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[25343] 手には鈍ら-Namakura-(真剣で私に恋しなさい!)
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/01/27 22:03
手には鈍ら-Namakura-(真剣で私に恋しなさい!)




はじめに以下をお読みください。


・この作品は、みなとそふとから発売された「真剣で私に恋しなさい!」の二次小説です。

・当該作品の略称は「てになま」とします。

・みなとそふとの作品群は世界観が共通なので「君が主で執事が俺で」のキャラクターも登場します。つよきすの方々はゲーム未プレイなので出ない予定。

・基本的に、「真剣で私に恋しなさい」をプレイすれば楽しめると思います。

・ネタバレが多数入ってます。ご注意を。

・作者は初めての執筆となります。

・ビシバシと、閲覧者の皆様、ご指導のほどよろしくお願いします。

・作中に、作者の思い込み、創作設定が入る可能性あり。

・この作品は、オリ主モノとなります。ちなみに憑依とか転生とかではありません。その手のはちょっと苦手なんで。

・作者は直江大和が特段好きではありません。寧ろ嫌いです。よって大和好きな方には申し訳ありませんがこの作品はお勧めできません。

・ウチの百代は、原作より弱めです。

・でも瞬間回復、超人技はチョコチョコ出します。

・仙豆持った悟空が、仙豆持ったクリリンになったくらいの補正です。(ネタ的な強さを抑えたかったので)

・なので結局、地球人では最強です。

・武術の間違った知識が含まれているかもなので、これについては本気にしないでください。

・鬱描写がたまに入る、かも。


以上を踏まえ、お読み頂ければ。



では。楽しんでいただければ幸いです。





[25343]
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 17:24
2009年8月31日(月)






今日で、決着をつける。

俺ではなく、あいつの全てに。

あいつが犠牲にした、あいつ自身の誇りにかけて。

何が、立ちふさがろうとも。







「敵」は、千二百。

「他」は、二百。

「俺」は、一。

一騎当千では勝てない。

一騎当万でやっと勝負になるくらいか。

だが、勝つ。

勝たねばならない。

「俺」が勝てば、誰もが、何かを得る。

だが、「俺」が負ければ、誰も、何も得ないのだから。













覇の字が似合う老人の、怒号が、合図だった。



「川神大戦! 開・戦ッ!!!」



鬨の声が、響く。

闘の気が、満つ。

体躯が、震える。

興奮、期待、歓喜、そして一抹の悲憎をもって。



「矢車 直斗、参るッ!!!」


その一歩を、確かに踏み出す。
















そして、仇の名を叫ぶ。



















「直江、大和ォオッ!!!!!」





[25343] 第一話:解放
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 17:27

『戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。……自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人のごとくに自分もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。』

―――「堕落論」 坂口安吾








<手には鈍ら-Namakura- 第一話:解放>







2008年5月7日(水)




薄暗い廊下を、連れられる。
最後に通ったのは、何時だったか。

思い出す間もなく目的地に着いた。




教官室、と書かれた札が掛けてあるドアが先導により開けられる。
瞬間、背筋が伸び上がる。
入所時にしごかれて、早六年と幾月か。これはもう、条件反射。
その歴史に終止符を打つため、まずは声を張り上げる。

「2075番、矢車直斗! 教官室に入らせていただきます!!」

ほぼ直角に腰を折る。

「入ってよし」

一拍おいて、数台あるデスクの一つから、声が掛かる。書類をめくる音が嫌に響いてきた。

「まだちょっとかかる。 そこの丸イスに座ってろ」

七三分けに無精髭を生やした、何ともいえない身嗜みの男性教官が、書類を睨みながら座っていた。



「はい! ありがとうございます!」

返答が、俺たちに課せられた最初の義務だった。
最初の頃は忘れるだの声が小さいと怒られるだの、散々だったが、今じゃその名残もない。
先導した教官は既に踵を返していた。最後だろうから、なにか言おうかとも思ったが、結局何も言えなかった。
大して話してもいないし、世話してもらったこともあまりなかったと思い直したからだった。


いかん。我ながら、意外にも舞い上がっている。まあ、七年ぶりの娑婆にもうすぐ帰れるのだから仕方ないといえばそうなのだが。




そんなことを思っているうちに、教官は書類に決着を着けたようだった。

いきなり立ち上がると、また不意に「コーヒーは」と声をかけてきた。

「よろしいのですか?」

「前祝いだ。 もらっとけ」



随分安い前祝い、だとは思わなかった。今日は誰の心遣いも三割増しで身に沁みる。

しばらくして黒いマグが手渡された。

「長かったろ」

「ええ、まあ。 でも辛くはなかったです」

嘘。

「いやいや、今日でお別れなんだから本音のひとつぐらい言え。 別に変なこと言ったって、出所は伸ばせないし」

ははは、と乾いた笑いを返す。油断はできない。この人にはだいぶしごかれたからな。

その後はこれからの人生の、毒にも薬にもならない思い出話に花を咲かせた。
 




十分ほどたった頃か、

「もう時間だな」と出し抜けに言われた。

「はい」

壁の時計を見た。
立ち上がった。
もうここには座らない。
次はたぶん、院長の所に行くことになるのだろう。



「実はな」

意識が逸れた瞬間、何気なく教官が言を紡ぐ。

「お前がここに来た理由、俺は、本当のことを知ってる」




心臓が、凍る。

「何を、」

言われるのですか、とは続けられなかった。

代わりに教官が言い募る。

「俺も昔は川神院にいてな。 その縁で今の総代、川神鉄心様からお前のことを頼まれた。 一応、お前の親、矢車夫妻とも少なからず面識はあったしな」

俺、総理とも友達なのよ、と自慢。




俺は、何も言えない。



更に教官は言う。

「お前のしたことは、犯した罪は、許されない。 世の中的にはな」

唇をかみ締める。
罪のレッテルは、一生貼りついてまわる。
納得は、一生できないと思う。
でも理屈はわかるから、黙っていた。

「この六年、俺はお前を見続けてきた。 川神の全面的な庇護下で暮らすより、ここに来る事を選んだ理由が、自分の罪を償うため、贖うため、後悔するためじゃない事を、知ってから」




「お前は、変わらなかったな」



見透かされていた、か。



「お前の芯は、心根は、ブレなかった」












「そう、ですね」

やっと声を絞り出す。

「でも俺は、変わっちゃいけないんですよ」

じゃなきゃ、ここに来た意味などない。

あとは、目で、語った。




「いや、責めてる訳じゃない。 ただな、」

残り少なくなったコーヒーを、教官は一気に仰ぐ。
一息ついて。


「中途半端に、終わるなよ?」

視線が俺を射抜く。







「そこは、大丈夫です」

俺は答える。
俺が、矢車の姓を名乗る誇りをもって。





「ウチの、家訓ですから」




















―――キィィィィィ


――――ガァァァッ



何かを閉じ込め、何かを締め出す音が鳴る。
大きく深呼吸。
こういうとき、娑婆の空気は美味い、などとのたまう奴もいるんだろうが。
同じ味。

目的が、達成されていない限り、俺は、この空気を吸い続けるのだろう。








さて。

「行こう」

変わってればいいな。あいつ。



矢車直斗はこの日、日本政府法務省直轄、特級矯正施設を出る。




[25343] 第二話:確認
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 17:34
『人は望みを持つ。人は生きる。それは全然別のことだ。くよくよするもんじゃない。大事なことは、いいかね、望んだり生きたりすることに飽きないことだ。』

―――「ジャン・クリストフ」 ロマン=ロラン







川神駅を降り、ひた歩く。
変わったなあ、この町。などという感想は湧かなかった。
それほど長く生活していなかったし。

思い出も、作れなかったし。

「もうそろそろか」

巨大提燈が釣り下がる門が、見えた。







仲見世通りは、人のごった煮だった。
外人多い多い。
修学旅行の輩も、掃いて捨てちまいたいぐらい。
素通りするのもなんなので、店を覗く。
どれもこれも観光地値段なのは置いといて、みやげ物は本当に種類が多かった。
ネタみたいなブランドのパチモンが置いてあったり。KUMAとかkazidesuとか。
一時のテンションで買って後悔するのは目に見える。

食い物のほうがハズレは少ないだろうと物色。
小笠原屋とかいう駄菓子屋はいい感じだった。
飴甘い。店員さん美人だったし。また来よう。

かりんとうとドラムバッグを手に、奥へ奥へ。

かさばるので通行人には申し訳なかったが。





巨門をくぐる。

およそ七年ぶりに、川神院を訪れた。









<手には鈍ら-Namakura- 第二話:確認>









境内にも人は溢れていた。
どうやって取り次いでもらおうかと考えていると、後ろから声を掛けられた。

「こんにちハ」

中国訛りとでも言うのだろうか、うさんくさいイントネーションだった。

「もしかして君が、直斗君かイ」

振り返ると、ステレオタイプな中国風の衣服を纏った男性がいた。

七三分け。
二日前をデジャヴ。無精髭はないが。


「え、と」

昔見た顔だ、と記憶を探っていると。

「久しぶりだねぇ、といっても君は覚えていないと思うけド」

覚えている、名前が思い出せないだけだ。

「僕はルー・イー。 一応、川神院の師範代を務めていル」

爽やかな笑顔。

戦うときホァチァーとか言いそうだ。
ヌンチャクとか棒術とかやってそうだ。
黄色いタイツとか似合――


「矢車直斗君、でいいんだよネ?」

一向に話さない俺に疑問を持ったのだろう。若干怪訝そうだ。慌てて答える。

「はい。 これからお世話になります。 すいません、顔は覚えていたのですが、いきなりだったもので」

「そうかイ。 来るのをお楽しみにしていたヨ。 うん、やっぱり真一さんの面影があるネ」

褒められているわけではないだろうが、そう言われて誇らしかった。

「ありがとうございます。 ……父とは、面識が?」

「うム。私の兄弟子にあたるネ。 では早速で悪いけれど、総代に、君の保護観察を引き受ける川神鉄心さんにご挨拶に行こうカ。 本来ならこの時間はまだ学校で教務をしている頃なのだけれど、今日は君が来るから少し早めに切り上げて帰ってきていル。 お待たせしては申し訳なイ」

「あ、了解しました」

そう言って、肩のバッグを再度背負い直し、俺はルー師範に導かれて院内へ。


うん。 まさに燃えよドラゴン。













武の頂点と名高い川神院だけあって、やはり敷地も建物も半端なく広く、大きい。
玄関からして三メートルの弟子でもいるのかと問いたくなる。
ルー師範の背をひたすら追う。 並行して、ジロジロと屋敷内を見ていく。

これはご勘弁願おう。
道を覚えておかないと、迷惑をかけることにもなる。

それにしても、縁側、いいなあ。












しばらくして、ルー師範がある部屋の襖を前にする。

「学長、直斗君をお連れしましタ」

一拍、間が空いて。

「おお……そうか。 入れ」

襖が開く。



川神流本家総代、川神鉄心は人懐っこい笑みを浮かべていた。

「お元気そうで、何よりです」

その場に平伏。

「久しぶりの外は、どうじゃ」

穏やかな声が、返ってきた。対して、正直な想いを述べる。

「……悪くありません。 今まで退屈な場所に長く居ついていたせいか、これからの生活に飽きたり、嫌になる事も、当分は…」


遂げなければならない目的、確認しなければならない事項が、俺にはある。











一ヶ月ぶりの対面だった。

前までは強化ガラス越し。 今はそれもない。

「収監中の心配り、重ね重ね、御礼申し上げます」

また深く礼。

「いや、こちらもたいしたことをしたつもりはない。 面会もろくに出来ずじまいじゃったしの。 差し入れは、武術書ばかりでつまらなかったのではないかと心配しとった。 それと…お主、苦労したせいか白髪がまた増えたようじゃのう?」

「いえ、こちらが望んだことですので。 むしろ実践できなかったのがこたえました」

後者の話題はスルーする。染めてもすぐ白いのが伸びる。

白髪染め使う歳でもないんだがな。



「ま、これから嫌でも実践できるからの」

音をあげても知らんぞい、と好々爺は笑う。

「それとの」

「はい」

「学園への編入の件じゃが、本当に来年からでよいのか」

「……ええ、一応施設で最低限の教育は自分なりに修めたつもりですが、やはり高校教育相当の学習には不安が残りますし、川神院での生活と両立させるのは今は難しいかと。 余裕をもって学校生活を送りたいものですので、二年次の始業から、お願いできませんでしょうか。 こんな出自ですから、目立つのも避けたいですし」

最後のが一番本音だったりする。

「そこまで大変だとは思わんが、まあお主がそう言うならな。 取り計らっておく。 来年の第二学年に編入でよいな?」

でなければ行く意味がない。
そのことは重々承知しているはずだろうから、何も質問を挟まなかった。


「よろしく、お願い致します」






あとは。

「それにしても、本当によろしいので?」

最たる懸念を隠すつもりはなかった。

「何がじゃ?」

「……昔、武術の、剣術モドキの手ほどきを受けていたとはいえ、もう何年も体を満足に動かしていません。 自分で申し上げたくはありませんが、昔の才も枯れ果てたと思われます。 それでも、天下に名高い川神の門下生として、受け入れてくださる事に、些か、恐縮している次第で」



「…その為に、お主はここに戻ってきたのじゃろう」

何を今更、と総代は言う。

そう。
確かにそうなのだが。
川神の名に泥を塗るような真似はしたくないのも、事実。


「……案ずるな」

翁は続ける。

「ここではわしが右といえば左でも右になり、ブルマといえばスパッツでもブルマとなる」

後者は人間性を疑う発言だが。

「望むだけ、ここで精進せい」

断じた。


「……ありがとうございます」

俺は、この人に、借りを返しきれるのだろうか。




「ルーよ」

「は」

「こやつがこれから寝泊りする部屋に、案内を頼めるかの」

「かしこまりましタ。じゃ案内するかラ、行こうカ。直斗君」


立ち上がり、総代の私室を後にする。






否。

「それと、もうひとつだけ」

これは、確認しなければ。




「大和は、あいつは本当に、変わってるんですか」



総代の顔が、強張るのが見て取れた。

「すみません、少々、くどかったでしょうか?」

一ヶ月前も、同じことを問うた。
神妙に総代は答える。

「……前にも言ったと思うがの。 わしは、変わったと思っておる。 あれはあの後、いじめられていた者を仲間にいれ、友をたくさん作っておるし、進んでその輪を広げようと、日々、努力しておる」

まあ、まだ風間ファミリーとやらは続いておるようじゃが、と総代は結ぶ。


「そう、ですか。 ご無礼を」

すぐに頭を下げて、今度こそ部屋を出てルー師範に続く。


「私も、一応は教鞭をとっている身、その私から見ても、彼は頑張っていると思うヨ」

彼も事情を知っているのだろう。 静かな声色だった。

「……は」





結局、自分で確かめるしか、この疑念は払拭できないと自覚した。






[25343] 第三話:才覚
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 17:52


『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。』

―――宮本武蔵










川神院に住み込み始めて、一週間が過ぎた。


川神院の朝は早い。
門弟に連なる者は皆、午前五時前には起床する。 例外はいるがそれは後ほど。
冷水で身体を無理矢理起こし、道着に着替え、広間に座して整列。

一日の修練は、どの者も座禅から始まり座禅で終える。 他の寺院のように後ろで精神棒を持つ輩はいない。
その必要がない者が、此処川神院で研鑽を積む事を許されているのだから。

施設でも、座禅は日課として行っていた。 暇をつぶす手段でもあったのだが。

不動、流転、無明、無想、無我、色即是空空即是色。
川神院では何を思い、何を基盤として座禅を行うかは個々人に任せられる。
求められるは、自らの武へ還元されうる「型」

俺は自分の型を、一念、と名づけている。

無明の如く、心を、空にすることは俺にはできない。 本当の達人であればできるものらしいが。
だから心を何か一つのみで満たすことで雑念を払う。
旋風、土塊、林木、流水、火炎、鳥獣、拳撃、蹴撃、剣戟、etc...果てに昨日の晩のメニューまで。
日によって、満たすものは変え、あらゆる状況に応ずることの出来るよう備えるというもの。 どれほど武に還元できるかは、才次第、なのだろうが。








<手には鈍ら-Namakura- 第三話:才覚>







座禅が終われば朝食。

精進料理まがいかと思えば、そうではない。
一応、寺院なのだろうが、肉、魚ともにふんだんに使われている。
力=肉は不変であるらしい。 否定はしないが。 美味いし。
野菜もあることにはあるのだが、いかんせん門弟も調理人も何故か男ばかりで栄養に偏りが出る。
主に動物性タンパク質に。

一度それを口に出したら、「ならば」と隣に生姜焼きを二切れ取られることになった。

てめぇハゲ、デフォルト住職が。つかハゲ多すぎだろ川神院。

という悪態を、名残である肉汁にヒタヒタと漬けられたキャベツと共に、噛み込んで飲み込む。

だいたい半分以上の頭は剃り上がっている。 派閥が、あるようだった。

川神院に来てからの懸念ベスト3に入ってた「…頭は、丸めなきゃいけないのだろうか?」という疑問への答えは、強制ではないという事で落ち着いた。 甲子園とかでも思うのだが、頭丸めて、やたらめたらに球が速くなったり、打てるようになるなら別だけれど、規律という名目で皆五厘刈りとかどうよとか思うわけで。 つうか頭守るために毛はあるわけで。 防御力下げてどうすんのよみたいな。

………入所中は毎日思ってましたよ、ええ。

半年前は、俺も剃っていたもの。

生えるうちにお洒落したいやん、という心の声。


僧兵とか、カッコ悪いと思う年頃である。





閑話休題。


朝食を取り終わると、門弟はそれぞれ修練に励む。
師につく者、独りで努力する者、様々であるが基本は皆同じ川神流の技を学び、研鑽する。
川神流独特の「武の演舞」というものを最初に叩き込まれ、あとは勝手にせい、と総代は言い残し去った。
まあそのあとは結局ウザそう…もとい、世話好きそうな兄弟子にみっちり仕合でしごかれたのだが。

かなり個人の修練における自由度は高いのにもかかわらず、この流派が武の最高位に古来から位置していることで、いかに川神流がしなやかで、柔軟性のある武術流派であるかが垣間見える。 個人の才能も現れているのだろうが。

午前は基礎体力強化、午後は体術、夕に剣術と決め、基本は個人で鍛錬する事にした。
基礎体力、特に足腰を鍛えた後にどなたかに師事しようと思ったからである。 たまにルー師範をはじめとした兄弟子に指導を受け、同輩と組み手をかわすことはする。 というかこれは強制なのだが。

やはり、七年のブランクは大きい。 まずは体をどれほど速く、且つ無理なく動かせるか、限界を見極め、伸ばさなければ。

他人の動きを見切る才は、他の弟子よりあるみたいだった。

これは兄弟子同士の組み手を観戦して他の者と話し合えた時分に気づいた。

その唯一誇れる自分の才も、動きを見切れても、そこから攻め手を回避したり受け流したり出来るほどの、技術や瞬発力が圧倒的に足りない事実に霞む。

そのための基礎、足腰の強化である。







地道地道に努力する。
いつか、父母の強さと肩を並べられるように。

そして、彼らの志を継ぐ。
これが俺が川神院に戻った数ある理由の一つでもある。



無論、これだけではないが。







夕方、剣術の鍛錬に移る合間の休憩時、小笠原屋で飴を買う。 これはほぼ毎日。
 小笠原フリークに半ばなっているようだ。 甘し美味し。
今日はなんか時代錯誤なガングロが店員と話し込んでいた。 ちょっと、下ネタに引いた。

あまり、関わりたくはねぇ。

玄関にまで戻ると、長い橙髪の、瞳の大きな少女が学校から帰ってきたところだった。

「お帰りなさい。 一子さん」

「あ、直斗君、お疲れっ!」

今日も半袖ブルマという、眩しい格好。

「……ああ、先ほど買ったんですが、飴、要りますか?」

「あ、もらうもらう」


笑顔から元気が振り撒かれるようだった。
下校途中で鍛錬をしてきたのだろう。 半袖の胴の部分に真新しく横一本、茶色いラインが入っていた。

麻縄の跡だ。

タイヤ引きとか、スポ根の古典的王道だよな。

「そちらこそ、毎日学校行きながら鍛錬とは、恐れ入ります」

「あはは。 本当は学園で勉強するより道場とかで体動かしたいんだけど、友達と遊ぶの楽しいし、おねーさまも学校行きながら最強になってるしね」

アレは、なんかもう生物学的になんというか、種族が根本的に色々違う気がするが。

「私の目標は、おねーさまだから」

ズビシッと俺を指差して宣言。

眩しい、本当に。
天真爛漫ってこういう事なんだとほのぼのとする。

その純粋さ。もうねえよ俺には。

というか、仲見世通りをその格好で突っ切ってくるなんて、相当の勇気がいると思うのだが。


……話題を変えよう。

「今日は、いつもより、お早いお帰りですね」

ちらりと掛け時計を見る。普段なら後一、二時間ほど遅いのだが。

「……ぁぁ、いや、その、」

なんだか言いにくそうだ。

「何か、あったのですか?」

「うーん、なんかちょっと河原で鍛錬やりづらくなっちゃって」

多馬川の河川敷は様々な人が様々な目的で集まる。大方、草サッカーなんかが近くで始まったのだろう。

「そうですか」

―――悪い人じゃないのは、わかってるんだけどねー。

そんな言葉が聞こえた気がしたが。

「じゃ、私着替えて出かけるまで道場でもう二汗くらいかいてくるね!」

と、ハヤテのごとく廊下を走っていった。

落ち着かない子だ。





と思ったら、また戻ってくる。

慌しい。

「あ、後さ、今思ったんだけど別に敬語使わなくて良いよ。 私の方が年下なんだし。 おじいちゃんの孫娘だからっていうのも、アタシ的にピンとこないのよね?」

養子らしいことは知っていた。
しかし、それとは無関係に、自分の実力を将来認めて欲しい事の表れだろう。

「すみません、でもこれは俺の癖ですから。 ……努力は、しますが」

「うん、努力が一番だよね!!」

そんなやりとりをして、別れる。




直すつもりはさらさらなかった。

あいつらとの線引きは、必要だと思うから。













夜、食事を済ましてまた剣術の鍛錬のために、境内へ赴く。

まあ剣術といっても今は足腰の鍛錬しかやらないんだが。

玄関から外に向かおうとすると、ハスキーボイス。

「ただいまー」

武神と鉢合わせる。

「あ、お帰りなさい、百代さん。」

「おー、新入り、だったか?」

「おねーさま、直斗くん!!」

&その妹。

「お帰りなさい、一子さん。 今日は金曜集会とやらで?」

「ああ」

百代は答える。

「小学生の頃からの仲良し達と、愉快な会議だ」

……楽しいん、だろうな。

双眸が、それを語っている。

「それはなによりです。 食事まだでしたら夕飯、冷めると悪いのでお早く」

「そうだな。 お前も鍛錬、頑張れよ」

凛とした眼差しが俺を射抜く。




内心、どきり。

正直に言おう。
この瞳に、俺は惹かれたのだ。
飾らない、心の映し鏡のような瞳に、俺は昔、恋をした。




「はい」

顔を背け、返答して足早に玄関を出る。

今は、この感情は邪魔になるだけだと言い聞かせて。

実際そうなのだから。 

残念なことに。

本当に、残念なことに。





来年、俺は確かめる。

そしてその後の行動の選択肢を、「そのままにしておく」以外の選択肢を創るために、俺は小細工のない純粋な強さを得なければ。



彼女と、肩を並べるほどの。












境内の端に到着。

「うッしゃァ!!」

無意識に、気合の声が弾けた。








矢車直斗の、川神院の誰よりも、強い意志と鬼気を伴った修練は、こうして約一年間続いていくのだった…。


























数週後の夕方、川神院玄関にて。

白髭の老翁と、黒髪の孫娘の会話があった。




「行くのか」

「ああ。 例によって金曜集会だが、ワン子も私も夕飯は大和たちと食べるから」

「そうか。 ……あまり遅くなるなよ?」

「基地で食べるだけでお開きみたいだ。 風間が寿司もらってくるらしい」

トロは誰にも渡さんと孫の目が語る。

「……贅沢な高校生じゃのう」

やれやれ、仲が良いのは結構なんじゃが、と内心呟く。
このままでは不味いぞ、おぬし等。





唐突に。

「なあ、ジジイ」

少し、孫の声色が変わる。

「何じゃ?」

「…この前、うちに来た矢車って奴、なんで門下生に混じってるんだ?」


まさか、彼奴きゃつについて聞かれるとは思わなんだ。


「…む?」

「あいつ、世辞にも川神院入れるほど、才能あるってわけじゃないだろ。 体捌きが、お粗末に過ぎる」

「……まあの」

「ワン子みたいに、努力の才能認められたってとこなのか? あの意地の悪い試練で」

「……そうじゃなぁ」

「……ふぅん。 いや、なんとなく気に懸かっただけなんだが」

なんとなく、本当になんとなくなのだが、何処かで会ったような。
そして、何故か、五月に最初に会ったとき、血が滾った。 強敵だと、体躯が告げた気がした。
まあ、組み手したら呆気なく数秒でぶっ飛ばせたのだが。

ただ、眼、だけは自分の動きを見切っていた節があった。

それだけといえばそれだけなのだが。
ただ偶然視線が技の軸に重なっただけかもしれないのだし。

それから何度も組み手をしたが、もう一つ気になったのが、表情。
普通、院で組み手を始める時、またはその最中、相手には必ず怯えが見えるのだ。 顔もそうだが動きにも顕著に現れる。 特にこちらの攻め手が入る直前に。 これは門弟最下位でも師範代でも変わらない。 むしろ技が見切れる分、ルー師範代は、より怖れが顔に出る。

だが奴は、組み手の最中、まったく顔色を変えない。 技を見切れているのにもかかわらずだ。 こちらの拳を受けるとき(勿論クリーンヒットで)、「ああ、ここまでか」と冷静に分析し、観察しているような顔さえ見せる。

まあ、相変わらず私はおろかルー師範代にも全く勝てずにいるのだ。
何も考えていないと思うのが妥当かもしれない。

ワン子と、やっといい勝負なのだし。





祖父の表情、返答から、なんだか煮えきらないとも思ったが、いずれにせよ強くならなきゃ自分には関係ないなとも思い直し、百代は廃ビルへと足を向ける。

今日は舎弟を、どう弄ろうかと考えながら…。












孫娘が去った後。

翁はひとりごちる。

「何かしら、感ずるところがあったのかのう?」

いつか、九鬼揚羽以上に対等に、対峙するかもしれない者に。







[25343] 第四話:降雪
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:075fab7a
Date: 2011/07/22 22:57
『孤独――訪ねるにはよい場所であるが、 滞在するのには寂しい場所である。』

―――ヘンリー=ショー













2008年12月中旬


猛吹雪の中。



「…っ寒い」


言葉にしても寒さが緩和されるわけでもないのだが、そう言わずにはいられない。

徒歩で川神から石川。見通しが甘すぎたか。北陸とか来たことなかったし。
よく考えれば雪の中を長く歩くのもだいぶ久しぶりだ。十年ぶりに近い。無理なく五日くらいでいけるかと思ったのだが、相当の無理をしている。脚が上がらない事はないが、重くなってきたのは確か。それでも立ち止まらずに朝から歩けているのは、日頃の鍛錬の賜物か。

「ま、これも修行修行」

また独り言。

川神一子な言葉。 ……影響受けてきたかな。

同じ努力派とも思っている。

携帯も気温の影響か、早々にバッテリー切れ。
買ったばかりなんだが、この根性なしめ。

その前に少し到着が遅れる事を、連絡できた事を幸運と思う事にした。







<手には鈍ら-Namakura- 第四話:降雪>







その数時間後、ついに目的地周辺に。

閑静な農村部とでも言うのだろうか。 田が所々にある。 家屋もぽつぽつとある程度。

そして、これが噂の合掌造りという奴か。
伝統建造を見るのも少し楽しみであった事は事実で。

その中を歩き続ける。

すると、川神院ほどではないが、しっかりとした和宅が見えてきた。 なかなかに高い、純和風の堅牢そうな塀が、ぐるりと邸宅を囲んでいるようだ。

こころなし足を速める。 早く着くに越したことはない。


あと数十歩程のところで、人影らしきものが雪の合間に見えた。

迎えの方だろうか?
相変わらずの吹雪で背格好までしか判断できないが。

――この吹雪の中、申し訳ない。

そう思い、更に速める。


こちらに気づいたのか、向こうの頭がこちらに向いた気がした。





瞬間、猛禽のような速さで、ソレは、こちらに突っ込んできた。




テンぱる。




えーっと。


脳内ライフカードをドロー!



鹿?猪?熊?狼?










―――全部モンスターカードじゃねーか!!!




この時、地面に妄想の産物たるカードを叩きつける一人狂言を行えるほどに、前後不覚に陥っていたのは確か。



たまらず立ち止まる。
向こうは止まる様子はない。寧ろ足元の雪が一層激しく舞っているのを見ると、速度を上げているようだった。
そして前傾姿勢。辛うじて一本、棒のような突起が見える。

角?

鹿か?



なんにしても獣か。
迎撃の姿勢をとっておくが最善と本能で感じ、肩の布袋から木刀を取り出す。

この頃、ようやく馴染んできた柄を掴み上げ、右上段に構える。





―――ちぃッ、降る雪で遠近感が掴めん。 出たとこ勝負か。


覚悟を決め、相手を迎える。
前方、三メートルの足元のみを視界に納める。

これで少なくとも、足止めの為の体勢は整った。




影が、白雪に映される。


来たッ!

「…っフッ」

袈裟懸けに振り下ろす。


マジックカード、発動!!


―――喰らえッ!光の護封剣!!!








その、刹那。



―――ッツカァァン!!!

軽快な音。



「あわわわわわわわっわ!!」




木刀が受け止められる音と同時に、なんかすごい、俺よりテンぱってる声が聞こえた。
地面を見れば、獣の脚ではなくコンバースのスニーカー。

顔を上げる。

眼をこれでもかと丸くして、それでも、しっかり自らの刀で木刀を防御している、頭に美がついてもよさそうな、少女の顔があった。



見つめ合う。

顔が、赤くなった。照れているのか。

かわいい。

そんなことを思っていると、彼女の顔が少し落ち着きを取り戻す。

そして見る見るうちに邪悪そうな笑顔に……。 いや、これ怒ってんのか?



「……えと、あの、どちらさまで?」

自ら口火を切った。 こういう時は先手を取るのが定石。



「わわわ私ッ、まッ、ま黛由紀江と申します」





「げッ」



懐古主義のロマン溢れるリアクションを、不覚にも取ってしまった。













「こ、これはとんだご無礼を」

その場に平伏。


ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ、マユズミユキエとか黛家のご令嬢とかうわうわうわマジ下手打ったなんという不覚もともと遅れている上にいきなり斬りかかるなんて何やってんの俺つかカタナ持ち出してきたって事はもともと俺斬るつもりだったとかそんな感じだよなというか何なのあの怖い笑顔そこまで遅れたつもりないけど殺気が迸りそうな感じだよ畜生ああとにかくあやまんないとあやまって許してくれるとは思えない顔だったけどだめもとでetc……



みたいな事が脳裏によぎりつつ、頭を下げる。

「あの、矢車直斗さんですか」

言葉を投げかけられた。

「はッ、おっしゃる通りです!! 遅れた上にこのような立ち振る舞い、申し訳ありません、本当に。 北陸は初めてで、来る途中に熊注意の看板も何度も見まして…」

頭を雪に擦りつける。そんぐらいしないとあの表情は消えない気がした。

もうアレだ。

笑いというより嗤い。
悪鬼の笑み。
善悪相殺的な。 村正的な。


ごめん、ネタわかんなかったらググってくれ。




「いえいえいえいえ、そんな頭上げてください。 私が急に飛び出したのが悪かったようですので! 私、恥ずかしながら、その、矢車さんがくることをとても楽しみにしていて。 出来れば、お、お友達になりたいと」




……その言葉を聞き、俺は一つ、白い息を吐く。
そうだったのか。 いや良かった。 さっきの顔は、恐らくは見間違いか。

「そ、そうですか……。 俺でよければ喜んで」

髪についた雪を払って、顔を上げる。







―――拝啓、鉄心様、

こちらでの修行、恥ずかしながら前途多難の様相と見受けました。
めっちゃ睨まれてます。
口元が、これでもか、と歪んでおいでです。






















由紀江side




北陸の猛吹雪の中、一人の少女が、豪邸といっても差し支えない家屋の門の前で、立ち尽くしていた。


「今年もよく降りますねぇ」

そう、少女は言葉を紡ぐ。その言を聞く者は、もとい聞く物は、一匹。

(…まあ、去年よかはマシじゃねまゆっち。 つっても関東から遥々、徒歩とかどんだけ物好きやねん!? 矢車ってのは)

少女は両手の平に乗せた、なんとも冴えない黒馬のストラップに話しかけているようだった。

「こらこら松風、そんなことを言っては失礼です。 ……というか何故関西弁なのですか?」

(言葉の松風あややちゃん~~)

「今日は朝からテンション高めですね」

(まゆっちもじゃね? オラ見てたけど昨日はなかなか寝付けなかったみてぇじゃん。 遠足前の小学生ぇ、みたいな)

「……不安と期待、七対三といったところです」

(おおッ、いつもなら不安九割のまゆっち、なっかなかのコンディション!)

「同年代で年上、さらに異性という、なかなかに高いハードルを飛び越え、その勢いと弾みで、来年は川神学園で友達百人薔薇色学園生活計画をスタートすると誓いました!!」

(ポジティブ~なまゆっち、かっくいー。 それだけ今日は気合が入ってるのかぁ。 アントニオもアニマルも修造も真っ青だぜ!?)


事情を知らない者が見れば、真っ先にその場から立ち去ろうとするだろう。 それほど、吹雪の中、独りの長身の女性がマスコットに話しかけ、腹話術でそれに答えるさまは異様であった。
由紀江本人の弁によれば、マスコットには九十九神(つくもがみ)が憑依しているらしいのだが。


(それに、家で親だけの淋しいクリスマスとお正月が回避できるしなー)

「あうあう、それは言わない約束です松風」

(不憫なまゆっち。 妹は友達と冬休み中、海外研修という名目のハッピーセットおもちゃ付き~な旅行なのに、かたや姉はおうちでお留守番~)

「……うぅ」

(ああ、ごめんまゆっち。 オラ言い過ぎちまった。)

「いいんですいいんです松風、事実ですから。 ………うぅ」

(でっ、でもさーまゆっち、ここでさー、もしもだぜー、ここで矢車って奴と友達以上になったら、妹より一歩リードの姉の威厳ができるぜ~?)

「姉の威厳…ですか。というかそれよりも、とっとと、友達以上とは……」

(みなまでオラに言わせんのかよー、まゆっちぃ?)

「そんな、私なんかが、そんな」

(そこがまゆっちの悪いクセだって。 もっと自信もてよー)

「自信、私にはなかなか縁のない言葉です。 今だって、刀を持ってないと落ち着きません」

(だいじょぶだって。 まゆっちー。 いざとなったら、そのセクスィーダイナマイッな肉体を使えば男なんてイチコロさ)

「はあ…」

(それに牡馬のオラが言うのもなんだけど、男前じゃね、矢車)

「それは。 はい。 凛々しい方です。 …………そうですね、欲を言えば」

(欲を言えばぁ~~~?)

「か、からかわないでください松風!!」



川神院からの武術研修者が来ると聞いて、どんな方かと父に尋ねると、写真つきでの資料を頂いた。

なかなか友といえる人が出来ない私のために、同年代の友達候補を見繕ってくれたようであった。 流石に武道四天王、次期川神流当主の川神百代さんに来てもらう事は叶わなかったみたいで、しかし、彼ならと、現当主、川神鉄心さんが太鼓判を押したそうだ。
写真をみれば、紺の道着に木刀を上段に構えている姿が収められていた。 若干白髪が目立つ頭髪が特徴的で、その眼光の鋭さといえば、同年代のものでは見たことがない。 武術に真摯に向き合っている姿勢に、とても好感をもった。



父の期待に応えるためにも、矢車さんとは仲良くならなくては。

同じ剣の道を行く者ですし、きっと会話の種も何とかなるはず。




(お、噂をすれば何とやらだぜまゆっちー!?)

「ッ!!」

顔を上げれば数十歩先に人影が。

(まゆっち、ダァッシュ!!)

「え?」

(ファーストコンタクト、ファーストインパクトが大事だぜまゆっち。 あなたのために外で待ってましたとか言えば好感度も鰻登り間違いなし!!)

「で、でも」

(自信だまゆっち、成せば成る。 押してダメならもっと押せ押せだって)

「じ、自信…」

今まで自分は、本当に一人だった。
このままなんて、もう嫌だ。そう誓ったのではなかったか。

おっかなびっくり人に話しかけるなんて、もう沢山。
学校で見る同級生みたいに、自然に人と触れ合いたい。 遊びたい。




松風を胸元にしまう。
このチャンスが最後かもしれない。 そんな焦りも背を押した。

前傾し、脚に力をこめる。足首の筋が強張るのが感じ取れた。

「黛、由紀江。 行きます!」

(其の意気だまゆっちぃ。 笑顔も忘れるなっ)

なかなか上達せぬ笑顔を張り付かせ、由紀江は今、突撃する。










[25343] 第五話:仕合
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 18:21
『人間一度しか死ぬことはできない。』

―――ウィリアム=シェイクスピア




















川神院に身を寄せてから、半年ほど過ぎた頃、総代から声をかけられた。

他流派への武術研修に行かないか、というもの。

初めは、辞退しようと考えた。
川神院ほど武術の鍛錬に向いている場など、他にないと思っていたからである。

弱い武術流派との武術交流は大切ではあろう。あくまで「川神流」にとっては。
武の頂点と自負する処を他流派に見せつけ、彼らを焚きつけ、武術社会全体の更なる発展を鼓舞する目的で行うのだから。

だが「俺」にとって、それは益にはならない。
武を広めることは、俺が為すことではない。
自らのみ強くなることこそ、今の俺に課せられた使命なのだ。義務なのだ。

他人を強くして如何する。

他の門下生から、身勝手と思われるかもしれない。
川神に抱えてもらっている者として、相応しくない考えであると非難されるだろう。
だが、これは譲れない。俺の沽券、俺が武を学ぶ根本の目的に、関わるから。


だから、断ろうと考えた。

研修先の流派の銘を、聞くまでは。








「マユズミ、ですか?」

「そうじゃ」

自らの私室で、川神本家は応える。

「…マジで?」

「真剣で儂を信じなさい」

「……本当に?」

「くどいぞ」

「失礼」

平伏する。




……驚いた。

幻の黛十一段といえば、剣道つまり道場剣術を嗜む者でも、実践剣術を齧る者でも、知らぬ者は居ない「剣客」である。

剣道の段数は本来十段まで。
だが、その卓越した技量から、人間国宝の称号と共に、十一段の銘を与えられた「剣客」。
「剣客」の文字通り、日常にて、刃引きされていない、本物の業物の帯刀を、政府から許可されているのである。 日本が誇る芸術の一つに、彼の剣技が数えられているのだ。 常に血生臭い刀剣界において、このような例は他にない。

だが反面、この流派が武術流派として圧倒的に栄えることはない。 なぜならば、黛流は血縁者以外に自らの剣を決して「語らない」剣術流派であるからだ。
一説によれば抜刀の感覚が、黛の血を持つものは常人とは異なるので「黛以外は黛を理解できない」から。らしいのだが、定かではない。

どちらにせよ、語れないという事らしい。

川神の血を持つ一部の者が、異様なほどに「氣」を操ることが出来るのと同じようなものなのかもしれない。

才悩(NO)人を自負する俺には、関係ないが。



話を戻そう。

以上の理由から、黛流が武術研修生を呼ぶ事は、ほぼ無いに等しいはずなのだ。









「何か、理由があるのですか?」

余程の理由だろう。

「うむ。 無論、訳アリの依頼という奴じゃ。 ……黛十一段には娘が二人居ての」

「はあ」

「特に姉の方は才に溢れているという噂じゃ。 一子より一歳年下にして、父と同等、あるいはそれ以上の段階にいるらしい」

「それは」

化け物、だろ。

「つまり、百代さんと同じというわけで?」

あのレベルの戦闘狂をどうにかしろとでもいうのなら、軍の一個小隊、中隊くらい引っ張ることを進言しよう。

「いや、まあ、あやつほど戦いに飢えている訳ではない。 ただ少し、こちらがより重症と言うべきか」

「は?」

「少しばかり、対人関係が不得意らしくての。 まあ黛の箱入り娘じゃからな、生来の気質となかなか一般人と話す機会も無いのが相俟って、ということらしい」

………ありうる話だ。
人間国宝の父がいて、相応の才覚も持っているということならば、周囲の人間が敬遠してしまうのも無理は無いだろう。

「その娘も来年、儂の学園に入学する予定での。 このままでは学園でうまくやっていけるか不安だと、親のほうから言ってきおった。 そこで、誰か歳が近い者を川神院から見繕って、引き合わせられないかということじゃ」

「なるほど、つまり彼女と友達になれと」

「ま、平たく言えばな」

しかし、俺でよいものか?

「ああ、それと、もうおぬしに決めたと言っておいた」




―――は?




「何故?」

「む? 不服か?」

「……いえ、寧ろ適任なのは百代さんではないかなと」

強さ的に。 あと誠に失礼ながら、性癖的に。

「強さは四天王の域なのでしょう?」

「うむ……。 百代には二、三歩及ばぬが、この間、橘天衣が負けたと聞いた。  四天王レベルではなく、もう四天王じゃ」

事も無げに言う。

―――なんと、あの橘天衣を破ったのか!? 血族に平蔵をもつ、音に聞く最速の四天王を!!

些か、驚愕する。

「ならば尚更、百代さんと、武術で切磋琢磨させて仲良く、というのが最善かと?」

百代にとっても、一番の方策なのではなかろうか?

「それも考えたんじゃがな……。 モモには、あと軽く二、三ヶ月は武芸者の相手の予約が入っていてな。 おいそれとキャンセルできんのじゃ。 それに、同じ剣術を習っている者のほうが、何かと会話が進みやすいと思っての」





なるほど。
ま、仕方ない、か。 それに、黛の剣、一度はお目にかかりたかったし。





「わかりました。 身に余るかもわかりませんが、その件、お引き受けしましょう」

「そうか。 ……しっかり、技を盗んで来い」

「ハッ」

平伏。











<手には鈍ら-Namakura- 第五話:仕合>











というわけで今に至る。

今、俺は加賀の豪邸の応接間にて、正座で黛家当主を待っている。 勿論、畳上。

由紀江さんとの一悶着の後、なんやかんやで本邸にお邪魔できた。
正直、第一印象は最悪だったが、悪い子ではないのは、話してみれば、よく解った。


彼女は不器用なだけなのだ。
ほら、今だってお茶を俺に汲んでくれている。



(ヘーイ、そこのボーイ、早くもまゆっちの魅力にメロメロか~い? 視線がまゆっちに突き刺さりまくりだぜ)

「……失礼」

「あうあう~」

……少々、一人遊びが好きなようだが。





いっこく堂って、今何してんだろ?












しばらくして、奥の襖が開いた。

「いや、すまない。 遅れてしまった。 少し遠くまで出張っていたもので」

中からは、体格のいい男性が現れた。
簡素な作法衣に身を包み、その左手に細長い布袋。中身を問うのは愚問だろう。


目が合う。

「おお、君が矢車君か」

素早く、礼。

「は、川神院より武術研修に参りました、矢車直斗と申します。 名高い黛十一段に御眼にかかれるとは、光栄の極み」

「いやいや、そんな硬くならんでくれ。 これから二週間弱、共に寝食するんだ。こっちまで肩が凝ってしまうよ。 ほら、顔を上げて」

明るく快活な声が返ってきた。

幾分、フランクな性格らしい。

「それより、ここまで歩いてくるとは。 なかなか根性がある」

「いえ、足腰の鍛錬にはもってこいです。 雪の上なら尚更」

「ふむ」

当主は座卓に着く。
次いで、淹れてあった茶をすする。






「…………」


「…………」


「…………」


(…………)








いきなり、この沈黙。

誰か喋れ。 この際、馬でも可。


秒数にして15.2秒、音の無い世界が続く。
その間、彼は俺をじっと、見つめていた。
俺も、それを両眼で、受け止め続ける。




ふと何事か、思いついたように、彼は顎に手をあてる。

「……由紀江」

「は、はいッ」

突然、父に娘は話しかけられた。

「道場の掃除は?」

「つい先ほど、済ませました」

今度は澱みなく答える。



そして剣客は、顔を俺に向ける。

「ついてきなさい」

「……はっ」

何事かは解らないが、当主にならって立ち上がる。

由紀江も。


「ああ、由紀江、お前はそのままでいい。 ここで待っててくれ」

「え、あ、はい」

渋々、といった感じに彼女は座り直す。




え、何?

もしかしてこれからサシ?




部屋を去り際、黒馬の声が響く。

(Battleの予感、ビンビンビ~ン)




うぜ。











川神と幾分似た、素朴な道場。そこに俺は案内された。
何畳あるのだろうか、それなりに広い。 無論、川神よりは狭いが。

その丁度中央で、立ち止まる。

「少し待っていてくれるかい?」

「は」

そう言うと、奥の物置のような部屋に足早に行ってしまった。


状況からして、ここで仕合をすることは明白だった。
木刀でも取りに言ったのだろう。

高鳴る鼓動を、呼吸法で落ち着け、待つ。






「さて」

三分ほどで彼は戻ってきた。
予想通り、木刀を携えて。

「これから、まあ、君も想像ついてるだろうけど、打ち合いを行う」

俺は黙礼する。

「君はこっちだ」

手渡された。















彼の、左手に・・・あったものを。







誠に失礼ながら、断りもなく、俺は布袋の中身を改める。

「………」

モノホン。
その言葉が、心中に浮かんだ。




「……失礼ながら」

「うん?」

「真剣同士で立ち会うのですか?」

「いんや」

黛流当主は、見つめ返す。

「君が真剣で、僕が木刀だ。 それで君が僕から一本取れたら、君に「黛」を教えよう」



舐められている、とかそんな感慨は浮かんでこなかった。

ただ、どうしよう。という困惑の極みである。





そして、

「立ちなさい」

殺気、地に渦巻く。
剣気、空を駆け巡る。

―――これが、剣客の眼力か。

無論、断れる筈がない。









容赦無き、剣閃、剣圧、剣舞。

俺は無様に、避け回っているのみ。 効率の良い足裁きなど、意識している間もない。





「どうした? 川神院では攻めの手を教えないのか?」

攻めの手を打たせない連戟を殺到させて言われる。

「ほら、次は左足、いくぞ!」

実際は右足を打たれる。

「いつまで、動く砂袋でいるつもりかい?」

……貴方が叩き疲れるまでです。

「人生、避けてばかりじゃ、後々苦労ばかり。 だからそんなにシラガが多いのでは、ないのか、ねッ!?」

言葉でも蹂躙してくる。 本当に待ったなし。

俺には喋る余裕はない。



「ほら、さっさと剣を抜けぃ!!」


そう、俺はまだ刀を抜いていないのだ。



俺には、無理だ。
木刀で武装しているとはいえ、それに真の凶器で立ち向かうなど。


無理だ。

無理だ。

無理だ。







次第にかわすのが難しくなる。

剣速が速まっているのか、こちらの動きが鈍くなっているのか。
おそらく前者だろう。

避ける事と、こんなしょうもない判断にしか自分の才を使えないとは。

なんて無力。 なんて脆弱。

腹立たしさのみが、心を占める。



仕方ない。

こんなこと、したくないが。




―――ガゥン!!!!

「ッツ!?」

わざと、横薙ぎをモロに喰らう。

骨が折れなかった事を天に感謝し、布袋を投げつけ目くらまし。

後方に、思いっ切り、跳ぶ。



……そして。












―――シュラァァァッ!!!!!!!



ついに、剣を抜いた。






















それを見た、当主。
一度、腰に木刀を納める。

手を止めたと判断するほど、俺は愚か者ではない。

納刀からの抜き打ち、即ち、居合斬り。



黛ノ極意ハ神速ノ斬撃ニアリ。



その言葉を聞き及んだのはいつだったか。
剣の速度によって、かの奥義の名は変わる。

数の位がその名になっていたはず。

此処に来る前に、川神の書庫にて調べていた。

瞬速、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静

この順に速くなるらしい。

正直、木刀で瞬速出されても、今の俺は再起不能になるだろう。

……なんでこんなことを今説明してるかって?



気迫、怖すぎて興奮物質ダダ漏れで、テンパり100%だからである。

―――どこの飛天御剣流だ、どこの天翔龍閃だクソッタレ!!



こちらに跳んで放つつもりだろう。
天下一と名高い神速の剣が、俺に牙を剥く、








その寸前。




俺は、自らに与えれられた刃を、首筋に当てる。
そう、自らの首筋に。

こちらに向けられていた殺気が、微かに緩む。





ここぞとばかりに、俯いたまま、俺は声を張り上げる。

「申し訳ありませんッ!!俺には無理です!どうか、どうか平にご容赦をぉおッ!!」

最後は、歌舞伎みたいになってしまった。

だが、これが、今俺に打てる最善の一手、全力の一手だ。


……情けない事、この上無い。いや、この下無いが。



その場に座る。
へたり込む、といった表現が正しい。かもしれない運転。
ちょっぴり涙目。かもしれない運転。
根性なしが、と罵られ、外にほっぽりだされる。かもしれない運転。



流石に外にいきなり放られることはないだろうが、どちらにしても、修行は受けさせてもらえられないと思われる。




申し訳ない、由紀江さん。
来年まで、友達はお預けだ。



















―――ゴン

と、何かが床に突く音が聴こえた。
見れば、数歩先で木刀の先を床に置き、黛十一段が、立っていた。

先ほど会ったころの、優しげな眼差しをして。



「……合格」

確かに、そう聴こえた。

「な」

何故。

俺に、そう言う間も与えず、当主は続ける。

そして、その言葉は、俺を黙らせるのに十分な言葉。




















「君は、人を、殺した」





文節を、存分に区切り、彼は言った。

「眼を見て、わかった。 なんて言えたらカッコいいんだが」

彼はまだ、こちらを見続けている。



「君を、うちで預かることになってから、川神本家、鉄心様に君の事を聞いた。 君の半生、というべきか。……君は、どうしようもない状況で、自らの武を振るった」



「だが私は君に、同情も慰めもしない。 ……私も人を斬った事がある。 だから、その必要が無い事はわかっている。 私は、ただ君の行為を侮蔑する」




穏やかな目で、抜き身の倭刀のような冷徹な言葉。

「戦士でもない者を、死ぬ覚悟をしていない者を、君は幾人も手にかけた」

事実。

それは、紛れも無い、事実。

「その事について、悪事、と認識しているのか。 私は確かめたかった。 そして今、確かめた」






「たぶん君はその行為に、その選択に、後悔はしていないだろう。 でなければ君は、川神院にいない。 その身に道着を纏って、武の道を踏む事はできない筈だ」




だが、と続ける。




「自分のした行為は、悪であると。 二度と、絶対に繰り返してはならない事である、と思っているのは解った」

俺は、黙って俯いたまま。




「顔を、上げなさい」

深く息を吐いて、言う通りにする。



「君なら、由紀江の第一の友に、相応しいとみた」

二週間弱だが、よろしく頼む。
そう、頭を下げられた。












―――――ぅ、ありがとうっ、ございまッ!!






