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[27521] 【H×H】【オリ主】魔女の眼のコレクター
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/30 02:23
前書き

この作品は、HUNTER×HUNTERの二次創作です。

内容としては以下の通りとなりますので、ご了承ください。

・女オリ主。性格あまりよくない。
・オリキャラ多数。原作の、特に主要なキャラクターはあまり登場しません。脇役ならちょこちょこ出ます。
・主人公はいわゆるニコポ持ち。
・漂流者、転生者、憑依者などのいわゆる「現実世界からの来訪者」「原作知識を持っている人物」は一人も登場しません。
・原作の再構成はなし。というか、原作描写自体あまりありません。原作の補完ストーリー、サイドストーリーを書こうとしています。
・主人公は最強系ではありません。また、ギャグもあまりありません。そういうのを期待している人にはストレスがたまること請け合いです。
・差別的な表現、グロ表記がたまに出てきます。

上記の通り、最近の二次創作の主流からはかなり外れた、地味な話です。まあ、それらに飽きたときの箸休めという感じで、気が向いたときにでも読んでください。

2011/5/24追記

どうも。爆弾男です。今日ですね、ここの「喜劇のバラッド」っていう作品読んだんですよ。
評判いいのに、そういえば読んだこと無いなーと思いまして。で、一言。

主人公の念能力被っちまったいorz

いや、持たせる感情違うとかあるんですけどね。あだ名が「魔女」とか、もうこっちがパクリと言われても否定できないレベル。

……あちらにご迷惑をお掛けしないうちに、削除したほうがいいのでしょうか。忌憚の無い意見をお待ちしてます。
あと、SSFAQ板にも立てたほうがいいのかな……。

2011/5/30追記
「問題ない」との意見を頂きましたので、一旦はこのまま行きたいと思います。
問題がありましたらご連絡お願いいたします。
くらん様、1000円様、ご回答ありがとうございました。



[27521] 01話 美術商・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/02 01:48
闇の中で、小さな女の子がうずくまっていた。かすかに泣き声が聞こえる。それを眺める少女。
「どうしたの」少女は声をかけ、女の子に近づく。しかし、返事は無い。何度か少女は声をかけるが、依然として反応は返ってこなかった。ふう、と少女はため息を吐く。これは、苦労するな、と。

不意にその女の子が言葉を発する。「なんで……なの……?」あまりにもその声はか細く、少女はよく聞き取ることが出来なかった。
「なあに?」出来るだけ優しい声を出しながら、少女はしゃがみこんで女の子を見た。
「なんで、わたしは一人ぼっちなの?」
その言葉を聞いた少女は少しだけ目を見開き、すぐに笑みを取り戻した。
「よしよし、いい子ね」少女は女の子の頭を撫でようとするが、手で払いのけられる。少女は今度こそ驚き、しばらくの間身動きが取れなかった。
「なんで、あなたは平気で人を騙せるの?」その声はひどく冷たく。震えてはいるが、しかしはっきりと告げられた。
「なんで、こんなことができるの?」女の子の言葉は止まらない。少女は、何も言い返せなかった。
「なんで……」そう言って、女の子は顔を上げた。その顔を見て、少女は驚きの声を上げる。
「なんでママを守れなかったの……」その言葉を告げる女の子の目には涙が溢れていた。
青い瞳。ややウェーブがかった、鮮やかな金髪。透き通るような白い肌。幼いながらも、鼻筋の通った整った顔立ち。
その姿はまるで。
「……私?」

少女はここで夢から醒めた。先ほど自分に辛辣な言葉を浴びせたのは、紛れもなく幼い頃の自分自身。
「またこの夢か。」少女はポツリと呟いた。最近特に見ることが多くなったな、と頭の中で付け加えて。
少女の母親が亡くなってから、すでに七年が経つ。それでもなお、少女は母親のことを時折思い出しては、涙した。
見た目はだいぶ大人びているが、まだ十五の子供でありそれも無理からぬことであったが。
「ママは、今の私を見てどう思うかな・・・。」少女がポツリと呟いたその言葉は、誰にも返事をされずに闇へと消えた。




    第01話 美術商・1




「遠い……」少女はポツリと呟いた。周りはうっそうと木々が生い茂った山の中。この山を登り始めてから、何度この言葉が口から出たか、少女自身にさえ分からなかった。
「がんばれ、ユナ。もう少しだ」
少女の前を歩いている、背の高い、白髪の男がやや苛立ち気味に言った。白髪とはいえ、顔の造詣からはまだ若いことが読み取れる。
「『もう少し』って言葉、もう何回聞いたか分かりませんよ……」
「ユナ」と呼ばれた少女は、疲れと苛立ちを隠さないように呟いた。この山に入ってから、すでに四時間は経過している。それも、山の登り坂だ。ただでさえ大変なのに、日差しは初夏にもかかわらず強く、一層体力を削る。その状況では、彼女がこういう態度をとるのも無理からぬことだろう。

それでも、まだ我慢して一行はしばらく山道を歩いていた。しかしながら、とうとう限界が訪れたようだ。
「もー無理っ!!休みましょう!」そう叫ぶとユナは木に寄りかかるように座り込んだ。
「またか」白髪の男はユナに聞こえるようにため息を吐いた。その顔は、汗ひとつ掻いていない。
「ファルグさんの体力がおかしいんです」ユナは頬を膨らませながら言った。

彼女の言葉はあながち間違っているわけではない。普通の女性ならば、山の中を何時間も歩き続けることは出来ないだろう。
まして、彼女はジャケットの内ポケットに拳銃を入れている。登山になると予想さえしていなかったため、靴はスニーカーだ。
何度も休むなと彼女を責めるのは酷と言うものである。むしろ、疲労の色を見せないファルグがおかしいと言える。

「こんなに大変だと思わなかった。失敗だったなあ」彼女の言葉を受け、ファルグが苦笑いを浮かべながら返答する。
「ま、これに懲りたらうかつに金につられないことだな。ちょっと報酬を上げられたからって安請け合いしないことだ」
「違いますよ。こんなに大変なら、もっと報酬を請求しておけばよかったと反省してるんです」
まさかこう返されるとはファルグも思っておらず、わずかに沈黙した後に「そうか」と返すのがやっとであった。ここまで筋金入りのお金好きだとは思わなかった。

「絶対50万じゃ足りない……」空を見上げながら、ユナは呟く。雲ひとつ無い、突き抜けるような青空。見る分には心地よいが、そこから強烈な日差しが刺してきて、彼女の体力を容赦なく奪う。彼女は、自分がここに来ることになったきっかけを、後悔しながら思い出していた。

なぜ、ユナたちがこのような状況に置かれているのか。それを説明するためには、彼女たちの現状から説明しなければならない。
二人は、ベッキーニ組というマフィアに所属している。ファルグはそこの武闘派構成員の筆頭であり、主に他の組との揉め事を武力で解決することを担当している。

一方、ユナは戦闘はほとんど専門外。主な仕事は、美術品の売買である。不当に安く売りつけられている美術品を買い、高く売る。
あるいは、贋作を売りつける。彼女の専門は絵画であったが、ボスの命令で彫刻品や、骨董品もある程度は扱っていた。
また、絵画についてはそれなりに腕があり、贋作を彼女が作成して売却したこともある。
そんな彼女たちがここにきた理由。それは、陶芸品の売買のためである。「サンベエ=アリタ」という、最近その名を売っている陶芸家のものだ。
しかし、制作数が少なく、また特定のバイヤーを介しているわけでもないため、その流通品は少ない。もし、独占販売できれば組にどれだけの利益をもたらすか。

ユナはその判断を一任された。すなわち、作品を見て組に利益をもたらすものであるとすれば仲介の独占契約を結べ、と言われたのである。
実物を見て、これは契約を結ぶに値する、と判断した彼女はサンベエに会いに行こうとしたのだが、その人物が山奥、と言うにも生ぬるいほどの秘境に住んでいるとはさすがに予想できなかった。
彼が住んでいる場所を知ってからは、他の人に行かせようとボスに直談判したのだが、追加報酬を持ちかけられるとあっさり承諾してしまった。これが、彼女が今山中を歩いている理由である。
ちなみに、ファルグがいる理由は、ユナの護衛をボスに命じられたためである。武闘派構成員の中でも随一の戦闘力を持ち、警備隊長も勤めている彼を護衛につけているあたり、ユナがいかに組内でも重要なポジションにいるかと言うことが伺える。……もっとも、単純にユナの実力が認められたから、と言うだけでなく彼女がボスの“お気に入り”であることもその理由なのであるのだが。

今、彼女はその金額が低すぎたと後悔しているのである。なお、金のためとはいえ山を登ることを断固として拒否するべきであった、という後悔は彼女には無い。

ユナがボスとのやり取りを思い出していると、ファルグは突然「ん?」と言葉を発し、今登ってきた道のほうを見た。その表情から、警戒をしていることが伺える。
どうしたんですか」事情を飲み込めないユナが、怪訝な表情で尋ねる。
「下から、誰か来ている」ファルグに言われて、ユナは下を覗き見てみる。しかし、影ひとつ見当たらない。
「またまた。誰もいませんよ」
「まだ100メートル以上は下にいるからな」しかし、ユナには人がいるような気配はまるで感じられなかった。
「気のせいじゃないんですか?」
「いや、間違いない。行くぞ」
ファルグはそういうと、ユナの右腕を掴んで強引に立たせ、歩き始めた。
「ちょ、ちょっと?」
「嫌なら、ちゃんと歩け」
「もう、犬じゃないんですから!」ユナはそう返したが、その言葉はどこか嬉々としていた。

さらに延々と山を登り続け、またユナが「休もう」と言いかけた頃に、レンガで造られた煙突が見えてきた。
「もしかして、あれが?」
「おそらく、そうだろう」
レンガを積まれた、粗末な家。近くには白い窯があり、その近くの木の机で、黒髪の人間がなにやらこねていた。
芸術家の住む家のイメージそのままだな。ユナはそう思い、苦笑いをする。
黒髪の人物に二人が近づくと、その人は顔を上げ、「何か用かな」と声を発する。
その容姿は若干幼さが残っており、非常に若いことが伺える。私と大して歳は変わらないのではないか、とユナは推測しながら、口を開く。
「サンベエト=アリタさんとお話がしたいのですが」
「何の話?」
「ちょっとビジネスの話をしたいんです。呼んでいただけませんか」
「別に呼ぶ必要ないよ。いいから話して」
ここまで聞いていたファルグが、やや語気を強めて言った。
「おいおい、坊主。俺たちは仕事の話に来たんだから、口出すんじゃねえよ」
「だから、僕が聞くって言ってるでしょ。それとも力ずく?」黒髪の少年もやや語気を強める。
「お前もそれなりにやりそうだけどな、そんな態度なら容赦しないぞ?」

「ちょ、ちょっとファルグさん。私たちは交渉に来たんですから。それじゃ、脅迫ですよ」
慌ててユナがフォローに入る。
「んなこと言ったって、こいつ見ろよ、取り付く島もねえじゃねえか」
「だから、話くらいは聞くって言ってるのに……ああ、なぜかくも人は分かり合えないものなのか」少年は、軽くため息を吐く。
その態度がまたファルグを刺激し、「ああ!?」と今にも殴りかかりそうな雰囲気を出す。
一方ユナは、右手を軽く握って口に当てたかと思うと、すぐに手を離して言葉を発した。
「もしかして……あなたがサンベエ=アリタさん?」
「ご名答。彼はなかなか理解してくれなくて困ったよ」少年は、ファルグを見ながら軽く肩をすくませた。
「おいおい、こんなガキが?本当かよ」ファルグの口調は、馬鹿にした、と言うよりも単純に驚いたと言う感じであった。

陶芸に限らず、芸術作品が人に評価されるようになるには長い修練が必要である。
十代と思われる少年が、今人気のある陶芸家であると聞かされたなら驚くな、と言うほうが無理と言えるだろう。
しかしながら、熟練の鑑定士をはるかに凌ぐ鑑定眼を持つユナがそばにいることを忘れている。
彼女もまた、十五とは思えないほどに芸術に対する造詣が深い。まれにこのような天才がいることを知っていた彼女は全くと言っていいほど驚かなかった。
「で、この僕に何のようかな。見ての通り、忙しくてね。芸術を作る才能には事欠かないが、残念ながら時間は天才にも凡人にも等しいのだ。君達と同じ時間を生きないといけない分、僕は余計に濃密な時間を過ごさなくてはならない。……言いたいことが分かっていただけるかな?」驚くファルグには意を介さずに、サンベエが口を開く。そのあからさまに見下した態度に、拳を握る力が強くなった。

「まあ、落ち着いてください」ユナはそのような意図でファルグに目配せをすると、サンベエの方を向きなおして言葉を紡ぐ。
「簡単に言うと、作品の独占売買契約を結ばないかってことです。あなたの作品は評価が高くてね。私が仲介すれば、もっとうまく売れると思いますが」
ふう、とサンベエは軽くため息を吐いて視線を外した。
「そういうのは何度も来てるんだ。別にいらないよ。お金なら十分にあるし。僕に必要なのは時間なのだよ。有り余る才能を存分に発揮できる時間さ」
「お金があるのはそうでしょうね。なんたって、プロのハンターなんだから」
ピクリ、とサンベエが反応して再びユナのほうを見た。今度は、若干の好奇心をその目に宿らせて。
「よく知っているね。」
「取引する相手のことを調べるのは定石よ。」
「……で?お金が必要ないと言っている人間にどうやって契約を結ばせる気なのかな?」

「あなたは『時間が必要』だと言った。それって、材料をそろえる時間や、生活用品を調達する時間もってことですよね。そのくらい、私がその気になれば用意できますし、なんならあなたがもっと集中できるような環境も用意できます。悪いようにはしませんよ」
言いながら、ユナは前のめりのような格好になる。若干顔を下げて、上目遣いになるようにし、サンベエに顔を近づけた。
目のやり場に困ったのだろう。サンベエの目が宙を泳ぐ。と、ユナの背中越しに目が止まり、その一点を見つめ続けた。
何事か、とユナが振り返ると、そこには3人の男女がいた。水色の髪を上に盛り上げた女性と、顔に傷の入った男、それから
銀髪でオールバックの男だ。
「私たちも、その商談に混ぜてくださらない?」水色の髪の女が話した。

そして、ユナはこれまで見たことの無いものを見ることになる。そして、それが自分の運命を大きく左右することになると気がつくのはもう少し先の話になる。



[27521] 02話 美術商・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/04 15:56
ユナとファルグ、サンベエの3人は、そろって入り口にいる3人組に視線を移していた。
――そういえば。ユナは山中での会話を思い出す。あの時、ファルグは誰かが下にいると言っていた。
あの時は気のせいだと思っていたが、なるほど、この3人のことだったのだろう。

改めて、ユナはその中の女を見る。女は、変わった髪型をしていた。髪を後ろのほうにまとめ、高く盛り上げている。その高さは自身の顔の長さほどもあるだろう。顔立ちは、まあ整っているといえる。だが、どことなく意地が悪そうな印象を受けた。

と、その女が、サンベエの方に近づく。即座に、ファルグが間に割って入った。
「悪いな、姉ちゃん。今取り込み中なんだ。」
しかし、女は臆することなく、サンベエの方を向いた。
「あなたがサンベエさんでよろしいかしら。」
「ああ、その通りだよ。天才というのも困ったものだ。すぐに名が売れてしまう。ところで、名前を聞いたら自身も名乗るのが礼儀ではないかな」
「……そうね、失礼したわ。ヴェーゼといいます。以後、お見知りおきを」
そう答えるヴェーゼの表情を見て、ユナは確信した。
間違いない、この人も絶対今、「ウゼェ」って思ってる。

「で、そのヴェーゼさんが、この僕に何のようなのかな」
もったいぶったような口調で話すサンベエに対し、ヴェーゼは唇に指を当てながら答えた。
「抱いてくださらない?」
「はあ!?」
あまりにいきなりすぎる発言に、ユナとファルグの声が重なった。しかし、サンベエには驚く様子が無い。
「そうか、僕のファンか。いいだろう、こっちに来たまえ。あ、他の人たちは帰っていいから」
いやいやいや、その発想は明らかにおかしいだろう。もはやどこから突っ込んでいいか分からなかったユナは、そう思うのが精一杯だった。




    第02話 美術商・2




あまりの展開に半ば呆然としている二人をよそに、ヴェーゼはサンベエのもとに近づくと、いきなり抱き合い、口づけをした。
が、どうにも様子がおかしい。サンベエの目がとろんとしているように見える。その目は虚ろで、すでに正気ではないことが見て取れる。

「どうだい?気分は?」
ゆっくりとヴェーゼが顔を離して声をかけると、サンベエは「あなた様に仕えられて、大変幸せでございます」と先ほどまで見せていた尊大さを微塵も感じさせない口調で答えた。

え?何?何があったの?
あまりの急展開に、ユナの頭はついていくことができない。
そうしているうちに、ヴェーゼはサンベエを跪かせ、靴を舐めさせている。
そうかと思うと、今度はその靴をサンベエの頭の上に持っていき、じりじりと踏みにじり始めた。
ときおり情けない声を上げる今のサンベエの姿を見れば、誰も「天才陶芸家」である本人だとは思えないだろう。

それを見ていた二人――実際にはヴェーゼが連れてきた二人も含めた四人なのだが――は、もはや乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。
それでも、ユナはまだこれ以上の変態プレイを経験しているから、まだどうにか理解は出来ている。
が、それでもぶっちゃけ帰りたい気持ちでいっぱいだった。
彼女でさえそうなのだから、他の三人については言うまでも無い。

「ふふ・・・もっと踏んで欲しいかしら?」いつの間に持ち出したのか、ヴェーゼはビデオカメラを手に何やら恐ろしいことを言っている。
そしてもっと踏むように懇願するサンベエを満足そうに見やると、
「もっと踏んで欲しければ、これにサインするのよ」と、何か紙切れを出した。

ここまできて、ようやくユナは状況を理解した。
そもそも、この女は何のためにここに来て、こんなことをしているのか。それに先ほど「自分達も“商談”に混ぜろ」と言った。
つまり、目的は自分達と同じなのではないか――。

それに気がついたユナは、まだ固まっているファルグに近づき、小声で「何やってるんですか、力ずくでもいいから止めてください」と話す。
ハッとわれに戻ったファルグが、「おい、何やってんだコラ!」と怒鳴り声を上げた。が、残念ながら既にサインは終わっていたようである。

「あらあら、私は何もしてないわよ。この子が、交渉を呑んでサインしてくれただけじゃない」笑って答えるヴェーゼにファルグが激昂する。
「ふざけんな!念使って操作したじゃねーか!」
その言葉に、ユナの頭は疑問で占められる。
……ネン?何だそれは。薬か何かを口に仕込んでいたと思ったが、違うのか?

一方、ヴェーゼはどこ吹く風、といった感じでファルグに答えた。
「証拠なんてないじゃないの。それは全てあなたの主観でしょ」
「うるせえ!俺をごまかせると思ってんのか!」
「……うるさいのはそっちでしょう。ねえ、止めてくれない」
ヴェーゼがそう言うやいなや、ファルグは後ろに跳躍した。先ほどまでファルグがいた場所目掛けてサンベエは棒を突き出していたのだ。
さっきまで、確かにそんなものは無かったのに、どこから用意したのか。ユナの頭の中には、そんな疑問が浮かんだ。

「何しやがる!」
「手出しはさせない。僕が相手だ」
「上等じゃねえか」
その言葉の次の瞬間、ファルグは左に飛ばされ、壁を砕いて外に飛んでいった。
サンベエがが、棒で叩きつけたのだ。ユナはそんな二人を目で追うのが精一杯で、何も反応できない。
飛んでいったファルグは地面に叩きつけられるとすばやく起き上がる。その様子から、ほとんど痛みが無いことが見て取れる。

「やるじゃねえか」そう言うと、ファルグはポケットを探り、なにやら手に持った。
――ヤバイ。
ファルグが何をしようとしているか察知したユナは慌てて身をかがめる。と、同時に凄まじい速さで弾が飛んできた。
サンベエはそれをかろうじて避けるが、かわした先にあった壁には穴が開いている。
彼が飛ばしたのは、単なる金属製のベアリング弾である。それを、指で弾いて飛ばしただけだ。
が、その威力と速度は並みの銃など比較にならない。運悪くユナの頭に激突していたら、簡単に頭蓋骨が吹き飛んでいただろう。

が、それを見ていたサンベエは冷静そのものだ。
「強化系?それとも放出系の能力者かな?……厄介だね」
言いながらサンベエは棒を手で上から押しつぶす。先ほど、ファルグを殴りつけたほどに硬いはずのそれは、簡単に形を変える。
それを手で捏ね、盾を作り出したサンベエは、ゆっくりとファルグの元へと向かった。

「じゃ、私は失礼しようかしら」
いつの間に外に出ていたのか、ヴェーゼが手を振りながら笑顔を振りまく。慌ててジャケットから銃を取り出すが、突きつけたときには既に消えていた。

外に出るも、もうヴェーゼの姿は無い。と一緒にいた強面の男二人がユナに銃を突きつけている。が、そのまま後ろ足で二人は離脱して言った。
もとより、ユナに追いかける意思はもう無い。とうに、見えなくなってしまっているのだ。今更走っても追いつけないだろう。
ハァ、とため息を吐きながら、まだ闘っているファルグとサンベエを見る。そして、再び吐くため息。
崩れたようにユナは椅子に座り込む。ふと見ると、棚の上にお茶葉があることが分かった。
どうせまだ掛かるだろう、と家の主には一言も告げずに、ユナはお茶の準備を始めた。
こんな山奥にどうやって運んだのかは分からないが、プロパンガスとガスコンロはある。
早速お湯を沸かし、茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。

「……何、この色」急須から注いだお茶は、緑色をしていた。
このような色の飲み物など、これまでに飲んだことがない。
試しに一口飲んでみるも、「……苦い。何これ」
彼女の口には合わなかったようだ。なお、ユナは知らないが、これはジャポンの飲み物で“緑茶”という。

「……お……ろ……」
椅子の上でうとうとしていたユナは、不意にした声で目が覚めた。目の前には、傷だらけになったファルグとサンベエがいた。
「お前なあ、人が大変な目にあっているときに、何寝ているんだよ」ファルグの言葉には、呆れと少しの怒りが混じっていた。
「急に闘い始めたんだから、しょうがないじゃないですか。あの時、きっちりあの女を止めてくれたら無駄足にはなってませんでしたよ」
「お、俺のせいだってのか」ファルグの開いた口が塞がらない。
「そもそも、何でお茶を勝手に飲んでんのさ!しかもその湯呑み!僕の最高傑作の一つなのだよ!」続いて、サンベエが抗議の声を上げる。
「待っている間、暇じゃないですか。ここまで来るのに疲れたんだから、お茶くらい飲ませて下さいよ」
「君、これでもか、ってくらいマイペースだね」あまりに悪気の無い回答にもはや諦めたのだろう、それ以上抗議することは無かった。
「そういえば、いつの間に元に戻ったんですか?」サンベエの言動は、先ほどまでと比較してだいぶまともに思える。
……あくまで先ほどまでとは、だが。
「ずぅっと闘ってたんだけどよ、いきなり元に戻ったんだよ」とはファルグの弁である。
「ずぅっと」というのは比喩ではない。この家に入ったときはまだ日が高かったが、今はだいぶ沈み、影が家の中に伸びてきている。
「んで、あの女は?」ファルグが椅子に腰掛けながら尋ねた。
「あっという間に降りて行っちゃいましたよ。とても早くて、追いつくなんて無理」
「そうか」ファルグさんがため息を吐く。
「ちょ、ちょっと待って、僕は念で操作されたらしいけど、それでなんか契約させられたまま逃げられちゃったってことなのかい?」

