ルーク・フォン・ファブレは一冊の日記帳を手に取った。
表紙が色あせていて古ぼけたその日記は、何年も前から使われてきた、年代を感じさせる物だ。
ルークは懐かしさに目を細め、その日記の表紙をゆっくりとした手つきでめくった。
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23day,Rem,Rem Decan ND2018
ヴァン先生と稽古をしてたら、変な女がおそってきた。
ヴァン先生が狙われてたからとっさに間に入ったら、なんか目の前が真っ白になって、気がついたらマホラガクエンとかゆー所にいた。意味わかんねー。
しかもなんでかわかんねーけど体がガキになってた。
頭の長いじーさんが七歳ぐらいだろうって。
原因の変な女(ティアってゆーらしい)は別にちぢんだりしてねーのに、不公平だ。
とっととヴァチカルに帰りてー。
8月4日 1996年
マホラガクエンに来てから一週間がたった。
最初はわけわかんなかったからとっととヴァチカルに帰りたかったけど、なれるとここでの生活も悪くない。
屋敷の頃みたいに閉じこもってなきゃダメなわけでもねーし、あれこれうっさい奴もいない。
毎日書かなきゃいけない日記を忘れちまうぐらい、おもしれーもんも色々あるし。
ティアと同じとこで住まなきゃいけないのがちょっとウゼぇけど、それぐらいガマンしなきゃな。
8月6日 1996年
じーさんが来て、よくわかんねーけどヴァチカルに帰れないって言われた。
今いるのはオールドランドじゃなくてチキュウってゆーらしい。
イセカイがどーとかフォニムがどーとかチョーシンドーがどーとか、じーさんがティアに色々言ってたけど、イマイチわかんね。
色々言われてたティアが真っ青な顔してたからけっこー深刻なんだろうけど、ぶっちゃけ帰れないならそれでもいーんじゃねーのと俺は思う。
ヴァン先生とか母上とかガイがいねーのはさみしいけど、ヴァチカルの屋敷よりマホラガクエンのが居心地いーし。
記憶がなくても文句言われねー生活が快適だ。
8月7日 1996年
ティアが泣いた。
つーか泣きながら謝ってきた。ウゼぇ。
どーも昨日から暗い顔ばっかしてんなと思ったら、俺をマホラガクエンまでつれてきちまった事に責任を感じてたらしい。
別に帰れなくてもいいとかヴァチカルよりマホラガクエンのが居心地いーぜとか言ったらもっと泣いた。まじウゼぇ。
8月10日 1996年
じーさんがチビとメガネをつれてやって来た。
俺とティアは未成年だから保護者が必要らしい。
つー事で、メガネがとりあえずの保護者になるとか。
名前はタカハタ・ティー・タカミチ。チビのほうはカグラザカアスナで、こいつもメガネが保護者してるやつ。
じーさんが仲良くしろってゆーからあいさつしてやったのに、無視しやがった。ムカつく。
8月18日 1996年
じーさんがまた変なやつをつれて来た。
クウネルとかゆーなんかムカつく顔したやつ。
俺がちぢんじまった原因がわかるかもしれねーって言われたからガマンしたけど、できればもう会いたくない。
8月20日 1996年
タカミチに病院につれていかれた。
記憶障害について調べるらしい。
オールドランドと比べたら地球の技術はだいぶ進んでるから、何かわかるかもしれねーから。
長ったらしい検査がウザかったけど、ガマンして受けた結果、なんと、記憶障害が再発する可能性はもうないって言われた!
