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変わり果てた古里に絶句 帰省者 静かに合掌 盆の入り
| 訪れた人たちに震災の被害状況を説明する日野さん(右)=13日午前10時ごろ、石巻市の日和山公園 |
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東日本大震災の被災地は13日、震災後初めてのお盆を迎えた。都会で暮らす子や孫が集まった仮設住宅はにぎやかな声に包まれた一方、今なお解消されない避難所は訪れる人もまばらで、寂しい盆の入りとなった。震災後、初めて古里を訪ねた人たちは変わり果てた古里の光景に絶句し、うだるような暑さの中で静かに手を合わせた。
実家を津波で流された宮城県南三陸町歌津出身の安井恵理さん(50)=相模原市=は夫と長男、長女の4人で帰省した。 「狭い場所に大勢で押しかけて心苦しい」とも思ったが、両親と妹夫婦が暮らす同町の「平成の森」仮設住宅に泊まる。親類が集まって行う恒例のバーベキューを一家で楽しみにしている。 宮城県気仙沼市で最多の126人の被災者が暮らす避難所の市総合体育館。ボランティアが出入りする程度で、ロビーは閑散としていた。 仙台市に住む50代の女性が午後4時半ごろ、体育館に避難する母親のもとを訪れた。「宿泊する場所がなく、日帰りになるので、ゆっくりしている時間はない」。母親を車に乗せると、急いで市内の墓地へ向かった。 1人でテレビを見ていた無職女性(54)の四男は20日ごろ東京から帰省するが、体育館には泊まらない。「避難所はプライバシーがないので、嫌がっている。友だちの家に泊まると聞いている」と寂しそうに話した。 宮城県石巻市鹿又出身の大槻千香さん(47)=東京都北区=は震災後、初めて家族と日和山公園(標高60.4メートル)を訪れた。実家の被害は軽かったが、高齢の両親は精神的に大きなショックを受けた。 娘の高校2年大槻華子さん(17)は震災後初めての石巻。「戦争の跡みたい。映像以上にひどい」と眼下に広がる光景に絶句した。 震災当時の様子を説明していた観光ボランティアの元高校教諭、日野長介さん(65)は「震災で亡くなった10人近い教え子たちの葬儀に参列するのが一番つらい。今でも全てが夢であってくれたらと思う」と目頭を押さえた。この日、日和山公園には、被災した街の姿に、記憶の中の古里を探そうと訪れる人々が絶えなかった。
2011年08月14日日曜日
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