震える口に出たのは、自らの本質への理解に対する、感謝の言葉だった。






[25343] 主人公設定(第五話終了時点)
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/22 22:55
矢車 直斗

性別 男

血液型 AB型

年齢 2009年1月現在、18歳(百代より1才年上。だが2-F所属予定)

誕生日 12月24日

大アルカナ ? 

経歴 諸外国の日本人学校→11歳、?→11歳、特級矯正施設→19歳、川神院預り→19歳、川神学園第二学年F組

性格 忍耐力に優れる。苦労は苦労と思うが目的を伴う苦労は率先して行う。ノリは良い。

身体的特徴 身長175センチ体重82キロ
      白髪が多い。三分の二くらい
      外見のモデルとしては、メタルギアソリッド4の雷電or鬼哭街のタオ
      ロー

家族 父:矢車真一(故人) その他の血縁者:?

使用武術 川神流剣術及び川神流体術(少々我流の崩れ有り)

使用武器 木刀

学業 英語ペラペラ。基本的に高校内容の授業は施設でやり終えたため、それなりに優秀。





[25343] 第六話:稽古
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 18:32


『一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。』

―――川端康成





















黛家の朝も、早い。
五時前にはもう、家の者は皆、起床して何かしら家事をしている。
当主でさえも、縁側を雑巾掛け。襷付き。


当たり前ながら、ここは石川県南部。
北陸、加賀の地。
季節は冬。

いつまでも布団と湯たんぽと、添い寝したい気分になるのはしょうがないこと。





…いや、起きてるけどね?



客人の扱いを受けても、居候の身。
日課の座禅を少し早めに切り上げ、無理を言って俺も玄関外の雪掻きをする事に。

幸い、外の雪は止んでいた。
代わりに朝陽が燦々と降る。



黙々と雪を運ぶ。 運ぶ。 ヤコブ。

温水融雪機なんて、小粋な物はなさそうだった。

とりあえずは車道まで、道を開通させよう。











「や、矢車さんっ」

どれくらい経っただろうか。
完全に体が温まったところで、声をかけられる。

「あ、おはようございます。 由紀江さん」

彼女は俺が起きた時にはもう台所に篭っていたそうで。

可能な限り、優しく応える。
昨日は父親の酌の相手で碌に話も出来なかった。 今日は、上手く話せればいい。

「お、おはようございますっ、あ、あの」


―――大丈夫、焦んなくていいんだ。 一言一言で。


「朝餉の支度が整いました! よろしければ、すぐに」


他の家の朝ごはんって、興味出るよね。


「そうですか、ありがとうございます。 手料理、楽しみです」

withスマイル120%







まあ、また例の顔で、

「は、はい。精魂込めて作りました。あ、嫌いなものとかあったら遠慮なく言ってくださいそれと本日はお日柄もよくて何よりですね晴れの日は好きですか私は好きです特に今日みたいな雲の無い空は大好きです知っていますか雪が降った後は空気が綺麗になるんですよそれでは食堂で待っています」

―――と、棒読み早口マシンガンぶっ放して中に飛んでいった訳だが。




コレ代わりに馬に喋らしたほうが、コミュニケーションとれんじゃね?

















<手には鈍ら-Namakura- 第六話:稽古>















量、多ッ。かった。


残さず食べたけど。

うまうま。



「ご馳走さまでした」

手を合わせる。

「お粗末さまです」

「とてもおいしかったです。 特にお魚が」

生憎、食について満足な知識の無い俺には、魚の種類などホッケとアジぐらいしか見分けられないのだが。

「あ、あれは日本海産の一夜干しでして」

「あと、胡麻和えも絶品で」

川神より、とーっても、健康的。





「由紀江、矢車くんが来て張り切るのは解るが、毎日これだと後が辛いぞ」

腹を擦る当主。

「す、すみません、以後気をつけます」

シュン、なんて擬音が聴こえたり。

彼は一息つくと、俺に顔を向ける。

「じゃ、一時間後、道場で。 いきなり脇腹を痛めないよう、ちゃんと体を動かしておきなさい」

「は」

「由紀江も、今日は片付けはいいから。 ……母さん、悪いけど」

「はいはい」

奥方は、老舗旅館の名女将のような微笑を浮かべ、手際良く食器を取り下げていく。


田舎万歳。 家族万歳。








食堂を出て、一旦あてがわれた部屋に。

まずは道着に着替える。 心なし、丁寧に。

次に柔軟。 たっぷり十分強。

伸びーる、伸びーる、ストップ。
このフレーズで全身黄色タイツを思い浮かぶのは俺だけじゃないはず。

NHK、まだアイツ使ってんのかな。



一足早く、道場に。
流石に部屋で素振りする訳にもいかず。
昨日と同じ立位置にて。
基本に忠実に、上段から、振り下ろす。

だけど、ただ数を振ればいいってもんじゃない。
素振りの一太刀一太刀が、会心のものでなければ。

そうでなければ、どうして、実戦で会心の一撃が打てるだろうか。





―――ッヴォン



「ッしゃ!!」



本日の一太刀目は、まずまずである。















渾身の百五十二太刀目に、出入り口の襖が開く。


(テーレッテ~。 まゆっち、登、場! おうおうおう、まゆっちより先に来るとはいい度胸してんじゃん?)

「こら、松風。 無礼です」

一礼して、道場に入ってくる。

「隣、よろしいですか」

「……お構いなく」

ふむ、刀持てば普通に喋れるのか。




肩を見る。

さて、てめえも来たか、馬。

「松風さんも来られるとは」


……おかしいな? 一行上が、本音なのに。


もう、一個体として認識することにする。
馬にまで敬語を使う、優良剣士の俺。



(まー、オラレベルの馬にもなると、一流の剣捌きは見とかないと)



「……何の為に?」


聞かずにはいられなかった。



(ん? いや、そりゃー、騎馬として)




ほう。




「……さいですか」

その発想はなかった。

ま、ね。

その装飾は、だいぶ位の高い騎馬だもんね。

今、お前は逆に人に乗ってるけど。


(ほら、サボんな。まゆっちを見ろ、超集中中)

うん。
解るよ。

凄い気迫出して、すぐ隣で構えてることも。

その腹から、君の声が出ていることも。


「じゃ、最後に一つだけ」

(なんだい?)

「由紀江さんのご両親の前では、言を発さないので?」



少しの間が空いた。



(………オラ、空気も読める馬だから。 ダチ居なくて専らマスコットと喋る娘の姿なんて、見せらんないって)










むしろ、他人に見せないほうがいいと思うが。
















そして数分後、奥の間から当主が出てくる。

黛流鍛錬の、始まり。
流石に、ここで由紀江は松風を懐にしまう。


俺は目を細める。

一つでも多く、技を掠め取ってやれ。
そんな俺の気概を感じたのだろう。
当主の口角が、あがる。
上等、とでも言うように。
























さて、結論から言おう。




黛流、無理。


だって、ふつうの子だもん。



抜刀の理念からして、意味不明である。


曰く、「必要なのは、愛、信頼に似た何か。 我と彼の狭間に、無二の一点あり。刃が我、斬所が彼。 その我と彼の共同作業で斬撃を繰り出せ。 鞘から出て、斬り込むのは、君自体だ」


失礼ながら、常軌を逸した輩ってのは妙な事を言うものだが、神速の斬撃なんていう、常軌を逸した事を実現しようかと思ったら、どうなったってそうならざるをえないのかもしれない。



こんなに難しい事を考えて、この人達は剣を振るっているのだろうか。







「やっぱり、少し、難しいかな?」

いや、そんなもんでは済みませんよコレ?

「本当に、言葉で伝えるとするなら、今のが一番具体的なんだが」

そんな渋顔しないでください。 いたたまれないです。

「由紀江はこの説明で、瞬速とばして弾指の段階までいったんだが」

いや、だから天才と一緒にしないでくださいよ。



埒が明かねぇ。

「由紀江さん、」

「は、はい?」

可愛らしく、首を傾げて返答してくれた。

萌え。

……ではなくて。

「実際、どんな感じなんですか? 黛の抜刀って」

「そう、ですねぇ」

少し思案。

すると。
由紀江は俺から数歩下がって、構える。



「なんていいますか、」




息を吸い、吐く。



吸い、


吐く。


吸い、


吐く。


吸い、


吐く。


吸い


――――ブォァアンッ


横薙ぎ一閃。






「こう、です」





……いやいやいや。

















抜刀術は、諦める。俺には理解できそうにない。
もとより黛しか理解できないのだろうし。 黛十一段も、そんなことを言っていた。
それよか基礎鍛錬やっていた方が実になる気がする。

ま、抜刀術以外の、たとえば足捌きだとか連撃の繋ぎだとかは教えてくれるそうだ。 先日の仕合で見た限りでは、ものすごく機能的、実用的な感を受けた。 これはモノにすれば、川神の門下生として、胸を張れるようになるかもしれない。
こっちは、技量云々のレベルなので、何ともない。

相応の努力を、以ってすれば。









夕方まで、稽古は続く。 素振り、型、仕合の三つでその内容は占められる。
そして幾度となく、由紀江と太刀を合わせた。

やっぱりこの子、化け物だわ。
剣閃のキレが半端無い。 百代さんの方が、容赦の無い分、三歩ほどリードという感じだが。

ま、俺は相手にならなすぎて、とっても肩身が狭いですけれど。



ちなみに抜刀術についてだが、十一段が清浄、彼女は阿頼耶まで、奥義を修めているらしい。
一回きりとして、見せてもらった。

否、魅せてもらったと言い直そう。 まさしく芸術の域。

俺には、至ることの出来ない極致、であろう。
















稽古が終わり、部屋に戻る。

流石に、へとへと。
ぐだぐだと部屋着に着替えるわけだが、その最中、バッグを漁って思い出すことがあった。




「由紀江さん」

廊下に出ると、居間に居た彼女に声をかける。

「はっ、はい」






硬いな、やっぱり。
この調子じゃ来年は心配である。 純粋に、心から。
鉄心様や十一段の頼みとは関係無しに。

そしてその様子から、気持ちを新たにする。

なんとか、この子が友達を多く持てるように手伝うという気持ちを。







「ちょっと、部屋に来てもらえますか?」





(ヘイヘイ直斗、早っ速、まゆっちにナニするつもりかい? ああ、オラが邪魔になったら、廊下の外にだしていいぜ?)







聴こえなかった。ことにした。


清純派、だよね? 由紀江さん。








そう願うよ。





[25343] 第七話:切掛
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 18:59

『友情は瞬間が咲かせる花であり、そして時間が実らせる果実である。』

―――コッツェブー














こっちに来る前に、色々と考えてみた。
彼女がどうやって友を得るきっかけを作るか。

俺は、無論、女ではない。
でも、と言うべきか、だからと言うべきか、女の子の友人関係って複雑だということは解る。
キャピキャピ言ってたって、チャムチャムじゃれてたって、心中は本人しか知らない。

男はまだ、顔に出るだろう?


それでもさ、男女で共通するのは、何かしらのきっかけから、他人の興味をかきたてる所から友情が始まるって事。




俺は鞄を、ゴソゴソと。

正面で、由紀江は俺の一挙手一投足を、ちらり、ちらりと見ていた。
視線の、床との往復運動が、非っ常に慌しい。


(ドキドキ、ワクワク、ゴロリくん)

従姉のゴロネちゃんも忘れんな。

ワクワクさんに作品造形の提案、しまくってるぜ。

毎週火曜日、午後10時半から、好評放送中。
歴史長いよねあれ。
ハッチポッチの次に好きだ。 こっちはもう、やってないみたいだが。



「そんな、ビックリするほど大したものではないんですが」

中から取り出した、白いプラボックスを彼女の前に。

「あの…」

「どうぞ」

恐る恐る、という感じでそれは開けられた。

「…これって、」

中には、色彩の粒が、敷き詰められている。

「俺の、趣味でして」

(マジでぇッ!?)



ビーズセット。
安心と信頼の、九鬼コンツェルン製。


つくって、わくわく!!










<手には鈍ら-Namakura- 第七話:切掛>











俺の指導の下、まずは簡単なリング作り。
もうすぐ正月ということで、白と紅色。
一個ずつ、作る。

「あの、」

「はい?」

その最中。

「こう言ってはなんですが、意外でした」

おお? 
貴重なあちら側からの話題提供。

「元々は妹の影響でして。女々しい趣味でしょう?」

自虐。

(ぶっちゃけね)

「いえ、そんなことは」

この場合、どちらの言葉を信用すべきか。

「川神院では、よく冷やかされます」

ま、邪険にするほどでもないが。 ……門下生の彼らも、そんなに暇ではない。

半分、彼女の方に気をやりつつ、手を動かし続けた。




「……これに集中してるとですね、」

うし、出来上がり。

由紀江さんもなかなか筋がいい。 目が良いと通しも速い。
完成まで、もうちょっとかかりそうだが。

「頭、空にできるんですよ」

全部忘れられる。

全部。



「松風さん、」

(どしたー?)

少し、ほっぽり気味だったマスコットに声を掛ける。
そして彼を裏返す。

仰向けの、体勢。


(う、うわ~~、ま、まゆっち、オラ貞操喪失の危機)


黙ってろ。


片方の前足に、完成品を通す。

座卓に置いてみる。

「どうです?」

なかなか、似合っていると思う。

黒毛に、白銀のライン。

「おお、なんかセレブ~」

気に入っていただけて、何より。




由紀江さんの方が出来上がると、もう夕食の時間。
今日はここでお開き。

「それ、差し上げます」

立ち上がり、小箱を指して言う。

「え、いえいえそんな」

ブンブンと音が聴こえそうな程、首を横に振られてしまった。

「あ、もしかしてお気に召しませんでしたか?」

もしそうなら謝らないと。 だいぶ時間を取らせてしまった。

「いえ、そうではなくて……、あ、あの、本当によろしいんですか?」

「ええ、もともとプレゼントするために持ってきたのを、先程まで忘れていたので」

ファーストインパクトで。

……セカンドじゃないよ?



「あ、ありがとうございます」

「慣れればこんなのも作れるようになりますよ?」

そう言って、俺は力作の数々を鞄から取り出す。
皆、動物の形。


(うわ、スッゲ)

「はい。 ……とっても可愛いです」

ちょっと得意げ。
感嘆の息を聴くのは、なかなかに心地よい。



そして、ここから本題。

「こういうのとか、大抵の女の子は好きだと思うんですよ。 だから何個か筆箱とか鞄とかに着けておくだけで、同性と話すきっかけになるんじゃないですか?」

彼女は、口下手であるということは、元々聞き及んでいた。正直ここまでとは思わなかったが。
でも、他人と触れ合う手段は別に対話だけではない。
無論、それも大事だけどね?

「あ、ああ、」

彼女は口元を押さえていた。

その双眸は、うるる。
揺らぐ黒髪は、さらら。

え、何、マジ泣き?

しゃがみこんでしまった。

言葉を発せない彼女の代わりに、馬はよく喋る。

(まゆっちぃ、オラは今、猛烈に感動しているぅ~!!)

彼女の手中の黒馬は、こちらを向く。

(直斗、お前マジいい奴じゃん、超感謝)

いや、そういうのは直接、由紀江さんから聞きたい言葉なのだが。


(でさ、物は相談なんだけどさ)

「はい?」

(……雌馬作れねぇ? 清純白馬とお近づきになるのがオラの夢ー)



モチ、却下。
自重しろ。

これ以上増えたら誰も寄り付かねぇぞ、由紀江に。










由紀江さんを何とか宥め、夕食。
その後に、当主に断ってから、また道場へ。
川神院での生活のスタンスを、崩すつもりはなかった。
蛍光灯の下、独り、黙々と袈裟斬りを繰り返す。


日本の刀剣術は古来より盛んだが、江戸時代に大きく発展した。
この頃は、大きな戦乱がなかったため、戦場で着用する甲冑は前提とされず、平時の服装での斬り合いが想定された。これは、現在でもそうだ。
だから、今日の実戦剣術においても、袈裟斬りは基本中の基本なのだ。
無防備な鎖骨、頚動脈を狙えるからである。

一撃必殺。
どの流派でも、これは極意であるらしい。


しばらくして、襖が開いた。

見れば、黛家当主。

「すみません、ご迷惑でしたか?」

そんなに、うるさくしていたつもりはなかったが。

黛流は、あまり夜の鍛錬を奨励していない。
寝る子は育つという教育方針を、徹底しているそうだ。

「いや、そうではないが、そろそろ終わりにしよう。 随分と、夜も更けた」

やんわりと、言われる。

「はい」

本音を言えば、もう少しやりたい所だが。

道場に一礼して、廊下に出る。
そして当主を先頭に、歩く。

「時に」

「は?」

「剣術は、閖前さんの影響かい?」

「……ええ」

特段、隠すことも無い。

ユリマエ…。久しく聞いていなかった言葉。

母の、旧姓だ。
俺の母、矢車六花(旧姓、閖前)も、川神で剣術を修めていた、らしい。
俺が母から剣を教えてもらった時には、もう川神を出て行った後だったそうで。
だからもう、何十年も昔の話。

閖前家は川神の分家に当たる。
なんでも昔は本家の独断専行、暴走を防ぐ役割を担っていたらしい。それも武力と政治の両面で。

閖って水門の意味だしな。読んで字のごとく。

だけど今はもう廃れている。
そこの一人娘を父が娶ったのも、原因の一つだろうが。

まあ、現代日本は中世のそれよりは平和である。
本家の暴走もありえないと判断され、ストッパーも必要なくなったのである。

一応、血筋と立場的に俺がその役を担わなければならないのかもしれないが、今は無理。

だって、相手が相手ですよ?

「いや、私も一度、彼女と立ち合った事があってね。 実に、見事な腕前だった」

「……御当主様ほどでは」

「そうとも言えないよ。 私の剣は斬る剣だが、川神流の中でも、彼女のは迎え撃つ剣、撃剣だった。 単純に強さを比較できない。 あの時も、勝ち負けはなかなか着かなかったからね」

ふむ。


前を行く当主が、不意に立ち止まる。

「ご両親の件は、残念だった」

玄関近くを通ったせいか、少し冷たい風が頬を撫でる。

「いえ、もうだいぶ前の話ですし」

そう。 もう過ぎてしまった話。
そして、アレはまさしく、来るべくして来た天災だった。

「すまない、嫌なことを思い出させてしまったね。 明日からも由紀江のことを、よろしく頼むよ」

そういって、彼は自室に入っていった。




俺も、寝るか。
























黛邸、玄関前。

日が経つのは早いもので。

もう、ここを発たなければならない。

いやあ、充実。
本当に久方ぶりに、正月というものを堪能した気がする。

七年ぶりの紅白歌合戦。
解るのがサブちゃんとか和田アキ子ぐらいしかいない自分に、少し笑えた。

何より嬉しいのは、由紀江さんがビーズに熱心に取り組んでくれた事。
色々、ネットからレシピ調べて夜な夜な作ってるそうで。
夜更かしを少し窘められていたけど。

あと、ちょっとだけど可愛い笑顔が見えた。俺にはそれで十分。



「直斗君」

「はッ」

黛十一段にも、いつかきっと、御恩を返さなくては。

「君は、きっと強くなれる」

「……ありがとうございます」

一礼する。

彼の言った言葉は、誰にでも言えることだろう。
でも、彼の言葉ほど、勇気をもらえるものは、世の中にはそこまで溢れてない。

ここに来て二週間、みっちり、技術を体に叩き込んだ。
足捌きとかは、様になったかもしれない。
でも、これで完成ではない。まだ、上がある。

スピードとセンスは、生まれついての限界がある。
体質だったり、才能だったり、限定要因が必ず、ある。
でも、テクニック、技術はなんとか磨ける。
どこまでも、時間をかければ。


「や、矢車さんっ」

慌て気味に、中から由紀江さんが出てきた。

「あの、色々とお世話になりまして…えと、その」

言うことがまとまらないようだった。

「いいえ、お世話になったのは、こちらの方です」

苦笑する。
この子は可愛いね。ホントに。

「また、お会いしましょう。 …川神で」

笑みを返す。

「は……、っはいぃ」

まだ、笑顔は難しいようだった。

「また、いつか来なさい。君ならもう一人の娘の方、沙也佳も、気に入りそうだ」

目を細め、当主はそう言ってくれた。

「ええ、いつか必ず」




さて、

「では」

一礼して、来た道を戻る。

訪れたときとは打って変わり、のどかな日差しが暖かに、白雪に降り注いでいた。







[25343] 第八話:登校
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:05


『嫉妬は常に恋と共に生まれる。 しかし必ずしも恋と共には滅びない。』

―――ラ・ロシュフーコー





















2009年4月20日(月)



ついに、この日が来てしまった。
いつもより十分ほど、早く目覚める。

早々に溜め息を吐く。
少し、いや、だいぶ緊張。手にも汗。
それを振り切るように、布団を剥ぎ、道着を巻きつけるように着て、部屋を出る

やる事は、やらないと。










座禅。
ただ、ひたすらに。
今日のテーマは、対、剣士。
頭の中で、自由自在に、まるで意志を持っているかのように、剣は踊る。

黛の剣を見てから、自らの剣技に対するイメージが変わった。良い傾向ではあるのだろうが。

俺の戦いを、俺は横から眺めていた。
ただ、それを、見ていた。
最後に、己が断ち切られる様まで。




「直斗や」

朝食の最中、話しかけられる。横には、老翁が立っていた

噛んでいた嫌に歯ごたえのあるワカメを急いで飲み込む。
水戻しが、甘ぇよ。

「これは、おはようございます」

「うむ、おはよう」

穏やかに、総代は言葉を続ける。

「今日からじゃな」

「……ええ」

なんでもない風に、答える。

「学校で、待っておるぞ」

そう言うと、さっさと食堂から去っていった。
あれでも、一応理事長なのだ。初日は何かと忙しかろう。


味のしない朝食を食べ終える。
いや、味はあるが、感じ取れない。
なんだ、この胸にしこりがある感じ。

「さて」

気分を変えるためにも、着替えるか。 初めての学生服。
上着、基本色が白って、どうか思うが。

特攻服みたいだ。

部屋に戻る。
試着以来、着ていなかった。

少し、窮屈。 Yシャツとか久しぶりで。

馴染みの道着のほうが、当然ながら楽だ。
さりとて、一子のように体育着で登校する気も起きないが。


ここで、近況を報告する。
四月の下旬にさしかかり、俺はやっと川神学園に通う事に相成った。
本来ならば、三週間前から、通えるはずだったのだが、なにやらゴタゴタが直前になってあったらしい。
総代もルー師範代も、俺には何も言わなかったが、多分俺の出自が、入学前になってPTAのお偉方の癇に障ったのだろう。
よって、新学級のオリエンテーションへの参加は出来なかった。 残念。
結局、元の木阿弥で目立つことになったのだ。
それでも、編入を許可されたのは一重に彼らの尽力があってこそ。

ま、もう一人、何日かして転校生が来るって言う話もある。 さほど気にする事もないか。


門下生共用の洗面所で、身だしなみチェック。
他の門下生から、冷やかし半分、激励半分に声を掛けられた。
軽く、受け流す。というか無視。



「…真っ白だな」

聞き捨てならん言葉が、背後から聞こえたぞぉい?


出来る限り自然な感じで、振り返る。
歯を磨いていたため、脇を空けたまま回転。

極限まで遠心力を高め、


エルボッ!






音はアレだが地味に痛かったようで。
ま、そうなるようにしたんだが。

胸中央を押さえ、苦笑いする兄弟子の一人。

「すまんすまん、あの人から呼んでこいって」

あん?
顎でしゃくられた方向を見る。


……麗しの彼女が、ニヤニヤしていた。



















<手には鈍ら-Namakura- 第八話:登校>


















川神院を出る。

大まかな道筋は解っていた。
多馬川の河原まで歩き、川に沿って多馬大橋、通称、変態の橋なるものを渡る。
向こう側の岸辺に、川神学園は存在する。

さっさと行くつもりだった。
本当に目立ちたくなかったから。

…ここ、嫌いだし。

でも、予定は未定とはよく言ったもので。



「あぁ~ん、モモ先輩ぃぃ、おはようございますぅ」

あと、何回この台詞を聞けばよいのか。
もう、隣は十人単位の集団になっていた。

人の目が増えればその分注目が集まるわけで。
7,8人ほどの視線がこちらに集まる。

それに気づいたのか、取り巻きのうなじを触るのを止め、元凶はこちらに近づく。

うわ。 女の子の匂い。

「おー、そうそう。こいつ今日から二年に編入することになった、矢車。 仲良くしてやってくれ。」

そして、脈絡もなく髪をグシャっと掴まれる。
一応、俺の方が年上なのだが…。

俺は、ども。と愛想笑い。



いきなり転入する俺に、彼女なりに気を使ってくれたのだろう。
こうして、今日一緒に登校するのもその一環。

大きなお世話ではあるのだが、気持ちには感謝。



うん、だからそろそろ離して?

うなじ触られてた子、めっちゃ睨んでるから。









そんなこんなで河原まで歩いてきた。
青草の匂い。

ここからは、橋まで川に沿って歩く。




さて、問題だ。

あなたは花の、女子高生。

行く手に10人位くらいの男たちが、熱烈な視線をあなたにぶつけ、立ちふさがっている。
滅茶苦茶イケメンなら、これから花より男子以上のハーレムが待ち受けているかもしれないが、そんなことは無い。
どの顔も、イケメンってほどイケてなく、ブサメンってほど目も当てられない訳じゃない。
ただ、浮かべる表情は、一貫して同じよう。

ニタニタ、ヘラヘラ、グヘヘのへ。

そんな奴らが話しかけてくるのだ。
あなたは、真っ先に踵を返すはずだ。
手に、鉄パイプやら角材やら、先端に直径二センチの鉄球のついたラバーグリップの本格特殊警棒を持った輩なら尚更。


だけど、こんなものを意にも返さず、我が道を行くのが百代クオリティ。

う~ん、マンダム。

















あっという間に、ギャラリーが出来上がる。


ため息を一つ。

「また、ですか?」

次期川神当主に問う。

「いや~、あっちから毎回来るんだ。 無下にも出来ないだろう?」

だったらなんで、嬉しそうなんだ。

「勘弁してください。 後片付け、誰がやってると思ってるんですか?」

「感謝しているぞ~。 毎回、夢の中で切に」

悪びれもせず、答える。

「相手にしないって選択肢も、あるのでは?」

「ま、そうなんだが、たまに美少女を人質に取ったりするのもいてな」

なにより、朝のウォーミングアップに丁度いい。
そう、嘯きやがった。

ったく、門下生総出で介抱した時もあったんだぞ?

「だって、あいつら問答無用だぞ? 試してみればいい」

そうする事にする。

世の中、平和が一番。
人類皆兄弟じゃないか。

僕らは、解り合う事が出来る。
教えてあげよう。世界は、こんなにも、単純だって事を。

GN粒子最大散布。



「あの、少しよろしいですか?」

あくまで低姿勢で、話しかける。

「あん?」

リーダー格っぽい、大柄が答える。

「やめておいた方が、身のためかと」

「はああ?俺達に言ってんの?」

不必要なほど、大きな声。

「はい。というか彼女、ご存知で?」

「解ってんよ、川神百代だべ? 地元の千葉まで噂になってる」

「それは、他県から、しかも朝からご苦労様です」

これを皮切りに、ほかの不良少年たちはいっせいに喋りだす。

「クチャクチャ、だから挨拶に来たわけだ」

ほう。それは殊勝な。
挨拶って、アイサツ、なんだろうけど。

「う、噂ってのは大抵、尾ひれがついてっからさ」

事実は小説よりも奇なりって、知ってる?

「七浜のチーム、<九尾の犬>を一人で潰したとかさ~、生意気なガキの頭をスラムダンクしたとかさ~、いちいち嘘くさいんだよ!?」

ま、そう思うよね?

「クス…女だからって、手ぇ出さないと思うなよ?」

セクシーボイス。 ホストになれば稼げると思うぜ?

「俺たちは<原点回帰>の<本格派>だからよ。 誰だろうと速攻ブチのめす!!」

いや、だから平和にいこうよ。

「お前は通学路で多くの生徒が見ている中、は、敗北していくのだあ」


はあ……。






後ろの自称美少女の小声が耳に入る。

「……テトリス」


……ヤバイっす。 とてもヤバイっす。
そろそろスイッチ入るみたいだ。

端の不良のケータイストラップを見て言ったのだろう。


半年前の奴らは、ぷよぷよにされてたのを思い出す。
あれは、グロい。
骨戻すの、大変だった。




俺はライザーシステムを起動、トランザムバーストをかける。


「マジでやめといたほうがいい」


俺の真摯な視線に気づいたのだろう。
リーダー格の顔が、俺を向く。

そうさ、僕らは、解りあえる。




「黙れよシラガアタマ」

……ガキの言うことだ。 俺は自制。

また、言葉を重ねようとすると、後ろの不良が喚く。



「つーか、上半身真っ白とか、マジ受けるんですけど~」

「ギャハハ、頭のフケが、体中に付きまくってんじゃねえの?」

「うへ、きったねぇぇ」





俺は、振り返る。




「どした?二、三人回すか?」

彼女はコロコロと笑いながら言う。

「いえ、」

俺は、平和が好きなんだ。


















「五人、ください」

だけど、真のイノベイターにはなれそうにない。
















千葉南部をテリトリーに持つストリートギャング、レイヴンキングのリーダー、烏間は、業を煮やした。
なんだ、あの落ち着きようは?

ムカツク。ムカツク。ムカツク。
ギャラリーだって楽しげに喚いてやがる。

クソ。クソ。クソ。
どいつももこいつも馬鹿にしくさりやがって。

一旗、挙げてやる。


「てめぇら、何言ってやがる!? クソッ、全員でヤっちまえ!!!」


「「「「「「「「「っしゃああああ!!!!」」」」」」」」」

勝てる。
そう、思った

安くない金も払って、助っ人も呼んだ。
一人は狂い猫の木更津。 千葉の奴なら誰でも知ってる酷いヤツ。 巻いてるマフラーは昔の愛猫を殺して皮を剥いで作ったもんだ。 残虐性は、折り紙つき。
もう一人は鉄頭、津田沼。 チタンを埋め込んだその頭で、コンクリをも粉々にした逸話を持つ。

これで勝てなきゃおかしいだろ?

覚悟しろよ川神百代、後十分で血祭りにして引きずり回してその上でゆっくり楽しまs……



彼の思考は、そこで途切れた。
体も弛緩し、崩れ落ちる。

前にいた白髪の男に、こめかみを拳指で撃ち抜かれて。











対、複数人は初めて。
実際不利に見えるかもしれないが、ある程度武術を修めると、そうでもない。
相手を盾に、或いは目くらましにできるし。

「いねやぁッ!!」

よくわからない叫びとともに、五人目が角材を足元に繰り出してくる。
もう、他は地に伏した。

もともとの馬力も違う。 九割方コンビニ飯でできてる野郎共に、負ける道理は無い。

それでも当たれば痛いから、角材を回避するため上に跳ぶ。

といっても百代のように何メートルも飛べるはずもなく。

重力に従い、すぐ地面に着地。

と同時に地を蹴り、相手に肉薄。





人間の神経ってのは面白い。
こめかみをちょっと強く突くだけで、肉体に信号を送る回路が切れるのだから。

「これで、おしマイ、ケル」

そう囁き、五発目の右フックを撃ち抜き、俺は戦いを終える。

ノルマ、達成。

















「やるな、流石鍛錬マニア」

「量で言えば、一子さんにはかないませんよ」

少しかいた汗をぬぐい答える。
百代は俺が二人倒した頃には、もう例の取り巻きと観戦していた。
その足元には綺麗に折りたたまれた男共。

拍手が起こる。誰ともなく。歓声も聴けた。
先ほど聴いた百代さんへのソレとは、かなり聞き劣りするけど。

―――目立つつもり、なかったんだけどな。

肩を回す。各部、作動確認。
こんなんで怪我したら目も当てられない。

あと川神に連絡しないと。
百代さんは放っておけと言うだろうが。
女子一人を何人も動員して囲む外道とはいえ、相手が悪すぎる。良い薬にもなったろう。


兄弟子達には申し訳ないが、アフターケアに精を出してもらうか。

そう思い、携帯をポケットから取り出した、その時。













「ねえさんッ!!」










いつか聴いた、声がした。

忘れられる、はずもなく。




「おお、我が愛しの舎弟ぇぇ!!」

彼女はそう言って、優男の元へ。
抱きつく。 熱烈な、ハグ。

周りには、あの面子が、ちらほらと。



……さて、注目される前に行こう。 一応、手続きあるし。

それに、あんまり見てて気分がいいもんじゃない。
醜いねぇ、俺って。

そうさ、嫉妬だよ。



携帯をしまう。
俺は鞄を持ち、学園へ走り出した。

院には、学園に着いたら連絡しよう。













橋を渡る途中、俺と似たような髪の色を、見た気がした。






[25343] 第九話:寄合
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:11

『誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない。』

―――ヴィルヘルム・ベッファー





















4月20日月曜日、朝のホームルーム前。
二年F組教室の、窓際の後ろから数えて二番目の、目立たず暖かな日差しの当たる絶好の席で、直江大和は顎に指をかけて思考していた。



「大和が朝から物思いに耽ってる。 そんなに私の勝負下着が気になる?」

隣席の蒼髪が話しかける。 手にはドエフスキー、罪と罰。

「いや」

即座に否定しないと。 手がスカートにかかっている。

「ククク、ワカル。 きっと想像の中で、私は既に一糸纏わぬ姿」

幼馴染は両頬に手を当てて赤面。

「ん、五万糸くらいでグルグル巻き」

その言葉にすら恍惚の表情で続ける。

「……まさかの縛縄プレイ? そんな、初めてはオーソドックスに正常ぃ」

「その、何処までも俺とのエロ絡みにもってこうとする姿に脱帽する」

「惚れた? じゃ付き合おう」

「末永く、お友達で」



変態はほっといて、振り返って机に突っ伏している健康的不良を見る。
昨日は、ストーカーの張り込み依頼だったらしい。 同年代として、養父の家業を手伝う彼には頭が下がる。

「ゲンさん」

「……あん? なんだよ、俺ぁ昨日徹夜で眠いんだ」

そんなことを言いつつ、顔を上げて速攻で答えてくれるあたり、かなりいい人である。

「いや、なんか今日ウチに転校生来るって話、聞いた?」

「……いや」

「やっぱゲンさんも聞いてなかったか」

「それ、朝、モモ先輩が言ってた?」

脳内トリップから戻ってきた京も会話に参加してきた。

「うん。川神院から来るって言う。 どんな奴かなーって」

「大和がその手の細かい情報を前日に掴まないなんて、珍しいね」

「姉さんもワン子も、今日まで何も言わなかったし。 なんかPTAの上のほうでその話し合いがあったらしいことは知ってたんだけど」

色々なコネで。 というか姉さんもワン子も、今朝までは知らなかったようなのだが。

「メンドクセぇ奴じゃなきゃ俺はいい」

それだけ言うと、また突っ伏す。
まあきっと、耳はこちらに向いているのだろうが。

「やっぱり姉さんとかワン子以外でも、川神院関係の交友持ちたいし」

人脈はいくらあっても十分ということは無い。

「今朝モモ先輩と一緒に河原で立会いしてた人だよね。 遠目で、私でもあんまり顔見えなかったし、いつの間にやら先に行っちゃったていう」

「それなんか姉さんも残念がってた。 俺たちに紹介したかったって」

姉曰く、成長加減が半端無いらしい。珍しく有望株とも。
姉さんがああ言うくらいだから、なかなかの武芸者なんだろう。

「ワン子に聞いてみれば?」

前で机に黙々と向かっている妹分をみる。

「宿題写す時間を奪うほど、厳しい父ではない」

「ねえあなた、私、今夜の枕はyesだから」

「もう、俺たち終わりにしよう」















<手には鈍ら-Namakura- 第九話:寄合>














コツコツと、ペタペタと、廊下に二人分の足音が響く。
先を行くのは二年F組担任、小島梅子。 続くは俺。 もう二、三十秒でホームルームが始まる。
話した感じ、厳しそうな先生ではあったが面倒見も良さそうで。
腰に、全長二メートルの鞭が無ければ、もっとマトモに彼女を見れるのだが。


職員室は、なんかもう、バラエティに富んでいて。
顔に白粉を塗りたくっていた、男性教師の姿が印象的で。 あと俺の前を行く人をしつこく口説く、ロン毛とか。
ほぼ皆、総代がスカウトしてきたそうだから、川神の教師陣は、なにかしら教育に必要な素質を人並み以上に持っている事に想像はつくのだが。

それにしても、なんかこう、変、じゃね?



「今日からここが、お前のクラスだ」

扉が閉ざされている教室の前に着く。

「は」

「少し、待っていてくれ。 出席を取ってから皆に紹介しよう。 先に騒がれると面倒だしな」

「……わかりました」

やはり緊張。 学校に通うのが七年ぶりって事もあるけど、風間ファミリーとやらと直接まみえるのは、恐らくこれが初めてで。

「そう、構えることもない。 住めば都というか、うちのクラスは他と比べ少々問題があったりするが、妙に器の大きいところもある。 心配するな」

俺の顔の強張りに気づいたのであろう。 小島先生の言が耳朶を打つ。
頷いてから一歩引いて、廊下で待つことにした。





小島女史が教室に入って約二分後。

「ぬぉおおおお!!!」

ーーーダダダダダダダダダダダダダダダッ

廊下の向こう側から、必死の形相で生徒が駆けてくる。 首のカメラが鯉幟のように揺れていた。
なかなか個性的な顔立ち。 まあ言ってみれば、サル。
恐らくF組だろう。 見るからに問題児。

彼は一瞬こちらに怪訝そうな表情を見せるが、それは本当に一瞬のことで。
すぐさま、教室に入っていった。


数秒の後に聴こえた、鞭の出す破裂音は無視。





そして。

「入って、いいぞ」

引き戸が開けられ、促される。
ようやく、教室に足を踏み入れる。何十もの視線が、俺に注がれるのがわかった。

「さて、突然だが今日からこの者がこのクラスに転入することになった。 紹介しよう」

ここでクラスは色めき立つ。 正式決定は昨日の晩だったみたいだから、驚くのも無理はない。

小島先生は黙ってチョークを手渡してきた。
意図を察し、久しく触れる機会の無かった黒板に名前を書く。

そして、第一声。

「初めまして。 本日付けでこのクラスの末席に加えさせて頂く事になりました、矢車直斗と申します。 もうご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、現在は川神院に身を寄せさせて頂いています。 以後、良しなに」

ぴたり45度の礼から顔を上げる。



やはり、なんか濃いね。 このクラス。



「何か質問がある者は、順次、手を上げるように」



さてさて、設定に、矛盾の無いよう答えないとな。













小笠原千花は、少々、唖然としていた。
転校生が今日いきなり来るというのも驚きだが、その顔に見覚えがあったからである。

「あの人、」

「どったのチカリン、知り合い系?」

もともとの浅黒い肌を、更にサロンで焼いた隣席の羽黒黒子が話しかける。あだ名は山姥。

「ああ、多分ウチの常連さん。 毎日夕方くらいに飴とか色々買ってってくれる。 羽黒も何回か見たことあんじゃない?」

「あ、そういえばアタイも見覚えあるかも系~。 あの白い頭は確かに去年あたり見たかも系~」

「………へぇ、制服着たら結構、」

「え、マジ? 何々チカリン、もうメロメロ系? マジでイっちゃう系?」

「そんな、そこまで節操無しじゃないよ、アタシ。 顔がまあまあなのは認めるけど」

そう毎日顔を合わせている訳でもないし、客と店員の関係から、なかなかまじまじと拝む機会が無かった。
いつも帰り際のお礼が結構丁寧だから、少し余分にサービスをつけることもある。 真面目そうで、印象としては顔の良いルー先生と言ったところだろうか。


















俺が簡単な質問にいくつか答えた後、そのまま淡々と先生は連絡事項を伝える。

「では、これにてHRを終了する。 皆、仲良くするように。 それから、福本ッ!!」

ビクッとさっきのサル顔が身を竦ませる。
心なし、顔に蚯蚓腫れがある様子。 原因は言わずもがなである。

「は、はいぃ、何でしょうか」

「お前は遅刻した罰として、矢車の机を用務員室から持ってくるように。 ああ、それと源」

「はい」

後ろの隅に座っていた、目つきの悪いイケメンが、スクっと立ち上がる。

「お前の右隣が矢車の席になる。 世話をしてやってくれ」

「わかりました」

そう言って、彼女は出て行った。

福本という男はげんなりしつつ。

「勘弁しろよ、あそこ一階の奥だろぉ」

ちなみにここは三階に位置している。

「あの、」

「ん?」

「机は俺が運びますから、用務員室までの案内、お願いできますか?」

流石にこれから自分が世話になる席を、他人に運ばせるのには気が引ける。
それに、どんな事が軋轢になるかわからないし。

「お、マジで?」

「はい。 それと、できればお名前を教えて頂けると」

気を良くしたのか、彼は胸を張って答える。

「福本育郎。 みんなからはヨンパチって呼ばれてる、永遠の思春期に生きる男だ。 下半身関係で困ったら俺の所に来い」


……なるほど、エロガキか。




なぜヨンパチかは聞かなかった。

何となく、想像はついたから。










「これからよろしくお願いします、源さん」

一時限目の数Ⅱが終わり、改めて俺は言う。

「……ああ」

彼は俺に一瞬目を向けると、直ぐに頬杖をついて窓の外を眺め始めた。
無愛想だが、元からそういう気質なのだろう。
でも、さっき机を運び込むときは手伝ってくれたし、いい人なのかもしれない。

「直斗くんっ」

「これは、どうも。 一子さん」

「朝、走りに行く前に聞いて、ビックリしたわよ!? いきなり転入だもん」

ズビシっと指を指される。 それ怖いからやめてくれ。

「いや、まあ俺も学生生活に憧れてたりもしていたもので、鉄心様に無理を通していただきました」

この人の制服姿は、俺にとって珍しい。 登下校はいつも体育着だし。

「聞いた話じゃ今日は、お姉さまと一緒に登校してたんじゃなかったの? 私が合流したとき、いなかったみたいだったけど」

「いえ、途中まではそうでしたが、手続きがあったのを思い出したもので」

「そう…。 ま、いいけど。 ね、ね、友達、紹介するからさ」

と言って袖を引っ張ってくる。

「あ、タッちゃん、直斗くん借りていい?」

「……好きにしろ、別に大したこと話してねぇ」

照れ隠しか、頭を掻いている。

それにしても、タッちゃんか。付き合い長ぇのかな。









彼女に連れられて、俺は風間ファミリーと対面。

「俺様は島津岳人、このクラス一番のナイスガイだ」

何故かマッスルポージング。よほど自分の肉体美に自信があるのだろう。
立派であることに否定はしないが。ムサい。

「僕は師岡卓也、みんなからはモロって呼ばれてる」

こっちは前述の彼とは真逆の人物のようで。穏やかそうだが、失礼ながらひ弱な印象を受ける。
でも、こういう人間も友達に居てもいいのかもしれない。


「……椎名京。 大和の嫁」

本から目を離さず唐突に言を発してきた。
美少女の部類に楽々入るであろう外見とは裏腹に、あまり他人との接触を善しとしないようだった。


そして、

「直江大和、よろしく。 ちなみに彼女とはお友達」

苦笑し手を差し伸べてきた。


「……こちらこそ、よろしくお願いします」

その手をとり、握手。別に何も抵抗があるわけでも無い。

ただ、彼ほどに手を握り返すことは出来なかった。

それだけである。




「このメンバーに、お姉さまとキャップ入れて、いつも私たち遊んでるの」

「ええ、聞き及んでいます。 風間ファミリー、というらしいですね。 小さい頃から変わらずに集まって遊べるなんて、素敵だと思います」

「俺様のナイスガイな気配りのお陰だな」

「それ違うでしょ、ガクトは寧ろ気配りされるほうじゃん!? ていうかナイスガイな気配りって何だよ!?」

オーケイ、この二人の役割は解った気がする。

「えと、では風間さんは?」

朝から、風間の席と思われる場所は空いたままであった。
病欠か何かだろうか?

「ああ、キャップは自由人だから」

直江は答える。

「は?」

理解が、追いつかなかった。

「まあ要は旅好きって事」

「バイト先とかで興味持ったものとか、学校サボってよくチェックしにいくんだよ。 この前は静岡でお茶摘みに行ってたし」

師岡が補足。

「ああ、それは、フットワークが軽い方なんですね」

そういうのも、リーダーの資質の一つなのだろうか。

「俺様に言わせれば、地に足がついてないんだよ、キャップは」

フフン、と鼻先で筋肉男は笑う。

「ガクト、賢そうなこと言ったぜ俺様、とか思ってそうだけど全然そんな事無いから。 フツーのレベルだから」

なかなか鋭い言葉がショートカットヘアから飛ばされる。

「ハハ、俺様の知的な発言に対する嫉妬だな」

意に介した様子もなく。



うん。 そか、見た目通りなんだな





「ねぇ、そういえば思ったんだけど」

師岡が俺に話しかける。

「はい?」

「何で敬語なの? 別に年下ってわけじゃないだろうし、タメでいいよ」

「そうそう、それ俺様も言おうとした。 そんな硬くなんなくてもいいぜ?」

言われるとは思っていた。

「いや、なんていうか、これは俺のクセでしてなかなか治せないんですよ。 別に緊張とか遠慮しているわけではなく」

「去年からアタシもずーっと言ってるんだけどね。 絶対喋んないのよ、タメ語」

少し不満げに、ポニーテールは言う。

「へぇ、結構育ちが良かったり?」

何気なく大和は問うてきた。

「ええ、まあ」




本当に、御陰様でな。












こんな感じで俺の学園生活の初日は過ぎていったわけ。




彼らは自分たちが誰一人欠けずに同じクラスになった事を、幸運な偶然としか思っていないのだろう。

そしてクラスで俺だけが、その必然を知っていた。







[25343] 第十話:懲悪
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:13

『青春の夢に忠実であれ。』

―――フリードリヒ・フォン・シラー




















4月24日、川神学園、校庭




なんで、こうなったのだろう?

目立つの本当に嫌だって言ってんだろ?
………いや、言ってはいないのか。



とりあえずそれは置いといて。


「では、よろしく、矢車直斗」

前には笑顔の金髪の美少女。 こんな状況じゃなかったらなかなかいい気分になったのだろうが。




「これより川神学園伝統、決闘の儀を執り行う!」

総代、もとい学園長の激に、ただでさえ騒がしいギャラリーが一気に加熱。

「二人とも、前へ出て名乗りを上げるが良い!」

……了解。


「今日より二年F組、クリスティアーネ・フリードリヒッ!!」


先に眼前の彼女が、凛々しく声を張り上げた。
現代日本を少し勘違いしている節がある彼女は、真っ直ぐに俺を見る。

ったく、こんなん、応えるしかないじゃないか。

覚悟を決める。



「同じく二年F組、矢車直斗!」


わああああああああ!!!


と、こんな歓声が。
うん。なんかホント高校生っぽいノリ。
嫌いじゃないけど。


「ワシが立会いのもと、決闘を許可する。 勝負がつくまでは、何があっても止めぬ。 が、勝負がついたにも拘らず攻撃を行おうとしたら、ワシが介入させてもらう。 良いな?」

「承った」

律儀に彼女は答える。

俺は、頷くのみ。


「ではいざ尋常に」




腰に挿した模擬刀を抜く。
一度、黛家で手にした真剣よりかは幾分軽いが、馴染みの木刀よりどっしりとした重量感。
得意の上段で、俺は合図を待つ。

相手も同じく腰の獲物を抜く。
刀より一層、細身のレイピア。その切先は俺の足元へ。
その立ち振る舞いは実に、流麗、その一語に尽きる。
幼少期より習っているようだが、嗜むというレベルでない事は一目瞭然。

女性だからと手加減は出来そうに無い。
というか、彼女の気質からして、それは冒涜に値するだろう。
先ほどの自己紹介から、何となくだが、彼女は誰に対しても対等でいようとする嫌いがある気がする。

つまり、シンプルに真っ向勝負。


自然に微笑が漏れる。
なんだかんだ言って、人と武を競うことに抵抗はない。寧ろ好きである。

彼女も幾ばくか好戦的な笑みを返してくれた。

根は、なかなか気持ちのいい好人物のようで。




「始めいぃッ!!!!!」


俺達は、青春の獣。










<手には鈍ら-Namakura- 第十話:懲悪>












俺が編入してから、幾日か過ぎた。
やはりこの学校、なかなかユニークな名の行事が沢山ある様子。

たとえば編入の翌々日に行われた人間力測定、まあ言うなれば身体測定とスポーツテストなのだが。
胸囲まで測るとか。何に使うんだろ?

あと、目立つのは決闘システム。
なかなか不穏な響きのする言葉だが、揉めた時に白黒ハッキリつけようぜっていうコンセプトで行われるらしい。
意思表示にワッペンを互いに放り投げるとか、漫画みたいなセンスがいい。さすが総代。
ま、仕合とかは職員会議に一度かけられてから行うようで、この辺は流石にしっかりしていた。

そういうのを「そ、そんなんじゃないんだから、勘違いしないでよねっ」的なニュアンスの言葉を末尾に常に含ませながら、源は俺に細かく説明してくれた。
ーーーもうツンデレタッちゃん自重だわ。マジウケる。
だってもう何かしら説明してやろうと十分ごとにチラ見してくるんだもの。
ありがたく聞かせて頂いてますけど。



ああ、あとキャップこと風間翔一とも顔を合わせる事が出来た。
イケメン。
うん。羨ましいくらい。頭のバンダナも様になっている。
同じイケメンでもタッちゃんとはタイプが違って、性格はこう、一子をもっと純粋にしたような。
でも意外にギャンブルは好きなようで。
こういう手合いってのは、女の子はほっとかないのだろう。飴屋の小笠原さんとか、超狙ってるっぽい。
玉に瑕なのは、恋愛に疎いっていうか、興味が無い事なのだろうか。

知り合って日が浅い。
でも、一つだけ確信を持てたのは、彼がいなければ、ここまでファミリーは長続きしなかっただろうということ。
いわゆる、カリスマ性が、彼の中にはあった。

予想は、だいぶ前からしていたけれど。その通りで。









「クリスティアーネだ。 改めてよろしく」

二年F組に二人目の転入生が加わったのは、俺が編入してまだ一週間も経たない頃。
やはり凛とした佇まい。クラスの男子はこぞって見惚れている。
すごい。俺のときとは反応が雲泥以上の差で、筋肉とサルがフィーバーしていた。

ドイツ、リューベックから来た彼女は日本語も達者で、その辺のガングロよりよっぽど大和撫子。

彼氏はいない。という父親の弁。
いくら心配とはいえ、学校に押しかけるその姿に一歩引かざるを得ないのは俺だけではないはず。

ちなみに彼とは昔、会った事があるのだが、覚えてなさそうだった。
こっちとしては、あの濃い顔と眼光は、なかなか忘れられないものなのだが。
あの時はまだ髪黒かったし、サシで話した訳でもない。
少し、焦ったが一安心。

だが問題は、彼が帰った後のこと。



「はーい質問ー! 何か武道をやっているのかしら?」

いつもより少しトーンの高い、一子の声。

「フェンシングを小さい頃よりずっと」

クリスティアーネ、もといクリスは澱みなく答える。

「YES! 梅先生、提案!」

む?