こっち来てから頭痛もなくなったし、ティアさまさまだ。
追記
日記書かなきゃいけねー理由はなくなったけど、ずっと続けてきた事だしさっぱりやめちまうのもどーかと思うから、なんかあった日には書く事にする。
8月24日 1996年
最近ティアがまじウゼぇ。
妙にかまってくるっつーか、年上ぶってくる。
ちぢんじまったけどほんとは俺のが年上なのに、っつっても全然態度変わんねーし。
いつぐらいからだっけって思い出してみたら、クウネルとかゆーやつが来たぐらいからだった。
結局ちぢんだ原因もわかんなかったみてーだし、さんざんだ。
8月27日 1996年
九月になったらアスナと一緒に学校にいく事になった。
オールドランドに帰れないなら地球の常識とか色々覚えなきゃいけねーからだって言われたけど、多分ほんとは俺がちぢんだからだ。
だってティアは学校いかねーらしいし。
記憶障害仲間のアスナが楽しみにしてるみてーだから別にいいけど、やっぱちょっとムカつく。
9月1日 1996年
学校にいった。
見事にガキしかいなくてまじウゼぇ。
特にウザかったのがユキヒロアヤカ。アスナもウザがってた。
今日から毎日ガキどもの相手しなきゃいけねーのを思うと、ユーウツだぜ。
9月25日 1996年
ティアも学校にいく事になったらしい。
俺よりだいぶ遅かったのは、二ヶ月間必死で勉強してたから。
つーか二ヶ月で高校生の勉強についていける(ギリギリらしいけど)ぐらいになるとか、ティアって頭よかったんだな。
11月13日 1996年
今日、タカミチがすごい勢いで老けてるのに気付いた。
アスナと相談して見なかった事にしてやる事にした。
12月25日 1996年
アヤカの家にティアとアスナと一緒に、クリスマスパーティにいった。
なんかヴァチカルのころの俺の家よりでけーんじゃねーのってぐらいでかい家だった。アヤカんちすげぇ。
まさかこいつどっかの姫だったりしねーよな?
追記
飯がめっちゃうまかった。
1月1日 1997年
今日から新しい年だ。
ティアとアスナとタカミチと金髪のチビ(誰だお前っつったら蹴られた。そのあとガン無視された。まじムカつく)と一緒にはつもうでにいった。
なんか願い事しろってタカミチがゆーから、母上の病気が治りますよーにって言っといた。
ヴァチカルにも届くのかわかんねーけど。
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ルークは栞をはさんで一度日記を閉じた。
改めて文章で読むと、あの頃の自分は何もわかっていないガキだったな、と頭を抱えた。
今ならルークにもわかる。
いきなりやってきた異世界の人間をあっさりと懐の中に招き入れた学園長の優しさや、ティアがなぜあんなに苦悩していたのかが。
ルークが当たり前のように暮らせていたのは、学園長が裏で色々と手を回してくれていたからであり、責任を感じたティアが面倒な事を全て引き受けてくれていたからなのだ。
日記はまだ続いていく。
ティア達と行った旅行や、剣道部への入部、学校の行事。
なんて事のない毎日だったが、ルークにとっては何もかもが初めての事だった。
やがて、日記に書かれた日付の間隔が開いていく。
理由なんて特にない。あえて言うならば忘れられていっただけだ。
最後にルークが日記を書いたのは、今から一年も前だった。
最後の文章を読み終えたルークは、左手にペンを持った。
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3月25日 2001年
じーちゃんが真実を教えてくれた。
クウネルと初めて会った時にあいつのアーティファクトでわかった事らしいけど、その頃の俺だと受け止め切れなかっただろうから、教えなかったって。
言われてみたら、確かにそうだと思う。
自分が本物のルーク・フォン・ファブレじゃなくて、ヴァン先生に作られたレプリカで、おそらく何かに利用される為に生み出されただなんて、あの頃だと受け入れられなかったんじゃねーかな。
俺にとってヴァン先生は、一番信頼してた人だったから。
五年もたった今でも、結構ショック受けてるぐらいだし。
でも、いいニュースでもあるんじゃないかなって思う。
向こうには俺のオリジナルがいるはず。オリジナルはヴァン先生がつれてったっぽいってクウネルが言ってたから、どうなってんのかはわかんねーけど、まさか殺されてるって事はないだろうし。
じーちゃんは(あくまで予想って言ってた)俺がいなくなった事で、慌ててオリジナルをヴァチカルに戻す事になったんじゃないかって言ってたし。
つー事は俺がいなくなっても多分大丈夫なんだ。
……やっぱ、ちょっとだけ寂しいけど。
つってもどうせ帰り方がわかんねーんだからどうしようもねーんだけどな!
さよなら、オールドランド!
