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2011年 9月2日記念LAS小説短編 新しい登山靴が教えてくれた、安心できる場所
作者:朝陽
大学1年の夏休み、シンジ、アスカ、レイ、トウジ、ケンスケ、ヒカリの6人は夏の登山を楽しむ事になった。
きっかけはレイが夏休みの終わりに外国に引っ越してしまう事だった。
そこでケンスケが提案したのは、日本での思い出を作るために富士山に登る事だった。

「何で山登りなんて面倒な事をしなくちゃいけないのよ」
「だって、日本で一番の山なんだぜ! せっかく地元なのに、登らずに日本を離れるのはもったいない!」

アスカが渋ると、ケンスケは力一杯主張した。

「高い山から俺達の住んでいるこの街を見下ろすんだ、気持ちの良い事だとは思わないか」
「せやな、それもいいかもしれんな」

トウジもケンスケの意見に同調した。

「嫌よ、山に登るより海で泳いだ方がスッキリするじゃない」
「海は何回も行っとるやないか」
「ねえアスカ、森林浴もヒンヤリとして風が涼しいと思うわ」

トウジとヒカリも息を合わせてアスカをなだめた。
しかし、山に行く事を決定したのはレイの一言だった。

「私、富士山に登ってみたいわ。相田君の言う通り、高い所から日本の大地を眺めてみたい……」

どうやらケンスケの詩的とも言える言葉は、レイの心を強く感動させたらしい。
レイの目には輝きがあふれていた。

「でも綾波、山登りは大丈夫なの?」

シンジはレイを心配してそう声を掛けた。
レイは中学の頃から文学少女と言う言葉が似合うほどのインドア系で、泳ぎは上手かったが陸上競技はそれほど得意では無かったのだ。

「まあ頂上までとは行かなくても、無理せず行ける所まで行けば大丈夫だろ?」
「そうね、ありがとう」

レイはケンスケの言葉に穏やかな笑顔を浮かべてうなずいた。

「ちょっとシンジ、何でアタシの心配はしてくれないのよ!」
「惣流は昔から碇のやつに暴力を振るっとる野生児やないか!」
「何ですって!」

トウジの挑発にアスカはすぐに乗せられて怒ってしまう。
こんなやり取りは中学でアスカとトウジが出会った頃から相変わらずだ。

「で、惣流は行かないのか?」
「仕方無いわね、付き合ってあげる」

ケンスケの言葉に答えるアスカの言い方に、シンジ達は苦笑した。
とにかくアスカは仲間外れにされる事が嫌いを通り越して恐怖なのだ。
それは幼少期のアスカのトラウマから来ている。
以前にシンジとレイ、ヒカリとケンスケの4人でアスカに内緒で美術館へ行った事があった。
きっとアスカは文句ばかり言って静かに絵や写真の鑑賞が出来ないだろうと思って連れて行くのを止めたのだ。
トウジにもアスカに聞かれてもとぼけるように口止めをしていた。
午前中だけのはずが、その後4人で映画まで見る事になり、その間携帯電話の電源は全員切っていた。
映画を観終わり、夕方になって慌てた様子のトウジから電話が掛かって来た。
アスカが「みんなが居なくなってしまった」と何回も叫んでパニックになっていると言う事だった。
それからと言うもの、シンジ達はアスカを置いて行かないように気を使っている。
アスカは一人になってしまうのが極端に恐かったのだ。
大学生になった今は表面上は改善したように見えるが、アスカのトラウマはまだ完全に治っていないように思えた。
そのトラウマはアスカの不幸な生い立ちが原因だった。



アスカの両親はドイツで貿易会社を営んでいた。
小さい頃のアスカは社長夫妻の娘として、使用人も居るような屋敷で恵まれた生活を送っていた。
両親は忙しかったがアスカの事を可愛がり、屋敷ではたくさんの使用人に囲まれて、アスカは寂しさとは無縁だった。
しかし信頼していた部下の経理係が裏切り、会社の資金を持ち逃げしてしまったのだ。
経理係は警察に捕まった時にはすでにお金を使い切ってしまっていた。
そして会社は汚名を着せられ倒産、莫大な借金がアスカの両親に振りかかった。
アスカの父親はもともと資産家だったアスカの母親の家、惣流家へ婿養子となった身である。
数日も経たないうちにアスカの父親は惣流家から追放され、借金は彼が丸ごと背負う事になってしまった。

