本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール
今日 
昨日 


access countベキコ
since 2004.9.1

ご意見・ご感想



最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事


access countベキコ
since 2004.9.1


















終戦の日の偶感
戦争を省みる慰霊の季節のマスコミ報道は、今年は、震災の犠牲者の鎮魂と眼差しが重なり、また、戦後日本の復興と被災地の復興が重ねられ、二つを合わせて意味を論じる基調になっている。昨日(8/14)のTBSの関口宏の番組がそうだった。これらを見ながら、私が感じ思ったことは三つで、一つは決意の問題、もう一つは責任の問題、三つめに言葉の問題である。番組の中で、ダワーの『敗北を抱きしめて』の紹介があり、日本人の一人一人が下から平和国家の建設を誓い、憲法9条を守る決意をした歴史が語られていた。本当なら、福島の事故でこれだけ深刻な放射能汚染の被害を受け、強制避難や自殺者の犠牲を強いられ、第一次産業と食生活を壊され、健康不安の恐怖に直面させられている日本人は、原発のない国作りを選択し、世界中から原発をなくそうと運動を起こしてよいはずだ。それが、そうはならず、マスコミや論壇では原発維持派が幅を利かし、原発稼働を正当化する言説ばかりが溢れ、世論が原発維持論者を糾弾したり追放したりする場面にならない。そうなるには、被害がまだ小さすぎるのだろうか。福島第一の作業員が急性障害で何人も死ぬとか、子どもの甲状腺異常が大量に見つかる事態になって、ようやく被害のレベルが容認の限界を超え、人の意識が変わるのだろうか。脱原発が国民運動になるのだろうか。


第二の責任の問題。66年前の戦争のときは、戦争責任者は責任をとらされた。ただし、占領軍による軍事法廷の判決によって。あのときも、日本人は戦争責任の所在を曖昧にし、自身で責任者を追及して指弾することをしなかった。ドイツのように厳しい総括と清算をすることなく、「一億総懺悔」の論理でゴマカして責任者を免責し放任した。それどころか、A級戦犯で捕まっていた者を国家の指導者に据え直している。責任を曖昧にする日本人の体質は、今度の原発事故でもいかんなく発揮されている。誰もが今回の事故を人災だと言うが、人災を起こした当事者の責任を問う展開が全くない。菅直人もこれは人災だと言い、マスコミも口を揃えて人災だと言う。人災だと言うのなら、交通事故と同じで、人の不注意や怠慢で起きた事故なのだから、加害者の人間が存在するはずである。加害者が正確に特定されなければならないはずだ。ところが、政府が6月に設置した事故調査委員会は、召集された最初から、この事故調は「責任追及は目的としない」と言い、その任務をあっさり放棄し、マスコミもこの立場宣言に異議を唱えることをせず看過した。この事故が人災であり、人の過失や不作為で惹き起こされたものであったのなら、当然、誰がいつどこでどのような過失を犯したのかが解明されなくてはならず、それこそが事故原因の調査の中身であるはずだ。それが具体的に検証されなければ、事故調査委など飾りで何の意味もない。

福島の事故について、日本人はそれを人災だと言い、人災だとする認識を一般定着させつつ、刑事事件にしていない。人災の加害者の責任を不問にしている。よく考えれば、これはおかしなことだ。人災だと言いながら、想定外の津波による事故だという認識を被せて、中身としては天災と同じ扱いで済ましている。人災の対処をしていない。「人災」の言語が「天災」の意味に変わるスリカエを起こしていて、その認識の自己矛盾と自己欺瞞に気づいていない。交通事故が起きれば、警察が捜査をして、現場検証をして、加害者を逮捕し立件するではないか。加害者の刑事責任が問われるではないか。警察による交通事故の調査検証は、加害者の犯罪事実を構成要件として固めるためのものだ。斑目春樹は、自らぬけぬけと「この事故は人災だ」と言い放ったが、まさにあれこそが言説の詐術の最たるもので、本来、最も重い加害責任者であり、刑事被告人の席に座るべき者が、何か客観的事実を指摘するように人災論を言い放ち、同時に自らの責任は回避し、それをNHKが放送して何事もなくやり過ごさせたため、人災は天災へと一瞬で意味がスリ替わった。ダワーは『敗北を抱きしめて』の中で、日本人が昭和天皇の戦争責任を不問にしたため、戦争責任という言葉は冗談になったと書いたが、同じことが福島の事故と斑目春樹の関係でも繰り返されている。斑目春樹の責任を追及するマスコミ論者や政治家の言葉は、これまで一度も聞いたことがない。

