経済・IT「繊維街・船場」からまた一つ消える…伊藤忠、大阪本社移転控え“恩返し清掃”+(1/2ページ)(2011.8.11 20:11

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「繊維街・船場」からまた一つ消える…伊藤忠、大阪本社移転控え“恩返し清掃”

2011.8.11 20:11 (1/2ページ)
大阪本社移転を控え“恩返し清掃”をする伊藤忠社員ら=11日午後、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)

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大阪本社移転を控え“恩返し清掃”をする伊藤忠社員ら=11日午後、大阪市中央区(志儀駒貴撮影)

 伊藤忠商事は11日、岡藤正広社長や若手社員160人が、大阪市中央区の船場地区でランドマークとして親しまれた現大阪本社周辺の清掃活動を行った。同本社が15日付で、JR大阪駅北側の新駅ビル(大阪市北区)に移転するためのセレモニー。船場地区は同社をはじめ丸紅などの総合商社、紡績メーカーが集う「繊維街」として発展してきたが、近年は本社の移転が増え、その面影は年々薄れている。

 岡藤社長は「長年お世話になった感謝の気持ち。若いころは自転車に乗って船場地区を営業したもんですが、今は多くの繊維会社が船場から離れました」と、寂しそうな表情でつぶやいた。

 伊藤忠の現大阪本社がある「伊藤忠ビル」は、大阪市中心部を南北に貫く御堂筋と東西の中央大通が交わる一等地に昭和44年、建設された。地上13階地下4階のビルは、近接する大阪丸紅ビル(丸紅大阪支社)とともに、長く船場地区の象徴として親しまれ、大手紡績メーカーも両社の近くに本社を構えた。

 同地区に本社を置く紡績会社員は「昔は、毎朝出勤すると本社の玄関前で商社マンに待ち構えられ、『商品を売ってくれ』とせがまれるほど活気に満ちていた」と懐かしむ。

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