「パパ、行かないでよ、パパぁ!」

父親が居なくなってしまうと知ったアスカは大泣きして引き止めた。
アスカはたまに会う父親が大好きだった。
特におんぶをしてもらっている時の父の背中は広くて大好きだった。
そんな父親に二度と会えなくなってしまうのは嫌だ。

「ママもパパを止めてよ!」

アスカが頼んでも、アスカの母親は悲しそうに首を横に振るだけだった。
自分だけなら夫の借金を背負っても良い。
しかし、自分はアスカと言う娘が居るのだ。
もちろん、惣流家の屋敷に居た使用人は全て姿を消し、アスカは母親と共に屋敷を追い出された。
アスカは使用人達が自分達に優しくしてくれたのは社長の娘だったからだと思い知らされ、深い心の傷を負った。
昨日まで料理を作ってくれたコックはもう居ない。
絵本を読んでくれた執事も居ない。
イタズラに付き合ってくれたメイドも居ない。
アスカの隣に居るのは社長夫人の威厳も失われたアスカの母親だった。
困り果てたアスカの母親はアスカを連れて親戚を頼って日本へとやって来た。
だが、惣流家の親戚達もアスカの父親の会社の倒産を知ると、手のひらを返したような冷たい態度になりアスカ達を煙たがった。
親達がそんな態度であるから親戚の子供達も、落ちぶれてしまったアスカを馬鹿にしていじめるようになった。
この経験がさらにアスカを人間不信を強める結果になった。
アスカの母親は娘を守るために親戚の家を出たのだが、日本での貧しい生活が彼女を苦しめた。
彼女は長い間社長夫人として生活していたので、なおさら世間の冷たさが応えてしまったのだろう。
心労でアスカの母親はついに倒れた。
小学校に通っていたアスカが知らせを聞いてアスカの母親の病室に入ると、ベッドには焦点の定まらない目をしたアスカの母親が体を起こして座っていた。

「ママっ!」

アスカが呼びかけてもアスカの母親はアスカの事を見ようともしない。

「お金が無い……、お金が無い……、お金が無いの……」

アスカの母親はそうつぶやきながら、空っぽの財布を開け閉めする事を繰り返していた。

「どうしたの、アタシが解らないの!?」

アスカが母親にすがりつくと、アスカは凄い力で母親にはねのけられた。
そんなアスカを抱きしめるように受け止めたのが、看護師をしていたシンジの母親のユイだった。

「あなたが、惣流アスカちゃん?」

ユイに尋ねられて、アスカは目に涙を浮かべながらうなずいた。

「ママは、どうしちゃったんですか?」
「アスカちゃんのママはね、とっても辛い事がありすぎて、現実から逃げて自分の心の殻に閉じこもってしまったのよ」
「ねえっ、ママを治してよ! ここは病院なんでしょう! お医者さんがたくさん居るんでしょう! すぐに治してよ! 一緒に晩御飯を食べるって約束したもの!」

アスカは屋敷に居た頃のようなワガママを言ってユイに泣き着いた。
こう言えば、アスカの世話をしていたメイドは困った顔をしながらも願いを聞き入れてくれたのだ。
しかし、ユイはそんな事は出来ないと固い表情で首を横に振る。

「アスカちゃんのママは、時間を掛けてゆっくりと休まなければ退院できないのよ」

そんな時に病室にアスカの親戚の女性が姿を現した。
その表情はアスカの母親達を心配していると言うよりは、不機嫌丸出しと言った感じだった。

「やれやれ、面倒を掛けないでくれよ。さあ、帰るよ」
「嫌っ、おばさんの家になんか、もう帰りたくない!」

アスカの親戚の女性が声を掛けると、アスカは拒否した。

「聞き分けの無い子だね」
「ひどいのはあなたの方では無いですか!」

やりとりを見ていたユイがついに怒り出した。

「うるさいね、看護師のあんたには家の事情は関係ないだろう?」
「こんな悲しい思いをしている子に、優しい言葉の1つも掛けてあげないなんて、保護者失格です!」

ユイはアスカを抱き締めてそう宣言した。
看護師である前にユイは母親であったのだ。
そしてユイはアスカの心を守るためにアスカの母親になる宣言をした。
すると、アスカの親戚の女性は醜悪な笑みを浮かべてユイに言い放つ。