ネンというのが何なのか、ユナには分からなかったが、「そういうことになるわね」と答えた。
ついでに、その様子をビデオカメラで撮影されていたことも伝えると、サンベエの顔がみるみる青ざめていった。
「お手上げだな。どうにかしてあの女から契約書を奪えればいいが、今俺たちに出来ることなどほとんど無いだろう。帰ってボスに報告しよう」
ファルグが諦めたように呟き、ユナもそれにうなづく。しかし、それだけでは収まらない人物が一人いた。
「いやいや、君たちはそれでいいかもしれないけどさ、僕はどんな契約させられたか分からないのだよ!ああ、孤高の天才たる僕がなぜこんな目に!」
「そんなこと俺に言われてもどうしようもねえだろうが。というか、ハンターならあんな簡単に引っかかんなよ」

どうやら、この二人は相性が悪いらしい。先ほどから揉めてばかりいる。
結局、今はどうしようも無いということで、ユナは二人に矛を収めさせた。
まずは、あの女の素性を調べる。そして目的を探り、可能であれば契約書を手に入れられるよう交渉する。そのように話した。

「そういえば」そこで、ユナは先ほどから何度も感じていた疑問を口にする。
「ネンって何?」
二人の顔がこわばる。特にファルグは分かりやすい。嘘のつけない性格であることが良く分かる。
「ユナ、それはお前には必要の無いものだ」
ファルグが諭すように話す。が、「必要ないものかどうかは私が決めるわ」と、取り付く島も無い。
「ほら、話してくれないと、あの契約書取れませんよ」どうやら、弱みを握っているサンベエを標的にしたようだ。
「そ、それは困る。君!君のほうからも何か言ってくれたまえ!」
「……ユナ。それについては後で説明するから。」
「嘘。今までそう言って何回約束を反故にされたと思います?」
こう返されては、ぐうの音も出ない。さらにユナは畳み掛ける。
「別にいいんですよ、私は。あの契約書が取り返せなくても困らないし。何が書いてあるかも分からないしね。」

ため息を吐くと、サンベエが口を開いた。口ではどうやっても敵わない。そう悟ったようである。
「……信じるか否かは自由だけど、僕は事実しか話さないから。念っていうのは、体から出るオーラと呼ばれる生命エネルギーを操る技術なのだよ」
「オ、オイ」と戸惑ったファルグが止めようとするが、ユナは無視して先を促す。
「オーラって……何よ、その漫画みたいな話」
「まあ、それが普通の反応だろうね。あまりにも危険な技術だから、一般人には秘匿されているからね。
ちなみに、ハンター協会はむやみに非能力者に教えることを禁じている。まあ、慣習法みたいなものだがね」

「……まあ、話だけは聞くわ。続けて」
「念能力は、誰もが使える基本技と、その人に固有の特殊能力の二種類に大別される。僕を操った、ていうのは特殊能力の方だね。十中八九操作系の能力者なのだろう」
「操作系?」
「念能力は六種類の系統に分類されていて、人間は生まれつきどの系統が得意か決まっているのだ。得意な系統の能力ほど覚えやすいって感じだね。物や生物の働きを強くする強化系、オーラを体から離して使う放出系、オーラの性質を変える変化系、オーラを媒介にして物質や生物を自由に操る操作系、オーラを物質化する具現化系、そしてどれにも属さない特殊な能力を持つ特質系だ。あの女性は操作系の能力者だろうね。キスすると、相手を操る能力者」

そこまで聞いたが、どうにも納得しきれない。
「……とても良く出来たお話だとは思うけど。残念ながらそれを信じろと言われても、そうですか、とは言えないわね」
「信じないのは勝手だが、他に説明はできるのかね?それに、僕は本当のことを言っているからね。これ以上脅されても何も言えないよ」
そう言われては、ユナも引き下がるしかない。未だに信じることは出来なくとも、他にとるべき手段は無い。

しかしながら、一方で「私もそんな能力が使えたらいいなあ」とも思っていた。
さすがにいきなり口付けするというのは考えられないが、それでも他人を思い通りに動かすことができれば、どれほど楽になるだろう。
どれほど楽に、あれを集めることが出来るだろう。そんな夢想をしていた。

が、彼女が望むと望まざるとに関わらず、それはやがて現実のものとなっていく。



[27521] 03話 美術商・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/08 14:23
サンベエの元に現れた三人組。彼女達は何者なのか。その目的は何なのか。それは、数日後にあっさり判明した。
理由は簡単で、サンベエの元にユーケッドファミリーと名乗るところから商談が来たのだ。
いや、商談と言うより脅迫と言うべきか。ビデオを盾に、あまりにも法外な値段での取引を強要されたらしい。
電話にてそのような内容を聞かされ、泣きそうな声で解決を懇願された際には、
悪いと思いながらも笑いをこらえることが出来なかった。

「笑い事じゃないのだよ、ユナ君!あれが出回ったら、色眼鏡で僕の作品が見られ、
 その天才性が理解されなくなるのだ!一大事だよ、これは!」
気にしてんの、そこかよ。喉元まで出掛かった言葉を何とか飲み込み、ユナはようやく一言発することが出来た。
「でも、相手が分かっているのならば、それこそ力づくで取り返せばいいんじゃないですか?」
ファルグの話だと、念能力者――特にプロハンターになるような人間の実力は相当なものらしい。
それこそ、小さな組の一つは簡単に潰せるとか。あの時は、どこの誰か分からないことが問題だった。
しかし、今はその問題は解決している。であれば、その気になればどうにでも出来るはずだ。
そう思い訊ねたのだが、返ってきたのは返事ではなく、やや小ばかにしたようなため息だ。
こいつ、取り返すのやめてやろうか。
そんなユナの気持ちを知ってか知らずか、サンベエは続けた。
「僕は争いごとは嫌いなのだ。交渉で済むならそれが良い。それに、約束は守る主義でね」
「ということは、この前の契約はまだ有効だと?」
「無論だ」

そこまで聞き、ユナは安堵のため息を吐いた。実は、彼を当てにしようとしていたのだ。
先ほどああ言ったものの、後で「その契約はやっぱり無効」と言われたらどうしようかと思っていた。
「それはよかった。実は報酬に追加のお願いがありまして」
「あの金額じゃまだ不満があるのかい」
呆れたような声にムッとしながら、ユナは答える。
「お金じゃないんです。実は――」




    第03話 美術商・3




ユーケッドファミリー組長、ミカエル=ユーケッドは頭を抱えていた。
ユーケッドファミリーは新興のマフィア組織である。
元々はとある片田舎のしがない一マフィアでしかなかったが、ミカエルの代になってから徐々に勢力を伸ばし、
ついにはここ、ヨークシンシティに進出するまでになった。

だが……いや、やはりと言うべきか。そこからが上手くいかなかった。
片田舎と大都市であり、多くのマフィアが集うヨークシンは違う。
思うように集まらぬ人材。他の組で既に埋め尽くされている縄張り。
シノギは得ることが出来ず、他のマフィアから奪おうにも武力で大きく劣る。

この状況を打破するためにユーケッドが考えたこと。……それは、十老頭の庇護を得ることであった。
十老頭とは、この世界の十地区それぞれのマフィアの長の集まり。いわば、マフィアの頂点である。
その中の一人。この地区を支配する十老頭“麻薬王”マリオ・エスコバル。
彼に上手く取り入ることが出来れば、この状況を打破できるだろう。

そのために、必要なのは資金。ユーケッドがそこで目をつけたのが、美術品であった。
ここ、ヨークシンシティは毎年九月に大規模なオークションが開催される。
それ以外の時期でも、頻繁に露天で“値札競売市”と呼ばれる小規模なオークションが開催されている。
そういった事情があってか、ここには世界中の美術品が集まる。
当然ながら、美術品の売買も盛んであり、掘り出し物を当てて一攫千金を狙うものも決して珍しくないし、
この都市の富裕層は美術品に対する関心も高い。

そこで、サンベエの作品に目をつけた彼らは、それの獲得と販売ルートの確保に注力した。
作品の確保は、契約ハンター・ヴェーゼが成功させてくれた。
それも、こちらの言い値の通りに販売すると言う常識ではまず考えられないような契約だ。
これを成立させてくれただけでも、高い金額を払った甲斐があったと言えよう。

しかし、もう一方。販売ルートの確保が問題だった。
もとより、彼らは美術品の販売のノウハウがあったわけではない。
そのために単純に販売そのものが上手くいかなかったが、それは大きな問題ではない。

一番の問題は、この街の富裕層がなぜ美術品を所持しているかを見抜けなかったことだ。
もちろん欲しくて購入しているケースもあるだろうが、それはごく一部だ。
ほとんどは、マフィアから購入していた。いわば、みかじめ料を支払う名目として利用されていたのである。
その場合、美術品の出来…もっと言えば真贋すら問題ではない。
実際、大企業の重役や代表ですら、贋作をいくつも持っていた。

すなわち、有力な販売先のほとんどは、既存のマフィア組織に囲われていたのである。
そうなると、いくらいい品物を持っていようと販売は出来ない。
さらに悪いことに、無理やりにでも売りつけようとしたことが裏目に出て、他の組織から目をつけられる羽目になった。

その中でも彼らを悩ませたのが、ベッキーニファミリー……ユナの所属している組織であった。
彼らは、もともと自分達が抑えるはずだったサンベエの商品を横取りされている。
さらには、ヨークシンシティの美術品のほとんどをこの組が仕切っていた。
……もっとも、これは常人離れした鑑定眼を持つユナの存在が大きかったのであるが。

話を戻すと、ユーケッドファミリーはベッキーニファミリーから半ば脅迫に近い警告を受けていたのである。
この都市で、自分達の許可無く美術品の売買を行わないこと。
無論、ベッキーニファミリーとて全てのシェアを抑えているわけではない。
せいぜい、半数程度だ。しかしながら、他の組も全くベッキーニと無関係と言うわけではない。
ベッキーニの手が回らないところに、何とか売りつけている程度だ。
そして、ベッキーニがヨークシンで美術品を売買することはエスコバルのお墨付きだ。
……そう。ユーケッドは、味方につけるはずのエスコバルを、敵に回していたのである。

彼らが取れる手段は二つだけだった。
全てと敵対し、抗争に明け暮れるか。全てを諦め、ヨークシンから撤退するか。

ベッキーニから商談の話が来たのはそんな折だった。……もっとも、それは商談などではなく一方的な要求になるのは目に見えていたのだが。

「ベッキーニの方々がお見えになりました」
……来たか。正直この場から逃げ出したくなる気持ちを抑え、ミカエルは「お通ししろ」と伝えた。
痛む胃を押さえながら応接間に入ると、そこには一組の男女がいた。

男は、自分と同じくらいの歳だろうか。やや禿げ上がった頭に、多少出た腹。そこだけを見ると、一般的な中年男性だ。
しかし、その雰囲気は一般人とはまるで違う。まさにマフィアと言わんばかりの威圧感。
その凄みに、マフィアのボスである自分でさえ思わずすくんでしまいそうだった。

女の方は、まだ子供に見えた。どんなに見積もっても十代後半、ひょっとしたら十代前半かもしれない。
しかし、思わず見とれてしまうほどの美貌を誇っていた。
透き通るような青い目。それは澄んだ空よりも光を映し、どんなに高価なサファイアよりも美しい。
白く透き通った、きめ細やかな肌。それでいて、決して不健康なわけではなく、つい触りたくなってしまう。
肩までのびた、軽くウェーブの掛かった艶やかな金髪はその整った顔立ちをさらに映えさせる。
まだ若干あどけなさは劣るが、今まで抱いたどの女よりもいい。そう思わせるほどだった。

「どうした?」
女に見とれてたミカエルは、男に声を掛けられると我を取り戻し、慌ててソファに座った。

「よくお越しいただいた。ユーケッドファミリー組長、ミカエル=ユーケッドと申す。以後、お見知りおきを」
その言葉に呼応して、男女が名乗りを上げる。
「ベッキーニファミリー組長、ガスト=ベッキーニだ」
「ユナ=パーリッシュと申します」

「早速だが、用件だけを伝える」
葉巻の煙を吐き、ガストがやや面倒くさそうに、しかし威厳があるように言葉を発した。
「Mr.アリタの作品はこちらが購入する。ユーケッドの購入を完全に止めるものでないが、事前に許可を必要とする。
 Mr.アリタと交わした契約書は無効であるから、付随物と合わせて即刻ベッキーニに提供すること。
 ヨークシンでの美術品の売買については、すでに他の組が販売している顧客に対して販売しないこと。
 必要があれば、わが組がいくつか紹介する。……最後に。これらは“十老頭”エスコバルの許可を得ている。よく考えることだ」

「商談」という体ではあるが、明らかに自らが上と自覚した態度は、まさに「強要」である。
しかし、ミカエルとしても、さすがにそのまま受け入れるわけには行かない。
「交渉の余地はまるでないのか」
「交渉?そんなものはまるで無い。十老頭がいまだに動いていないことにむしろ感謝いただきたいところだ」
「しかし、その条件はあまりにも!」
「ご不満なら、十老頭と戦争することになるがよろしいかね」
そう言われながら一にらみされ、ミカエルは思わずすくんでしまう。

十老頭と戦争するなどあり得ない。もしそのような事態になったのなら、このような弱小組織はすぐに潰されてしまう。
しかし、この条件をそのまま呑むのも難しい。ようやく手に入れた進出の足がかり。それが根底から覆されてしまう。

答えの出ない回答に逡巡するミカエルを見かねたのか、先ほど「ユナ」と名乗った女が助け舟を出してくれた。
「それが無ければしのぎが成り立たない、とおっしゃるのであればある程度の金額を支払っても構いません。
 必要でしたらいくつか紹介しましょう」
「それに」とユナは付け加えてミカエルの目を見つめる。そのしぐさに、思わずドキリ、とする。
が、次の言葉を聞いてすぐに凍り付いてしまった。
「十老頭とのコネが欲しいんですよね?多少の口利きくらいはできますよ」
「……なぜ……それを」
「やさしいあなたの組員さんが教えてくださいました。あ、拷問とかはしてないので安心してくださいね」
子供が、嬉しそうに自らの宝物を自慢するような笑顔。
それも、このような美女がするのだから、「天使の笑顔」という表現がぴったりである。
……が。その内容はミカエルを恐れさせるに十分であった。
この様子では、自分たちのことがどこまで知られているか分からない。

「わかった」ミカエルはそう告げようとした。それしか、ここを切り抜ける方法は無い。
だが、それをガストはさえぎる。
「さすがに見ず知らずの組織に、そこまでやる義理はねえ。傘下に入るってんなら面倒はみてやるが」
この一言を聞いて、ミカエルはようやく彼らの狙いを察する。
もちろん縄張りを荒らされたという怒りもあったろう。しかし、彼らにはそこまで重要なことではなかった。
多少のしのぎを削ってでも、手足を増やし拡充を行う。そして、アガリを奪えればよい。
そういうことだろう。
そこまで分かりながら、しかし、ミカエルには肯定の意思を示す以外のことは出来なかった。



「旦那様、本日はありがとうございました」
屋敷に戻り、車から降りたガストに対し、ユナは謝辞を告げる。
その様子を見ながら、ガストはにんまりと笑う。そこには、先ほどまでの威厳はかけらも無い。
「何、かわいいユナの頼みだからな。このくらいは容易いものだ。……ところで、今夜は仕事はあるか?」
「今回の報告書と、アリタ氏の作品の販売案の策定が残ってますが。……何か?」
ガストは、先ほどまでのどことなく娘を見るような表情から一変させ、下卑た笑いを浮かべた。
「それらは別に明日でも良い。今夜俺の部屋に来なさい。」
一方、ユナはその言葉を聞いて不思議そうに首を傾げる。
「……今夜はフィリアさんの予定だとお伺いしておりましたが、よろしいのですか」
「ああ。今日のお前を見たら久々に、な。早めに来い」
そう告げると、ガストはさっさと屋敷に入ってしまった。
フィリアさんに告げてあげないとな。その後姿を見ながら、ユナはため息と共に呟いた。

フィリア=モリスとは、3年ほど前にこの屋敷に来た女性であり、ユナと並ぶガストの“愛人”である。
年齢は詳しくは分からないが、ユナとさほど年齢は変わらないはずだ。それゆえ、二人は話が合う。
……これは全くの余談だが、ガストの愛人が二人とも十代のため、組員はこっそり「ロリコン」と呼んでいるらしい。

部屋に戻ると、ユナはサンベエの元に電話をかけた。当然、交渉が上手くいったことを伝えるためである。
「うむ、僕は大変満足だよ。で、僕の作品の受け渡しについてはどうすればいいのかな」
「詳しいことはまだ決めてないので、また後日。契約書を持っていきますので。
 ……できれば、もうあんな山登りたくないのでこっちに来て欲しいですけど」
「残念ながら、そのような時間は僕には許されていないのだよ。僕の才能を活かすためには、少しでも時間が必要だからね」
予想通りの回答だが、それでもついげんなりしてしまう。

「……分かりました。ところで、ゼパイルさんはそちらに無事いらっしゃってますか?」
「ああ。来ているよ。彼なかなか見所があるよ。僕の芸術性をきちんと理解できているのだからね。変わろうか?」
「いえ、無事ならいいんです。よろしく伝えてください。わがまま聞いてもらってすみません」
そう告げながらも、ユナはゼパイルとの会話に思考が移っていた。

「……もう贋作を作りたくない?」
骨董品の贋作家の一人、ゼパイルからそう告げられたのは数日前のことだった。
いつもどおりに作品を受け取り、車に積み込んだところで「話がある」と呼び止められて聞かされたのがこの内容だった。
この業界では別に珍しいことではない。やはり、人をだますということは良心が痛むのだろう。
ただ、大抵の人は別の幹部に告げるかこっそり夜逃げするかのどちらかであり、ユナに直接この話をしたのは彼が初めてだった。

「ああ。俺も生活に困って贋作を作っていたけどな。今はそれなりに目利きも出来るようになったし、金はどうにかなる。
 鑑定士として生きていくつもりだと伝えてくれ」
「難しいですね。マフィアは金づるをそうそう手放しません。たいした品物を作っていなかったとしてもね。
 どうしても、というのならヨークシンから出て行かないと」
「……そっかあ、そうだよなあ」
「どうしてもヨークシンでやりたいのであれば、ほとぼりが冷めるまで隠れることですね。紹介しますよ。200万Jで」
その言葉を聞き、ゼパイルの口からため息が漏れる。
「……俺が今、そんな大金持ってると思うか?」
「証文書いてくれれば、借金でいいですよ」
「そうか、じゃあ頼むわ。善は急げ、というからな。早速準備させてもらう」
あまりにも意外な回答に、ユナは目を丸くした。
「仮にもマフィアの一員である私の言うことをそんな簡単に信じていいんですか?そもそも、なぜ私にこんな話を?」
「んー」としばらく考えてから、ゼパイルは答えた。
「別に理由なんてねえよ。強いて言えば、あんたは話を聞いてくれそうだからかな」
この回答は今でも忘れられない。どこまでこの人はお人よしだというのか。

「――ユナ君、聞いているのかい」
サンベエの声に、はっとユナは我に返る。正直、大半が自慢話だったので、聞いていなくても大して問題は無いのだが。
とはいえ、さすがに話を全く聞いていないのはよろしくない。今後は大事な取引先だ。
平謝りするユナに対し、サンベエは静かに告げた。
「……しかし、君も結構お人よしなんだね」
「なんのことですか?」
「ゼパイル君のことだよ。話は聞いてる。普通なら上に報告するところなのに、リスクを背負って僕にかくまわせるとはね」
「ああ。お金のためですよ。ゼパイルさんから聞いていませんか?」
「本当にそうかな?」
試すような口調に、ユナはだんだんイライラしてきた。
「……何が言いたいんですか」
「さっきから言っているだろう。君はお人よしだと」
その言葉にカチンと来たユナは、「私、お人よしじゃありません!」と声を荒げると、電話を切った。

「はぁ」少しして、ユナはため息を吐く。
「ちょっと悪いことしちゃったかな。何で私こんなにイラついたんだろう……」
ポツリと出た呟きに、答える者は誰一人いなかった。



[27521] 04話 偽りの愛情・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/16 02:35
ガスト=ベッキーニは葉巻をふかしながら、唸っていた。
手には一枚の紙。通常であれば、何らかの報告書を連想するところだろうが、そうではない。
記述されているのは詩。もっとも、それはただの詩ではない。
聞くところによれば、100%当たる予知だそうだ。

最近勢力を強めてきたマフィア……ノストラードファミリー。その組が抱えている、占い師の予言だそうだ。
もっとも、最近田舎から出てきた組織だ。どうにも信用なら無い。しかも、占い師はまだ小娘だというではないか。

そのノストラードファミリーを半ば強引に紹介され、試しに占ってもらった。
しかし、その占いの内容が全くといっていいほど理解できない。
煙を吐き出しながら、もう一度紙に目を落とした。

 綺麗な薔薇が魔女を刺す
 貴方は薔薇を折らねばならぬ
 魔女の頼みを断らぬこと
 あなたを守る大事な眼だから。

 非常な現実があなたを襲う
 大事なものほど見捨てなさい
 魔女との契約を守ること
 紅蓮の夢を見たくなければ

――何を言いたいのかがさっぱり分からない。薔薇?魔女?一体何を指しているのか。
内容を読む限り、その二つは対立し、俺は薔薇を倒さないといけないようだが。
もっと分からないのは二つ目だ。非常な現実とは何のことだ?

