「30年連続で韓国に修学旅行」 日本智辯学院の藤田照理事長
「40年近く韓国を支配した日本の過去の過ちを生徒たちに見せ、謝罪するために来ました」
21日午後、ソウル・景福宮(キョンボックン)の民俗博物館入り口。制服を着た約650人余の日本人高校生が博物館に入るために並んでいた。蒸し暑い気候の中、多少疲れた表情を見せている高校生らの前で、スポーツ刈りスタイルの白髪の男性が説明をしていた。
この男性の名前は藤田照(73)さん。ここを訪れた高校生たちが通う日本智辯学院の理事長をしている藤田さんは、韓国を訪問した理由についてこのように説明した。
藤田さんは「修学旅行がてら、75年から現在まで30年間毎年韓国を訪問しています」とし、「私と一緒に韓国に来た生徒たちが今では1万5000人以上になります」と話した。
藤田さんが最初に生徒たちと訪韓した目的は日本の文化の源流を探すためだった。藤田さんは「智辯学院のある奈良地方の古代文化とされている大和文化は韓国から始まった」とし、「子どもたちにこのような事実を教え、大和文化の根を探すために韓国を訪問し始めた」と話した。
文化的な理由から始まった韓国行きに“謝罪”の意が加わったのは約10年前。訪問を繰り返しているうちに知り合いになった韓国人たちから、1910年から36年間、日本の植民地統治のもとで韓国人が受けた苦痛がどのようなものだったかを生々しく聞かされたからだ。
藤田さんは植民地支配を受けた韓国人たちの話をひとつひとつ聞きながら、日本の幼い生徒たちにもこのような教育が必要だと感じた。一時、生徒と教職員の間から修学旅行地を変えようという意見も挙がったが、藤田さんは更に韓国行きを固執した。
この30年間の韓国の変化を実感するのは何かという質問に、藤田さんは「麦飯」だと答えた。
藤田さんは「1975年頃までは韓国のどの食堂に行ってもご飯に麦飯が交ざっていたため、生徒たちに大変不評だった。しかし今では麦飯など見つけることも難しくなった」と話した。また、「90年前後は4月に韓国に行くと催涙弾ガスで目を開けることもできなかった」とし、「まるで60年代の日本の大学を見ているようで、生徒たちにもうひとつの教育の場となった」と回想した。
今月19日、釜山(プサン)経由で訪韓した藤田さんは、生徒たちと慶州(キョンジュ)、非武装地帯などをまわった後、22日に観光公社から「韓国修学旅行30周年」を記念する感謝牌を贈呈されることになっている。
ハン・ジェヒョン記者 rookie@chosun.com
<韓国朝鮮日報 日本語版>
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/21/20040421000068.html■韓国に「謝罪修学旅行」 広島・世羅高校
韓国紙報道 ソウル記念公園に生徒200人 【ソウル5日=黒田勝弘】
卒業式の「日の丸・君が代」問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が毎年、生徒を修学旅行で韓国に送り、ソウル市内にある独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていたことが明らかになった。五日付の韓国日報が社会面トップ記事で伝えたもので、記事には、生徒たちが市民の前でひざを折り、頭を垂れている写真が添えられ、案内を担当した年配の韓国人通訳の「生徒たちのまじめな表情に感動した」という感想も紹介されている。
↑韓国人の前で土下座している?日本人高校生
韓国日報は県立世羅高校の生徒たちが三・一独立運動記念塔前で謝罪した、と報じた=平成10年10月16日、ソウルのタップコル公園(韓国日報提供)
韓国日報は「“キミガヨ”で悩みの校長の教え子たち」「5年前からタップコル公園で“謝罪の参拝”」という見出しで、昨年十月十六日の様子を詳しく報じている。