……さよなら、ヴァン先生。
利用するためだったのかもしれないけど、俺を生み出してくれてありがとう。
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「こんなもんかな」
書き終えたルークは日記を閉じた。
ルークは日記を書くのを今日で辞めにするつもりだった。
様々な思いを込めて、その色あせた表紙を長い間眺めていた。
「何やってんの? ルーク」
「どわぁ!?」
ちょっとしたセンチメンタルに浸っていたルークは、後ろからかけられた声に驚いて飛び上がった。
慌てて振り向いたルークの目に入ったのは、オレンジの髪に左右で違う色の目をした、活発な少女。
五年間一緒に過ごして来た神楽坂アスナだ。
「ばっ、驚かすんじゃねーよアスナ!」
「普通に声かけただけじゃない。っていうかそれ日記? うわーなつかし。まだ書いてたんだそれ?」
「あっこら、勝手に触んな! 読もうとすんな!」
「何よもう、わかったわよ。ケチ!」
「他人の日記を勝手に読もうとする奴のがおかしーだろ!」
ルークとアスナは、戸籍上は同じ歳となっている。
それでなくとも五年も同じ家に住んできた仲だ。
遠慮などどこかに投げ捨てたようなこのやり取りは、いつもの事だった。
「で? なんか用事あったんじゃねーの?」
「うん。ティア姉がご飯出来たって」
「………………あああああああああっ!」
「こ、今度は何よ?」
いきなり叫びだしたルークに引きながらアスナが問いかけたが、ルークはそれどころではなかった。
昼間学園長から色々と話を聞き、先程久々に日記を読み返し、今ティアの名前を聞いて、ある事に思い至ったからだ。
「やべえええええっ! ティアってほんとに俺より年上じゃんっ!?」
「……何当たり前な事言ってんの?」
ルークはこの五年間ずっと、自分は元々十七歳で縮んでしまっただけだと思っていた。
それを今日、本物のルークが十歳の時に作り出されたレプリカで、全く真っサラな状態で新たに生まれたも同然だったと知ったのだ。
なぜ縮んだのか、というのははっきりとした原因はわからなかったが、オールドランドと地球の環境の違いに肉体が適応した結果、生まれてから過ごした年月にふさわしい肉体になったのではないか、というのが記憶を読み取った学園長と、ルークの人生を文字通り読んだクウネルの見解だ。
「ううっ……絶対知ってた……ティアのやつ、絶対五年前から知ってやがった……!」
先程日記で読み返した通り、ティアはこの事をクウネルがアーティファクトを使った後ほどなく教えられたのだろう。
だからルークをいきなり本物の七歳児扱いし始めたのだ。
「なんだこれ。この言葉に出来ない感情はなんだ……」
はたから見ると、やけに年上ぶる小学生とそれを生ぬるい目で見守る九歳年上の少女。
それが五年間続けて来たルークとティアの関係だ。
「恥ずかしいってレベルじゃねーぞ、ばかやろー!」
ルークの頭に麻帆良に来てから今までの五年間の思い出が次々とよぎる。
この時のルークが思い出したティアの顔は、ほとんどが苦笑だった。
ルークは激しく身悶えた。
「ちょっとルーク? ほんとにどしたの?」
アスナはなんだか心配になって来ていた。
ひょっとして頭がどうにかなっちゃったんじゃ……とか思っているのはアスナだけの秘密だ。
「……いいか? 俺は今食欲がない。晩飯は落ち着いたら一人で食う。ティアがいなくなるまでそっとしておいてくれ。そうティアに伝えろ」
「言ってる事めちゃくちゃじゃない?」
「いーからしばらく一人にしてくれええええっ!」
「こ、こら! わかったから押すな!」
居た堪れなくなったルークは無理やりアスナを部屋から追い出した。
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「そう、わかったわ」
「え? 今のでわかっちゃったの? 救急車呼んだほうがよくない?」
本気で言ってる風なアスナにティアは苦笑した。
確かに事情を知らなければ奇行にしか見えないのだから、無理もないかもしれない。
しかしティアは、今日ルークに全てを話すと前もって聞いていたので、ルークの態度も仕方がないとわかってしまうのだった。
「しばらくしたら元に戻ると思うわ。少しの間そっとしておいてあげて」
「ティア姉がそう言うなら……ほんと、どうしちゃったんだろルークのやつ」
首を傾げるアスナだが、本音のところでは割と真剣に心配していた。
そんなアスナに、ティアはなんと声をかけたらいいものかと頭を悩ませる。
アスナとも一緒に暮らすようになる少し前、ティアは学園長とタカミチからアスナの境遇を少しだけ聞いていた。
それは、魔法によって記憶を封印しているという事だけだったが、それを踏まえてこう頼まれたのだ。