結局、ガストが出した結論は「分からない」だった。もしこの占いが当たっているのならば、そのうち理解できるだろう。
そのように判断し、思考から追い出すことにした。
……しかし、もし彼がこの意味を理解できていたら、未来はもう少し変わっていたかもしれない。




    第04話 偽りの愛情・1





リンゴーン空港。ヨークシンシティから少し離れた郊外に位置する、ヨルビアン大陸最大の空港である。
都市圏からは離れているものの、世界最大のオークションが開催されるヨークシンにもっとも近い空港という関係上
この空港の役割は大きい。

その中の一台の小さな飛行船。その中にユナはいた。
この飛行船はベッキーニファミリーの貸切であり、乗組員以外は組の人間は乗っていない。
外の太陽の光が眩しい。空港の外は荒野であり、初夏のこの時期は日差しが強い。
ぼんやりと暑そうな外を見ながら、ユナはこれまでのことを思い返していた。



「ユナ、ちょっといいか」
昨日の夜、屋敷に戻ったユナに対し、一人の女性が声をかけてきた。
非常に背が高く、スタイルも良い。かといって、痩せ過ぎているわけでもない。
その目つきがキツイ性格を思わせるが、まあ美形と言ってよいだろう。
彼女はライラという。この組では、ファルグと並ぶ武闘派である。
ユナもこの組に入ってから長いが、あまり仕事が合わないためか、ろくに話した記憶が無い。
その彼女が自分に何の用だろうか。疑問に思いながらも、答えないわけにはいかない。

「あ、ちょっと待ってもらえますか。今日の内容を報告書にまとめて、旦那様に報告しないといけないので」
「そう、だな。それはそう。終わったら、アタシの部屋に来てちょうだい」
ライラはそれだけ告げると、ぷいと振り返って戻っていった。
クールと言えば聞こえはいいのだが、相変わらず何を考えているのか分からない。
あまり話さないのは、彼女のそういうところが苦手だということもあるのかもしれない。

ユナがライラの部屋を訪ねたのは、それから一時間後。
軽く深呼吸をしてから、部屋の扉をノックした。
「入って」部屋の中から声が聞こえ、静かに扉を開ける。

中では、ライラが丸テーブルの側に置かれた椅子に腰掛けていた。
テーブルの上にはコルクが開いている赤ワインとチーズにクラッカー。
彼女の側にあるグラスには、既にワインが半分ほど注がれていた。

「そこに座りな。あんたも飲むかい?」
そう言いながら、ライラは椅子から立ち上がり、食器棚から新しいグラスを手に取る。
「あ、いえ、私は……」
言い終わる前にユナの前にグラスが置かれ、ワインが注がれる。
しぶしぶと、そのワインに口をつける。……けっこうおいしい。いいワインじゃないか。

「……これは、ボスにも機密である仕事。決して他言してはいけない」
そう告げるライラの目は険しく、思わずつばを飲み込んでしまう。
組長にすら言えない仕事など、存在してよいのか。そんな疑問を発することは到底出来なかった。

ライラはワインを一口嘗めると、軽くため息を吐き、話を続けた。
「ボスは十老頭を裏切っている疑惑がある」
思わぬ内容に、目を丸くする。十老頭の恐ろしさを分からない人間など、この世界には……少なくともマフィアにはいない。
組長の立場にいる人間ならばなおさらだ。一体、なぜそのようなことを?

ライラの話を要約するとこうだ。十老頭の一人“麻薬王”マリオ=エスコバル。
彼の麻薬の流通ルートの一部があるマフィアによって侵害されている。
調査の結果、そこに絡んでいるマフィアの一人として、ガスト=ベッキーニの名前が挙がったらしい。
ちなみに、ベッキーニファミリーは、遠縁ではあるもののエスコバルの傘下に当たる。
つまり、事実であるならば完全な裏切り行為であり、父親の顔に泥を塗る行為。
当然エスコバルとしては見過ごせない事態となる訳だ。

話を聞き、ユナは思わずため息を吐いた。まさか、ここまで重い話だとは思わなかった。
「……で、私に何をして欲しいんですか」
「ボスに上手く取り入って、証拠を押さえること。シロだったらそれでよし。何も無ければ十老頭に報告しないといけない。
 ……ただ、いきなり『はい、そうですか』とは言えないだろう?だから、明日依頼人に会って欲しい」
「あ、明日!?」
あまりにも急すぎる話に、思わず声が大きくなってしまう。

「明日何かあるのかい?」悪びれも無く言うライラの姿に、つい憤慨してしまう。
「当たり前じゃないですか!私だって暇じゃないんです!今日いきなり言われたって困ります!」
思わぬ攻勢に、今度はライラの方がたじろいてしまう。しかし、ユナの言葉は止まらない。
「……そもそも、まだ“疑い”の段階なんですよね?だったら、まずその証拠を提示していただかないと。
 それにリスクも大きすぎます。下手に動いてベッキーニファミリーを敵に回したときに、私をどこまで助けてくれる保証があるんですか?」
「しかしな、下手をしたら十老頭に目をつけられるような事態になるんだ。
 そこを何とかやってくれないか?」
「話になりません」そう告げて、ユナは席を立つ……が。

「一応、報酬は500万ジェニー、前金が100万ほどあるんだが」
この言葉を聞くと即座に座りなおしてライラの両手を握り、
「や、やだなあ。誰も受けないなんて言ってないじゃないですか。あ、あはは……」と、乾いた笑いを浮かべた。
その様子を見て、ライラは「あんた、本当に現金だよ」と呟かずにはいられなかった。



そうして、ユナはリンゴーン空港にやってきた。何でも、その依頼人はヨークシンからかなり離れた場所にいるため、
飛行船で移動しないといけないそうだ。おかげで、ガストから休暇をもらうのにだいぶ苦労した。

「とりあえず、聞きに行かないとな」手に持っていた携帯電話をバッグにしまい、そう呟いた。
ライラ本人に聞くわけには行かない。ユナは、ともに来た二人の男を思い浮かべた。
ビックスとウェッジ。詳しくは分からないがライラの部下だったはずだ。
どちらかに聞けば詳しい事情は分かるだろう。……ただ、どっちがどっちだか分からないのだが。



部屋でうたた寝をしていたウェッジは、扉をノックする音で目が覚めた。
「はい?」ライラが何か用事を言いつけに来たのだろうか。それとも、何か失敗したか?
しかし、彼の思惑に反して、返ってきた答えは意外なものであった。
「ユナです。ちょっと開けてもらっていいですか?」
思わぬ声の主に、若干緊張しながらも扉を開ける。
そこには、確かに金髪の少女がいた。もともと美術関連の商売をしている彼女とはなかなか接点が無い。
それゆえに、彼女が訪ねてくれたということはそれだけでなかなか嬉しいものだ。
「どうしました?」
「ちょっと聞きたいことがありまして……中に入れてもらってもいいですか?」
よし、ついてる!そう思いながらウェッジは部屋の中に促した。
後ろで扉を閉める音がする。
「ああ、ところで何か――」
飲み物でも、と言いそうになったところで、ウェッジは固まった。



ユナが自分に対して銃を突きつけていたからだ。

「な、何を!?」慌てるウェッジに対し、ユナは至極冷静に質問を投げつけた。
「あなたたち、何を企んでるんですか」
その瞳に、先ほどまでのあどけなさは無い。戦闘とは無縁といっても、彼女もマフィアの一人。
このような行為には慣れっこということだろう。

「言ってる意味が分からないが……」
ウェッジのその言葉に、クスリと嘲る様な笑みを浮かべる。
「知ってました?旦那様ってけっこう自慢をしたがる性格なんですよ。
 それはもう、黙っていなきゃいけないことをつい話してしまう程に」
何を言いたいのか分からない回答に、ウェッジは何も言い返すことが出来ない。
「特に私にはいろんなことを話したがりましてね。それこそ、組の存亡に関わるような話もいくつか聞いてます。
 ……そんな私が、麻薬の話を聞いていないなんておかしいんですよ。もっとヤバイ話を聞いてるくらいなのに」
「それに」と、困惑しているウェッジに対して、続けるように言い放った。
「私って結構会計事情を知ってましてね。へそくりの位置やその金額も聞いてるくらいです。
 麻薬の仕入れルートや販売先については言わずもがな。そんな私が気づかないわけが無いでしょう」
言ってて「私どれだけ仕事してるんだよ」とちょっとへこみそうになったが、それはそれ。
今は目の前の男から事情を聞きだすことが先決である。

ちなみに、ユナが裏があると知りつつもついてきたのは真相を知り、組織の脅威をなるべく排除しようという忠誠心
……などではなく、前金の受け取りと、これをネタに脅すことでさらに金を取ろうという魂胆のためだったりする。

「お、俺は何も知らない!本当だ!ただ、ある人に会わせるように言われて――」
「ある人?」
ユナの疑問に、「しまった」という表情で口を押さえるウェッジ。なんとも分かりやすい。
「ある人って誰ですか?」
「い、言えねえ。消されちまう」
「……つまり、それほどの力を持っている人間だと。マフィア関連ですか」
「もっと恐ろしいお方だ。」
その言葉に、疑問が浮かんだ。――マフィアより恐ろしい?一体どんな存在なのか。
そこまで考えていた、その時。

「おしゃべりなのは関心しないねえ」
不意に後ろから声がし、慌てて振り向くとゆっくりと扉が開く。そこから、ライラが姿を現した。
銃を突きつけられても、その顔には余裕すら見える。
それも当然かもしれない。ベッキーニファミリーの中でもファルグと並ぶ実力者だ。
「ライラとは闘うな。逃げろ」ファルグのその言葉が脳裏に浮かぶ。

とはいえ、この状況ではどうしようもない。銃を向け、何とか事態を収拾させようと思考を巡らせる。――が。
「痛ぅっ!」
右手に走る痛みに、思わず銃を離してしまう。カランカラン、と音が響く中、
ユナは今起こった事態が理解できず、必死に考えを巡らせていた。
……一体何が?

ライラは全くドアから動いておらず、ユナとは1mほどの距離がある。
さらに、銃を発射した形跡もなく、手に武器すら持っていない。
にもかかわらず、硬いゴムか何かで叩かれた感触が右手に残っている。
さらに“それ”には棘のようなものがついているようで、
右手をよく見るとところどころ穴が開いたように出血している。

事態を理解できないユナを尻目にライラが右手を横に振るうと、
床に落ちている拳銃が何かに弾かれたように、ライラの方に転がっていった。
「なっ…!」
目の前で起こったあまりにも不可解な事態。
にもかかわらず、ライラはさも当然のような顔をしていることが一層不気味さを増した。

「あんたにはちょっとお仕置きが必要だねえ」
ライラはそう告げると、おもむろに右手を振りかざし、叩きつけるような動作をした。
その瞬間、ユナの左肩から背中に掛けて激痛が走った。
あまりの痛みに声を上げることもままならず、その場に倒れこむ。ウェッジが慌てたように口を開く。
「か、顔に傷をつけるとあの方に…」
「分かっている。……体は存分に痛めつけさせてもらうけどねぇぇぇぇっ!!」
乾いた音と狂ったようなライラの笑い声だけが部屋に響く。
ユナは、ひたすら体に“何か”を打ち据えられる痛みに耐えていた。

――なぜ、ライラは何も持っていないのに、ユナにここまで痛みを与えることが出来るのか。
――ベッキーニ組を敵に回すリスクを負ってまでユナを誘拐したのはなぜか。
――これから先、ユナをどうするつもりなのか。
これらの疑問は、痛みによって押し流され、やがて完全に意識を失ってしまうことで考える機会を失った。

ライラがユナを叩くのをやめたのは、ユナが気絶してから実に10分ほど経過してからである。
何の反応も示さないことをつまらなく思っているかのような視線を飛ばし、ウェッジに話しかける。
「……ユナを空き部屋に連れて行き、椅子に縛り付けておきな。ビックスと交代で見張りをするんだ。銃は私が預かる」
そう言い残すと、ライラは拳銃を取り上げ、部屋を出て行った。

……今度は自身が致命的な見落としをしていることに気づかずに。



[27521] 05話 偽りの愛情・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/30 02:19
「はい……はい……分かりました。はい。明日の昼にはそちらに着きますので。……はい、よろしくお願いします」
ふう、とため息を吐きながら、ライラは携帯電話を切った。相手はこの仕事の取引先。
正直なところ、ライラにもその人物の素性は良く分かっていない。
分かっているのは十老頭にごく近い人物だということ、強大な権力を持っているということだけだ。

ケイツ=ラビオストリ。“十老頭”マリオ=エスコバルの右腕と名乗る人物である。
そのような地位であるにもかかわらず、ライラはその名を聞いたことが無かった。
胡散臭いことこの上ない。それでも、縋らない訳にはいかなかった。

「……本当にこれでよかったのですか?フィリア様……」
ポツリと呟かれた言葉に答える者は誰もいない。他に誰もいない部屋の静寂へと消えていくだけだ。
漆黒の帳が落ち、ところどころに煌く灯りが見える外を眺めながら、ライラは物思いにふけった。



「ていうかさぁ、あのコ、すごいジャマじゃなぁい?」
鼻に掛かったような声で、黒髪の少女――フィリア=モリスはライラに向かって笑いかけた。
くりくりっとした大きな目がかわいらしく、口調も無邪気そのもの。そこだけ見ればなんと微笑ましい光景だろう。
しかし、その裏に見え隠れする悪意を感じ取り、ライラは若干身構えてしまった。

「邪魔、と言いますと」
「こないだもさぁ、わたしがぁ、ボスとぉ、ねる番だったのにぃ、取られちゃったんだよねぇ。
 そりゃぁ、わたしもぉ、あんなオヤジとぉ、ねたいわけじゃないけどぉ、でもムシされたみたいでぇ、ムカつくんだよねぇ」
なんと返したらよいか分からず、無言のままのライラに対して、さらにフィリアは続けた。「消しちゃわなぁい?」と。

「フィリア様の申し出と言えど、それはさすがに受けられません。
 もし、それがばれて今度はフィリア様が消されるような事態になりますと――」
「だいじょうぶよぉ。マリオの側近にぃ、後シマツをおねがいできる人がいるからぁ」
ライラの言葉を遮り、フィリアは頬を膨らます。まるで子供のわがままだ。いや、事実、子供か。
そして、この子供はかなり頑固だ。こうなってしまっては、なかなか意思を覆さないだろう。

結局、ライラの方が折れ、今回の計画を算段することとなった。ユナを誘拐し、ケイツに売り払う。
見返りとして、ベッキーニファミリーに対する十老頭の更なる庇護をお願いする。
当然、ボスには話していない。こんなことを話せば反対されることは目に見えている。一人でやるしかない。
犠牲となるユナはかわいそうだが、フィリアとの比較は出来ない。
彼女は命の恩人だ。組に入るよう便宜を図ってくれたのは彼女だ。でなければ、今頃は路上で垂れ死んでいただろう

それに、自身もユナに思うところが無いわけではない。
ボスに抱かれているくせに、なぜあそこまでファルグと仲が良いのか。
あの女よりも、自分のほうがよっぽど彼のことを――。




    第05話 偽りの愛情・2




「あの女はどうしてるだろうねえ」
思考の海から戻ったライラは、ポツリと呟いた。先ほどは、腹が立っていたとはいえやり過ぎてしまった。
一応、献上物として差し出す女だ。命に別状は無いとは思うが、様子は確認しておいたほうがいいだろう。
そう考え、ライラはウェッジに電話をかけた。……もっとも、今見張りをしているのがどちらかは分からないのだが。

電話帳から探すのにも苦労したが、何とか番号を探し出し、電話をかけた。しかし。
「……つながらない?」まるで通話中であるかのように、「プーップーッ」と音だけが返ってくる。
休憩中か?そう思い、ビックスの方に電話をかける。今度は、ちゃんとつながった。

「ビックスかい?」
「へえ。ライラさん、どうしやした?」
「なに、ユナの様子はどうかと思ってね」
「ずうっと、あのまんまですよ。部屋からは音一つ無い。中をたまに覗いても、椅子の上でぐったりしてまさあ」
「死んじゃいないだろうねえ?」
「たまに寝息が聞こえるので、大丈夫だとは思いやすが」
「そうかい。ならいいさ」
そこまで言って電話を切ろうとしたが、ふと思い出し、尋ねた。
「そういえば、ウェッジには電話がつながらなかったけど、話し中かい?」
「へえ、今休憩中なんすよ。大方、女と話してるんじゃないすかね。何か用でも?」
「ああ、いや、別に用は無いさ。ちょっとつながらなかったから、気になってね」
そう告げ、電話を切った。画面を見ると、時刻は九時を過ぎている。
あまり仕事中に電話をして欲しくは無いが、まあ休憩中ならいいだろう。
そう結論付け、机の前の書類に向き直る。全く、どうにも書類仕事これは苦手だ、と思いながら。

いつの間にか、書類の前でうたた寝をしていたライラは、突然けたたましく鳴った電子音で起こされた。
音源はすぐに分かった。自分の携帯電話の着信音だ。発信者を見ると、ビックスの名前がある。
時刻は日付が変わってすぐ。こんな時間に何のようだ、と訝りながら電話を取った。
「ライラだよ」
「た、大変す、ライラさん!すぐ来てください!どうしたらいいんか分からないんでさあ!」
「落ち着きな。何が言いたいのか分からないよ。どうしたのさ」
「ゆ、ユナが部屋にいないんす」
「何だって!?」
予想外の事態。椅子に縛り付け、部屋には鍵をかけ、交代で見張りを立たせている。
そのような状況で、どうやって逃げ出したと言うのか。だが、ビックスの話はそれで終わってはいなかった。
「そ、それと……」
「どうした?」
「あの、ウェッジの奴も……その、いないんす」
……やられた。確かに、一人で逃げるのは難しい。しかし、見張りの一人を味方に付けたとしたら?
鍵も持ってるし、見張りのスケジュールも知っている。脱出はたやすいはずだ。
――だが、どうやって?
「あ、あの、ライラさん?」
物思いにふけっていたライラだが、ビックスの声で我に返った。そう、今は原因を考えるべき状況ではない。
今どうするべきかを考え、行動するべきなのだ。
「今、どこにいるんだい」
「ユナを見張っていた、あの部屋の前でやす」
「そこで待機だ。すぐにそっちに行く」

扉を開けると寒気が流れ込み、思わず身震いをした。
飛行船は今動いている様子が無い。灯りが近くにあることから、補給のために空港に停泊しているようだ。
どうにも嫌な予感がする。ライラは扉を閉めると、ビックスの元へと急いだ。

「ライラさん!」
ビックスはライラのことを見つけると、大声で叫んだ。体が震えているのは、寒さのせいだろうか。
「部屋の中を見せな」
「へえ」
ビックスはそう答えたが、扉は既に開いていた。中を覗くが、確かに誰もいない。
ユナを縛り付けていた椅子には、ロープが置かれている。切断面が見えることから、刃物を使用したのだろう。

「ちょっといいすか」
ライラの検分が終わる前に、ビックスは声をかける。思考を止められたことが、少し腹立たしい。
「何だい?」
「あ、あの、この風なんすけど、どっかの扉が開いていると思うんすよ」
「それで?」
「つまり、奴ら既に非常口から脱出したってことは……」
「その可能性は確かにある。しかし、中も探さないことにはまずいだろう」
「しかし、逃げられたのなら、早く追いかけないと手遅れにならないすかね」
この下に何があるか分からない暗闇の中、飛び降りるようなものか。そう思ったが、だからこそ降りたのかもしれない。
完全に堂々巡りである。このまま悩んでいても解決はしないだろう。

「とりあえず、外に逃げたか探ろうか。非常口から出た形跡があるか調べる」
「へえ、こっちでさあ」
言うなり、すたすたとビックスは風の来る方向に歩いていった。ライラも、途中の部屋に目配せしながら付いていく。

ゴンドラの最後尾。そこの扉が大きく開け放たれており、寒気が流れ込んでいた。
しゃがみこみ、床を観察する。血痕が無いか確かめるためだが、よく考えればユナを叩いたのは昼間だ。
とうに血は止まっているだろう。

「ライラさん、あれ」
ビックスが指差した先は、地面であった。そこには、飛び降りたであろうハイヒールの後がぬかるみに残っている。
そして、その足跡がアスファルトにまで延々と伸びている。
「これって、やっぱりここから出ていったってことなんでやしょうか」
「そうだねえ……」





「上手くいったでしょうか……」
部屋の中で、不安そうにユナはポツリと呟いた。
「大丈夫だって、ビックスが上手くやってくれてるはずだしさ」
一緒にいるウェッジが話しかけてきた。その口調はどうにもご機嫌を取ろうとしているようで鬱陶しかったが、口には出さない。
協力してくれているだけ御の字だ。

ウェッジは大丈夫と言っているが、やはり不安感は拭えない。ユナは元々気の小さいほうだ。
この作戦も、上手くいく保証は全く無い。
――ライラを外に追い出し、その隙に飛行船で逃げるというこの作戦も。

ユナは確かに見張りを味方に付けていた。しかし、それは一人ではない。二人だ。
今二人がいるのは、ビックスとウェッジの休憩室。つまり、飛行船の中である。
ビックスがライラに対して言っていたのは完全な狂言。ライラを外におびき出すための演技だ。
二人が逃げ出したと思わせて外を探させ、その隙にビックスが飛行船に戻って離陸し、逃げる。
それだけの、非常に単純な作戦。

そして、これを実現するために大切な要素は二つある。
一つは、ビックスがライラを外に出すこと。そのため、ビックスの協力が必要だ。
そしてもう一つは、自分の合図で飛行船が飛び立つこと。当然、飛行船の乗組員全員の協力が必要だ。
――つまり、ユナはライラを除く飛行船の搭乗者全員を味方につけていたのである。

通常であれば、それはなかなか難しいだろう。だが、マフィアの一員としての権力と金、そして何より“能力”がそれを実現させた。目の周りにあるもや。以前は全く見えなかったものだが、目が覚めると見えるようになっていた。
もっとも、目以外の部分からは、もやは少しだけ、それもまばらにしか出ていない。目だけがその量が多いのだ。

そのもやを集めて、相手と目を合わせる。
そうすると、ほとんどの人は顔を赤らめ、あるいは笑みを浮かべ、自身に対して好意を持ってくれているのが分かる。
以前から、この感覚はあった。“力”を目に集めて見れば、自分に友好的になってくれる。
しかし、以前よりも“力”が増しているように感じられる。それも全てこのもやのせいであろうか。
ふと、あの山で、口づけをして自分の言うとおりにサンベエを従わせていたあの女を思い出す。
自分も見るだけでそのようなことが出来るかもしれない、出来たらいいと思ってはいた。
ひょっとして、これはそういうことなのではないか。

ふと気が付くと、ウェッジがかなり近い位置にいる。体を触ろうとしていることから、性欲を持て余しているのだろう。
――これがこの“能力”の欠点。協力してくれるのはいいのだが、あくまで“好意”を持つだけだ。
それがどのように作用するか分からないし、狙ったとおりのことをしてくれる訳ではない。
また、相手が男性ならば――場合によっては女性でも――性の捌け口にされる可能性はある。

本当にこの能力は私そのものだな。自嘲気味な哂いを浮かべながらも、ユナはウェッジの唇に指を押し当てていった。
「まだだめですよ。上手くいったかどうか確認が取れてからです」
コクコクと、勢いよく頷くウェッジを見て、ユナは満足げに指を離した。
……もっとも、確認が取れてから「何をしてよいのか」をユナは明言していないのだが、そこまで頭が回らなかったようだ。

チクリ

左肩に、微弱な痛みが走る。まだ肩を“何か”で殴られた痛みが治まっていないのかな。
そういえば、私を殴った見えないあれはなんだったのだろうか。

そう思っていると、携帯電話の振動音がした。懐から携帯電話を取り出す。
ちなみに、これはユナのではない。ウェッジの携帯電話だ。
彼女のはライラに取り上げられてしまっているので、ウェッジのを使用しているのである。

「上手く外に出した。早く離陸してくれ……ですって」
メールを読み上げたユナは、すぐに船長に電話をし、離陸をさせた。
ふう、と安堵のため息が漏れる。あとはビックスが戻ってくるのを待ち、次の停泊所まで待つだけだ。

チクリ

気を抜くと、また左肩に痛みが襲う。病院いったほうがいいかもなあ、などとぼんやり考えていた。

ふと、ドアをノックする音がした。「早く入れ、ビックス」ウェッジが声をあげる。
そして扉が開き――





「かくれんぼは終わりだよ」
二人は固まった。そこにはライラに後ろからナイフを突きつけられ、青ざめたビックスがいたからだ。



[27521] 06話 偽りの愛情・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/05/30 02:20
漆黒の闇の中を飛ぶ飛行船。その客室の一つで、二組の男女が向かい合っていた。
しかし、その様子はおよそ普通とはかけ離れていた。

