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東日本大震災で肉親などを失った被災者が、死者の霊を呼び出してその意思を告げるというイタコの口寄せを依頼する例が目立っている。青森県むつ市の恐山などで遺族の思いを聞くと、親しい関係を突然断ち切られた喪失感を埋めたいという思いが強いようだ。
日本三大霊場の一つ、恐山菩提(ぼだい)寺では今年も7月20日から24日まで夏の大祭典が行われた。震災の影響で5日間の来場者は昨年の半分強の約1万3200人に減った。総門脇に並ぶ口寄せ小屋の前の順番待ちの行列も例年の半分ほどだが、それでも4〜5時間待ちは当たり前だという。何組もの被災者が、辛抱強く順番を待っていた。
岩手県釜石市箱崎町の主婦金野幸子さん(55)は津波で流された夫正春さん(55)に「会いたくて」、長男広志さん(30)と次男貴志さん(27)と車で7時間かけてやってきた。3月11日の地震発生時、幸子さんは会社が休みだった夫と市内のドラッグストアで買い物中だった。正春さんは高台にある駐車場で「あとで迎えに来る」と幸子さんに言い残して、市街地の自宅にいる父(89)を助けに車で向かった。それが夫の最後の姿になった。
遺体は6日後、海から300メートルほど内陸で見つかった。正春さんは父親を近くの高台に避難させたあと、副業で続けている漁師の小型漁船を守ろうと漁港に向かったようだ。後に見つかった車の中に漁船の充電器などがあった。
「あの身軽な人がなんで助からなかったのか、どうしても聞いてみたかった」と幸子さん。イタコを通して正春さんは「こんなひどい津波が来るとは思わなかった。逃げ遅れた」と言ったという。「息子と行ってよかった。『仲良く暮らしてくれ、あの世から守るから』と言ってくれましたから」。肩の荷が下りたようだった。
仙台市泉区に住む主婦阿部真弓さん(50)は口寄せが目玉の1泊2日のバスツアーで訪れた。宮城県石巻市雄勝町の実家が津波で流され、母親の佐藤やよゑさん(87)を失った。同居中の母が流されるのを目の前で見た姉(61)は、パニック状態のために来られなかった。濁流は二階天井近くまで達し、姉はカーテンレールにつかまって水面に首だけ出して生き延びたが、母を助けられなかったと自分を責めている。
阿部さんは「母には成仏して下さいと伝えたくて。イタコさんからは『だれも恨んでいない。おれは運が悪かった』と母の言葉を伝え聞きました。姉が落ち着いたらもう一度来たい」と話す。
八戸市では09年夏から、期間限定で、観光コンベンション協会の主催で、JR八戸駅ビルを会場に口寄せをしている。今年も6月初旬から始めると、7月から震災被災者が来始めた。
岩手県宮古市山口の主婦中沢潤子さん(70)は同県田老町で商店を経営していた兄の榊清一さん(75)を津波で亡くした。宮古市内で葬儀店も経営し、息子2人に事業を任せ、人生の総仕上げを始めた矢先だった。兄は「津波にのまれて浮かんでは沈みを繰り返した。波の恐ろしさが分かった。家族をよろしく頼む」と後を託したという。
「何も告げずにいってしまったので気持ちを聞きたかった。急にいなくなると、残された家族はいつまでもふっと帰ってくるような気がしてなりません」(川上眞)
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