「転入生を、歓迎、したいと思います!!」

ニヤニヤしていた。何処の剛田だお前は。
大方、決闘システムで遊びたいのだろう。

騒然としたクラスからは感嘆の声、それと「またか」という声が上がる。
源から聞いた話では、一子はよくこうやって決闘を吹っかけるらしい。学年問わず。勝率は控えめで、五割程。

「ふふっ、相変わらず血気盛んだな川神。だがそれは面白い」

お、小島女史も結構乗り気だ。
まあ、歓迎のレクリエーションとして、うってつけでもあるし。

「クリス、そこのポニーテールがお前の腕前を見たいそうだ」

不思議そうな顔で、クリスは一子に顔を向けるが、すぐに得心がいったという顔で。

「―――なるほど、新入りの歓迎、か」



かくして、一子の提案で、彼女らは互いの校章を重ねることになった。
どちらもノリノリである。

ふむ、体格差から言って、若干不利なのは一子だろうが、獲物は逆にクリスの方がリーチは短い。
両者とも実力が拮抗しているなら、面白い勝負が見られそうだった。
同門の縁で、一子を応援する事に変わりはないが。

そんなことをぼけー、っと考えていると。



「……むう。 一子や、ちょっと待て」

突然、教室の扉が開いて、川神鉄心がHRに割り込んでくる。

「が、学長!?」

「すまんな、少し様子を見に来ただけだったんじゃが」

小島先生にそう断ってから、総代は一子に向かって言う。

「一子。 お主、入学してからどれくらい決闘を職員室に申請したか、覚えておるかの?」

いきなり、入ってきた祖父に幾ばくか驚いた様子だったが、

「え、うーん。 そんないちいち数えてないわ、おじいちゃん?」

少し考えた後、あっけらかんと一子は答える。

「……今回はお主、自重せい」

「ええー? なんでよぉ」

「決闘システムはお主の為だけに在る訳ではないのじゃ。 毎回決まった者ではなく、もっと多くの者にも経験させたいとワシは思うとる。 わかるかの? 一子や」

「……ぅうう」

なにやら不服そうだが、総代の言葉に理があることは感じたのだろう。文句を言うことはなかった。

「じゃが、これで何も無しじゃとクリスも、クラスの者もつまらんじゃろうからなぁ?」

総代はこちらに顔を向ける。

「学長特権&総代命令じゃ」

後者で、代替案に想像がついた。回避には遅すぎたが。

「直斗、お主が相手せい」

おお? っとクラスが少し沸く。

「ふむ、なかなかいい案ですね。転校生対転校生、私も興味が沸きます。 学園全体も盛り上がるのでは?」

と、小島女史。

「うむ、我ながらベター且つベストじゃと思うが、如何かの、直斗?」

おそらく、百代さんと同じく俺がクラスに馴染めるよう配慮しているのだろう。 俺の目的を知っていて、尚。

元より俺が逆らわないことを見越しているくせに、疑問符浮かべるとか。

お人が悪い。



「……わかりました。」

―――しゃあねぇわな。

立ち上がってクリスに向かい合う。

「謹んで、お相手、仕りましょう」

展開の速さに、戸惑っていたが、

「こちらこそ、よろしく」と、受け入れてくれた。

ここで、教室が一気に騒がしくなる。風間なんかは賭けの胴元をし始めやがった。

「武具はこの教室にあるレプリカを使え」

担任はさらりと言う。

ほんと、おっかない学校だよねここ。






日本刀を使う事に決めてはいたが、結構長さに違いがある。野太刀から脇差まで。
持ち替えつつ吟味していると、

「ほう、もしかして、あなたはSAMURAIなのか?」

多少の感嘆の息とともに、彼女は問うてきた。

いいね、そのサァムルァイって響き。

「はは、髷はありませんがね」

軽くいなす。

「つまりは浪人か?」

ん、うーん。まあこのクラスの奴らより歳は二つ三つほど上だからな。あいあむ高校浪人。

「ええ、ま、似たようなもんです」

「おお、それは素晴らしい!! まさか日本に来て早々、大和丸のように悪漢浪人を相手に出来るとは」

おい、二文字ほど、なんか余計なのついてね?

「………俺そんな、悪そうに見えますか?」

「ああいや、すまない、つい興奮してしまって」

すぐに謝ってくれたが、目を爛々と輝かせていた。


これが終わって機会があれば、正しい日本文化をレクチャーし直してあげよ。
色々面倒だが。

「いえ、お手柔らかに、お願いします」

「うむ、見事に成敗、してやるぞ」

グッとレイピアを向けてきた。







……少し、やる気でてきたかも。







[25343] 第十一話:決闘
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/18 02:13
『戦いは最後の五分間にある。』

―――ナポレオン










学長が、号をかける。
刹那、両者は駆け、交差し、互いの獲物を互いの獲物で受け流す。
俺はまあ当然として、レイピアで太刀を受け流すとか。やはり尋常で無い技量。
器用さ、センスは一子より上と見た。


急ぎ反転し、一呼吸で距離を詰め、クリスより一瞬速く攻めの手に転じる。
後の先、これはどの武術でも基本であり、極意。

問題は、何処からを後、とするかである。

言葉を発する余裕は無い。

そんな余力は全て、振るう刀に乗せる。

袈裟懸け、からの連撃。

……どう、避ける?


















川神院の者と聞いて、並みの武芸者ではないと思ったが、やはりその予測に塵ほどの間違いは無く。
初手の刺突が、牽制の意味も成さない。

振り返れば、すぐに次の斬撃が向かってきた。
相手の男は、女性だから手加減する、等という甘い根性は持ち合わせていないようだ。

感謝する。
これで自分も、全力を出し切れるというものだ。

袈裟斬りを、左半身を逸らす事で回避。
そのままカウンターを喰らわせたかったところだが、その衝動を理性で押さえつける。
それに、相手はまだ、その隙を見せない。

続けて足元への横薙ぎ。

バックステップで距離をとる。

かぶりを振って、時代劇の殺陣のイメージを払拭する。

慎重に、彼を見極める必要があった。













<手には鈍ら-Namakura- 第十一話:決闘>















仕合開始から二分。

彼らから十メートルは離れた場所で、風間ファミリーは賭けの胴元を兼任しつつ、観戦していた。

「おー、はじまったな弟ぉ」

後ろから姉さんが、俺の肩に手を回す。
先ほどは、*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)n゜・*:.。..。.:*、などとシャウト。
訳:上、玉、キター

人を、舶来物扱いは無いと思った。

「ッ!? ……解説、願います」

間近に来た端正な顔と、鼻腔をくすぐる香りが少々、胸の鼓動を慌てさせる。
べたべた触れ合うのは日常茶飯事だとはいえ、中学の頃からは、なかなかに気恥ずかしい気持ちが湧き上がり始めた訳で。

「そうだなー」

少し唸ってから、姉さんは語り始める。

「とりあえず、どっちも様子見。 ……カウンター狙いに徹してる、かな~?」

「え、そうなの?」

ワン子も聞き耳を立てていたのだろう。

こちらを意外そうな顔で振り返る。

俺も、そうは見えなかった。 というのは直斗が積極的に攻め続けているよう思えるから。

ワン子、お前なら多分、見極められるだろうが、と姉さんは前置きする。

「直斗は三つの連撃のみを、組み合わせている。 だから連撃の継ぎ目に補いきれない死角、隙がある」

たるそうな顔に似つかわしくない鋭利な眼は、彼らを捉えて離さない。

「剣術は、無手と違って攻撃後の隙が多い。 ……手数が半分になるからな。 それを無くそうとするのが連撃や眼力、足捌き。 だがこれにもクセがある程度は出る。 多分、金髪の方は、これを探って今は凌いでいる。 次手を予測して、その隙を突こうという魂胆だろう」

「……軍人の娘ともなれば、その傾向はあるかもね」

相槌を打つ。戦術も戦略も、実は似たり寄ったりなのかもしれない。

「直斗は、更にこれを予想しているな。 カウンターにカウンターで返すつもりだろ。 だから無理に隙を作って誘っている。 まあ無論、自分に隙がある事は判っているから本当の意味での隙ではないが……。 あいつは性格からか、本来なら、もう少し丁寧に切り結ぼうとする」

「……ねぇ、お姉様?」

「なんだ、ワン子?」

「そんなまどろっこしいことしないでも、勝てると思うんだけど」

怪訝そうに、妹は姉に問う。

「……そうだな。 もう、お前には八割方勝てるし…」

「あうぅ、言わないでよそれ」

「力押しでも何とかなると思うんだが、なーんかあいつ、難しく考えすぎなんだよな。 力に自信がないっていうか。 ……この勝負は当然、勝てるとして」

溜息をついて、ガシガシと頭を掻く。
大きく期待しているからこそ、表情は明るくないのだろう。









先ほどの足薙ぎへの回避反応で、どうやらフェンシングのなかでも「伝統派」のほうを習っていることに当たりをつけられた。
だからといって、有利になるわけでもないが、「スポーツ」のフェンシングの有効打突部位以外を狙っても、反応速度は同じ。という事を理解するに及ぶ。


―――安易に仕掛けたら、即、やられるってわけだ。


「伝統派」は字の如く、古来からある、護身あるいは公式の決闘の手段としてのフェンシングを探求するもの。勿論、スポーツでの有効部位などは関係ない。

FIEっていう連盟が作られて、これとスポーツとしてのフェンシングが分断されたって話だ。

豆知識はともかくとして、さてさて、どうしたものか。
攻め続けて、もう三分は過ぎただろう。
なかなか隙を突いてこないとこをみると、勇ましい性格とはいえ、戦闘に関してはかなりの慎重派と見受けられる。

戦士、兵士向きの女性だ。 やはり、フランクさんの娘。



ま、こちらはこのまま待つのみなのだが。





















大体の太刀筋は読めてきた。後は見切った隙に的確な攻め手を入れるだけ。

初手と同じ袈裟懸けが、来た。

ここで必ず決めてみせる。 騎士として。
避ければ次には足薙ぎが来る。 それを避けて突きを繰り出せば終わりだ。

こころなし、間合いを詰めつつ袈裟懸けを避ける。
やはり、次手は足薙ぎ。

今度は先ほどと違い、前に踏み込み、かつ跳んで回避。

地面に向かって顔は俯いており、前傾姿勢かつ両手で刀を振りぬいた体勢は、無防備。

慣性に従い、急速に体は相手に近づく。 狙うは、頭部。



―――そのまま、上から刺し穿つッ!!




「ハァッ!!」























このとき、クリスが足薙ぎを避け切った時点で、その眼を太刀から離していなければ、勝負はまだ、わからなかった。

確かに足薙ぎを、直斗は繰り出した。

だが、それは先ほどとは異なる点が一つ。



―――振りぬいた剣を握っているのは、右腕のみ。











袈裟懸けを前に向かって彼女が避けたところで、何かしら、これまでと異なるリアクションが来るとは思っていた。

前傾姿勢のまま、顔を上げる。

俺は、宙に浮く白点を、真正面からレイピアの切先を、見た。

だんだん、だんだん、それは大きくなる。

迫り来る剣尖が、米粒大から小指大の大きさになった刹那、胸の下に隠していた左手を眼前に伸ばす。

何処から、そして何処に、突きを繰り出すのかが判れば、後はタイミングの問題。

迫り来る迅雷の刺突、正面から受け止めるは愚の骨頂。

瞬時に左手でレイピアの腹を右上方へ押し、左に首をウェービング。

若干たわんだレイピアの切先は、恨めしげに唸りをあげ、俺の右耳数センチ横を通り抜ける。

レイピアとの摩擦で手は火傷しそうだが、構ってはいられなかった。

この機は、逃さない。


―――チャキィッ!!


すかさず刃を返し、右腕の全神経、全筋肉を総動員し、切り上げる。

「しャぁあッ!!」

彼女の首元へ。


















「勝負、有りじゃの」

学長が、そう言うのが聴こえた。

「勝者、矢車直斗!!」

幾らかのどよめきの後に、歓声が響く。

クリスティアーネ・フリードリヒは、思わず閉じていた両目を開いた。
冷や汗で首筋が嫌に冷たいと思っていたが、それは首の左に当てられた刀が纏う冷気も影響しているのだろう。

「……完敗だ」

本当に悔しいが、渾身の一撃を、あのように捌かれては。
言い訳も無い。ハンデもなにもない勝負だった。

「いえ惜敗、或いは遊びでなければ、あなたの勝ちです」

刀を腰元に納めつつ、向かい合う彼からはそんな返答が返ってきた。

情けは無用と、言おうとすると。

「レイピアは基本的に突きしか攻撃手段がありません。 ですから、ああいう芸当を試そうとも思ったんです。 しかし模擬剣でなく本物であれば大抵のレイピアの側面も良く切れる。 死合であれば実力からいって、こちらが負けていました」

「……いや…しかし、肉を斬らせて骨を断つ覚悟なら、結局同じことなのでは?」

その返答に、彼は苦笑して眉を寄せた。

「そう言いたい所なんですが……、残念ながら、俺は真剣を相手にした事が無いので、恐らくは、焦りと痛みで捌き切れずに終わるかと」

未だ修行中の身、未熟であります、と結んだ。
仏門に入っているような物言い。だが不快ではない。

負けはしたが、気持ちの良い立ち合いだった。

「……相手をしてくれて感謝する。 これからよろしく頼む、矢車殿」

「はい。 ――新入りの俺がいうのも変ですが、歓迎いたします。 クリスさん」





―――父様、自分は早速、真の侍に会うことが出来ました。











互いの剣を互いの首と交差させた姿は圧巻の一言。
キャップは横で、スゲースゲーとはしゃいでいる。ガクトはその隣でパンチラパンモロと叫んでいる。

「姉さん、予想通り?」

顔だけ動かして姉に問う。

「ん、まあな」

あれくらいやってくれんと、とでも言うような顔で返してきた。

「やっぱり、川神院は伊達じゃないってことよ!」

無い胸を張って、ワン子が自分の手柄のように言う。 やはり、闘えなかったとはいえ、同門が勝ったのは素直に嬉しいみたいだ。

「……ワン子、お前は少しは焦った方がいい。 直斗もそうだが、あのカワユイ金髪もお前より一、二段上だ。 師範代を目指すなら、あれらには当たり前に勝たないとマズいぞ? ……ま、より一層鍛錬を頑張る事だ」

少し影の入った顔でそう言って、姉さんはさっさと校舎の中に戻ってしまった。

「う、も、勿論よ。 お姉様っ」

姉の背に向かって、どもりながら、妹は答える。

「ワン子……」

話しかけた。 少し姉さんの言い方がキツイ気がしたからだ。

「あはは、へーきへーき。 それに、この頃のお姉様、ちょっと調子悪いってわかってるし」

少し、困った顔。

「……やっぱり、ストレス溜まってるのか」

好敵手だった九鬼揚羽さんが、武道の第一線から退いた時から、姉さんは満足のいく戦い、仕合に恵まれていないらしい。
戦いがサガ、バトルマニアの姉さんがそれに我慢し続けられるのも時間の問題みたいだった。

「うん、なんか不完全燃焼気味な戦いが続いてる感じ。 そのぶん直斗くんに結構期待してるみたいだけど、今のレベルの仕合を見ても、あの反応じゃ、多分満足してないのかも……」

「……ルー先生とか学長が相手することはないの?」

「ルー先生、一応ここの教師だから忙しいみたい。 アタシの特訓にも付き合ってもらうことも多くて」

「じゃ学長は?」

「うーん。 おじいちゃん、この頃あんまり戦おうとしないのよね? お姉様相手に限らず」

「昔は結構、姉さんの相手してたけど」

ヤンチャをしたら半殺しだと語っていた、幼い日の姉さんが、フラッシュバック。

「そうよ? 中学入るか入らないかくらいまでは、かなりしごいてたけど、段々目をかける事も少なくなって、最近は全然。 もう最後の仕合から何年ー、ってくらいになるかも。 昔教えを乞いてた人、釈迦堂さんっていうんだけど、その人も破門にされちゃって行方知らずだし、挑みに来る他流派の人達も相手にならないし、そろそろ自分から世界を回ろうかなんて、たまに言ってるわ」

それは何回か聞いたことはあった。 ……その度に熱烈なスキンシップを迫られ、されるがままに受け入れているが。

「この頃、甘え方が尋常じゃないしなぁ」

スキンシップが激しいものになればなるほど、欲求不満度が高いことは今までの経験上、理解していた。

少し考えなければならないのかもしれない。仲間として。舎弟として。












風間ファミリーから真逆の位置で、学園内女子人気No1の男とその取り巻き二人が観戦していた。

「ひゃー、朝からなかなか激しいモンだったなぁ、若?」

その取り巻きの一人で、数十メートル先からでもその輝きは衰えないだろうスキンヘッドの男、井上準は傍らに話しかける。

「そうですね、準。 二人とも転校生ということで、とりあえず見に来ましたが、あれほどの決闘を見られるとは思いもしませんでした。 …英雄も誘えばよかった」

色黒の肌に、女受けする中性的な顔立ちの主、葵冬馬は答えた。

「しょーがねぇよ。やっこさん、川神の決闘じゃないと来ないだろ? つか、今日も遅刻だろうに……。 ま、それにしても金髪の子、あと七、八年前に会ってたらどんなに良かったか。 まったく、神も仏もねーぜ」

「相変わらずですね、準は。 というか、その髪型でその台詞はなかなか皮肉が利いてますよ」

「若だって、あの矢車っていう奴、ガン見してたじゃん」

「ええ、あれくらい鍛え上げられた体が好みですしね。 顔のルックスもなかなか」

今にも舌なめずりしそうな表情であった。

「一応、そっちの趣味は学園じゃ自重しとけよ」

「……ええ、努力します」

目を瞑りながら、尚も怪しげな微笑。

しょうがないねこの主人は。と苦笑いし、もう一人の従者に井上は顔を向ける。

「ってかユキ、お前さっきから黙ったままじゃん。 どうかしたか?」

「うーん、あの白い人さー」

その名の通り、雪のような白さの長髪を持つ彼女、榊原小雪は指を差して続ける。

「僕の生き別れの兄だったりして♪」

そしてウェイウェイと踊る。

「……おいおい。 ま、確かに髪の色は似てっけどよ」

「ユキ、彼に興味が?」

「うん!」

内心、葵は驚いた。
彼女が、自分から他人に興味を持つ事は、これまでに無かった事だったからだ。
普段なら、べっつにーなどと答える所である。

ただ、彼女の生い立ちから、兄弟姉妹がいないことは判っていた。

「ふむ」

「若?」

「いえ、楽しい新学期になりそうだと思っただけです。 戻りましょうか?」

「…あいよ」

校舎へと彼らは並んで足を運んだ。






今日も今日とて仲良し三人組は、共に同じ道を歩む。

それが、どんな道であろうとも。





件の彼との出会いが、自分たちの未来をまるっきり変えてしまう事など、露ほども知らずに。






[25343] 第十二話:勧誘
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:22

『人間関係で悩んでいる人は、他人との折り合いの悪さで悩んでいるのではありません。 自分との折り合いの悪さで悩んでいるのです。』

―――ジョセフ・マーフィー




















4月24日、金曜日の夕方。
いつものように、俺たち風間ファミリーは廃ビルの秘密基地に集合する。

「金曜集会」

何時からか、そう呼ばれ、最初は京を励まそうと集まる会だった。

家のいざこざで、京が川神から離れていた時期、彼女は毎週金曜日に遥々静岡から、遊びに来ていた。

母親の男癖が災いし、両親が離婚。 父が元妻の記憶を消し去りたいと、弓の椎名家先祖代々住んできた川神を去ろうとしたのは無理からぬ事で。

しかし父のほうは、良識のある大人であったことが幸いし、調停で忙殺され、薄々感づいていた娘の虐めを蔑ろにしていた償いか、彼女は毎週末、泊りがけで、川神の友達と遊ぶ事を許されたのだった。
泊まる場所が、あの川神院だったことも、後押ししたのだろう。

そういう背景から、この金曜集会は始まった。
現在はもっぱら、次の日の休みに何をして遊ぶかを考え、学校で受けた依頼を吟味する場となっている。
まあ、あとはリーダーがバイト先から仕入れてくる食べ物を晩御飯代わりに頂くとか。 ワン子はこれが最大の目的であったりする。
良くも悪くも学生らしくコンビニ飯かと思いきや、寿司やピザだったりするから侮れない。 キャップの面目躍如といったところ。






「さーて、今日の議題だ」

いつも通り、俺たちのリーダー、キャップこと風間翔一が口火を切る。

「明日、どこで遊ぶか?」

イの一番に、京は発言する。 やはり彼女の拠り所はこの場所なのだと、痛感させられる場面。

「それも重要だが……。 転入生のクリスの事だ」

おっと。

「んー? クリがどうかしたの?」

鉄火巻きを茶で流し込みつつ、ワン子は訊く。 今日の晩御飯は寿司とざるそば。

ちなみにあの決闘の後、やっぱり気が収まらなかったワン子は再度クリスに突っ掛かり、なんやかんやで始まった腕相撲対決で負けた。
まあ、そこから歓迎ムードがクラスに広がったので叱りはしなかったが。

そのときに、あだ名をクリとしてしまったせいで、姉さんも影響を受ける始末。

「俺たちのグループに入れようかって議題でてたろ?」

「今聞いたよっ!?」

お家芸であるツッコミを、寸分の狂いも無く、モロは入れる。

「で、俺はイイと思うんだけど?」

我が道を行くキャップは、それを一向に気にせずに皆の意見を訊こうとする。

「というか何故その考えに到達するわけさ?」

たまらず俺も発言。 それほど、これは大きな問題だ。

「だって梅先生にも頼まれたじゃん、我らが軍師」

「……面倒を見ろとは言われたな。確かに」

自分の中で考えをまとめるため、俺はいったん口を噤む。

「クラスメートとして仲良くするのは当然だけど、それと金曜集会にまで案内するって事は、レベルが違うよ」

モロは言う。 保守的な彼なら、当然の言い分だろう。

「そんな事はわかってるさ、でもクリスは逸材だぜ? ここの女子連中に負けず気が強いし面白いし、俺気に入ったもん。 一緒に遊びてぇって思った」

キャップはなかなか退かない。 まあ、目的を前に退くことなど彼は絶対しないことはわかっているが。

「ねぇ…。 もしかして、それって恋? ラヴなんだ?」

―――モロ、その理由は一般男子で一番ありえそうで、キャップで一番ありえなさそうな理由だ。

「いや、それとは全然違うな」

案の定、澄ました顔でキャップは答える。
どんな風に違うのか、恋愛感情に疎い彼にわかるのかと疑問に思うが。

まあ純粋な好奇心、次いで親切心からクリスをグループに入れたいというのは本当だろう。

「で、久しぶりの新メンバー加入。 どう思うよ?」

俺の提案で、一人ずつ意見を訊いていったところ。

「賛成3反対2、んで様子見2か」

「なかなかにバラけたねぇ」

モロは苦笑。

ちなみに俺は様子見派。 いくら日本好きとはいえ、外国で一人は寂しいだろう。 つい先ほど、キャップ胴元の賭けの件で口論になったが、悪い奴ではない事は確かだし。
それでも、だからといって諸手を挙げて大賛成とまでは言えない。 あの、融通の利かなさそうな彼女が、このグループに馴染むか否かには、疑問符がダース単位で付く。
京なんかは、もはや「異物」扱いだし。



その後も議論は続き、ついに結論。

「じゃ、まとめると。 みんな、声を掛ける事には問題はないみたいだから、声は掛ける。 んで、ここの居心地が悪くなったら、クリスは遠慮なく切るって事で、いいか?」

話し合った後なので、異議を挟む者は皆無。

「……ちょっと待て」

かに思われたのだが。

「姉さん?」

「かわゆいクリを誘う事に、異議は無いんだがな~」

そう前置きして、続ける。

「キャップ、もう一人くらい、どうだ?」

「へ?」

「私からも推薦したいのがいるんだが。 勿論、お前たちも知っている奴で」

この言葉から、俺は感づく。

「あー、もしかして直斗?」

そう言って、キャップも察したようだった。











<手には鈍ら-Namakura- 第十二話:勧誘>












「ああ、あいつ、悪くないと思うぞ?」

姉さんがファミリー以外の男にこういう賛辞を送るのは珍しい。

「モモ先輩、この俺様で風間ファミリーのイケメン男子要員は満員だぜ?」

冗談交じりにガクトは言う。それでも本人は本気で言っているから面白い。

「じゃ、お前下車しろ。 イケメンなガクトはいらん」

即座に切り捨てる。 心なし、斬音が聴こえた。

「お前たちも、人当たりのいいアイツなら仲良くやっていけそうだし」

「モモ先輩、キャップと同じ質問するけど、それってラヴ?」

モロが問うた。

「んー、どうかなー。 まあキャップと同じく男として認めてはいるがな。 ……自分ではわからん」

なんとも、煮え切らない答え。

「……ちょっと、モモ先輩自重」

「京」

「キャップもそうだけど、そんな興味心レベルで他人をファミリーに誘うとか、正直ありえない。 そんなに軽い場所じゃないよ、ここは」

つまらなさそうに視線を斜め下に向けながら、彼女は言う。 ジメジメ。

「ま、まあまあ京、落ち着いてよ」

ワン子が慌ててなだめる。

「ワン子だって、今何も言わなかったって事は、少なくとも反対ではないって事でしょ?」

「い、いや、それはほら、アレよ、アレ」

「アレって何?」

軽く眼を剥いて威圧。
口調からも、大分ムッとしているようだ。

「あわわ、大和ぉ、京怒ってるよぉ」

いつもの如く涙目で訴えてくる。

少なくともワン子が、付き合いの長さもあるだろうが、クリスより直斗のほうを好ましく思っているのは事実のようだ。

そんなことを思っている時。




「悪いが、モモ先輩、俺は反対だ」

我らがリーダーが静かに宣言。

「キャップ?」

姉さんが聞き返す。

「俺あんま、それには乗り気になれない」

「へえ、キャップがそんなこと言うの、珍しいな」

いつの間に回復していたガクトが、手を頭の後ろで組み、ソファにもたれながら言う。
それに応えて、キャップは理由を語る。

「いつも敬語だから、ってこともあるが、入ったらクリスよか気ぃ使っちゃいそうだし」

「まあ、それは癖だって言うんだから、ある程度は許容できなくない?」

俺は言う。 ぶっちゃけ、クリスを入れるよりも…。と言う気持ちが内心、あったりはする。

「いや、後は俺の勘がこう、なんていうか、アレだよ、アレ。 なんて言やいいかな~」


二、三秒、間をおいて。


「んー、気持ち的に。 九鬼と相容れられないようなそういう感じの」

目を細めて彼は言った。

「何だそれ?」

姉さんが肩透かしをくらったような顔で返す。

「なんとなくダメって事?」

ほんと、キャップにしては珍しい。

「全然タイプ違うじゃん。 あの究極の俺様キャラと直斗じゃ」

とガクト。

「そ、そうよ。 いい人だよ直斗くんは。 ……まあ九鬼くんも悪い人じゃないけど」

毎週、彼の熱烈なアタックをかわし続ける彼女も言う。

「ああ、だから言ったろ? 勘だって」

それでも、ここ一番での彼の勘がなかなか冴える事は周知の事実だから、結構な説得力はある

「…リーダーがそう言うんじゃしょうがないよ。 いいんじゃない? 無理に誘わなくたって」

真実、これ以上ファミリーに他人を混ぜたくない京は、早く話題を打ち切りたいようだった。



「キャップがそう言うなら、まあ、いいか」

少し不満げに姉さんは顔を窓に向ける。

まあ、

「この燻った気持ちは弟弄りに向けようっ!!」

などと幾秒か後にそう言って、俺に跨ってきたのだが。

「まあ、川神院でいつでも会えるしね。 アタシも一向に構わないわ」

最後の卵にパクついて、ワン子は言った。

かくして俺達風間ファミリーは、転校生、クリスティアーネ・フリードリヒを受け入れる事になったのである。




















4月26日(日)

川神院。 関東三山が一山、武術の総本山にして厄除けの寺院としても名高いこの場所で、矢車直斗はいつも通り朝の鍛錬を終える。
今は朝食の時間。

「はい、これ。直斗くんの分」

運動部のマネージャーにもってこいの笑顔を振りまきながら、一子は俺に朝食を持ってくる。
今日の配膳は彼女の仕事だった。

「アタシは作ってないけど頑張って運んだわ!」

と、俺の隣のルー師範代にも配る。

それにしてもテンションが高い。 この娘もこの男も。

黙々と俺は食う。
夕方は七浜へ出かける。 修練の時間を無駄にはしたくなかった。





食堂を兼ねた広間から、少し離れた縁側で、川神家二大巨頭は相対していた。

「うむ。 一子は感心感心。 ……それに比べお前は何じゃ、モモ。 朝から自堕落に漫画なんぞ読みおって」

縁側で片方の足を立てつつ、座り込んでつまらなさそうな視線で漫画を眺めている孫に声をかけた。

「うるせーぞ、ジジイ。 朝の鍛錬はこなした」

けだるそうに孫は答える。

「そんなもん当たり前じゃ。 まったく、風呂壊すだけじゃなく台所から肉盗んでったじゃろ?」

昨日、島津寮で焼肉をした挙句に、温泉を吹っ飛ばした事は、寮母から聞き及んでいた。

「友に振舞ったんだ。 いいだろ? それくらい」

「……まあの。 にしてもお主、本当に退屈そうじゃのぉ」

「ん、大和達と遊ぶのはいいが、それ以外の時は何しても気が晴れん。 ああ、まあ女の子弄くるのは楽しいがな」

「我が孫ながら、しょーもないの」

「戦いに飢えてるんだ、しょーがない」

臆面もなくそう言う孫に、どうしたものかと石庭を見つつ思案する。 今日も春爛漫であった。

「私に挑戦者はいないのか? 仕合がしたくてたまらん」

「……今はおらんのぉ」

「この際、ジジイでもいい」

殺気を軽く放つ。
到底、祖父に向ける眼差しではなく。

「この老いぼれにお前と戦えと言うか?」

「何言ってるんだ、ここ三十年以上老いぼれやってて、尚且つ川神院総代だろ?」

「ほっほ、もうお主には敵わんかものう」

「どうだか」

柳に風、であった。
百代は諦めたように闘気を収める。

「四天王の橘天衣を破った奴は、まだ見つからないのか?」

「北にいる何者か、しか分かっておらん」

―――孫に嘘をつくのはやはり辛い。 戦い漬けの日々を続けてほしくはない祖父心があるとはいえ。

そんな葛藤を、おくびにも出さず、孫の相手をする川神鉄心だった。

「天衣が負けたって事は、あいつ、四天王剥奪だろ?」

「じゃの。 今ワシ達が探しておる者こそ、その後継じゃ」

「あー、楽しめるといいなあ、そいつとは」

「……戦い、か」

「川神院跡取りとして、当然の姿勢だろ?」

そう言って、孫は勢いよく立ち上がると、妹と外へ走りに行ってしまった。





「……漫画くらい、片付けてから行け。 まったく」

床に放られた本を拾い上げてから、弟子から声を掛けられる。

「よくない兆候ですネ」

「ルーか」

話を聞いていたようだ。

「武に対して、妹や友を思う気持ちと同様のものを、持てればいいのですガ」

師範代を任せている者の表情は暗い。

「ワシの責任でもあるかの?」

こちらも負けず劣らず暗い声で返す。

「まさか。 アレは個人でしかどうにもならない類の問題かト」

慌ててルーは答える。

「……色々と、考えなければな」

「はイ」

「弟子達の指導を頼む」

そう言って、川神本家は私室に篭ってしまった。



「……私は、私に出来ることを精一杯やろウ」

ひとりごつ。

今までも、そうだったのだから、と。




















夜、十時。

用事を終え、徒歩にて家路を急ぐ。 夕飯をご馳走になったのが決め手。
大分遅くなってしまった。 門限は特に決められてないが、明日から学校だし早めに寝たいところ。


―――ピリリリリ、ピリリリリ、ピリリリリ、


仲見世通りに入ったところで、携帯の着信音がなる。
画面を見れば、黛由紀江。

ほう。珍しい。


彼女がこちらに来てから、何回か連絡は取った。が、この頃はそれも少なくなり。
会話も、調子はどうかとか、いいお日柄ですねとか、まあ他愛もない話。
友達作りの協力は、固辞された。 出来るだけ自分の力で頑張りたいらしい。 その意気や良し。

通話ボタンを押す。

「……もしもし」

瞬間、言葉の羅列が携帯から溢れてくる。

(あ、あああ、お、お、お久しぶりです矢車さんあのお知らせしたいことが、ああでもこんな時間にすみませんまた掛け直した方がいいですか!?ああでもでもこれは私にとっては大ニュースでありまして)
(お、落ち着けまゆっち、深呼吸だー。 クールにいこうぜ)

俺からリードせんとな。

「お久しぶりです、由紀江さん。 今は暇していますので大丈夫ですが、何かあったので?」

(おうおう、訊いてくれよ直斗~、まゆっちさ、ついに俺ら以外のダチができたんだぜ)

お前は黙れ。

「本当ですか? 由紀江さん?」

(は、はいッ! 奇跡です!! ドーハの奇跡です!!!)

テンション高ぇ。 しかも若干涙声なのね。

(しかも一気に八人も!)

「ああ、それは」

よかった。 心配、結構してたから。




(同じ寮の方々で、皆さん年上なんですが仲間に入れてもらいました!)






………。





「……由紀江さん、寮の名前って確か」

(…え、あ、はい。 島津、寮ですけど)



まさか。



でも。



―――そうか。



「なるほど、風間ファミリーの方々ですね?」

動揺は、声には出さない。

少し、手は汗ばむ。

(え、えぇ。 そうですが、よくご存知で?)

「一応、俺も川神院に住んでいますし」

メンバー二人とは、毎朝、顔を合わせている。

(あ、そういえばそうでしたね。 すみません舞い上がってしまって考えが至らず…)

「ちなみに他の方々とも、クラスは同じなので」

(そうなんですか?)

そうなんです。 そうしたんです。

「……でも、本当に何よりです。 友達が出来たのは」

(はい、次は、ついに同学年に食指を伸ばそうかと!!)

普通、最初がそこだと思うのだが。

「……すみません、急いでいるのでこれにて失礼します」

(こ、こんな時間ッ!? すみません明日は学校なのに)

先の言葉と矛盾するが、どうやら違和感は感じなかったようだ。

高校生にとって、この時間帯は普通に起きている時間なのだろうが、黛家での早寝早起は継続中らしい。

「いえ、本当におめでとうございます。 それでは、おやすみなさい」

(は、はいっ、おやすm)



―――ブッ、




通話を切り、ケータイをパタリと折りたたむ。

そうか、風間グループに入れたのか。




巨門へと走り出す。

あいつらの評価を、いい加減、改めてもいいかもしれない。

少し、ほんの少しだけ、体が軽くなった気がした。






でも、まだ、俺は完全には、信じられない。

あいつが、変わった事を。

だから、もう少しだけ、様子を見よう。






もう、少しだけ。






[25343] 第十三話:箱根
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:26

『人間には、それぞれの運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。』

―――カミユ






















父上、一筆啓上、申し上げます。

若葉が薫る頃となりました。

返事が遅れて申し訳ありません。 ご心配をおかけしたと思います。 このところの環境の変化に戸惑い、筆を執る暇がなかなか出来ずにおりました。

由紀江が私立川神学園に入学し、数週間が経過いたしました。 そちらはお変わりございませんか?

実は今回、一つ大きな報告をしたいと思い、筆を執った次第です。

矢車さんと初めてお会いしてから早五ヶ月、由紀江はつい先日まで、長らく矢車さん以外に友達と呼べる方がなかなか出来ませんでした。

川神院から島津寮はそれなりの距離があり、学年が違うことも相俟って、あの方とも電話以外で話す機会もなかなか無く、一人部屋で膝を抱えて座る日々でした。

最初はそんな環境下でも、矢車さんは私を気にかけ頻繁に連絡を取り続けてくださったのですが、やはり矢車さんにおんぶに抱っこで、これ以上世話をおかけするのは心苦しい事もあり、しばらくはあの方との連絡を、こちらからはしないように努力してきました。

父上、母上、沙也佳とも離れ、こちらで本当の意味で孤独となっておりました。 幾度か枕を濡らした事もありました。

しかし、ご安心ください。 幸いな事に、その生活もついに終わりを迎えつつあります。

同学年ではありませんが、紆余曲折あれど、同じ寮の方々と、そのお友達の方々、合わせてなんと九人と友達、いえ、「仲間」になることが出来ました。 一人は良く出来たカラクリですが。

この方々は一人、ドイツから転入してきた方を除いて、皆さん地元川神のご出身で、自分たちの事を風間ファミリーと名乗っているそうです。

親しみを込めて、私を「まゆっち」というあだ名で呼んでくださいます。

父上にお願いしてまで出てきたこの土地。 由紀江はここで、楽しく学校生活を送れそうです。

時間がありませんので、この方々の紹介はまた次回にさせていただきます。 実は明日、皆で箱根に二泊三日で旅行する予定になっていまして。

由紀江は今、とても充実しています。 春が来た、とでも言えましょうか。

あと、欲を言えば同学年の友達が作れたらと考えていますが、まずは焦らずに今現在の幸せを噛み締めたいと思います。

暑くなるのが早いのでご自愛下さい。

あなかしこ









この手紙が届いた日、黛家の夕食が赤飯であったことは言うまでも無い。

当主自ら炊いたそうな。













<手には鈍ら-Namakura- 第十三話:箱根>













5月5日

箱根旅行三日目、昼食前。

軍人が来たり、覗きに失敗したり、風邪引いたり、散々大変なイベントがありつつも、当初の目的通り、なんとかクリスに俺を認めさせる事ができた。

今は旅館で新入りの携帯赤外線祭り。 まだ料理が出てこないのだ。

「ほら、クリ。 さっさとケー番、皆に教えろ」

「ああ、ちょっと待ってくれ…。 よし、送るぞ」

携帯持ち始めて日が浅いと言うクリスは、四苦八苦しつつ操作していた。

「お、来た来た」と俺。

「ん、私も」と姉さん。

「オッケオッケー」とワン子。

「うん、来たよ」とモロ。

「こっちも問題なし」と京。

「きき、来ました私にもッ!」とまゆっち。

「おー。 俺も来たぜ」とキャップ。

「来ねぇぇぇぇぇ!!!」とガクト。

その後、二回試してやっと全員にクリスのアドレスが行き渡った。
EDO-TOKUGAWA-YMATOMARU…って、女の子のアドとしてどうかと思う。


「次はまゆまゆだな」

姉さんが言う。

「は、はい。 どうか皆様お手柔らかに」

深々と礼。

「ケータイにお辞儀してどうすんだよ!?」

と、ガクト始め皆大爆笑。

「うん、やっぱ磨けば光るぜこの後輩」

満足げにキャップは言う。

(ちょっ、よかったなまゆっち。 今のM-1決勝レベルだぜ。 もう紳介が唸るレベル)

「あわわわ」



そんなこんなで彼女のアドレスも行き渡り。

「うぅ~、幸せです~。 一気にアドレスが二桁になりましたよ松風」

涙目で言う。 よっぽど嬉しい様で。

(おう、百人までの道は遠いが、オラ達の挑戦は始まったばかりだぜ!!)

「お約束で、もう終わりそうだね、それ」

俺は苦笑する。

「ていうか、二桁って事は他にも登録した奴いんのか?」

ガクトがまゆっちに顔を向ける。

「ガクト。ガクトにしては頭使ったなって褒めたいところだけど普通に考えて家族だと思うし。今まで一人だったまゆっちにそれ聞くのはアウトだと思われ、結果、松風のガクトへの評価はダダ下がり」

(ナイス分析だぜ京の姉御)

「あ、やっぱりそうなんだ」

モロも加わる。

(あ、でも舐めんなよモロ)

なんかいきなり調子乗り始めた。

「へ?」

(まゆっちの初めては家族以外に捧げたんだぜ~。 しかも結構、イ・イ・オ・ト・コ。 ウホッ)




一同、半秒ほど沈黙。。




「おい、今の聞き捨てならんぞ」

姉さんが一番に声を上げる。

「松風、少し、自重しようか」

そう言って京は木彫りストラップを引ったくり、手近な鞄の中にしまってしまった。

(ぬお、く、くく臭ぇ臭ぇえ、た、助けて、いい息がぁあ)

「ガクトバックでございます」

しれっと、京。

「で? で? 誰なんだまゆっち」

クリスの食いつきがなかなかよかった。
松風の冗談だろうに。

「え、あ、ああ、み、皆さん知ってる方ですけど」

姉さんとクリスに詰め寄られて、だいぶ狼狽気味のまゆっち。

「え、まじで? 誰々?」

ガクトまでも。

「え? い? あ、矢車さん、です」

上目遣いで彼女は答えた。






………。






「何ィィーーー!?」

これは姉さん。 俺も予想外。
てっきり世話好きそうなゲンさん辺りかと思ったから。

「アタシ、タッちゃんかと思った」

ワン子も同じだったようだ。

「聞いてない、聞いてないぞ私は! 何時! 何処で! どうねっちりと尻、知り合いになったんだ、まゆまゆ!?」

後輩の肩と尻を掴んで武神は問いただす。

「ああああう!?」

赤面して、更に狼狽。

「姉さんも自重」

平手で頭をはたく。


「あの、お硬そうな白いのも、やるもんだね」

京はそう言って本を読み始めた。







「あ、えと、昨年末から今年のお正月にかけて、川神院から私の実家に研修されていた時にですね、その、いろいろと友達づくりのアドバイスを受けまして、そそそれで、携帯を持てる様に父に言ってくれたのもあの方でして、それで…」

姉さんの性的な尋問を出来る限りかわしながら、彼女は赤裸々に告白していく。

「メ、メールとか、してたのか? どのくらいの頻度で?」

鼻息荒く、さながらしつこい彼氏のように姉さんは問う。ボディタッチ自重。疑問符一個につき、尻に手がいってる。
なんと羨まsゲフン。

「さ、最初は一日三十件とか送ってたんですけど、」

遠慮がちに答える。
不器用さがよく分かるところ。

「それかなりヒかれるレベルだよね」

お前もな。と、一日十件変態メール送ってくる幼馴染にチョップしておく。

「まあでも彼、律儀だからきっと一通ごとに返したんだろうね」

とモロ。

(そうそう。 流石のまゆっちも空気読んで控えめになったけど)

ガクトにより解放された松風も答える。

「道理で、クリスより携帯使い慣れていると思った」

俺が言うと

「べ、別に騎士に携帯電話は必要ないからな」

「女の子には必要じゃない?」

「うるさいな」

俺を一瞥すると、再度まゆっちに姉さんと共に質問し始めた。

こうしてみると、普通の女の子なんだよな。クリスって。




「むー、というかジジイ。 私にまゆまゆのこと隠してやがったな」

一通り後輩弄りを終えて言う、とても不服そうな我が姉貴分。

「でもしょうがないんじゃないお姉様? 年末年始はウチ忙しいし。 それにお姉様は百人組手とか他流仕合とか入ってたし」

「あれ全然楽しめなかったぞ、みーんなバツバツだ」

姉さんは尚も不満げだった。


「はいはい、じゃ雑談はそこまで! これから新人二人に川神魂を授けるから」

一度、手を叩いてキャップがとりまとめる。

「…かわかみ、だましい?」

クリスが訝しげに発音する。

「こういううたがある」

姉さんは続ける。



―――光灯る街に背を向け、我が歩むは果て無き荒野

―――奇跡も無く標も無く、ただ夜が広がるのみ

―――揺るぎない意志を糧として、闇の旅を進んでいく



「これが、昔から私たちの街で伝えられている、川神魂だ」

そう、締めくくった。

「あえて荒野を行かんとするオトコうただぜ」

とガクト。

「アタシ、長くてなかなか覚えられないけど、言わんとすることは分かってるわ」

ワン子は胸を張る。

「ワン子、えばるとこじゃなくて恥じるとこだからね」

とツッコミ要員。

「平たく言えば、ワン子の好きな言葉。 勇往邁進ってこった」

困難をものともせず、突き進むこと。

ワン子と同じく、俺もこの言葉が好きだ。

「いい言葉だな。 前に進む意志が溢れている」

クリスも気に入ったようだ。

「辛い時は、実際に口に出してみればいい。 同じ旅をゆく仲間がいる。 それがわかるだけで、力も出るし何より落ち着ける」

強者ゆえの孤独。
それを慰めるために、何度も姉さんはそうしたのだろう。

穏やかな顔だった。

「それさえ心に刻んでれば、他には何も言うことはねぇ」

「キャップ、そろそろ乾杯しない? ご飯、まだ出てこないけどさ」

「おう、そだな。 グラスあるし」

「ウーロンでだけどな」

ガクトが茶々を入れる。

「……川神水、持ってくりゃ良かったな~」

「だめだめ、健全にいかないと、姉さん」

「乱れに乱れた、おんにゃのこの姿、見てみたくないかガクト?」

ガクトに水を向ける。

「はい、もう是非ッ!!!」

零コンマ何秒かでの反応。 眼を剥き諸手を挙げている。

「今度、そうだな、多分夏には皆で遠出するだろうから。 そんとき持ってくる」

また川神院からくすねてくるつもりなのだろう。



「はいよー!! 皆、グラス行き渡ったな?」

キャップはファミリーを見回して言う。

一つ、咳払いをして。

「あんま変なこと言うつもりはねぇ。 ただ、これからずっと楽しくやっていけりゃ俺は万々歳だ。 じゃ、リーダーとして音頭とるぜ?」

高らかに、キャップは叫ぶ。

「皆、楽しくやっていこう! カンパーイ!!」

「「「「「「「「カンパーイ!!!!」」」」」」」」

各々グラスをとり、何度も重ねあう。

誰もが笑顔で。

誰もが今の幸福を疑わなかった。




最後に九つのグラスが同時にぶつかり合った時、ここに、新生風間ファミリーが誕生した。
















同時刻。 島津家玄関前。


「ごめんくださーい」

紙袋を片手に、俺は島津寮の寮母、島津麗子さんを訪ねていた。

「……はいはい、どなたかしら、新聞とかセールスはお断りだよ」

ガラガラと引き戸が開けられ、和服の厳ついオバサマがぬっと出てきた

うん、親子だねやっぱり。

「ご飯時にすみません。島津麗子さん、ですか?」

「いかにもそうだけど、アンタは?」

胡散臭げに俺を見る。

なるほど、昼食の最中だったか?

「すいません申し遅れました。川神院からの使いで来ました、矢車直斗と言います」

途端に顔が明るくなった。

「あら、鉄心さんとこのお弟子さんかい? どうかしたの?」

「先日、うちの百代さんが風呂を壊してしまった件で」

「ああ、いいのよ。 鉄心さんにも言ったけど、かえってリフォームする踏ん切りがついたから。 修理代もこっちで持つし」

アッハッハ、と高笑い。

豪気なもんだ。 ここは息子にも遺伝している節がある。

「ええ、それは総代も言っておりましたが、お詫びの品としてこの菓子折りを」

紙袋を前に。

「あらまあ、そんなのいいのに」

と言いつつ、ガッチリ、手が菓子折りにいっていた。

「この度は、本当に申し訳なく……」

頭を下げる。

「いいのよいいのよ、まったくもう。 アンタが壊したわけじゃなし」

豪快にまた笑う。
学校で散々悪口を島津は言ってるが、気さくで良い母親じゃないか。

すると何か思いついたように彼女は目を見開く。

「そうだ。 アンタ腹減ってない?」

濃い、顔が近づく。

「……えと」

「まだ、お昼食べてないわよね?」

食べてても食べてないと言わざるをえない空気だった。

まあ、まだ、食べてないけど。

「は、はい」

「いや実はね? 息子いないってのに昼作りすぎちゃってさ~。 寮に残ってる一人にでも御裾分けしようかと思ってたところなのよ。 でもそれでも多いくらいだからさ、ウチで食べてかないかい?」

確かに腹は減っているのだが。

「お気持ちは嬉しいのですが、流石に院に戻らないと怒られますので」

「そんなもん、アタシが一本電話すれば済むことよ。 ほら、ね? 食べてって。 ウチのレバニラには結構自信あるのよ」

腕を掴まれた。 断るのはどうやら無粋な行為のようで。

「わ、分かりました」

「うん、素直な子は、アタシ好きよ?」

俺の返答に満足したようで、満面の笑みを返してきた。



ホント、親がいるって幸福なことだと思う。

















午後4時。


芦ノ湖観光も終わり、俺達はバス停で帰りのバスを待つことに。

「はぁ……ったく、大和が川にダイブかと思えば、俺が湖に吹っ飛ばされるなんてな」

キャップは濡れた髪とお気に入りのバンダナを乾かしていた。

「事故だったとはいえ、ちょっと怒られるだけで済んで良かったよ」

どこにいても、トラブルを起こすのは風間ファミリーのお家芸だった。
軍師として、参謀として、たまに胃が痛くなるが。

「クリス手加減覚えろよなー」

恨めしげにキャップは言う。

「すまない。 空中に浮いていると癖で追撃してしまう」

どこのチュンリーだお前は。

「いきなり飛びかかったキャップもキャップじゃない?」

アハハハ、とワン子は笑いながら言った。


そんな、取り留めのないことを話していると。





「…もし……そこの貴方…一際大きな輝きを放つそこの方」

いつの間に近くにいたのか、老人がキャップに話しかけてきた。
つい先ほど道中で見た、占い師のようだった。

「あん? 俺のことか?」

「おぉ……素晴らしい人相をしていなさる。 魅力もある。 男として、人として。 そして何より、絶対的な強運、才気にも恵まれている」

キャップの前に来るとそう言って、首を伸ばしてしげしげと彼を見つめていた。

なかなか、不気味である。 小汚いマントを着て、浮浪者にでも間違えられそうな風体。

「へッ、上手いこと言って金取ってやろうって魂胆か?」

我らがリーダーは臆することなく言う。

すぐに、老人はそれを認める。

「はい、それで食いつないでおりますので」

「いかがですかな? 私めに皆様の運命を占わせては頂けませんでしょうか?」

「わり、爺さん。 金払う気は更々ないなー」

こういう手合いは相手にしないに限る。

「もうすぐバスが来ますから。 すみません」

と、俺も援護射撃。 どっかいっちまえ。

「ではタダでも構いません。 それほどまでに気になる相が、あなた方から迸っております」

うん?