一組は事態が呑み込めず、立ったまま言葉を発することが出来なかった。
もう一組は、女が男にナイフを突きつけているという異常な状況であった。
男は恐怖に身を震わせ、女――ライラはしたり、と言う顔で言葉を発した。

「全く、あんたも甘いねえ。三人がグルで、アタシを外に出そうと言う算段だったんだろうけどさ。
 出口にあったあんたの靴の跡。あれがひどかった。
 ぬかるみにははっきりと足跡が残っていたのに、その先のアスファルトには泥が残ってなかったんだからね。
 大方、アスファルトの前まで歩いてそのまま引き返したんだろう。
 ――それに、ウェッジと一緒に逃げたのなら、なんであんたの足跡しか残ってないのさ」

短時間で考えたとはいえ、さすがに穴だらけだった。
確かに、あの暗闇の中、アスファルトに泥が無いことが分かるとは思っていなかった。
しかし、それ以外のミスがひどかった。かえって、こんな小細工をしなかったほうがいいくらいだ。
一瞬、ユナの脳裏にそのような後悔が駆け巡るが、それもすぐに打ち消されてしまった。




――目の前で、ビックスの喉が切り裂かれてしまったからだ。

驚きのあまり、言葉が出ない。ユナやウェッジだけでなく、ビックスも事態が飲み込めないようだった。
「え?」呆けた声をあげたビックスは、手を喉に当て、すぐに離して血に塗れた己の手を見た。
「――――――っ!」何かを叫ぼうとしたのは理解できた。しかし、それは許されず、喉から血が噴出すばかり。
そして、そのまま倒れこんでしまった。




    第06話 偽りの愛情・3




「……どうして……」真っ青な顔をしたユナとは対照的に、ライラは眉一つ動かさずに答えた。
「裏切り者に用は無いよ。……もちろん、ウェッジにもね」
「うおあああああああああああああああああああ!!」
ライラが言い終わる前に、ウェッジは銃を取り出すと、引き金を何度も引いた。
立て続けに発射された銃弾が、ライラに襲い掛かる。

しかし、それらがライラに届くことは無かった。すべて地面に落ちてしまったのだ。。
否、正確に言えば叩き落された。――ライラが右手に持っている、ぼんやりと光る鞭によって。
さっきまで持っていたナイフは左手に持ち代えられている。しかし、いつの間にあんな鞭を用意したのか。

「あ……、あ……」弾切れになったのだろう。「カチ、カチ」としか音が鳴らない銃の引き金を、それでも何度も引いていた。
何度も。何度も。何度も。たとえ出ないと分かっていても。
――認めない。こんな化け物。そんな風に言いたげに。

「終わりかい?」うんざりするような仕事が終わったかのような口調で、ライラが言った。
かと思うと、風を切る音が横を通り過ぎる。その意味が分からずに振り返ると





――ナイフが頭を貫通し、一瞬遅れて血が噴出したウェッジの姿があった。

まるで、ちょっと邪魔な虫を殺すかのように難なく人を殺すライラに、鳥肌が立つ。
歯の鳴る音が止まらない。正直、ここまで絶望的な相手だとは思わなかった。――怖い。

「安心しな、あんたは殺さないよ。……まあ、ここで死んだほうがましな生活になるかもしれないけどね」
その顔に浮かぶのは、かすかな同情。とはいえ、これまでの態度を考えると、ライラが同情をするのは不自然と言える。
それでもそのような感情を持ってしまうのは、同じ女性としての性か。

「……私を……どうするつもりですか」
「あるマフィアに売り払う。そこでどういう目にあうかは聞いていないけどね。
 まあ、あんたは今もボスの愛人だし、その前は売春宿で結構えぐい事をやらされてたんだろ?その延長と思えばいいさ」
そう言いながら、ライラが鞭を持った手を軽く動かす。
次に来るであろう痛みを本能的に感じ取り、思わず体を強張らせる。

その様子を見て、ライラは軽く首を傾げた。
「……あんた、これが見えるのかい?」
「……これ?……その鞭ですか?」
実際に自分が持っているのに、不思議なことを言う。そう思ったが、すぐにそれは違うと感じた。
昼間にも確か鞭のようなもので叩かれた。あの時は何も見えなかったが、これで叩いていたのではないか?

「いつの間に……でもオーラが……まさか精孔が……」
ライラは、こちらを見て何かぶつくさ言っている。
これはチャンスかもしれない。幸い、手にはウェッジの携帯電話がある。今のうちに何とか連絡を取れれば――。
そう思い、ユナは左手に持った携帯電話を背中に隠し、メールを打とうとする。――が。

チクリ

左肩に走った痛みのために、思わず手を離してしまう。これまでよりも、ずっと強い痛み。
「何しようとしているんだい?」
見ると、ライラが薄い笑みを浮かべていた。見下すような、希望を打ち砕いて得意になっているような、そんな笑み。
「これ……あなたが?」
根拠は無い。ただの憶測。しかし、ユナはほぼ確信していた。

「……昼間、あんたを鞭で叩いたろう?そのとき左肩に棘を刺したのさ。
 一旦刺しちまえば、アタシの意思で痛みを与えることができるんだよ」
自分の意思で痛みを自由に与えることが出来る?そんなことができるのか――?
「それに――」とライラは、思考が追いついていないユナを無視して言葉を繋げた。
「アタシは、その棘がどこにあるか感知することが出来るんだ。あんたがどこにいようとね。
 あんな姑息なまねをしたところで、無駄だったのさ」
そう言いながら、鞭を振り下ろす。床を叩く音が響き渡り、思わずユナは体をすくませる。

「そんなに怖がるなよ。綺麗だろう?この鞭はさ」
そう告げて、右手の鞭を掲げて見せる。その笑みはさらに深く、さらに目の奥に敵意を乗せて。
「でもさ、一見綺麗な薔薇にも棘があるんだよ。見てごらん、この鞭の棘の数。痛そうだろう?
 だから、アタシはこれに“綺麗な薔薇には棘があるローズ ウィップ”と名前をつけてるんだよ」
そう言ったと思うと、鞭をユナに打ちつけた。鞭の痛みと棘が刺さる痛み。二重の痛みがユナを襲う。

なお、先ほどのライラの説明には一部嘘がある。ライラは変化系能力者。放出系の能力とはかなり相性が悪い。
それは即ち、オーラを体から離して運用することが苦手であることを意味している。
であるからこそ、オーラの棘を操る能力――“気づかない悪意アンダー ローズ”は怪我を負わせることは出来ず、痛みを与えることしか出来ない。
そして、20mも離れてしまうと位置を感知することも痛みを与えることも出来なくなる。
もっとも、能力を説明したことは、戦意を崩すことが目的であったから、このようなことを話す必要性は全く無かったわけだ。

何度も叩いてから、ふとライラは思い出したようにユナに尋ねた。
「そういえばあんた、いつの間に念を使えるようになったんだ?いや、そもそも使えるのか?オーラが見えるだけか?」

念。その単語には聞き覚えがあった。サンベエの元に行ったあの日に聞いた言葉。オーラというものを運用する技術。
この鞭も、その念能力か。そして、突然見えるようになったのは、このもやが関係しているのか。
いや、このもや……これこそがサンベエが言っていたオーラなのではないか?
そして、自分が使える「他人に、自分に対する好意を持たせる能力」……これが念能力というものなのではないか?

「早く答えな!」考察にふけっていたユナに業を煮やしたのか、ライラは鞭で再び叩き始めた。
思わずうずくまり、少しでも痛みに耐えようとする。
「さあ、答えるんだよ!あんたはいつ見えるようになった!?はじめから見えていたのか!?」
「……昼間に叩かれたときは、見えなかった。……さっき気が付いてから、見えるようになった」
痛みをこらえながら、何とか答える。

――少しでも、時間を稼がないと。
その考えは、思わぬ形で成功することになった。ライラがその言葉に反応し、手を止めたのだ。
「……つまり、叩かれたショックで精孔が開いたのか……。
 しかし、ショックで開いたのなら普通はオーラが出尽くして全身疲労で倒れるはず。
 元々使えたんじゃないのか?……いや、それにしては出ているオーラが少なすぎるか。纏もしていないしな……」

ユナにはその言葉の意味が半分も分からなかったが、しかし悩んでくれているのは僥倖だった。
なお、ユナは知らないが、精孔とはオーラを放出する器官のことである。念能力者はこれを開くことで念を使用できる。
また、纏とは念の基本技術で、オーラを自身の体に纏わせて防御力を高める技術である。

「精孔はほとんど開いていない……それが、ショックでなぜか目だけ開いて、オーラが見えるようになった。
 ……信じがたいが、これが自然な結論か」
ライラは一応の結論を出したようであった。時間を稼ぎたいユナにとって、これはよろしくない。

「……本当にそれだけだと思うのかしら?」
――ゆえに、楔を刺す。わずかな疑惑を広げるように。

「……は?」
「どうして私が何の能力も持っていないと言い切れるんですかね」
「……下手なハッタリはよすんだね。今は出し惜しみする状況じゃない。
 何か切り札があるんなら、とっくにそれを使っているはずさ」
――そう。理屈で考えれば、当然出てくる否定。この状況で切り札を隠し持つ必要は無い。

「……どうして、今、何も使っていないと言い切れるんですか」
「……逆に、アタシに気づかれないように何か使っているのならば、隠し通そうとするはずじゃないのかい」
「もうそろそろ隠す必要性がなくなりますから」
――しかし、理屈と感情は別。一度湧き上がった疑惑を消すことは難しい。

「例えば……」そう言って、視線を外す。ちょうど、ライラの後ろに何かがあるように。
一瞬。ライラがそちらに気を取られた隙に、ウェッジの頭を貫いたナイフを拾い、投げつける。





……が。
「甘いんだよ」
鞭で叩き落される。ここまであっさりと防がれるとは思っておらず、言葉を失ってしまう。
ユナとしては、完全に隙を突いたつもりだった。しかし、ライラにとっては隙でも何でもない。
あくびが出るほどの間である。これが埋めがたい両者の実力の差であった。

「……さて、随分コケにしてくれたねえ。どうしてくれようか」
先ほどよりも、さらに強くなる敵意。その冷たい笑みに、思わずユナの背筋に鳥肌が立った。
「とりあえず、あんたをもう一度いたぶって、眠ってもらおうか。もうこんなナメたまねが出来ないように後悔してもらってねえ」
そう言いながら、ライラが振りかぶった瞬間。





飛行船全体が揺れだした。
「何だい!?」状況を把握できず、立ち往生するライラと対照的に、ユナは慌ててしゃがみこんだ。
――そして。





ベアリング弾が窓ガラスを破りながら室内に飛んできて、ライラの右肩を直撃した。
「ぐっ!?」
ライラが痛みに悶えるのを見届けながら、ベアリング弾を飛ばした男――ファルグは飛行船に近づき、窓ガラスを割った。

「随分手ひどくやられたな。大丈夫か」
「……心配するなら、窓ガラスが掛かる入り方しないで下さい。……でも、助かりました」
「わりぃわりぃ」と、さほど反省していないような口調で謝りながら、ファルグは窓枠を飛び越えて室内に入った。

「ライラ。ボスの命令でお前を拘束する。……もう終わりだ」
一方、ライラはまだ状況が飲み込めないのだろう。「ファルグ……どうして……」そう返すのがやっとだった。

「連絡を取っていたからに決まっているじゃないですか。
 始めから怪しいと思っていたのに助けを予め呼んでいないなんておかしいですよね?」
ライラの疑問に、ユナが答える。
「……始めから……予測していたのか?」
「もちろん、最初はちょっと怪しいと思う程度でした。だから、ちょっと調べてもらってたんですよ。
 その結果を電話で聞いて、さらに裏を取ろうと思ってウェッジさんの部屋に行きました。
 そのときに、旦那様に追いかけてきてもらうようにお願いもしてました」
「まあ、あそこであなたが来たのはさすがに想定外でしたけどね」と、苦笑いをしながら付け足した。

「そして作戦を立てていたのが夜の九時ごろ。ウェッジさんの携帯電話で旦那様たちと話しをしてました。
 あなたから電話がかかってきた時は焦りましたよ」
その言葉を聞き、ライラはそのときのことを思い出す。

――そういえば、ウェッジには電話がつながらなかったけど、話し中かい?
――へえ、今休憩中なんすよ。大方、女と話してるんじゃないすかね。何か用でも?
あの時電話がつながらなかったのはそういうことか。

「そして、二段階の作戦を考えました。一つ目は、あの補給所にあなたを置いて逃げること。
 ……あそこ、最初は特に止まる予定無かったんですよ。買収して、無理に止まってもらってね。
 その代わり、私達があの補給所に隠れる訳にはいかなかった。
 航空会社からすれば、私達がいなくなってしまうと踏み倒される恐れがありますからね。
 ただ、これは残念ながら失敗してしまいました」
一つ一つ、諭すように丁寧に説明していく。本来、ここまで彼女が説明する理由は無い。
それにも関わらずここまで話すのは、性格的にこのような行為が好きなのか。

「そして、第二案。といっても、保険のつもりだったんですよ。
 旦那様達が乗った飛行船が近づいたら着陸し、合流する。
 そのときに、あなたが乗っていたらファルグさんに来てもらって、助けてもらう」
「……アタシが乗っているとは……どうやって伝えた……?」
「あなたが鞭が見えるか聞いてきた時。あなたの能力で携帯電話を落とされましたよね?
 あの時に、ワンコールかけていたんですよ。それが、あなたが乗っているという合図でした」
「……なるほどねえ」
ライラはそう告げながら、天井を仰ぎ見た。その顔からは、諦めの色が見て取れる。

「ライラ。誰の命令でこんなことをした」
「……知らないねえ。アタシの独断でやったのさ」
「嘘を吐くな。……フィリアの命令でやったんじゃないのか」
「証拠でもあるのかい?」
こう返されると、返答に詰まる。明確な証拠は無い。
が、なぜここまでしてフィリアをかばおうとしているのか。それはユナには分からなかった。
「マフィアの拷問がどんなものかは知っているだろう。話してくれ」
は、と鼻で笑い、ライラは立ち上がった。
「アタシはおとなしく捕まんないよ」
左手にオーラが集まり、それが刃物を形成している。
右手は動かせないのだろう。だらり、と垂らしたままだ。

「無駄なことを……」ファルグも手にオーラを集め、臨戦態勢に入る。
ユナは危険を避けようと、数歩下がる。そして、





――ライラはオーラのナイフで自らの喉を切り裂いた。
その光景に、思わず息を呑んでしまう。
「何を……バカなことを!」ファルグが言いながら、ライラに近寄る。
頭を抱きかかえると、ライラは何かを言おうとしていた。
……が、それは言葉にならず、ただ喉から大量の血と息が漏れていただけであった。

「どうして……こんな……」
ユナの問いかけに、ライラはにっこりと笑って答えた。
――後悔などしていない。アタシは好きなようにやったんだ。
そう、言いたげに。




帰りの飛行船の中、ユナは今までの疲労と、痛みからかぐったりと倒れこんでしまった。
頭がぼんやりとする。まだ、先ほどのライラの死に顔が残っている。
半ば夢見心地の状態で、ユナはライラのことを考えていた。

――苦手な人だったけど、でも、その生き方は嫌いじゃなかったかも。

そういえば、とふと思った。ライラは、自分の鞭に名前をつけていた。
であれば、自分の能力にも何か名前をつけたほうがいいかもしれない。

目を合わせた相手に、自分に対する好意を持たせる能力。
――“偽りの愛情ホワイト ライ”。



[27521] 07話 鍼灸師
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/06 02:46
広い室内で、二人の男性が食事をしながら、会話をしていた。
一人は、白髪でオールバックの男。顔に刻まれたしわから、相当の年齢であることが分かる。
一人は、金髪の癖毛の男。室内であるにも関わらず、なぜかサングラスをかけている。
肌は若々しいが、その雰囲気は若者のそれではない。若いようにも、壮年のようにも見える外見だ。

「そうそう、エスコバルさん。俺の部下が女を連れてくるって言いましたよね」
金髪の男の言葉に、オールバックの男――“十老頭”マリオ=エスコバルは答えた。
「ああ、言っていたな。それがどうした?」
「あれ、失敗したと報告がありました」
金髪の男がへらへらと笑いながら答える。

本来であれば、このような報告は笑いながらするものではない。
ましてや、相手はマフィアの頂点である“十老頭”の一人だ。
このような態度をとったが最後、コンクリート詰めにされるのが関の山だろう。

しかし、エスコバルは特に怒る風も無く、ただ「そうか」と答えるだけだった。
正直な話、女には不自由していない。
ただ、その相手が熱心だったことと、いい女だと聞いていたから二つ返事で了承しただけだ。
そんな些細なことで怒ってしまい、目の前の男の機嫌を損ねるのもよろしくない。
単純に組織内の地位が高いというだけではない。陰獣に匹敵するほどの実力を持つ念能力者は貴重だし、
何よりも“幻影旅団”という強力な組織と太いパイプを持っていることが重要だ。

幻影旅団。団員数わずか13名という少なさでありながら、A級の賞金首となっている盗賊団である。
もっとも、実態は盗賊というより強盗に近い。全員が念能力者であり、しかも実力はかなりのもの。
眉唾物だが、目の前の男に言わせると、「陰獣よりはるかに強い」らしい。
ただ、その実力ゆえに強引に奪ってしまうことが多く、秘密裏に進めて欲しいデリケートな依頼は任せられない。
……もっとも、これはあくまでエスコバルの印象であり、実際は違うのだが。

そこで、ふと思い出したかのようにエスコバルは尋ねた。
「そういえば、ケイツ。蜘蛛を動かすと言っていた例の件はどうした」
ケイツ、と呼ばれた金髪の男は、残ったワインを一息に飲み干して答えた。
ちなみに、蜘蛛というのは幻影旅団の俗称である。
蜘蛛の刺青をシンボルにしていることから、旅団に近い人間にはこう呼ばれている

「ああ、なんでもハンター協会に警護の依頼がいったそうですよ。
『団員全員集めないといけないから依頼料は高くなる』みたいなこと言われました」
その言葉に、思わず眉をひそめてしまう。
「全員だと?一、二年前のときも大規模だったとは聞いたが、全員ではなかっただろう。ええと、何だったか――」
「“緋の目”ですか?七大美色の」
「そう、それだ」
「しかたないんじゃないすか。同じ七大美色とはいえ、あの時は相手は所詮少数。
 今回は政府やハンター協会も絡んでる。一筋縄じゃいかないでしょう」
その言葉に、エスコバルはそれ以上言い返すことが出来ず、ワインを口につけた。




    第07話 鍼灸師




「そ、それ、何ですか……」
目の前の女性が持っている鍼を目にして、ユナは思わず後ずさりしながら尋ねた。
「あらあら、聞いてないのかしら。大丈夫よ、ちょっとこの鍼で刺すだけだから。お姉さんに任せなさい」
特になんでもないことのように、のんびりと話す目の前の女性に、つい恐怖を感じてしまう。
先日、棘付き鞭で叩かれ、念の針を刺されて痛みを与えられたユナにとって、先端が尖っているものは軽いトラウマだった。

「わ、私は治療に来たんですよ!?」
「だから、これが治療なのよ。鍼治療っていう、アイジエン大陸のほうに伝わる治療法」
目の前が真っ暗になる。こんなことなら簡単な説明を聞いておけばよかった。




今いるのは、ヨークシンからちょっと外れた小さな診療所。
腕が良く、ほとんどの病気や怪我を治してくれるとガストから聞いてやってきたのだ。
自分の金ならもう少し調べたのだろうが、組の、というよりガストの金だから、と特に気にせずにやってきてしまった。
その結果がこれである。金が絡むと考えなしになるのは悪い癖だ。しかし、反省することは無い。

そうして、その診療所にやってきた訳だが、その医者(厳密に言えば医者ではなく鍼灸師なのだが)はまだ若い女性であった。
名前をアニッサ=シェイドという。腕のいい医者、と聞いていたため、その若さに驚いたが、それ以上にオーラに驚かされた。
先日の一件でオーラが見えるようになってから、ユナは何人かの人間を見てみた。
そこで至った結論だが、念能力を使える人間はどうもオーラ量が多く、かつ流れが淀みない。
反対に、念が使えない人間はオーラがまばらで、不規則な動きをしているようだ。

ユナがアニッサに対してこのような考察を行っていたが、それは即座に中断された。
「かわいー!」といきなり抱きつかれたためだ。ついでに頭も撫でられている。
……まだ“偽りの愛情ホワイト ライ”使ってないんだけどなあ。

その後、自分に対して何か色々言われているのを聞き流して治療に来た旨を伝え、部屋に案内してもらった。
そこで診察を行い、何か薬でも出すかと思っていたら針が出てきて、冒頭のやり取りに戻る。




「とにかくっ!!」
ここで負けてなるものか、という勢いでユナは叫んだ。もう痛いのは嫌なのだ。
「そんな針を刺して、怪我が治るとは思えません!私のは、叩かれた擦り傷や切り傷なんですよ!?
 そこに針刺しちゃったら、治るどころか余計に傷口が広がるだけじゃないですか!」
「大丈夫大丈夫。お姉さんのは普通の鍼治療とは違うから。自然治癒力を強くして一気に怪我を治しちゃうの。
 それにほら、そのうち鍼でちくりと刺されるのが快感になるかもしれないし?」
「なりませんよ!?」
「なんでそう決め付けてしまうの。行動を起こさずして、結果が分かるわけないでしょう。
 若いうちから自分の可能性に蓋をしてはだめ。もっといろんなことを経験して自分の可能性を広げないと」
「いいこと言ったと思ってるかもしれませんけど、全然そんなことないですからね!!」
ぜーぜーと息を切らしながら、ユナが突っ込む。ちょっと疲れてきた。

ちなみに、これだけ騒いでいるが、他の客はいないため迷惑になっていない。
別に人気が無いわけではない。むしろ、診察日はほとんど満員だ。
今日人がいないのは、本来休診日だからである。そこを、無理やり診察してもらったのだ。
ここだけ聞くと、悪いことをしたという気もする。
……が、それ以前に月の半分が休診日というのはどうなのだろうか。

「もう私は帰ります!」
そう言ってユナはさっさと荷物をまとめようとする。が、特に反論らしきものはない。
気になって後ろを振り返ってみると、そこには手で顔を覆い、さめざめと泣いているアニッサの姿があった。
「ちょ、ちょっと……?」
「ひどい……。久しぶりにかわいい女の子が来るっていうから、休診日なのに開業したのに……」
「え!?え!?」まさか泣かれるとは思っておらず、ついうろたえてしまう。
「いっつもここに来るのはオヤジばっかりなのに……。セクハラしてくるし、加齢臭ひどいし、言うこと聞かないし……。
 つい腹が立ってわざと痛くなるように鍼を刺してみるけど、逆に喜ばれる変態ばっかりだし……」
「何気にひどいこと言ってる!?」
「そんななか、若い女の子が来るって言うから……。楽しみにして……。お菓子とかお茶とかお酢とか用意したのに……」
「お酢!?なんで!?」
「それなのに……何もしないまま帰っちゃうなんて……。私明日ショックで寝込んじゃいそう……」
「分かった!分かりましたから!治療受けますから!」
慌てて訂正をする。なんか、全然人の話を聞く気配がないし、ここで自分が折れないといけないのだろう。