「ふん、この娘の父親は多額の借金を作って姿を消してしまったんだ。おまけに母親はあの調子だ。財産目当てならとんだ見込み違いよ」
「私はそんなつもりで言ったのではありません!」

ユイがそう答えると、アスカの親戚の女性は勝手にしろと言った感じで、アスカを置いて帰っていた。

「アスカちゃん、今日から私があなたのママになるからね」
「違うわ、あなたはママじゃない」
「ごめんなさい、でもママの様な事はさせて貰えないかしら」

アスカが首を振ると、ユイは慌てて謝った。
ユイの言葉にアスカが固い表情で顔を反らして黙り込んでいると、ユイはアスカをギュッと抱き締めた。

「あっ……」

アスカは胸に抱かれた感触に驚きの声を上げた。
最近のアスカの母親は、会社の倒産の原因を作った経理係を恨む気持ちが強くなり、性格が荒れていた。
ユイの胸は長らく味わっていなかった母親と同じ温かさがしたのだ。
それは、アスカの凍りついた心を急激に溶かしていった。



突然アスカが碇家の家族になると言われたシンジはとても驚いた。

「私は看護師の仕事でなかなか家に居られないけど、シンジはアスカのお兄さんになってあげてね」

ユイにそう頼まれたシンジだが、シンジは素直にアスカに優しくする事は出来なかった。
昔から母親っ子だったシンジは、自分とユイの間にアスカが割り込んで来るのは気に入らなかった。
看護師であるユイは忙しく、少ない親子の時間をアスカに奪われると感じたのだ。
さらにアスカの方もシンジの尖った気持ちを察したのか、シンジに心を開こうとしない。
アスカとシンジが上手く言っていない事を知るとユイは困ってしまった。
しかしアスカとシンジが中学校に上がった頃になると、2人の対立関係は和らいだ。
学校でレイ、トウジ、ケンスケ、ヒカリと言った共通の友達が出来た事もあったからかもしれない。
やがてアスカは中学校の体育教師、加持リョウジに憧れを抱くようになる。
大人の男性の魅力を感じさせる加持は、男子生徒にとっては頼れる兄貴分であり、女子生徒にとっても人気の的だった。
英語教師の葛城ミサトと付き合っていると言うウワサもあったが、アスカは加持にのめり込んで行った。

「ねえ加持先生、1回で良いからデートに付き合ってよ」
「ははっ、教師と生徒が付き合うわけにはいかないだろう?」

加持はいつもアスカをそう言って交わしていたのだが、思い余ったアスカはその日ついに大胆な手段に出てしまう。

「アタシは本気なのよ、加持先生のためだったら何でもする!」

そう言ってアスカは加持の目の前で制服を脱ぎ始めたのだった。

「止めろアスカ!」

加持は慌ててアスカの体を取り押さえた。

「やっぱり貧相なアタシの体より、ミサトがいいのね。だからアタシを相手にしてくれないんだ」
「葛城は関係無い」

アスカの質問に加持は首を横に振った。

「アタシは加持先生を愛しているの! 必要な存在なの!」
「俺は子供の面倒なんか観るなんて御免だな」

叫ぶアスカに、加持はあきれた顔で首を横に振り、アスカを突き放した。
そして間の悪い事に、アスカが制服を脱いで加持に迫った姿を学校の教師に目撃されてしまったのだ。
教師は保護者であるユイを呼び出し注意をした。
アスカが自分の体を使って加持の気を引こうとしたと言う話を聞いたユイは家に帰るとアスカを強く叱った。
母親からもらった自分の体を粗末にするものではないと。
そして、次の学年に上がると加持は別の学校へと姿を消した。
学校としても、問題を起こした教師を対象の生徒と同じ学校に置き続けられないのだろう。
加持が居なくなると、アスカは様々な男子と付き合い始めた。
だが不思議と、アスカはシンジ達から離れる事もしなかった。
修学旅行も、シンジ達と同じ組。
多分、自分は恋愛対象にされていないんだろうなとシンジは苦笑した。
シンジもアスカ以外の女の子と付き合ってみたいと思った事はある。
しかし、どうしても一緒に住んでいるアスカと比べて気持ちが萎えてしまうのだ。
そんな気持ちを抱きながら、シンジとアスカは同じ大学に進学した。
大学に入った頃、アスカは高校生の時までやっていたいろいろな男子とのデートを止めてしまった。
アスカが言うには「相手が子供ばかりでつまらない」と言う事らしい。
シンジが「加持さんみたいに大人の男性が好きなの?」と聞くと、アスカは「そうね、頼りがいが無いとね」と答えた。
アスカの言葉を聞いたシンジは頼りない自分がアスカと付き合うのは到底無理だろうなと苦笑した。