アスナには魔法関係の事を秘密にしておいて欲しい。
そして出来れば、家族のように接してあげて欲しい。
最終的にそれを承諾したティアは、ルークが何に苦悩しているのかアスナに説明する事が出来ない。
それは頼まれたからというだけでなく、積み重ねた年月によってアスナを妹のように思っているティアにとって、心苦しい物だった。
しかしここでティアはふと気付く。
取り乱している原因――本当の年齢を知った、という部分は別に隠さなくてもいいのではないか、と。
「ほら、ルークってなんだか年上ぶってる所があったでしょう? まるで私より年上だと思っているような」
「あー、あるある」
「それって記憶障害が関係していたのだけど……今日、それが勘違いだったって思い出したみたいなの。それで、今までの自分を思い返しちゃって」
「うわ……記憶障害ってそーいうのだったんだ……なるほどね」
そう思ったティアは、過程を偽って結果だけを伝える事にした。
アスナはその話で納得したようで、今度は気の毒そうにルークのいる部屋を見やる。
「うん、わかった。でもよかったじゃない! 記憶障害が治ったって事でしょ?」
「ええ、そうね」
そもそもの話、記憶障害だった訳ではない。
記憶障害なんかではなかったというのをルークが知ったという事だ。
しかし、アスナにはそうとしか説明する事が出来ないので、ティアはその問いに頷くしかなかった。
「そっかー……ほんとによかったね、ルーク」
結局騙してるみたいで心が痛むティアだった。
「さ、ご飯にしましょう。ルークの分はラップしておくわ」
「はーい。いただきまーす!」
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翌朝、朝食の準備を終えてコーヒーを飲んでいたティアは、こっそりとリビングの様子を伺っているルークに気付いた。
普段ならまだルークもアスナも寝ている時間だ。
この時間にルークが起きているというのは、それだけ悩んでいたからなのだろう。
「おはようルーク」
ぎっくぅ! とでも音が鳴りそうなぐらいルークは飛び上がった。
そして、珍妙な顔でおずおずと口を開いた。
「はよー……ティア、ねえ…さん……?」
ティアはコーヒーを吹き出しそうになった。
「ルーク……そんな無理しないで、今まで通りでいいのよ?」
「お、おー。そーか?」
どうやら一人で考え込むあまり、思考が変な方に飛んでいったらしい。
ティアは笑いを堪えるのに必死だった。
「そうよ。大体あなた、私より年上の高畑さんだってタカミチって呼び捨てにしてるでしょう」
「……おお、そーいやそーだ!」
「どうしても姉さんって呼びたいのならかまわないのだけど?」
「んなわけねーだろ!」
話しているうちにルークの調子は普段通りに近づいていた。
「そーだよな。ティアはティアだもんな」
「ええ。私は私、ルークはルーク。何も変わらないわ」
「よし、なんかすっきりしたぜ! 俺の分もコーヒーくれ!」
「はいはい」
ルークは根が単純な性格をしているので思い悩むと長くなる傾向がある。
しかし逆に言えば解決するとさっぱり元通りになる性格とも言える。
これなら大丈夫そうだろうと、ティアはルークの分のコーヒーを入れに行くのだった。
「そーいやアスナにはなんか言ったのか?」
砂糖もミルクもたっぷりのコーヒーを飲みながらのルークの言葉に、ティアは昨日アスナにした説明を繰り返した。
「しっかしめんどくせーなぁ。アスナにも魔法のことバラしちまえばいーのに」
「そういう訳にはいかないでしょう」
「だって俺、ティア、タカミチだぜ? アスナだけ知らねーのってなんつーか……」
昨日ティアが感じたのと同じように、ルークも心苦しく思っているのだろう。
その口調は何かを噛み潰したような微妙な物だった。
「一般人に魔法の存在を教えてはいけない。それがこの世界のルールなんだもの」
「わかってるけどよ……だーっ! まじめんどくせぇ!」
ルークはその長い髪を掻き毟った。
ルークからしてみれば、家族に近い人間……この場合、ルークとティアとタカミチが全員魔法を知っている関係者な時点で、アスナも関係者でいいだろうと言いたいところだ。
しかしティアは、タカミチ達のアスナには普通の世界で生きて欲しい、という願いを感じ取っているため、そう簡単な話で済ませる訳にはいかない。
「そればかりは仕方ないのだから、もう辞めにしましょう。ほら、そろそろアスナを起こしてきて」
「はぁ……わーったよ」
溜め息を吐いてルークは立ち上がった。
ことアスナと魔法に関してだけは、タカミチもティアも絶対に譲らないので、もう半ば諦めているのだ。
そんなルークがアスナの部屋に向かうのを見送りながら、ティアもこっそりと溜め息を吐いた。