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きょうのコラム「時鐘」 2011年8月16日
ふるさとで暮らす身に旧盆の帰省は無縁である。一度、入れ替わって帰省気分を味わってみたい。今年も、そんなことを思った
笑顔で迎えられ、心尽くしの料理を出され、期待にたがわぬ土産を手にして帰る。渋滞の辛抱を差し引いても、お釣りがくる楽しさだろう。滞在中は二つの言葉を口にすればいい。「変わったね」と「変わらんね」。それで大概用は足りる 新幹線を待つ今、街の姿は変わらない方がおかしい。懐かしい土地の味は簡単には変わらない。当たり前の言葉に、相手は愛想よく相づちを打ってくれるのだから、さぞや快適な日々だったろう ふるさとを離れると、その良さがしみじみ分かるという。故郷を「帰るところにあるまじや」と歌った室生犀星も、実際は結構帰郷したと聞いた。土地に住む者に望郷の思いは分からないが、震災の年は、帰省がかなわなかった人、つらい帰省をした人の悲しみに思いをはせる旧盆でもあった 被災地のことを思えば、いつも通りの里帰りの光景がありがたく思えた。「渋滞ごときに不平は言えぬ」。そう言い残して、わが親族たちも帰っていった。 |