第三の言葉の問題。震災から5か月が経ったけれど、言葉が成されておらず、被災地に言葉が届けられていない。3・11の以前と以後を区切る言葉が与えられていないから、震災と事故が何だったのか総括ができず、復興へ向かう精神的なスタート台に立てない。例えば、丸山真男の『超国家主義の論理と心理』は、終戦翌年の「世界」5月号に掲載されている。この論文での丸山真男の言葉が、一夜にして価値転換を遂げた世界で放心状態に陥っていた人々に衝撃と共感を与え、焼け野原の中で新しい主体的精神を芽生えさせ、戦後日本を再出発させる思想的な原動力になったことは、今日、伝説として語り継がれている思想史である。辺見庸は、被災して避難所に暮らす人々に送り届けられるべきは、水であり食料であり衣服であるけれど、それ以上に言葉であると言っていた。その言葉が、どうやら未だ届けられていない。津波災害についても、原発事故についても、政治家からも、社会科学からも、文学からも、芸術家(音楽家)からも、これといった説得的な言葉や作品が発せられておらず、分析や構想や表現がなく、意味の掘り下げと提示がなく、3・11を乗り越えて再生に向かう内面を作れないのである。踏み台や叩き台になるものが何も提供されていない。心の拠りどころになるもの、誰もが共有できる言葉が、5か月経っても与えられておらず、「復興」という官製用語が空しく響くだけなのだ。時間だけが経過していて、新しい政策や運動を媒介する哲学が立たない。



by thessalonike5 | 2011-08-15 23:30 | その他 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://critic5.exblog.jp/tb/16119627
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前 :
URL :
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード 
昔のIndexに戻る 孤立する極右日本 - 北朝鮮、... >>

世に倦む日日
Google検索ランキング


下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます

NHKスペシャル 激論2009
竜馬がゆく
花神
世に棲む日日
翔ぶが如く
燃えよ剣
王城の護衛者
この国のかたち
源氏物語黄金絵巻
セーフティネット・クライシス
本田由紀
竹中平蔵
皇太子
江川紹子
G20サミット
新ブレトンウッズ
スティグリッツ
田中宇
金子勝
吉川洋
岩井克人
神野直彦
吉川元忠
三部会
テニスコートの誓い
影の銀行システム
マネー敗戦
八重洲書房
湯浅誠
加藤智大
八王子通り魔事件
ワーキングプアⅢ
反貧困フェスタ2008
サーカシビリ
衛藤征士郎
青山繁晴
張景子
朱建栄
田中優子
三田村雅子
小熊英二
小尻記者
本村洋
安田好弘
足立修一
人権派弁護士
道義的責任
古館伊知郎
国谷裕子
田勢康弘
田岡俊次
佐古忠彦
末延吉正
村上世彰
カーボンチャンス
舩渡健
秋山直紀
宮崎元伸
守屋武昌
苅田港毒ガス弾
浜四津代表代行
ガソリン国会
大田弘子
山本有二
永岡洋治
平沢勝栄
偽メール事件
玄葉光一郎
野田佳彦
馬渕澄夫
江田五月
宮内義彦
蓮池薫
横田滋
横田早紀江
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
アテネ民主政治
可能性の芸術
理念型
ボナパルティズム
オポチュニズム
エバンジェリズム
鎮護国家
B層
安晋会
護憲派
創共協定
二段階革命論
小泉劇場
政治改革
二大政党制
大連立協議
全野党共闘
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
レイテ決戦
日中共同声明
中曽根書簡
鄧小平
国民の歴史
網野史学
女系天皇
呪術の園
執拗低音
政事の構造
悔恨共同体
政治思想史
日本政治思想史研究
民主主義の永久革命
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
価値形態
ヴェラ・ザスーリッチ
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
奈良紀行
菜の花忌
アフターダーク
イエリネク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
岡崎栄
悲しみのアンジー
愛は傷つきやすく
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
ネット市民社会