「お!? だったらやるよ爺さん、でも今の格好見て、水難の相がある、なんて当たり前なこと言うなよな?」

……タダとわかるとこれだよ。





タロットカードを使った占いのようで。
俺達はそれぞれの名前や誕生月を教えつつ、爺さんのカード捌きを見ていた。
しかし、いよいよ結果がというところで、幸か不幸か、モロがバスが来たことを知らせる。

「ふむ、これは残念、ですがあなた方一人一人の未来には、しばらくは悲観的な要素はございませんな。 それだけは確かのご様子」

カードから目を離さず、と言うよりかは、むしろ俺たちと目を合わせないように、老人は静かに語る。

「そいつはよかった。 中途半端で悪いが、続きはまた次回みたいだ。 じゃあな、爺さん」

あまり未練もなさそうにキャップは答えた。
実際、コイツは運命だの予言だの、本気で信じないタチだし。

大柄のガクトを先頭に、風間ファミリーは次々とバスの中へ。
最後に、俺も乗り込もうとする。










「貴方、」

唐突に、言を投げかけられる。 タラップに足をかけたまま、俺は振り返る。

「はい?」

老人は、さながら悟りを開いた禅僧の顔で。

「貴方には、近いうちかは分かりませんが、大いなる戦が、待ち受けています」

何度も頷き、彼は言う。

「?」

きょとん。
今の俺の顔は、正にそれだろう。

「私が言えるのは、その戦いに、あなたは自らの心技体の全てを賭して―――」
「コラァ大和、早く乗れっつーの。 みんな迷惑してんだろうが!!」

ガクトの叫びが、老人の声を打ち消す。

「すみません、急ぎますので」

軽く会釈して、ついに俺はバスに乗り込む。




ガクトに小突かれながら、席に座った。

所詮、占いは占い。当たるも八卦当たらぬも八卦。
少なくとも俺は、実力で、築き上げ続けた人脈で、この世を生きていくさ。

そう、ひとりごちた。

しばらくして、俺はまどろみに沈む。
薬が、効いてきたようだった。













夕日が、嫌に眩しかった。

誰もいなくなった停留所で、占い師は独り、取り残される。

「行ってしまわれたか」

あの青年。

「戦車、死神、そして運命の輪」

老人は、低く、低く、呟く。

「塔が出なかったのは、不幸中の幸いなのだろうか」

不意に空を見上げれば、飛行機が、一本の矢の如き雲をたなびかせ、高く、高く、飛んでいた。





[25343] 第十四話:富豪
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:36

『経営者は、常に死を覚悟して、しかも常に方向転換する離れ業を心に描ける人でなければならない。』

―――松下幸之助


















5月15日、朝のホームルーム前。

S組ではいつもの如く、一人の男の高笑いが響く。


「フハハハハハ!! 我、降・臨!!!」


ギンギラギンにさりげなくない、貴族のような衣服を身に纏う男が、まさに着席しようとしていた。

傍らにはいつものように、かのメイドが控えている。

「おや英雄、おはようございます」

小学校以来の友である冬馬は彼に微笑む。

「うむ、今日も元気そうで何よりだトーマよ!」

「珍しいですね、ホームルーム前に来れるとは」

「いやなに、かねてより言っていた大口の商談が予想より早くまとまってな。姉上と共同で進めていたことが幸いしたようだ」

九鬼家において一際商才に抜きん出たものを持つ九鬼家長男、九鬼英雄は満足そうに胸を張って答える。

大口の取引とは、先月言っていた、九鬼製ロボットの開発及び輸出関連だろうと冬馬は想像した。
軍事、警備用に転用できる物であれば、彼の姉であり、九鬼財閥軍事部門統括者たる九鬼揚羽が一枚噛むのも想像に難くない。


元々プロトタイプを一子殿に作って進呈したことも上手く働いたようでな、と独り言を言い、英雄はハッとする。

「いかんいかん、ここはもう神聖なる学び舎。いかに世界に冠たる九鬼家に名を連ねる我が多忙であろうとも、ここで仕事の話は些か無粋であったな。許せ我が友」

と大仰に言う。

「いえいえ構いませんよ」

その反応を見た英雄は、後ろに控える従者を呼ぶ。

「ふむ、では、あずみよ!」

「はい☆なんなりと申し付けくださいませ!!」

混じり気のない笑顔で、忍足あずみは即座に答える。

「我は今からF組へ、一子殿に逢いにゆく。供はいい。貴様も激務で疲れているだろう。その間、休め」

それだけ言うと、英雄は教室の出入り口へと向かってしまった。

…了解いたしました!…ケッ、やってらんねー 英雄様ぁ☆」

あずみは甲高い声を張り上げる。

ルビを読めたのは井上準だけであった。

そして、主が教室を出た途端、態度が横柄になるのは毎度のことで。
幾秒かかけて、大儀そうに自席に座ると、顎をしゃくって言う。

「おいハゲ、ちょっくらなんか腹に入れるもん買ってこいや」

今更ながらメイド服のスケ番って斬新だと、内心苦笑いでハゲこと井上は答える。

「……あのー、なんかって何すか?」

「なんかはなんかだよ、このクソ坊主、耳腐ってんのかコラ!? あ、でも気に入らん奴だったらテメェ半殺しだからな」

「ウーッス!!」

ちょっとしたキッカケで刃物が首に当てられることを熟知しているので、売店開いてっかなー、と考えつつ、急ぎ教室を出ようとする。

すると、先ほど出て行った、かの主が戻ってくるところに鉢合わせ。

「あれ、英雄、随分早いお帰りだな」

「ん、ハゲか? 貴様こそ、もうすぐホームルームだというのに廊下に出るとは何事か」

「ん、い、いや何でも」

てめえんとこのメイドのせいだよとは口が裂けても喉が裂けても言えず。

「おやおや、その様子だと愛しの彼女とは逢えなかったご様子で」

助け舟も兼ねて、冬馬も会話に加わる。

「うむ、一子殿はトレーニング中であったのでな。邪魔は出来まい。見ているだけでも我は癒されるのだが、なかなかに邪魔な庶民共が多くてな」

「殲滅いたしましょうか☆」

主が返ってきた途端、これである。
井上としては、使いが無くなって一安心なのだが。

「たわけが! 愛すべき庶民に対しそのような真似、王道を行く者として為すべき事ではまったくないわ!!」

「申し訳ありません英雄様、かくなる上はこの腕一本で、お許しを!!」

あずみは左腕の関節を外そうとする。

「いや構わん、少しとはいえ、一子殿の姿を見た我は多分に機嫌が良い。不問に致そう」

「いえ、それでは私の気が治まりません!!」

そう言って、ボキンッッ!!という音と共に、だらりと彼女の腕は床に向かってぶら下がる。

その姿を見て、主人は焦るどころか褒め称える。

「ふむ、その姿、正しく我がメイドとして相応しい。褒めてつかわす」

「身に余るお言葉でございますぅう☆」






朝から、濃い。胸焼けしそうだ。

机に黙って向かう者達、競争原理の体現とも言えるS組の大部分の心は、こういうしょうもない場面で一致するのであった。











<手には鈍ら-Namakura- 第十四話:富豪>












昼休み。

俺は教室で、慎ましく弁当を食べている。
made in KAWAKAMI。味付けが濃いのはしょうがないとしても、なにぶんタンパク質に偏った弁当なので、売店でサラダを買って加える。食育、食育。

ゴールデンウィークもとうの昔に過ぎ去り、俺は学校生活を、それなりに満喫している。
クラス全員と言葉を交し合うくらいには、溶け込んでいるつもりだ。

本来の目的を疎かにはしていないが。






なにやら隣の女子連中は、好きな異性のタイプについて話しているようで。

「クリスの好みってさ、どんな男なの?」

色恋沙汰には目も耳も無い、小笠原さんが訊いていた。彼女の親友であるF組学級委員長、甘粕真与さんもそれには興味がある様子。

「うん、自分は信念を持っている男だな。例えば、大和丸夢日記の大和丸のような」

クリスこと、クリスティアーネ・フリードリヒは、綺麗な日本語で澱みなく答える。彼女もまた、クラスには俺に以上に溶け込めていて、なんと由紀江と同じく風間グループの仲間となったらしい。
勿論、あのメンバー以外ともよく話し、小笠原さんのことはチカリンと呼びかけるほど。
学校で見る限り、美少女で、努力家で、強くて、誠実で、人当たりがよくて、社交性があって、と世の女性達の大半が羨ましがるほどの高スペックを持ちつつも、自分に驕る所がない姿勢に、あの決闘以来、俺は並以上の好感を持つようになった。

これが恋か、と言われれば、それはまた別の問題であるのだが。

そんな彼女にも欠点があるようで、その融通の利かなさを大和を始め複数にからかわれていたりもする。それに怒ったり恥ずかしがったりするところが、これまた可愛いので始末に終えない。
父親が怖くて大っぴらになってはいないが、ファンクラブなるものも作られている様子。

「その大和丸夢日記がわかんねぇよ」

とクラスの、なんというか、黒一点である羽黒黒子。
悪役プロレスラーの娘である彼女は、その外見に違わず中身も…。という感じで。
毒を周囲に撒き散らす。

「あら、大和丸は面白いわよ。羽黒も見てみたら?」

「おお、知っているのかチカリン!」

などと花の女子学生は話す話題に事欠かぬご様子。

学校の休み時間でもイメージトレーニングに精を出す一子も、それを終えて仲間に入り、更に華やかに。





そして、もっと華やかな奴がやってくる。





「フハハハハハ!! 我、降・臨!!!」

九鬼財閥の御曹司にして、その商業部門を束ねる大富豪、九鬼英雄その人である。

「おお、一子殿。名も無き、か弱き平民の中にあっても、貴女は相変わらず、なんという輝きを放っているのだ!」

多分の例に漏れず、彼もまたこの学園で濃いキャラの一人。俺が、F組以外の連中で一番早く名前を覚えた輩でもある。



「ア、アハハ……」

一子は愛想笑い。
週に最低一回は、愛の告白を受けている彼女は彼がとても苦手らしい。

まあ、得意な奴など見たことが無いが。

「放課後、我も一子殿のトレーニングに付き合おうと思うのだが、どうか?」

彼は、そんな彼女の心情など露知らず、話しかけ続ける。

「あ、う、気持ちは嬉しいんだけど。その。別にそれ、いいよ。独りでできるし……」

「ふむ? 時々そこの庶民達が手伝っているではないですか?」

毎度毎度、断られてんだから、少しは察しろよお前。頭も良いんだから。

「なんでしたら、九鬼が世界に誇る、最高最強豪華絢爛なトレーニング施設へご案内しましょうか?」

いやいや待遇の面じゃなくてだな。

「いやそんな。トレーニング施設だなんて。アタシは山1つあればその中で十分学べるし」

どこの宮本武蔵だよ。と心の中でツッコんでみる。

まあ否定はしないけど。


「なんと、自然が師……。素敵だ! 貴女の視線を独占したい!!」

うわぁ。

これホンモノだよ。

「おーい、ワン子。用事あんだろ? さっさといってこい」

たまらず直江大和が、一子に言う。
この場合、用事というのは嘘であろうが、こういうときの気配りは流石。




「え、ないよ?」

惜しむらくは、彼の意図に気づけない、彼女の天真爛漫さか。
こういう正直なところ、誠実なところは、武術を習うにおいてとても大事だと思うから、俺は責められない。






「おい、九鬼ィ、人のクラスでギャーギャーうるせぇ」

やり取りを見てられなくなったか、一子との付き合いが最も長い、源忠勝が発言する。

彼を口火に、その他男子からも声が上がる。
一子の、今述べた純真さが、クラスの男子に深く受け入れられている証拠でもあった。

彼女を好いているのは、英雄だけではない。ということだ。


まあこんなことで、めげるような男でもなく。

「黙れ平民共。 我がいつ、発言する権利を与えた?」

間髪を入れず、彼は吐き捨てる。

こういう挑発にのせられる馬鹿が、この馬鹿クラスに沢山いるのは自明であり、その代表格が立ち上がる。

英雄にとって、挑発している意識はないのであろうが。

「なんだ喧嘩売ってんのか? 俺様が買ってやろう」

相変わらず、親子そろって血の気が多そうである。

両腕を頭の高さまで上げ、ボキリボキリと指を鳴らす。

……それ、あんまり関節によくないんだよと、川神の内弟子としては教えたくなるが、そんな空気ではなく。

「フハハハハ。 その無謀さは逆に愛しいな、庶民!」

だが対する彼は、このように暴力をチラつかされても、一切、自分の権力で相手を威圧しようとはしないのである。
それが、誰も彼を心底憎もうとしない理由の一つなのであろう。
民を統べる王である、王であり続ける姿勢には、俺も素直に感心できる。


「九鬼クンさあ、ワン子困ってるじゃん」

一番効果がありそうな台詞を、小笠原さんが言った。

「何! それは我も困る。 なれば一子殿、愛らしいお顔を見れて、我は十分、今日の激務をのり切る活力を頂きました。 そして我は、貴女の夢をいつでも、いつまでも、応援しています。 何かあれば是非、是非に、我を頼ってもらいたい!!」

「あ、う、うん。 そのときはよろしくね」

一生来ねぇよ。

そう、クラスの総意がまとまった瞬間だった。

「なれば、庶民共、さらば」

風間が疾風なら、彼は台風であった。








―――ピンポンパンポン~♪

九鬼英雄の、恋のから騒ぎから数分後。

教室に備え付けのスピーカーから、放送が入る。
今日、校内ラジオは機材調整で休みのはずだが。

(二年F組、二年F組、矢車直斗)

……何この衆知プレイ。もとい羞恥プレイ。

勘弁です、小島女史。

まあ、音声はこの教室からしか流れていないから、大したことではないのだが。

(例の用件で、相談がある。至急、職員室に来るように)



好色二人組が湧き上がる。

「おいおい、なんだなんだ例の用件って」

ニヤニヤと筋肉。

「エロスの匂いがするぞ~!!」

ムラムラとサル。




「……たぶん、進路関係のことかと」

俺は努めて冷ややかに返す。

「へ、黛流当主とでも書いたんじゃねぇの?」

まだ茶々を入れるかこの筋肉。
黄金週間から、風間ファミリーからそのネタを言われ続ける毎日。

……ほんとに、何もねぇですよ?



「……俺は普通に就職です」

その言葉に、それなりに反応する人は多くいて。

「え? 直斗くん、卒業したら、川神院出ちゃうの?」

その筆頭が、川神院師範代を目指すと、真っ先に進路を決めた彼女。

「ええ。 いつまでも居候同然の生活は流石に」

さらりとかわす。

「じゃ急ぎますので」

逃げるように、駆ける。










九鬼英雄はF組へと再度、踵を返していた。


ぬう。 しまった、我としたことが。
一子殿の愛らしさで、前後不覚に陥っていたようだ。
いや、彼女に非は、一ミクロンほどもないのだが。
彼女を訪ねた本題は別にあったというのに、すっかり呆けていたわ。

愛しき一子殿に贈った、クッキーについてである。

このたび、かの大国との取引が相成って、クッキーに用いられている、九鬼が誇る最先端技術の提供協定が結ばれた。
プロトタイプとはいえ、戦闘能力は計り知れないものがあるあのロボットが、万が一にも他国、他企業の産業スパイに盗まれでもしたら、商談はご破算。我は姉上に大目玉を食らってしまう。

我が目玉を喰らうくらいで済むのならまだ良いが、この商談の失敗は、他国で九鬼の技術が流用され、戦場で多くの兵士が、より多くの鉛玉を喰らう可能性にも直結するのである。

王として、そのような事態など全くもって容認できるはずもなく。
商談が正式に成立するまでの一ヶ月の間、あのロボットをメンテナンスも兼ねて預かろうと、その許しを得るために我は来た道を戻る。

むう。 なんという時間の無駄であろうか。 我とあろうものが、情けない。
しかし、この件は代わりの者に任せるわけにもゆくまい。


そしてF組の門戸を開こうとした、その時。






勢いよく出てきた、白髪の輩と接触。

「ッツツ!」

激務の中でも続けている体幹トレーニングのおかげで、無様に転げることはなかったが、それでも尻餅をつくという、ここ五年の中で最大級の失態を公然の場でみせてしまう。

不覚。 その一語に尽きる。

そう思い、更に、我に膝を折らせるとはどんな輩だと、向かい合う者を見る。

「も、申し訳ありません! お怪我は!?」

思いのほか滑らかな丁寧語と、すぐに自らも足を折り、我と同じかそれより幾分低い目線で、しかと我の両眼を直視して言葉を紡ぐ姿勢。

こやつ、落ちこぼれのF組であろうに。

「……いや、どうということはない」

悪態の一つでもついてやろうと考えた自分が愚かしくなるほどだった。

立ち上がり、幾分埃がついたベルボトムを払う。

「次は、ないぞ」

「……本当に、申し訳ありませんでした。全面的にこちらの非です。何かあれば、すぐにおっしゃってください」

「どうということはないといったであろう」

「そう、でしたね、すみません。 あ、では急ぎますので、これにて」

御免。

時代錯誤の武士のようにそう言うと、その者は駆けていった。

気を取り直して、教室に入る。

周囲の雑音がなかなかに多いが、庶民共にも苦労することはあるのだろう。
その不満の受け皿になることも我が務めとわかっているが、今は他にやるべきことがある。

「たびたび訪ねて申し訳ない一子殿!! 先ほど貴女を訪ねたのには訳があってだな」

うむ、やはり彼女は、有象無象の中で、一際輝いておるわ。









「ああ、そういうことなら」

また来たのか。と脱力するのもつかの間。
今回は、それなりに真面目な話で。

「できれば今日のうちにでも引き取りたいのだ。 無論、メンテナンスも完璧にしてお返しいたす。 なんなら新しい装備もお付けして…」

「そんな、いいよ。 今のままでもとっても役に立ってもらってるから」

風間ファミリー(特にキャップ)のな。

「そう言って頂けると、プレゼントした我も天にも昇る心地です。 では夕方、いつも貴女が鍛錬している河原で待ち合わせということで、よろしいでしょうか?」

「ええ、クッキーをよろしくね?」

笑顔をワン子は振りまく。

「はい! 全身全霊をもって、九鬼のスタッフが磨き上げておきます!!」

はいはい。

じゃ、お気をつけてお帰り。

彼は大仰に別れの挨拶を愛する彼女に済ますと、踵を返そうとするが。



「……そうだ、直江大和、」

いきなり話しかけられた。

「何か?」

「そこの空いている席の主は、白髪の者か?」

俺の、斜め後ろ、ゲンさんの隣の席を、奴は指差す。

直斗のことか?

「ああ、そうだけど」

「いやなに、先ほどそやつに会ったのだが、あまり見かけぬ顔だったのでな」

「ああ、矢車クンは転校生だから」

小笠原さんが、何気なく言う。



奴の目が、心なしか細まる。

「……今、なんと言った?」

「え?」

「ヤグルマと、そう聞こえたのだが」

「う、うん。矢車直斗クン、だけど……、知り合い?」

王に威圧され、少し彼女は戸惑いつつ話す。

俺も、話しかけようとすると。





王は教室から、忽然と消えた。


その知覚から遅れて、荒々しく閉められたドアの音を聴いた。













玄関へと急ぐ。

申し訳ないティーチャー宇佐美。
民への示しとならぬが、一身上の都合により、我は早退する。

「あずみぃぃい!!!!」

最も忠実たる従者を呼ぶ。

「ハッ!! お呼びでしょうか、英雄様!」

即座に真横に現れた。

「学校は早退するッ! 我は今日の予定を五時までに全て終わらせる」

「はい! ではそのようにスケジュールを組み直しますが、いかがなされたので?」

「本題だ」

人力車の元へ急ぐ。

「ヤグルマ・ナオトなる者が、二年F組にいた」

「……ッ、そ、それは!?」

そう、一大事だ。

「灯台下暗しとはよく言ったものよ。 まさか一子殿のクラスにいたとは。 しかし、同性同名ということも考えられる」

むしろ、そうであってほしいとの心が、少なからず我が胸にある。

「……わかりました。 では早急に、五時までに報告を」

良い従者を持ったものだ。

「話が早くて助かる」

「いえ、では、いつもより速度を上げさせていただきます!!」

「うむ!!!」




人工島、大扇島の九鬼財閥極東本部へ向かい、人力車は文字通り、爆走する。















五時までに、我も覚悟を決めねばな。


主のそんな呟きが、従者の耳を撫でる。



[25343] 第十五話:天災
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:29

『一つの命を救える人は、世界も救える。』

―――映画「シンドラーのリスト」より

















人の奔流の中。
誰もが、揉みくちゃにされながら。

つい先ほどまで、あそこにいたのが信じられないくらいの変貌ぶりで。
遠目に見た目的地は、さながら火山の噴火であった。

だが、決定的にそれとは違う点が、一つ。


山から逃げる人以上に、山へ向かう人がいる点である。







駆ける。


――ッハァ ッツ、ッハへ、ッハぁ、ッハ


駆ける。駆ける。


――ッカハッ、ゥオェ、ゥェ、ンッ、ぅグッ




迫る嘔吐感、断絶的な立ち眩みと耳鳴り、止まらない四肢の震え。
巻き上がる土煙の為だけではない。
この命よりも大事な物が、今にも今にも消えてしまうのではないかという、極限の焦燥から。

摩天楼の谷間は、悲鳴と怒号で満ち、道端には、無数の瓦礫と、血に塗れ叫びを上げる人々と、灰塗れの星条旗。

両頬を、何度も何度も平手で叩き、狂気と正気を行ったり来たり。

しかし、絶対に足を止めてはならない。

それだけは、はっきりしていて。

止めたら最後、二度と先に進めなくなる。

絶望と共に、俺は崩れ落ちるだろう。

あの、ビルのように。




「ァァアアア!! くそったれがぁぁぁあああ!!!」




誰かの叫びを聴くごとに、視界が、にじむ。

なんだってこんな、

こんな理不尽が、不条理が、この世にあってたまるか!!




頼む。

後生だ。

頼む。頼む。頼む。




どうか、生きててくれ。







「六花ァッ!!」




矢車真一は、咆哮する。




2001年9月11日、現地時間午前8時46分をもって、マンハッタン島は地獄絵図を体現した。










<手には鈍ら-Namakura- 第十五話:天災>











午前8時58分


やっと、ビルを見上げるところまで来た。

外へ、もう逃げたとは考えられない。
待合の場は九十四階、とてもじゃないが瞬時に地上へ降りられる高さじゃない。


まだ、ビル全体は崩れていない。
今から、死ぬ気で登れば、助け出せるかもしれない。

まずは、突入路を探さなければ。



「Hey,Asian!? leave here!! Now!!!」

呼びかけ、というより絶叫だった。

「(何やってんだ!? さっさと逃げろ!!!)」

幾人かの消防隊員Fire Fighterが、俺を押さえつける。

「ッツ!?、放せ!! まだ、ぜってぇ生きてんだよお!!」

言語なんざ、関係なかった。

力任せに振り払い、俺は見つけた進入路へ向かう。


ーー川神で鍛えた、心、技、体。ここで魅せずに何時魅せる!?


自分でも訳のわからない気合の咆哮。

何でも良かった。

絶望の塔に登る、勇気を奮い立たせるものならば。













午前8時37分

乗っているエレベーターは日本のそれとは比較にならないくらいの勢いで、ぐんぐんと上昇。

軽く、耳鳴り。
気圧が関係してることは明白だった。

唾を飲み込み、目的の階に着いた途端。

「はぁ」

溜息をつく。

まったく、あの人にも困ったものだわ、と彼女、矢車六花は心中で述懐する。

ここにきて、ホテルに忘れ物とか、ありえなすぎ。
この交渉は絶対に壊せないって事、わかってるんでしょうね? まったく。

ケータイなんか、後で新しいの買えばいいじゃない。


まあ彼の目的は携帯ではなく、それに付属したビーズストラップ(愛娘作)であることは、彼女は重々承知しているのだが。


エレベーターホールを抜け、少し開けたガラス張りの待合室へ向かう。

備え付けてある丸テーブルにハンドバックを置き、件の資料を出す。

今日、無事にこの交渉を終えれば、優に一万人の貧困、略奪、誘拐で喘ぐアフリカの小国、サンガラの孤児達に、人間らしい生活を送るための物資が届けられる。
そう、「サンガラという国へ」ではなく、「サンガラの孤児たちへ」である。
せっかくサンガラに物資を送っても、横流しする輩が政府内にいるのは確実で。軍閥政治が横行する国とあらば尚更。
だから、こちらで新しい物流ルートを開拓しなければならないのだ。

近いうちにユネスコと協力して、教育問題にも着手できる。

そして、この前例を足がかりに、より多くの子の、親の、命が救われるのは、決して希望的観測ではない
私たちのほかにも、動いている人たち、動こうとしている人たちがいる。
その人たちの希望となれば、どんなに良いことか。


最初はあばら家で、孤児を囲うNGOとして働き、功績を認められ国連入りし、各国の要人と粘り強く舌戦を繰り広げた成果の一つが、今ここに決するのだ。


そんなときに、まったくあの人は。

と、彼女はまた、胸のうちで何度ついたかわからない悪態をつきながら、朝から喧騒の激しいオフィスを、ガラス越しに眺めた。








午前8時41分


欠伸は伝染するというが、溜息もそうなのかもしれない。
九十六階で、三人の屈強なSPに囲まれた九鬼英雄もまた、軽く溜息をつく。

何故、我が、この場にいなければならないのか。

ああ、承知している。その理由は。

いくらスポーツで身を立てていくことを許可したとはいえ、父は保険をかける意味で、ここに我を使わしたのだ。
名目上は、見聞を広げるためとして、ここに足を運ばされたが、野球で大成しなければこの分野で名を残せとのメッセージであろう。
まあ確かに、軍事や政治よりも商業のほうに興味があると申し上げたが。


「ふん」


気にいらん。
何処も彼処も文字と数字の羅列。
おまけに案内の男はこちらに媚を売るばかり。


やはり、我には野球だな。

自らの人生と言い換えてもいい、右肩を、撫でた。










午前8時45分


「なにしてんだろうなぁ…。アタイは」

ビルの傍のホットドックカーゴの中で、頬杖をつきつき、母国語で忍足あずみは呟く。

戦場を駆け抜け早ウン何年。
その間に覚えたのは、ベレッタの扱いであったり、軍用CQBであったり、おおよそ軍事関係以外の就職に役立つものではない。

十は下の助けたガキから悪魔と罵られ、血に濡れて笑う部下をいつまでも眺めていれば、戦地から逃げ出す動機には困らなかった。
さりとて、武力より財力が物を言う社会に舞い戻っても、生きている心地がしない。

戦地でのほうが、よっぽど自分は生き生きしていたなと考えるたびに、やってられなくなる。
今が、正にそんな心境。

「(……おい、バイトッ! 客来てんじゃねぇか、応対応対)」

「(…すみません)」

奥で、勝手に売り物のブラックコーヒーを啜る、シケたオッサンが営むシケたホットドック屋で日銭稼ぐのが今のアタイ。
やろうと思えば、忍術使った大道芸で楽に稼げるとは思うが、風魔の秘伝を茶の間のつまみにするのは、未練たらしく無駄に残った矜持が許さない。


やっぱ、田尻の叔父貴の言ってた通り、娑婆のほうが、キツイな。兵士って奴はよ。

そう思いつつも、鬱屈した心情をおくびにも出さず、アタイは客に笑顔を振りまいてサラダドッグを手渡す。






瞬間、爆音。















午前8時50分


ーーー何が、起こったの?

二分前に体が投げ出されていた六花は、仰向けのまま意識を取り戻した。

ただひたすらに暑い。

とりあえず、五体満足であることに安堵。次いで自問する。

こういうところに備えつけてあるボンベのガス爆発にしては、規模が大きすぎる。
というより、こんな高層階に、爆発するような可燃物が置いてあるとは思えない。


周りを見渡して、すぐさま後悔。

死屍累々。

言葉に表せば、四文字に収まってしまう。

だがこの惨状を、寸分の狂いもなく伝えるためには、人間の言語では限界がある。


「…酷いわね」

意識が戻って初めて口にした言葉は、自分でも意外なほどに冷静さを帯びていた。
まだ状況がよく分かっていないからかもしれない。

だが、自分を客観視できる余裕が、まだあった。

――伊達に、修羅場は潜り抜けてないってことか。

そう呟いて、また状況把握に努める。

東の窓辺は、全壊。

そして、見上げれば、天井の半分は、優に五、六階はぶち抜きの吹き抜けになっていた。
無論、元々こうだったわけではない。

と、なると…。

「あれって、飛行機の…?」

円筒の中にスクリューの羽。
ジェットエンジンに違いないものが、奥の方に転がっていた。

「ッ!? さ、最悪、」

航空機が突っ込んできたのか。
恐らく、乗客もろとも。




「(誰か、誰か、生きてるぅ!?)」

靴のヒールを叩き折って、火焔の中を叫び、歩き回る。

私が生き残り、尚且つ五体満足なのは奇跡的だということが、一歩ごとに良く分かった。

誰もが声を上げない。
誰もが動かない。
誰もが、潰れ、焼け焦げている。

私の場合、待合室のガラスが炎の盾になったのだろう。

段々、息が荒くなる。
パニックに陥らないよう、自分に言い聞かせるが、こうも焦げた死臭があからさまだと…。

「キツい」

視界が潤む。

なんなのよ、もう。

そんな時。



「……何…故ぇ」



日本語が、聞こえた。

そちらへ眼を向けると。


「子供?」


日系人らしき肌の色をした少年が、肩を押さえて、うずくまっていた。












午前8時57分


何故、

何故こんな。


気がつけば、共の者は、我が盾となり火炎と共に消し飛び。

気がつけば、足元が崩れ、浮遊。

気がつけば、地に叩きつけられ。

気がつけば、我の存在証明たる豪腕が、ピクリとも動かなくなっていた。


なんだ、これは。


何故、王たる我が、このような地にへばりついた格好をしておる?
何故、王たる我が、このような幾多の死屍と共にある?
何故、王たる我が、このような激痛に襲われなければならぬ?

何故、

何故、

何故、


理由が知りたかった。

我の人生を断ち切るに値する、理由を。


「……何…故ぇ」











午前9時22分


倒れていた彼を抱えあげ、非常階段へと急ぐ。
他に生存者は、いなかった。

「……何てこと…」

進めた計画の全てが、おじゃん。

だが構ってはいられない。
今は一刻も早く、ここから脱出しなくては。
チロチロとそこかしこで燃える炎と、ビル全体に響く軋音が、首筋に汗を沸々と浮き上がらせる。

ここはアメリカ。
こういう高層ビルは、航空機が衝突してもある程度の強度を保って、崩壊をとどめられる設計がなされているはず。
世の交易を統べるところであるなら、尚更。

そう信じて、地上350メートル以上の高さを駆け下りるしかない。


茫然自失。
腕の中の彼は、そんな表情。
幸い、怪我の程度は命に別状のあるものではなさそう。


非常階段は、まだ無事だった。
大きく、深呼吸。

―――私達は、まだ生きている。

そう呟いて、一歩下れば。





「そうかいそうかい。流石は俺の嫁」





………まったく、この人は、本当に、どうしようもない。


手すりの陰から、言葉とは裏腹に余裕のない息づかいをしつつ、夫が姿を現す。


「…ッ涙目じゃ、格好つかないわよ」

「お前もな」

抱き合った。













午前9時29分




―――痛ッてえ。

忍足あずみは、ここでようやく意識を取り戻す。
乗っているカーゴの天井は不自然に大きくへこみ、着ているエプロンには鮮血のようなケチャップが一面に。

訳がわからない。

車内に上司の姿は無かった。
したたかに後頭部を床に打ったようで、眩暈と鈍痛はなかなか消えてくれそうもなかったが、まずは車から出るのが先決。

あの雷のような音は何だったのだろうか。
そしてこの、カーゴに断続的に響く、小石がトタンに撃ちつけられているような音の正体は。

ついぞ気に入ることのなかった、カチューシャ付きの制帽を叩きつけるように脱ぎ捨て、なんとか車外へと這い出る。

爆音のした方向を見上げる。
どうやら、お高くとまってた隣のビルの高層階で、火事か爆発らしきものがあったらしい。
もうもうと、未だに煙を吐き続けている。


舞い落ちてくる砂や灰が目に入り、目元を拭って、ふと、横に目を滑らせれば。



「……あぁ」

アタイは、こういう世界から、逃げられねぇのか。


辺り一面、灰と瓦礫が雹のように降り続けていて。

カーゴの上で、明らかな墜死体が、ボンネットをたわませていた。












午前9時34分


惨めだった。ただただ、惨めだった。
時折交代して二人の人間に背負われている英雄は、心底、自分に嫌気が差していた。

王たる我が何故、このような醜態を晒さねばならんのだ。

我を救ったこの夫婦に、感謝はしている。
こと、こういう惨劇の後、自らの危険も厭わず足手纏いの荷物以外の何者でもない我を、懸命に励まし続け、地上へと歩を進め続ける彼女らの横顔は、眩しくて仕方がなかった。

だが比べて、我は何なのであろうか。
与えられた救いの手を、ただ亡者の如く享受するのみ。
手傷を負い、まだ幼いのだからと、世の者どもは言うかもしれない。
だが、この九鬼の名を持つ我は、そんな言に救われることなど許されないのだ。
民を、世を統べる事を運命づけられし九鬼は、常に、人々の導き手でなければならないのだ。
このような体たらく、断じて父、九鬼帝は許さぬであろう。

否、誰が許そうとも、我自身が許せぬ。


そして、たとえ、この場を運よく切り抜けられたとしよう。

我に、何が残っている?

野球など、論外だ。
もう、右腕の感覚は、もう無い。
いかに九鬼の医療スタッフが優秀とはいえ、これを完全に治癒することはできんだろう。それは、この激痛から明らか。

「……フフ」

笑うしかなかった。
嗤うしかなかった。
哂うしかなかった。

「フハハハハ……」



後には、もう何も無いことに気づいてしまったから。









「オイ、どうした、ガキ。しっかりしろや」

首を後ろにひねり、我を背負いながら階下へと足を運ぶ彼の者は問うてきた。
粗忽な物言いとはアンバランスな、真実、心配そうな表情だった。

一番、見たくない表情だった。

「降ろせ」

こんな醜態、誰にも見せたくなどなかった。
せめて、最期くらいは、王らしくありたかった。

「何? てめえ満足に走れもしねえだろうが。黙って大人に頼っとけ」

「そうよ、この人、体力は馬鹿みたいにあるから。馬鹿みたいに」

大事なことだから二回言ったわ、と彼の妻は微笑む。
我を、不安にさせないようにするための軽口であるのは明白であった。


その、心遣いさえ、今は肩の傷に障る。


「ッ降ろせぇえ!!!」

「痛ッツ!?」

足蹴りをくらわせて、我は力任せに彼から飛び降り、重力に逆らいもせず、ごろごろと階段上を転がり落ちる。

「ちょ、ちょっと!!」

夫人の声を聴きながら、我の体躯は踊り場へとたどり着く。


「もう、我のことは…。捨て置いてくれ」

紛れもない本心を、呟いた。

言葉にした途端、どうしようもない激情の濁流が、胸から押し寄せてくるのを感じた。








午前9時39分



「もう、我のことは…。捨て置いてくれ」

仰向けになったガキは言う。

そして、堰を切ったように。

「こ、こからぁ! 生き残ったとしてぇえ! わ、れには、もう、生きるための、甲斐が、な、無いぃ!!」

しゃくりあげながらの、絶叫。
魂から伝った涙が、グシャグシャに顔を濡らしていた。

「腕も、もう上がらぬ! 野球もできぬ!! 野球の王となる、夢が、今、断たれたのだ!!! わかるか!?」

こいつ。

「もう、我には、何も残っていないのだぞ!? 誰が、今の我に、王への眼差しを一片たりともくれようか!?」

髪の色と、額の十字傷から何となく感づいてはいたが、九鬼の…。

「その上、足手まといとして、民の命を犠牲にするなど、言語道断も甚だしい!! 九鬼家、末代までの恥となる!!」

やはり、そうか。




そして、気が済んだのか、また急に、静かな声色で。

「我は、もういい。 ここで雄雄しく死を選んだと、九鬼家に伝えてくれ。 我を看取ったといえば、それなりの恩賞もあるだろう」






踊り場へと、俺達も降りる。

無論、素通りできるはずもなく。


「はい、じゃ、また背負うから」

いつものように、ハンカチ片手に愛妻は話しかける。

「肩、結構痛んでるようだから、とりあえずはこれ噛んで我慢してね?」

「ああ、舌噛んだら滅茶苦茶イテェぞ」

「あと、そうそう貴方、次からは私がビルを出るまで背負うから」

「何、言ってんだ。俺が背負う」

「うるさいわね、さっきみたいに取り落とすかもしれないから私が背負います。相変わらず不器用な人」

「おかげさまで体力は馬鹿みたいにあるので、心配無用だ。いくぞ、ガキ」

そういって手を、無事な方の肩へとやる。



「…話を聞いてなかったのか」

払いのけながら、ガキは言う。

「ああ、そういうの、聞き飽きてっから。もう聞き流すことにしてんのよ。俺達は」

腕を掴んで、強引に背負う。

「俺達の仕事は、お前みたいのを助ける仕事だからな」

「そうよ。あなたがどんなに死にたがったとしても、私達はあなたを助けます。英雄くん」

あ?

「てめぇ、名前知ってた、つーか気づいてたのかよ?」

「寄付金そこまでもらってないとはいえ、九鬼財閥はスポンサーの一つよ。 そこの長男の名前を覚えてなくてどうすんのよ?」

「教えてくれたっていいだろうに」

性格悪。
略して性悪。

「迂闊に名前をだせるもんですか。 彼に金目当てで助けてるんだとでも思わせたいの?」

「いや、そりゃ~」

正論っちゃ正論だった。

「相変わらず思慮が足りないわね。 だから馬鹿なのよ」

「……うるさい」







「ああ、でも九鬼くん? ここから出たら、出来れば、も~少し、心遣いをくれないかお父様に頼んでくれないかしら?」

「おい」

なんだこの理夫人、もとい理不尽は。






「わ、我は!」

「俺から言わせれば」

これだけは、伝えておこう。

「お前は贅沢者だ」

「……貴方、九鬼家だから当たりま」


リバウンド奥義、目で殺す。


「俺達はな、アフリカでたーくさん修羅場を見てきた。生きたくても生きらんない奴らがこの足元の裏側にはたーくさんいるんだ」

本当に、数え切れないほどに。

「そいつらの代わりに生きろなんて言わん。そいつらを見殺しにさせないのが俺達の使命だからだ」

だけど。

「いまだけ、それを心に留めておけ」







微かに、背後で頷く気配がした。

それだけで、満足だった。





[25343] 緊急…でもない報告。
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:36


更新が滞ってしまい申し訳ありません。
いや、申し訳はあるんですが…。

私は、宮城県に住んでいます。

これだけで、近況を察していただければ幸いです。
当時は所用で大宮駅まで出ていたので、スプリンクラーの水を被るだけで私は済みましたが、震源近くは大変大変だったみたいです。
まだ行方不明の友人も何人かいて、少し気持ちが参っています。
なんとか都内の親類と連絡が取れ、しばらくそこに居候させてもらっていました。
親類の家はネット環境がなく、旅費の問題からネットカフェに行くことも憚られ…といった感じでした。
一応秋葉原で中古のPCを買って執筆はしていました。何かしていないと滅入ってしまいそうで。それでも一話分しか仕上がりませんでしたががが。

ちなみに自宅のライフラインは全て確保されたので今はなんとか現地で生活しています。
それでもなかなか普段どおりの生活に戻るのは難しそうです。


ということで。

東北、関東地方の皆さん、こんなところからで済みませんが、頑張りましょう!!
そして、それ以外の地域の皆さん。どうか復興へのご協力、お願いします。

具体的には駅前にいる赤十字の方に募金していただく、とか…
あの、これは決して命令とかそんなんじゃなく、ただのお願いなので…

気を悪くした方がいれば謝ります。申し訳ありません。

ただ、東北は今、幾人もの人が苦難で喘いでいます。どうかその事実を、覚えていただきたく。





これからも、一生懸命、完結へ向けて、頑張ります。




[25343] 第十六話:死力
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:42

『会って、知って、愛して、 そして別れていくのが幾多の人間の悲しい物語である。』

―――コールリッジ







午前10時00分




「行ったか?」

灰色の虚空に、言葉を投げつけるように放った。

「みたいね」

もう気配もしないわと、対する妻の声がこだまする。
先ほどまで、これに加えてガキの声がワンワン反響していた。

「いやぁ、しかし。こんな映画みたいな別れってのも、あるもんなんだなあ」

薄暗い周囲とは対照的に、努めて明るく切り出す。

やっと地上階に降りられたと思えば、上から凄まじい量の飛礫の大瀑布。
なんとか出口側にガキのほうは放り投げられたけど。

ま、アレだ。勇者様御一行は綺麗に分断されたわけだ。

いや、もう死ぬかと思いましたよ。



もうすぐ、死ぬんだけどさ。



「まったくね。 まあ、それはともかくとして、英雄くん、うまく抜け出せればいいのだけれど」

彼女の声色は変わらなかった。
やはり彼女の心根は、どこまでも優しいのだ。
腹に鋼材が刺さっても、それは変わらない様子で。

「んーと……。先のアトリウムを抜ければ、俺が入ってきた穴が開いてる。ここからはほぼ一本道、ってかそれ以外はみんな潰れてるんだが、まあ何とかなんだろ。あいつ賢そうだから崩れてないとこ辿ってくと思うし」

目を閉じ、瓦礫の向こう側の記憶を浮かべつつ呟く。

うん。まあ後はあいつの運次第だが、勇者ってのは普通、強運の持ち主だろう?

「何言ってんの? 体の問題よ。あの子、両足は無事だとはいえ、そんなに速くは動けないでしょ?」

咳き込みながら彼女は言い募る。

「あ? 平気だろ。拳法か護身術かなんかやってんのかなぁ。あの蹴りはなかなかのもんだったぞ? まだ腿の裏が痛むんだが……」

これは案外、真実である。

「あら? 馬鹿みたいに丈夫じゃなかったの?」

「うっせ。下半身じゃ一番感覚あるんだよ、今んとこ。にしても畜生。俺ももうタマ無しか……」

もう少し先まで使いたかったんだが。もう一人くらい欲しかったし。
妻と共に這いつくばって、そんなことをのたまう今日この頃。

「やだ、何言ってんの。こんな時に下品なこと言わないでよ」

言いつつ、声色は幾分やわらかくなり、クスクスと。

中年のイヤらしさ全開ですな。

そう思いつつ、俺は会話を続ける。

「こんな時だから言うんだろ? 死ぬ前に言葉にできなかった事、言ってみたいじゃん」

「で、今際の際に、言い残すことがソレなわけ?」

「いやいやまさか。 さっき思いついたが、言ったときの羞恥心はこんなもんじゃないぞ?」

ほんと、こんなもんじゃない。

「……聞きたくないわ。 というか聞かされるこっちの身にもなってくれない?」

「じゃ、お前も考えればいい。とびっきりの下ネタを聴かせてくれ」

「あのね」

「今なら何でも言い放題だ。得意の英語でも、いい……んッグぇ」




ああ畜生。



くっらくらする。



世界が回る回る。










十二でサイッテーな家、飛び出して。
その日の晩からスリ、かっぱらい、オヤジ狩りのオンパレード。
ゴーカンと殺し以外は一通り悪い事やって糊口を凌いだ。

十五で十九だっつって、堀之外のヤクザ屋さんに入って。
クスリ売ったり売られたり、賭けボクシングでぶちのめしたり、たまにわざとぶちのめされたり。
よくもまあ、その日暮らしで生きてたもんだ。

それでも、居心地はそれ以前に比べて格段に良かった。
特に、好きなだけ人と喧嘩できんのが、楽しくて仕方なかった。
それに相手も、感じ悪い奴も勿論いるが、気が合う奴もそれなりにいて。喧嘩した後、即一緒に飲みにいくのが楽しみだった奴もいた。モチ、勝ったほうが奢りだった。
フホウニューコクしてる奴らが、大半だった。日本人もいたことにはいたが。


ちょうど二十歳になった時だった。
地下闘技場へ、ガサがあった。ちょうど八百長の打ち合わせでリングに上がっていた俺は、何も聞かされていなかった。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった組の若頭と、酒の席でちょっとイザコザがあったからな…。その仕返しだと直感したが。
客のいない真昼間に踏み込んできたのが良い証拠で、大方、貢いでる刑事にでもチクッたんだろう。

重そうなヘルメット着けて、盾と警棒を持ったおまわりが、続々とファイト・ステージに上がりこんできた。

俺は別に組のほうに未練はなかったし、棄てられようが別に構いはしなかった。
だけど、土足で「住処」に押し入ってきた奴らのいいようにされてたまるか。

俺だけが抵抗したわけではなかった。同胞の皆が皆、拳を固めていた。
それはそうだ。俺は別に捕まったって何も死ぬわけでもなく、ただ檻に入れられるだけだろう。
だが、あいつらは違う。檻に入れられて何日かすれば、逃げ出してきた母国へ送り還されるのだ。生きることすら儘ならない、形ばかりの故郷へ、戻らされるのだ。
文字通り、生死を賭けた戦いだったのである。



―――俺たちの故郷は、此処だぁッ!!!



誰かの訛った日本語の叫びが響き渡り、それが俺たちの十二ラウンド目、ラストファイトのゴングだった。








この出来事の前後の記憶は曖昧で。
それくらい必死で、俺たちは戦い続けたんだと思う。軽く三日は過ぎたはずだった。

終止符を打ったのは、警察に請われて参戦した、川神鉄心だった。らしい。

というのも、俺は覚えていないからである。

気づいたら戦いは終わっていて、川神院の床に寝転がされていた。
その後、才能があるだの力の正しい使い方を教えてやるだの、クドクドクッドクド言われ、なし崩し的に川神流に弟子入りさせられたのだ。
それから、なし崩し的に何年か修行し、なし崩し的に六花と一緒になり、なし崩し的に子が生まれ、なし崩し的に世界を股にかけ、ヒーロー紛いの仕事をするようになったのだから、人生わからないもので。


これが、六花の夫であり、直斗と真守の父である俺、矢車真一の生涯の軌跡である。









ああ、やばい。 これ……、走馬灯か。









思い残すことは山ほどあるけど、まあ、俺にしては、上等の人生だったんじゃねぇかな。
今の職に就いたときに遺書は書いたし、うまい具合に直斗も真守も川神にいるから、後のことは総代が何とかしてくれんだろ。

真守が結婚するまで生きて、願わくば、寿命で死にたかったが、それは贅沢ってもんだ。



さて。









「俺のネタを聴けぇえい!!!」

「ちょ、ちょっと……」


大事な大事な彼女へ、最期の破顔一笑。
















―――愛してるぜッ、ベイビィイイ!!!
















あばよ、みんな。
















<手には鈍ら-Namakura- 第十六話:死力>















午前9時57分




生きる。

ただ、その一念をもって、九鬼英雄は歩を進めていた。
死と崩壊の気配が、頭上から後ろから着実に迫ってくる。

だが、決して振り向かなかった。
振り向けば、どうなるか知れたものではなかった。
ただ、此処から抜け出るのに一片の助けにもならないことは明白。

だから、振り向くことは許されない。




―――生きる事から、逃げるなァッ!!!




別離のきわに、そう、言われたのだから。

両肩を両手で押さえ、自らを掻き抱くような姿勢のまま我は進む。


「ッゥウ、ッぁ、ッ済まぬッ…ぅ!」

潤んだ視界のまま、いつ止まるのかもわからぬ嗚咽とともに、今日で一生分は唱えるであろう謝罪の言葉を、再度、口にする。

我があのようなくだらぬ駄々をこね、時間を空費したばかりに。

あと数十秒早ければ、この修羅場から共に脱出できたはずなのだ…。



「……ぅぁあッ!!」



呻かずには、いられなかった。




そもそも、こんなところに来なければ。

我に出会わなければ、矢車夫妻は、生き延びられたのではないか?

我も、野球を続けられたのではなかったか?

何年も前から、野球に我は、我の全てを賭けると決めていたはずなのだ。

なのに父の意向に逆らえず、のこのこと、この場に来てしまった。

あの時、父へ言うべきではなかったのか?

我の王道は、野球道にのみ、あるのだと。

二束の草鞋など、もってのほかであると。

そういう断固たる決意を、伝えるべきだったのではないか!?

むしろ父は、それを期待していたのではなかったか!?





「……ッつぅ!!」

激痛に、思わず膝を折り、蹲る。

肩に、焼印を押されているようだった。




今となっては、もう野球の道はない。

我はただの半端者に成り下がってしまった。

これは、報いか?

王として相応しい意志を、貫けられなかった我への。




「……っぅ…ッ…」

まさしくそうなのだ、とでも言うように、内から抉られるような痛みがまた、呼応する。





「され、ど、も……」


軋む足首に活を入れ、再び二本の足で、立ち上がる。






我はまだ、生きている。

死する身であった我を助け、もう一度、世に憚る機会を、王道を貫く日々を、あの夫妻は正しく、身をなげうって恵んでくれたのだ。

ここで死ねば、黄泉の国での申し訳もたたぬではないか!?

真実、我は今、二人の人間の下に、立っておるのだぞ!?






「ぬぅぅぁぁぁああああああッ!!」






叫ばずには、いられなかった。


胸をこれでもかと張り、魂に、誓う。




―――必ず……、必ずッ、我はァァアッ!!!









