「誰、誰なの?」
まどかは声の主を探して歩いていた。
その歩みはゆっくりながらも、迷うことなく声の主の下へと向かっていく。
脳裏に浮かぶ声と映像をたよりに、着実に進む。
「どこ、どこにいるの?」
追いかけるのに集中していたためまどかは気づかない。
いつの間にか路地裏を超え、人のいない改装中のビルに入りこんでいたことを。
後ろからさやかとほむらが追いかけてはいるのだが、入り組んだ道に迷い未だ追いついてはいない。
まどかがたどり着いたのは、まだ使い道の決まっていないだろう寂れたワンフロアだ。
その中心に、傷つき倒れふす白い生き物がいた。
「助けて・・・」
その生き物が声をあげる。
まどかは自分を呼んでいたのがそれであると直感的に感じ取って駆け寄る。
猫の耳から毛のごとくたれ耳が伸びているようなそのデザインは夢で見たものであり、動物が喋るなど常識ではありえないことであるが、まどかはそのことに思い至るよりも先に体が動いていた。
「怪我してる、今助けてあげるから。」
まどかはその生き物を抱きかかえる。
「ありがとう、まどか。
怪我は大丈夫。
今は早く、僕を連れてここから離れるんだ。」
「それはどういう・・・」
「しまった、おそかった。」
どういう意味、とまどかが言うよりも前に、世界に変化が起こった。
景色がゆがみ、コンクリートの地面は色とりどりのタイルをばらまいたような色へと、無骨な柱は捩れた木や茨、洋館や騎士などを模ったオブジェへと変わっていく。
大量の蝶が舞い、地面に降りた蝶からは巨大な収穫前の綿花のようなものが生えてくる。
もはや壁も出口も見当たらなかった。
「ねえ、何これ!?」
「ごめん、まどか。
君を巻き込んでしまった。」
まどかの恐怖する声に、白い生き物は息も絶え絶えに謝る。
その間にも、綿花の綿の部分からは立派な口髭が生えてまどか達を取り囲む。
Das sind mir unbekannte Blumen (知らない花が咲いてるぞ)
Ja, sie sind mir auch unbekannt (知らない花が咲いてるぞ)
Schneiden wir sie ab (摘んでいこう)
Ja schneiden doch sie ab (摘んでいこう)
Die Rosen schenken wir unserer Königin (女王に薔薇をプレゼント)
綿花たちは口々に歌いつつ、獲物を見つけたことを喜ぶかのように体をゆらし、人の顔であれば目に当たる部分に漆黒の穴を開けて笑う。
その手にあたる葉の部分からは茨が伸び、その先に鋏を持って、しょきん、しょきん、と
まどかを刈り取るべく近づいてくる。
「これ悪い夢、だよね?」
あまりのことにまどかはすっかり怯えている。
「ごめん、まどか。
残念ながらこれは現実なんだ。
でも君の秘める力なら、こいつらを倒して脱出できるはずだ。
僕と契約して魔法少女になってくれさえすればね。」
「契約、それって・・・」
まどかはこの状況から逃れるため、その言葉に惹かれてしまう。
だが、そこから先は足元から立ち上った光によって遮られる。
立ち上った光はまどかを優しくつつみこみ、押し寄せる綿花たちを押しのけた。
「危ないところだったわね。」
そこにいたのは、まどかと同じ見滝原中学の制服を着た少女だった。
黄色い髪をツインの縦ロールにした大人びた少女で、手には光る石のようなものを持っている。
「キュゥべえを助けてくれてありがとう。
おかげで大切な友達を失わずに済んだわ。
でもね、キュゥべえ、助けを求めるなら私のような魔法少女を呼びなさい。
もう少しで二人とも危ないところだったのよ。」
非難する響きを帯びてはいたが、それ以上の安堵を含む声でその少女は白い動物に話しかける。
「あの、あなたは・・・」
「私は巴マミ。
見滝原中の三年生よ。」
「私、鹿目まどかっていいます。
その子に呼ばれたんです。」
それを聞いた少女はくすっと笑うと、再び近づき始めた綿花たちを見渡す。
「それ以上は、一仕事終えたあとにね。」
そう言うと少女はその光る石を掲げる。
光が迸り、それに包まれた少女が優雅に回ると制服が消え、靴はブーツに、スカートは髪と同じ黄色に、そして胸元にも黄色いリボンが現れ、頭には帽子と髪飾りが追加された。
そのまま飛び上がり、少女が手を一振りすると何も無い宙から大量のマスケット銃が表れた。
そしてそれは一斉に発射され、轟音と共に綿花の群れをなぎ払った。
だが、
「まどかっ!!」
一匹打ち漏らしていたようだ。
ようやく追いついたほむらだが、時間停止の魔法を使おうとするが間に合わない。
(こんなところで・・・)
感覚が暴走して時間が停止したようなその世界で、ほむらはまどかの首へとせまる鋏を見ていた。
そして―――ばちん、という音と共に、いつの間にか立っていた神野陰之の体に鋏が食い込み・・・ずたずたになった綿花の化け物が崩れ落ちた。
化け物が崩れ落ちると共にその奇妙な空間は消失したが、いきなり表れ、未だそこにいる神野陰之に少女たちは固まっていた。
「ほむら、いきなりあわててどうしたの?
それに何よその格好、いつ着替えたのよ?
あれ、まどか、あんたがいきなり走り出すからどうしたのかと思ったよ。
あれ、そしてそこの二人は誰?」
そこにようやくさやかが追いつく。
眼前に広がる光景を前に混乱しているようだ。
とはいえその言葉に少女達は再起動を果たした。
始めに動いたのはマミだ。
「鹿目さんを助けてくれたのには礼を言うわ。
でも貴方は何者なの?