登山をする事になったアスカとシンジは登山用品を買いに行く事になった。

「なんでこんなものを買わなきゃいけないのよ」
「だって、アスカはワンピースやハイヒールしか持ってないじゃないか、そんな服装じゃ山登りはできないよ」

登山経験者だったシンジはしっかりとした様子で登山用品を選んで行った。
父親のゲンドウは山登りが好きで、たまにシンジを連れて山に登った。
アスカはシンジが留守の間ユイを独占できるので家に残った。
付き合ってくれないアスカにゲンドウは少し寂しそうだったが。

「アタシ、そんなダサいやつじゃなくてこっちが良い」

シンジは機能優先で登山服や登山靴を選んでいたが、アスカはデザインの方を重視しようとしてシンジと衝突した。
結局アスカのワガママに押し切られてシンジはアスカの選んだ登山靴を買う事になってしまった。
そしてやって来た登山の日。
シンジ達は早朝に集まって、日帰り登山に挑戦する事にした。
その日は朝から天候が少し悪かった。
自分達には登山初心者も居るので、慎重派のシンジはその日の登山を中止する事を提案した。

「碇君がそういうのなら、仕方が無いわ」

レイも悲しそうな顔でシンジの提案を受け入れた。
しかし、ケンスケは強く反対した。
なぜならレイが外国へと行ってしまう前に全員揃って登山できる最後のチャンスの日だったのだ。
この行為からケンスケがレイの事を好いていた事は明らかになってしまった。

「シンジ、頼む! 今日の登山に賛成してくれ!」
「解ったよ、でも危なそうだったらすぐに戻るからね」

シンジはケンスケの強い気持ちを感じ、その願いを聞き入れた。
集まったシンジ達はケンスケの運転する車に乗り、登山する予定のポイントまで移動した。
ケンスケが良く通っていた軍の演習場が近い事もあり、ケンスケは道に詳しかった。
夏休みが終わった直後と言う事もあって、登山客はかなり少なかった。

「頂上を目指すわけじゃないから、きっと夕方には帰れるよ」
「それじゃあさ、温泉旅館にでも泊まりましょうよ!」

シンジとレイのやりとりを聞いたアスカがそう言うと、トウジはあきれたように言う。

「アホか、風呂なら家に帰って入れば良えやないか」
「わざわざ近い旅館に高いお金を出して泊まる必要はないじゃないか」
「ただ言ってみただけよ!」

ケンスケにまでバカにされて、アスカは怒った顔で言い返した。
頂上踏破では無く、ハイキングに近い山登りだと言う事で、シンジ達の登山のペースは体力の無いレイを気遣ってのゆっくりとしたものだった。
歩いて行くうちに天候は回復して行き、雲の切れ間から強い直射日光がシンジ達に降り注ぐ。

「あーあ、こんな服装だから暑苦しくてたまらないわ」

アスカはそう言って、登山服を着崩して胸元を大きく開いた。
そんなアスカの姿の色っぽさは、シンジの顔を赤く染めるのに十分だった。
ヒカリはその様子を見てため息をつく。

「またアスカってば、だらしない格好をして碇君を困らせて」
「私って惣流さんに比べると色気がないのかしら」
「綾波さんは、清楚な感じだから惣流さんとは違う魅力があるんじゃない?」

落ち込んだ顔になったレイをヒカリは慌ててフォローした。
しかし、レイは悲しそうな顔で首を横に振る。

「私はきっとそれも惣流さんに及ばないと思う」

そんなことはない、とヒカリは言える自信が無いのが悲しかった。
いつも強気にワガママに振る舞っているアスカだが、物憂げな表情を見せると、お金持ちの令嬢のような気品を感じさせるのだ。
ヒカリもアスカの不幸な過去については、シンジがアスカと同居している理由を説明された時に聞いている。