彼の者の行く手には、光があった。















午前10時04分





降り注ぐ灰とともに響く、轟音の中、矢車六花は泰然としていた。

貫かれた腹から滴る血は、とめどなく流れてゆく。

もはや痛覚も麻痺しているのだろうが、まるで、丹田から魂が抜き取られていくような感覚が彼女を襲う。



―――まあ、魂は、川神に預けているのだけれど。


か細く、呟く。


子供たちを救うと、そう決意したときの心は、魂は、そのままにしておきたかった。汚れさせたくなかった。

だから、川神に置いてきたのだ。 自らの分身たる相棒を。

あの時の想いを、後から沸くかも知れぬ我欲に汚されないよう。

そして左腰に眼をやるたびに、日本に戻るたびに、自らの使命をまた深く心に刻み込むために。





「本当に、最後までカッコつかなかったわね……?」

文字通り死力を尽くし、右手で触れた彼の頬は、まだ温かで。

生きる事から逃げるなと、どの口が言えたのかしら。

「まあ、こんな状況で、笑って死ねるなんて幸せよね?」

大口を開けて仰臥する、物言わぬ夫に語り続ける。

馬鹿は死ぬまで、治らなかったらしい。

「私は、多分無理……」

そして一旦、彼から目を離し、ほとんど感覚の無い左腕を引きずりあげた。


心残りがありすぎる。
仕事もそうだし、閖前の家のこともあるし。
なにより、直斗がどうなるか……。もちろん、真守のことも。


ひび割れた腕時計の文字盤を、やっとのことで読み取る。

こんなにボロボロになっても、変わらずに時を刻んでいるのが憎らしく、そして羨ましかった。

ニューヨークと日本の時差は、約十三時間。 今頃は、夕飯食べ終わってお風呂でも入ってるかな。

一度、日本の自宅に戻って良かった。本当にそう思う。
海外に残していたらと思うと、死んでも死に切れない。

きっと、御本家がなんとかしてくれる。これだけは、唯一の救いだった。


「ごめんね………ッお母さんね、強行軍で、すぐ、帰るつもりだったけど、そうはいかなくなっ、ちゃったみたい」


息も切れ切れに、胸の内を吐露する。

普通の親より、絶対に、息子に娘に、関れなかった。
世界のためだとか、恵まれない人たちのためだとか、そんなこと、あんたたちに関係なかったわよね。

もっと、一緒にいれた筈だった。
もっと、話せた筈だった。
もっと、抱き締められた筈だった。

もっと、もっと、もっと。


「ああもう、きりがないわね」

つつっと、鼻を啜り、目を拭う。

「本当に…、ごめんなさい」




三途の渡し舟、シージャックして、あの人が待ってるみたいだから。













午前10時11分






忍足あずみは、悄然として、顎を幾分逸らしたまま空を見上げていた。

時折、崩壊するビルからの、人の飛び降りが視界を掠める。


「……人生、あきらめも肝心ってか?」


どこかに傷を負っているわけではないが、もう、立ち上がって逃げる気力もなかった。

カーゴのタイヤを背もたれに、足を投げ出し、座り続けて数十分。
車の陰にいるせいか、はたまたもう逃げ出してしまったのか、消防も警察も近くに来る気配がない。

理由はおそらく後者が有力のようだ。
今にもこのビルは崩れる様子だった。出入り口から見えるエントランス内部は、天井から墜ちたと思われる鉄骨でひしめき合っていた。

まあ、救助が来たとしても、世話になるつもりは毛頭ない。
だから、少し安堵する。

死にたくはないと、思わないわけじゃない。
ただ、死にたくないと思う以上に、生きたいと思えないのだ。

そんな輩を助けなければならないほど、迷惑な話はないだろ?




見上げるのに疲れ、俯き、瞼を閉じ、今度は感傷に浸る。


本当に、月並みな言い方だが、もう疲れた。


この場を切り抜けられたとして、そこからアタイは何をする?


唯一、風魔の御業を、後世に伝えなければならないという使命は確かにある。

確かにあるが、今のご時世、伝えて何になる?
普通にせっせと勉強して上等な学校、上等な職に入った方がよっぽど生産的じゃないか。

伝えなくったって怒られるわけでもない。
むしろ伝えられる弟子は、たまったもんじゃない。
忍びの末路がどうなるか、師のアタイがいい例だ。


それに…



―――ッハハ




笑える。




風魔流は、一子相伝。そして血統を何よりも重んじる。
木の股から弟子が出てくるでもなし。
先にガキを作んなきゃならず、さらに先に男も作んなきゃならない。



「そんな甲斐性、アタイにあるわきゃねぇ」



色恋沙汰なんて、もう何年もご無沙汰。

傭兵業の中で、育まれる愛なんてタカが知れてる。
男女の同衾なんてザラだし、そういう関係になっちまうことはあることにはある(アタイは無い)が、大抵はその場の勢いだの血迷いだのが多くを占める。

別に乙女を気取るつもりはなかったが、そんなので傷の舐め合いなんて真っ平だった。
そういう心情が腹の底でぐつぐつとあるものだから、恋だとか愛だとかくだらなくて仕方ない。
風魔で房中術を齧った身なら、尚更だ。
こんな女、大抵の男共も願い下げだろう。



こんなでかいビルが墓標になるんだ。 上等すぎてお釣りがくんだろうがよ。



視界が潤み、白く霞む。




「……、く、くそっ、たれ」


悪態の声は、自分でも驚くほどに、震えていた。



グダグダと忍術修めて、そのうちに師が死んで、当世一代っきりの風魔忍になり、食い扶持求めて傭兵で鳴らし、そのまま畜生道に堕ちてりゃ良いものを、中途半端に嫌気が差して娑婆に逃げればこのザマ。






―――どうやって、生きろっつうんだよぉ?






枯れたと信じた涙と共に、そう、紡いだとき。






「きさま、ここで何をしておる……」




隣を見れば、その、死を拒絶した眼光が、アタイを射抜く。


一生、忠誠を誓う事となる主君に、出会った瞬間であった。









[25343] 第十七話:秘愛
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:46

『自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、 人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。』

―――フロイト




















5月18日、月曜日の放課後。




風が、強く吹いている。


別に駅伝に出るわけではないのだが。








「まことに、申し訳も、たたぬ……」








川神学園、屋上にて。
俺は、九鬼英雄と対峙していた。

教室から院へ戻ろうとする所を、今は屋上の入り口で人払いをかけているメイドに、半ば拉致の形で王の御前に連れて来られた次第で。


まあ、それで。

結構、重い話をされたわけで。

何を言って、よいのやら。



「……」



眼下には、ひれ伏した、唯我独尊の男。
夕日に照る頭髪が嫌に眩く、目を細める。
地に向いている彼の表情を、俺は伺うことが出来ずにいる。


いやまさか、ここで親の事が出てくるとは思いもせず。
そして、あの九鬼英雄が頭を下げるとも思いもせず。

そういう理由で若干、テンパっている。

彼の話に嘘偽りは無いだろう。
これだけは、彼の常日頃を見ていれば容易に想像がつく。


だからこそ脳裏にて、驚嘆の想いと打算的思考が錯綜していた。



どうした、ものか。


まず、俺のことをどこまで知っているのか。
全てを知ってしまっているのならば、どうにか口を噤んでもらう他無い。
無論、殺すとかそういう意味ではなく、頼みこむ形で。

今、風間ファミリーに、直江大和に、過去を知られるわけにはいかない。

それだけは、避けねば。





「……頭を、上げてください」

自分でも信じられないくらい、囁くような掠れる声。


「……」


彼は、微動だにしない。


「俺には、貴方に頭を下げられるいわれがありません」


これは、本当のことだ。


「どうか」


それでも、額の十文字を見ることは叶わない。

助けを請うように、俺は離れたところで控える従者へと顔を向ける。

一瞬、視線が交わるが、すぐさま目を伏せられた。
主が他人に頭を垂れる様など、我慢できるはずなかろうに。


これほど、痛い沈黙は無い。

こうなれば、俺が口火を切り続ける他あるまい。

「あのテロは事実、人災ですが、貴方が起こしたことでも無く、むしろ貴方は被害者の筈」

責任感が強い気質を、突いて反応を待つ。

「父と母が貴方を助けたそうですが、そのことで命を落としたとして、その場にいなかった俺が恨める筈も無いでしょう?」

無責任に感情に任せて責められるほど、糾弾できるほど、幼くは無いつもりだ。
そして、それができる身分から転げ落ちて、幾星霜経つ。
それに当時なら話は違ったかもしれないが、今の俺は生憎にして達観した人生観を持っている。
今更、何かが変わるものでもない。



「……許して、欲しいのだ」


やっと、王は反応。


「……許すも何も、貴方は何も悪く」





言い終わらぬうちに。


―――生きることを、許して欲しいのだッ!!

















この者は言う。

恨んでいないと。 我に非は無いと。


否、非は間違いなくあるのだ。
王の生き方を貫けなかった我に、狂いもなく非はあるのだ。

人の命は、民の命は、戻らない。
幾度も、幾度も、あの惨劇から思い続けてきた。

姉上の進める、BUSHIDO計画―――クローニングによる古代武士の再現に強く違和感を持っていることは、これの影響が少なからずあるのだろう。

我は、奪い、失くしたのだ。
あの夫妻を。この男の両親を。
そして、あの夫妻に救われるはずだった、一万のアフリカの民をも。

あのテロは、我ら富裕層を狙ったものであったことを知ってから、この罪悪の想いはますます募る。

告白しよう。
我は、この苦しみから解放されたいのだ。

腹を切れば、この懊悩から抜け出せるかもしれぬと、夢見が悪い時分に幾度考えたことか。

だが、それは許されない。
あの時の言葉を、たがえる事となるからだ
我は王なのだ。英雄ヒーローであるのだ。


―――生きることから、逃げるなァッ!!


……たがえる訳には、ゆくまい。

そう、あの時誓ったのだ。




なれば、せめて、せめて、この命。
永らえる事の、全うする事の、許しを得たかった。
蔑みの眼と、恨みの刃を振るわれるとしても、生きる許諾を得たかったのだ。
だから、この八年近く、遺児である矢車直斗と矢車真守を、求めた。

不可思議があったのは、この間である。
娘の方、矢車真守の消息は、既に故人であれ、確認はできた。
しかし、九鬼家長男相応の情報網を用いても、あのテロ以降の、兄、直斗の所在を含む一切の情報を掴めなかったのである。

縁があったとされる川神院を訪ねても、暖簾に腕押しも甚だしく。




……まあよい。

ここに、居るのだから。
ここに、現れたのだから。

些事は捨て置く。


為すべきは、一つ。



―――生きることを、許して欲しいのだッ!!





真実、心から、初めて頭を垂れた数拍後。

視界が、急展開。


「英雄様ッ!?」


あずみが叫ぶ。





そして目の前に、修羅の眼が。



















気づけば、右腕が彼の胸倉を掴みあげていた。

胸元に留めてあった装飾が、地に音を立てて転がる。

「ッッー…ーー…ー」

声が、出ない。




何やってんだ? 俺は。




チクリと、手元に痛み。

「ッ!? 悪いッ」

我に返り、手を離す。
王は重力に逆らわず、そのまま崩れ落ち、瞬時に移動した従者の胸の中。

彼女の手には、小太刀。

見れば、右手の袖口に一文字の裂傷。
薄皮一枚、というところ。


くっそ。


心中で、舌打ち。
武を振るうつもりはなかったのだが。

苛立ったことは事実。




右腕を押さえつつ、主従を見る。

メイドは、主に気を配りつつ、こちらへの視線を外さないでいる。

すると当の主は、彼女を振り払う。


「あずみッ!! 貴様、手を出すなと再三言い含んだ筈だ!!!」

「し、しかし、あれは」

正しく殺気だった。
そう、言うつもりだったのだろうが、阻まれる。

「我の命を、聞けぬと言うか!?」

大音声だいおんじょうの、恫喝。

「いえ、そのようなことは、決して…」

「我は、どのような扱いをも受ける覚悟はできていると、言った筈だ!!」

そう言い聞かせ、彼は俺に振り返る。



「どうか、お許しを」



手をつき、また頭を垂れる。
さながら、見えざる断頭台に頸を乗せるが如く。






違う。



違うんだ。



俺が今、許せなかったのは。






吹き荒ぶ風に、乗せるように。

「……生きる、ことに」

俯きながら、俺自身、噛み締めるように言う。

英雄の顔が上がった。

「許可なんか、いらないでしょう?」




「……な…」

俺はどんな顔をしているのだろうか。
いい具合に腕の痛みが、敬語で本心を話せるくらいの器用さを、理性に持たせてくれたようだった。
涙腺が、多少緩んでしまうのは、ご愛嬌だろう。

「許しを与える人間は、傲慢に過ぎる」

論理的に言えば、殺人者と同じだ。

それに、俺なんかに、許可を求めるなど。

「だから、父と母の死に目に立ち会った貴方から、そんな言葉を聞きたくなかったんです」

そういう「許可」を無くすために、父さんと母さんは、戦ったのだから。

「無礼な振る舞い、誠に申し訳ありません。最初に、これを言うべきでした」

真っ直ぐに、彼の双眸を見つめる。



―――生きていてくださって、本当に、ありがとう。



この人は、どれほど悩もうと、父の、生きろという希望を叶え、王道を進んできたのだから。













<手には鈍ら-Namakura- 第十七話:秘愛>














過去をどれほど彼が知ったのか。

気になる所ではあったが、あんな台詞を吐いた以上、気恥ずかしく、とてもではないが留まり続けられず。
非礼の詫びと別れの挨拶もそこそこに、俺は学園からの帰路についた。

まあ、九鬼家の嫡男だ。分別も並以上にあるだろうし、勝手気ままに吹聴することもあるまい。

それに、今日は、総代から仕事を頂いていた事もある。










院内の控え室から、縁側を横切り、そのまま庭園へと導く。

「(それにしても、内弟子が通訳とは、流石は世界一と名高いKAWAKAMIだな?)」

身振り手振りを交え、大仰に右隣の大男が話す。

「(そうだね。ゲイル兄さん。まあ、いなくとも、ワタシの開発したゲイツ式言語翻訳ソフトと言語発声ソフトを使えば、どうという事もないが?)」

その大男のそばに控える小男が相槌を打つ。

「(仰せつかった仕事ですので、どうか不便でも私を使っていただけますか?)」

いつもより更に腰を低く、応対する。
彼らは志願して百代と戦う為、道場破りには違いないが、川神院は常にこのような輩にも客としてもてなす。

礼を重んじること。
数年前にもう一人の師範代が、ルー師範代と雌雄を決した後から、一層、院内にはこの空気が横たわっていると耳にした。

「(いやいや、気を悪くしたなら謝ろう。なかなかに君、英語が堪能じゃないか? 節々に、英国訛りがするが)」

弟の最後の言葉に合わせた兄の苦笑いの表情を見て、喋りすぎは悪手かと俺は思い当たった、と同時に、彼らは生粋の米国人アメリカンーーー祖国に誇りを持っているのだ、という認識を新たにした。

不思議な事に歴史の古い英国よりも、古風な言い回しや発音が多く残るアメリカ英語を習熟し、鼻高々としていても、軽蔑されることはあっても尊敬はされない。
イギリス英語については、この正反対である。
それでも世界の広範囲で普遍的に前者は使われているし、どちらが劣り、どちらが優れて、上品か、上質かとは全く思わないが、国際会議を始めとする公式的な場では、英国式が好まれる。
両親の仕事柄、国際交流の場に家族ぐるみで赴くことも多かった為、イングランド人さながらにロンドンの最も流麗とされる英語を、俺は母から学ばされた。

が、今回に限っては、大国のプライドを少々、害したかもしれず。

「(ご賢察、恐れ入ります。両親が国連関係の仕事を持っていましたので、幾年か支部のあるフランスジュネーヴを中心に、欧州の方を幼少より転々としておりました)」

「(ほう、そして今は川神院預かりの身かい? 面白い経歴だね。)」

「(ええ、総代とは遠縁にあたりまして、それを頼りにここで居候を。 しかし、もう何年もこの国から出ていませんから、僅かばかり退屈を、噛み殺しています。 やはり一生に一度は、世界の大国にお邪魔したいとも思いますし)」

少々護摩を、すりすりと。

「(おお、いい心掛けじゃないか。 ナオト、と言ったか? 暇が出来たらぜひとも来たまえ。 KAWAKAMIの武芸者であれば、こちらでも大歓迎さ)」

と文字通り、諸手をあげてゲイルは言う。

「(そうだね。 それに兄さん、ここでモモヨを倒せば、彼もKAWAKAMIに見切りを着けられるんじゃあないかな?)」

「(ハハハ、まさにそうなるな。 不幸なことに、いや、幸運かな?)」


今、冗談を言えるほどの自信が、彼らにはあるのだろう。
それに見合う実力が、あるかどうかは別として。

曖昧に頷きつつ、境内前に案内を終える。



「……Good luck.」


世界に、御名を轟かせる彼女の元へ、ジキル博士とハイド氏を、俺は手向けた。
















「は、速すぎて、どこを殴ったのか見えなかったぞ…。 攻撃手段は多分、右ストレートだとは思うが」

一瞬で終わった、観戦していた風間ファミリーの新入りの一人、クリスは驚きの声と共に、そう分析していた。

「ええ、右の拳ですね。打ち抜く感じで」

相槌を、隣の由紀江が打つ。
彼女の方が、より動作を見切れていたようだが。

「皆さん、御揃いで」

「ああ、矢車殿!」

ゲイルの介抱を兄弟子に任せた後、俺も同輩の輪に加わる。
ちなみに弟のゲイツはいそいそと新型のPCエンジンの開発やらなにやらで、境内の隅にてキーボードに指を叩きつけていた。

放っておいても、問題は無いだろう。
というより、下手に話をしたら、邪魔になりそうだった。

「ご見学にいらしたので?」

風間ファミリーに問う。
果たして、見応えがあったかどうか……。

「はい。 立会い、ご苦労様です。 それにしても、通訳ですか? ご立派ですね」
(オラも英語は、ちょっとばかし覚えがあるんだぜー)

由紀江は、そう言って俺を労う。副音声は、相変わらず。

「いえ、大したことでは。 昔とったキネヅカ、と言った所でしょうか」

唯一、人に誇れる技能ではあるので、謙遜しつつも内心悪くない心地。

「それで、どうでしたか? 決闘の方は?」

「いつも通り、圧勝だったね。 姉さんは。 少し、不機嫌だけど」

遠くで総代に窘められている姉貴分を見つつ、幾分心配そうに大和は言う。
流石に、長年彼女に寄り添っているだけのことはある。

「いや、なかなか、満足いく戦いが出来なくて、ご不満が多々ありそうでして」

俺は苦笑い。

「そういう鬱憤の対処は、頼れるファミリーの軍師様に、お願いすることになりそうです」

「ははは、胃が痛むよ」

茶化した俺に、頭を撫でながら彼は返答する。




そんなやりとりを終えると、件の彼女がこちらを見た。
真っ先に、妹分の賞賛の声が聞こえ、他の面子も同様に褒め称え、彼女の元へと駆け出していく。

影があるが、それでも笑顔には違いない表情で、百代は応えていた。




そう、武で彼女を満たすことは、もう不可能なのかも知れない。
ならば、彼らに賭けてみるしかあるまい。
今現在、彼女の安らぎは、あそこにしかないのだから。

そして、そこに俺が入る余地は、ない。
否、万が一、頼まれたとしても、入れないだろう。

どうしようもない抵抗が、嫌悪が、この心中に澱んでいる限り。




憤懣がない、と言えば嘘になる。

俺が、俺がどうにかしたい、という想いは、きっと消えない。

だけど現実、それは無理だ。

心底気に入らなくても、あいつらに、大和に、狂気に似たおぞましい何かから、彼女を護ってもらうしかないのだ。




ただ傍観することが、俺なりの、精一杯かつ至上の愛し方なのだと、信じて。




不意に、遠くの彼女らを映す、視界が滲んだ。

世の中、ままならないな。




だけど、きっと。




「……大和あいつ、変われたみたいだぜ?」


―――真守。


呟き結ぶ。





親指の付け根で眼を拭い、俺は、あいつらから背を向けるように西陽を見た。
大和然り、九鬼然り、家族の犠牲は、無駄ではなかったのだ。


そう思うと、言い知れない寂寥と、安堵が俺を抱いた。



そして。

「……潮時、だよな」



この地を去る事を、考えなければならないようだった。








[25343] 第十八話:忠臣
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:48
『もしあなたが約束の時間より早く着いたら、あなたは心配性である。 もし遅れてきたら挑発家、 時間どうりに来れば強迫観念の持ち主。 もし来なかったら、知恵遅れという事になる。』

―――アンリ・ジャンソン




















6月3日(水)








「まーしゅまーろ」

「はい」

ヒョイ

はふ。

「まーしゅまーろ」

「…はい」

ヒョイ

はふ。

「まーしゅまーろ」

「……ん、はい」

ヒョイ

んぐ。は、はふ。

「まーしゅまーろ」

「……ふ、…ふぁい、」

ヒョイ

ん、んんぐ、ははふ。






「おいおい、そんな本気で付き合わなくったっていいんだぞ?」

隣で見ていた井上準が、生暖かい視線を送りながら言う。

「を、おあいりょうふえだいじょうぶです

「その意気その意気ー♪」

片手には、弾力菓子の凶器。

「ユキ、苦しいのわかっているなら止めなさい」

右掌を菩薩のように構えながら、坊主頭は彼女を嗜めた。

「え~」

口を尖らせ、八の字眉。

それでも尚、かわいらしいと思えるのは、並以上に整った彼女の容貌のせいだろう。

「そうですね、ユキ。 彼はなかなか他人の厚意を断れない人柄のようですから」

そして、俺のすぐ横に居座る葵冬馬も、援護射撃。

おかげでやっと、頬が、げっ歯類のように膨らむのを止めることができた。


にしても、近いです。 息がかかりますよ葵さん。


「フハハハ、仲良くなって何よりであるな!!」

従者を控えた、俺をここ、二年S組に引っ張り込んだ張本人である九鬼英雄は、仁王立ちで腕を組みながら、一人、うんうんと頷いていた。








あの屋上の件から、早、幾日。

九鬼が、行く先々で、ひっついてくるようになった。
強引に昼をご馳走になることが多くなり、今では、こうして昼休みはS組で過ごす事がほとんどで。

贖罪である気配が、ないようでもなかった。
正直、複雑な心中ではあったが、これで彼の気が済むのであればと、惰性で付き合っている。

それに実際、F組の輩より、彼のほうが、なんというか、話しやすいというか。

精神年齢の差、なのだろうか。
幼稚とは決して言わずとも、よく言えば、歳相応の言動が目立つF組は、居心地は決して悪くは無いが、それでも良いとは言い切れず。

一応、歳はこの学年より二つ上に当たるから、この差は結構大きく感じたりするのだ。

比較して、九鬼。

学年次席の秀才にして、九鬼財閥商業部門を率いることはあり、頭の回転が違う。

こちらの伝えたい意図、意志を的確に読んでくれ、それに次ぐ素早いレスポンスが、何とも気持ちが良かった。

流石に「殿」づけは、頼んで止めてもらったが。

俺は、そんな上等な人間じゃない。





まあ、唯一気になるのは、やはりS組の他の面子。
才能の上に努力し、勉学のみならず運動にも、実績を残し続け、それを自負してやまない彼ら(特に着物娘)のあけすけな蔑視線が、どうにも気になることぐらいか。
どうもF組と言うだけで、彼らの敵意の半分を掻き立ててしまうようで。

同じことは、S組と言うだけで罵詈雑言が飛び交う、うちのクラスにも言えるのだが。


でもそれを、機敏に察知して、話しやすそうな友をあてがってくれる所が、優秀な経営者の証なのだろう。
彼としても、自身の親友を紹介したかったのだろうし。



自身の唯一の支えであり、誇りでもあった野球の道をあの事件で失った九鬼は、それでも、湧き上がる絶望を抑え、自身の身代わりになった者の事を深く悔いながらも、懸命に王道をひた走ろうと、並々ならぬ努力を重ねてきたらしい。

だが、やっと十代になったばかりの彼に、人生を賭して、追い続けていた夢を捨てなければならないという事実は、やはり酷が過ぎるものであったのだ。
野球を通して周りにできた取り巻きは、同情の目を向けつつも、彼の元にはもう集まらず、当たり前のように、陽の下で白球を追いかけ続ける。

何をするにも億劫で、親にも捨て置かれたと、感じ始めたとき、同じ学校の葵冬馬だけは彼の元を離れなかったと言う。

トーマのおかげで今の我があるのだと、大声で宣言して憚らない所を見れば、相当に、元気づけられたのだろう。









「なるほど、一子さんを慕われているのも、そういう事情が?」

その話を初めて聞いたとき、咄嗟に声に出してしまった。
人の恋路に口を挟むのは迂闊だったかと、言ってから思ったが。

後ろに控えていた、従者から、負の気配が匂った気がした。

「おお、やはりそう思うか? まさにそれが理由でな」

だが、九鬼は良くぞ聞いてくれたと言わんばかりに、饒舌さを増した。

「あのひたむきな鍛錬の姿勢は、かつての我とかぶるのだ。 川神院の師範代を目指すと言えば、メジャーリーグで球を放ろうとするよりも、数段、難しいだろうに…」

目を閉じ、傍から見れば、まさにいい夢を見ているかの如き表情で、彼は続ける。

「我には夢を果たせなんだが、彼女には果たして欲しいのだ」



―――そうか。 真剣マジ、なんだな。


と、今まで彼へと抱いていた、ストーカーに向ける気持ちと大差ないソレは、その時、掻き消えたものだった。










「きょーだい、きょーだい」

痛たたた。

頭皮への痛撃で、物思いから現実へと戻る。

そんなに、同じ髪色なのが嬉しいのだろうか。

彼女も地毛らしい。
もっとも、俺と違って、生まれ持ってきたモノだと言うが。

「ユキ、人の髪の毛を引っ張っちゃいけません!」

井上この人は、どうやら、ユキこと榊原小雪の母親代わりのようだった。

「だって、もう、準の髪の毛ないんだもん♪」

「お前が剃ったんだろうが!!」

いいね、好きだなこういうノリ。





掛けられた時計を見る。

「では、そろそろお暇しませんと……」

やんわりと、彼女の手を払い、俺は立ち上がる。

「今日もおいしいお昼を、ご馳走になりました」

一礼する。

「なんのなんの。いつも通り、口にあって何より」

「ああ、もうこんな時間ですか? 楽しい時間は過ぎるのが速いですね……」

と、ごく至近距離で爽やかな笑顔を向け、俺の肩に手をやる学年首席。

そろそろ、首筋を侵されそうで怖い。

「もー、こっちに来ちゃえばいいのにさー」

ぶー、と、小雪は不満がる。
こっち、とはS組のことだろう。

美少女にこう言われて、悪い気はしないが。

「そう、ですね。 だいぶ英語が堪能の様子ですし。 こちらに来るにも、そこまで負担ではないでしょう?」

冬馬は、首を傾げつつ言う。

「いえいえ、川神院での生活もあるものですから、なかなか厳しいかなと」

F、にいなければ、学園にいる意味もないのだし。



「すみません、次は世界史の授業ですので」

担任の授業は、遅れられん。

「あ~、あの鬼小島か。 んじゃ早く戻ったほうがいいな。 もっとも、お前は滅多な事では、鞭で叩かれないだろうが」

井上準は、苦笑した。

コジーマ、イズ、ゴッド。


では、と、ぐずる彼女を尻目に、俺は教室を出る。



あわただしく各々のクラスに向かう者達と同じく、俺も自分の教室へと急ぐ。










―――――丑三つッ、川神院ッ。










「!?」


殺気を加えられた、ドスの聴いた声が、背後から耳朶を打った。


「……、ど、どうかしたのか?」


突然振り返った俺に、すれ違った生徒は、驚き問うた。


この声では、ない。


「い、いえ何でも。 すみません」

怪訝な表情を浮かべた同級生を背に、俺は足早に歩を進めた。




はて?














<手には鈍ら-Nmakura- 第十八話:忠臣>















1日を2時間ごとに区切り、干支(深夜12時から午前2時までが子の刻。以下、丑の刻、寅の刻…と続く)で表現する方法が始まったのは戦国時代である。
ただ、時間の最小単位が2時間では何かと不便なので(待ち合わせなどするにも大変不便)、1時間を指す時は上刻、下刻で表現していた。
このやり方だと、例えば「丑の上刻」であれば、午前2時から午前3時までの間になる。

江戸時代に入ると「数呼び」という新しい方法が出てくる。
これだと、深夜12時が九つとなり、2時間ごとに八つ、七つ、六つ、五つ、四つと一巡し、お昼の12時に再び九つとなる。
1時間を表現する場合は「半」という文字を付ける。つまり、12時が九つ、1時が九つ半、2時が八つ、といった具合である。

江戸時代にもっと細かい時間を言う場合は、干支を使った呼び方を用い、干支と干支の間の2時間をさらに3つに分けて(戦国時代は2つだった)、上刻(△時00分~40分)、中刻(△時40分~80分)、下刻(△時80分~□時00分)と呼んだ。
これだと、例えば、「丑の上刻」と言えば、午前2時から2時40分までの間になる。

「草木も眠る丑三つ時」などと言う時は、干支と干支の間の2時間をさらにさらに細かく4つに分け、丑一つ(2:00~2:30)、丑二つ(2:30~3:00)、丑三つ(3:00~3:30)、丑四つ(3:30~4:00)となり、丑三つ時は午前3時から3時半ということになる。
なお、子の刻を午後11時~午前1時とする説もある。広辞苑ではこちらを採用していた。
この場合は丑三つは午前2時~2時半の間ということになる。





6月4日(木)未明。





おわかりだろうか。

俺は、今、誰とも知れぬ者の為に(大体の見当は、ついているが)、午前2時から川神の巨門で待ちぼうけをくらっている次第である。
もう、待ち続けて四、五十分は軽く経過していることから、やはり三時からの丑三つだったかと、寝呆け眼を擦りつつ、思案していたところである。


総代には話を通しているので、翌朝に咎められる事は無いであろうが、それでも朝の鍛錬を休める筈は無く、気が重くてしょうがない。
きっと、鍛錬の時間には、寝不足から身体も重くなっているだろう。

三時間の仮眠をとって、それからはここで立ちんぼ。

道着に襷を巻きつけて、木刀片手に凝った肩を回す。

来ると予想される者に対して、決して敵意を持っているわけではないが、相手がどうだかはわからない。
なんにせよ、草木も眠る丑三つ時というが、こんな深夜に無手では心許なかった。

篝火も用意してみると、あら不思議、まるで時代劇のワンカット。
ねずみ小僧が、喜び勇んで忍び入ってきそうで。

クリス嬢が、目を輝かすのが容易に想像できた。




「さて」












―――来た。






気配は、背後からだった。


右手で弄びつつ、地に切先をつけていた木刀の柄を、瞬時に逆手に握り、そのまま後ろへと振り向きざまに斬り払いをかける。

だが、手ごたえは無く、視界には、ただ扉の木目が一面に広がるのみ。

そう、理解し、木刀を持った右手を腰元に下ろした瞬間。

下顎に、鋼鉄特有の冷たさを伴ったモノが、ピタリと押し当てられる。




目だけを、真下に動かせば、中腰のまま、俺の胴に触れるか触れないかの距離まで密着し、小太刀を握った片手を、まるでアッパーカットのように突き出したメイドの姿が、あった。

あれだ。
昔見た、国民的巨人が変身中に、拳をテレビ画面に向けつつ急接近してくる場面。

まさにそんな光景である。


ジュワッチ。




なるほど。

かがんで攻め手を避けつつ、視界から姿を消したわけか。




彼女の口元が、動く。
テラテラと、篝火に照る唇が、嫌に艶かしかった。

「……いきなり、物騒じゃねぇか? あん?」


間違いない、この声だった。


「殺気は、貴女からでした」

慎重に、口を極力、動かさないよう答える。
注意しないと、顎が切れる。

それにしても、この豹変振りは、なかなか。

こちらが、本性か。



「ハッ、ま、ちょっとした仕返しって奴だ」

悪びれもせず、獰猛に笑い、彼女は獲物を納める。

次いで、スッ、と彼女は離れて、扉に背を預ける。



「こんな夜更けに、何か御用で?」


本題を、早速、俺は問いただす。

九鬼からの使い、というわけではなさそうだった。


「……それ、やめろ」

不機嫌そうに、腕を組んだ彼女は答えた。

「は?」


「うざってぇ。その敬語」


「……」


「素じゃねぇだろ?」


「……」


「わかんだよ、アタイもこんなだし」



ふむ。


致し方、ないか。

このままでは話が進まないようだ。

ガンつけが、半端無い。


「……わかった。 ただし、今だけだ」



久方ぶりに、自分の本当の声を、聴いた気がした。











「それで、何の用だ?」

今一度、聞く。
抑揚はつけない。

対する彼女は、それでも無表情に、俺を見返す。




「……お前、今まで、何してた?」


能面のような顔から、紡ぎだされた問いは、些か抽象的で。


「今まで、とは?」

ゆったりと話しつつ、とりあえず、惚けてみる。

「この七年の間だ」

間髪入れず、彼女は言った。

「おかしいんだよ、色々と」

「……」

「何でかねぇ? 」 

大仰に、さながら欧米人のように首をかしげ、肩を竦める。

だが顔は、無表情。

「テメェの親は、英雄様の恩人だ。 そして、その英雄様に救われた、アタイの恩人でもある。 だから、その息子が脛にどんな傷持ってようが、それをほじくりたくはねぇ」

囁くように、言う。

「ただ、まあやっぱり気にはなるわけだ」



「……もう、調べたんだろ?」

調べない、筈がない。


「ああ、調べたさ。 だけど何でかねぇ? ここ七年の、あのテロからの足跡が、全然、納得いかねぇんだ」


「……」


「大体が、ありえねぇんだよ。 あのテロから、何年もかけて、英雄様はテメェをお探しになられてた。 正真正銘の日本国籍を持ってる、お前の行方を探す事は、普通、造作もない筈なんだ」

勢いこんで、彼女は続ける。

「海外の日本人学校を、インターナショナル・スクールを転々としてた、なんて、この前、都合よく出てきた資料を見たがな?」

「……じゃあ、それ、信じてくれよ? 見落としてた、そっちの落ち度じゃないの?」

極めて愛想よく、俺は答えた。

「あれ、偽造だろ?」

すぐさま、切り捨てられる。


「……根拠は?」

吐きかけた溜め息の代わりに、そう問う。

「二週間、十人単位の特派員、飛び回らせた。 結果、お前が居た、いや、居た事になっている何処の学校にも、お前を教えた覚えがある教師は誰一人いないらしい」


……金使いすぎだろ九鬼財閥。


「まあ、全くのデタラメじゃないだろうが。 あのテロ以前には居たっつー学校もあったし」

赤々と燃える薪の音が、嫌に響いた。



「英雄様は、この事実を捨て置けっておっしゃったがな」





不意に、今度は彼女の指が鳴った。

「……ッツ!?」




何処に潜んでいたのだろうか。

生垣、路地裏、商店の屋根から、音もなく滑りこんできた者達は、俺を中心にして、円を描くように、取り囲む。

言うまでもなく、皆、メイド服。

こんな状況でなければ、喜んで囲まれたのだが。





「アタイには、義務がある。 主を護る、義務が」

それらの首領たる彼女は、心なし高らかに宣言する。

絶対の誇りが、透けて見えた。

「九鬼家従者部隊、序列壱位のアタイには、主の敵を、未然に、する権限が与えられてる」


忍足あずみが、再び小太刀を構える。

瞬間、彼女を含めた十数人からの、先ほどとは比べ物にならない濃密な殺気が、へばりつき、各々の得物が音もなく、月明かりの下に晒された。

身構える余裕が奪われるほど、大気が重く、重く、のしかかる。

全員が全員、俺より同等かそれ以上の、手練てだれとみえた。




これは、不味い……ッ!!



そんな、俺の思考をよそに。

「かかれぇッ!!!」




白き影が、俺に殺到した。









































……なんてな。




酷薄な笑みが、俺の二、三メートル先で向いていた。

俺は、ペタリと、無様に尻餅をついていた。
少々油断すれば、失禁していたかもわからない。

カラカラと、重力に順じて倒れた、木刀が奏でる音は真実、間が抜けていて。




俺に殺到した影達は、上空にて、それぞれ駆け互い、丑三つの闇に飲まれていった。


「………おい」


立ち上がって、やっと声に出せたのは、そんな陳腐な抗議。
冷や汗で、道着が背にぴっちりと張り付いてる。

「ま、これもちょっとした仕返しだ」

飄々と言い募りやがる。

「ざけんな」

「ハッ、英雄様に殺気向けやがったんだ。 これでも軽い程度だっつーの。 大体、テメェ程度に、あんだけの人数かけるまでもねぇ事くらい、わかんだろうがよ」

グサリと、深々と、俺の真っ当な抗議は切り裂かれ、抉られる。


「それに会話の流れからして、テメェがヤられるのは理に適ってねぇだろうが」

殺気の流れからして、理に適ってたがな。

そんな心中を置いてけぼりに、腕組みする彼女は続ける。


「……ま、でも、なんでアタイが来たか、これで大体感づいたんじゃねぇの?」



まあ、ほぼな。



「……俺が、親の仇討ちの為に、これまで隠れてたって懸念が、疑念が、あったってとこか?」

そう思うのも、無理は無いだろうな。
従者なら。

そして、そうであった場合の為に、釘を刺しておくと。
ヤるなら、川神の御前では、やらん。

満足げな笑みから察するに、正解のようだった。

「あのテロがあってから姿が消えたんなら、それも、可能性の一つだと思ってよ。 どっかで親が命と引き換えに英雄様を助けた、なんて聞いてトチ狂ってても、不思議じゃねぇと思ったわけだ」

「そこまで、病んでねぇ」

「どーだか」

あの殺気はなかなか放てるもんじゃねぇぞ、と笑う。




一応、ホントの事は言っとくか。



「……偶然だよ」

「あ?」

「俺が、消えたっつー時期と、親父達が死んだ時期が重なってるのは」

「……つまり」

「俺が隠れてたのは、別に親とも英雄とも何の関係も無いって事。 それに、あいつが親と知り合ってたってのも、この前の屋上で初めて知った事だ」

真実そうなのだから、他に言いようが無い。

「隠れてた理由は言えんが、うちの総代が、仇討ちの為に人を匿うなんて事は無い。 それは、信じられるだろう?」

「……まあな」

顔からして、納得はできてないなと。

でもこれ以上、この件については何も言えないから、これで納得してもらう以外ない。


ふむ。
結局こいつら、俺の過去を知ることはなかったようだ。

まあ、当たり前っちゃ当たり前。

『施設』に関しては、余程世情に通じていて、政界に顔が利く奴らしか知らないだろうし、九鬼英雄も商業に携わっていても、所詮は未成年。
世の中の深い所は、未だ父親からも習っていないとみた。

そこに収監される者達についてなら、尚更。




……だが恐らく、あの綾小路とかいう教師は知ってるんだろう。

苗字から、恐らくあの大貴族の出と見える。

授業中、露骨に俺から視線をそらし続ける。
編入前に、PTAで騒ぎ立てたのも多分、ヤツだな。




「っつーか」

頭をガシガシと。
夜火に当てられた羽虫が、だいぶウザったい。


「俺、近いうちに消えるし」

そんなに心配せんでもさ。

「……は?」

予想外だったのだろう。
少し、声が裏返っていた。

「もう、目的は果たしたつーか、果たされたっつーか」

「……」

「総代からは、引き止められてるけど」

どちらかというと、俺も去りがたいんだけどね。






「……テメェを」

しばし黙考していた彼女が、口を開いた。

「テメェの事を、英雄様は、相当に気にかけている。 それにアタイも、今のでチビらなかった度胸を、それなりに気に入ったんだ」

ほう。

「光栄だな」

少々、ニヤけてしまったかもしれない。

「ふん」

彼女もまた、可笑しくも無い冗談を聞かせられたような笑みをたたえ、鼻を鳴らした




―――後ろから刺されるような真似だけは、すんなよ。



そう言うと、彼女もまた、瞬時に、深い闇へと駆けていった。








「……取り越し苦労だよ」

一人ごちて、俺も境内へと戻る。

さっさと寝たい。

夜更し特有のだるさが、どっと出てきたようだった。


あんな従者がついていれば、王も安心だ。

そんな安堵感も、混じった疲労なのかもしれなかった。











[25343] 第十九話:渇望
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:51

『飢えた犬は肉しか信じない。』

―――チェーホフ

























ドイツ連邦共和国南西、バーデン・ヴュルテンベルク州、カルフ。


国内最大の内海であるボーデン湖、密集して生えるモミの木によって暗色で塗り潰された黒き森、そして温泉地バーデン-バーデンなどがあるほか、ホーエンツォレルン城などの古城や中世の古い街並みが多く残るこの地に、ドイツ陸軍所属コマンドー特殊部隊、通称、KSKの本部は存在する。

ドイツ連邦共和国には、もう一つ、同様の任務を行うGSG-9、第九国境警備隊なる特殊急襲部隊が存在するが、この隊は警察機関に分類され、基本的に国内での作戦に従事するのに対し、KSKの主戦場は海外であり、その任務内容は本分である邦人保護救出以外にも、潜入襲撃、戦略偵察、対テロ作戦、PKO、墜落機搭乗員の救出、軍事的危機の抑止作戦、領土防衛と多岐にわたる。

その任務の多様性の為に、主力中隊は、地上浸透、空中浸透、海上浸透、特地浸透、偵察狙撃の五つの専門小隊(フォーマンセル)を持ち、これに対応している。そして、この第一から第四主力中隊を核とし、支援中隊、情報中隊、補給中隊、衛生隊が周りに固められている。

世界に名だたる特務部隊、英国SAS、米国デルタフォースにも引けをとらないこの部隊を率いるのが、現陸軍中将、フランク・フリードリヒ、その人である。

そして彼はまた、KSKの司令官に任命された准将時代、各隊から更に選りすぐった兵士からなる司令直轄の部隊、通称、狩猟部隊を組織した。
当初、これは私兵ではなかろうかという軍内部の反発もあったが、現在は尋常ならざる戦果が、ソレを覆い隠している。
世界の特殊部隊の中でも最長の、三年にも及ぶ過酷中の過酷なる入隊審査と訓練。
フランク自身の戦場経験が反映されたそのカリキュラムによって、かの戦果が挙がるのは、ある種の必然でもあった。



そして、その訓練施設に併設された、本部内の司令執務室。
狙撃対策のため一切の窓が無い代わりに、海外支部に繋がる幾つものモニターが、壁面に設置されている。
それらの無骨な調度品の中に不似合いな、愛娘の写真が置かれたデスクが、現在のフランクの戦場である。




「入りたまえ」

先のノック音にそう答えた後、視線を机上の資料から、入室した最も信頼の置ける部下へと向けた。

「お呼びでありますか、中将閣下」

未だティーンエイジャーと言っても十分通用しそうな風貌の、赤髪隻眼の年若い女。

軍服を纏った彼女は脱帽敬礼後、直属の上官にそう言った。
狩猟部隊の指揮官たる彼女の眼は、獲物を狩るハウンドの如く鋭利で、気高さを帯びている。

「来たか…。 実はな、君にまた、日本国に飛んでもらいたい」

眼前で手を組みながら、彼はそう告げた。

「ハッ!!」

踵を合わせ、マルギッテ・エーベルバッハは裂帛の声を上げた。

「フ、相変わらずだな少尉。 任務内容も聞かずに、承諾とは」

「どのような任務でも、中将閣下のご期待に沿えると確信しておりますので」

ある種、傲岸ともいえる眼光を湛え、そう言い放つ。

「うむ。 その、自信に満ち溢れる姿、正しく私の理想の戦士像だ。 ……さて、そこでの任務なのだが、やはりクリスの件だ」

「……お嬢様の身に、何か?」

更に鋭くなった猟犬の双眸をいなすように、フランクは右掌を相手に向ける。

「いや、特にこれといったことは無いようだが、軍人たる者、まだ見ぬ脅威に備える事は決して、怠るべきではない」

「ハッ、仰る通りと存じます!」

「うむ。 して、この資料に目を通してもらおう」

そう言って机上にあった資料を彼女に手渡す。

「……これは」

マルギッテはその紙束に、ざっと目を通す。

それは数十名分の、本人が書く履歴書よりも、事細かな個人情報が記されたものだった。
氏名、住所、電話番号、家族構成は序の口、身体的特徴、生い立ちから嗜好まで網羅されている。


「クリスの学友についての報告書だ。 なに、私も諜報部を私物化するつもりはない。 せいぜい、男子のクラスメート、三十人にも満たない者達の素性を調べ、幾日か観察してもらったくらいだ」

事も無げに中将は言った。

「…では今回の任務は」

「毎回ながら理解が速くて助かる。 その者達の監視、という事もあるが、どちらかと言えばクリスの警護、と言った方が適切かな?」

「……ッ!? ……ハッ! 了解致しました!!」

ついにきたか。
お嬢様の護衛。
これほど名誉ある、甲斐ある任務が他にあろうか、という心情が、真面目くさった顔に、ありありと浮かんでいた。

「通常通り、クリスに対し、一点でも害を与えると君が看做した者は、即時無力化して構わん。 見せしめにもなる。 徹底してやってくれ。 始末と責任は、私がとろう」

それは亡国の危機を目前にした、軍司令官の様相だった。

「ご配慮、痛み入ります」

目を伏せて、マルギッテは上官に敬意を表す。

「いや、本当ならば私が直に現地にて指揮を執りたいのだが、立場がそれを許さんのだよ。 任務初日は私も同行するが、すぐこちらへ帰還する。 これぐらいはさせてくれ」

口調に憂いを潜ませながら、それに、と中将は続ける。

「あの国には少し失望しかけている部分もあってな。 下手に長く滞在するとなると、権力の亡者共が護摩を摺って私と近しくなろうとする。 ほとほと呆れたよ。 …クリスとの見合い話まで持ってきた輩がいる。 そういう事もあって、早めに向こうでの任務を切り上げたのだ」

「それは……、許せませんね。 その者、狩ったほうがよろしいのでは?」

部下の眼光が一層、鋭さを帯び、深紅の髪が多少、逆立つ。

「いや、銃を抜いて威圧したら、頭を下げて逃げ帰ってくれたよ。 もう、会うこともあるまい」

そう言って、心無し、フランクは疲れた表情を見せる。

「なんと、慈悲深い。 失礼ながら、中将閣下には似つかわしくないほどに」

「……まだ私も、信じていたいのだよ。 日本という国、日本人という人、誇り高きサムライの末裔をな。 ……君に手渡した資料を見て、先ほど、その思いを新たにしたところだ」

次いで、厳格な上官の顔に微かな笑みが作られたのを、マルギッテは見逃さなかった。

「何か…?」

疑問に思い、再び紙束に目を落とす。

「……42枚目を、見たまえ」

厳かな声に、従えば。





「……は…ぁ…」




惚けた声を上げたきり、口を開けたまま資料に食い入る部下の姿が、フランクの可笑しみを誘った。

「ハハハ、その顔は初めて見るな」

「ッ!? 御見苦しいところを…」

どんな顔をしていただろうか。

少なくとも、軍人にあるまじき無防備な容貌ではあったのだろうと、慌ててマルギッテは表情筋を引き締める。

「もう、八年にもなるかね? 最後に会ったのは…」

それにしても、と唸りながらフランクは続ける。

「私としたことが。 一度、教室で会っている筈なのだ。 髪の色といい、外見が少々変わったとはいえ、気づけなかったとは」

軽く顎を撫で、あの時見た娘の教室の風景を思い浮かべた。

「これは、間違いなく……?」

常に事実確認を怠らないのは良き軍人の美徳ではあるが、その声色には、何故か歳相応の女性的な響きが混じっていた。

「生憎と、川神の保護下にあるようでパーソナルデータは最低限しか集められなかったが、恐らく、確かだ。 ヤグルマという姓は、日本でもそうそう目にしないらしいし、何より、川神の庇護を受けているというだけでも、十分な証拠だろう?」

彼の親御が川神出身であることは、双方とも把握していた。

「……そう、ですか」


部下の瞳が、淡い感傷の色の後、鋭く尖ったのを知ってか知らずか、フランクは口角を上げ、言葉を紡ぐ。

「本当に、惜しい人物を亡くしたものだと、今までは思っていた。 クリスに、この夫妻こそ真のサムライだと、紹介しようと思った矢先に、あのテロだ」

「…心中、お察しいたします」

マルギッテも、全く面識が無いわけでもなかった。

「だが、まだその血脈は絶えていなかったのだなと思えて、嬉しかったのだよ」

珍しく向けられる穏やかな目に、少し逡巡しつつも、彼女は相槌をうった。














「では少尉。 任務の成功を、祈る」

「ハッ」

現地の部隊員やセーフハウスの情報を口頭で伝えられた後、敬礼し、対する答礼にも応えると、踵を返してマルギッテは司令執務室を出た。




扉を閉め、カツリコツリとブーツを鳴らしながら数歩進み、そして思い出したように彼女は立ち止まった。


「………ヤグルマ、ナオト」


久しく目にする事も耳にする事もなかった名を、人気の無い廊下にぽつりと漏らす。

片手にしていた文書を、また掲げて彼の者の欄へと視線を走らせる。
かさかさと紙の摺れる音か、嫌に反響した。

思いもよらず、四センチ四方の写真の枠内で再会することになった彼の面構えは、何故だろう、あの頃の彼とは別人のモノと思われるのだった。
頭髪が白く染まったことを差し引いても、良く言えば大人びて、悪く言えば「彼らしく」ない、というか。覇気が無い。

彼は、もっと、強き光をその眼に宿していた筈だった。

この私が、初めて打ち負けた者とは、到底、思えなかった。





かぶりを振って、コツリとリノリウムのタイルを鳴らしながら、また歩を進めた。


会えば、そう、会ってみれば、わかることだ。

脳裏に映し出すごとに、憧憬と嫉妬を抱いた、あの精強さが健在であれば、何も言うことは無い。




無意識に、腕部に潜めた旋棍を握っていた。

弄らずには、いられなかった。


















<手には鈍ら-Namakura- 第十九話:渇望>
















6月8日(月)

朝のHR前。



「いやぁ~。 良~いですな~」

所々の母音を伸ばしながら、島津岳人は春爛漫といった顔で鼻を伸ばしていた。

……俺の横で。

教室の最後列、窓際に位置する俺の席周辺は、絶好のビュー・ポイントのようだった。

「まぁ、いいよねー」

その横にいる師岡卓也も、満更でも無い様子である。

「おい、直斗。 どうよ? ウチの衣替えは?」

緩みきった顔に苦笑しつつ、俺は答える。

「……ええ。 やはり男子よりかは、華やかになりますね?」

白が基調なのは変わらないが、やはり露出がなかなかに…

制服というものに、あまり縁がなかったからか、俺には衣替えというイベントは新鮮に思えたのだった。

「あの、ナンマメカしいボディラインを魅せる事に成功した夏服職人を、俺様は尊敬するぜ!!」

小さく拳を振り上げ、ガクトはそう囁いた。

「ホンット、そうだよな~」

いつの間に、このクラスに入ってきたのだろうか?