「本当!?」満面の笑みを浮かべながら、アニッサが顔を上げる。
うわぁ、この変わり身の早さ、詐欺だよ。そう思いながらも、口には出せずにいた。
まあ、ここまで来たら治療を受けないわけにはいかないだろう。そう思い直し、案内されるままに診察用のベッドへ移る。

「上半身裸になって、うつ伏せになってねえ」
言われるままに服を脱ぐ。なんかさっきより楽しそうな口調なのは気のせいだろう。……たぶん。
うつ伏せになっていると、背中にアニッサの手が触れているのが感じ取れた。
「きれいなお肌ねえ。お姉さん、うらやましいわ」
「……お世辞はいいですよ」
つい、きつい口調で返してしまう。どうにも、嫌味で言われたようにしか感じ取れない。

実際、若いこともあるだろうが肌はみずみずしく、透き通るような美しさを保っている。
しかし、初めてユナの肌を見て「美しい」と言える人はまれだろう。
その理由は背中、いや、全身いたるところにある無数の傷跡にある。
この間ライラに叩かれた傷だけではない。
ミミズ腫れ、火傷の跡、切り傷。それらのほとんどは古傷だが、どれも生々しく残っていた。

ユナの言わんとしていることが分かったのだろう。アニッサは肌を撫で回しながら、ゆっくりと答えた。
「いいじゃない。多少の影があったほうが女は魅力的になるものよ」
「痛い記憶しかないですけどね……」
「まあ、若い女の子がこんなに傷だらけっていうのもかわいそうよねえ。
 完全には無理だけど、お姉さんがサービスで治してあげるわ」
「そんなこと出来るんですか!?」
その言葉を聞き、思わず起き上がってしまう。
「あらあら、落ち着いて。お姉さんにかかれば、そのくらいお安い御用よ。
 ただ、ちょっと変な感じがすると思うけど、がまんしてね」
なだめられ、再びベッドにうつ伏せになる。すると、背後で何かオーラが込められた感覚があった。

「ちくりとするけど、がまんしてねえ」
のんびりとした口調で注意しながらアニッサは背中を押さえ、鍼を突き刺した。

――すると。
「えっ!?」と、思わず声を上げてしまった。鍼が刺さったと思うと、それが溶けてしまい、体の中に入ってしまったのだ。
「今のは……」言いながら起き上がってアニッサを見る。手には、先ほど確かにあったはずの鍼が消えている。

「じゃーん!消えちゃいましたあ!お姉さん、こんな手品も使えるのよ。驚いた?」
「いや、念ですよね」
「あらあ、念知ってるのお。お姉さん、感激だわあ」
嬉しそうに頭を撫でる姿が、妙に頭にくる。あまりにも突っ込みの回数が多くて疲れてきた。

だが、ふと体中が熱くなり、全身の疲労が飛んでいくのが感じられた。
「これは……!?」
「お姉さんが具現化した鍼が液体状のオーラになって体中を巡っているのよ。
 治癒力を強化する効果があるから、すぐに傷は治るわよ」
「……そんな簡単に能力ばらしちゃっていいんですか?」
素直に驚いた。ライラの念能力を知ったのは戦闘になってからだし、ファルグとの付き合いは長いが未だにその能力を知らない。
それだけに、あっさりと自分の能力の話をするアニッサに、ユナはつい聞かざるを得なかった。
「大丈夫、大丈夫。お姉さん、あと200個能力を持ってるから」
「いや、嘘ですよね」
もう、この人はまともな回答をしてくれないんじゃないんだろうか。
ユナはだんだんと諦めの境地に達してきた。

「さて、治療も終わったし、お姉さんと楽しい楽しいお茶の時間にしましょう!」
パン、と手を叩いたと思うと、アニッサは鼻歌を歌いながら奥に入っていった。

……なんか、すごい適当な治療だったけど、本当に大丈夫なんだろうか。
そう思いながら、ユナは左肩の傷を眺めて、本日何度目か分からない驚きの声を上げた。
左肩にあった棘の跡は、きれいさっぱり無くなっていたからだ。
思わず、全身の傷を見てみる。確かに、うっすらと残ってはいるが、ほとんど傷跡は分からなくなっていた。

「驚いた?お姉さん、すごいでしょ?」いつの間にいたのか、お盆を手に持ったアニッサが自慢げにたずねてきた。
お盆の上にはショートケーキとチョコレートケーキ、それとクッキーがある。
「はい、本当にすごいと思います」そう返しながらお盆の上のお菓子を見るが、ショートケーキに目がいくと若干顔をしかめた。
「あらあら、ケーキ嫌いだった?スタイルいいんだし、別にダイエットする必要ないと思うんだけど」
「そういうわけじゃないんですよ。甘いものは好きですけど、生クリームはちょっと苦手で……」
「あらあら、そうなのね。じゃあ、これだけ戻してくるわねえ。こっちで食べるからついてきて」
言われて、慌ててユナは服を着る。しかし、それならどうしてお菓子を持ってこっちに来たのか?
何度考えても答えは出ない。というか、ただ単に自慢したかっただけなのかもしれない。

「こっちこっち」という声に従い部屋に入ると、そこにはきれいな調度品が並んでいた。
どれも高価なものではないが、シックな木目が美しい。掃除も行き届いていて、意外と几帳面な性格なのかもしれない。
案内された椅子に座る。敷かれているクッションのやわらかさが心地よい。

ユナが座ったのを確認すると、アニッサはキッチンの方に向かっていった。
「お飲み物は何がいい?ジュース?コーヒー?お茶?お酢?」
「最後の選択肢おかしくないですか!? ……とりあえず、お茶をお願いします」
「おいしいのにい」残念そうな声が聞こえてくるが、もはやどこまで本気なのか分からない。

しばらくして、アニッサはお盆に二つのカップを乗せて戻ってきた。
紅茶を受け取り、砂糖を溶かしいれる。ふと、アニッサのカップに入っている黒い液体が気になった。
コーヒーかと思ったが、湯気が立っていない。
「アイスコーヒーですか」
「お姉さんのはお酢よ。飲んでみる?」
「……けっこうです」
そんな黒いお酢があるのか。飲んで大丈夫なものなのか?そんなことを考えながら紅茶に口をつける。
ちなみに、アニッサが飲んでいるのは正確には黒酢であり、飲んで大丈夫どころか愛飲している人もいる代物である。
つまり、ユナはかなり失礼なことを考えているのだが、悲しいかな、彼女にそれを知る術はない。

そんなこんなで始まったお茶会だが、意外にも話は盛り上がった。
お互いに仕事は違うのだが、意外と共通点が見つかり、妙に愚痴で盛り上がったのだ。
「――あー、いますよねー、そういう頭にくるオヤジ」
「でしょう?だから、お姉さん頭にきちゃって――」
「あはは、ちょっとかわいそう」
などなど、世の男性が不用意に聞けば心を抉られかねない内容の会話が続いていた。
途中でアニッサがレモンの輪切りを持ってきて、黒酢にレモン汁を入れて驚かせるというハプニングもあったが。

と、不意に着信音が鳴り響いた。
「電話鳴ってますよ」
「えー、めんどくさいー。後でいいんじゃないかしら」
「いや、それはまずいんじゃないですか」
「しょうがないなあ」と言いながらゆっくり歩き、部屋から出て行った。

ふと、時計を見ると、この診療所に来てから既に2時間は経過していた。
そういえば、ファルグが治療が終わったら迎えに来ると言っていた。
さすがに、連絡を入れないとまずいだろう。
そう思っていると、アニッサが部屋に戻ってきた。

「ごめんなさいねえ。お姉さん、用事が入っちゃった。本当はもうちょっとユナちゃんとお喋りしていたいけど」
「しょうがないですよ。私も居座りすぎましたし。お暇させていただきます」
バッグを持ちながら、そう答える。
「また、遊びに来てねえ。お姉さん、いつでも歓迎するから」
「はい、また来ます」

そう答えて部屋から出て行ったユナを見届けた後、アニッサはポツリと呟いた。
「……やっぱり、若いっていいわねえ。私と違って、希望があって」



[27521] 08話 約束・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/06 02:46
占いの紙を見ながら、ガストは悩んでいた。
この間見た時点では、全く占いの意味が分からなかったが、今改めて読み返してみると納得させられることばかりだ。

――綺麗な薔薇が魔女を刺す

「綺麗な薔薇」……その時は全く意味が分からなかった。
しかし、ファルグからライラの念能力名が“綺麗な薔薇には棘があるローズ ウィップ”ということを聞き、この言葉がライラのことを指していると分かった。

では、「魔女」とは誰のことなのか。ライラが敵対した人物――十中八九ユナのことであろう。
「魔女の頼み」が何なのかは分からないが、何か言われた際にはそれを受け入れたほうが良いと言うことも分かる。

そして――ガストの思考は二つ目の詩に移る。1週が四行詩の形で記載されていると言っていた。
そうであるならば、2つ目の詩は来週のことを指しているのだろう。改めて、2つ目の詩を見てみた。

 非常な現実があなたを襲う
 大事なものほど見捨てなさい
 魔女との契約を守ること
 紅蓮の夢を見たくなければ

「魔女」がユナのことを指しているのならば、何か約束をして、それを守ればよいのだろう。
しかし、それ以外の部分が全く分からない。「非常な現実」とは何なのか。
一体、どのようなことが自分を襲うのか。

悩んでいても分からないものは分からない。一度、ユナにこの詩を見せてみるといいかもしれない。
自分の娘と同じくらいの年齢だが、しかし、娘と違って頭はいい。

葉巻の煙を吐きながら、ふと疑問が浮かんだ。
「……そういえば、1週が四行なんだよな?……なんで、全部で八行しか詩が書いてないんだ?」




    第08話 約束・1




診療所からちょっと歩いた駐車場の中。そこには一台しか車が止まっていなかった。
その中にいる人物に、ユナは声をかける。
「お待たせしました」その声に、「おー」とだけファルグは答え、ドアのロックを外した。

「どうだった?ここの医者は」車のキーを回しながら尋ねるファルグに対し、シートベルトをしながら答える。
「すごい人でした。……少し、いや、かなり変わった人でしたけど」
「すごいって……医者の違いなんか分かるのか?」
「念能力者だったんですよ。私の怪我を、本当に一瞬で治してしまいました」
「どうりで。大病院が近くにあるのに、こんなとこ案内するんだからな」
そう。有名な病院は他にも多くある。であるにも関わらず、こんな郊外の小さな診療所に行かせたことが謎だった。
が、その理由も今なら分かる。あそこまで高度な念能力を使える人間であれば、当然の選択だったのだろう。

「そういえば、オーラは見えるようになったんだっけか」
ファルグの問いに、ユナは頷いた。この間の一件で、オーラが見えるようになったことは伝えてある。
……もっとも、体の精孔がほとんど閉じたままである以上、念能力者としては言えないレベルであるのだが。

「もともと、ボスは念を覚えさせる気は無かったみたいだが、精孔が開いたなら別だろう。
 ある程度の期間を経れば全身の精孔が開くだろうし、ゆっくり覚えていったらどうだ?」
「……そうですね。覚えれば、何かと便利でしょうし。」
本当は、ごく一部だが念能力は使うことができる。だが、ユナは“偽りの愛情ホワイト ライ”のことは誰にも話していなかった。

――こんな能力、話せない。話せるわけがない。もう捨てられたくない。

「――おい、聞いてるのか」
「あ、はい、ごめんなさい、何ですか」
つい物思いにふけっていたユナに対し、ファルグは呆れたようなため息をついた。

「……時間あるし、ちょっと寄り道していくか?」




車を走らせること約30分。着いた先は、生い茂った緑が美しい公園だった。
広場の中央には大きな噴水があり、そこから舞い散る水しぶきが涼しげで美しい。

車を降りた二人は、噴水に向かって歩き出した。初夏にしては日差しが強く感じられる。
いつもなら「暑い」としか思わない太陽だが、今日は噴水の雫に光を反射させて幻想的な美しさを生み出していた。

「そういえば、ノストラードファミリーって知ってるか?」
不意にファルグが出した疑問に、ユナは不思議に思いながらも「あの、人体収集家の?」と返すことにした。
美術商という商売柄、他の組の有力者についての情報はある程度抑えていた。
ノストラードファミリーは最近勢力を伸ばしてきたマフィアである。
その特徴は、何よりも100%当たると言われる占いにこそある。
実際、ユナは信じていないものの、マフィアの大幹部にもその占いを信じているものは多いらしい。

また、もう一つの特徴は、その占い師が人体収集家――その名の通り人間の体をコレクションしているということである。
この趣味は、どうにもユナには理解しがたかった。人体を集めるなんて、気持ち悪い。
“世界七大美色”と言われるものの一つ、“緋の眼”でさえ、その美しさは認めるが、それでも目玉を持とうとは思わない。
そのような感想を持つことも仕方ないことと言えるだろう。

それだけに、ユナはノストラードファミリーにあまりいい感情を抱いていない。
それだけに、ファルグから聞かされた内容はいささか信じがたいものだった。

ガストは、ノストラードから試しに占いをもらった。これは週ごとに起こることを予言しているそうだ。
そして、先週起こった出来事が、どうも当たっていたらしいのだ。内容を知らないため、いまいち信じられないのだが。

「しかし、100%当たる占いと言われても……。どうにも胡散臭いとしか思えませんが」
通常であれば誰もが抱くであろう疑問に、しかしファルグは冷静に答えた。
「しかし、他にも当たっているという人はいるからな。それに、念能力だとすれば不思議でもなんでもない」
「念って、そんなこともできるんですか?」
「特質系ならあり得ない話じゃないからな」

なるほど、と思わず頷いた。ガストは自身が念を使うことこそ出来ないが、その存在は知っている。
占いが念能力であると納得していれば、その精度について信頼を寄せていても不思議ではない。

「そういえば、ファルグさんの能力って何なんですか?」
不意に、口をついた疑問。子供が、無邪気に知らないことを尋ねるかのような疑問。
しかし、彼女はそこまで子供ではない。少なくとも、むやみやたらと秘密を聞き出してはいけないことを理解できるほどには。
それでも、聞き出さずにはいられなかった。つい、流れで聞いてしまった風を装って。
だが、本気で能力を知りたいわけではない。知りたいのはもっと別のこと。

――私、そこまで“他人”じゃないよね?



彼女のそんな思いを知ってか知らずか、ファルグは地面に屈み、小石を一つ拾った。
「この石、よく見てな」そう言いながら、ファルグは石にオーラを込めた。
ユナが石に視線をあわせているのを見届けると、ファルグは空中に小石を放り投げた。
そしてそれが地面にぶつかった瞬間……思わずユナは驚きの声を上げた。
たった今地面に当たったはずの小石が影も形もなくなったのだ。

「こっちだ、こっち」ファルグの声に頭を上げると、その手元には先ほど投げた小石があった。
「あ、あれ?さっきその石投げませんでした?」
「投げた。その石を手に持ってるんだ」
言われて、頭が混乱してしまう。投げたように錯覚させる能力だろうか。そう推測したが違うようだ。

「“空虚な理想デイ ドリーム”っていってな。物質を瞬間移動させる能力だ」
「しゅ、瞬間移動!? 念ってそんなことも出来るんですか!?」
今度は純粋に驚いた。もはや、物理法則とか完全無視じゃないか。だが、ファルグはさも当然のように答える。
「俺は放出系でな。放出系ってのはオーラの遠隔操作が得意な系統だが、その他に瞬間移動を扱う能力もあるんだ」

いまいちその説明は腑に落ちないが、しかし事実そうだと言うのであれば、信じるしかない。
それに、そう考えるとファルグが武器として用いているベアリング弾のことも納得がいく。
なぜ弾切れにならないのか。今までそんな疑問があったため、あまり効率のよくない武器だと思っていた。
しかし、この能力があれば確かにこれ以上ないほど頼りになる攻撃方法と言える。

「……ということは、欲しいものを体を動かさずに持ってこれたり、好きなところに移動できたりするわけですね!」
超便利な能力じゃないか。私もその能力にすればよかった!

「いや、色々制約があるから、そんなに自由に移動させることは出来ない。ていうか、何だよ、その使い方」
「いいじゃないですか」冷たくあしらわれ、つい頬を膨らませる。
「そもそも、移動先は手元だけだしな。オーラでマーキングすればそこに飛ばすことも出来るけど、3箇所までだし」
話しながら、二人は中央の噴水に向かって再び歩き出す。

「あと、移動させるものも無条件って訳にはいかない。手で触れてオーラを込める必要があるし、その後に衝撃を加える必要がある」
「衝撃?」
「さっきの石、地面にぶつかった瞬間に移動しただろ?何かとぶつかることが移動の条件なんだよ
 あと、物が大きいほど、込めるオーラの量が多くなるからその分疲れる。
 人間を移動なんて、どれだけオーラを消費するか分かったもんじゃない。ばかばかしくて試したことすらねーよ」
「色々とめんどくさいんですね……」
「その分、飛ばす範囲が広いからな。まあ、何とか制約で実用的なレベルにしているってとこか」

「さっきから言っている、制約って何ですか?」
これまで、念能力について聞く際に出てこなかった言葉だ。
「『制約と誓約』って言ってな、念能力を作る際に決め事をする場合があるんだ。
 念ってのは精神の力だからよ、覚悟の量によって威力が変わるんだ。
 使い勝手が悪くなればなるほど、高度な威力の高い能力を使えるようになるってことだな」
「それが『制約と誓約』……」
呟きながら、ユナは自分の能力――“偽りの愛情ホワイト ライ”について考えていた。
この能力には特に制約は存在しない。せいぜい、発動させる条件がある程度だ。それも、目を合わせるだけという条件の緩さ。
反面、その効力の大きさには期待できない。自分の思い通りに動かすことはできないから、上手くお膳立てをする必要がある。
しかも、好意を持たせると言っても必ず効くわけではない。前にライラと闘ったときがいい例だ。
あの時も、実は半ば無意識のときに能力は使っていた。にも関わらず、その効力はほとんど見られなかった。
これは、ライラが強い嫉妬心と敵意、そして忠誠心を持っていたために好意の生まれる余地がなかったためだが、そこまで彼女が知る術はない。
しかし、自身の能力がひどく不安定だという事はユナも分かっていたし、だからこそ、今この場で不安を抱かざるを得なかった。

――今も半ば無意識に使っているこの能力……これは、ちゃんと効果を発揮してくれているのだろうか……

そんな不安を抱きながら、反面そんな思考に陥る自分自身に嫌気が差してもいた。
例え、この能力のお陰で好意を持ってもらったとしても……それはただの贋物ではないのか。
贋物を嫌っているはずの自分が、そんな感情を抱かせようとしている矛盾。



そんな思考の迷路にさまよっているうちに、現実の目的地にはたどり着いた。
中央の広場の、大きな噴水。舞い散る水しぶきは、ユナの悩みをあざ笑うかのように輝いていた。

「ちょっと、目ぇつぶりな」
言われて目をつぶると、ごつごつした両手がユナの右手を掴んだのが感じ取れた。
……そして、自分の薬指に何かが嵌められたことも。

「これ……」自分の薬指を見ながら、ユナは呟いた。その先の言葉は出てこなかった。
薬指には、銀の指輪が光り輝いていた。

「あー、ほら、お前もうすぐ誕生日だろ? だからよ……」
視線を逸らしながら頭を掻くファルグの顔をしばらく呆けた顔で見ていたユナは、思わず噴出してしまった。
「な、何だよ……」
「だって……私、誕生日って6月の今日ですよ」
何のことはない。ファルグは、誕生日を一ヶ月間違えていたのだ。
そのことに気づいたファルグは、顔を赤くしたり青くしたりしている。
そんな彼を、微笑みながらユナは見ていた。

――ねえ、ママ。誕生日、ほんの少しだけ好きになってもいいかな?

まだしどろもどろしているファルグを見かねて、ついにユナは声を上げた。
「ああ、もう! いいじゃないですか、一ヶ月違ったくらい。私は嬉しいですよ?」
「うーん、しかしよお……」
「じゃあ、こうしましょう。これをあげます。お下がりで申し訳ないですけど、交換ということで」
そういいながら、ユナは自分の左腕から、一つブレスレットを外してファルグの左腕につけた。
一番気に入っていた、珊瑚のブレスレットを。

「まさか、来月もなんかよこせって言うわけじゃねえだろうなあ」
「さあ?お任せしますよ」
くすくすと笑いながら、太陽の光を、噴水が上げる水しぶきを感じ取っていた。
今まで、絵にしか美しさを見出せなかった。けれども、世界もこんなに綺麗だったんだ。

ひとしきり笑って落ち着いた後、ユナはようやく口を開いた。
「来月も、ここに連れてきてくれますか?」
「ああ、約束する」
「うーん、ファルグさん約束守ってくれないからなあ」
「おいおい、ひでえこと言うじゃねえか」
「本当のことじゃないですか」
「……ったくよお」

言いくるめられたファルグは、ゆっくりと噴水のそばに行き、その縁に手を置いた。
「目印だ。今度俺が忘れたら、ここに念でちゃんと移動させてやるよ」
「言いましたね? 約束ですよ」

二人とも、マフィアという業の深い世界の住人。明日死ぬかも分からない世界の住人。
だからこそ、この約束は意味がある。

――ちゃんと、生きてここに来ようね



[27521] 09話 非情な現実・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/11 01:15
「……どう思う?」
ユナが、渡された紙をひとしきり見終えたのを確かめ、ガストは尋ねた。
その右手には、ノストラードファミリーから渡されたという、例の占いがある。

 非常な現実があなたを襲う
 大事なものほど見捨てなさい
 魔女との契約を守ること
 紅蓮の夢を見たくなければ

「……これ、誰かに見せましたか?」
ガストの問いには答えずに、用紙をひらりと裏返して見せ、ユナは尋ねた。
「お前で三人目だな。他は、ファルグとフィリアだ。」
「その時は何て?」
「……二人とも、『よく分からない』の一点張りだったよ。ま、俺もさっぱりだがな」
「それはある意味好都合かも知れませんね」
軽く頷き、左手で軽く握りこぶしを作って口元に当てるユナを見て、ガストは困惑の色を隠せなかった。

「よく分からないな。ちゃんと説明してくれ」
頭はいいのだが、どうにも勿体つけたような言い方をしてしまうことがユナの欠点だ。
もっとも、若いうちは誰にでも、多かれ少なかれ見られる傾向ではあるのだが。

「その前に、前提の確認です。この占いは、100%当たる予知能力。
 4~5つの四行詩から成り立っており、週ごとに起こる出来事を予言している。……そうですね?」
「ああ。あと、悪い占いには回避方法が載っており、それを守れば回避できる、とも言っていたな」
「そうですか。……それであれば、ほぼ間違いないと思います」
ためらいがちに言葉を紡ぐユナを見て、嫌に今日は勿体つける、と思った。
ここまでためらうということは、よほど言いづらいことなのか?

