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[29283] 【習作 短編】私、触手(オリジナル 私小説?風ファンタジー)
Name: 烏口泣鳴◆db25df9d ID:41696623
Date: 2011/08/12 20:25
「そろそろ触手切ろうかな」

 そんな事を思って鏡を覗くと、貧相で不細工で気味の悪い化け物がこちらを覗いていた。あまりの驚きに腰を抜かして後ろに倒れ、頭に光が走り、洗濯籠をぶちまけて、そして苦笑する。今のは鏡だ。今のは私だ。一体何年見てきたのだろう。それなのに。いや、今のは寝起きなのが悪かった。働いていない頭が悪い。

 気を取り直して鏡を覗き直して、そこに映った自分の姿に少しげんなりとしつつ、私は触手に手を当てた。浅黒く汚らしい。蛸やイソギンチャクの様に綺麗な色はしていない。クラゲの様な透明な美しさも無い。私のはただ醜い。ぬらりとした粘液に塗れている。それがまたいやらしい。伸びている。伸びて量の多くなった触手に押されて服が盛り上がっている。一本だけ服の裾から伸ばした触手が、私の顔に、私の手に寄り添ってうねっている。一体いつから切っていなかったのか。盛り上がった服が何とも不恰好で、私に良く似合っていた。

 ああ、嫌だ。鬱々とした気分が溜まっていく。外に出ないからだ。外に出よう。じめじめとした場所に居ては、触手が更にべとべとしてしまう。電話を掛けて予約を取って、私は外に出た。美容院のスタッフは1時間後に来いと行っていた。それならその辺りをぶらつこう。美容院はすぐそこだ。

 私は家の前の通りを通って、本当にすぐそこにある美容院の前を過ぎて、商店街へと向かった。商店街は酷く侘しい。人が居ない訳じゃない。店も、何店かは閉まっているけれど、ほとんどの店は開いている。シャッター通り何て揶揄される程じゃない。それでも侘しかった。雰囲気、見る者が受け取る何とない空気、それが淀んでいた。淀んでいるのだ。別に何らおかしい事なんて無いというのに。表面上は普通なのに。

 商店街の通りをゆっくりと歩んでいるが、何となくお店に入る気にならない。入ると、また、更に、もっと、私は酷くなってしまう。そんな気がした。だから結局、何処にも入らずに──

 触手がするりと伸びた。地面を這って、私の後ろへ、まるで引かれる後ろ髪の様に。何かと思って後ろを見ると、人が居た。私の触手は人に向かって伸びていた。私のほんの些細な欲望の糸は、太く、醜く、粘液に塗れていた。その先には背を向けた人が居る。私とは違う、しっかりとした、魅力的な、完全な、人間が私から離れて行こうとしている。私の欲望は更にするりと速度を上げて地面を這った。ああ、もう少しで人間に届く。憧れの、人間へ。

 思いっきり地面を踏みつけ、触手を踏みにじった。痛い。

 馬鹿か、私は。こんな街中で人に向けて触手を伸ばすなんて。痛みを堪えつつ、慌てて触手を引っ込めて、頬に手を当てると、顔がとても熱い。熱くて暑くて、胸が苦しくなった。駆け出したい。でももっと体が熱くなるから走れない。氷が欲しい。氷の中に入って永久に凍結してしまいたい。見ると、先程の人は怪訝な顔をして私へと振り返っていた。そして私の勘違いじゃなければ顔を気味悪そうに歪めて、また私に背を向けて、何処かへと歩いて行った。

 嫌だ嫌だと思いながら、ショーウィンドウの横を通り過ぎた。が、つつ、と後ろに下がって、ガラスに手を当てて覗き込むと、そこに白い服を着たマネキンが二体立っていた。服は余り好みではない。如何にも安っぽい形と柄だった。でもマネキン二人は綺麗だった。穢れの無い白い肌を堂々と晒して怖じる事無くこちらを見つめている。服も場所も関係なく、ただ自分を誇示している。そしてその姿が美しい。羨ましいと思った。私とは違うと思った。違いを見せつけられた。でも、それが嬉しい。世界にこんなにも美しい物が在る。それがとても嬉しかった。世界は汚いだけじゃないのだ。ああ、綺麗だなぁ。