二年S組の井上準が、会話に混じってきた。

「あん? なんでまた、2-Sのお前がここにいんだよ?」

早速、喧嘩腰のガクト。

「夏服の良さを語り合うのに、クラスの壁は関係ない。 そうだろう、直斗? いや、兄弟?」

アイデンティティーたる坊主頭を光らせ、肩を組んできた。

「…ホンット……、いいよな…ハァ、…ッハァ」

速攻で身を捩って、耳元にかかる息吹から退避。

彼の目線の先には、我らがF組委員長、甘粕真与の姿があった。

一部の偏愛主義の方に、なんと言うか、もんの凄く定評のある、小柄な体躯の露出具合に、彼は釘付けのようである。

「……そろそろ、御自重、なさった方が……」

控えめに俺は言う。
垂涎が、今にも床に落ちかかりそうであった。

「それには僕も激しく同意するよ。 完璧犯罪者だから」

と、師岡氏も。

「お二方ぁ~、何をおっしゃられる? 可愛いは俺の正義ジャスティス。 これはアレだ。 俺は自分の信じる正義を貫くRPG的な」

それ現実で貫いたら、主人公よろしく地下牢行きだからね、とモロのツッコミが入る。

俺も、そんなユーリ・ローウェルは願い下げだった。



そんな、折り。













本能と経験に裏打ちされた五感が、突然、警鐘を鳴らす。

「ん?」

ひとしきり興奮していたロリコンは、急に窓の方を向いた。 禿げ頭の反射具合が変わる。

ほう。

意外にも、井上の方も同じ気配を察知したようだった。


「……少し、出てきます」

俺は席を立つ。

纏わりつく感覚からして複数か。

似たような殺気を、数日前浴びせられたばかりだった。
しかし、あそこまで濃密な死の気配ではない。
例えるなら、獲物を待つ食虫花のような、ジメジメした、さりげない殺気。

見晴らしの良い場所が、とりあえずの目的地。

恐らくは、総代の入校許可が下りている者達ではあろうが、万が一には備えるのが、川神院門下生としてあるべき姿だろう。

途中ですれ違った、手洗いから教室へ戻る賢者然としたサルの顔は、見なかった。 事にした。









急ぎ、屋上へと上がれば。

「これは」

そうそうたる顔ぶれが揃っていた。
さほど、驚きはしなかったが。

「おお、お前も来たか」

「あ、矢車さん」

「……フン」

上から順に、百代、由紀江、そしてメイド。
彼女らもまた、この気配に呼応して来たのだろう。

「む、ワン子は、来なかったか」

少々、複雑そうな次期総代。

「……何か違和感は感じていたみたいですけど、これがどんな類の気配なのかは、なかなか気づきにくいと思いますよ?」

フォローは入れよう。
事実でもある。
この気配に瞬時に反応し、即座に最善手を打つには、相当な修練と才能、それに幾らかの修羅場をくぐる事が必要だろう。

動作の先読みに通じるため、武の基本といえば基本なのだが。

「ま、そうだろうが。 にしてもお前は、よく気づいたな」

つい最近、これより壮絶なモノを、当てられましたので。

ジロリと、横目でメイドを眺める。

あれから数日は、僅かな人の気配にも感覚が鋭敏になっていた。
過剰であると言っても良い。

それくらい、あのドッキリが効いているようで、良いんだか悪いんだか。

もう二、三日すれば、元通りになるとは思うが。

「日頃の鍛錬の、賜物です」

そう、当たり障りなく答えると。



「おお、流石、気づく人は気づくネ~」



ルー師範代だった。
俺の背後の階段から、屋上へと登ってきたところだった。

「川神学園が、何者かに囲まれています」

百代がルー師範代へ言葉を投げかける。

「うン。 私も詳しい事は、知らないが、恐らく2ーSへの転入生と関係があるんじゃないかナ?」

そう言って肩を竦める。

「学長が動かないところを見ると、さほど、心配することはないとは思うけれド」

「で、でも、この訓練された気配からして……」

どもりながら、遠慮がちに由紀江は発言する。

「軍隊、だな。 アタイにとっちゃ、懐かしい気配だ」

ぼそりと、あずみが補足する。
少々、眉間に皺が寄っていた。

王の守護者は、苦労が多そうであった。


「む…2-Sに、転校生…。 どっかで聞いた……、あ。」

思案していた武神は、一転して獰猛な空気を身に纏い始めた。

「ゴールデンウィークの…、あの軍人娘か!?」

そう言って、ひとっとびでフェンスから飛び降りようとする所を、慌てて師範代が留める。

「も、百代、落ち着きなさイ。 どっしり構えテ。 その後始末をするのは、直斗くん達だと言うことを忘れないで欲しいネ?」


「…ッ……わかりました」

不満そうな顔や悪態めいた舌打ちを隠そうともしなかったが、百代は引き下がった。



「……由紀江さん?」

どうも背景がわからないので、訳を聞くことにした。

「は、はいぃ?」

「いえ、その、例の箱根旅行で、何かあったのかなと」

詳しい話は、聞いていなかった。

「あ、ええと、クリスさんの御身内の方々とお会いしたりして…。 多分、編入してくる方はマルギッテさんという女性だと思いますが」

(ギラギラした姐さんだったぜぇ~?)

……理解。

なるほど。
つまり世界親馬鹿コンテスト、親馬鹿部門と馬鹿親部門の両部門で金賞受賞の方が、こちらにいらしている訳なのだ。

そして。


「(……マルギッテ、か)」

囁くように異国語で発音して、俺は、空を見上げた。

























「問うぞ、クリス。 お前は大丈夫か?」

また、突然出てきたクリスの父親に対し、驚き半分呆れ半分の雰囲気がクラスの隅々まで充満した頃、彼は愛娘に問うた。

「はい。 皆と仲良くやっています」

もし、これと全く趣きが異なるの返答があったなら、この学園が戦場になるという事など露ほども考えず、クリスは答えた。

娘に害なす者あれば、ドイツ連邦軍主力戦車、レオパルト2-A6を引きつれ、その長砲身55口径の120ミリ滑腔砲を直接その者にぶち込むと父が宣言しても、いわゆる冗句として、受けとめているのだろう。

しかし彼女に少なからず好意を抱いている者に対しては、実際、尋常無き抑止力になっている。

「―――ならば良かった」

娘を疑うわけではないが、と心中で呟きつつ、いつもと変わらない一点の曇りもない瞳がそこにあるのを確認し、フランクは続ける。

「前に言ったように、マルギッテをこの学校に目付役として、建前上は生徒として、派遣しておいた。 何かあれば、彼女に言うがいいぞ?」

「わかりました。 ……父様は?」

「すまないな、私はすぐにでも帰らなければならないんだ。 これからNATOとの合同演習が控えているからな。 まあ、暇が出来次第、食事でもゆっくりしたいものだ」

「はい」

娘からの極上の微笑を受け取る。
これが、彼の戦場へ向かう活力の、源であった。








……何か、忘れているような。

別れの挨拶を済まし、教室の扉に手をかけ、娘の事から少しばかり心を離すと、その疑問が沸き起こった。

そして、すぐにその答えが出る。


「……直斗くんは」

「はい?」

振り向き、そう呟いた父に、クリスは聞き返し、戸惑う。

クリスだけではなかった。

意外な名が、彼女の父の口から出たこともあり、クラスの聡い者達は、再び耳をフランク向けた。


「矢車直斗という生徒は」

フランクはそう口に出しつつ、クラスを見回す。


「……直斗なら、ついさっきまで此処にいたけど…。 まだ、戻んないみたいっスね?」

十分前まで話していたガクトが、代表して答える。

ついで、クリスが問う。

「父様? 矢車殿が、何か?」

「いや、何年も前になるが、会ったことがあってな。 …この前に来たときには、見逃してしまったようだ」

顎鬚を片手で撫でつけながら、フランクは答えた。

「そ、そうなんですか!? …なら」

呼んでこようかと、ワン子こと川神一子をはじめ、幾人かが立ち上がる。

ところが、それを多忙な中将は手で制する。

「いや、もう流石に出国しなければ。 ただ…最後に、もう一つだけ、質問をしよう。 クリス」

「…は、はい」

再び父の声が厳かな色を帯びるのを、ひしと、娘は感じた。

「彼は、どんな人物かね?」



何を問われるのかと思えば、とクリスは身構えていた体勢を崩す。
きわめて、答えるのは容易いものである。

「矢車殿は」

それでも、幾らか間を空けて、編入後の決闘から抱く彼への印象を、胸に呼び覚ます。

単に美辞麗句で飾った、おざなりの回答は許されないと直感したから。

だからこそ、騎士らしく、凛と一言で形容しよう。



「彼こそが、侍、という人物です」































「お、退いてったみたいだな。 ……ったくウゼェ。 娘一人心配だからっていちいち戦隊率いてくるなっての! 軍費どうなってんだっちゅー話よねぇ」

このメイドは、主の御前でないと、愚痴を撒き散らすのに遠慮がなくなるようである。

ただ、確かにその言葉に頷けるのも事実ではある。
明らかな職権濫用だろう、これは。

子を想う一心でここまで出来る事に、ある程度、尊敬はできるが。

「むー。 包囲を解かれるのは残念だな~」

メイドとは対照的に、何らかのアクションが起こる事を期待していた百代は、完全にふて腐れた顔だった。

「特殊部隊と戦えると思ったが。 つーまらんッ」

「自重なさってください。 学園で戦闘になったら、貴女は良くても、他の大多数の方々のご迷惑となります」

「本当だ。 護衛のアタイがどんだけメンドくさい目に遭うと思ってやがる? 十中八九、KSKだぞ? 超一流の兵士どもだ」

「…わかったわかった」

人二人に諭されたからか、或いはそれが鬱陶しかっただけか、黒髪を無造作に掻きながら、そう返事をした。



「はいはい、じゃみんな、教室に戻って戻っテ。 授業、始まるヨ」

師範代は全くもって教師らしい台詞を放ち、自分はグラウンドへと金網を飛び越え、危なげなく着地。

一時限目から、体育はあるようだった。

















「……死合、したいなぁ」



別れ際、ぽつりと漏らされた言葉が、彼女の闘争心が鎌首をもたげたままの証だったと俺が気づくのは、数時間後の事だった。










[25343] 第二十話:仲裁
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/10 00:56
『二人の子供のけんかを止めようとして、彼らより大きな声で「お黙り!」と叫ぶのは、テレビの中でしかうまくいかない。二人はもっと大きな声で言い合い、あなたはただ、余計うるさい三人の口論を引き起こすに過ぎない。』

―――ジョエル・スポルスキー




















6月8日(月)

夕食後、しばらくして。








「……ッハハ。 京の言うとおりだ。 いたいた」




新しく同じ学年に加わった、マルさんことマルギッテ・エーベルバッハを島津寮に迎え、まゆっちの実家から送られてきた北陸の幸をふんだんに使った鍋パーティーが一段落つき、中庭で、新しい人脈を広げられるきっかけとも成りうる彼女と少々話し込んでいると、不敵な響きを伴う言葉と共に、姉さんが夜の暗がりの中から、突然現れた。




「……姉さんッ!?」

「お前は…」

マルギッテの目が細まり、一気に殺伐とした空気が、外気に広がる。

「マルギッテ、とかいったな? 川神学園へ、ようこそ」

幾分、粘つくような声色で、姉さんは話しかける。

「…こちらこそ、よろしくお願いします、……先輩」

マルギッテもまた、少々の皮肉めいた冗談を語尾に含め、応答する。

「ふふ。 見るからに年上にそう言われるのも、面白いな」

獰猛に、さながら獲物を見定め終えた獅子の顔で、姉さんは笑った。

「……朝、学園を囲ってた奴らは、今ここには居ないみたいだな?」

周囲の「氣」を、探った後のようだった。

「私の適切な判断で、全員所定の場で休ませています。 クリスお嬢様のご様子を見るのは、私一人で十分でしたから」

事務的な表情で、双眸は前方の危険分子に釘付けのまま、マルギッテは言う。

そんな彼女の返答に満足したのか、更に笑みを深め、姉さんは次の言葉を紡いだ。



「なら、丁度いい。 ―――ここで私と勝負しろ、マルギッテ」



いきなりの、宣戦布告である。


「ッね、姉さん……。 そんないきなり」

そこはかとなく、マルギッテと友好関係を結べそうだった所に、これである。

夜も更けている。
今、荒事は、ご遠慮願いたかった。


「コイツはワン子達をいきなり襲ったんだぞ? ……お互い様だろう? なあ?」

闘いへの期待に、目が爛々と輝いていた。

こうなると、止めるのは不可能である。

長年の付き合いから、それは自明で。




「……マルさん、どうかしたのか?」

「あれ? モモ先輩じゃん?」

「…ん? 穏やかな状況じゃ、なさそうだなオイ」

「わわわ、殺気が凄いですッ!?」



そうこうしているうちに、縁側に、寮生が揃い集う。


「お前は、何となく、私と同じ匂いを感じる。 ……戦えば、楽しくなるかもしれないぞ?」

トリップ気味の姉さんは構わず、マルギッテに言い募る。

「…フフ。 その言葉、そっくり返してあげます、百代。 ーーー聴きなさい。 私も、貴女と戦ってみたい」

言われた彼女も、満更ではなさそうであった。


「ならば、問題あるまい。 時は今、場所はこk」







「だが、断る」


しかし、大方の予想を裏切る、返答であった。









「……何だと?」


冷気が、誰の胸にも吹きつけられた。

しかしこの反応を予想していたのか、マルギッテは臆することなく、返す。


「理由は、二つ、ある」

幼子に言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で、彼女は言う。

「川神百代とは交戦するな、危険が過ぎる、と軍から命令を受けている事が一つ。 まあ、これが最たる理由です。 だから戦うわけにはいかないと思いなさい」

「……軍、か」

嘲るような、姉さんの発音。
更なる挑発であろう言の葉を重ねようと、口を動かしかけたが、次いだマルギッテの発言の方が、僅かに、速かった。

「それと、もう一つ。 これは、ごく、私的な理由です」

「なんだ?」

ふと、軍人の視線が自分から夜空に逸らされた事も、姉さんの興味を引くのに一役買ったようで、幾らかは、不穏な空気が、弱まった。



「私には、貴女よりも・・・・・戦いたい人間がいる。 彼と万全の状態で立ち合う為に、無駄に体力を消耗する戦いは極力控えたい。 そう理解しなさい」



ほう。




……あ、ちょっと。

………それは、マズい。








「………お前」



姉さんの目が、鈍く光ったのが、わかった。
弱まっていた筈の殺気が瞬く間に、元のソレよりも幾分禍々しさを伴って、密度を増した。


「随分な言い草だなあ…。 マルギッテ?」

不気味なほどに、雰囲気とは不釣合いの明るい声。

「……」

「聞き違いか? 闘争において、私よりも優越する者がいる。 というように聞こえたのだが?」

「…この任務中に実力を行使するにしても、私にとって、第一の標的は必ずしも貴女ではない、ということです」

あくまで、淡白な口調を崩さないマルギッテ。

「面白くない冗談だ」

「冗談ではありません。 ご理解ください。 ーーー先輩」

微笑。

では、これで、とマルギッテは姉さんに背を向ける。


―――もう夜も更けました。日付が変わらないうちにお嬢様、一緒にお風呂でも入りましょう。


全員が、彼女一人に取り残されたように感じた。







だが。
このまま、姉さんが引き下がるはずもなく。

「……怖気づいたか」

誰の耳にも明らかな挑発。

もちろん、マルギッテはそれに反応した。

ぴたりと、アーミーブーツを脱ぐ所作が止まる。



第三者の目から、このやりとりを眺めていれば、姉さんの怒りが圧倒的に理不尽なモノだとは、理解できる。

そも、こんな夜更けに喧嘩しようぜと吹っかける方がおかしいのだ。
だが、頑張れば地軸をも自身の下に移せるだろうと日頃豪語し、本当に欲しいモノは「物」でも「者」でも容赦なく奪う、生粋のジャイアニストに、今、その理屈は通じない。

話せばわかってくれると、マルギッテは想像し、理由を正直に答えたのだろう。

言い方に、少々問題があったのは事実だが。





「所詮は首輪をつけられ、飼い慣らされた犬、ということか?」

更に姉さんは、聞いている俺達の神経をも逆撫でするような、高いトーンで話す。

「姉さん、ちょっと」

言い過ぎだと、諌めようとする。

「モモ先輩、マルさんはッ――」

クリスも、何事かマルギッテを擁護するような台詞を言いかけるが、それは、重ねられた言葉にかき消される。




「……私は、一つ、サガを持っている。 驚いた方がいい」




今度は、灼熱の大気が流れるのを、確かに感受する。

クリスから目を戻せば、また、マルギッテは姉さんと相対していた。

瞳には、ぎらりと光るものがあった。


「力あるものと、手合わせを求める、この心!」

ギチリ、と。
何処からともなく取り出したトンファーを深く握りこんだ音が、その存在を証明していた。

両腕をクロスさせ、構える。

「……クリスお嬢様が近くにいるともなれば、危険分子の排除の名目もたつ。 そう、理解しなさい」

「マルさんッ!?」

制止の声が響く

「申し訳ありませんが、性分ですので諦めなさい」

護衛対象への敬語が無くなった所から、彼女の激情が透けて見えた。

「ッハハ。 そう、そうこなくてはなッ?」

―――パキリ、

姉さんも、掲げた右手の指を鳴らし、臨戦態勢に入る。




「お前もまた、戦士だった! 嬉しく思うぞ!!」

両者の闘気が、冷たい夜気を切り裂いて交わろうとしていた。









「ピリピリ来るな。 両方とも、凄ぇ気合だ…」

顔に皺を寄せ、呟くゲンさんに頷くと、俺は横を向く。

「クリス、コレ戦い、始まっちまうぞ?」

止めて欲しい、というニュアンスで伝えたつもりだ。

無論、マルギッテを。
正直、姉が負ける姿は想像できない。

「一騎打ち、ともなれば、止められる筈もない」

騎士娘は、表情を険しくし、厳かに言った。

完全に、戦いの行く末を見守る眼になっていた。

















<手には鈍ら-Namakura- 第二十話:仲裁>

















「凄い、マルギッテさん、食い下がってます…」

(諦めてないね。 根性あるぜぇ)



戦い始めてから、十数分。
やはり、と言うべきか、大勢は姉さんの方に傾きつつあった。

しかし、マルギッテはマルギッテで粘る粘る。
手痛い一撃を喰らった後は、近頃コマ割りの荒さが目立つ漫画の某死神のように、眼帯を外して戦闘効率を上げるという秘術じみた荒業をやってのけ、一時は姉さんを守勢に回したのだ。それには賞賛の言葉を並べざるを得ない。まともに姉さんが相手の攻め手をガードするのを見るのは、いつぶりだったろうか。

それでも、まゆっちの言う、「食い下がっている」の言葉通り、決して姉さんが押されているわけではなかった。

今は、膠着状態。
武神と軍人は、いつでも動けるよう構えをしたまま、対峙し続けている。
北陸娘曰く、「氣」のぶつかり合いが行われているようだが、素人目に二人の表情を見ても、その優劣は明らかだった。



「……転入生の方、もう限界だろ?」

堪らず、ゲンさんも口を出した。

彼もまた、姉さんの恐ろしさ、強さを存分に知っている。
ワン子の鍛錬によく付き合っている彼は、ワン子が目標とする姉がどんな人物なのか、ファミリー並みには身に沁みてわかっているのだろう。

このままでは、怪我人が出る、すなわち、マルギッテが危ない。


「ああ……。 だが、まだ戦っている。 止められない」

正義の騎士は、それでも勝負を見守るだけであった。

「勝負に、割り込めないという事か?」

確かに、彼女らの間に挟まれようとするのには、その前に生命保険に加入しているかどうか確かめねばなるまい、と思わずにはいられないほどに、覚悟のいる行為ではあるのだろうが。

「違うぞ、直江大和」

こちらには顔を向けず、しかし真剣味を帯びた声が俺の耳朶を打った。
俺の遠慮の無い発言を、非難するような否定の言葉とフルネーム呼び。

確かに、この修羅場の中で、同い年の女子を頼りにする物言いが続いたかもしれない。
それを責めているようにも思えた。
面目ないが、だが、そこは理解してほしい。

基本、俺は草食系なのだ。
ヤドカリとイソギンチャクのような相利共生の関係を、理想としてもいるが。

「…全力で、戦っているからこそ、止められないのだ」

その眼に悲壮な色をたたえて、彼女は言った。

「止めることは、それは、マルさんの誇りを汚すことになる」

日本で言う、武士の一分、というものらしい。
武道漬けの日々を送る者には、共通する意識のようだ。
事実、まゆっちも、心配そうな顔をしつつも、縁側から外に出ようとはしない。

外戸の敷居が、彼女のソードラインのようだった。

「でも、このままだとやばいぜ? 素人の俺にも分かッ―――」






「ハァァァァァッラッ!!」







俺の声を掻き消す、裂帛の声。

マルギッテのものだった。

何かを拒絶するような、振り払うような絶叫だった。

どうやら戦いは、最終局面を迎えたようである。

まゆっちから視線を中庭に移せば、丁度、姉さん達は同時に互いに向かって走り寄っていったところ。

双方の間は距離にして二十メートル近かっただろう。

その距離は、みるみる縮まってゆく。

残り七、八メートルのところで、彼女達は同時に跳躍した。





服のはためく音が一層、大きくなった、その時。















月明かりに煌めく、白銀の彗星が、空から墜ちかかってきた。


















三者・・の軌跡が、交錯。




―――ミシリッッッ!!




圧壊の音がした。

三者とも、密着して一所に着地。

風が一陣。

次いで、紛れた猛気が、周りを炙る。

大きくたわんだ白刃の腹が、姉さんの拳を捉えていた。



マルギッテは、振り下ろし所の無くなったトンファーを掲げながらも、やはり突然の闖入者に驚きの表情を浮かべて。

姉さんは、心底面倒くさそうな溜息をついた。




そして、作法衣姿の彼は、姉さんに烈火の瞳を向けていた。


























案の定である。
寸分の狂いもなく案の定である。

鍛錬を終え、院の食堂へと入れば、一子がいた。

百代が、何処にもいないのだと言う。

戦闘時以外は気だるさを隠しもせず、鍛錬後の夜は漫画やゲームで暇をつぶす彼女である。こんな夜更けに出歩くという事は、それなりの理由があるという事。

彼女が何をしに、何処に行ったかは、朝の一件から、すぐに見当はついた。

急ぎ、立てかけてあった模造刀を引っつかみ、お巡りさんの職務質問を無視して、島津寮に疾駆して来た次第である。

この間に入り込むのに恐怖はあったが、そんな事は言っていられない。

百代は寮入口の門を、マルギッテは反対側の生垣を、それぞれ背にしていた。

仲裁するにしても、どちらかの攻め手は確実にもらう事になると計算した俺は、迷わずマルギッテ側に背を向けることに決める。

門戸を踏み台に、百代の迎撃の為に体を捻りつつ、彼々の中点に飛び込んだ。

視界に俺をマルギッテよりも遅く捉える事になる百代が、攻撃を途中で止められる保障はあまりないと踏んだ為でもあり、マルギッテが攻め手を止めてくれる事を期待した為でもあった。

そして、なにより、その破壊力の差。たわんだ鉄刃が、実感を持たせる。

まともに喰らって全治何ヶ月か、考えたくもない。




まあ、そんな事はどうでもいい。

本当に、どうでもいい。



















「な、直斗ッ……!?」

驚きの声を俺達は上げる。
器用に、鞘中から半分ほど本身を晒した刃の側面で、彼は姉さんの一撃を受けていた。

「……やはり、こちらでしたか」

息を整えた後、ひん曲がった刀を下ろし、彼は姉さんに話しかける。

「ああ……」

ふて腐れた表情で、姉さんは応答。

「……由紀江さん」

次いで直斗は、まゆっちに声を掛けた。
しかし、目は姉さんを捉えたまま。

「は、はいッ」

「事情を、説明して頂けないでしょうか?」

有無を言わさぬ、口調だった。


まゆっちがどもりながら、松風が茶々を入れながら、事の成り行きを話す。
最初からやりとりを見ていた俺も、時折補足した。






「…なるほど」

身動きせず、佇立したまま聞き終えた彼は、そう漏らす。

「全面的に、こちらに非があると、そういう事ですか?」

殺気ではない。

これは、怒気だ。

「……」

姉さんは、憮然とした表情を隠しもせず、黙ったまま。

その姿に呆れたのか諦めたのか、鼻から溜息をもらすと、初めて、彼はマルギッテとこちらの方を向いた。

「お騒がせ致しました。 本当に、申し訳ありません」

頭を、下げる。

「いや、姉さんの事はよく分かってるから…」

マルギッテは、呆けたまま。

俺は苦笑いで彼の謝罪に応じた。
彼が謝る必要は無いと思うのだが、やはりそこは、同門のケジメというものなのだろう。

「もっとも、勝負をふっかけるのを見たのは久しぶりだけど」

「…ええ、それが問題でして」

言ってから、彼は再度、姉さんを向く。

「対外試合は、固く、禁じられている筈ですが?」

正当防衛以外では、と付け加える。

「…仕掛けてきたのは、あっちからだぞ?」

口を尖らせる俺の姉。
小学生さながらの態度で反論する彼女は愛らしくもあり、だが弟としては情けない限りであった。

「挑発したのは貴女でしょう、というより、そうするよう仕向けたのでは?」

好対照に、直斗は姉さんの落ち度を的確に言い当てていた。

「……ジジイにチクる気か?」

日頃、祖父の小言に文句を垂らす姉にとって、それが一番の懸案事項のようである。
何か粗相をするたびに、山篭りを提案されるのだという。

この件が、クーラーの無い夏休み生活の引き金になる可能性が、無いことも無いのである。


「それは今、問題では無いでしょう?」

ぴしゃりと、瞬時に斬って捨てる。
普段の理知的な物言いに、拍車がかかっている。
これが、彼なりの怒り方なのだろうか?

「説教臭い事を、申し上げたくはありません。 しかし、明らかに今の一撃は、人を殺めるに十分なものでした」

使い物にならなくなった得物を、再び掲げて彼は姉さんに詰め寄った。

「川神院、次期総代の自覚を、お持ちください。 正式な仕合であればこそ、治療班も万全な準備でお相手の治療もできうるのです。 くだらない野仕合の為に、それもこんな時間に、門下生に慌しい手間をかけさせる者が、果たして川神を統べる者に相応しいのか、判断がつかない貴女ではない筈です!」

「ん…」

完璧にふて腐れた表情である。
ま、姉さんもきっと、わかっているんだと思う。

わかっているんだろうけれど…



そんな姉さんの苦しみを流石にわかっているのか、それ以上は何も責めるような言葉は並べず、次いだ彼の声は大人しげになる。

「先ほど、麻王総理からのご連絡が入りました」

「…ん?」

脈絡をぶった切った、報告だった。

「貴女と闘わせたい、という方々がいるそうです」

「……」

だが、無反応。

期待が、持てないんだろう。

この前の、なんたら兄弟が尾を引いているみたいだった。

「さる大国の、さる特殊部隊に属すると、聞いています」

「……ほう?」

だが、現金なもので、すぐに話に食いついた。

素直に、うまいな、と思う。
やはり一年も姉さんに付き合っていれば、扱い方に慣れるのだろう。


「麻王様には、俺も御恩がありますので、出来る限り、この申し出を破綻させたくはありません。 ですが、今の件が御本家に知れればどうなるか、おわかりですね?」

こくこくと、素直に頷く姉さん。
爛々と、目が輝いている。

「幸い、双方共に目立った外傷も無いご様子。 いらぬ不審を煽らぬ為にも、帰った方が賢明かと」

よろしいですか?
という確認を言外に匂わせ、首を傾けて、彼は提案する。


平和的な解決が、今、為されようとしていた。












「ダメだッ!!」

ここで、KY騎士である。

空気が読めない騎士様である。

























―――そうだろうな。



心中で独白する。

一騎打ちだったのだ。
誇りを何よりも重んじる騎士娘が、このような中途半端な形で幕を下ろされる事など、腹に据えかねるだろう。


「これは、くだらない仕合などではない! 切っ掛けはどうあれ、これは互いの矜持を賭けた真剣勝負の筈だ! いくら矢車殿の言うことでも、自分は承服しかねる!!」


俺も、言い方に問題があった。
もとより、百代よりも先に、こちらと話をつけるべきだった。
礼儀としては、そうした方が良いとわかってはいたが、しかし、問答無用で百代が決着をつけに入るのも考えられたのだ。

否、正直に言おう。

あまりマルギッテとは関わりあいたくない、という気持ちが心底に澱んでいた事も、告白しよう。




「気分を害する物言いをした事、お詫びします。 ですが、これ以上続ければ、明らかに危険ですので」

毅然として言い張る彼女に、俺は誠意を込めて、話しかけた。

「決闘に危険も何も…」

当たり前だ。

「その、後の事です」

彼女の言を遮って、俺は言い募る。

「…え?」

「仮に、決着がついたとしましょう。 どのような結末になるにしろ、明らかに、敗者は甚大な怪我を負う事は確実。 …或いは勝者も」

かたや川神院次期総代、かたや現役の特戦部隊員なのだから。

もっとも、どちらが怪我をするかは、明白に思えるのだが…。

「以前行われた貴女と俺の決闘は、数少ない例外です。 決闘とは、本来、相手を打ち倒すまで行われるもの。 そうなると必然的に、その後の処置が問題となります」

生死を彷徨う怪我を負わないという保障はないのだ。

「ああ、そうか……」

大和は、俺の言いたい事を理解してくれたようだった。

まあ、百代に俺が言った事を考えれば、自明だろう。

「他の流派から、甘い、と思われるかもしれませんが、川神院は礼を重んじています。 相対する者への限りない誠意、敬意、感謝、或いは愛。 この気構えから、同門他門拘りなく、闘いによって負傷した全ての武芸者に対して、最速最善の治療を施す事を、院が祀る本尊に誓っているのです。 だからこそ、再度競おうとする敗者の発奮を促せる。 そして、そこからの練磨相克によって、武が更なる進化を遂げる。 そのような意図もあると、俺自身、総代に伺いました」

ちらと百代に目をやる。
武魔の顕現たる彼女は、これを無視する傾向が強い。
これが取り返しのつかない事態に陥っていたら、如何するつもりだったのか。
見守ってやってくれとも、先日、総代からそれとなく言われたばかりなので、こうして駆けつけられたのだが、まさか四六時中動向を見張るわけにもゆくまい。

「今、此処で決着をつける事は、満足を得るという益よりも大きな害、将来の好敵手を喪うかもしれぬという害を孕んでいる事を、自覚していただきたく」

この人は、その気になれば正拳ひとつで、確実に死を呼び込めるのだから。

「決闘を行うな、とは言いません。 やるなら、万全な状態でと。 そういう事です」

川神院で執り行えば、良いだけなのだ。

「俺からも、総代に、院にて正式に決闘が出来るよう、頼みます。 元はといえば、川神の手落ち、こちらの不手際。 ですからどうか、ここは矛を納めていただきたい」

両掌を合わせ、一礼する。

百代の為の連帯責任、というわけではない。
満足に百代の相手を出来ない、俺達の未熟も、この事態を引き起こした一因なのだから。

むしろ、この責は、俺たちが多くを占めるのかもしれなかった。


だが、未だクリスは納得できないようである。

「……真剣勝負にやり直しは無いと、こちらでは言わないのか?」

……ふむ。

彼女は口を尖らせ、尚も食い下がる。理は、あちらにも相応にある。

意地が悪いと、そんな事を彼女に言ってはならない。

一騎打ちとは、本来、不可侵が原則であり、それが最たる美徳であるからだ。


「…まあ、確かに、そうだよなあ」


百代が、そう言い放った。

薄ら笑いを浮かべながら。




……ダメだ。

これでは、また、元の木阿弥。


こんな深夜に迷惑千万ではあるが、治療班に来てもらうか。

そう、説得を諦めかけた時。


「あ、あの、クリスさん」

由紀江だった。

「ん? なんだまゆっち?」

「わ、私が、思うにですね、その…、この決闘はクリスさんが戦うわけでないなら、そそその」

「む?」

更にクリスは怪訝な表情を深めた。

歯に衣を着せる言い方に慣れてもいなく、またそれを全面的に善しとしないだろう彼女は、少々苛立ったようだった。

(へーい、クリ吉ぃ~。 まゆっちはな、ヤるヤらないはオメーが決めることじゃねぇよ、おととい来やがれ、って言ってんのさ~)

「な…」

騎士の頬に、この暗い中でもはっきりとわかるくらいに、赤味が差すのが見てとれた。



…へぇ。 あの引っ込み思案が、言うようになったものだ…。

これも、「風間ファミリー」のお陰なのだろうか。



未だ腹話術を通しているのは、この際、無視するとして。

今、松風を諌めている芝居も、この際、無視するとして。




「…ま、正論ではあるな」

待ち構えていたかのように、大和は同意する。
同じ事を、彼も思っていたのだろう。

「これがクリスの決闘だったら、しょうがないが、この決闘はマルギッテの問題だろ。 マルギッテに訊くべきじゃね? ゲンさん、どう思う?」

騎士から返される刺すような視線から逃れるように、顔を源へと大和は向けた。

「あ? 俺に矛先を向けんなメンドくせぇ。………俺の意見も、そう違わねぇが」

邪険な、しかし律儀な応答に満足したのか、大和はまとめに入った。

「ってことなんだけど、どう? マルさん?」

「……」


「…どう?」


「………ぇ?」


ようやく、反応が返ってきた。
しかし、様子はといえば、挙動不審の一語にすぎる。

「ッ!?」

すぐに、額を地に向ける。






ここまで、呆然自失、唖然の態を崩さなかった彼女。

そして、その瞳が俺の顔が映した直後に伏せられた事に俺は気づく。




それでも、俺は、忘れていて欲しいと願う事を、止める事は出来なかった。























むぐぐぐ。



自分、クリスティアーネ・フリードリヒの内心は、この四字で形容されるに事足りた。



この決闘は姉貴分、マルギッテ・エーベルバッハのものだ

それは、そうだろう。

だが、それでも、決闘には違いない。中途で断たれてはいけないものだ。
加えて、あちらからのアプローチをこちらが受け入れた形で開戦したんだ。それなのに、向こうの勝手な理由で打ち切られるなど、不敬千万。

絶対にオカシイと思う。

オカシイ事は、正されなければ、とも思う。

騎士として、否、それ以前に人として。



故郷の友も、こちらで新しくできた友も、自分は堅すぎる、もっと楽に考えろと言う。
隣の大和は、特にそうだ。毎回毎回、からかわれるたびに、このニュアンスの入った言葉を浴びせかけられる。

でも、譲れないものは、誰にだってあるだろう?
自分は単に、その範囲が、他よりも少し広いだけだ。

譲れないものを護る事、この行為に何を恥ずべき事があろう?
とりわけ、これは戦士の誇り云々の話だ。これを護らずして、何を護れよう?


だから今も、ああやって口を出してしまった。
思った事を、人の心情も考えずに言ってしまうのは、自分の悪い癖だと自覚している。それは、あの秘密基地での一件以来、幾らか改めようと努力している。
だが、どうにも、これだけは承服しかねた。受け止めかねた。


しかし、松風、もといまゆっちの指摘を受けて、気づく。

姉も、マルさんも、同じ気持ちだったのではないか、と。

否、勝負を汚されたのだ、きっと自分以上に、憤懣やるせない感傷の溶岩が、胸にとめどなく渦巻き、うねっているに違いなく、それを懸命にとどめているのだ。

大和の言葉への狼狽は、これが理由だったのではなかろうか?


…なんと。

自分はまたも、当人の気も知らずに、独り、脇目も振らず先走る真似を犯していたのだ。

だから、この実感から来たる、自らを恥じ入る気持ちが、冒頭の四字の呻きに集約されるのだった。



それをこれでもかと噛み締めて、自分はマルさんの回答を待つ。



きっと姉は、勝負の続行を、臨むだろう。

それだけは、確実。




「…ッ…」




そう。

確実だと、思っていた。


だが、マルさんの顔は、俯いたまま。

唇をかみ締めた横顔から伺えたのは、緊迫の様相。






















「マルさん?」

お嬢様の困惑の声が聴こえる。


自分が信じられない。 
まさか、ここに来て、ここまで来て、闘う事への畏怖の感を拭えていない自分に。

あれと闘う事を、熱望して、渇望して、そして…自分を認めさせる為に、十年近くの月日の間、身を砕いていたのではなかったのか?

打ち克つ決意を秘めて、この極東の地に赴いたのではないのか?

なのに何故、ここで躊躇する?
何故、存在を認めたその時から、身動きがこうも鈍るのだ?




そして、思い通りにならない体とは裏腹に、思考は巡り、巡る。



トラウマ。

脳細胞の演算によって究明された原因は、実に陳腐にして軟弱な精神疾患。



あの時も、月の映える夜だった。
あの時も、程よい満腹感の中だった。
あの時も、荒々しい憤怒を向けられた。
あの時も、矜持を守るために闘った。


この状況に符合する記憶が、ニューロンを駆け巡る。



そして、あの時、私は――――




「マルさん!?」





不意に、回想が途切れ、我に返る。


視界が揺れていた。

お嬢様が、肩口から軽く私を揺すっていた。


「お嬢様……」



護るべき者の揺れる瞳を見る。




そうだ。

逃げられない。

逃げてはならない。

彼女の前で、敵に背を見せる姿を、見せてはならない。


それに。


「そうですね…。 私、らしくない。 恐れるなど、私らしくない」

そう、私は猟犬。

誇り高き、至高の獣。


「…私は、決着を望むッ!」




























両者とも、戦意高々の様子。
どうやら、怪我人が出るのは避けられそうもない。

わざわざ出張ってきた直斗には、とんだ徒労となるみたいだった


「……そうだそうだ、中途半端は悪いよな~♪」

姉さんは至極残念そうな顔で、至極喜悦が滲んだ口調だった



「…直斗、悪いけど、これ止めらんないみたいだわ」

心からの謝罪を行う。

「……治療班、呼びます」

庭の隅のほうに歩を進めながら、懐から携帯を億劫そうに出した彼に申し訳なさを感じつつ、俺は件の二人を注視しなおした。














だが、ここで、誰もが予想も出来なかった展開が待ち受けていた。
















「勘違いするな、川神百代」

「…何?」

「言った筈だ。 お前より、優先する者がいると」


何かの儀式じみた仕草で、カチカチと両腕に具された旋棍は撃ち合わされた。

マルギッテは息を大きく吸い込んだ。
まるで庭中の空気を、失くしてしまいそうな勢い。


そして、カッと目と口を開け拡げ――――、





「(立ち合えぇッ、矢車直斗ォッ!!!!)」





振り絞るような気合が、弾けた。















―――――――――――――――――――――――――

ここまで読んでくださり、感謝感激雨霰です。


そして、皆さんに質問と言うか…

現在、マジ恋ドラマCDの購入に迷ってます。

一応、マジ恋関連資料として、マジ恋(初版)と付属した小冊子、一迅社から出てるライトノベル全巻、あとマジキュー四コマの一巻を所持しています。

ドラマCD欲しいと言えば欲しいのですが、単価3500が五枚ってwww
楽々ほかのエロゲが二、三本買えるという…。
ちなみに中古は買う気しない。

…なんか風の噂でモロの髪の毛のヤツがキモイとか何とか。


購入された方、いらっしゃったらご意見、頂きたいかなと。

感想板に、ドシドシ、くださーい、お願いします!

いまひとつだったら、リニューアル版の鬼哭街が面白そうなんで、そっち買おうかな…






[25343] 第二十一話:失意
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/06 23:45


『待たせたな。』

―――ソリッド・スネーク
















トンファーという武具について、解説しようと思う。


詳しくは存じていないが、何やらゲームの中で三国武将が使っているイメージが強いらしく、中国古来のものだという思い込みが根づいているようだが、元々は沖縄の古武道において使用されていた武器の一つである。

この得物の恐るべき点は、運用面での汎用性にある。

握りの部分を、オーソドックスに持った状態では、自明として、自分の腕から肘を覆うようにして構えられ、空手の要領で相手の攻撃を受けたり、そのままの突き出しによって、卓抜する破壊力を伴った、「点」の攻撃行使が可能である。

また、取っ手をそのままに、逆に長い部位を相手の方に向けて、棍棒のように扱い振るう事ができる。
言わずもがな、こちらは「線」の攻撃型。
破壊力こそ劣るものの、そのリーチの長さから、確実に相手を捕捉し、削る。

そして、これらは握力を加減し、手首を返す事で、いわゆるスナップを効かせる事で、半転させて瞬時に戦闘型を切り替える事ができ、或いは、数回転させて勢力を付与しつつ、相手を殴りつける事も、熟達した遣い手ならば容易い。
この辺りが、旋棍と名づけられた由縁だろう。

それだけでなく、長い棒の部分を持ち、握り部分を相手にむけて鎌術の要領で扱う事も、ブーメランのように射出して逃走する相手の足に絡ませ転倒させる事も、また可能。

暴徒の鎮圧や無力化に用いる攻守一体の装備として、トンファー・バトンは、「打つ」「突く」「払う」「絡める」などの様々な用法を習熟することにより、極めて合理的かつ有効な装備である。
確か、警棒として正式採用している警察も、あった筈だ。
俺自身、欧州で警察官がぶら下げているのを見かけた事がある







この全てに、トンファーという武器は応用できうるのだ。
刀を持つ敵と戦うために作られた、近接戦闘では敵無しの攻防一体の武器。


……言いたい事はだ。





今の俺にとって、天敵以外の何物でもない事である。
















6月9日(火)

昼休み、中央グラウンドにて。





ギャラリーが地べたに座り始めた事から、闘いが始まって、十数分は過ぎたと想像できた。


「ッつァ!」


抜き身の刃無き刃が、彼女の鎖骨を目掛けて、奔る奔る。

鈍銀の軌跡を残す程の迅さだ、常人では視認すらできない、そういう自負はある。

だが、その一刀を難なく、マルギッテは片腕で受け、流した。

続いて俺が自らの勢力を殺せずにつんのめったところを、もう片方の手に握られた彼女の得物は、容赦なく狙い撃つ。

重心移動によって足腰からの勢力をも乗せた、一点蒐約の穿ちが襲い掛かる。

突先が脇の肉を抉りこむ一歩手前、俺は慄きながらも無理矢理足を摺り、体を開いて、そのまま独楽のように体躯を回旋させて避け、一円を描いて再度、彼女の肩口へと斬り込む。

「…ハ…ッぬんッ!!」

毎回のように硬度抜群の相手の得物に阻まれ、衝突点から諸手に伝播する波動に顔を顰めながら、次々と繰り出される突貫殴打の嵐に負けじと、俺は鈍刀を振るい続ける。

「……ふ、ざ……ッけるなァッ!!」

「っく!?」

ついに肩で息をし始めた俺に向けて、容赦の欠片も見せずにマルギッテは棍を振るう。

その瞳を染めるは、烈火の色。

堪らず、後退。

















―――くっそぉッ!

俺にも意地がある。
俺は彼女に、勝った事があるのだ、否、勝った事しかないのだ。


この七年の間に、追いつかれたと云うのか!?



―――こんなにも、引き離されたと云うのか!?



「づぁ゛ァアッ!!」

一息で、かりそめの間合いを詰め、斬りかかる。


……なんにせよ、こんな無様を、この衆人環視の場で晒すなど、あってはならない。 

川神の門弟として、到底、受け容れられない!!


瞬時に受け止められた斬撃と、寸時の間もないカウンターに歯噛みしながらも、徐々に速度を上げていく双棍の殺到に必死に喰らいつく。

右上段へと剣が跳ね上げられた時、鋭い突きが、一直線に胸元に飛び込む。

それを半歩退いて避け、退いた分だけ踏み込みながら、横薙ぎに執念を乗せた一刀を振るう。

俺の斬撃を彼女が捌き、或いは受ける。 
彼女の打突を俺が避け、或いは払う。

まるで、竜巻から攻め立てられているようだった。

尚も拳足の嵐は加速する。
先程までは一息で二撃だった。 今は四。 いや、五。

鉄と黒檀がぶつかり合う。 その度に、俺の焦燥の顕現たる汗が飛び散る。

噴汗に呼応するように、嘔気が沸々と咽頭の奥で込み上がる。 
喉が、ぴりりと沁みる。 胃液が、すぐそこまで、せり上がってきている証拠だった。

これほどまでに長い仕合は、記憶にない。
無意識に押さえつけていた緊張が、ついに御し切れない所にきたようだ。


衝突のたび、両者の間で生み出される火花が、飛び散った汗を照らす。



その汗が、火花と交じり、蒸気となって、俺の眼に、飛び込んできた。




その間隙を逃すほど、彼女が慈悲深い事は無く。















「……ぅ…ッ゛オォ゛…」

まるで言葉にならない呻きを上げて、俺は地に伏す。 額に土つくこと構わずに。
のたうち回る事も、できない。 左胸に、灼熱が走り続ける。



諸君に問おう。

肋骨を、あばらを、折った事があるだろうか?

よく、ほら、漫画などであるだろう?
「ちぃッ、アバラ二、三本イっちまったか……」とか言いながら、それでも仇に向かっていく主人公とか。





……断言しよう、ありえないと。

真剣マジで、それは無い。

呼吸のたびに、胸の肉を、肺を抉りこまれる感覚を体感してみればいい。

この痛みに一分も耐えられたなら、余程の強者か、余程の変態だろう。






そうして、6月9日の俺の記憶は、ここで途切れるのである。



















<手には鈍ら-Namakura- 第二十一話:失意>

















「……ま、あんなものだろうな」

隣の姉さんは、酷く冷めた目で、繰り広げられる戦闘を眺めていた。
少々、直斗が劣勢といえる戦況から目を離し、俺は姉さんの様子を見る。

あの後。
マルギッテが直斗に宣戦布告した直後は、それまでよりも一層、めまぐるしく状況が悪い方へ悪い方へと悪転。
マルギッテは問答無用で直斗に飛び掛ろうとし、姉さんはといえば、それを止めようと、否、獲物を逃すまいと、直斗との狭間に立って決闘を続行せんと躍起になる。 幸運にも、彼の携帯電話越しに状況を聴き取ったルー先生が駆けつけなければ、島津寮周辺の宅地がどうなっていたか、わからない。 朝、現場を見直してみれば、寮自慢の庭が、見るも無残な様相を醸していた。

事態の収拾はというと、遅れてやってきた総代、川神鉄心の取り成しもあり、ひとまず昨晩は三者とも退いて、今日学園にて、直斗とマルギッテの正式な決闘が執り行われる事になったのだ。

……しかし、どのような因縁があったんだろう。

「姉さん」

「ん?」

「直斗から何か聞いてないの?」

「……何を?」

不機嫌そう。

それも当然か。 何しろ自分を押しのけて、止めに入った直斗に獲物を奪われた形になったのだから。

無視される事。 生きていれば、そんな状況に出くわす事など多々あるだろう。
だが、こと姉さんに限って言えば、そんな事は一切なかったに違いない。
常に体中から覇気を迸らせる彼女を、邪険にあしらう輩など、そうそういない。

「いや、ほら、マルギッテがあんなになってる理由とかさ」

「……昨日から、あいつと口利いてないからな。 詳しい事は知らんが」

おいおい。

彼が悪いわけではないだろうに。

「ジジイが言うには、昔のヤンチャが、祟ったってとこらしい」

「……直斗が、ヤンチャ、ねぇ」

想像し難い。

そんな感想を抱き、ちょうど闘いの方に再度、眼を向けたとき。


「……ぅ…ッ゛オォ゛…」


決着が、ついたようだった。



















―――ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。




マルギッテは、憤怒の情に身を灼かれていた。

目標としていた者を、超えた。
「約束通り、」自分を、認めさせた。
そんな感慨など、微塵も浮かんでこなかった。

何なのだ? コレは?

十メートル先の標的、だった者を漠然と視界に映す。
川神の者と思しき数名に手当てを受け、未だ尚、その意識は漂流しているであろう彼奴。


こんな、こんなものでは、断じて、なかっただろう!?


「……ッ゛!」


思わず、大股に歩いて間合いを詰める。

まだだ。
まだ、終わっていない。

そうだろう?

半ば懇願するように、私は心中で問いかけながら、彼が立ち上がるのを期待しながら、歩を進める。

ここで終わりであるならば、今までの私は何だったのだ?

この八年の訓練につぐ訓練、任務につぐ任務。
その全てが全て、貴様に及ぶため、捧げた物だ。 供物だ。


トンファーを、地に落とす。

救護を押しのけ、奴を立ち上がらせようと伸ばしかけた手を、だがしかし、止めざるを得なかった。

凄まじい握力で、右手首を掴まれたからだ。

「……もう、勝負は着いただろう。 これ以上は無粋じゃないか?」

同門の者が破れたというのに、その表情に真実、喜悦を滲ませながら、川神百代は私の耳元で囁く。

「貴様に用は無いッ」

叫ぶ。

邪魔以外の、何物でもない。
そう言外に匂わせたのだが、それで引き下がる者でない事は明白。

手首を絞める力が、より一層、凶暴になったのがその証拠だった。

「お前にとってのナンバーワンは、既に倒れた――、なら、次はナンバーツーの出番だよな? ……私がツーとは、本当に、不服だが」

「……まだだ」

「よく見てみろ。 もうコイツ、グッロキーだろう?」

改めて、彼を見る。

そう、百代の形容する通りだった。

二本、胸骨を折った手応えも感じた。
戦場ならば、無力化に等しい打撃を与えてやった事は、自分が一番理解していた。

戦いの最中に見た彼の相貌は正しく、必死そのもので、それが全力を出し切っていた事の証明でもあった。






………でも、それでもッ…!!



「……ッ貴様はッ!」

「おいッ…!!」

それでも、手首の痛みはそのままに、私はまた一歩、彼に詰め寄る。

これが今の彼の全力であるのなら、私は、とんだ道化ではないか?

彼だけを見据えて、彼の剛さだけを思い描いて、ここまで修羅場を潜り抜けた私は、どうなるのだ!?

「本当にこの程度ならば、失望するッ、貴様を私は侮蔑する、矢車直斗ッ! わ、私は、私はッ!!」

この日のために、どれだけ時を費やし犠牲にしたか。

「マルさん!!」

クリスお嬢様の声もする。
左手にも枷がついたようだ。

だが、構わず叫び、また一歩詰め寄る。



本当に、本当にこの程度であるならば……





――――貴様は、今まで、何をしていたァッ!?