ガストが促し、ようやくユナはその重い口を開いた。

「これはあくまで私の推測ですが……旦那様は、来週命を落とすと予言されています」




    第09話 非情な現実・1




「どういうことだ?」ユナの問いに、ガストは聞き返さずを得なかった。
「バカな事を」と一笑に付すことはたやすい。相手によっては、ナメた口を利いたとして制裁する場合もある。
だが、今はそれが出来なかった。とても冗談で言っているとは思えなかったからだ。

「一番最後の『紅蓮の夢』という下りです。“夢”、すなわち“眠り”を暗示しているのでしょう。
 もちろん、通常の睡眠がこのような占いに載るはずもありません。
 ここでの“眠り”は“永遠の眠り”、すなわち“死”を表していると考えられます。
 その後に『見たくなければ』という一文があることからも、ネガティブなことであることを示していると考えてよいでしょう」
若干目が伏せがちになっているガストを見ながら、ユナは続ける。一息に、吐き出すように。
「……決定的なのが、二週目までしか占いがないということですね。三週目以降を占う必要がない、ということです」

そこまで聞き、ガストは天井を見ながら、大きく息を吐いた。
さきほどは「分からない」と言ったが、今ユナに言われたことはなんとなく分かっていた。ただ、認めたくなかった。それだけ。
そして、目を背けていた現実を、今改めて突きつけられた。この結末も分かりきったことだ。

「……あいつら、そんなこと一言も言わなかったぞ。フィリアはバカだから、しょうがねえけどよぉ……」
「……ファルグさんは、旦那様の心中を察して敢えて言わなかったんだと思います。
 護衛もかねる人間が、不安にさせる訳にはいかないでしょうから」
「だったらなおのこと、はっきり言ってもらいたかったがなあ」
苦笑いを浮かべながら頭を掻くガストを見て、ユナは口を開きかけたが、すぐに閉じた。

「……で、それを回避するためにはどうすればいいと思う?」
数瞬の沈黙の後、ガストが口を開いた。
「一行ずつ検証していきましょう。まず、三行目の『魔女との契約』ですが、ここで言う『魔女』とは旦那様の仰るとおり、
 十中八九、私のことでしょう。ですから、これから私が申し上げることは守ってもらいます」
無言で、頷く。もとより、分かりきっていたことだ。

「一行目の『非常な現実』ですが、これは正直、よく分かりません。おそらくこれが死因となるとは思いますが。
 事故とも取れますし、誰かが殺害しようとしているとも取れます。念のため、来週は屋敷の警戒を厳重にします。
 それと、火気の使用はなるべく控えてください」
「なぜだ?」
「四行目の『紅蓮の夢』です。『紅蓮』からだと、“炎”が一番自然に連想されるので。
 ……もちろん、“赤い血”かもしれませんが、警戒しすぎることはありません」
そこまで言うと、ユナは机の上においてある、ジッポライターを見た。
「そのジッポも、来週は使用を控えてください」
「おいおい、あれは関係ないだろ!?」
「あれ、旦那様のお気に入りですよね?二行目の『大事なものほど見捨てなさい』という忠告には従うべきです。
 他の大事な物にも、来週は特に意識して触れないようにすること。ご自分の身を守ることを最優先してください」
その言葉に、今度こそ苦笑いを浮かべるほかなかった。いざとなれば、裸一貫で逃げざるを得ないということ。
マフィアのボスとしてはこの上ない屈辱だが、それを甘んじて受け入れろと言っている。
とはいえ、プライドの重要性を訴えても、目の前の人物は「何の役にも立たない」と切って捨てることは分かりきっていた。
ゆえに、ただ沈黙するしかなかったのだ。




それからさらに三日。ユナの言うとおり、屋敷の警備はかなり強固になった。
綿密に屋敷内をチェックし、防弾ガラスとなっている窓は全て張り替えられた。
警備体制の見直しが行われ、緊急でない用件で屋敷の外に常駐している組員は全て戻され、
屋敷の警護に当たる人数は実に倍になった。
もちろん、警護のリーダーであるファルグを除き、事実を知っている者はいない。
「誰かがボスを狙っているという噂がある」という嘘の理由で警護を強化したのだ。
とはいえ、占いの内容を鑑みるとあながち荒唐無稽とも言えない理由である。
そして、それを理由に周辺の怪しい人間は徹底的に調査した。そして、一人の男が捕らえられ、屋敷へと運び込まれた。
ユーケッドファミリーの組員らしい。
以前、サンベエの陶芸品を独占しようとし、ベッキーニに阻まれた組織。
その組員ならば、恨みを持っていてもおかしくはないということで、拷問にかけられているという噂がユナの耳に入った。

「ファルグさん!」
屋敷の廊下を歩くファルグを、呼び止めた。これから、屋敷の武闘派構成員を集めて、警護の会議を行なう予定だったはずだ。
そうであるにも関わらず、ファルグは律儀にも歩みを止めて振り返り、用件を尋ねた。
その何気ないしぐさが、ちょっと嬉しい。

「例の人、どうですか」話を聞いた以上、聞かずにはいられない。今は少しでも手がかりが欲しい。
「例の人……?」一瞬、呆けた表情になったが、すぐに合点がいったのだろう。「ああ」と言いながら、返事をした。
「なかなか口が堅くてな。ひょっとしたら無関係かもしれないが、怪しいのは確かだしな」
そういうファルグの顔は優れない。ここ数日、一番緊張を強いられている立場だ。無理もないかもしれない。
「私、その人に会って詳しく話を聞きたいんですけど」
無理を承知で尋ねる。少しでも、彼の負担を減らしたくて。

しかし、ファルグの返答はそっけなかった。「やめとけよ」
「なぜ?」そう問いかけようとしたが、理由を尋ねる前に、続けて言葉が返ってきた
「両手足をもがれて、ダルマになった人間なんか見たくないだろ?」
「それでも!」一瞬ためらいながら、なおも食い下がるユナに、ファルグは背中を向けたまま答えた。
「……少なくとも、俺はあんなのをお前に見せたくないしな」
続く言葉を発することが出来ず、ユナは引き下がらざるを得なかった。




夕食を取った後、ユナとガストは、共に部屋に向かった。夜伽をするという理由もあるが、それ以上に大きな理由は占いにある。
占いにてユナの言うことを聞くように言われている以上、下手にこの一週間は距離をとらないほうが良いと判断したためだ。

そうして部屋に向かったのだが、すぐに異変を感じ取った。

――廊下が歪んでいる?

平衡感覚がおかしくなっているようで、まっすぐ歩くことが難しい。さらに、全身を襲う、異様なまでの気だるさ。
疲れがたまっているのか、強烈なまでの眠気を覚えていた。
幸い、ガストの部屋の前には見張りがいる。何とか部屋に入れば、多少油断したところで大丈夫だろう。

ガストも同じような状態だったのだろう。部屋に入ってから、無言でベッドに入り、すぐに寝息を立てた。
ユナも近くのソファにもたれ掛かったが、襲い来る眠気に抗うことは出来ず、そのまま意識を失った。



ふと、目を覚ました。あたりは明かりが消えており、外の月の光でかろうじて室内の様子が分かる程度だ。
ドアをガンガンと鳴らす音がする。その恐怖に思わず見まがえるが、体がまるで動かない。

――銃を取って備えるべきなのに。

やがて、扉が乱暴に蹴破られた。そこから現れたのは、目出し帽を被り手には刃物を持った男。
恐怖で体が動かない。逃げなきゃ。そう警鐘を鳴らす脳みそに反して、まだ座り込んだままだった。

「いや……」呟くユナの言葉は聞き入れられない。
男が刃物を振りかざし、そしてその刃物が自分の首にあたる。
そして、そのまま勢いよく刃物が自分の首を切り裂き、床は赤く染まって――




そこで、今度こそユナは目を覚ました。慌てて首に手を当てる。

――つながっている

ベッドを見やると、ガストはまだ寝息を立てていた。どうやらだいぶ疲れているらしい。
全身に汗を掻いており、心臓が速く脈を打っている。

あたりを確認したユナは、しかし、また違和感を感じ取った。

――静か過ぎる……

無論、思い過ごしなら良い。だが、そんな気にはなれず、何かを確かめるように恐る恐る部屋の戸をあけた。
そして――

「ひっ」
思わず、驚きの声を上げてしまった。外にいるはずの見張りの人間が、ぐったりと壁にもたれ掛かっていたのだ。
その首からは血が流れており、目には光を宿していない。絶命していることは明らかだった。

「旦那様!!目を覚ましてください!!」
外の見張りがいつの間にか殺害されているという異常事態。
これを伝えるため、ユナは何度もガストの体を揺する。が、全く目を覚ます気配がない。

どうやって起こすべきか。ユナの思考はそこへと移ったが、それはすぐに中断された。
耳をつんざくような爆発音。思わず身をすくめるほどの大音量。
これほどの音ならば、発生源は近いのだろうか。しかし、それでもガストの目が覚める気配はない。

――どうする?今の爆発を確認するのが先か、起こすのが先か――

数瞬迷った後、ユナは爆発音が発生した箇所を確かめることにした。
例の占いがある以上、うかつにガストの側を離れないほうがいい。
理屈ではそう分かっていた。――が、それにも関わらず、ユナは爆発音のした場所へ向かわずにいられなかった。

なぜなら――

――大丈夫だよね

爆発のした方向は屋敷の会議室。そこで、ファルグたちは会議を行なっていたはずだからだ。

黒煙が立ち込める廊下。思わずむせてしまい、口元をハンカチで覆いながら、ユナは部屋に近づく。

「うっ」部屋の中を見たとき、思わず胃の中のものを戻しそうになった。
それくらい、凄惨な光景であり、酷い臭気であった。

それはまさに地獄絵図。ある場所にはちぎられた腕がとんでおり。
ある場所にはあごが吹き飛ばされた男の顔が転がっており。
ある場所には吹き飛ばされた目玉が煙を上げており。
まさしく、死が凝縮されている場所であった。
今が夜であり、廊下の電灯の明かりと燻る火の灯りで一部しか見えていないことがまだ幸いであった。

それでも。目の前の光景を脳はなかなか受け入れてくれなかった。

ああ、そこのあごのない男の人はジョーさんね。私のことをからかいながらも、よくお酒飲ませてくれたっけ。
そっちの右頭部がない人は、ひょっとしてクリスさん?いつも田舎のお母さんに仕送りしている、優しい人だったよね。
さっきから、首だけでこっちをじっと見ているのはトーマスさんでしょ。
この前お子さんが生まれたばっかりなのに、いいんですか?奥さん、泣いちゃいますよ。
そんなことを考えながら……その場にへたりと座り込んだ。

「はは……。嘘だよね……。みんな、私をからかっているんでしょう?」
ポツリと呟いた言葉に、返す者はいない。

――こんなに人がいるのに――

「そうだ……。ファルグさん……」
何とか、思考がそこまで追いついて、ユナは改めてあたりを見回す。

そして、それを見て――

「う……うごぉえええ!!」

今度こそ、胃の中身を床にぶちまけてしまった。

それ――そう、黒焦げになり、吹き飛ばされた腕を見て。
その腕に巻かれて輝いている、見覚えのある珊瑚のブレスレットを見て。



[27521] 10話 非情な現実・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/21 21:32
耳鳴りが収まらない。視界は酷く歪んでいて、この世から色が失われてしまったようだ。

――どうして?

答えは出てこない。あるのは、ただ理不尽な現実。

――約束したじゃない

あの公園の風景が、今ここにあるかのように甦ってくる。
木々のざわめき。眩しい太陽の光。噴水の、飛び散る雫の音。
それらが脳裏に浮かんでは消え、今の色のない現実を映し、また公園の風景が浮かんでくる。

夢とうつつの狭間をさ迷っているようだ。

――あれは嘘だったの?

あの時の言葉が甦ってくる。

――ファルグさん約束守ってくれないからなあ

「本当に……いっつもそう……。なんか言い訳ばっかりして……結局うやむやになって……」

手を合わせて、自分に謝るファルグの姿が脳裏に浮かぶ。
なんだかんだと文句を言いながらも、楽しい思い出だった。

「別に、誕生日プレゼントなんかいらないんだよ……?だから、もう一度あそこに連れて行ってよ……」

そうして、もう一度黒焦げになった腕を見る。
珊瑚のブレスレッドは、ユナの思いを嘲笑うかのように光を反射していた。

「……何で……?」

それを見て、数瞬が経ち……ようやくユナは「現実」を理解した。




    第10話 非情な現実・2




ようやく、ユナは重い腰を上げ、部屋から出た。

――早く、向かわないと

気持ちとは裏腹に、足取りは重い。
それは煙を吸い込んだためか、あるいはこの異常事態に精神が磨り減っているためか。
平衡感覚もおかしくなっているのか、廊下が歪んでいる。まっすぐに歩くことすら難しい。
壁に手を伝いながら、ようやく寝室へと戻ってきた。

それだけ、彼女は疲労を感じていた。ゆえに――。



「痛てえ!!」

寝室で未だに寝息を立てていたガストについ腹を立て、銃で頭を殴ったとしても無理からぬことかもしれない。
痛みに悶絶するガストを見て、「あ、いい音」などと思ってしまうあたり、案外図太い。

「お前!!ユナ!!何しやがる!!」
怒りを隠さずに睨みつけるガストだったが、その表情を見ると続く言葉を発することが出来なかった。
非常事態。表情が、それを物語っていた。

「緊急事態です。組が襲撃され、組員が多数殺害されています。被害の詳細は不明。早急に脱出を」
「……もう少し、詳しく話せ」

ユナはなるべく簡潔に、しかし、状況が把握できるよう話した。
廊下の見張りが殺害されていること。会議で集まっていた組員が爆弾のようなもので殺害されたこと。
未だ、他の組員が駆けつけてこないことから、おそらくほぼ全滅であろうこと。
これまで全く犯人の痕跡が見つかっていないことから、少数で隠密行動をされているであろうこと。

「会議に出ていたやつら全員ってことは、ファルグもか?」
その問いに、ユナは言葉を返せない。しかし、その表情を見て、ガストは「そうか」とだけ返した。
「とにかく、早急に脱出を。貴重品にも一切手を触れないで下さい」


――大事なものほど見捨てなさい


あの占いの内容が確かならば、ここで貴重品を手にするのはまずい。
いくら自分達がいた部屋だとしても、不確定要素はなるべく排除したほうが良い。
そう判断しての結論であった。

「分かった……が、フィリアはどうした」
「そういえば、見てませんが……」
「寝室だろう。俺はフィリアの部屋に行く。お前は先に脱出していろ」
「は……?」
言われた意味が理解できず、つい聞き返してしまう。

「聞こえなかったか?俺はフィリアのところに行く。お前は先行して、外の安全を確保しろ」
「いえ、それはさすがに。フィリアさんのことを気にかけている場合ではありません」
「お前にはそうでなくても、俺にとってはそうなんだ」

言っている意味が分からない。ガストにとって、フィリアは単なる愛人の一人ではないのか。
そのような疑問が顔に出ていたのだろう。ガストはユナの顔を見やると、若干頬を緩ませた。

「……娘だ」
「え?」
「フィリアはな。俺の娘……隠し子だ。誰にも言ってなかったがな」

その言葉を聞き、ますます混乱してしまう。

え?あれ?だって、今まで愛人として、抱いていたよね?
一緒にやったこともあるし。……あれ?

あまりに予想外の事態に思考が追いついていないユナに対し、ぽん、と肩に手を置いてからガストは告げた。
「そういうことだ。親として、娘は放っておけん」
「き、気持ちは分かりますけど……今はご自分のお命を」
この状況でこんな回答をできた自分を誉めてやりたい。これは、後日この出来事を振り返ったユナの弁。

「お前も、親になれば分かるさ」
ユナの提案を無視し、ガストは頭を撫でると部屋の外へと駆け出した。

セリフは格好いいんだけどさあ。
あんまりすぎる事態に、そう思うしかなかった。

「まあ、実の娘だったら、確かに大事かもね」
そう呟きながら、自分も部屋から出ようとしたとき、ユナの背中に鳥肌が立った。


――大事なものほど見捨てなさい


これは、「大事な“物”ほど見捨てなさい」という意味だと思っていた。
だからこそ、ガストを貴重品から離し、着の身着のまま逃がそうとしていた。
だがもしも。「大事な“者”ほど見捨てなさい」という意味も含まれていたとしたら――?

「いけない!!」





「……なんということだ……」
フィリアの寝室に来たガストは、目の前の光景に思わず言葉を失った。

ガストの予想通り、フィリアは寝室にいた。
彼の思惑を裏切っていたのは、左胸にあるおびただしい失血の量であった。
すでに血は固まっており、刺されてからかなりの時間が経過していることが分かる。
――即死。誰が見ても、明らかであった。

ふらふらと、フィリアの方に近づいていく。
その時。一瞬。ほんの一瞬だけ、近づいてはならないという予感がした。

様々な修羅場をくぐり抜けてきたことで身に着いた直感。いつもの彼なら従っていたであろう。
しかし、娘の死という事態が、その感性を曇らせていた。
娘になぜ近寄ってはいけないんだ。そんな想いで振り切り、そのあどけなさの残る頬に触れる。

その瞬間。フィリアの体が燃え上がり、爆発するのを見た。

――紅蓮の夢

その言葉が、彼の脳裏に浮かんだ最期の言葉となった。





爆発音をあげ、火を吹く屋敷を、男は双眼鏡を通して見つめていた。
出火元は分かっていた。男がフィリアの死体に設置した爆弾と思って間違いないだろう。

なぜか。爆発したのは、男の念能力だからである。自分の念だからこそ、爆発したことを感覚で理解できた。
非情な現実ブービー トラップ”。それが男の念能力名。

この能力は、対象となる“物質”にオーラを込め、爆弾とする能力である。
生物はその制約上、爆弾にすることは出来ない。

しかし、生命のない“死体”であるならば、“物質”であると認識でき、爆弾とすることが出来る。
それが、先にフィリアを殺した理由の一つ。ガストはフィリアの元に来るであろうことが予測できたからだ。
もちろん、実際にはフィリアのことなど気にかけず、まっすぐ逃げ出してきたかもしれない。

だが、それはないと、男はガストに当てられた占いを見て踏んでいた。


――大事なものほど見捨てなさい


この言葉が、男には何を意味しているか分かったからだ。これはフィリアのことを指している。
フィリアがガストの実の娘だということを知っていた男は、自分の計画に間違いがないことを確信した。
であるからこそ、フィリアが行方不明になればガストは駆けつけるだろう。
そして、それが死体となっていようものならば触れることも問題ないだろうと確信していた。

男の念の発動条件は、他のものが触れるなど、“衝撃”が与えられることだ。
だからこそ、ガストをフィリアの元におびき寄せる必要があった。
――最悪の場合、転送能力でフィリアの元に物質を転送し、その衝撃で爆発を起こすことも考えたが、それは杞憂にすぎた。

ただ、当然ながらこの計画はかなり不確定要素がある。その中でも最大の要素は、ユナの存在にある。
彼女は、ガストの高い信頼を得ているし、占いでもどうやら重要な位置を占めているようだった。
そのため、彼女がこの占いに気づき、フィリアに近づくことを阻止する可能性がある。

ゆえに、男はユナの思考能力を奪うために二つのことを行った。――もっとも、占いを見ずとも行なっていたことではあるが。

その一つは、睡眠薬。専属の料理人の一人を買収し、夕食に睡眠薬を混ぜさせた。
その料理人は、屋敷から男を逃げ出そうとしたため、今足元に転がっている。当然、息はない。
自分が生きていることを知っている人間は、手元から離す事は出来ない。
そして、それすら聞けないようならば、当然だが消すしかない。

もう一つは会議室の爆破である。
いくらマフィアの一員とはいっても、ユナは実際に血なまぐさい現場を見たことはほとんど無かった。
当然だろう。彼女の本職は美術品の売買と夜伽であって、いわば裏方なのだから。

そのような人間が、あの現場を見ればどうなるかは想像に難くない。
ましてや、自分が死んだと思えば。

ユナには、そのままあそこで心を折っていてもらおう。そのまま死んだならそれでよし。
生き残ったとしても、自分が死んだと思い込んでいれば、そう証言してくれるだろう。

――そこまでは、計画通りだった。しかしながら、できればそれを避けたいのも事実であった。
仮にも恋人であった身だ。そう思うのも仕方ないかもしれない。



しかし、幸か不幸か、彼にとってのイレギュラーはそのときに起こった。
屋敷の入り口から一人の人間が出てくるのを、目の端で捉えたのだ。

慌てて男は双眼鏡でその人間の姿を見る。
その金髪は燃え盛る炎の光を反射し、遠くからでも輝きを捉えることが出来た。
その姿は、夜の闇に呑まれることなく、輝きを放っていた。

「ユナ……」

そこで、男がユナの元に駆け出したのが正解だったかは分からない。
ただ、彼にはそうすることしか出来なかった。





銃を構えながら、ユナは何とか屋敷の外に出た。未だに、体がフラフラする。
彼女がフィリアの部屋に向かおうとしたときにあがった紅蓮の炎を見て、ガストの死を悟り、屋敷からの脱出を決意した。

銃を油断なく構える。自分の読みが確かならば、この近くに“彼”がいるはずだ。
決して認めたくはないが、しかし、頭は認めるしかないと言っている。

しかし、そうだとして自分はどうすればいいのか。
彼は私をどうしようとするのか。殺そうとするのか。それとも――?