魔女に近い雰囲気をまとっている、返答次第では撃つわよ。」
マミはマスケットを神野に構え、警戒を崩さず問いかける。
そのいきなりの行動にさやかは息を呑んだ。
だがさやかに構っている余裕はマミにはなかった。
これは明らかに闇のモノだと、人ではないとマミの本能が告げていた。
これまで戦った魔女にこのような存在(そもそも目の前の者は男に見える)はいなかったし、またこれほどのモノもいなかった。
最後に使い魔を倒したその挙動はマミの眼をしても見切ることはできなかった。
それに確実に刺さったはずの鋏によるダメージもまるでないようだ。
もしこれが魔女の一種なら、魔法少女たるマミは戦わなければならないのだ。
冷や汗をかきながらも、動揺を隠し戦闘態勢を崩さないのはマミがベテランゆえである。
そんなマミのけなげさを暖かく見守るように、またその蟷螂の斧を嘲笑うかのように、嗤みを浮かべた神野が応える。
「安心したまえ、私は魔女ではない。
私は願望を守護する者にして魔法そのものだ。」
警戒を崩さないながらも、マミは少し安心していた。
とりあえず話は通じるらしい。
またこの返答なら、ほむらと呼ばれた少女の願いに関係あるのだろう。
魔法そのものというなら、ほむらの固有魔法がこいつの召喚なのかもしれないとマミは考えた。
「彼女の願いによって現れたということかしら。」
「彼女の願望が呼び出したという意味では正しいね。」
確認のために放った問いへの神野の返答は含むものではあったが、マミはそれで納得したように銃を降ろした。
魔法少女は奇跡を起こす存在だ、どんな願いならこんなものが湧いてくるのか納得は全然できないが、理解はできる。
それに、それ以上踏み込むのがためらわれたというのが大きい。
魔法少女にとってその原点たる祈りは大切なものだ。
やすやす踏み込んでいいものではない、とマミは思っている。
緊張を解いたマミだったが、その耳に聞こえてきたのはさやかの心配そうな声だった。
「ちょっとまどか、大丈夫?」
「あら、どうしたの鹿目さん。」
マミと神野の会話の裏で、まどかはずっと怯えていたようだ。
怪物に命を奪われかけただけでも普通の人間には激しすぎる体験だ。
そこに朝の夢に出てきたのと同じ生物、其の時と同じ衣装の暁美ほむらに、夢を悪夢に変質させた男が現れたら悪夢のフラッシュバックがそこに加わるには十分すぎるきっかけだ。
まどかの頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「あなたが無事でよかったわ。
でもごめんなさい、怖がらせてしまって。
あなたを巻き込みたくはなかったし、あなたの前ではこの姿もあいつも見せるつもりはなかったのだけど。」
そこに声をかけたのは、心底すまなそうな顔をしているほむらだ。
夢の件についても、喫茶店で内容を聞いていた。
その夢はほむらを救おうとした挙句、魔女となったまどかが世界を滅ぼした時間軸の内容だった。
自分の願望が、結局まどかに望まぬ運命を歩ませてしまった時間軸、そして今なおそのことで苦しめる、それを心苦しく思っていた。
「あれはあんな感じだから、感受性が高いとあれに当てられて怖い思いをすることがあるの。
こんなことになってしまったから出さざるをえなかったけれど、本当にすまないと思っているわ。
あなたに危害を加えることはないし、味方だから心配しないで。」
特に夢が悪夢に切り替わるきっかけとなった神野陰之に関しては重点的に補足しておく。
「ううん、ありがとうほむらちゃん。
助けてくれたんだもんね。」
ほむらの言葉は、心を閉ざしてきた期間の長さゆえ少々淡々としすぎていたが、その口調にあった心配する気持ちが伝わったのだろう、まどかは少し安心したようだった。
神野に関しても、自分の盾になってくれたため危険だという感覚は大分薄れていた。
「でも、あの夢は・・・」
本当だったのかな? そのつぶやきがふとまどかの口からもれようとする。
それを遮ったのは神野だ。
「“あれ”は泡沫の夢にすぎないよ、鹿目まどか。
“君”が気にやむことではない。」
そう言い切られ、出鼻をくじかれたまどかは口をつぐんでしまった。
それを機に沈黙が場を支配する。
「ねえ、せっかくだし、私の家で話を聞いていかない?
改めて自己紹介するわ。
私は巴マミ、見滝原中学の三年生よ。
巻き込んでしまった以上、ちゃんと説明しないとね。」
その沈黙を破り、明るい声を挙げたのはマミだ。
その声にはまだ無理が見えたが、場の空気を変えるには十分だった。
さやかなどは、マミさんナイス、とばかりに親指を立てマミに見せてきた。
「そうだね、ぼくとしても素質のある子たちにはちゃんと説明したいし。」
それに乗ったのはキュゥべえだ。
傷ついていたこともあり会話に参加できなかったが、混乱するまどかをほむらに任せてもよいと判断したマミによって治療されており、ようやく復活したのだ。
「そうだね、マミさん。
私は美樹さやかって言います。
いったいどうなってるのか聞かせてください。
私は途中から来たのでいまいち状況がつかめてないんですよ。」
さやかがそれに追随する。
「ほむらちゃん・・・」
「そうね。
こうなってしまった以上ちゃんと説明しなきゃいけないでしょうし、お邪魔しましょう。
これ以上あなたを不安にさせたくないもの。」
不安がるまどかを安心させるように、ほむらもその誘いに乗った。
こうしてまどか達はマミの家へと向かう。
神野陰之はいつの間にか消えていた。