かたや武神、かたや最愛の妹の手による枷を、腕ごと引きちぎらんばかりに、私は吼え続けた。










視界が滲むのが、嫌で堪らなかった。






























約九年前。

恐怖の大魔王はついに世に姿を見せず仕舞いとなり、つつがなく西暦は二千を数えた頃のこと。


俺たちは、リューベックの、まさに白亜の宮殿の名が相応しい邸宅を訪れた。

フランクさんの住処である。

前にも言及したと思うが、両親の仕事柄、俺は家族ぐるみで国際交流の場、パーティのような集会に出ることが多かった。 ここで行われる軍部内の宴に、お呼ばれされた訳である。



この時、親父たちは密かにある計画を進めていた。
アフリカの小国への支援物資輸送、及び国内でのその流通である。

その国は、軍事政権が台頭していた。

軍閥政治が悪いとは言えない。 長きに渡る間、その政治体制で国民が守られてきたのなら、独裁制に近い政治形態も、民主主義と同等の価値を持つ筈だ。 必ずしも、悪ではない。 デモクラシーの恩恵を受ける先進国にて生活しているせいで、或いは、より具体的な非難材料となる事件が引き起こされたせいで、独裁=敵国家という認識が俺達の中には広まっている。

ただ、やはり権力の分散が為されないと、腐敗は圧倒的に生じやすい。
軍部の横流しが目に余る状況下で、親父たちは、ならばと、自分たちの手で物資を、必要としている者の所に直接手渡すと、平たく言えばそういう計画を打ち立てたのである。

しかし、その為には彼らもまた、軍事力を欲した。 いや軍事力というよりもマンパワーか。  国連の御名は、有名無実も甚だしく、敵国内での物資の搬送には、その手の荒っぽさと、隠密に事を運べるだけの技術と経験を持った「部隊」が必要だったのである。

Op.Carol
オペレーション,キャロル。
自らの所属を一切明らかにせず、ただ、必要とされる物を、さながらサンタの如く、軍の目を盗みながら村々に置き去る。 計画の全容はそういう、シンプルにして困難なものだったという。
そして、フランクさんの擁する「狩猟部隊」が、後に実行役の筆頭となっていたのだ。

しかし、この時点では未だ、フランクさんを含めた協力者を集める段階であったため、個人的なコネを、時間をかけて作り、温めねばならないとして、建前であった軍の戦地における難民対応のアドバイザーとしての職責も全うしつつも、機会を窺っては各国の要人と交渉を重ねていた。

しかし、もちろんタダで協力してくれるなどと虫のいい話はなかった。 だが、彼らが特定の中東圏やその周辺の軍事国家の中枢に「S」――間諜をいかにして配置するかに困窮していた事実もあった。 そんな中、過去に現地で、いわゆる真っ当な貧民保護活動を行い(それでも十分で無いからこの計画が提起されたのだ)、相応の信用を築き、ツテを少なからず持つ両親は、渡りに船に違いなかっただろう。 親父たちにとっても、苦渋の決断だったと思うが、やむをえまいと、断行したようだ。

そういう裏話があって、取引相手へ機嫌はとらなければならないわけで、毎週のようにローストビーフを俺たちは食べに行っていたのだ。






くだらない、と思っていた。

当然ながら、なんら事情を知らされないままであったので、髷カツラをかぶり、刀片手に演舞しつつ、添え物の果物を瞬時に切り刻む等という、大道芸以外の何物でもない出し物を平然と行い、続く拍手喝采に笑みさえ浮かべ、制服に勲章をやたらめたらにベタベタとつけた軍人の機嫌をとる両親の姿は、俺にとって唾棄すべきものに他ならなかった。

妹のほうは、無邪気に笑いながらソレを眺めていたために、余計に腹立たしく、しかし、何となしにではあったが、内容はともかく、父母の企み事の存在だけは感じていたので、俺も精一杯の笑みを張り付かせて、周りの人間に応対していた。


彼女に出会ったのは、そのような心境の時である。
着飾った他あまたの女性陣の中にあって、シャツに紺のベスト、パンツを合わせただけの格好。 だが逆にそれが、彼女に滲む気品と誇りを際立たせていた。 

恐らくは、士官学校の制服であったのだろう。 
今から思えば、あのような場くらい、女性らしく煌びやかなドレスを纏ってもよかったのではないかと、苦笑を禁じえないが。


最初に彼女と言葉を交わしたのは、真守。



歳相応の会話、では無かったと思う。

身に着けていたビーズアクセから始まったはずの会話が、いつの間にか戦争だの平和だの、そんな大それた論争になる様を、俺は物理的に少し距離をとって、心理的に多分にヒいて、眺めていた。

少し前にアンネフランクやシンドラーの映画を見たせいもあったのかもしれない。
ドイツに行く前にそんなものを鑑賞するのは少し、いや、物凄く無粋だろうに、それを止めようとしない親父の甘さよ……。

とにかく、平和主義に少々かぶれていた妹と、誇り高い士官候補生が衝突するのは自明であった。
だんだんと口喧嘩の様相を醸すソレが、周囲の注意を引き始めるのを察知した俺は、仕方なく妹へと近づく。

どちらの味方をするでもないが、ま、楽しく宴会しようぜと、そんな感じの微笑を形作り、割って入ろうとした時である。



向かうマルギッテの手が、刀形を模したのを、確かに見た。







今にして思えば、殺気はなかった。
寸止めで脅かすつもりだったのだと、そう思える。

あれだ、「問答無用で攻め立ててくる輩に、どう平和を説くのか」云々と言っていたから、その意趣返しだったのだろう。

それでも、家族に手を出される様を黙って見ていられるほど、この時の俺は忍耐強くなかったのは、確かであり。

妹へ真一文字に繰り出される手刀を、手首を掴んで防いだ。



その後の流れは

「外、出ろや」→拳蹴拳拳肘拳拳蹴→テテテーテーテー、テッテテ~♪

と、こんな感じだったか、いくらかクサい台詞を放った気も、無きにしもあらずだが、詳細は、ご勘弁願おう。









院の縁側にて、柱に背を預けて座り、紫陽花の鮮やかな淡紅を目に映しつつ、そんな事を思い出していた、決闘から二日後。

胸の痛みは嘘のように退いている。
骨は、あと幾日かで完全に元通りという話。
毎度ながら、ここの治療班の腕には驚かされるばかりだ。 気功、内功の応用らしいが、真似できそうもない。

これを突き詰めた結果が、百代の瞬間回復なるものなのだろう。

民間療法も甚だしいが、その実、現代医学を超越しているのは、間違いない。
もっとも、門外不出の奥義でもあるので、外に出回ることは無いのだという。 川神門下の役得というところ。


「……」

ため息は、つき飽きるほどついた。
だから、今はただ、黙って、治癒を待つ。



そうすべき、なのだろうが。

傍らの木刀を無性に振りたい、この衝動は、申し訳程度に心にへばりついた武闘家としての矜持か、はたまた、単なる見栄か。

十回だけ、上げ下げするだけ、と決めて座したまま掲げる。
こんな事でもしていないと、喪失の情に似た、ある種の無力感が胸にこみ上げてきそうでもあった。







俺には少なからず、否、多分に、過信があった。
口で何と謙遜しようとも、幾年ものブランクを跳ね返せるだけの才が、自らにはあると。

信じていた。

あの頃の俺は、「施設」に入る前の俺は、控えめに言っても、そこらの武術家など一蹴できるような実力があったのだ。
父も母もそう認めていたのだから、間違いはない。

そう、心の底で「俺は本当は強いんだ」と、それこそニートよろしく思い続けていた。
だから、すぐにとは思わなかったが、一年もあれば、川神百代以上とは流石に無理とはいえ、彼女と死合って、幾らか拮抗した闘いができるようになるまでは、強くなれると、信じていたのだ。


なのに、何だ? このザマは。


過去に、それなりの余力も残してあしらった、マルギッテを相手に、この有り様。

欧州最強のインファイターだとクリスは言っていた。
あれから、俺が矜持もろとも叩き潰したあの時から、どれほどの修練を積んだことやら。

まず、肩書きからして、異常。
あの若さで、ハタチそこそこで少尉――、尉官の地位にあるという事。

家系由来のコネが多少あったとしても、最下位とはいえ立派な将校たる地位に昇るには、多くの修羅場を潜り抜ける事となったろう。



……スゲェ。 本当にスゲェ。
「武力こそ平和へのツール」と、啖呵切っていたが、まさかここまでする覚悟と実力を秘めていたとは思わなかった。


だから、ある意味で、俺に勝って当然といえば当然なのだ。
何年も武から遠ざかり、一年くらいのにわか鍛錬で、俺が勝つ道理が罷り通っていい筈がない。






問題は、あの後。 俺の敗北の後にある。





ちらと、真横の座敷を盗み見る。
寝具に包まる、彼女。
そこに、俺を先日、叩きのめした人物が、叩きのめされた状態で眠っている。
頬半分を占拠する湿布が、痛々しく。




そう、問題はあの後。

猛り狂ったマルギッテを百代が、瞬時に、撃破したことにある。



何だというのだ?
理不尽だろう? 不条理も過ぎるだろう?

これまで幾度も仕合を俺は百代と交わしたが、手加減しているなとは思っていても、それでも、およそ七、八割方は本気を出しているのだろうと勝手に思い込んでいた。

そう、それにあの夜の決闘騒ぎも、俺が着く前に相当の時間が流れたと聞いた。
だから、マルギッテ相手に少なからず粘れれば、きっとそれは彼女に近づけたという証拠となりえたのだ。

そんなことを、昨日意識を取り戻した数分後に考えていた。

だが現実はどうだ?

俺がいくら足掻いたところで、膝を折らせる事すら叶わなかったマルギッテを昏倒させるまで、百代は、五秒もかからなかったという。

マルギッテに疲労はあっただろう。
だが、決して、疲労困憊、とまでの消耗ではなかった筈だ。

それを、こうもいとも容易く、一ヶ月は療養を余儀なくさせる状態に陥れるなんて、もはや笑うしかないとは、こういう状況だろう?

あの夜、彼女は実力の半分も出していなかったのだ。
マルギッテより、由紀江より数歩だけ先に行っているという俺の予測は、勘違いも甚だしかった。

目標とする彼女、いつか、全てを賭して闘う運命にあったかもしれぬ彼女との、絶望をも飛び越えて、呆れさえも感じさせる程の距離が、圧倒的力量の差分が、一挙に露わになった、そんな数日。



その強さは途方もなく、その才は底を知らず。





認めるしかなかった。
俺は、彼女からすれば、凡夫に他ならないのだと。

武の道から一度外れた時点で、俺の才と練は枯れ果て、零落したのだと。



やはり、剣を手放す。
ゴロリと、心なし不快な音が床に響く。







殺到する己への失望を、座り尽くしたまま、俺は受け止め続ける。










[25343] 第二十二話:決意
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/09 23:33


『初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。 例えば戦争をしておっても、誰も妥協を考えてやるのではないのです。 勝つことが目的であって、最終目的に対して、十とれるところが八だとか、八とれるつもりがまあ五だろうというのが妥協であります。 初めから五を考えると、二しかとれません。 』

―――三島由紀夫















「………ん、ぅ?」

何かが倒れる、くぐもった音が発せられ、マルギッテは薄目を開ける。
重い眠りから引き上げられつつあった意識が、その音で一段と覚醒したようだった。

白濁に囲まれた視界には、幾つもの木目が連なる天井。
自分が見慣れたものではなかったために、寸時、何が自分にあったのか理解が及ばなかった。

ただ、軍人としてこの身に刷り込まれたサガからか、布団に横たえた体を起こす気力は無くとも、マルギッテは目だけを動かして自分が置かれている部屋の状況を分析し、完全なる把握に努め始める。

ぐるりと両の目玉が部屋を一周した後、欠落していた最後の記憶が頭に迸り、跳ね起きる。
しかし、こちらも思い出したかのように、さしこみのような痛みが全身を苛み始め、また床の上に寝転がる事を余儀なくされる。

「―――ッツ」

堪らず舌打ち。
恐らくは川神院内にいるのだろうが、あれからどれほどの時間が経ったのか。
そう考えようとした矢先、今度はこみ上げてくる吐き気に思考の中断を強制される。

最後にくらった脇腹への痛打に、肉体は未だ動く事を拒絶しようと、止め処ない痛みを発していた。
また、酩酊感のようなだるさと共に、二日酔いのような眩暈もある。

一体コレは本当に自分の身体なのだろうか。 
そんな感慨さえ抱くほど、鍛えぬいたと自負するこの体躯は、奇妙なほど弱りに弱りきっていた。


……溜息をつきながらも、結論を下さなければならなかった。

いま少し、ほんの少し、静養せねばと。


一切の物音を遮断し意識外に追いやろうと、寝返りを打ったとき。
障子を透き通って差し込む光の中に、黒き影があった。







誰だろうと、思うゆとりもなく直感した。






今度こそ完全に意識は覚醒し、迫る嘔吐感と激痛をねじ伏せて、半ば倒れこむように戸口へと体をむけて、引き戸を指先で勢いよく開け放つ。

瞬間、久方ぶりの陽光の直射に目が眩み、しかし、後光の中、確かに奴はこちらを振り向いた。

と思考したら、先の勢いを殺し損ね、額からしたたか、縁側に叩きつけられる。




「……」

「……」

そして、しばしの無言。




「……」

「……じゃ」

いや、待て。

スルスルと真横に逃げようとする奴の腕を、引っこ抜かんばかりに握る。

そのまま、床から顔を上げ、顔を向け合う。

否、私が顔を向けると、奴は一寸暇もなく顔を背けた。

「き」

貴様、、と痛む喉から発声しようとすると。



「……る」



「…え?」

かすかに奴の口が動く。



「零れてる」


こぼれ?



流し目の先を辿る。







胸元がはだけ、初夏の陽気にさらされていた。







羞恥に、頬から火を噴いた。



















<手には鈍ら-Namakura- 第二十二話:決意>
















重病人を、衣服をそのままに治療することは、まずありえないこと。
川神院にて療養に努める者は、簡素な甚平風の、作法衣を着用するしきたりである。

患部を圧迫させぬよう、付紐がある程度緩められ、前布がある程度だぶつくのは自明であり。



「(おい)」



瞬時に元の部屋に篭ってしまった彼女に、声をかける。
なんとなく、いつもの敬語口調は、彼女に対して失礼と思え、それでも荒い語調で話すのを他人に聞かれたくもないので、自然と彼女と初めて会ったときのように、英語を使った。

「(もう、行くからな。 ……お大事に)」

「(ち、ちょっと待て)」

「(待たん。 寝てろ)」

布擦れの音から、日本の伝統装束に悪戦苦闘している様が目に浮かぶ。
片方の紐が見つからんのだろうな、とそんな事をぼんやりと思った。

嘆息を一つ、俺は先ほど放った木剣を拾い上げ、自室へと踵を返す。 来週からは流石に学校に行かねばなるまい。
満足に稽古も出来ない身で、院にとどまり続けられるほど、面の皮は厚くないつもりだ。

あんな無様を晒した後、衆目に触れるのは些か忸怩たるものがあるが……。



「(待ちなさいッ)」



戸が再び開く音が聞こえた。

ひとり天照大神ごっこは、おしまいのようである。

振り返れば、結局両裾を手で押さえることにしたらしい彼女がいた。

胸部中央から腰元にかけて、肉感が滲み出るその姿は、どこぞのサルや筋肉男が見れば、垂涎卒倒モノだろう。


……俺か?

俺は紳士だから。 
気取られんよう、堪能しているさ。 

胸部中央に覇を唱える突起の、布越しの自己主張の甚だしさときたら……。

「(……割と元気なんだな。 安心した)」

「(軍人たるもの、こ、この程度……ッ)」

おっと。

言ってるそばから、マルギッテは前にかがみ、腹を押さえて膝をつく。

「(寝てろ。 俺と違って、お前は丹田やられてる。 今一時は動けても、後は反動で、だいぶ痛い思いするぞ?)」

気功が効かないのは、このせいである。
如何な癒氣を送ったとしても、ポンプが機能しなければ、存分な効果は期待できないのだ。

「(フランクさんには連絡がいってる。 ちょうど良いから、溜まった休暇を消費しろだとよ。 ……ほら、入った入った)」

半端に開かれた障子を、更に引き開き、促す。

こういう時、手を差し伸べたり、抱えあげたりするのが真のジェントルなのだろうが、出来かねた。
無様を晒す戦士に、これ以上の侮辱はあるまいとも思え、また彼女もソレを望むまい。 相手が相手だ。

痛みが小康となり、彼女が動くまで待つ。

彼女は床面に俯きながら、息を整えている。
そして一呼吸、二呼吸と徐々に落ち着きを取り戻すや、キッとこちらをめつけた。

上から視線の糸を垂らしている筈なのに、何故だかこちらが見下ろされているような、そんな気分になった。





「(……負けた言い訳をするつもりはない)」

だから、予防線を張る。
何故だか泣きそうになったから。

「(一昨日の俺が今の俺で、多分、これからの俺だ。 だから、否定はしないでく――)」





「(嘘だァッ!!)」

大きく被りを振られた後、彼女の瞳が俺を射抜く

「(あの時の言葉は忘れもしないッ。 この胸に、しかと刻んである!)」

……やっぱり、覚えてるよな。

彼女の慟哭に近い叫びを聴き、ぼんやりと彼女の激情を見る。

「(容赦なく襲い掛かる暴力に、如何に和を説くのか、そう彼女に問うた時、)」



―――俺が護る・・・・



「(低く、決意を秘めた声で、紛れもなく、そう言った筈!!)」

燃ゆる紅髪逆立たせ、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「(どんな輩であっても自分が拳を受け止め、妹が言を捧げる。 そう言ってお前は、妹を否定するなら俺を討ち果たしてからにしろと、そう宣言した筈! 言葉でも、その拳でも、その蹴脚でも!!)」

厄介な事を、俺も口に出してしまったものだ。

その想いに、一点の嘘はなかった。 

だが、しかし今となっては……。

「(そして私は思った。 結局は貴様たちも武に頼っているじゃないかと。 拳を止めるために拳を使っているじゃないかと。 ならば、それは私の論理のほうが正しい事を意味するだろう? なのに、なのに貴様の妹は、武よりも言と、そう言い張って憚らなかった!)」

眼を閉じる。

ああ、そうだ。
言われなくとも、あいつと過ごした記憶は、どんな事でも、覚えているさッ……

だから、もう……。

「(だから私は誓った。 否定する事をッ。 私を認めさせる事をッ。 あの悪魔的な武の塊に、お前に、お前にいつか必ずッ―――)」



限界だった。

彼女が咳き込んだところを見計らって、片手を引き上げる。



振り下ろす。



手の延長だった俺の相棒は、寸分の狂いもなくピタリと、彼女の首筋を捉え、意識を、両断した。





















糸を切られたマリオネットよろしく、マルギッテは無造作に床に横たわった。 次いで、膨らみのある唇から、血が零れる。

「……言わんこっちゃない」

首を叩いたといっても、ほとんど撫でたようなものだ。
吐血は、絶叫で口腔か喉が傷ついたせい。

彼女の身体は脆くなっている。 無論、丹田の損傷で。

粘膜の形成すら危ういのだ。 全治一ヶ月以上の怪我は伊達じゃない。

あのまま喋れば、最悪、窒息もありえる。




……もう何も聞きたくなかったという本音も、確かにあった。

自嘲の笑みが張りつく。

所詮、俺はこの程度の器だよ。




彼女の元に屈み、体を支えながら、うつぶせの体勢に整えてやる。

溢れる血が気道に入らないよう、そのまま数分、血が止まるまでじっと待つ。


最後に作法衣の袖で口元を拭って、肩に手を回す。
引き上げつつ、開け放たれた障子戸をくぐり、布団の上に寝かせる。


掛け布団をかぶせようとしたところで、別口から様子を見にきた治療員と遭遇。
ものっそい怪訝な眼で俺を、寸時見つめてきたが、事情を話すと、後は請け負ってくれた。

最後に幾らかばかり、お叱りを受ける。

平に謝り、その場を後にした。


やはり、こっちに近づくのではなかったな、と戻る道すがら、考える。

だが、気づいたら、あの襖の前にいたのだ。
期待に似たものを裏切ったのだ。 言葉でどう取り繕っても、許してもらいたいと、訳を聞いてもらいたいと、そんな気持ちがあったのかもしれない。

本当に、どうしようもない。

自分に甘い自分に、腹が立つ。








「施設」に入所以来、もう会うことはないと、たかをくくっていた。

実際、会いたくはなかった。

だが、ここにきて再会。




俺は、俺は、護れなかったのだ。 

誇りを、喪ったのだ。

間違いなく助けられた筈の妹。
俺は、みすみす、その命運を逃したのだ。

どんな顔で、マルギッテと対面できるというのだ。

あの時、殺気騒ぎの屋上で、そればかり、そればかり思案していた。


























同日、直斗が治療棟を出る十数分前。

川神院、境内に来客があった。

今回は、極秘裏ではあったが、予定された訪問だった。



「おお、久しぶりじゃーねぇか? 百代ちゃん」

彫りの深い特徴的な顔に鷹揚な声。
時の与党総裁、内閣総理大臣、麻王太郎である

「はい、お元気そうで何より」

全く動じず臆せず応じるは、川神の武神、川神百代。

「で、話は聞いたと思うけどよ」

総理は背後を顎で指し示す。

「こいつらと手合わせしてほしいんだわ」

屈強な、という形容だけでは足りない猛気を纏う男が二人。

「―――はい、構いません。 むしろ望むところです、フフッ」

それを感受してなお、こともなげに百代は承諾。

「む?」

先にあったときと、少々反応の勝手が違う彼女に訝しがる総理だった。







「あわわ……、師範代、総理大臣来ちゃったよ……」

離れたところで、川神一子は恐縮しきっていた。

「これは極秘事項なので秘密だヨ?」

そんな愛弟子に、ルーは語りかける。

「それはわかってますが、緊張するなぁ」

「彼は時々来ていただろウ? 川神院ニ。 急がしくて、ここ一年ほどは足が遠のいていたみたいだけれド」

「その頃、まだ総理じゃなかったんですよ」

「あぁ、言われてみれば確かにそうだネ」

「……ったく、師範代といいお姉様といい、そーいう所に無頓着。 羨ましーわ。 本当に」

皮肉でなく、本心からの発言のようだ。
総理になったからって、どうこう変わるものじゃないと思える余裕は、この弟子にはないようだった



「おおーッ、オメェもめっきり色づいてきたな」

そんなやり取りの中、颯爽とやってくる総理。

「あっ! あ……の……そ、総理!!」

「アメやるよ」

一子の逡巡もお構いなし。

「わーい! ありがとうございます!」

当の一子は一転して喜色満面となるが、すぐに、自分にはアメ、姉には強敵が贈られるという差に、少々へこむ。

そんな年相応、感情豊かな一子の姿に眼を細めつつ、ルーは決闘の準備に入る。





「では、早速勝負にをはじめるとするかのう?」

いつの間に来ていたのだろう、川神鉄心が、音頭をとろうとしていた。

「一対二でいいじゃろう。 なあモモ?」

「ああ」

一も二もなく孫も同意。

「おいおい、それでいいのかよ?」

「構わんよ。 むしろ足りないと思えるくらいじゃ」

総理の狼狽に、落ち着き払った様子で返答。

これが川神院を統べる男である。

「……悪ぃな、相手先は、まあじーさんならわかってると思うが、口には出せなくてよ。 立場的に面倒に巻き込みたくないんだわ」

「なに、それも構わんよ」

その佇まい、柳の如し、であった。







「ははは、大国の技術を集めた戦士だそうだ」

決闘場、古来からの慣わしから、川神の者が陣とする西方にしかたにて、楽しげに百代は妹に言い募る。

「それ以外はよくわからんが、そっちの方がミステリアスでいいかもな。 ……燃えてきたぞ、ワン子!」

「頑張ってください、お姉様!!」



























「百代に本気を出させたのぅ。 見事見事。 ……十分、最強の部隊になりうると、そう報告するといいぞい?」

ひとり言を呟くように、決着がついた後、鉄心は言う。

「そうかい、 随分、あっという間だったじゃねぇか?」

苦笑を噛み殺せない総理がいた。
それもその筈、あれほどの強者を苦もなく屠る腕前を目の前で見れば、誰だって彼と同じ感想を抱くだろう。

「あれだけ粘れば、大したものじゃよ。 ……うちの弟子たちもあれくらいなら、どんなによいか」

嘆息。

その息吹の音を聴きながら、総理は決闘場に目を戻すと、丁度百代も、ため息一つ。 そしてあろう事か、礼もせずに、相手に背を向けて、外へ繰り出そうと巨門へ向かう始末であった。

ててて、と妹分がそれについていく。




「……おいおい、鉄心のじーさん」

「なんじゃい?」

わかっているだろうに。

「百代ちゃん、不味いだろうあれは。 危険すぎる」

鋭い眼光が、鉄心に向く。

「戦闘に魅入られてる。 ……人としてバランスが崩れかかってるぜ?」

「銭湯ならよかったんじゃがのぅ。 ……ああ、でもこの前、風呂を壊したか」

「つまんねー事言ってる場合じゃねぇよ」

鉄心の横に立つルーの表情を見ても、その深刻さがわかった。

「強ぇのはいいが、ただそれだけが、じーさんの理想じゃ……って、ハハッ、釈迦に説法だったな」

また苦笑する。

「いやいや、耳が痛い」

「……ま、いろいろと、ご老体にゃ堪えるだろうが、そっちはそっちで頑張ってくれや。 なーんかあったら力になるからよ?」

「総理の力か、心強いの」

かかか、と笑う。












「…………で、だ」

ルーが居なくなったところを見計らい、話しかける。

「本題かの?」

今度は逆に、猛禽の視線を送られる。

「かなわんな、じーさんには」

さりげなく、言おうとしたのだが。

「……真一の忘れ形見、元気にしてんのか?」

「二日前、あばらを折った」

「おいおい」

「ま、ほぼ完治しとる。 来週にはいつも通り学園に通えるじゃろ」

「そいつは何よりだ」

「……」

「……会っても、いいかい?」






「――――」





痛い、無音だった。
政治に揉まれたこの身でも、耐えきれないほどの。



「……なんてな、俺には、ここで会う資格はねぇわな」

最後に気分悪くしちまってすまん、そう言って、背を向けようとすると。


「……会わざるをえんじゃろ」

「うん?」

「もう、そこに居る」






玄関を見れば。


あいつらの、息子がいた。























忘れていた。

完璧に不覚である。

確かに非公式な訪問であるので、ある程度上の者にしか期日は教えられていなかったのだが、それでも今日、院内部に治療員が残っていなかった事から察する事が出来るものである。

幾分焦り、靴を履くのにまごつきながら、ようやく境内へと出る。


一年前と変わらぬ佇まいで、そこに麻王さんがいた。


「お久しぶりです、麻王さん」

土つくのも構わず、そこに平伏する。

「……おいおい、やめてくれ。 俺ァそんな上等な人間じゃねぇぜ?」

無理矢理、引っ張り上げられる。

公式身長175cm。
先日テレビで見たが、実際に会うと大きく感じられる。


「いや、しっかし、ここ二、三年で随分でかくなったな~」

そのまま、両肩をがっしりとつかまれる

「あ、いえ、」

恐縮である。

しかし何故だろう、少し影が見える。

「……元気でいりゃいいんだ。 おう。 じゃ、じーさん俺もう行くわ」

シュタッと片手を総代に向ける。

「あ、あの……」

小走りに、去っていってしまった。

会って三十秒もしていない。 忙しいのだろうか。
もう少し早く気づけばと後悔。

紛れもなく、彼は俺の人生の恩人である。

彼が居なければ、川神に戻れなかった。
もう二言三言、お礼の言葉を申し上げたいところだったのに。


「……怖く、なったんじゃろうな」

「は?」

傍らまで、総代が近寄りながら言いかけてきた。

「あれは、お主が恨んでるのではないかと今、お主が頭を下げたとき、思いあたったんじゃろ。 ……前のワシのようにな」




……何を言うかと思えば。




「最終的に、施設に行くことを決めたのは、選んだのは、他でもない俺です。 あの方が斡旋したといっても、どうにもならない必要に迫られての事。 たとえ俺の意向が一時の感傷からだったとしても、ここにとどまっていたよりは、よっぽどマ、シ……」

「……」

「…すいません。 少し言葉が、過ぎました」

「いや、お主がそう言うなら、な」

どこか寂しげに笑うと、総代は俺と入れ違いに玄関に入っていった。








「……どっちにも、恨みはありませんよ」

俺の呟きは、誰の胸にも届かぬまま、空に溶ける。





恨みもない。後悔もない。

そう、後悔もない。 だって、大和は変われていた。 
そして百代は、辛うじてだけれども、大和のおかげで正気に繋ぎ止められている。

これで良いじゃないか。

めでたしめでたしだろう?




他に、他に何を望もうか?

「クソッたれ……」

何で、何でここで視界がぼやけるんだ?






全部、俺の不始末なのに、何で、こんなに悩むことが多いのか?







両頬を叩く。

何かを振り払うように、俺はまた、武を、川神を、手放す決意を固める―――







[25343] 第二十三話;占星
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/12 22:27

『占星術を解さない者は、医師ではなく、愚者である。』

―――ヒポクラテス














6月12日(金)

五時限目、ホームルーム。

本来ならば、この時間は自習に当てられているのだが、今回は珍しく、梅先生が教壇に立って、雑談に興じていた。





「それぞれの人間には、性格、人格に則して、大アルカナが設定されているという」

女性らしい、占いの話題である。

「大アルカナ……、タロットカードですね?」

即座にクリスが答える。
やはり騎士娘といっても、普通の女の子らしく、そういうものには並以上に興味があるようだった。

「うむ。 当てはめていくと面白いぞ?」

そう言って、梅先生は何時の間にか取り出していたカードを切って、一枚ずつ並べて手前に置く。

「こうやってランダムでとるカードがそれだ。 ……ふむ、やはり私は“女帝”のアルカナ。 何度やってもこれが出る。 島津、やってみろ」

手近なガクトに促す。

「オッス! ランダムっすね? ……ていッ! おお、“力”だ」

マッスルポーズは忘れない。 そのまんま過ぎると、先生も苦笑を禁じえないようだ。

「次、小笠原」

「はい。 アタシ、こういう占い大好きなんだ――よっと」

「……おおッ、チカリン、“恋愛”のカードだな!」

キャッキャッと手を合わせあう二人。




「………スイーツ臭いのが……本当に当たってるっぽいな」

三次元リアルの女を毛嫌いする、大串スグルの姿があった




「風間、お前もやってみろ」

「ういっす。 でやっ……ってなんだこれ、“愚者”ぁ!?」

「うはッ、キャップだっせ!」

嬉しそうなガクト。

まあ、イケメンの醜態ほど笑えるものはないか。

「“愚者”はいいカードだぞ? 冒険の始まり、精神の解放、そんな意味がある」

先生がフォローする。

「うっしゃあ! 燃えてきたぜ!!」と我らがリーダー。 単純である。




「はい、じゃあアタシ! 次アタシがやるわ!!」

さっきから引きたくてうずうずしていたワン子が手を上げる。
落ち着かないので後ろからポニーテールを握っていたが、離してやった。

「ふ、ふ、ふーんっと……。 あ、これ“太陽”? いい感じじゃない?」

「ほう、川神は戦車かと思ったが、太陽か。 太陽の暗示は進歩、活動的、命の源、幸福……」

「うわ~。 これは本当に当たってるっぽいですね、直江ちゃん?」

委員長が同意を求めてきた。
この矮躯から、ちゃん付けで呼ばれるのは、なかなか慣れない。

「ああ、そうみたいだね」

魔力でも、あのカードに練り込まれているのではなかろうか…。

「なんかいいカンジ♪ 京とクリも引きなさいよー」

そう言われて、二人も頷き引いてきた。

クリスは、まあ当たり前のように“正義”。


「京は何だったの?」

モロが聞く。

「……なんか吊るされてた」

「う、なんかあまりよくなさそうね」

ワン子は引き攣った笑い。

「“吊られた男”のアルカナか……」

腕を組んで梅先生が解説する。

「不滅の魂、変転の時、極限の選択を意味する」

へぇ。









「師岡、大串、福本。 お前たちも引いてみろ」




「……僕は“教皇”だって。 あ、なんか、勝ち組気分」

曰く、慈悲の心、正しい忠告、思いやり。

「俺は“隠者”だ。 ……フ、悪くない」

曰く、深い知識、深慮、忠告の受容、崩壊。

「俺は…ほし? “星”のアルカナだぜ?」

曰く、希望と明るい見通し、瞑想、霊感、放棄。







ちなみに委員長は聡明、正確な判断、清純を司る、“女教皇”だった。

……ホントに当たっているようだ。









「どうだ直江、引いてみるか?」



俺も黙って、教壇におもむく。
ゴールデンウィークの占いを、中途で切り上げてしまった経緯もある。

ま、遊び遊びっと。



真ん中から少し右にずらした箇所に裏返っているカードを、引く。


俺は――






「………つ、吊られた男って「結婚ッ!!!!」






















<手には鈍ら-Namakura- 第二十三話:占星>




















自重できない彼女の抱きつきを回避しつつ席に戻り、真後ろの様子を窺う。


「くだらねぇ真似してやがる……」

学園内ツンデレ筆頭の彼は、そう呟きながら頬杖をついていた。


「タッちゃんも引いてよー!」

無邪気にワン子は彼にせがむ。

「引いてよー、タッちゃーん」

キャップが悪乗りする。

「うっるせーなぁ」

そう毒づきながらも立ち上がり、梅先生の下で引く。


「……ふん。 俺は、“悪魔”だ」 

角の生えた髑髏があしらわれたカードを、ヒラヒラと振りながら、「これで十分だろ?」とでも言うように口角を吊り上げる。

「……なんだよ、普通なら爆笑もんだが、ゲンが引き当てると微妙に似合うから困るぜ」

ガクトは、こちらは口を尖らせながら、彼の肩をたたく。






「アタイはやめとくわー。 死神とか引いたら、シャレんなんねーし」

誰も聞いてないのに羽黒は言った。

「あ、ねぇ、クマちゃんも引いときなよ?」

最前列窓際に座る巨漢に、モロは提案。




しかし唸る彼は

「僕今、お腹空いてて……、カード食べちゃいそう」

「ワ、ワイルドだね」

若干、モロはヒいていた。

……俺も、正直怖ぇ。





「よし、もう引く者はいないか?」

窓側の最後列のゲンさんからカードを戻し終えると、梅先生は確認する。

自然と多くの目が、ゲンさんの隣の空きの席にいく。

来週の頭から、直斗は学校に来れるとの事。 彼がどんなカードを引くのか、とても楽しみではあったけど、居ないのでしょうがない。


「……ま、直斗なら、“節制”あたりじゃないかな」

無難な予測をモロは立てる。

「ああ、あとはマルさんと同じく“戦車”とか」

クリスも、続く。

そうそう、クリスが朝言っていた事だが、直斗と姉さんを相手に連戦をしたマルギッテは、昨日の晩、療養のため、母国に一時帰国したらしい。
なんでも、また院で直斗と一悶着あったようで、治療に差し障りありと、総代が判断したらしい。

どんな事情があるにせよ、この頃の直斗は、なかなか苦労しているようだった。

そんな事を思案していると。




「はいはーい! アタシ、直斗くんの代わりに引くー!!」



……言うと思った。

「川神、これは本人じゃないと意味がないと思うが?」

呆れ顔で、先生は渋る。

「梅先生お願い、一回だけ」

そう言って一度手を合わせると、返答を待たず、教師の手にあったカードの束から瞬時にある一枚を、ワン子は抜き取った。




「直斗くんのアルカナは、これよッ!!」

ドビシッ!と高々に、カードを掲げる。









……どやっ!







文章にすれば、そんな様子の笑いの渦が巻く。

なにせ、ここまで一枚も出なかったカード。 加えて、一番ありえない札柄だったからだ。


黒衣に、鎌。 ただそれだけが描かれているにしては、妙に禍々しさがこびりついていた。



「うぉーいワン子、こりゃ、まさかまさかの引きだぜ!?」

キャップが俄然、騒ぎ立てる。

「……まあ、外見的には、白い月牙天衝とか神殺槍かみしにのやりとか放ちそうだがな」

クイッと眼鏡を上げて、皮肉そうに口元を歪めつつ、スグルも言った。


「ハッハッハッ! いやいや、にしてもそれはねーよ。 ワン子、本人じゃねーから罰当たったんだろ」

いまだに腹筋を震わせているガクト。


「も、もう一回……うぎゃッ!?」

皆に散々に笑われ、涙目の忠犬は名誉挽回とばかりに、次のカードを抜きにかかったが、もう一度ポニーテールを握って自重させる。


「フフ、お後がよろしいようで、という所か。 ま、こういうのは一種の自己暗示のようなものだ。 あまり振り回されないようにな」



そう、梅先生がまとめに入ったところで、終業のチャイムが鳴った。






















―――同時刻、2年S組。


「いいか? お前たち、時代はタロット。 マジで!」

担任の宇佐美巨人が、力強く宣言していた。

「……人間学の教師が、そのような不確かなものに頼ってよいのか?」

怪訝な顔で、着物娘、不死川心が問う。

「おいおいおい、タロットなめんなよ? ……決して小島先生と話を合わせるために覚えたんじゃないからなッ!」

あまりにも不純過ぎるそのプロセスに「露骨過ぎじゃ!! どんだけなのじゃ!?」という生徒の喚きをさて置いて、マイペースに授業を進める巨人。

「せっかくだから、お前たちのアルカナを調べてやろう。 ……さぁ、この並べた札から、一枚カードをドローだ!」

何故だか微妙に強制力が働いている空気に、しょうがない、付き合ってやるかと秀才集団。





「フハハ! 我としては、これしかあるまい」


そう言って、S組委員長、九鬼英雄は教卓のど真ん中に置かれたカードを引く。

「燦然と輝く、“皇帝”のカード!」

裏面を見もせず、そう確信してクラス中に掲げ示す。
そしてそれは紛れもなく「アタリ」であり、王たる資質がまた一つ、ひけらかされる事となったのだった。

曰く、物質的な豊かさ、統率者、支配力強し。
彼以外に、これがふさわしい者がこの学園に居ようか?

「さすが英雄様ですー♪」

ここで、多くの者は、「また“皇帝”引いちまったら、ど、どうするか」と少々戦々恐々。
間違いなく、そばに控える従者からペナルティーが来ると確信があった。






そんなメイドのアルカナは―――

「私は…、“魔術師”ですね」

曰く、策略、商才、隠された真実の意。





合ってる……と、ささやく声は幾重にも。

ふむ、少しは面白そうだと思ったのか、次々と引いていくエリート達。

一喜一憂するF組よりかは盛り上がりに欠けるが、このレクリエーション、いつもの自習のHRと比べれば、幾分、年相応の学生らしさを彼らに一時、取り戻させたようだ。

しまりの無い顔をしていても、そういう手段を、時折は考えている宇佐美である。

きっかけが同僚教師の尻の追っかけからとは、情けない事この上ないが……。




「ほら、お前ら仲良し三人組も引いてみろ」

そう言って、最後に葵たちを促す。

「わーい!! トーマ僕引いていい??」

「はい。 どうぞどうぞ、レディファーストです」

柔らかい肯定の笑みを、葵は幼馴染に送った。

「うん、じゃあ……………これッ!!」

「……ほぉ、“運命”か」

と準の声。

「なんと哀れな……。 まさか、そこのヒゲとお揃いとはな?」

ここぞとばかりに、先ほど“月”を引いた心は嫌みったらしく、勝ち誇ったような笑いを上げる。
お前、俺を何だと……という教師の呟きは、誰の耳にも届かない。

「トーマ~、なんか欺瞞で不安定で迷妄で臆病な人がうるさいよ~♪」

「な、なんじゃと~!?」

「フフ。 だからこそ、魅力ある気品が出て、守ってあげたくなるのですよ?」

歯が浮くような台詞に、赤面する着物娘だった。

「おお、流石ー。 この女好き~」

「……さて、では準。 私達も引いてみましょうか?」

「お、そうだな。 じゃ、俺が露払いで、先行くぜ、若?」

そう言うと、宇佐美によってシャッフルされたカードに手を伸ばす。

「どれ、デッキから一枚ドローだ!!」

無駄にスナップを利かせて、準は引いた札の絵柄を見る。

「何ィッ!? 俺もデスティニー、だと? ………こ、これはまさか、俺と共に人生を歩んでくれる永遠の十歳との出会いを暗示しているのか!? そうなんだな!? うん、そうに違いない!! 南ー無」

「……き、気色悪いの~。 病院行け、病院にッ!!」

心が叫ぶ。
ちなみに井上準の父親は、葵冬馬の父親が経営する総合病院、葵紋病院の副院長を勤めている。

「フフ、では、私も……。 先生、シャッフルをお願いします」

あいよ、と担任が準備をする間、井上はぼやいた。

「うーん、若はやっぱり“恋愛”じゃあないか?」

「どうでしょう? 私の魅力は死神さえも惹きつけそう、ですからね?」

「地味にナルシストな発言ですね」

しれっと、あずみ。

そうして、葵の引く番となった。




「………おやおや」

「うん?」

準は心なし嬉しそうな顔の冬馬の手元を見る。


「私にも、“運命”の人が現れるようです」




















「フハハ、それは何よりであるな!」

カードを戻し、葵はそれとなく、親友たる“皇帝”に話しかける。

「……体調でも、悪いのですか?」

「うん? わが友よ、何を言うか? 我はいつもの通りであるぞ?」

「いえいえ、いつもならフハハは、フハハハ!! それに言葉の端々に少し「!」が足りないご様子」

この発言に井上も苦笑い。

「ハハ、どしたい? まさか川神についにフr「ギルティッ!!!!!」






「…トーマには、かなわんな……。 いやいや、一子殿は関係ないのだがな」

目の前に起こった惨劇を全く無視し、笑いを噛み殺したような表情をみせる英雄。

「……ああ、もしかして彼の?」

「察してくれるか? 来週から登校できるとの事らしいが、やはり心配でな。 九鬼家で治療をしようと言ったのだが、取り合ってくれなんだ」

「まあ、あそこの治療は、なかなか独特ですが、きっと大丈夫でしょう。 ああいう超自然的治療が出回ると、こちらとしては商売上がったりですが」

そう言って英雄と同じ表情を形作る冬馬だった。



「何じゃ? もう帰ってくるのかあの白髪頭は? あのような無様を晒して、よくノコノコと……」

「ココロはナオトが帰ってくると、この中で誰も相手してくれなくなるからね~♪ ねぇどんな気持ち? 一人になるのってどんな気持ち? ねぇねぇねぇ?」

「…う、う、う、うるさいわ!! この此方に限ってそのような事……。 さ、寂しくなどないわッ」

「誰も寂しいかなんて聞いてないよ~♪ あれー? なんで目赤いの?」

「う、うーッ!?」

「まあまあ、ユキ。 そのくらいにしてあげましょう。 ……不死川さんも、遠慮なく会話に混ざってください。 彼もきっと喜びます」


「それは結構だが……ふむ。 じきにマルギッテのほうも戻るだろうし、何かしら気まずくならないよう考えねばならんか」

英雄は、深い思索に戻っていた。










「……ま、まあ、あやつがどうしてもというのなら、高貴なる此方が相手をしてやっても、よいが、の……」




これがホントの初心ウブなココロ、というやつである。









[25343] 第二十四話:羨望
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/22 01:13



『私は近づくおまえを恐れ、遠ざかるおまえを愛する。』

―――フリードリヒ・ニーチェ















6月15日(月)



一時限目終了のチャイムが鳴る。

マロの奴に向けて起立、礼の後、俺は通学用の鞄から所定のものを取り出した。



「あ、そうだ。 ……おーい、直斗」

極力、何気ない風を装い、首を捻って斜め後ろの、今朝から学園に復帰してきた川神の内弟子に声をかける。

片方の胸にくらった怪我の具合は、上々の様子。 ……まあ、そうでなければ戻ることはないのだろうが。

「……はい?」

俯いて、次の授業の準備と鞄の中を漁る彼は、目を上げた。

「はい、これ」

座ったまま、彼の目の前に、昨日、コピー機で印刷してきた紙束を向ける。

思わず、といった感じでそれを手にする直斗。

「………これは」

「休んでた分のノート。 ほら、期末まで一ヶ月切ってるし、院の方でも夏に向けて色々と忙しいのは聞いてたからさ」

「……ええっと、あ、あの、すいませんッ」

「ん?」

困ったような顔で、彼は謝ってくる。

「今、あんまり手持ちなくて……。 コピー代、結構かかったと思いますが」

苦笑する。

先に喜ぶ顔をするでなく、相手の心配をするというところが、いつもノートをとり忘れるワン子が、ファミリーに無心に来る様と、好対照だったからだ。

「いやいや、いいって。 っていうかこれ、ガクトの家でコピーしたから。 金もらったら怒られるよ」

軽く微笑む。

さて、次が本題だ。
彼がまた口を挟む前に、俺はさりげなく畳み掛ける。






「……ま、代わりと言っちゃ、何だけど、俺、まだ直斗にメルアド教えてなかったと思うから、赤外線、いいかな?」

















昨日、パソコンで「矢車」と検索してみた。





きっかけは先週末のこと。
例によって、姉さんの不完全燃焼な決闘が先週の木曜にあり、その話題が先日の金曜集会で出たのだった。

相手は、大国の特殊部隊のエリート。
マルギッテと姉さんが島津寮で暴れた時に聴いたフレーズだった。


ここで、あっ、と思い出した事があった。


そういえば、あの時、状況が状況だったために聞き流していたが、総理から闘いのオファーがあったと知らせた直斗は、「総理に恩がある」と言ってなかったか、と。



姉さんに聞いてみたら、ああ、それはな、と前置きして答えてくれた。

「実は、私とあいつは親戚なんだ」

「え?」

初耳だった。

「ジジィに聞いたが、あいつの母親は、一応、ウチの分家筋ってことらしいんだが……。 まあ、それで当たり前だが、ウチの門下でもあったらしくて」

「……ああ、なるほど」

察した。

麻王総理もまた、川神門下であった事は周知の事実である。
そこの繋がりから、何かしら交流があったらしいとの事だ。

確かに時期的には、符合するのかもしれない。


「一度、それを話す機会があったが、あれはもう尊敬ってレベルだな。 何があったかは聞いた事ないから知らんが」

「……お? お得意の人脈作りか? 相変わらず、そういう所、マメだなー」と、聞き耳を立てていたキャップ。 

対して、肩をすくめる。

「性分だからな、こればかりは」




……と、そんな会話があった。



そういう事で、総理と繋がりがある人間、並びに川神の門下という事で、直斗の家は何かしらの分野で活躍しているのではないか、と予想を立てたわけ。
もしかしたら、そんなことはなく、平々凡々な家庭なのかもしれない。 むしろそうである確率の方が高かった。



だが、検索結果を知り、良い意味で、その予想は裏切られた。






驚いた。 

国連、人道、救済、支援、平和etc…。
矢車の名が記されるサイトの殆どに、そういう語群が入っていたからだ。

姉さんから、その分家筋の母親のほうの名前、六花さんというらしいが、それを思い出してもらった事も助けになり、直斗のバックグラウンドをおおよそ掴む事に成功したのだった。

いくつかの記事には、ノーベル平和賞に最も近かった夫妻と書き立てられていたことからも、こんな言い方はなんだが、彼の両親は、およそ、彼の両親たるにふさわしい人間だったようだ。

そして、彼の両親が9.11の犠牲者であることも知った。
直斗は、下手をすれば、目頭が熱くなりそうな、そんな境遇だった。


流暢な英語を操る技能も、こういう家族が居たからこそなのだろう。

改めて、川神院に籍を置いている者達の、複雑な人生を垣間見た気持ちだった。





そして、それとは別に、親しくなったなら、これほど心強い知り合いは、ファミリー以外ではなかなか得がたいだろうという心情が、沸々と湧き上がった。

なにせ、総理とのパイプもさることながら、海外との、世界との繋がりを多数持っているに違いないのだ。
九鬼のヤツとも、何かしら関わりがありそうだ。 いつも昼にはS組に行く事は、把握していた。

これからの自分の将来を見据える上で、彼を自分のネットワークに取り込む事は、大きなプラスとなるだろう。

人柄も、とっつきやすい。 
ファミリーに混ぜるとはいかなくとも、ゲンさんくらいには仲良くしておいて、損はないだろう。

だから、今、彼が困っている時にこそ、恩を売るチャンスと見計らい、大急ぎでノートを取りまとめたのだった。







しかし、妙だった。
俺が、同じクラスの奴のメルアドを、これまで聞き忘れていた事だ。

いつも、絶妙なタイミングで話を切り上げさせられていたような感覚があったが……。


……まあいい。

一瞬の逡巡があったといえ、今、彼は快くケータイを差し出してくれたのだから。



やったね。 まずは一歩だ。

















<手には鈍ら-Namakura- 第二十四話:羨望>

















昼休み。

手洗いから戻った小笠原千花は、先ほど、おしゃべりの最中に聞いた話を親友に報告する。


「ねぇ、ニュースニュース。 C組の荒巻とD組の内藤が付き合うんだって」

「あ、それ聞きましたよー」

千花の色恋話に、いつものように邪気のない微笑みで返事をする親友、甘粕真与。

「あらら、既出か~」

「それよりも羽黒っちが誰かと付き合うらしいよ?」

話を聞いたワン子が参戦し、千花にとって驚愕の事実を口にした。

「え、嘘、マジでッ?」

一番ありえない、というランクづけを勝手ながらしていた千花は、自席でふんぞり返る羽黒黒子を見やる。
今も椅子に蟹股で座り、サロンで焼いた黒い肌が白基調の制服とも相まって際立つ彼女に、先を越された・・・・・・という事はとても容認できないものだった。

視線を投げかけられた羽黒は、待ってましたとばかりに決して衛生的とは言えない歯を突き出してニヤつきながら喋繰り出す。

「相手ぇ、年上の歯科医の卵系なんだけどー、ちょっと気が弱いトコあるけどイケメンでさ」

「ど、どうやってそんなのゲットしたのよ!?」

自分の外見に反比例して、理想の男性像は高いにも程がある羽黒がイケメンと言うくらいなのだ。
内心歯噛みしつつ、先を促す。

「まぁ、なんつーか、アタイのテク?みたいな。 一緒に飲んで、酔ってきたら畳み掛ける。 気がついたときには上のって、イケメンうめぇッ!」

「……な、なんというか、また随分過激ねぇ」

ロマンスもへったくれもない羽黒の暴露話に、千花は気後れする。
なし崩し的にとはいえ、こんなヤツの彼氏になった人物は、きっと後悔しているだろう。

「ごめんチカりん。 アタイなんつの? あれよあれ。 ………勝ち組になっちゃった、キャハ♪」

この一言がいいたかったのだろう。
十人いれば十人、百人いれば百人に、「ウッゼェッ!!」と言わしめるだろう気味の悪いドヤ顔を近づけてきた羽黒に軽く殺意を抱いたが、今現在、特定の相手がいない千花には、きっと近いうちに別れ話を切り出されるであろうとも、彼氏持ちとなった羽黒に何も言い返す事は出来なかった。 

何を言っても、何とかの遠吠えと思われるだけだろう。 特にコイツは。

ここは余裕を見せて、さっさと話題を切り替えた方がよさそうと、菩薩のように心揺らさず、あしらおうと決めた。

「そ、それはおめでと!!」

「まあ、なんつの? 恋のABCわからなかったらさ、アタイに聞けばイイっしょ?」

「あはは……」

てめぇはCしか知らねーだろがッ、と突っ込みたい所を懸命に我慢し、愛想笑いに精力を尽くしながら、目下、他の話題を脳内検索。

「あ、ね、ねぇ。 他にコイバナはないのかしら?」

そして口についたのは、またしても自分の傷口を広げようとするものだったが、後悔先に立たずである。

「他には聞きませんけど……気になるのは……、直江ちゃんと、モモ先輩ってどうなんですか?」

しかし、真与がいい感じのフォローを入れてくれた。







「あ、それ私も聞きたかった」

もはや別次元の麗人だと思っているので、この話題に抵抗はなく、むしろ純粋な好奇心が先の殺伐とした心を塗りつぶす。

「ナオっち。 どうなの、そのへん?」

男子は男子で夏休みの話題で盛り上がっていたようだ。
風間クンと源クンを擁する事で、どうにかムサくるしさを中和している集団に声をかける。

「………え、いや、どうって、そりゃお前……」

珍しくキョドる彼は、椎名っちをはじめとした親しい女友達を気にしてるのか周囲を確認し、少し思案顔になった後、まんざらでもない、と紅潮した顔をこちらに向けた。

「おおー」と歓声ともつかない声を上げるマヨ。

「冗談抜きにして、お似合いだと思うよ? アタシ」

「そ、そうか……」

いつもの滑らかな舌が一転して、そこに鉛を載せたようだ。

……これは、相当惚れてるとみた。



「まぁ、コイツとモモ先輩はな……。 俺様ちょっと悔しいが特別だろ?」

「ずっと姉弟関係だったから、ねぇ?」

「お、好きなのか? ならいいぜ、付き合って」

小学校から幼馴染だという彼らは、訳知り顔で既に得心がいっているようである。

そして、「いやいや、そう決まったわけじゃ」となんとか口にしたナオっちは、いつもの理知的な彼らしくない、ウブな反応。


「でも顔赤いですよ直江ちゃん?」

「ホントだー。 ナオっちのそういうところ珍しい!」

マヨに乗っかり、ここぞとばかりに私を含めたクラスの大多数が冷やかす冷やかす。


「……おいおい、そんな盛り上がる話題かコレ?」

狼狽した彼を見るのは、恋愛感情はないが、とても新鮮で可愛らしく、嗜虐心が掻きたてられた。

「なにいってんの? だって最近、放課後よく遊びに来てるし、いつにもまして仲良し小好しっぷりをみせつけてんじゃない?」

ここで、幾分大きな音で引き戸が開く。

見れば、今日から復帰した、甘党の侍。


「あ、ねぇ、矢車クンっ」

「……はい?」

「矢車クンから見てどう思う? モモ先輩とナオっち」


問いかけながら、そういえば、彼もまた「直」の字を持っていたな、と思い返す。

































―――矢車クンから見てどう思う?


