注意しておきたい。)


上で書いたように、発音能力は身体能力の中でも特殊な部類で、幼少期からその言語に触れていないと訛りは簡単にはなくならない。だから米国在住でも出身国訛りのままの人の割合は非常に多いし、あまり恥ずかしいことでもない。映画をみていれば、むしろ適度なロシア訛りやドイツ訛りは独特のセクシーさや説得力と結びつけられることがあることなども分かると思う。

インド訛りに至っては、「インド英語を話す人の数はイギリス英語やアメリカ英語の人口よりも多いのだから、インド英語こそが標準の英語なのだ」という主張もあって、そうなるともう、3. の要求レベル以上に「ネイティブな」英語の発音を学ぶのは単なる趣味の領域に入る気もする。


そして問題は 4.だ。たぶん、「きれいな英語を話す」ことよりもこちらの方が優先度が高い。
これは僕の今の職場に限った話ではないと思うのだけど、ミーティングが強烈なインド訛りや中国語訛りでがんがん進むことが珍しくない。そう、「きれいな発音じゃないと恥ずかしい」とか言ってる場合ではないのだ。(そしてやはり、やはり中国とインドが圧倒的に多いみたいだ。)

ネイティブじゃない人の英語を聞き取るのは、英国/米国ネイティブの人の英語を聞き取るのの数倍難しい。そして、「国際社会で通用する」というのはそのレベルを言うのだ。


偉そうなこと言ってるけど僕もときどきおいてけぼりになります。面接の時、何ラウンド目かでものすごく早口のインド訛りの人が出てきて、しかもビデオ会議の音質が悪く (大半が本国との電話かビデオ会議による面接)、微妙にこもってエコーまでかかってたときには、正直もうダメかと思ったよ。。

でもそういう状況が日常的にあるんだよなぁ。だから、きれいな英語がどうのこうのという議論を聞くとものすごく違和感を感じる今日この頃です。

----

ちなみに上記レベル2.までのトレーニングのための良質な英語コンテンツとしては、@tabbataさんがTEDをおすすめされていましたが、他にも以下のようなものがあります。
いずれも非常に聞き取りやすい、きれいな英語に浸れる方法なのでおすすめ。
映画やドラマだと多少ハードルが上がります。例えばいきなりパイレーツオブカリビアンを字幕なしで見るぜ!とか頑張ってしまうと、海賊の言ってることが何一つ分からないという事態になりがちで要注意ですね。