「私は本を読んでばかりの根暗な子なんだわ」
「綾波さん、そんな事言わないで、今日は楽しい思い出を作りに来たんだから」
「そうね、ごめんなさい」

自己嫌悪になりそうだったレイをヒカリが穏やかに微笑んで諭した。
ケンスケはそんなレイとヒカリの会話を真剣な顔でじっと聞いていた。
午前中歩き続けたシンジ達は、昼を少し過ぎた所で富士の山頂を取り囲む山の山頂へとたどり着いた。

「空がとっても青いわね」
「そうだろ、地上では見れない色だろう? これを見せてあげたかったんだ」

空を見つめたレイがつぶやくと、ケンスケが自慢気に言った。
すると、レイはニッコリと微笑んで、ケンスケにお礼を述べる。

「私はこの空の青さを忘れないわ。ありがとう、相田君」
「いや、俺はたいしたことしてないさ」

ケンスケは照れ臭そうな顔になって首を横に振った。
歩き詰めだった6人はここで昼食を取る事にした。
ビニールシートを敷いて森林から流れて来る冷たい風を感じながらの食事は楽しいものだった。
しかし、シンジはアスカの表情が辛そうな事に気が付いた。
こんなに涼しいのに、アスカはうっすらと汗を浮かべている。
シンジはアスカの苦痛を和らげようと、アスカの足に手を伸ばしてマッサージを始める。
いきなりズボンの上から足を揉まれたアスカは驚いたが、シンジに自分の足を任せた。

「碇君……」

レイは熱心にアスカの足を揉んでいるシンジの姿をじっと見つめていた。
自分の足もアスカと同じぐらい疲れているのに。
シンジはアスカの事しか目に入って居ないのだと、改めて感じていた。

「俺じゃ碇の代わりは務まらないか?」
「相田君……」

突然背中から声を掛けられて、レイは驚いて振り返った。

「大事な話があるんだ、来てくれないか?」

ケンスケの言葉にレイはうなずいて、ケンスケとレイはトウジとヒカリに告げて少し離れた場所へと移動した。
シンジとアスカは自分達の事にしか目が行っていないようだ。
2人きりになった所で、ケンスケはレイに話し始める。

「綾波が碇の事をずっと好きだったのは知っているよ。だって、小さい頃から仲が良かった従兄妹だもんな」
「うん、私は小さい頃体がとても弱かったから、いつも碇君に背負ってもらってた。碇君の背中は好きだったわ」

レイは嬉しそうな顔をしてシンジとの思い出に想いを馳せていた。
それが返ってケンスケには辛いものに感じられる。

「だけど、惣流が俺達の前に現れてからは……」
「そう、私は碇君をお兄ちゃんと呼ぶのを止めたの。だって、一緒に住んでいる家族じゃないもの」

ケンスケの言葉に、レイは悲しそうにうなずいた。

「碇のやつ、今も惣流ばかり見ていて綾波の気持ちに気が付かないでいるんだろうな」
「私は碇君に振り向いてもらえなくて良かったの。惣流さんと勝負しても私に勝ち目は無いんだもの」
「だから、外国に行く事になっても受け入れたんだろう? 碇達から離れるために」
「そうかもしれないわね」

そこまでレイが言うと、ケンスケは突然レイの両手をつかんで叫ぶ。

「外国なんかに行かないでくれ、綾波!」
「相田君……?」

レイが目を丸くしてケンスケの事を見つめた。

「俺も実らない恋だと思ってずっと気持ちを隠していた。でも、想いを告げずに離れるのは嫌だ!」

レイはいつも冷静なケンスケがこんなに取り乱しているのを初めて見た。
そして、自分が誰かにそんなに好かれるとは信じられなかった。

「俺は綾波が惣流に負けているとは思わない」
「でも、私は性格が暗いし、髪の色だって惣流さんの方が綺麗だと思うわ」
「そんな事無いよ、俺には綾波が輝いているように見える。ただ光っている色が違うだけさ」
「色?」
「惣流が金だとしたら、綾波は銀に感じるな」

ケンスケの言葉を聞いたガッカリして肩を落とす。

「やっぱり、私は惣流さんに負けているのね」
「金が銀より上だなんて、メダルやトロフィーぐらいなもんだよ。それに惣流がお嬢様ならさ、俺には綾波はお姫様に見えるよ」
「お姫様?」
「綾波は本をたくさん読んでいるんだろう? 竹取物語は知っているだろう」
「あっ……」