それによると、「世羅高校の男女生徒約二百人は昨年十月十六日午後四時、タップコル公園の三・一(独立)運動記念塔前でひざを折って座り、日帝侵略と植民地蛮行を謝罪する文章を朗読した。一部生徒はハングル(韓国の固有文字)を学び、謝罪とともに両国の和解を訴えるプラカードを日本で作って持ってきた」という。さらに「公園での謝罪儀礼は犠牲者に対する黙とうと班長のあいさつ、謝罪文朗読、日本から持ってきた平和を望む折りづる献呈、公園内の史跡訪問などとなっていた」としている。
タップコル公園はソウルの中心街にあり、これまではパゴダ公園といわれた。日本統治時代初期の一九一九(大正八)年三月一日、大規模な抗日独立運動のスタートになったところで、記念塔などの施設があり、市民の憩いの場になっている。
世羅高校修学旅行団を案内した劉載晃氏(七九)は記事の中で「これまで五年間、“謝罪修学旅行”を許可してきた校長先生が、日帝軍国主義の象徴である日章旗掲揚や君が代斉唱に反対する教師たちと教育委員会の間で悩んだ末に自殺を選んだのだろう」と語っている。
また「謝罪修学旅行を送り出してきた石川(敏浩)校長は、教育委員会の指示を拒否することも、自身の良心に反する行動も難しいという葛藤(かっとう)を味わったことだろう」という記者の見方が書かれている。
近年、日本の高校生の韓国への修学旅行は増え、年間数万人にのぼる。旅行先は古都の慶州などの史跡のほか、独立記念館など歴史がらみのところが多い。
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高橋史朗・明星大教授の話
「過去の立場を超えて戦争犠牲者を慰霊するなら良いことだが、条約に基づいて日本が朝鮮半島を統治したことの非のみを一方的に謝罪する行為は、かえって国際的な信頼や友好を妨げる。本当の和解とは、言うべきことを言い合って築かれるものだからだ。日本の一部の教師たちが持つ思い込みや非常識さが、この修学旅行のような広島県の異常な教育の背景にある」 <日本産経新聞> 1999.03.06
http://web.archive.org/web/19991004070220/www.sankei.co.jp/databox/paper/9903/06/paper/today/itimen/06iti001.htm韓日若者の間にも「わい曲教科書の冷気流」 日本の歴史教科書わい曲問題を受けて長期間にわたって毎年定期交流を続けてきた両国の民間団体では、今年に入ってから行事の中断が相次いでいる。
これまでの7年間、毎年3月には韓国に“懺悔の歴史旅行”をしていた東京の正則高等学校は、来年度の歴史旅行を保留すると主管旅行社に通報したと11日に明らかにした。このw校は韓洲(ハンジュ)旅行社に送った公文で「今月3月に正則高校の学生が韓国に行って来た後、父兄が反発するなど校内の世論が悪化し、新入生の募集に悪影響を与えている程だ」とし、「来年の歴史旅行は一旦中断することにした」とした。この学校の長原教師は「教科書問題など、様々な日本社会の雰囲気もあり、続けることが難しい状況」だと述べた。
慶尚(キョンサン)南道・馬山(マサン)市の第一高等学校も先月20日、姉妹学校である日本の三重県桑名市の津田中高等学校が歴史わい曲教科書を採択したことに対し、遺憾の意を伝える書簡を送ったことに続き、これまで14年間維持してきた姉妹校関係の清算を検討中だと11日に明らかにした。
京畿(キョンギ)道・議政府(ウイジョンブ)市は最近、20年間姉妹都市の関係を保ち続けてきた長崎県の新発田市側に今年の文化行事はしないという意思を通報した。この行事は8月に両都市の中学生が参加する体育行事の形で行われる予定だった。今年の10月には東京への親善訪問を計画していたソウル市議会も訪問を再検討している。
しかし韓日民間交流の中断に対する憂慮の声も少なくない。韓日協力委員会のウ・ジョンホ事務総長は「教科書わい曲の問題は1日2日で解決されることではないため、両国間の理解の幅を広げることができる民間交流、特に青少年達の交流まで断絶させてしまうことには賛成できない」と憂慮した。
方聖勳(パン・ソンフン)記者 李吉星(イ・ギルソン)記者
<韓国 中央日報 日本語版> 2001/07/11 21:28
