すごく妙な話なので、あまり深入りはしないようにしますが、京都で大文字の火の一部に陸前高田で津波に被災した松の薪を使うという話について、少しだけ。
誰がなぜ発案したかとか、地元の保存会内部でどういう議論だったかとか、そういう経緯についても本当は検証する必要がありますが、それはここでの主題ではないので、問題にしません。
ここで考えたいのは、報道でおもてにでている以下の経緯です
(1)放射能の影響を心配する声があった(数十件の電話などがあったようです)ので、いったんは中止にした。松は陸前高田で燃やされた
(2)中止への抗議が1000件近くあり、別の松を陸前高田から取り寄せて、燃やすこととした
(3)松からセシウムが検出され、再度中止に
新聞を見る限り、松は津波で倒れたものらしいので、その後のフォールアウトをある程度かぶっているでしょうが、セシウムを根から吸い上げている危険は低いのではないかと思います。それでなくても、木の場合は枝や葉などの付着が主でしょう。
だから、切って表面を捨てれば、まず放射性物質の心配は無用でしょう。実際、最初の松は検査で放射性物質が検出されなかったようです。
だから、少なくとも最初の松を燃やすことにはなんの問題もなかったはずです。ところが、不安の声が上がったために中止としてしまい、不安の声よりも桁違いに多い抗議を受けてしまったわけです。この場合は明らかに「その不安には根拠がない」と言えたはずですが、それをきちんと説明をする代わりに「中止」にしてしまったために、却って問題を大きくしました。
もちろん、不安を感じるのは個人の勝手です。しかし、根拠のない不安を際限なく承認してしまっていいのかという問題があります。少なくとも、公的な立場からそうするわけにはいきません。なぜなら、これは結局は被災地差別だからです。本当にセシウムが検出されていたのならともかく、そうでないのですから、よく説明をして予定通りに行う以外の選択肢はなかったのではないかと思います。
結果的に、被災地のものは問題がなくても持ち込ませないという意思表示になってしまったのは、不幸でした。それは被災地差別にほかならないという気がします。
で、今が(3)の段階で、ニュースによれば「松の表皮」からセシウムが検出されたそうです。本当に表皮なら、検出されても不思議ではないですが、そうだとすると、どうして表皮を剥いで使わなかったのか、理解に苦しみます。何やってるんでしょう。さらに無用などたばたを重ねているように思えます。謎です。
少し難しいのは、大文字の火は「公的」なのかという点で、そこで地元とそれ以外の意識に差があったことは想像できます。
送り火には地元行事という側面と日本を代表する一大イベントで京都の重要な観光資源という側面があります。地元行事なのだから地元が自由に決めるというのは建前としてあり、それに文句を言う筋合いではないのかもしれません。最初に中止にいたるまでの経緯を考えるというのは、要するに地元でどのような話し合いが行われたかを考えることです。いっぽうで、それが大問題に発展したのは、やはり地元の行事という枠を超えた存在だからで、そのふたつの側面が必ずしも両立しない場面はあるということです。
誰がどのように提案して、どうして受け入れることになったのか。断れるタイミングはどこにあったのか、などを地元と京都市は検証したほうがいいかなと思います。
もうひとつは、表皮を剥いでも本当にセシウムが検出されるかどうかくらいは調べるべきじゃないかな。出ないでしょうけど。
いずれにしても、被災者と関係のないところでこういうどたばたを起こすというのは、不幸というか感心しないというか、悲しい話です。
もしかすると、ニュースに出ない真相があるのかもしれませんが
(経緯について、いろいろな話があるのは知っていますし、それは念頭において書いています)
[追記]
一部に、最初に燃やそうとしていた木からストロンチウムが検出されていたという説が流れているようですが、放射性じゃないストロンチウムが検出されてもなんら問題はないので。
[追記]
表皮以外の部分も検査して、セシウムは出ていないそうです。まあ、当然です。
じゃあ、なぜ中止にしたのか、ますますわかりません
この記事に対するコメント[17件]
1. たっつん — August 12, 2011 @20:59:58
ただ心配なのは最初に反対した人が「それ見たことか!」と自分の差別を正当化する可能性が高いことです。
やはり、一回目の松をすぐに燃やさず、取って置き、ギリギリまで交渉すべきだったのではないかな、と思います。
2. yamaguchi — August 12, 2011 @21:08:54
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011081200668
護摩木は表皮を剥いで使用するそうですが、今回は急な再送のために表皮が付いたままの発送だったようです。
だから、剥いだ表皮の処分だけが問題になります。
# 使用を中止しても同じ事ですが・・・送り返すなんて事できないよね。
此処に経緯が書かれています(内容が正確か否か判りませんが参考まで)。
http://sakunary.blog134.fc2.com/blog-entry-75.html
きくち August 12, 2011 @21:17:55
表皮から出るのは想定の範囲内ですからね
実際に焼く部分からは、まあ出ないだろうと思ったけど、実際出てないのなら、まったく問題ない
4. Katase — August 12, 2011 @21:05:06
なぜ、わざわざ今度は薪を使おうとしたのでしょう?
