――上下940ページのうち、200ページ以上を占めるのが「著者によるソースノート」という注です。「○○筋によると」といった匿名や、見てきたような再構成を避け、徹底的に情報源と根拠を示すことにこだわっていますね。
ワイナー オフレコの情報も山ほど持っています。しかし、このような本を書けば、CIAに徹底的に攻撃されると予想していました。注は私の弁護人です。5万点の公文書、2000点を超えるオーラルヒストリーにあたり、10人の元CIA長官を含め300回以上のインタビューを実施。非公開扱いだった文書も掘り起こしました。この本は、大統領や要人らの実際の言葉や行動に基づいて書いたのです。
――最もうれしかった反応は。
ワイナー CIAの多くの現役、元職員から「あなたの本を読むのはとてもつらかったが、本当のことが書かれている」と言われたことだ。世界中のメディアが書評を載せてくれたが、特に心に響いたのは、スペインの新聞「エルパイス」が「この本を読めば、20世紀と21世紀のことがよく分かるようになる」と書いてくれたことですね。
――逆に最もいやだった批評は?
ワイナー 今あなたが持っている、昨春「フォーリン・アフェアーズ」に出た元CIA情報分析官のポール・ピラーの書評です。彼は米国をイラク戦争に導いた大量破壊兵器に関する推定に深くかかわった中東の責任者でした。
――「非常に偏向し」、「歴史ではなく小説」などと手厳しいですね。
ワイナー 故意に誤解している。私が強調したかったのは、CIAは大統領の下、米国の政治、行政の一部だということ。CIAは、ボスであるホワイトハウスが喜ぶ方向に分析結果をねじ曲げ、イラクが大量破壊兵器を保有しているとしてしまった。ベトナム戦争でもケネディ大統領暗殺でも、大統領が聞きたくないような情報や現実に直面したときが問題なのです。
――日本版には、1950年代から60年代にCIAが自民党に資金提供をするなど秘密活動をしたこと、70~90年代の経済交渉をめぐる活動が加筆されています。「私はCIAとは深い関係があった」という警察官僚出身の後藤田正晴氏の発言は日本版だけですね。
ワイナー 私がCIAと自民党の関係を最初に94年に記事にできたのは、国務省内である種の内部抗争があったからでした。今回はそれ以降に発表された国務省の公式文書なども盛り込みました。当時、CIAが日本の政治に大きな影響を与えようと活動していたこと、同様のことが西欧やアジアでも行われていたことを知ってもらいたい。
――記者の仕事と本の執筆をどう両立させているのですか。
ワイナー この本を書いていた2年間は、毎朝4時に起きていました。これは母の影響かもしれません。84歳の今もUCLAの歴史学の教授として教壇に立ち、執筆しています。私が幼いころ、朝5時半に目を覚ますと、洗濯機の横で小さなタイプライターに向かっていた。その姿は忘れられません。
――いったい何時に寝て、どう一日を過ごしているのですか。
ワイナー 典型的な一日の過ごし方というのはありません。記者として取材し、記事を書き、教壇に立つこともあり、2人の娘の父であり、夫でもあります。その中で本も書いています。記者になって約30年ですが、そうした生活の中で、取材と執筆のバランスがとても大事だと考えています。
執筆が終わって本当にほっとしています。しかし、この本は3部作の第一弾。米連邦捜査局(FBI)、国防総省についての本も準備しています。
ワイナー 諜報機関は大統領や閣僚に、ジャーナリストは市民に、地平線の向こうを見越した、大きな展望を示すことが求められているのではないでしょうか。コンピューターやブラックベリーなどの携帯端末で見られるような「9秒前に起こったこと」、即時性に打ちのめされてばかりいると、大きな絵が見えなくなる。米国が世界でもう少し建設的な役割を担うためには歴史を学ぶ必要が、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」を考えることが求められています。
私は特派員の経験を通じて、大都市だけでなく、村々で、本当に人々がどう生きているかを取材する経験を得ました。情報を収集する現場での足腰が弱い、CIAやFBIの大きな問題はそこにあるように思います。
――インターネット上の新しい試みにも挑戦されているそうですね。
ワイナー はい。例えば、人気コラムニストのアート・バックウォルドが亡くなる半年前にインタビューを撮影し、死の直後に「ビデオ死亡記事」をニューヨーク・タイムズのウェブサイトに載せました。「ハーイ、私はアート・バックウォルドです。たった今死にました」と本人が語りかけるもので、大きな反響を呼びました。
――世界中の新聞社にとって、経営が厳しい時代です。
ワイナー 私は新聞は生き残るだろうと思います。ただ、昨日起きたことを伝えるだけでは生き残れないでしょう。調査報道や、もっと長い文脈からの記事も必要でしょう。
新聞が死んでしまったら、政府に関する主要な情報源が政府自身になってしまうおそれがあります。政府が情報を独占したらどうなるのか、人類はとっくに経験しています。民主的で自由な社会のためには、自由に情報を得られる市民が不可欠で、そのためには新聞が生き残ることがとても重要なのです。
(聞き手 GLOBE 池田伸壹)