あまりにもいろんなことが起こりすぎて、頭がパンクしそうになる。
その時、かさり、という草の音を聞き、振り返る。

予想通り、そこには彼の姿があった。今一番会いたくて、けれども一番会いたくない人の姿が。

「ユナ……」その男は、呟きながら近づいてくる。
「来るな!!」いつの間にか、銃を突きつけて叫んでしまっていた。
違う、こんなことが言いたいんじゃない。

「おいおい、どうしたんだよユナ」
いつも通りのその口調に、思わず泣きそうになると共に、腹立たしさもこみ上げてくる。
どの口でそんなことを――。

なおも、近づこうとする男に、ユナは銃を突きつけながら、自分でも認めたくない一言を放った。

「……あなたが、みんなを殺したんでしょう?ファルグさん」



[27521] 11話 約束・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/21 21:32
これまで、片時も忘れたことはなかった。その時の光景が、今も頭に焼き付いて離れない。

父親は警察官だった。同期と比べても、決して出世したほうではなかったが、正義感は人一倍強かった。
今でも誇りを持って答えられる。自慢の父親だと。

だが、そんな彼の人生は突如終わりを迎えた。それも、この上なく不名誉な形で。
突如として湧き上がった、父親の不正捜査疑惑。

その話を聞いたとき、少年は自分の耳を疑った。
曰く、功を上げようと焦ったためにマフィアに捜査情報を漏らし、代わりに情報を得ていたと。
曰く、同僚の功績を奪い、自らの手柄にしていたと。
曰く、証拠を捏造し、冤罪をかけて逮捕したと。

少年は父親に問うた。それは事実なのかと。
だが、父親は答えなかった。少年がそれに絶望したのは言うまでもない。
そして数日後、少年は最悪の形でその答えを知ることとなる。

――自身の生まれ育った家で首を吊った父親の姿と、その遺書という形で。

そこで初めて少年は真実を知った。
父親が以前に捕らえた犯罪者は、とあるマフィアとつながっていた。
そのマフィアは政府とも繋がっており、その権力でもって誤認逮捕という形で釈放するよう父親に迫った。

だが、彼はそれを拒否した。その結果、マフィアはあらゆる手段で彼を潰そうとした。
その一端が、彼の不正捜査疑惑であった。

少年が彼に問うた時には、既に手遅れだった。彼は疲れ果て、この世の全てに絶望し、少年の問いに答える気力すらなかった。
その心の機微を少年に理解しろと言うのは酷かもしれない。しかし、少年は自身を許せなかった。
そして、そのように追い詰めたマフィア――ガスト=ベッキーニを。

母親もその後すぐに、後を追うように亡くなった。もはや、失うものは何もない。
あの男にも、大切なものが目の前で亡くなる苦しみを味あわせてやる。――ファルグの復讐は、こうして始まった。




    第11話 約束・2




「……あなたが、みんなを殺したんでしょう?ファルグさん」
油断なく銃を突きつけながら、自分に問うユナに対して、ファルグは驚きを隠せなかった。

「どうして分かった?」
暗に認める回答。しかし、そこまで考える余裕はなかった。
いや、考える必要などなかったのかも知れない。自分が生きている。それがまさしく答えなのだから。

「あの爆発現場に置いてあった黒焦げの腕です。私があげた珊瑚のブレスレットが巻かれた」
その回答は意外だった。あれこそ、まさしく自分が死んだと見せかけるために仕込んだものだ。
自分が疑問を抱いていることを感じ取ったのだろう。ユナは続けた。

「珊瑚って、燃えるんですよ。あんなに腕が黒焦げになっていたのに、巻かれた珊瑚が無事なわけないじゃないですか。
 誰か他の人の腕を燃やして、その後にブレスレットを巻いたんでしょう?――あの捕らえた人とか」
及第点とも言える回答に、ファルグは純粋に驚いた。巻いたブレスレットごと焼くことも考えなかったわけではない。
しかし、焦げが酷くなってしまえば、最悪、自分が死んだと思ってくれない可能性がある。
そう思っての判断だったが、それがどうやら裏目に出てしまったようだ。

しかし――。ファルグは、改めて目の前の女を見やる。
あの状況ではまともな思考は出来ないと思っていたが、自分が思った以上に冷静だった。
目の前の事象に怯えたり、自棄になるわけではなく、冷静に現実を受け止めている。
思っていたよりずっと――強い。

「来るな!!」
ファルグがゆっくりと距離をつめようとすると、ユナは体をより一層強張らせて叫んだ。
「……無駄だ。俺に銃が効かないのは分かっているだろう」
そう。念能力者はオーラで身を守っている。オーラで体を覆い、攻撃から身を守る“纏”と呼ばれる技術。
これを出来るようになるだけでも、常人と比較して随分体が頑強になる。
ファルグほどのオーラ量ともなると、銃弾を受けてもほぼ無傷に近いほどの防御力だ。

一方、ユナはこの“纏”が使えない。全身から出るオーラを肉体にとどめる技術であるため、そもそもオーラが中途半端にしか出ていないユナには出来ようがないのだ。
ユナの攻撃は全く効かない一方、ファルグが仮に殺すつもりでユナを殴れば一撃が致命傷となる。
理不尽なまでの実力差。ユナもそれを分かっているからこそ、撃てない。
下手に闘っては勝てないから。今は、どうやったらこの状況を切り抜けられるか考えているのだろう。
ファルグには、その思考が手に取るように分かった。だからこそ。

「……なぜ、みんなを殺したんですか」
――この質問が、ただの時間稼ぎであることも理解していた。
しかし、せっかくだから答えてやろう。そう思うだけの余裕があった。

「復讐だよ。親父がガストに嵌められてな。自殺したんだ」

――だが、思いは口にすると、より一層強くなる。

「いい親父だったよ。今でも尊敬してる。警察官でな。子供心に『これこそ正義の味方だ』って思ったもんだ」

――単なる余裕。そんな思いはいつの間にか消え去り。

「だが、死んだ。いや、殺されたんだ。ガストにな。名誉も、誇りも、何もかも奪われて」

――その思いを口にしていた。決して誰にも話すまいと誓っていたその思いを。

「だから、誓った。大切なものを目の前で奪われるのがどういうことか味あわせると」

――分かって欲しい。心のどこかで、そんな都合のよい思いがあったことは否定できない。

「……だから、フィリアさんも?」
「ああ。娘だということは知っていたからな。だから、あいつを殺した。ついでに、爆弾に変えてな」
「彼女はそのことを知らないでしょう?」

――だからこそ、自分を非難するような口調が腹立たしい。

だが、「あいつはお前を排除しようとしたんだぞ」という言葉は飲み込んだ。
なぜなら、自分もユナを殺そうとしていたから。そんな人間が何を言ったところで、嘲笑しか得るものはない。

「……俺の親父も、何も知らなかったさ。だからこそ、だ。そもそも、あいつの血を引いていると言う時点で許しがたい」
そう。俺は正しい。そんな思いを込めてはなった言葉であったが、ユナは不満なのか、顔にうっすらと怒気が浮かんだ。

「……じゃあ……他のみんなを殺したのは……何でなの……」
「邪魔だから」
「……は?」
「俺が生きていることを知られては困るんだよ。マフィアの襲撃で死んだように見せかけたからな。
 俺は目的を果たした。だから、今後はマフィアと争うことなく平穏に歳を重ねていく。
 そのために、俺が生きていると知っている人間が万が一にでもいたら困るんだ」
「……ふざけないでよ……」
「誰がふざけてるって?俺は至ってまじめだ」
「ふざけたこと言ってるじゃない!!あの人たちだって家族がいた!!未来があった!!あなたと何が違うんですか!!」
「笑わせるな。今まで散々人殺ししてきた奴らだ。殺される覚悟なんぞとっくにあったはずだ」
「……あなたには……仲間への情というものがないの……?」
非難と、怒りと、悲しみが混ざったかのような表情を見て、つい苛立ってしまう。
そう、俺は、悪く、ない。

「仲間じゃねーよ。少なくとも、俺はそう思ったことはない。俺は一人だった」
「……みんなが、どれほどあなたのことを頼りにしてたか、分かってるの?
 今回の事件だってそう。みんな、詳しいことを聞かないでもあなたを信じて仕事をしてくれてた。
 そんなみんなの思いを踏みにじって!!よくそんなことが言えるわね!!」
「黙れ!!お前に何が分かる!!」
「分かんないよ!!」
ユナは叫び。そして、目にうっすらと涙を溜めながら続けた。
「……だから、聞いてるんじゃないの」

「……ちっ」軽く舌打ちをしながら、ファルグは頭を掻いた。
分からない。どうして、ここまで突っかかってくるのか。
どうして、そんな顔をしているのか。とても不快だ。

彼女の言葉を無視し、一歩前に出ると、ユナはその体をビクリ、と反応させた。
「……私も……殺すの?」
その目を見て、ファルグはさらに苛立ちを強めることとなった。
懇願、悲哀、死への恐怖。なるほど、確かにそれらもあるかもしれない。
しかし、ユナの目により強く浮かんだ感情はもっと別のものに思われた。
諦観。軽蔑。失望。
自分という、はるか強者に対して媚びるのではなく、どこか弱者を憐れむ様な目。
それが、ファルグの神経に障った。
今、お前の生死を握っているのは誰なのか、分かっていないのか。

「知りたいか」そう言うと、ファルグは地面を蹴り、ユナの側まで移動した。
本人してみれば、ちょっとスピードを出して走った程度。
しかし、ユナにしてみればまさしく瞬間移動。一瞬自分を見失った様子から、いつ移動したのか分かっていないのだろう。

そして、ファルグはユナの頭を掴み、オーラを込めた。
若干怯えたような表情で、ユナは目を瞑った。まさに、死を覚悟したに違いない。
しかし、彼女の頭が吹き飛ぶことはなかった。

オーラを込め終わり、ゆっくりと手を離すファルグを、不思議そうな、いや、不安そうな顔で見つめた。
「……何をしたの……?」
「最初に言っておく。俺の目的はさっきも行ったとおり、平穏に暮らすことだ。
 だから、俺が生きていることを知っている人間がいてはいけない。」

嘘だな。そうであれば、今すぐに目の前の女を殺せばいいだろうに。
そんな矛盾を抱きながらも、ファルグの口は止まらなかった。

「だから、本来であればお前も殺さないといけない。しかし、お前が生きていても他人に話さなければ問題ない。
 ……お前を、手元において監視させてもらう。逃げようとしたら、念の爆弾でお前の頭を吹き飛ばす。」
「念の……爆弾?」
「ああ、そういえばこっちの能力は言ってなかったな」
ファルグは地面に転がっている石を拾い、オーラを込めて壁に向かって投げつけた。
その瞬間。小石は爆発音を上げ、壁が砕け散った。
飛び散る破片に思わず顔をかばっているユナを見ながら、どこか現実感のない口調で説明を続けた。

非情な現実ブービー トラップ”。物質を爆弾にする能力だ。
 見りゃ分かるとおり、お前の頭を吹き飛ばすには十分すぎる威力だ」
「私の頭にも……これを?」
「ちょっと違う。お前の頭には“空虚な理想デイ ドリーム”の目印をつけた。
 逃げたと判断したら、頭に爆弾を転送する。お前はもう逃げられない」



そう。この二つの能力は同じ物質に対して同時に使用できる。
会議室の組員達を吹き飛ばしたのも、この組み合わせによるものである。

会議室の組員達は、あらかじめ食事に盛られた睡眠薬によって寝入っていた。
そして“空虚な理想デイ ドリーム”のマーキングをし、部屋を出る。
その際に、他の見張りたちをこっそりと殺しておくことも忘れない。
さすがに、屋敷全てを吹き飛ばすほどの火力はないからだ。
かといって、爆弾を大量に送ることも出来ない。爆弾に出来る物質は三つまでという制限があるからである。
爆発するたびに新たに爆弾を作って転送すると言う方法もあるが、そうすると今度は転送先のマーキングが三箇所までという制限がネックになる。

よって、ファルグは爆弾の転送は会議室のみとし、他の箇所にいる組員及びフィリアは自らの手で殺すこととしたのだ。
もちろん、フィリアは殺した後に爆弾に変える。
また、ガストがフィリアの元にいかないことも考えられたため、外に出たファルグは見張りを殺すと同時に入り口にマーキングをした。

そして、ガストとユナに飲ませた睡眠薬が切れる頃に爆弾を転送。
爆発音によって目覚めた二人はその現場を見て、自分が死んだと錯覚するだろうという予測を行なった。
もちろん、実際には穴だらけの計画であり、思い通りには行かなかったのだが。

そして、ユナに転送先を仕掛けたということは脅しではない。実際、その気になればいつでも爆弾を転送できる。
ユナもそれは分かっている。――だからこそ、逆らえない。



「俺について来い。側にいて、他の奴に情報を漏らさなければ生かしておいてやる。
 だから、お前も俺に殺されるような真似はしてくれるな」
「……今、ここで殺そうとはしないんですね……」
「ああ。すぐにはな。あの公園にも連れて行ってやると“約束”しただろう?」
その言葉を聞き、ユナは顔を紅潮させて睨んだが、すぐに顔を伏せた。
「……分かりました」

「それでいい」ファルグは満足そうに頷き、「誰かが来るとまずい」といってユナを促し、この場を離れた。
しかし、ファルグには分からなかった。自分がなぜ、他の人間と違ってユナだけは危険を冒してでも生かそうとしているのか。
当然、ユナにもその理由は分からなかった。

その理由はユナの“偽りの愛情ホワイト ライ”にあった。
そう。どこまで効力を発揮しているかユナを不安にさせたあの能力。
皮肉なことに、この状況において、あの能力はこれ以上ないほどの効力を発揮していることを証明していたのだ。

だが、それを二人が知る由はない。そして……例えユナがそれを知ったとしても、喜ぶことは出来ない。
もう、二人はその頃に戻れないのだから。



[27521] 12話 蝙蝠・1
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/07/26 02:05
「蜘蛛の奴らはなんと言ってる?」
葉巻の煙を吐きながら、十老頭――マリオ=エスコバルは目の前の、サングラスをかけた男に尋ねた。

「とりあえず、こちらの要望は聞いてくれましたよ。思いっきり足元見られましたけどね」
頭を掻きながら、サングラスの男――ケイツ=ラビオストリは答えた。
彼の脳裏に浮かぶのは、幻影旅団の一員である金髪の優男。
とにかく様々な条件を突きつけられ、法外な金額を払うことでようやく引き受けてくれた。
盗賊だから物はほとんど盗んでいて、金などまともに使わないだろうに。
そう思わないでもなかったが、こちらとしてもやってくれないことには困る。
結果、ほとんど向こうの要求を呑む形であるものの奪取を依頼することとなった。

ああいう、理詰めでひたすら相手の論理の穴を突こうとしてくる人間はどうも苦手だ。
とはいえ、自分もそういう性格だから、同族嫌悪と言う奴なのだろう。
案外、自分と同じく操作系かもしれない。

そんなことを考えていると、エスコバルは次の質問をしてきた。
「そういや、この前のベッキーニの襲撃事件。何か進展があったか?」

「ああ」と、相槌を打ち、ケイツはサングラスのつるをいじりながら答えた。
「部下の調査によると、念能力によるものらしいですね。
 それと、アイジエン大陸のハイシーシティでベッキーニ組員の能力者を見かけたと言う報告が入ってます」
「そいつが犯人ということか」
「おそらく。名前はファルグ=キーツ。まあまあ名の知れた能力者です。一般人にはきついでしょう。
 ……“毒蜂”、行かせますか?」
“毒蜂”とはマフィアの一員ではない。あくまで、ケイツが個人で雇っている“私兵団”である。
しかし、その実力は高く、彼の命令で多くの暗殺をこなしている。
その人物であれば、よほどの相手でない限り仕留める事は出来るだろう。
しかし、エスコバルは首を縦に振らなかった。

「いや、これは見せしめだ。……“ふくろう”に行かせようと思う」




    第12話 蝙蝠こうもり・1




エスコバルの提案に、ケイツはいい顔をしなかった。
ふくろうはまずいんじゃないすか?あそこは白龍パイロンさんの管轄です。
 そんな場所に陰獣を送り込んだら戦争すると言ってるようなもんすよ。……と、“毒蜂”でもそうか」
ぼりぼりと頭を掻きながら、ケイツは考え込む。

そう、アイジエン大陸はエスコバルの管轄ではない。ハイシーシティは別の十老頭、王白龍ワンパイロンの管轄だ。
そのような場所に、マフィアの中で最強を誇る戦闘集団である陰獣の一人、ふくろうを送り込もうものならどうなることか。
最悪の場合、王白龍ワンパイロンとの戦争となるだろう。当然、エスコバルとしてもそれは避けたい。――しかし。

「じゃあ、マフィア皆殺しなんてナメた真似するクソガキを見逃せってのか!?」
そう。これはマフィアの沽券に関わる問題。自分の管轄でこのような問題を起こされたのだ。
いくらなんでも、これを見過ごしてしまっては自分の威信は地に落ちるだろう。

「……まあ、白龍パイロンさんに話をつけて了承を取るしかないでしょうね。
 あるいは……白龍パイロンさんに捕らえてもらうか」
半ば諦めたかのようなケイツの言葉を聞き、エスコバルは考え込むこととなった。
正直なところ、白龍パイロンとの仲はあまりよくない。
陰獣を送ると言えば、いい顔はしないだろう。しかし、見逃すという選択肢はありえない。

「仕方ない」と呟きながら、エスコバルは再び葉巻をくわえ、煙を吐き出した。
「……白龍パイロンとは俺が話をつける。お前はふくろうと連絡を取れ」

「あいあい」そう答えながらケイツは立ち上がったが、ふと思い出したようにその場に留まった。
「そういや……これは未確認情報ですが、その男、女を一人連れてるとかなんとか」
「その女も関係あるのか?」
「そこまでは。そもそも、本当にその男の女かも分かってないそうですからね」
「そうか。まあ、見かけたら生け捕りにして尋問するくらいでいいだろう」
そう答えながら、エスコバルは再び葉巻を加えた。あの頑固な老人をどう説得するか考えながら。




ハイシーシティ。アイジエン大陸の東のほうにある大都市である。
街並みは非情に発達しており、その規模はヨークシンにも劣らない。
特に料理と夜景が有名で、毎年多くの観光客が訪れている。

そこからやや外れた郊外の小さなアパートの一室。そこに、ユナとファルグは住んでいた。
同居と言えば聞こえはいいが、実態は監禁生活に過ぎない。
一人での外出は許可されておらず、普段は狭いアパートの一室で過ごさないとならない。
当然、電話も解約されているし、ネットも使用不可のため外部との連絡は取れないようになっている。
テレビの視聴は許可されているので、外部の情報から全く隔離されていないことが不幸中の幸いだろうか。

自由こそないものの、「生きる」という一点についてはそこまで問題がないことも救いだった。
調理はユナの担当だが、きちんと自分の分の食料も調達してきてくれるし、入浴も出来れば睡眠も取れる。
たまに理不尽な暴力を受けることはあるが、「殺される」とさえ思った昔に比べれば生ぬるいものだ。

とはいえ。

――所詮、私は「お人形」か……。

そんな思いを抱かざるを得ない。父親も、ガストも、そして、今のファルグも自分を「人間」として見てはくれなかった。
「ママだけだよね……。私を『人間』として見てくれたの……」

そう思う反面、現実に流されてばかりでどうにも出来ない自分自身にも嫌気が差していた。
殺されないように。見捨てられないように。思えば、そればかりを考えて生きてきた気がする。
強い相手に媚びへつらい、嫌われないようにしてきた。場合によっては、自分の女さえも差し出して。
今だってそうだ。本気で、殺されるかも知れないリスクを背負ってでも動けば、現状は打破できるのではないか。
しかし、それが出来ない。子供の約束とはいえ、昔に母とした約束を考えると、死ぬのは何よりも怖い。
いや、それも単なる言い訳なのかもしれない。怖いのだ。嫌われるのが。敵意を持たれるのが。

「まるで、コウモリだな」子供の頃に聞いた寓話を思い出しながら、ユナは自嘲気味に嗤った。
哺乳類と鳥類、両方にいい顔をして自分の味方につけようとし、最後はそれが両方に知られて独りぼっちになってしまった。そんな、コウモリの寓話を。
何も知らない無邪気な頃は、ただの自業自得としか思えなかったのに。




「くそがっ!」仕事の帰り道、ファルグは苛立ちながら歩いていた。
楽しそうに笑っている周りの連中が恨めしい。苛立ちに任せて、殴り倒すことが出来ればどれだけいいだろう。
しかし、それは出来ない。マフィアという後ろ盾を失い、警察やハンターが追っている可能性のあるファルグにとって、ここで問題を起こして目立つわけにはいかないのだ。

仕事にしたってそうだ。もとより、地元の人間でない自分がつける職などそう多くはない。
それだけでなく、この地域のマフィアに顔を見られてはいけないということが、余計に話をややこしくした。

マフィアというのは、想像以上にしつこい。だからこそ、あまり目立つようなことは出来ない。
そして、その利害関係も幅広い。いかにも裏稼業と言う仕事はもちろんだが、一見するとマフィアなど到底関わらなさそうな表の大企業にもその触手を伸ばしている場合が結構ある。

だからこそ、自分がつく職は入念に調べざるを得なかった。そして、当然のことながら、つける職種はごく限られる。
きつい仕事内容。安い賃金。嫌がらせをしてくる上司。覚悟してはいたものの、ここまで思い通りにならないとは思わなかった。
最近は、苛立ってユナに八つ当たりをすることも増えてしまった。

「何で俺、ここまでして生きてるんだろうな」無意識のうちに、燻っていた思いが口を吐いた。
これまではよかった。復讐というネガティブな感情とはいえ、生きる目的がちゃんとあった。
しかし、今は本当に何もない。生きる意味さえも。

「復讐しても何も戻らない」テレビや小説などで何度も目にした、安っぽい言葉。
それを見るたびに、「何も知らないくせに知った風なことを」と鼻で笑ったものだ。
しかし、現実はどうか。現に復讐を達成した今も、自分の心には何も湧かなかった。ただ、空っぽ。
それどころか、あの時思い描いていた「平穏無事な生活」ですらも、満足に手に入れることができない。
ただ、惰性で働き、惰性で生きている。そんな生活だ。

いっそのこと、ユナに働かせればよかったかもな。あいつは俺と違い、そこまで顔が知られているわけじゃない。
自分ほどに、職に不自由はしないだろう。
いや、だめだ。あいつを外の世界に出したら、いつ自分のことを話すか分からないし、逃げ出すかもしれない。
そんな思考に至ったとき、そうじゃないだろう、と思わず自分自身に苦笑いしてしまった。
本当に自分のことを話されて困るなら、始末すればいいだけだ。それなのに生かしているのはなぜか。

自分のことを外部に話されては困る。
そんな名目で彼女を自分の手元に置き、自分の思い通りにしている。
しかし、本当にそんな理由か。なるほど、確かに最初の頃はそうだったかもしれない。
が、今ではそこまでして彼女の自由を奪う意味が分からなくなっていた。

あの事件以降、ユナの自分を見る目がひどく冷たい。
当然だろう。自分の仲間を皆殺しにし、自分にさえいつでも殺せるような念をかけた。
そんな人間を、誰が好意を持った目で見られるというのだ。
理屈では分かっているが、それがどうにも耐えられなかった。
そんな目で見られるくらいならば、いっそ目の前から消えて欲しい。
以前は、それでも側にいて欲しいと思っていたが、この頃疲れたのだろうか。そう思うようになっていた。

ケータイをポケットから取り出し、時刻を見る。もう、夜の八時を回っていた。
自分も空腹を覚えていたし、ユナも腹を空かせているだろう。
冷蔵庫にもう何もないと言っていたから、まだ何も作っていないはずだ。
そう思いながら、今日の日付に目が移る。
「あれから、もう二週間か……」

復讐を達成してから二週間。ヨークシンに留まり続けるのはまずいと判断し、この地に移ってきた。
果たして、自分はその二週間で一体何をしてきたのか?