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2001/07/11/20010711000032.html日本の高校生が「西大門刑務所歴史館」を見学
「それって本当ですか」
6日午後、ソウル・西大門(ソデムン)区にある「西大門刑務所歴史館」を訪れた日本・東京の正則高校2年生321人は、「それって本当ですか」を連発していた。同校の英語教師、坂下浩一さん(32)が「3・1独立運動の先頭に立った柳寬順(ユ・グァンスン)烈士は残酷な拷問と栄養失調で亡くなった‘韓国のジャンヌ・ダルク’で、この地下独房で殉国した」と説明すると、皆ショックを受けたような表情だった。「君なら独立運動をしていたと思うか」という先生の質問に宮内慶一郎君(17)は首を横に振った。
歴史館の地下にある、日本の警察が韓国の独立運動家の爪の先を木の針で刺し、両腕を上に結んで殴打するマネキンを展示してある拷問室を目の当たりにすると、生徒たちは立ちすくんでいた。川口悠君(17)は「学校で韓国の独立運動について習ったことはあるが、ここまで残酷な拷問があったことは知らなかった」と話した。
この高校の生徒が西大門刑務所と提岩(ジェアム)里教会など日帝の蛮行が行われた現場を初めて訪れたのは94年のこと。「被害者でなく加害者として戦争を顧みるべきだ」という社会科教師の近津経史さんの提案によるもの。
当時、個人的に韓国を訪問した近津さんが西大門刑務所での『近くて近い人の言葉』という本を出した曺享均(チョ・ヒョンギュン/73)氏との出会いを通じて日帝の蛮行について聞いてから、次の世代のための「韓日の過去の歴史に対する教育」の必要性を鈴木昭夫校長に提案し、鈴木校長がこれを快諾したという。正則高校の生徒たちは毎年3月、「韓国平和学習旅行団」という名前の行事を行っている。
同校の321人は元従軍慰安婦の女性が共同生活をしている京畿(キョンギ)道・広州(クァンジュ)の「ナヌムの家」、提岩里教会などを訪問した後、11日帰国の途に着く。
金成炫(キム・ソンヒョン)記者
<韓国 朝鮮日報 日本語版>2001/03/06 19:34
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2001/03/06/20010306000027.html30年間続いた日本九州高校の「韓国修学旅行」
「斧蛮行事件もコレラも戒厳令も、韓国への道を止めることはできませんでした」。
15日午前11時、ソウル・上岩(サンアム)洞のワールドカップ競技場。日本・福岡市の九州産業大学付属高校の教師と生徒695人が17台のバスに乗って、競技場の正門に到着した。14日午後、仁川(インチョン)国際空港から入国した695人は、この日「30回目」の韓国修学旅行の2日目を迎えた。
佐藤俊郎(44/英語)教師は「ほとんどの生徒がこの競技場を覆った“レッドデビル”の姿をテレビで見た」とし、ワールドカップ競技場を日程に入れた理由を説明した。
九州高校の韓国修学旅行が始まったのは73年5月。76年板門店(パンムンジョム)で起きた斧蛮行事件(共同警備区域内で木の枝を切り落とす作業を監督していた米軍将校2人が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍人に斧で殺害された事件)、79年の朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領暗殺事件と戒厳令、相次ぐクーデター、コレラが流行した85年、6月抗争のあった87年…。
韓国が数多くの現代史の波を越える度、九州高校の修学旅行は幾度も中断の危機を迎えた。しかし今年3月に他界した松本俊二(56)前校長のお陰で、伝統は途切れることなく受け継がれた。
故松本校長は76年に生徒指導部長だった時代から、韓国が困難にぶつかる度に直接訪問し、事前踏査した後、「安全には何の問題もない」とし、生徒や教師を安心させたという。30年間、この学校の修学旅行を斡旋してきた 徐世鎭(チョ・セジン/70/旅行社元幹部)さんは「松本校長は韓国のことわざがとても好きだった」と話す。