ケンスケの言葉でレイは全てが理解できたような気がした。
この富士山の名前が、竹取物語の”不死の薬”が由来になっている事も、竹取物語に託したケンスケの気持ちも。

「だから綾波、月へと飛んで行ってしまわないでくれよ」
「でも、私は離れて碇君に対する気持ちを完全に割り切ってしまいたいの」
「そうか、残念だな」

レイの返事を聞いて、ケンスケは落胆した表情になった。
しかしそんなケンスケに向かってレイは声を掛ける。

「私がかぐや姫だと言うのなら……相田君、いつか私を月まで追いかけて来て」
「……分かった」

レイに向かってケンスケは強くうなずいた。

「俺は碇の代わりになるつもりはない、だから綾波も惣流の代わりになろうとしていた事に終止符を打とうな」

ケンスケがそう言うと、レイも穏やかな笑顔を浮かべてうなずいた。
そして、ケンスケとレイは行った時と同じ様子でトウジやシンジ達の所へと戻った。
するとそこでは、アスカの足をマッサージしていたシンジがアスカの登山靴を脱がそうとしている。

「アスカ、足を見せてみなよ」
「な、何でアンタに見せなくちゃ行けないのよ!」

シンジに言われてアスカは慌てて手で隠そうとするが、足が痛むのか顔をしかめた。
これは予想が当たったと思ったシンジはアスカの登山靴を強引に脱がせる。
すると、アスカの足には出来かけの水ぶくれや擦り傷など痛々しい跡が残っていた。

「新しい登山靴だから靴ずれを起こしたんだね」
「アタシが悪いんじゃないもん」

シンジとアスカが2人で登山靴を買いに行った時、アスカはシンジが勧める靴を無視して自分の気に入ったデザインの靴を買ったのだった。
しかしその登山靴はアスカの足に合わなかったようで、アスカの足を痛めつけてしまっていた。
アスカは足の痛さを隠してここまで登って来たのだった。

「これじゃあ、これ以上登るのは諦めた方が良いね」
「そうやな」
「何よ、アタシはまだやれるわよ!」

シンジとトウジがアスカの足を見てそう言うと、アスカは反発した。

「惣流さん、私はもう充分だから、もう帰りましょう」

レイはケンスケの方をチラッと見てそう言った。

「今日は綾波さんのために来たんだから、ね?」
「分かったわよ」

ヒカリにも説得されて、アスカは下山する事を了承した。

「でもアスカ、その足で歩くのは辛いでしょう?」
「こら誰かがおぶって行かなあかんな」

ヒカリとトウジはそう言って、シンジに視線を集中させた。

「碇と惣流の荷物は俺達が持ってやるよ」

ケンスケはそう言うと、レイと一緒にシンジとアスカの荷物を運び始めた。

「ちょっと、何を勝手に決めてるのよ!」
「アスカ、僕なら大丈夫だからさ」

シンジも足を痛めたアスカを歩かせたくは無かった。
アスカはヒカリ達の注目を受けながらシンジの背中へと乗っかった。
そして、シンジはアスカを背中に乗せて両手でアスカの膝を抱え込む形になる。

「よっと」

シンジは掛け声を出してアスカを背負って歩き始める事が出来た。
少し不安そうに見守っていたトウジ達もホッと胸をなで下ろした。
シンジは中学の頃からサッカーやサバイバルゲームで体を鍛えていたトウジやケンスケに比べると、体力が劣るように感じられたからだ。

「場合によっちゃ、交代で惣流をおぶって行こうかとも思ったんやけど、碇に任せて平気そうやな」
「うん、僕だってバイトとかしている間に体が鍛えられたんだ」

トウジに言われて、シンジは自信たっぷりにそう返した。
シンジは飲食店の接客業が苦手だったので、本屋の荷物の整理や運搬のような仕事を選んでいたのだ。
アスカはシンジがいつの間にか頼もしくなっていた事に驚いた。
振り返ってみれば、アスカがシンジに背負われるのは初めての事だった。
中学3年生まで、アスカの方がシンジより背が高かったのだ。
高校に入ってからシンジの背はアスカを追い越すようになったが、シンジの体の線の細さは相変わらずだった。
性格もグズグズとした感じだったので、今までシンジを頼りない男性として見ていたのだが……。
アスカは自分の体を思いきりシンジの背中に預けてみた。
シンジが驚いて体を震わせたが、そのままアスカを背負って歩き続ける。
この感覚は小さい頃、父の背中で味わった感覚と同じものだと言う事に気が付いた。
中学生の頃、加持先生に求めていたもの。
そしてその後付き合った男性達に求めていたもの。
それは、お金でも男性の香りでも無く、安心できる背中だったのだ。