いきなりだった。 
不意打ちだった。


久しぶりにS組に顔をだし、色々弄られて帰って来たわけで。

不死川さんがなんかつっかかってきたり、榊原が「元気~♪」と病み上がりの右胸に鋭いフックをかまそうとしてきたり、葵が「不可抗力です」と、そ知らぬ顔で臀部を撫でつけてきたり、英雄がさりげなく、しかし執拗にマルギッテとの関係について尋ねたり(クラス委員としたら当然なのだろうが)、そういう疲れるイベントてんこ盛りの昼食を終えて、そそくさと退避してきた所に、これである。



「……え、あ、あの」

「いや今さー、色んな人のコイバナの真っ最中だったんだけど、ナオっちとモモ先輩って、もう殆ど彼氏彼女のベタっぷりじゃん? そこんところ、モモ先輩の近くにいてどう思ってるかなーって」




何か言わなければ。

そう思っているのに、なかなか舌が動いてくれない。
吐き出す事も、飲み込む事も叶わないものが、喉の奥につっかえているようだった。




「………お、俺には、何とも」

一秒の逡巡の後、生唾を飲み込み、やっと声に出せたのは、そんな陳腐な返事。

「そういう事には疎いので、すみません……」

「……ふーん」

あまり、期待したような返答ではなかったようで、続いた彼女の言葉は少しトーンが落ちていた。
眉がひそめられるのを見た気がするが、気のせいとしよう。

「まぁ直斗はな~♪ 自分の事で精一杯だもんなっ」

訳知り顔で近づいてきた島津に肩を強く叩かれる。

「……何よ、島津?」

「ゴールデンウィークに発覚したんだが、コイツ、後輩と意外によろしくやってんだよ」

……んの野郎…まだ言うか…。

「え、何!? 彼女いるの矢車クン!? 誰だれ!?」

目の色を変えてきた小笠原さん。

微妙な間を何とか誤魔化せたと半分安堵するが、それをおくびにも出さず、笑みを張りつかせる。

「由紀江さんとは、そんな関係じゃあないですよ」

「またまた。 この前、俺様話したら、まゆっち、満更じゃあなさそうだったぜ?」

まさか。
内心、鼻で笑って首を振る。

「おいっ、由紀江って、一年C組の黛由紀江のことか? 
……なんだよ、魍魎の需要トップ5、もう唾ついてんのかよ。 ……ったく、直江といい矢車といい、羨ましすぎるぜ」

聞きつけてきたサルは、ぶつくさと随分な言いようである。

「けッ、さぞ有意義な夏になるんだろうな~、色々な意味で」

直江のほうに首を向け、福本育郎は嫉妬の台詞を吐く。



少し、羨ましかった。
心のおもむくまま言葉を扱える事に、逆に俺は、彼に嫉妬する。

「……ははは、そ、そうかな」

照れたように、いや、心底照れて大和は笑う。






夏、か。

そういや、こいつら沖縄行くって言ってたな……。






……ふむ。

去るとしたら、その時、か。






















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すみません…。
今回もあんま中身無いです……。

原作寄りなのにね…

夏に入ったので頑張ろう。


秋にはFF零式だ(何
PVに血だらけの釈迦堂さんが出てました。



[25343] 第二十五話:犬猿
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:177153ba
Date: 2011/07/29 20:14

『賢くなろうとして本や黒板に教えを乞うてはならない。 天と地と林と木の葉とは、本当に子供らを賢くするであろう。』

―――ヤン・アモス・コメニウス
















6月25日(木)


多馬川、河川敷。





(………大和ちゃん大和ちゃん)

電話越しの彼、自他共に認める七浜のプレイボーイ、下北沢君は俺の相談事を聞くなり、溜息混じりに言葉を投げつけてきた。

「ん?」

(それね、もうノロケにしか聞こえねぇーから)

「……マジで?」

(そのオンナ、もうオチてっから)

「そ、そうか」

(まぁ、とりあえず告ってみ? まーず間違いなく成功すっから)

嫌に自信たっぷりに言ってくれる。
他人事だからか、自身の経験からか、理由として恐らくはその半々ってところかな。

「そうかなぁ。 ……そうなのか?」

だが人間、希望的観測には、ほとほと弱い生き物である。

(なんだよ、自信持ちなよ、大和ちゃんらしくない)

それは自覚している。
だからこうして話を聞いてもらっているわけで。

(つーか、大和ちゃんさ、話聞く限り、そのオンナにベタ惚れっしょ?)

「うん、まあ……ね」

恋心をほとんど余さず聞いてもらったのだ。
なかなかに気恥ずかしかったが、そんな俺の歯切れの悪い返答に頓着せず、下北沢君は決め台詞のように次の言葉を言い放つ。

(―――だったら、イかねぇと、さ?)

実際、その一押しをもらいたくて電話したのだった。
恋愛のプロの言質ほど、心強いものを俺は知らなかった。

(それだけ特上のオンナってことは、他のオス共もマジ狙ってるから。 ……うかうかしてらんねぇよ?)

その後は自分の失敗談とその十倍の成功談を熱く語って、電話を切った。

三番目のメス・・から、キャッチが入ったらしい。






「ふ……」


携帯を脇にしまい、短く嘆息。
だが、心中はそれほど暗くはない。

大きな期待と少しばかりの緊張が、ひしめいている。




俺の姉さん、川神百代。

最近は特に話すようになってきた。
はたから見れば、親分と子分以上だといわれる。 ……そう見られて悪い気はしなかった。 

むしろ、今一番、気になる異性だ。

ずっと小さい頃から一緒だった。
威張って、いい加減で、拳一つにものを言わせて、女の子が好きで、バトルも好き。

言ってしまえば享楽的な性質。
だが、こんなスラスラと挙げられる短所も、姉さんなら仕方ない、と許せてしまうあたり、好きなのか慣れなのか。

姉さんはずっと、そういう風に、気の向くまま、真っ直ぐ・・・・、生きてきた。
普段は鷹揚でも、闘いの時は気配が鋭く尖る。




そんな姉さんが、たまらなく好きだ。

そして、姉さんも、きっと俺を……。





付き合う……か。



胸が高鳴る。
確かにそれは、ヨンパチの言ったように有意義な夏の到来を象徴するものでもある。

周囲も色めきだって、カップルも増えた。

焦っている訳でもないけど………俺も、いっちゃうか!! と思わないでもない。

下北沢君含め、クラスの皆も太鼓判、先週に押してくれたしな。









「やーまとっ!!」

「おわッ!?」

前触れもなくいきなり背後から、のしかかるように抱きつかれる。
危うく川へと転がるところだ。

嗅ぎ慣れた芳香が、一層甘ったるく感じられる。

「……ね、姉さん」

「遊ぼう弟よ。 スカッとしたい年頃なんだ」

「あ…、ああ」

「……? どうかしたのか?」

ここで意識しても、変な印象を与えるだけだ。 自然体で行こう。

「いや、何でもないさ」

笑顔を振りまく。

「…ふむ。 にしても、明日は体育祭の準備で忙しそうだな~」

何とか取り繕えて安堵する。

そう、明後日はワン子が待ちに待った体育祭。 その準備の為に、明日は全校で準備がある。

まあ、大掛かりな出し物、流鏑馬とかの用意は川神院の人達が頑張ってくれるようで、それは次期川神院総代の彼女でも例外ではなく。

ちなみに直斗は、明日の早朝、馬を借りてくるらしい。
本当に、ご苦労様だ。

「同じ軍に慣れなくて残念だよ」

「ふふん、まあいいさ。 ……それより、今日は明日の分まで遊び貯め、しないとな?」

がっちりと肩を組まれる。

「はいはい」

いつもながらの、自分本位さに苦笑い。





だがそんな姉さんが、俺は、たまらなく愛おしいのだ。























<手には鈍ら-Nmakura- 第二十五話:犬猿>





















6月27日(土)


体育祭、当日。



川神学園体育祭は派手な出し物も多く、近隣の県からわざわざ見物に来る人がいたり、毎年地元のテレビ局が来るほど、学園の名物ではあるのだが……。




「盛り上がらん!!」

島津が、苦々しげに言い放つ。

青龍軍に組み込まれている二年F組は、グラウンド東方にて、椅子やテントの下に設けられたムシロに各々好き勝手に座りながら、今年の体育祭の、ほぼ愚痴に近い感想をならべていた。

当然、俺、矢車直斗もその輪にいる。

「今回の盛り上がりの無さは、ちょいと異常だな」

風間がファミリーメンバーの一人にそう返す。
大の祭好きが、この行事にあって口をすぼめている事からも、その程度がわかるというもの。

「自分はそこそこ楽しんでいるが………、大和、お前、気合が足りているか?」

「……んー、そこそこ」

「そこそこではいかんだろうが!」

「俺だけに言わないでくれ。 みんなそうなんだからさ」

腑抜けた感じのクラスの雰囲気を妙に思ったクリスが、軍師大和に発破をかけるが、たいした効果はないようだった。

「やっぱりモチベーションの低さの原因は2-S」

椎名がポツリと漏らすと、自然と皆の目が件のクラスに集中する。

同じ青龍軍に組する事になった二年S組の面々は、着物娘のお零れに預かるように、典雅な茶屋のような空間にて静かに茶を啜っていた。




「……おいおい、俺達のせいにするのは勘弁してくれ」

いち早く視線の束に気づいた井上が苦笑し、肩をすくめる。
普段はノリのいい彼だって、この状況は不本意だろう。

「そうじゃ。 名誉ある一族の此方が山猿と組むなど汚点もいいところ。 そこを曲げてやっておるのじゃ」

……こっちはもっと不本意そうだ。

「山猿まで言うのはかわいそうだよ、不死川さん。 ……せめて腐ったミカンにしてあげよう」

不死川さんの発言を皮切りに、2-Sの連中が笑う嗤う。



「なんだか俺様怒ったぜ。 こんな奴らと組めるかっ」

侮蔑が篭められた粘っこい視線に、早くも島津は短気を起こす。

「……被害者っぽい事を言ってますが、普段はロクデナシの貴方達のために、こちらが迷惑をこうむっている事を忘れずにお願いいたしますっ♪」

「その通りじゃ。 此方達とて、F組が相手でなければこうまで喧嘩腰にはならぬのじゃ!」

こちらも負けず劣らず意気軒昂。
それを競技に向けて欲しいものだ。

実際、F組よりもS組のほうが、この組み合わせに不満を持っているだろうと推測する。
実力に裏打ちされたプライドが、彼らにはある。


「騒いで静かな授業を妨害するわ、遅刻が多くて校則が引き締められるわ、赤点が多くて全国模試の平均が下がってしまうわ……。 他にもいっぱいあるのじゃ!!」

事実、こんな按配だ。
こちらを憎み敵視するのも無理からぬ事だろう。



「おい、結構な事をしているような気がするぞ?」

「そ、そうね、なかなかに痛いところを突いてくるわ」

一番の新入りであるクリスが問うと、目を伏せる輩もちらほらと。

……自覚、してんじゃん。



「ケッ、それでも俺達は人を腐ったミカン扱いしないぜ!?」

「そうよサル、いい事言うじゃない? たまには」

「うるせぇスイーツ! 横槍入れんな!!」

「何よ! 褒めてあげてるんですけど!?」




一層の騒がしさに小さく嘆息する。
もういい加減にして欲しい。


寝不足の頭によく響く。




川神と言う町は、それほど治安が良いというわけではない。
近隣には堀之外街と呼ばれるアウトローの巣窟があるし、何より多馬川を根城にするホームレスが通学路を徘徊している事も珍しくない。
それを背景に位置する川神学園も、総代の息吹がかかっているにしても、二、三ヶ月に一遍は不審者の侵入騒ぎがある。 もちろん昼日中の話ではなく、夜間に学校の備品を拝借もしくは損壊させる程度のものだが、無視するには少々目に余るものがある。

以上のような話もあり、この学校には「競り」なる、いわゆる荒事仕事を斡旋する制度が開設されている。 平たく言えば、そういう無法者を懲らしめるため、生徒に働いてもらう、ギルド制のようなものだ。

もちろん金銭では色々と支障をきたすため、報酬は学園専用の食券となっている。

また解決方法は各自に一任するが、必ず結果を出す事が求められる……と、概要はそんなところ。

そして今週その競りが行われたわけだが、なかなかどうして、仕事を引き受けてくれる生徒たちは一組も現れなかったのだ。

内容は体育祭の夜間警備。
せっかく準備したものを、一晩で台無しにしようとする輩が出ないとは限らず、むしろ出没する可能性は高いのだが、されど体育祭前、誰もこのような仕事を引き受ける奇特な奴らはいなかったのである。

そういう経緯で、競りの管理者である綾小路教諭から、川神院にお鉢が回ってきたのだ。

そして下っ端である俺が、当たり前に駆り出されるのは自明の事で。
まあ、それ以前に通っている学園の行事の為の奉仕であり、他の兄弟子に任せて寝に耽る事に気が咎めないでもなかったから、自発的にした事に変わりはないが、おそらくこの行事は俺が経験する最後の“運動会”なるものである。
一子と共にルー師範代の言葉に甘えても良かったかなとも、今日の午前三時ごろ漠然と思ったのだが、後の祭り。

そういう理由でひどく寝不足なのだ。
毎日規則正しく寝起きしている反動か、全くもって倦怠感が治まる気配がない。


結果、欠伸を噛み殺す作業を現在進行形で延々と続けているわけである。







「ふはははは! これがッ!! 我の戦闘服よ!!!」

目を瞑りながら状況を反芻し、もうひと波、気だるさが沸きあがったところで、重低音の法螺の音に我に返ると、一人の男の裸体が俺の視界に飛び込む。

「完璧な彫像、それは英雄様の事でございますっ!!」




……勘弁してくれ。





「な、何だアレはッ――!?」

九鬼だアレは。

俺の真横で顔に紅葉のような赤みを差させ、口元に手を当てながら叫んだクリス嬢に、内心で相槌をうつ。
「九鬼」とでかでかと刺繍された金ピカのフンドシに、さらしを巻いただけの、およそ防御力の欠片もない「戦闘服」に、彼女の目は釘付けのようである。

マルギッテがいなくて良かった、と少々安堵する。
彼女なら「お嬢様の目にあんなものを触れさせるとは!」等とのたまって、かの王の従者と果てしのない闘いを繰り広げたであろう。


「ああいう人なんだよ、九鬼というのは」

この一年で彼の破天荒振りには慣れていたのか、またはこれをも凌ぐ自分たちのリーダーの意外性に慣れているのか、師岡が特に驚きもせず、少し口元を歪めながら解説する。

いや、これだけで彼の人となりを判断されるのは俺としても心外ではあるが、どれほど言葉を並べ立てようにも、なかなかに失地回復は難しそうである。 むしろ、これを失地と思わず矜持に類するものと九鬼がしている時点で、アウトだろう。



「いくら修行中の人達の半裸見てるからって、あれは慣れないわホ…「一子殿、我の活躍、とくと見ていてください!!」

目を離した隙に、一子の隣に来ていた彼は、こんな時でも全力アタック。




まあ、常ながら報われる気配もなく、悲鳴を上げながら想い人には逃げられたのではあるが、それでもめげずに自信をアピールする姿に感銘を………。


いや、無理無理。





























「……これはいかんな。 連携力ゼロで、話にならん」

二年F組担任の小島梅子は、クラスの醜態に頭を抱えるばかりだった。
挑発に乗せられているとはいえ、実質的には自分のクラスの素行に問題があるのだ。
先ほどの、腐ったミカン云々は言われ過ぎだとしても、四月の最終週の全校集会にて学長が言ったような「何かを掴み取り、奪い取り、勝ち取ってやれ」という気配がF組にはまるでない。 何かを成し遂げよう、という野心の質が、異様に低い。

別にそれが悪いとは思っていない。 事実、学長も、そう仰っていた。 平凡で普通の人生を送ろうとする姿勢、堕落に近しくなろうとも、それもまた「誇り」であり「生き方」だと。

だが、甘んじて謗りは受けるべきと、個人的には思うのだ。
それが、好き勝手な日々の生活に対する、二年F組ひとりひとりの最低限の責任ではないのかと。

常に努力し続けている、野心の塊であるS組の輩からの非難なら、尚の事だ。

どうにか、その自覚を生めないものか……。



「そうですねぇ。 こりゃ一度、うちのクラスと小島先生のクラス、白黒つけさせた方がいいですなぁ」

「はい。 ……青竜軍に与する他のクラスに申し訳がない」

隣で様子を見ていたS組担任、宇佐美巨人も同じ事を思っていたようだ。
何時もくたびれた外見で、だらしなく見え、声をかければお茶だの飲みだのの誘いが話の途中に挟まれるのだが、不思議と彼は生徒の心の機微には随分と敏感なのだ。 それを買って学長が人間学という授業を開設し、代行屋といういかがわしい職業と兼業させてでも教師に招いたというのも、頷ける話だった。

彼としても、学業素行が優秀であっても、人間性に幼稚さが垣間見えるS組をどうにかしたい事と見受けられた。


「やはり、お二方も、同じ意見かの?」

「!?」

「……これはこれは、学長じきじきに」

背後から唐突に気配を現した学長、川神鉄心が好々爺の顔で、しかし鷹の目のような鋭い眼光を双眸に宿していた。

「いずれ、この二クラスは己の誇りを賭して、ぶつかるじゃろう」

青龍軍の騒乱を眺めつつ、独り言のように呟く。

「……最大級の闘宴、川神大戦。 あれを考えたほうがよいかな」

「か、川神大戦っ!? あの伝説の荒行事ですか!?」

「ははぁ。 あの川神学園の決闘の中でも、最大、最高規模という……」

梅子は些か狼狽し、隣の宇佐美といえば、興味深げに顎に手をやり相槌を打っている。

前回行われたのは、数十年も前と聞く。
その時の戦の様相は、教師の間でも語り草となっているほど、苛烈なものだったそうだ。

大自然に囲まれての大喧嘩、と言い換えても良いだろう。

「うむ。 この体育祭はもちろん、川神戦役をも遥かに凌ぐ、いべんと、というやつじゃ」

しかし一旦ここで言葉を切り、何事か思案する学長。
常ならず珍しい光景である、思い立ったが即断即実行が信条とも思われる御仁に、迷いの表情が現れているのだ。

「…………ふむ。 やはり、今年、それを開催しようか」

しかし、自らの言葉を撤回することなく、ついに宣言する。

「……し、しかし、場合によっては負傷者が何百人出るか」

心の成長を促すためとはいえ、体の成長を害してしまっては元も子もない。

生徒の指導のため、やむを得ず・・・・・、鞭に手が伸びる事はあるが、それは並以上に手加減手心を加える事が可能であるからこそ、事件沙汰、査問沙汰にならずに済んでいるのだ。

武芸の手習いのある生徒ならまだしも、全くの素人多数が武具を扱って戦争モドキをやらかすのは、危険が過ぎるのにも程がある。 PTAが糾弾してきても、何も文句は言えないだろう。

「小島先生の心配はもっともじゃが、戯れの一環、と言い張ればなんとでもなる……と、まあこれは半分冗句じゃが、実際のところ、それほどの心配は要らぬ。 川神本家、分家、門下総動員で負傷者の治療も含め、大戦の進行に当てるつもりじゃ」

「いや……しかし、今年度中という話ですが、準備は間に合うものでしょうか?」

「ああ、いや……、それは、な」

歯切れ悪く、口をモゴモゴと動かす学長。

やはり、何かおかしい。

「学長?」

「そのな……会場の指定含め、もう段取りは出来ておるんじゃ」

「……は?」

「いろいろと別口でな……、じゃがもう、そっちの方は必要なくなった。 ……うむ、大丈夫じゃ」

「はぁ」

幾ばくか自分自身を納得させるような学長の物言いに眉を顰めたが、突っ込んでも詮無き事だろうなとも思い返す。

「ただ、まだ細部は煮詰めなければならんのでな。 これが終わったら、小島先生、宇佐美先生が中心となって隙のないルール作りをお願いしたい」

「ッ、わかりました」

「……了解です」

うむ、と一つこちらに頷き返すと、学長は大会本部に踵を返す。

どうやら、この夏は随分と忙しくなりそうだ。

その方が実家に帰らなくてもよい口実が出来るのも確かであり、早く孫が見たいと親からせっつかれる事も無く、都合がいいといえば都合がいいのではあるが。


「男子軍別対抗リレー、一位は青龍軍ッ!!!」


ルー先生のアナウンスに、また視線をグラウンドの生徒たちに戻す。
どうやらアンカーの風間が奮迅して、四人抜きを披露したらしい。

校則を校則と思わず、むしろ自由の拘束だと捉える節のある彼だが、それでも彼はF組内では数少ない「筋」を通している男だ。 これまでの教師生活の中で、彼のようなタイプには少なからず出会ってきた。 その例の多分に漏れず、風間もまたクラスの人気と信頼を勝ち得ている。 高校生というのは、多かれ少なかれ、破天荒さに魅力を感じる年頃なのだ。

表彰台から帰ってきた彼に、皆が皆、拍手喝采を送っていた。

クリスも、それから矢車も、その和にもちろん混じっている。




………ウチにはウチの、いいところがあるのだがな。


幾らか、頬を緩ませる。











まさか、次週に巻き起こる波乱の様相など、予期できる筈がなかった。









[25343] 第二十六話:発端
Name: かぷりこん◆273cf015 ID:94f5cb7e
Date: 2011/08/11 00:36




『絶望は、人を過激にする。 とくに、生まじめで思いつめる性質の人ほど、容易に過激化しやすい。』

―――塩野七生
















6月28日(日)





体育祭翌日、午前。

縁側のサッシを開けて寝たのが悪かったのだろう。
纏わりつく湿気の不快感に起床し、洗面、朝食を他の皆と済ませ、一旦ゲンさんの部屋に頼み事をしにいってから、自室へと戻る。

おもいっきり体を動かすのは、箱根でのクリスとの勝負以来だったため、やはり腿の裏や肩の周りあたりに軽い筋肉痛が出ていた。

ただ、それほど深い感慨も沸かなかった。
昨日の帰り際、同じクラスの連中の顔を見ても、不完全燃焼というか、燃えてすらいないというか。

直斗も、明らかに準備に疲れただけだって顔だったしな。




「昨日の体育祭は盛り上がらなかったね、あんまり」

京がいつものように俺の部屋に鎮座しつつ、呟く。

「そう、だな……」

いかんせん、生返事となる。

今日は特に急ぐ用はなかった。
のんびりとそこそこに予習して遊んで寝て、という日にしたかったが、かぶりを振ってその思考を追い出した。


長く、本当に長く引き伸ばした彼女への返事。
それをいつかは行わなくてはならないという事に、はたと気づいたから。

もう、姉さんへの想いは固まったのだから。


部屋では、足を崩して黙々と本を読む京と二人きりだった。
都合よく、今、寮には俺たち以外に誰もいない。

ゲンさんは仕事。
キャップは漫遊。
クリスは買物。
まゆっちも買物。
麗子さんは実家。
クッキーは警邏。

時折、京と肩が触れあう。
はたから見れば、この状況に羨む男がいるとは思う。




……だけど。




「どうしたの大和? 何か、様子おかしいよ?」

やっぱり、けじめはつけないといけない。

「……京。 心を落ち着けて、聞いて欲しい」

「うん……」

嫌に早い返事と共に、神妙な顔で京は頷く。
俺の声色が、真摯さを帯びたのを聴き取ったのだろう。

または俺の部屋に来てから、こうなる事を予測していたのかもしれない。
主人の部屋にヤドカリがいない事を指摘してはこなかったが、それに気づかない彼女ではない。

それでも、何かしら大事な話が切り出されるのだなと、一応の覚悟をしていたが未だし切れていない、という心情が、心許ない目つきに顕れていた。



彼女が正座に座り直したのを見て、対して俺は、大きく深呼吸する。



そして――



「俺、姉さんと付き合ってみようと思う」




告白する。











「―ぅ―」

ピクリ、と身じろぎ。
僅かに眼が見開かれ、無表情が凍る。
膝の上に握られた拳が、ぎゅうっと握り直される。


内心、苦渋が満ちる。 
だけど、何倍も辛いのは京の方で。
それでも付き合う前に全て言っておかなければ、もっと彼女は傷つくから、俺は言葉を搾り出す。

「結構、さ……。 気になってたんだ。 ……その、もういっそ付き合ってしまおうかなと」

「――」

「だけど、告白する前に、お前にだけは言っておかないとって思って」

何年も前から、俺に並々ならぬ好意を示してきたのだ。
ある種、裏切りととられるかもしれないし、実際、俺の胸中に罪悪が全くないという事はなく、むしろ六割方、申し訳なさが占めている。

だが、それでも好きなものは好きなのだ、という開き直りが存在するのも確かで、そいつが今、俺に胸の内を語らせている。



それにしても告白前に、付き合うことが確定している、なんて、ちょっと妙な話だ。

だが自信はある。 

少なくとも俺は、誰よりも姉さんに近い男である筈だ。 そんな俺が、姉さんと付き合うのは自然だろう?



「……そう、なんだ…」

俺が前述の言い訳めいた思索に耽っていた十数秒の後、しばし無言を貫いていた京は訥々と語りだす。

「そんな気がしてたけど。 ……改めて聞くと、ショック」

向けられていた双眸が逸れる。
雫がそこに溜まっているのをちらと見、俺もまた、京から顔を背ける事となってしまった。

「京……。 その、わかって、くれるか?」

先ほどまでヤドカリのいた空間をぼんやりと見つめながら、確認を取る。
自分でも間抜けで、無遠慮な、節操の無い言葉だなと、言ってから自覚する。

ただ、何を言っても、どう取り繕っても、結局の所は言い訳に聞こえるだろうし、事実その通りなのだ。

だから、この場だけは、自分の心をそのまま口にする。 それが誠意だと、信じて。

「わかるも何も、大和の想いだもん」

だが、返されたのは思いのほか冷静なものだった。

「認めるしかないよ」

「……そ、そうか」

淡々と紡がれる言葉に、いささか拍子抜けといえばそうであり、京らしいといえばそうでもあった。

「それに、相手は大事な仲間のモモ先輩……。 認めざるをえない」

……予想より、全然話を聞いてくれている。

正直なところ、もっと暴れだすかと思っていた。
その為にヤドンとカリンだけはゲンさんの部屋に避難させて、後は気が済むまで叱責も狼藉も受けとめようと、心の準備だけはしていた。

「……でもね、大和。 私の想いは、変わらないの」

「うん?」

「大和が誰が好きでも、私が大和を好きなのは、永遠」



―――貴方を、想い続けます。







「……それは、それはお前が辛いだろ?」

やはり、そう簡単には諦めてくれないか……。

こういう事を言う事自体、京を更に傷つけるとわかっている。 

わかっているが、それでも……。

「私は大和の想いを止める事ができない。 妨害も、邪魔もしない。 ―――それと同じように」

京は淡々と、しかし語気を強めて続ける。

「大和も、私の想いを止める事ができない」

ついに断言される。

「……」

「私の想いは、これからの大和にとって、重石になるかもしれない。 でも、でも何かあった時、それを思い出してみて?」

言い終えるやいなや、彼女はすくっと立ち上がり、襖を開け広げたまま、部屋から出て行った。



すん、と鼻を鳴らす音が、嫌にこだました。








「……わかった」

そしてこの承諾が、今の俺に出来る最大の誠意だった。





もっと早く、言っておくべきだった。

最初に好意を醸された時に、はっきりと。

これまでの優柔不断さが、京を傷つけたに他ならなかったから。









だが、これで準備は整った。





後は―――

















<手には鈍ら-Namakura- 第二十六話:発端>
















6月29日(月)







朝のHR前。

気分が悪いと訴えるような、空の唸りが耳に入る。

体育祭まで持ちこたえていた天気が、一気に鬱憤を振りまく雨模様。
ただ、あのような体育祭であれば、雨天中止でも構わなかったなと、自分の席でぼんやり考え、雨が収まるまで姉さんへの告白はお預けだな、とも思い直す。

告白は、晴れの日の夕方、あの想い出の場所でと決めていた。



机に突っ伏したまま、記憶に浸る。







―――お前がすごく気に入ったぞ、大和?



今と、毛ほども変わらぬ好意の表情だった。



――――私に、どこまでもついてこい。




遠い遠い、いつかの夕方、いずこの河原。

夕焼けの陽だまりの中で、俺達は向かい合った

言われて、差し出された手を、それを、確かに握り返した筈だった。








……こんな過去もあるのだ。 勝利は、約束されたも同然だろう。

一人、机上に向かってほくそ笑み、慌てて朝からなんとだらしない顔をと思い返し、教室を見回して誰も目撃者がいない事を確認し、左に目をそらす。


窓から、未だ登校途中の生徒を顎を机に乗せながら、見下ろす。

グラウンドを背景に、いくつもの傘が水玉模様を作っていて、季節の趣が感じられた。
まともな写真部がいれば、いい感じにこの様相をフィルムに収めるのだろうが、あいにくと、ウチには女体専門カメラマン志望のヤツしかいない。

十分ほど前から、一段と激しい降雨となっていた。 薄霧の中、早足で行こうとリーダーに進言して正解だった。

少し、京と話しづらい雰囲気だったためもある。 
合流してきた姉さん達との挨拶もそこそこに、提案した俺を受けたキャップの「競走だッ」の掛け声とともに、変態の橋を疾駆して登校。

おかげで、モロと俺は随分と朝から息が上がったもので、そんな経緯もあって、机に突っ伏す男三匹。

もう一匹は、仕事場から直接こっちに来たという、ツンデレ労働者。










「うぃーっす……と、大和、少し時間いいか?」

ダルそうな声に顔を上げれば、高スペック残念男。

「これはこれは、井上じゃないか? どうしたSクラス」

ハゲと、体を起こして相対する。

S組とはクラス全体として確執があるが、コイツとは話が弾むのですぐに仲良くなった。

「ま、頼みっつーかよ。 ……モモ先輩に連絡して、次の休みは自分のクラスに戻るよう、メール打ってくんねぇか?」

こいつが手を合わせる様は、なかなか堂に入っている。

「ん? なんで?」

「いや、あの人、奔放すぎて決めた場所に現れたためしがねぇんだわ」

眉をへの字に曲げて、やれやれと言わんばかりに井上は頭を振る。

「……あ、もしかして、校内ラジオ関連?」

というより、コイツと姉さんの関わりといったら、それぐらいしかない。

「そうそう。 今日の放送分、軽く話しておかないとよ。 体育祭の話題とか結構今回キツキツで」

「……しっかし、ハゲとお姉様がパーソナリティってのもアンバランスよねぇ?」

隣で話を聞いていたらしいワン子が、今更実感したかのように呟いた。

京のノートは、無事写し終えたようだった。

「俺は放送委員だから、義務みたいなもんだけどよ。 モモ先輩は人気投票で選ばれてっから」

嫌な顔一つせず、気さくにワン子に返答する井上。
やはりS組といっても、こういう親しみやすいヤツがいる事は確かではある。

大多数は気に入らないが。

「おお、流石お姉様。 ブッチギリの一位だったってわけね?」

したり顔で頷くワン子に、井上は苦笑しつつ答える。

「いやいや、それが結構デッドヒートかましてたんだよ。 ……ウチの若とな?」

「あらら」

つられたようにワンコも眉を寄せて、はにかんだような笑み。

「まあ、ただ相方が俺っつーと、流石に女のモモ先輩じゃなきゃヤバイって話になって」

「アハハ、それは、まあ、なんとなくわかるわ」

姉さんじゃなければ、今よりだいぶリスナーは減っていた事だろう。

葵の女子からの人気は凄まじい。
姉さんの男子からの人気も、同じほどある。

だが、葵は姉さんほど、同性ウケはしないだろう。 
時折、俺にその片鱗を見せる、特殊な性癖を除けば、あいつが悪いわけではないだろうが、いつの時代も、モテる男が同性から好かれやすい事はない。

そんな考慮が働いたせいで、井上が随分と苦労しているのだろうが。


「メールよりかは電話の方が繋がりやすいから、今からかけるが、お前番号知らないのな?」

「モモ先輩、基本男には教えないみたいよ? ……美少女専用ダイヤル、だそうだ」

肩をすくめられた。

「お前か川神妹、あとは居候の直斗なら、知ってそうだと思って来た次第」

「……苦労してそうだな、井上?」

「だろう? ま、俺なんつーの? ジョーシキ人、だからよ」

そう言って歯を見せて笑ったが、直後、挨拶してきた委員長に過敏に反応する姿が、説得力を損なわせた。



「……あ、ホントだ。 2-Sのヤツがいるぜ?」
「ノコノコとよく顔を出せたもんだな」
「あ、超2-Sじゃん。 マジムカ、マジムカッ!!」


そしてそれが注目の発端となり、一斉に険を含んだ視線が井上に殺到する。


「……おいおい、周囲の目が超ー痛いな」

クラス中から注がれる敵意に、些か辟易として顔を顰める。

「そりゃそうだと思うけど? 自業自得でしょ」

冷淡に小笠原さんが言い放った。
少なからず思いを寄せる葵冬馬と近しい彼とはいえ、S組の一員に変わりはなく、敵として認識しているのだろう。

まさに四面八面楚歌。


俺はといえば、完全に見に徹し、中立を貫く。

下手にS組を擁護しても、あまりメリットはない。
これからS組を目指すというならまだしも、あと何ヶ月もこのクラスで生活していくのだ。
井上には悪いが、同じクラスの連中を敵に回そうという気は起きない。

まあ、柳に風、といったふうに罵詈雑言を受け流す彼に、気遣いは無用とも思えた。
 

F組で彼の味方といえば、直斗ぐらいだろうが、未だ自席に姿をみせていない。
ひと頃に比べ、学校に来るのが随分と遅くなった感がある。

そうそう、彼の事だが、このところ、鍛錬にもハリがないらしい。
いや、サボっているわけではなく、金曜集会でワン子が言っていた事には、一人で何かを考えている事が多いのだそうだ。 心ここにあらず、というところか。

朝の座禅も最後まで居残って、朝食を抜いてくる事もしばしば、しーばしーば。もう8は見ない。

顕著になったのは、マルギッテとの対戦のあたりのようで、「姉」弟子として心配なのだという。
マルに負けたっていったら、二人がかりでようやく本気を出させたアタシや京の立場はどうなるの、と、苦笑しつつ発破をかけたらしいが効果は知れない。 曖昧に相槌を打たれれば打たれたで、それ以上どうしようもないという事だった。





「仲良くしようぜ? お前たち?」




男前な声で我に返る。
異様にセクシーなのはさて置いて、聞きやすい声ではある。
放送委員会でも競争率が高いであろう姉さんの相方を任せられ続けているだけはあった。

「ざっけんなッ! お前のクラスの奴ら、ひたすら俺たち馬鹿にしてんだろうが!?」
「行き過ぎた誇りは傲慢でしかない。 うざいぞS組」
「なんかアンタらのクラスの女子、アタシとか見るとヒソヒソ話して失礼なんですけどー?」
「……それはまぁ、良いとしよう」
「良いわけないでしょ!? オタは黙ってゲームやってなさいよ!!」
「ハッ! 言ってくれるなスイーツ脳が! ただ人が死ぬだけの話に涙して金を搾取されて!!」
「ッ! アンタらのゲームだって同じようなもんじゃない!?」
「馬鹿がッ! 例えばこのPCゲーム、オータムッ! いわば俺の人生……、そんだけ高尚なもんなんだよ!!」



しかし井上の言葉に篭められた誠意は、全く受け付けられず、内輪もめをやる始末である。

朝型低血圧であったり、くだらない理由からの寝不足のせいで、即座にヒートアップする言い争い。

正直、聞くに堪えない。


「……井上、今のうち」

そう言って、廊下の方を顎でしゃくり、促す。

「そだな……。 俺達、ずいぶんと恨まれてんだなぁ……」

ギャアギャアと騒がしいBGMを背後に、引き戸を潜り抜けながら、井上はぼやく。
如何に温和な性格でも、悪意に対して気落ちするのは、誰でもそうだ。
それに彼にして思えば、身に覚えがない、まさに難癖だろう。 こいつや葵は、それほどF組に悪感情を持っていない事は知っていた。





「なんだか、すみません……」

「一ミリたりとも気にしていませんッ!! ご安心をッ!!!」

申し訳なさに目を伏せて、廊下まで謝りにきた委員長に、即座に平伏しそうな勢いの彼を見れば、さほどダメージは受けてないように思えるが。













「……じゃあ、まあ、姉さんには連絡しとくよ。 三年F組、姉さんのクラスに集合って言えばいいんだろ?」

「ああ、よろしく言っといてくれ」

頼む、というふうに肩を叩いた後、そのまま片手をスッと軽く上げて「んじゃな」と、小走りに自分のクラスに井上は帰っていった。






S組とF組、か……。

元々、仲は良くなかったが、最近は特に目に余るものがある。
険悪な雰囲気になったのは、三月の新学級オリエンテーションの時だったか。

「早速、連絡しますか」

一秒もかからず、尻ポケにあった情報端末の画面を開く。
バイブが鳴れば条件反射で、さながら銃士のクイックドローのように携帯を取り出せるようになって幾星霜。 情報はナマモノってね。

姉さんに電話できるという立場に、この頃、優越感を覚えるようになった。
好きな人に好きな時に連絡できるというのは幸福な事だと、月並みに感じる。

「……うわ、結構メール溜まってんな」

メールは四件ほど。
登校中は一度も携帯に触れる機会もなかったし、いつもなら起床した時に連絡が来るヤツも、雨だからか、だいぶ遅れていた。

先にこっちを片づけようと決める。 姉さんとは少しでも長く話したい。 別にメールに締め切りがあるわけでもないが、メールを送った側は返信が早ければ早いほど、気分は良いだろう。 
何度も携帯を確認する手間も省けるのだろうし。










二件目の返信を送ったところで、言葉をかけられる。

「大和、お前、しょっちゅう携帯を弄っているな?」

「……クリス」

「よくそんなにメールを出す相手がいるものだ」

皮肉を言っている口調ではなく、関心半分、不審半分といったところ。

俺の様子を見ていたのだろう。
彼女は自他共々へ率直過ぎる嫌いがあるが、あまり人の悪口を好む方ではない。
耐え切れず、廊下に出てきたクチか。

「ああ、まあね。 知り合いは多いほうだから」

「うん。 転校初日から感じていた事だ」

顎に手を当て、首をかしげる。
頭上に?マークが出てきそうな不思議顔。
俺には姉さんがいるが、大抵の男共ならコロリといってしまいそうな仕草だ。

これで空気読めれば、完璧なんだがな。

「見たところ、積極的に友達を作っているな?」

「そうだよー。 その方が悪巧みしやすいでしょう?」

……いかん。 どうしてだか、コイツには天邪鬼になってしまう。
ただ、姉さんに電話するイベントが待ち受けている俺としては、この会話に時間をとられたくなく、少々面倒臭さに苛立ちがあった事も付け加えておこう。

「……お前な……友達をそんなふうに…」

液晶画面を見ながら飄々と、悪びれるふうもなく語る俺に、彼女の正義感はむらと呼び起こされたようだった。

「じゃあな。 俺忙しいんで」

経験則から、こういう場合は流すに限る。 教室の方へ体を向けた。

「おいっ、ちょっと待て大和」


「あらら、ナオっち。 二股はよくないよ♪」

手首をぐいっと掴まれたところで、ガラリと開いた扉から小笠原さんが出てくる。
この人は本当に、こういう類の話題が好きなようだ。

だが、ここは乗らせてもらおう。

「いやいや、クリスが俺に気があるみたいで、やたらと絡んできて困ってんのよ」

「かっ、絡んでなどいない!!」

「あーはいはい、お熱い事で~」

そう言うと、小笠原さんは、さっさか手洗いに旅立っていった。

否定のために、クリスもそれに続こうとすると思ったのだが。

「おい……」

握力が、より強まった。
レイピアの突貫に接続される彼女の右手は、尋常でなく鍛え抜かれているのが、身に沁みる腕に沁みる。

最終的に火に油を注ぐ結果に相成ったようで、なかなか策略というものは、よく練らなければなと感じさせられる。


要約すると『ほんとにメンドいな、この女』


「はぁ…」


軽く気づかれない程度に嘆息をついた後、決心する。


「説明しろっ! さっきのはどういう…「俺にも、こだわりがあってさ」

彼女の非難に言葉をかぶせた。





……やっぱり説明しとかないと、ずっとつっこまれそうだ。

姉さんには、ホームルームが終わってからでも間に合うだろう。
いざとなればメールすれば良い。




























周囲を見回し、未だ俺の腕を放さずにいるクリスを引っ張りながら、比較的死角となっている屋上への登り階段付近、そこの窓辺へと身を滑らせる。 

外の雷雨が、良い音消しになってくれている。

これからの話は、あまり聞かれたくない。




「俺が知り合い・・・・を増やしているのは事実だけど」

緩んだ彼女の手をやんわりとどかし、俺は彼女と真正面から相対し、その眼を見つめる。

おふざけはない。

これは、俺の誇りと直結する話だ。


友達・・を増やしている自覚は、ない」

一段と、降りしきる雨の音が大きくなる。

「……どういう事だ?」

「俺が携帯とかでやり取りしている方々はね、一緒に遊んだりはするけど、あくまでギブアンドテイク・・・・・・・・の連中なの」



―――いいか、大和。 顔見知りを多く作りなさい。





「何か情報あげるから情報よこせ、アイツ紹介するからコイツ紹介しろ、とか、そんな感覚」




―――――持っている人脈は、いずれそのまま、力になる。




「だから、友達とは思っていないと?」

怪訝な目で問われる。
あまり、好意的なものでない事は確かだった。

「少なくとも、俺はね。 相手がそう思うかはそれぞれの勝手だし、構わない。 ……どこまでが友達で、どこまでがそうでないかなんて、それこそ人それぞれだろ?」

「まぁ……、それはそうだが」

ある種、開き直りに近い論理だが、これは真理だと思う。
だからこそ渋々ながら、お堅いクリスも頷いている。

「例えば、俺はそいつらが大ピンチになったら出来る範囲でしっかり力になるけど、我が身を犠牲にしてまで助けようとは思わない」




―――――その人たちは、お前が本当に困っても、助けてくれない。 当てにしちゃあダメだよ。




「その逆を言えば、俺がピンチの時、相手もそんな感じだろう。 身を削ってまでは助けてくれないさ。 ……だから、俺の定義では友達に入らない」




―――だから、その人たちが本当に困った時、助けなくていい。




「ふーむ」

「……俺にとっての友達は、風間ファミリーだけだ」

「例えば、モロやワン子の身に何かあったら、こういうクサいのは俺の趣味じゃあないが、最悪、我が身を犠牲にしてまで助けると思う。 また、あいつらも、そうしてくれる確信はある」

「……」

「と、まあこんな感じだ。 俺のポリシーってやつは」

「うーん。 確かに、確かにキャップ達への思いやりは感じたが……」

「何?」

「いや、困った時に他人が我が身を挺して助けに来ないと、決めつけるのも寂しくないか?」

……だが、世の中そういうもんだ。

だからこそ、父さんは海外に。

「熊飼殿や、それこそ矢車殿なんて、恐らくは……」

まあ、それに否定はしないが。

「頼らないようにしているだけさ。 ほら、何か起こっても俺にはこんなに大勢の仲間がいるから安心さ、とか油断しないように心がけてる」

薄く笑って、さらりと返答する。

「……なるほどな。 ……なら、無理に知り合いを広げず、ファミリーの友達と遊べば良いんじゃないか?」

真摯に考えてくれている事がクリスの、今の雨空のような曇った表情から理解できる。
間を空けて、十分に俺の言葉を咀嚼して考えを言ってくれるのは、実際嬉しい。 
それにまた、懇切丁寧に意見してこそ、俺の誇りは確固たるものになるからだ。

「はじめに言ったように、悪巧み云々はともかく、人脈広いと有利じゃん。 今の世の中」

そう。 全てはここに、集約される。



―――そうさ、大和。 損得勘定の付き合いさ。 ギブがなければ、テイクはこないよ。



「俺は今、結構いろんな人たちにギブしているほうなの。 だから、俺に何かあれば、そこそこのテイクはしてくれるさ」

「ううーん…。 いまいちよくわからないな。 そこが」

舌打ちを頬の内側に隠す。

「例えばさ、生徒会長に立候補すれば投票はしてくれそう。 俺の策通りに動いてくれそう。 ……そんな感じ」

「……否定はしないが、それはどうにもなー」

お嬢様は、腹に据えかねる様子だ。

「じゃあ、クリスの好みの行動基準は?」

「“率直で正直”ッ!!」

間髪をいれずに答えるさまに、軽く頬を緩めた。

「だろ? ま、納得しなくても否定しなけりゃ俺は満足さ」

「ああ……」

なにやら諦めたような目でこちらを見始めたので、少し、慰めよう。

「……それから、一つ言っておくが」

これだけは、伝えないとはいけない。

が、正視して言うには少々荷が勝ちすぎる。 窓の向こうの、川神の景色に目をそらす。

「うん?」

「……当然、お前も俺の友達の中に入ってるからな?」

「………へっ…? ……あっ、ああ?」

不意に自分に向けられた幾ばくかの好意に、明らかな狼狽をみせるクリス。

案外チョロいな、と思う一方で、悪くない、と微笑ましく感じられた。

「そ、そうか…、ふむ…」

自分を半分納得、半分落ち着かせようと、呼気を整えると、また凛とした声が俺の耳に入る。

「自分も、大和に何かあれば助ける!」

……そうかい。

「ただ、とはいえ自分の好きな言葉、“義”は人の道……」

少々、俺には眩しすぎる言葉だ。

「自分は、友達以外でも、困っていれば力になるがな!!」

「俺だって力にならんわけじゃねぇって」

「どうにも薄情に聞こえてしまうからなー」

「……いつになったら認めてくれるかね?」

「一生、ないかもしれんな……、さて、戻るか。 もうクラスも落ち着いた頃だろう」

少し歩み寄った気配があったが、結局は平行線か。
金髪をたなびかせ、教室へ戻っていくクリスの後姿を見ながら、俺は吐息を漏らす。

邪魔にならなきゃいいさ。



彼女を見ると、時折、自分は没義道を進んでいるのではないかと思う事がある。




―――不正が、不実がバレた事が罪。 隠し切れない能力を持つ者は、愚か者は、淘汰されていく。




そんな教えの種も、俺の中には芽吹いていて、それを自覚しつつも排そうとしないというのが、俺の精神。



だけど、心がまるでない鬼畜になりたいとは思わない。

だから、時折、彼女を振り返り、自分の立ち位置を確認できればいい。














































幾分、黒歴史むかしに戻ったような思索から、脱却し、開けっ放しだった携帯の画面を見る。

午前8時17分。



……うし。 






あと一件は返事出せ―――------


















「、ま…」





ゲ、と踏んづけられたかえるのような声が自分の口から飛び出し、咽頭が灼熱する。



一刹那の恍惚の後、携帯画面を映していた視界が瞬く間に暗転し、鈍い音が脳天を突き抜ける。




「やま、と…」





わけがわからない。



床に打ち据えられたろう後頭部の激痛の中、必死で喉部を掻き毟る。
早鐘を打つ鼓動を遠くに聴きながら、目を開けることすら忘れて、ただひたすら酸素を求め、首にかかる万力を、人の指に違いないソレを解き放とうともがきにもがく。

その努力も虚しく首の拘束は強まるばかりで、今度は上方へ引き上げられる感覚。

次いで前方にぐらりと、まるでタメをつけたよう引っ張られたのを知覚した俺は、これから我が身に起こる惨劇を直感し、声にならない絶叫をあげる。














硝子の甲高い破砕音と共に。








「あ゛ッあ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」





白夜叉の咆哮が、雷雨を切り裂いた。

















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