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津波の怖さ子に伝えたい 家族来訪相次ぐ 宮城・南三陸

実家のあった鮮魚店の周辺を歩く滝川さんと子どもたち=15日午後3時ごろ、宮城県南三陸町志津川

 お盆に入った東日本大震災の被災地では、夏休みを利用して訪れる子どもたちの姿も目立つ。15日も津波で被災した親類を訪ねたり、子どもに津波の脅威を伝えようとやって来たりした家族連れが多かった。「津波の怖さを心に刻んでほしい」。親たちは子どもの手を引き、がれきの街を歩いた。

 「あんな高いところまで水が来たんだよ」
 宮城県南三陸町志津川の公立志津川病院。津波で破壊され、2階には漁船が乗ったままだ。兵庫県西宮市の渡辺善和さん(62)は、娘で小学5年の桜さん(11)に語り掛けた。
 渡辺さんは阪神大震災で被災。火の手が街をのみ込む中、何もなすすべがなかった苦い記憶がある。「いつ何が身に降りかかるか分からない。自然の怖さを娘自身の目で確かめてほしい」と願い、妻の祥子さん(51)とともに同町を訪れた。
 母の手を握る桜さん。「車がぐちゃぐちゃになって転がっていた。テレビで見たのよりひどい」と立ちすくんだ。
 同町志津川南町の商店街の一角。仙台市青葉区の主婦滝川弘恵さん(44)は15日、津波で流された実家の鮮魚店周辺を子どもたちと歩いていた。
 子どもたちを連れて来るのは今回で3度目。最初はただ怖がるばかりだった子どもたちも、それぞれに弘恵さんの意図をくみ取れるようになった。
 毎年夏休みに訪ねた思い出の場所も津波に押し流された。「みんなで海水浴に来たよね。おいしいかき氷屋さんも、なくなっちゃったんだね」。弘恵さんが語り掛ける。
 「よく遊んだ場所がこんなふうになるなんて想像できない。近くにあったコンビニはどこだろう」。高校2年の長女茉穂さん(16)は記憶をたどるように歩いた。
 弘恵さんは「いつ、どこでどんな災害に遭遇するか分からない。子どもたちには現実を見せておきたかった」と話す。
 中学3年の長男広大君(15)は「別世界で起きたことのようで、いまだに実感がわかない。でも、この津波のことは絶対に忘れないようにしたい」と語った。


2011年08月16日火曜日


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