「アンタの背中、パパみたいで安心できる」
「そ、そうかな」

アスカがシンジの耳元でささやくと、シンジは顔を赤くしてうつむいた。
シンジもアスカの柔らかい体の感触を強く感じていたので、胸は高鳴っていたのだ。

「アタシ、こんな安心が欲しくて加持先生やいろんな男の人と付き合っていたけど、こんな安心をくれたのはアンタが初めてよ」
「でも、アスカをおんぶするだけなら僕以外の人でもできるじゃないか」
「ううん、きっとアタシが心を開いて安心できるのは、ずっと側で見て来たシンジしか居ないと思う。アタシはまだシンジ以外の人間を心から信じる事は出来ないと思うから」

アスカに言われて、シンジはアスカが自分の家族となった事情を思い出した。
アスカはたくさんの人に裏切られて自分の家へとやって来たのだ。

「だけど、アンタに好きな女の子が居たらアタシのこの気持ちは迷惑よね」
「迷惑なんかじゃないよ。だって、僕もずっとアスカの事が気になっていたから。でも、叶わない恋だってアスカを忘れようとしても出来なかったんだ」
「アタシはアンタの事を見てなかったものね」

アスカは皮肉めいた言い方をしてため息を吐き出した。

「綾波が小さい頃から僕の事を好きだって気持ちには気が付いていた。その想いを受け入れた楽になれるかもしれないと思ったけどね。他の子を好きになった事もあったけど、家に帰るとどうしてもアスカが頭に浮かんでしまうんだ」
「アンタ、レイの気持ちに気が付いていたの?」
「うん、綾波は僕が気が付いていないだろうと思っているんだけどね」
「じゃあ、アタシがもし、もしかしたらの話よ、シンジと付き合う事になったら、レイは……」
「僕もさっきまでそう思っていたけど、綾波とケンスケを見てみなよ」

シンジはそう言ってアスカに前を歩いているレイとケンスケを見るように促した。
すると、本人達は気が付いていないのか、他人から見るとできたての初々しい恋人同士と言った感じで寄り添って歩いている。
言葉を交わす様子もただの友達だけとは言えないような雰囲気だった。
もっと前を歩いているトウジとヒカリも気が付いているのかもしれない。

「ふう、よかったわ」

その2人の姿を見たアスカはシンジの背中で胸から思いっきり息を吐き出した。

「アタシから誰かから何かを奪うなんて、気持ちの良い事じゃないもの」
「アスカってば、優しいんだね」
「そんな事無いわ、ただ自分がやられて嫌な事は他の人にはしない主義なの」

シンジ達は途中に休憩をはさみながら2時間ほどで登山を始めたポイントに到着した。
トウジとヒカリ、レイとケンスケは乗って来たケンスケの車に乗ったが、乗ろうとしないシンジとアスカを見て不思議に思って尋ねる。

「どうしたんだ碇、惣流、早く乗れよ」
「僕達は近くの温泉旅館で休んで行くからさ」

シンジが顔を赤くしながらそう言うと、ケンスケはニヤリと笑う。

「そうか、なんなら泊まって行けばいいんじゃないか? 最高の夜になるぜ」
「ほんならまたな、碇」
「さようなら、碇君」
「またね」

気を利かせた友人達は何も言わずに帰って行った。

「観光シーズンじゃ無くてよかったね、きっとどこの旅館も空いているよ」
「あっ、アタシはもう歩くから。もう歩きにくい山道じゃないし」

アスカはそう言うと、シンジの背中に乗る事はせずに歩き出した。

「アスカ、その登山靴を履くのはもう止めた方が良いんじゃないかな」
「でも、この靴はアタシに大切な物だし」
「そんなにデザインが気に入ったの?」

シンジの言葉に、アスカは首を横に振る。

「いいえ違うわ、この靴はアタシにとっての幸せの王子様を教えてくれたガラスの靴なのよ」

アスカは太陽のような明るい笑顔でシンジにそう言ったのだった。
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