費用の問題なのでしょうか。
でも、また中止となってしまい、もやもやが残されてしまいました。
やり方をもっと考えたら良かったのにと思うと、とても残念です。
5. lucifer406 — August 12, 2011 @20:51:23
いつもツイッターでのコメントを拝見しています。
今回の件、私が不思議なのは、
逆に、なぜ送ってきた側(福井のNPO法人)が表皮を剥いでなかったか、ということです。薪として燃やすのだから、そもそもそういう加工をするはずですよね。もともと、このNPO法人は、薪を販売してそれを被災地の支援に充てるという活動をしてきたはず。
また、送る前に、放射性物質の検査をする、というのも、必要だったのではないでしょうか?(事前に検査されていれば、京都市の検査はあったでしょうか?そこまで信用しないことはないと思います)
それにしても、優柔不断な対応が招いた結果なのですが、大文字保存会や五山の各保存会は、青天の霹靂と捉えていると思います。対応のまずさは置いて、気の毒にも思います。
以下の、昨日の、再度受け入れを決めたときの
大文字保存会の松原公太郎理事長のコメントを読むと、
「巻き込まれてしまった」、「対応はまずかったけど、元の原因までこちらに押しつけないで」、という悲痛な思いが、私には感じられました。
(記事は分かれていますが、おそらく同じ時のコメント)
「陸前高田市の皆さんや京都市民など、多くの皆様に迷惑と心配をかけ、心よりおわびします」
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110811000137
「(陸前高田をはじめ被災地を)われわれの都合で振り回したことを心よりおわび申し上げます」
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110811000133
以上です。
6. おふとん — August 12, 2011 @20:53:23
(大分の誰やらさんはまあ今は置いといて)
陸前高田の人・・・「まあそれでもね、地元で燃やしてもらえたんだし」
京都市民・府民・・・「私ら知らないうちに勝手に決まったのにウチらが悪く言われて」
どちらの顔にも「わめいたところでいったん広がった誤解を解く努力はむなしい」という表情をしています。
まったくやりきれない、後味の悪い悲しい出来事です。
NHKさんとかで、そのうち検証番組やらないかな。
7. ki — August 12, 2011 @21:24:31
何のための送り火かという原点に戻れば、こんなゴタゴタもなかったのかもしれませんが
8. yamaguchi — August 12, 2011 @21:47:34
送り火の本体じゃなくって、本体への着火材だから微々たる量です。
多分、あの大きな火文字そのものと思っている人が多いんじゃ無いでしょうか。
だから大騒ぎになってしまう。。。
9. オキナタケ — August 12, 2011 @21:55:48
あ、それから大文字焼きとか言うたらあきまへんえ、ちゃんと五山の送り火と言うとくれやす。
きくち August 12, 2011 @22:22:49
「五山の送り火」なんていう名前は最近まで聞いたことがなかったんだけどなあ
11. 勝谷氏メルマガ読者 — August 12, 2011 @22:31:17
京都の薪の利権問題のようです。
>>私の想像をひとつ書いておく。
>>「薪」こそ「利権」なんじゃないですかね。
>>ひとつひとつの「薪」の売り上げがどこに入っているのかぜひ
>>大マスコミは書いていただきたい。
>>普段ならばそんな「闇」はまあ見過ごしていい。
>>しかしこの国難に殉じた方々の魂がこもったものを
>>薄汚いそうした中に巻き込むことを私は許さない。
陸前高田にとっては迷惑。
きくち August 12, 2011 @23:02:19
どうせ何も調べずに言ってるだけ
13. ナスの浅漬け — August 12, 2011 @22:27:42
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51849049.html
14. ぱうぱうぱう — August 12, 2011 @22:38:55
なぜ京都で燃やしたがるのか?
そもそも宮城の人たちが京都の大文字焼きに憧れなんかがあったのか・・。
よそ者の思いつきで始まった今回の騒動ですが、初めから宮城で燃やせば
何の遺恨や騒動も起きなかったと思う。
京都の人の心意気がどうとか、被災者の気持ちを考えろとか外野が
うるさいですけど、そもそも「京都でそんなに燃やしたい気持ち」が
あるのか・・・?????と思います。
地元でみんなの前で燃やした方が(つまり今回の顛末のように)残った
人たちの気持ちも癒されると思う。
変によそ者が「京都で燃やしたらいいんじゃね?」みたいな
適当な思いつきで翻弄される地元の方々が不憫です。
放射能に過敏と言われる京都の人もとばっちりですね。
普通の感覚であぶねーもんは燃やすんじゃねえ!となるでしょう。
あぶねーかあぶなくねーか検査する機関が信用できないんだから
普通「あぶねーかもしれん」と見ておくのが妥当でしょうね。
京都に輸送してまで燃やす慣習もなかったし、必要性も
妥当性も見出せない。地元の人たちの手で燃やす以外ないと思いますね。
激甚災害と近親者の不幸で心が折れている人たちに余計なことを
吹き込んで盛り上げておいて頓挫させるなんて最低。
クライアントその気にさせておいて最後行政のNG出ました、みたいなインチキ広告代理店みたいで。
きくち August 12, 2011 @23:04:04
とにかく「妙な話」ですよ
16. おつさま — August 13, 2011 @00:34:46
っていうありがちな疑問はスルー?
京都人って京都観光なんてしないな
みたいな話のような感じ。
17. makomako — August 13, 2011 @01:05:32
> ちゃんと五山の送り火と言うとくれやす
何だか、村上龍みたいな指摘ですけどね。