ヤップの伝統建築

 

伝統的な集会場

ヤップには「村」と呼ばれる昔からの生活共同体(集落)が百ちかくあります。そのそれぞれの村に、公民館のような役割をするペバイ(P'eebaey)、海岸に あって男たちが漁の準備をしたりカヌーをつくったり海への玄関口でもあったファルー(Faeluw)、女たちがお産をしたり生理のとき休んだりしながら女の伝統を受け継ぐ場所であったダッパル(Dapael)、と呼ばれる3種類の集会場がありました。

ベチヤル(Beechyal)村のぺバイ

 

ペバイは村の男、女、子供がそれぞれの目的をもって集うところです。公民館ですから今でも必ずありますが、村によってはモダンな建物になっていたり、土台だけになったりしている村も多くなりました。  ファルーは、男たちが共同で漁をする習慣が廃れるとともに現実の役割を失いつつありますが、観光と景観保護、伝統建築技術の保存のために、州の歴史保存局が資金を出して建てかえを促進しています。女の集会場ダッパルは、今では廃れてしまいました。

ウルー(Wuluuq)村のファルー

ベチヤル(Beechyal)村のファルー

 

ペバイファルーも、ヤップの伝統建築には釘 を一本も使いません。大きな木の柱や梁は、木の自然な曲がりをうまく利用して組み合わせ、椰子の実の繊維から作った丈夫なロープ・アウ(Qaaw)で装飾的にしっかりとくくられているのです。集会場を建てるための木を切ると、次の建て替えの時期(20年〜30年)までに成長するように、大きな柱になる木を植えておきます。

アミン(Qamin)村のファルー

集会場の内部

 

石の土台(プラットフォーム)

ヤップの建物は、民家もぺバイファルーも、島で切り出された石とサンゴでできた土台の上に建っています。石の土台は二段重ねになっていて、一段目をウヌベイ(Wunbey)、建物を建てる二段目をダイフ(Daeyif)といいます。先祖代々伝わるこれらの土台は、数十年で朽ちて建て替えなければならない建物よりも大切なもので、代々相続していきます。

カダイ(Kadaay)村

 

これらの土台は、台風などで高潮になった場合、海岸の低地にある建物を浸水から守ります。現在のヤップの民家はコンクリートやトタン屋根のモダン建材でできていますが、セメントで塗り固めてあっても、土台は先祖代々伝わるダイフです。

ベチヤル(Beechyal)村

 

一段目のウヌベイも、集会の場所として使われます。日本の家屋で言えば「座敷」と考えていいでしょうか。それぞれの目的によって座敷が使い分けられていますので、ガイドに聞いてから上がりましょう。かつては、このようなウヌベイに子供たちが集まり、おじいさんやおばあさんから村の言い伝えや教訓話を聞いて育ったものでした。

ウルー(Wuluuq)村

 

マラル=村の広場

ぺバイファルーなど村の集会場の前には、マラル(Malaal)と呼ばれる場所があります。たいていそこには村の大きな石の「お金」が置いてありますので、外国人はそれを勝手に「石貨銀行」とか「ストーンマネーバンク」とか呼んでいる訳です。

カダイ(Kadaay)村のマラル

 

マラルの役割は、村の人々が踊りを練習したり、客人を招待してそれを披露したり、もちろん石を飾ったり、いわゆる「ビレッジ・スクウェア」のようなものです。本来ここでは、特別なことがない限り、原則としてビンローを噛んだり、飲食したりはできません。

バラバット(Balaabaat)村のマラル

 

石畳の小道

ヤップの村々は島中を巡る小道・カナワ(Kanaawoq)で繋がっていました。そして、その多くは精巧な石畳で舗装してありました。こうすることによって、雨の日でも足が泥まみれになることなく快適に行き来できたわけです。現在では、自動車を入れるためにブルドーザーで拡張され、アスファルト舗装されたり、ジャングルに埋もれてしまった路が多いですが、よく手入れされて現役の役割を果たしている路も残っています。

ウルー(Wuluuq)村のカナワ

 

注意してみると、このカナワに沿って溝が切ってあるのがみえます。これはウォン(Won)といって、山に降った雨水がここを通って沿道のタロ芋の田んぼ・ムート(Muqut)を巡り、タロ芋に栄養を供給するとともに、泥水がろ過されて海に注ぐようになっているのです。

カダイ(Kadaay)村のカナワとウォン

この他にも、村の中にはあちこちに石造りが見られます。村の中の小川・ルル(Luul')には、たいてい土手・チョバク(Chabag)が築かれています。

チョバク


 

 

ホーム  |  カルチャー  |  ページトップ