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檀家に心の寄る辺再び 普門寺住職 本堂復旧へ奮闘 山元

連日の作業で真っ黒に日焼けした坂野さん。この日は、崩れた向拝の棟上げにこぎ着けた=8日、宮城県山元町の普門寺

 太平洋を望む宮城県山元町の普門寺。東日本大震災の津波で、檀家(だんか)50人以上が犠牲になった。墓も倒れ、本堂も壊れた。日々がれきと格闘してきた住職の坂野文俊さん(48)。寺は海から約500メートルの立ち入り制限区域にあって、今も水道、電気が遮断されたまま。それでも、何とかお盆に檀家を迎えられるまでに復旧した。

 檀家が集まる13日の施餓鬼(せがき)供養が迫る8日。檀家役員やボランティアと本堂前の崩れた向拝(ごはい)の棟上げを終えた坂野さん。「一時は取り壊す話も出たんで…」。再び建った向拝を見る目が潤んだ。
 3月11日。地震の際、隣の亘理町にいた。寺に戻ろうとしたが、連絡が取れなかった名取市の長女夫婦の元へ向かった。その後、津波が襲った。長女夫婦、同居する妻と次女の無事を確認、寺にたどり着けたのは震災から5日目。「絶望してしまう」。そんな光景だった。
 約200基あった墓は倒れ、100メートル近く流されたものもあった。骨つぼも散乱。がれきで埋まった本堂に法具はなく、過去帳も流失した。
 250ほどの檀家の大半が、寺の周辺にある。葬儀場で多くの檀家を見送った。「理不尽な死」。幾度も読経の際に涙が止まらなくなった。
 しかし、悲しむ檀家のよりどころになるはずの寺は荒れたまま。「このままでは迎えられない」。父が住職を務める山手の寺を避難先に、そこから通い続けた。スコップでかき出した砂を一輪車で運んだ。葬儀の合間を縫っての作業。76キロあった体重はすぐに12キロ減った。
 1人では限界があった。ただ、立ち入り制限区域に、ボランティアは派遣されない。「行ってもいい」という声はあったが、安全確保で悩んだ。それでも「本気で再建に取り組む」と5月、ボランティアを受け入れた。
 すぐに相棒ができた。名取市のヘルパー藤本和敏さん(42)。孤軍奮闘する坂野さんに助っ人を申し出た。2人で砂を運び出し、流れた墓石を集める日々。倒れた墓石は借りた重機で引き起こした。
 7月、藤本さんが周辺民家への支援も行うボランティアセンターを境内に設置。ボランティアも檀家の顔出しも増えた。
 何とか墓地の整理はついたものの、納骨できる状況にはない。海に近い寺は、町の計画次第で移転を迫られる可能性もある。でも今は「ここで再建する」と決めている。反発も承知。「そう思わないと前に進めない。希望が見えなくなる」
 ボランティアと墓地から運んだ砂は、寺の奥で丘になった。流れ出たお骨を含んだ大事な砂の丘。上に観音様を配した。
 13日、再会する檀家にかける言葉は、まだ見つからない。ただ願いはある。「少しでいい。笑顔が見たい」。あの日絶望を感じたこの場所で。
(大場隆由)


2011年08月13日土曜日


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