笑えないエピソードも数多い。70年代は洗面所の水が出ないユースホステルやガスを使えない食堂も多かった。そんな時は生徒全員が顔も洗えず、団体で食事を抜かなければならなかった。83年にはセマウル列車を貸し切り、慶州(キョンジュ)からソウルに向かう最中、変質した弁当を食べて生徒40人が入院したこともある。
25年前、物理の教師として初めて韓国への修学旅行に参加した諸藤定良(52)校長は「昔は1つのベッドに2人を寝かせるホテルもあったが、88オリンピックの後からはそんなことはほとんどなくなった」と話した。
韓国への修学旅行はもはや九州高校の伝統となった。卒業生の挨拶の言葉にも、修学旅行での経験談が度々登場するという。
今年で21回目に修学旅行に同行するという州崎孝幸(45/国語)教師は、「W杯の際は生徒たちがテレビで韓国の街頭応援を見ながら、『私たちがバスで通った場所』と言いながら喜んだ」とした。
九州高校の生徒たちは龍仁(ヨンイン)の民俗村とソウル市内観光、ソウル世宗(セジョン)高校生徒たちとの「文化交流会」行事、水原(スウォン)・華城(ファソン)訪問などのスケジュールを終え、今月18日、日本に帰る予定だ。
世宗高校の尹相京(ユン・サンギョン/60)教頭は「初めて会った席で、生徒たちはすぐに友たちになった。それを見ると、両国の間に超えられない壁などないと思えた」と話した。
李泰勳(イ・テフン)記者
<韓国 朝鮮日報 日本語版> 2002/11/15 19:10
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/11/15/20021115000040.html----------
「31年間韓国修学旅行」日本高校理事長に勲章 
「北朝鮮の斧蛮行事件(ポプラ事件)、戒厳令、新型肺炎(SARS/重症急性呼吸器症候群)など、さまざまな出来事がありましたが、“韓国学び”は止りませんでした。両国の若者たちが過去の感情に捕われるべきではないと考えたんです」
過去31年間、毎年韓国に修学旅行に来ている日本福岡市九州産業大付属高校の中村雅登(72)理事長は、26日に行なわれた「第30回観光の日」記念式で、韓国観光の発展に貢献した功労により、「銅塔(ドンタプ)産業勲章」を受章した。
1973年5月に韓国修学旅行を開始した九州高校は、アジア地域にSARSが猛威を振るった今年3月にも、教師や生徒など400人余が韓国を訪れた。過去31年間、同学校の修学旅行のプログラムを通じて韓国を訪問した人数は、延べ1万7000人余に達する。
1976年のポプラ事件、1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の暗殺事件と戒厳令、コレラが蔓延していた1985年、「6月抗争」が起きた1987年などなど。
同校は幾度も修学旅行の中断危機に直面したが、韓国現代史の波を直接目撃しながら韓国への理解を深めた
。また姉妹校のソウル・世宗(セジョン)高校生徒との文化交流を通じて、両国の青少年交流にも寄与した。
同日の記念式には中村理事長の他にも、30年間韓国修学旅行を実施した向上高校の清水秀樹(59)理事長が同じく功労を称えられ産業褒章を受章した。
金承範(キム・スンボム)記者
<韓国 朝鮮日報 日本語版>2003/09/26 18:32
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/09/26/20030926000053.html ---------------------------------------------
↑これらは少し古い記事ですが、異常だとは思いませんか?
当たり前ですが、中には父兄の批判で旅行を中止した学校もあるようです...
現在も続けている学校等の情報がありましたら、是非お願いいたします参考;
ソウル市長洗脳修学旅行誘致計画http://wkorea.exblog.jp/1469046/