 酷く単純な私は元気になって、また歩き出した。コンビニを過ぎて、果物屋を過ぎようとした時、老人が道端に果物をまき散らした。老人は、ああ、だとか、わあ、なんて悲しそうな声を上げて、ころころと転がる林檎を追っている。

 私はチャンスだと思った。何のチャンスなのかは分からない。とにかく私には触手がある。これならすぐに拾ってあげられる。そう思った時には、既に私の足元から触手が伸びていた。擦れる音と粘性の音がしゅっぴしゃりと荒々しく踊る間に、果物達は老人の落とした籠の中に入っていた。

 最後に老人が追いかけている林檎を拾い上げて手渡すと、老人は驚いた表情を作っていたが、すぐに破顔して頭を下げてきた。

「すみません。ありがとうございます」
「いいえ、どう致しまして」

 私は気恥ずかしくなって、小さい声でそれだけ言って、早足でその場から去った。気恥ずかしくて、嬉しくて、後ろが見たいのだけれど、見られない。もしかしたら老人が嬉しそうにこちらを見ているかもしれない。そんな時に顔を合わせてしまったらどうして良いのか分からない。いや、きっともう私の事なんか忘れて何処かへと去っているのだろうけど。

 すぐに商店街の端まで行き当たった。これ以上行っても仕方が無い。でも後ろには老人が居るかも知れない。どうしようどうしようと、悩んだのは一瞬の事で、後は野となれ山となれといった一種自暴自棄な勇気を振り絞って振り返った。そこに老人は居なかった。安堵と虚しさと恥ずかしさが混じり合って、どろりと私の心に入り込んできた。顔がまた火照ってきた。

 ああ、駄目だ駄目だと歩いて戻ると、老人の姿見えた。何故かコンビニの前で店内を覗き込む様に立っている。入ろうとしている様には見えない。ただ店の中を見ているだけの様に見える。

 何だろうと思っていると、老人が突然果物の入った籠を両手で持ち上げて、ゴミ箱の中に放り込んだ。

「あ」

 そんな声が近くから聞こえた。確かめるまでも無く私の声だが、他人の声の様に思えた。良く分からなくなって、ふらりとした足取りになりつつ、老人が去った後のゴミ箱に近寄って中を覗き込むと、確かにそこに幾つかの果物と籠が入っていた。林檎もしっかりと入っていた。少し欠けて白い中が見えている。

 ああ、これはもしかして──

 頭が真っ白になっていた。気が付くと、私は美容院の前に居た。体が熱い。汗を掻いていた。これは恥ずかしいからじゃない。怒りでもない。感情の発露じゃない。ただ走ったから熱いだけだ。強がりなんかじゃない。

 時計を見るともうそろそろ予約の時間だった。でも何となく入りづらい。いつも通っている場所なのだから、大丈夫。そう頭の隅っこが励ましてくれるのだが、その他の大部分は中に入りたくない様だ。ガラスの向こうの店内を眺めていると、スタッフの一人が私へと気が付いた。鋏を持ちながら顔を歪めた。動悸が早くなった。

 スタッフが他のスタッフに声を掛けている。すると他のスタッフも私を見て、そうして何故か入り口へと向かって来る。そうして入り口を開けて、やはり表情を歪めて私を見つめながら口を開き──

 そこで私は駆け出して、家へと逃げ帰って、鍵を閉めて、布団の中に籠って、熱い吐息を封じ込めながら、私は目を瞑って、光を、意識の光を締め出して、そうして思いっきり触手をひっかいた。粘ばっこい感触と音と痛みがくぐもった世界で光を発した。もう当分林檎は食べられないなと思った。それだけを考え続けた。


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