そう思いながら、ファルグはふと、同僚に聞いた旨いと評判のレストランを思い出した。
ハイシーでは珍しい洋食屋らしい。今夜のような日にはちょうどいい。
あいつも、ずっと部屋の中で気分が滅入っているだろう。
ふと、気がついたらユナのことを考えている自分に気づき、思わず笑ってしまった。

だが、それも今日までだ。この関係も、もう終わりにしよう。心の底からそう思っていた。
自分のことを話すのならば、話せばいい。マフィアに売るなら、売ればいい。
自分には、もう何もないのだから。




ファルグに連れられ、ユナはレストランへとたどり着いた。
ここに来てから一週間とちょっと。それまで、外食などしたことはなかった。例外は、ここへ向かう飛行船の中くらいだ。
あれほど、自分の顔が知られることを神経質なまでに嫌っていた男が、どういう風の吹き回しだろう。
そう思いながらも、嫌われることを恐れて、当たり障りのない話をすることしか出来なかった。
時折、ファルグは何か言いたそうにこちらを見ては目を逸らし、別なことを話す。
自分はもう用済みだ。そう話そうとしているのだろうか。これは、自分を殺す前の最後の情けなのか。
そう思うと、ユナは真意を尋ねることをためらってしまっていた。

そして、お互いに本心を言い出せぬまま、夕食は終わった。
食事を終え、会計を済ませるファルグを見ながら、ユナは名残惜しい気持ちになっていた。
気のせいかもしれないが、今日のファルグは妙に自分に優しかった。
それは、自分を殺す前に見せてくれた優しさなのかもしれない。
だからこそ。その優しさをずっと味わっていたかった。もう、決して自分に向けられることはないと分かっていたから。

外に出ると、街灯が二人を出迎えてくれた。ハイシーは夜景が有名な街だ。
さすがに、展望台からの景色には敵わないが、それでも街に灯るイルミネーションは美しい。
こんな状況でなければ、どれほど幻想的だろう。そう思わざるを得なかった。

街灯の下を、二人は押し黙りながら歩いていた。言いたいことはある。
けれども、神妙なファルグの顔を見るとどうにも言い出せなかった。
沈黙に耐えかねて、ユナが口を開こうとしたとき、妙な気配を感じた。
ファルグを見ると、上空を見上げている。つられて自分も空を見ると、信じられないものを目にした。

「人が……飛んでる?」
いや、それは果たして「人」と言っていいものかどうか。
確かに人の形はしている。しかし、本来両の腕があるはずの場所には、コウモリを思わせるような巨大な翼が付いていた。
そして、あろうことかそれは自分達の方向に向かって飛んできているのだ。

ファルグはポケットに手を入れ、ベアリング弾を取り出す。
それを見て、ユナも慌てて懐から銃を取り出し、スライドを引いた。
なぜ銃を持っているかと言うと、さすがに護身用として必要だろうということで携帯を許可されていたのだ。

そして、それは自分達の前に着地した。
黒い翼を持つ、黒ずくめの男。その殺気は、今までに経験したことのないものだった。
そう。ライラよりも、ファルグよりも、目の前の男はずっと強い。

「ファルグ=キーツだな」コウモリの羽を持つ男はまるで感情のないような目でこっちを見て話した。
たった一言なのに、体の奥底を掴まれたような感覚に陥ってしまう。それは、ファルグとて同じなのだろう。
「お前は?」気丈にもそう答えたが、その声は震えていた。
そして、その言葉を聞いて目の前の男は絶望的な一言を発した。「陰獣」と。



[27521] 13話 蝙蝠・2
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/08/03 01:22
「だめだ」エスコバルの再三の頼みにも、王白龍ワンパイロンは首を縦に振らなかった。
「だから言っているだろう?ふくろうには、そちらへの手出しはさせない」
「もちろん、信用はしている。しかし、若い連中はそれじゃ納得しない。こちらも陰獣を出すべきだとうるさくてな」

ぬけぬけと、よく言う。そう思いながらも、エスコバルは反論することが出来なかった。
実際、他の組の、それも陰獣が来るとなると不安になる連中がほとんどだろう。
とはいえ、白龍パイロンがその気になれば抑えることなど容易なはずだ。

結局のところ、他の組の陰獣などを自分の懐に入れたくないということだろう。
監視するにしてもただではない。まして、陰獣が実際に敵意を持って暴れることを想定すれば、こちらも陰獣に見張らせるしかない。エスコバルも、その理屈は分かっていた。だからこそ、強く言い出せない。

「頼む、白龍パイロン。ここであのガキを見逃したら、俺のメンツは丸潰れなんだ」
理屈ではどうにもならないので、メンツの問題と訴える。が、それも一蹴される。
「それも言ってるだろう。俺が捕らえて引き渡す。念能力者だったら、ちゃんと陰獣を動かす」
「『俺が』捕らえないと意味がないんだよ。ガキ一人捕まえられないのか、という評価になりかねん」
「……それなら、実際にはお前が捕らえたということにしておいてやる。とにかく、俺の縄張りに陰獣など入れることは出来ない」

この返答に思わずエスコバルはため息を吐いた。正直、ここまで頑固とは思わなかった。
もちろん、取引をするということも考えられるが、そこまでするほどのことかどうか。
逆に、ここで白龍パイロンに貸しを一つ作っておくのも悪くないかもしれない。
このような結論に達するまで、時間は掛からなかった。

「……分かった。お前に任せる。ただし、必ず捕まえろよ」
「方法はこちらに任せるんだろうな。あと、生死の保証はしないぞ」
だったらこちらにやらせろよ、という言葉を飲み込み、了承の意を示す。

「これで捉えることが出来なかったら、今度はお前のメンツが潰れるぞ」
嫌みったらしいエスコバルの言葉にも、白龍パイロンは動じないようだ。

「安心しろ。ちゃんとうちの陰獣、蝙蝠こうもりを向かわせる」




    第13話 蝙蝠こうもり・2




陰獣を名乗るその男は、恐ろしく強大なオーラを纏っていた。
全身が黒尽くめで、両腕が本来ある場所にはコウモリのような翼が付いている。
少し開いた口元からは、人間のものとは思えないほど尖った歯が覗いている。

――異形。

正しく、そう形容するにふさわしい姿と、オーラを兼ね備えていた。

しきりに音を鳴らす歯を何とか抑えながら、ファルグはようやく言葉を発することが出来た。
「この辺を管轄とする陰獣……蝙蝠か?」
「そうだ」

蝙蝠が歩みを進めると、二人に緊張が走った。無意識のうちに、足を後退させ、武器を構える。
それを特に興味のなさそうに眺めた後、蝙蝠はユナを見て言った。
「女。俺はお前については特に何も聞いていない。今逃げれば、見逃してやってもいい」
「嘘つき」銃を下げることなく、ユナは返した。
そう。自分を見逃す必要性など、どこにあるというのだ。そんな思いから。



しかし、蝙蝠にしてみれば、これはごく普通の提案であった。
目的はファルグの捕獲、あるいは殺害。それ以外の人間など、邪魔なだけだ。
もっとも、特別殺さない理由がある訳でもない。邪魔をするようなら、排除するだけだ。
そのような意図で発した言葉であったが、どうやら伝わらなかったようだ。



「まあ、いいさ」そう返すと蝙蝠は今度はファルグの方を向いた。
「ファルグ=キーツ。お前は上層部より生死を問わず確保するように言われている。
 逃げようとしても無駄だ。せいぜい足掻いて見せろ。」

その言葉に含まれているのは、強者の余裕。万に一つも負ける可能性のない相手。だからこそ生まれた言葉。
そして、久しく強者との闘いをしていない蝙蝠にしてみれば、少しでも暇つぶしになればよいという程度の意味でしかなかった。
大して構えず、ゆっくりと近づいていくのも余裕の現われだ。

「そのつもりだっ!」その隙を突いての先制攻撃!

オーラを込められたベアリング弾が蝙蝠に飛んでいく。が、翼を振り下ろすと、軽々と弾いてしまった。
その直後。陰に隠れて飛んできた銃弾に蝙蝠は気づく。ユナの放ったものだ。
それも、弾く。そもそも、念の込められていない銃弾など蝙蝠にとっては物の数に入らない。
相手の不意を突いた連携は見事だが、攻撃が効かないのであれば意味はない。



――が。

「こっちが本命だよ、バカ野郎」
そう。油断していた蝙蝠は、もう一発放たれた攻撃に気付かなかった。
特にオーラで強化がされていないベアリング弾。が、それは蝙蝠に着弾すると、即座に爆発した。

あたりに煙が立ち込め、二人の視界を閉ざした。
「いくらなんでも、こいつなら……」
自分の能力に対する自信、そして、何よりも願望から発せられた言葉。
今まで、この能力を受けて生きていた者などいない。その経験に裏づけられた願いだ。



――だが。

「……バケモンか……」
煙が薄くなり、蝙蝠の姿が視界に入ると、ファルグはそう呟かざるを得なかった。
そう。彼の自信を粉々に砕くかのように、全く負傷していない蝙蝠の姿を見て。

「タイミングはいい。しかし、圧倒的に火力が不足している」
蝙蝠の言葉に、ファルグは今までの価値観が崩壊するような感覚を抱いた。
今まで倒せなかったものがいないこの能力が……火力不足だと!?



もちろん、いかに陰獣の一人である蝙蝠とて、全くの防御なしでは無傷でいられるはずがない。
衝突の直前に、ガードした腕に大量のオーラを集め、その部分の防御力を高めたのだ。
“流”と呼ばれるその技術はある程度の能力者であれば習得している。もちろん、ファルグもだ。

しかし、その速度及び扱えるオーラ量には明確なまでの差がある。
完全な不意打ちのタイミングであるにも関わらず防御が間に合ったのは、蝙蝠の実力があればこそだ。
もし、逆の立場であったならば、ファルグの腕は吹き飛んでいただろう。



また、これは余談だが、蝙蝠は爆発事件の犯人が、物質を爆発させる念能力を持っていることを知っていた。
ケイツの調査の結果、屋敷で爆発した箇所は二箇所。
しかし、そのいずれにも火の気はなかった。
爆弾などの爆発物の形跡もなければ、燃焼促進物の臭いもない。
当然のことながら、出火するような箇所もないし、漏電していたわけでもない。
さらに、死んだと思われていた能力者が実は生きていると言う事実。
これらのことから、何らかの爆発を引き起こす念能力を使っていることは明白であった。
ついでに言えば、爆発現場に殺意のこもったオーラが残留していたことも決め手となった。
だからこそ、一見強化されていない弾丸にも爆発の可能性を考慮して即座に防御することが出来た。

一方、ファルグもユナも蝙蝠の念能力を知らない。
……いや、能力どころか、その実力がどれほどのものかすら分からない。
単純な実力差だけでなく、情報戦という見地でも蝙蝠の圧勝であった。

いわば、これは万に一つも勝ち目のない戦い――。



ゆっくりと近づいてくる蝙蝠に対して、ファルグは思わず後退していた。
無理だ。こんな化け物、勝てるわけがない。

蝙蝠はそんな自分の内心を見透かしたのか、軽蔑するような笑いを浮かべていた。
「どうした?そこの女を置いて逃げるのか?
 もう少し楽しませてもらえると思ってたが……単なる腰抜けか」
「っ!! てめえっ!!」
「一端のプライドはあるようだな。腰抜けでないというなら、さっさと攻撃してみろ」
「ぶっ殺す!」
そう言うや否や、ファルグは蝙蝠との距離を一気に詰め、殴りかかった。



二人の攻防は速すぎて、ユナは目で追うのが精一杯だった。
銃をまだ構えてはいるが、発砲することは出来ない。
二人とも高速で動き回っているので狙いが絞れないし、下手にファルグに当たってもまずいからだ。
ゆえに、ただ二人の闘いを見ていることしか出来ない。



――逃げちゃえばいい

理性は、そう伝えてくる。

そう、何を遠慮する必要があると言うのか。
一人は、みんなを殺し、自分さえも殺そうとした。今も、勝手な理由で自分のことを監禁している。
一人は、そんな彼を捕まえに来た人間だ。自分には関係ない。本人も、「逃げていい」と言った。

そう。理屈では分かっていた。理屈では。

けれども、彼女の足は動かなかった。
なぜかは分からないけど、自分はこの場から逃げてはいけないような気がして。

到底、彼に勝ち目のないことなど分かっているのに。



ユナの抱いた感想どおり、格闘戦においても、二人の実力差は圧倒できだった。
いや、むしろこの場合はファルグのことを「良くここまで食らいついた」と誉めるべきか。それほどまでの差だ。

ファルグの攻撃に、決定打は一切ない。
攻撃はことごとくかわされ、あるいは防御され、ダメージを与えることは出来ない。
一方、蝙蝠の攻撃は一撃一撃が重い。辛うじて防いではいるものの、ダメージは蓄積していく。

このままでは埒が明かない。
そう感じ取ったファルグは相打ち覚悟で殴りかかった。
狙いは後頭部。蝙蝠が左胸を狙って殴りかかろうとしたタイミングに合わせて、カウンターのフックを浴びせる!

「ぐ……!」
左胸に強烈な一撃を食らったファルグは、そのまま吹き飛ばされてレンガ造りの塀にぶつかった。
今の衝撃で、あばらが何本か折れたようだ。
ファルグの手は、何とか蝙蝠の頭に触れることは出来た。しかし、それは攻撃とは言わない。ただ触れただけだ。

強烈な目眩と痛みが襲ってくる。立ち上がるのも億劫だ。
「もう終わりか?」そんな言葉が聞こえてくるが、妙に現実感がない。
「じゃあ、次はあの女の番か」
そう告げて、足音が自分から離れていく。
このまま、痛みに任せて意識を失ってしまえば、楽になれる。
ひょっとしたら、自分を見逃してくれるかもしれない。
ユナには悪いが、俺は精一杯やった。
親父も、こんな無様な俺を見たら眉をひそめるだろうが、後悔は何一つない。



――本当に?



ふと湧き上がった疑問に答える間もなく、気がついたらファルグは立ち上がっていた。
ユナの方へとゆっくりと向かっていく蝙蝠を目の端で捉えながら、落ちているコンクリートの破片を拾い、オーラを込めた。

そして、それを勢いよく蝙蝠に向かって投げつけた。
当然、それに気付かない蝙蝠ではない。
念で強化したか、あるいは先ほど使用した、爆弾にする能力か。
どちらにせよ、問題ない。それを防ぐことの出来るオーラを腕に込め、防御体制を取る。



――が。
「!?」

蝙蝠は驚愕した。自分の方に向かってくるはずだった。破片が突然消えたからだ。
そして、疑問を挟む余地がなく。蝙蝠の後頭部で爆発が起こった。
あたりを轟音と共に白煙が包む。



ユナは一連の事象を見て驚いていた。蝙蝠に向かって飛んでいたはずのコンクリートの破片が突如消え、蝙蝠の後頭部で爆発が起こったからだ。
が、すぐに何が起こったかは理解できた。

事の発端は、先ほど二人が殴り合い、ファルグが吹き飛ばされたときだ。
あの時、ファルグは蝙蝠の後頭部に触れた。その時は単なる攻撃の失敗と思っていたが、そうではない。
あれは布石。“空虚な理想デイ ドリーム”のマーキングだ。

そして、その後に投げられたコンクリートの破片。あれには二つの能力が込められていたのだ。
すなわち、マーキング箇所に転送する能力、“空虚な理想デイ ドリーム”。
そして、衝撃が加わると爆発する能力、“非情な現実ブービー トラップ”だ。

それらを込めて破片を投げた後、さらにもう一つ小さなコンクリートの破片を投げる。
先に投げた破片が蝙蝠にぶつかる前に、小さな破片がぶつかるように。
小さな破片がぶつかった瞬間、二つの能力は発動する。
マーキングされた箇所に転送され、即座に爆発する。
正面から来ると思っていた相手の虚を突き、無防備な後頭部に爆発を浴びせることが可能だ。



ファルグは、ふらつきながらユナの方に近づいた。
いくらなんでも、無防備な後頭部にあの爆発を受けたのだ。
無事でいられるはずがない。

安堵のため息をつき、ようやく側についた。
「大事な話がある」
そう告げ、続きを待つユナの顔を見て次の言葉を紡ごうとしたとき――。



「いい一撃だった。並みの能力者なら死んでいただろう」
絶望的な言葉が、その場を支配した。

そう。確実に葬れるはずだった一撃。それを受けたにもかかわらず、平然と立っている蝙蝠の姿がそこにはあった……。



[27521] 14話 約束・3
Name: 爆弾男◆90fedc9c ID:8aa83e82
Date: 2011/08/11 01:10
なぜ蝙蝠こうもりは後頭部に爆発を受けても平気だったのか?

その理由は、ファルグの能力――“空虚な理想デイ ドリーム”と“非情な現実ブービー トラップ”のタイムラグにある。
この二種類の能力は、同時に使用することを念頭において編み出された能力である。
そして、二つとも衝撃が加わることにより、その能力が発動するのだが、そこには若干の時間差が存在する。
なぜなら、仮に転送する前に爆発した場合、転送時にはその物質が存在しないのだから、転送そのものが不可能だからだ。
よって、蝙蝠に対し使用したような方法が出来なくなってしまう。
あくまで、攻撃対象の近くに転送してから爆発する必要があるのだ。

そのため、この二つの能力を同一物質に込めて衝撃を加えたとしても、先に転送を行なってから爆発を起こすように時間が調節されている。
その差は、時間にして約0.2秒。常人であれば、まず気付かないほどの誤差である。

しかし、陰獣の一角たる蝙蝠の場合は違う。
転送の瞬間に違和感を感じ取った蝙蝠は、即座に自分の背後に転送された、殺意のこもったオーラに気付く。
そして、腕に集めていたオーラを瞬時に後頭部に移動させ、防御を行なったのだ。
この一連の流れに、理性が介在する余地はない。
長年の経験と、それによって培われた勘により、本能的に防御体制を取ったのだ。
さすがに、完全に防げてはおらず、多少のダメージを負ってしまったが、逆に言えばその程度で済んでいる。
これこそが、陰獣たる蝙蝠の実力だ。

そして、この歴然とした実力差。自身の切り札さえ通用しないという事実。
これらは、ファルグの心を折るのに十分すぎるほどだった。




    第14話 約束・3




さも警戒する必要がないと言うかのように、蝙蝠はゆっくりと二人に近づいていった。
その姿に対し、ユナは銃を構えて迎撃体制を取るが、ファルグは青ざめたまま、微動だにしなかった。

「どうした?もう攻撃してこないのか?」
挑発するように蝙蝠が言葉を発するが、全く反応がない。
「ちょっと、どうしたんですか!」
その変化に焦ったユナの声に対しても。

その間にもゆっくりと近づいてくる蝙蝠。じわじわと、いたぶるかのように。
そんな彼を、一発の銃弾が襲う。ユナの放った銃弾だ。
当然のことながら、ダメージは一切ない。念が纏われていない銃弾など、蝙蝠にとって攻撃のうちに入らない。
それでも、ユナは撃ち続けた。先ほどの攻防で、効かないと分かっていてもだ。
少しでも、考える時間を稼ごうとして。

だが、弾が切れてしまったのだろう。カチカチ、と音が鳴るばかりで弾が出ない。
もともと、彼女の銃は携行性を重視したモデルであり、装弾数はさほど多くない。最大で8発ほどだ。
前を注視しながら、左手でジャケットの中を漁り、マガジンを取り出そうとする。
もちろん、その隙に蝙蝠が攻撃してくればひとたまりもないことは分かっている。

しかし。
「弾切れか?待ってやる」
「……随分、余裕があるんですね……」
ユナの考えに反し、蝙蝠が攻撃してくることはなかった。
先ほどファルグと対峙したときもそうだった。
自分の実力に、絶対の自信を持っている。そして、少しでも相手に抵抗の余地を残して、楽しもうとする。
通常であれば、まさしく命取りとなるであろう性質。
もちろん、今この二人がどのような行動を取ろうとも自身に致命傷を与えられないことを見越しての行為だ。

油断というのは、それを突く事のできる相手がいて初めて成立する。
そうでなければ、それはただの余裕というものだ。
そして、二人にとって絶望的なことに、蝙蝠のそれは後者だった。

マガジンを取り替え、スライドを引き薬室に装填を行なう。
この動作の間、蝙蝠は一切動かなかった。そのことに、少し感謝しながらユナは銃を再び蝙蝠に向けた。

「無理だ……」
その横で、ファルグは呟いた。
「あんな化け物……勝てるわけがない……」
その言葉には答えず、無言で一発銃弾を放つ。
そして、蝙蝠を見据えたまま、小声で指示を出した。
「こんなもの、時間稼ぎにしかなりません。勝つのは無理でも、どうにか逃げる方法を考えて下さい」

そして、また一発。
「幸い、相手は余裕を見せています。上手く隙をつければ、逃げることが出来るはず」
「逃げられるわけがない……あんなの……」
「出来ないじゃなくて、やらないと殺されるんですよ!?」
「もう終わりだ……。せめて、楽に殺してくれるように――」
「ふざけるな!!」
ファルグの言葉を遮り、怒鳴りつけた。
こんな状況でなければ、殴っていたところだ。
「あなたは復讐を達成して満足かもしれないけど!!
 私は何一つ成し遂げていないんだ!!」
そう。私は何一つ成し遂げていない。
幼き日の、ママとの誓いを。

一連のやり取りを見ていた蝙蝠は、にやり、という音が出そうな笑みを浮かべた。
「いい、な。お前。実に、いい」
その笑顔に、背筋が凍りつきそうになった。初めて垣間見えた、その邪悪な本性。
「俺はな……何とか生き延びようと、必死に足掻く人間が大好きなんだ。そんな人間を何人も見てきた」
クク、とこぼしながらユナを見据える。
「そしてな、そんな人間がどうにもできず、最後に絶望して死んでいく。その瞬間が、たまらなくいい。
 だから……簡単に折れてくれるなよ?」
「……趣味が悪いってよく言われませんでしたか」
「自覚してるとも」

その醜悪な笑みに嫌悪感を感じ、また一発銃弾を叩き込む。当然、ダメージはない。
「そう。無駄と知りつつも必死に足掻く姿。それがいいんだ」
「黙れ!!」
もう一発。それも弾かれる。
「それに引き換え……お前は何だ?」
蝙蝠の侮蔑するような目が、ファルグを射抜く。
「女が必死に抗っている中、何一つ出来やしない。恥ずかしくないのか?」
蝙蝠の侮蔑の言葉にも、反応はない。

「完全に折れたか……。ならば、女を痛めつければ少しはやる気が出るか?」
そう言うや否や、蝙蝠はユナの左側に瞬時に移動し、そして――



「ぎゃあああああああああ!!」
その左腕を掴んだ。蝙蝠にしてみれば、ちょっと強くつまんだ程度。
しかし、それだけでユナの左腕は、本来であればあり得ない方向に折れ曲がってしまった。
それでもなお。強烈な痛みに叫んだのは一瞬で、すぐに銃を向け反撃をする。

当然、効くはずもない。しかし、蝙蝠は驚きを隠さなかった。
「驚いたな……。ほとんどの人間は、腕が折れたら反撃どころではないが。お前、あの男よりもよっぽど見込みあるぞ」
「う……るさい!!」
「しかし、オーラ量が絶対的に不足している。今俺に出会った不運と、あの男の不甲斐なさを呪うんだな」
そう言うと、今度は先ほどとは違い見せ付けるかのようにゆっくりと、その左手をユナの右腕に向けて伸ばした。

「次は右腕だ」
浴びせられる銃弾にも構わず、ゆっくりとその左手をユナの右腕に近づける。
少しずつ、絶望が近づいてくる。
そして、蝙蝠の左手がユナの右腕を掴もうとした瞬間――



蝙蝠は吹き飛ばされた。気が付いたときには、ファルグがその側にいた。
数瞬の後、ファルグが自分を守るために、蝙蝠を殴ったのだとようやく理解した。
――なんで、いまさら――?

すると、吹き飛ばされて寝転んだままの蝙蝠が、突如笑い始めた。
どこまでも余裕を隠さない笑い声。その傲慢さに腹が立つが、どうにも出来ない。
ゆっくりと蝙蝠は起き上がると、今までにないほどの醜悪な笑顔を浮かべた。
「そう。こうでないとな。ようやくやる気を出したか?」

それに対し、ファルグは右手を開いて、蝙蝠に向けた。
「1分。……いや、30秒でいい。彼女と話をさせて欲しい」
その言葉に、蝙蝠は訝しがる視線を向けたが、やがて頷いた。
「いいだろう。言っておくが、逃げようとしても無駄だぞ?」
「分かってる」

蝙蝠にそう告げると、ユナの方を向きなおし、頭を下げた。
「済まない。……こうなったのは、俺のせいだ」
ポツリと呟かれる、弱々しい言葉。この都市に来るまでは、見ることの無かった姿だ。
「復讐だ何だと言って、結局俺は何一つ果たすことは出来なかった。
 親父の名誉が汚されたからって激昂してたが……何のことはない。俺自身がマフィアに手を染めて名誉を汚しちまったんだ。
 そして、平穏な生活がしたいと言ってお前を巻き込んで……。
 マフィアの追っ手から逃げ切ることすら出来ず、こんな目に合わしちまった。
 恨み言なら、いくらでも聞く」

その今まで聞けなかった本音に、思わずため息を吐きながら返した。
「……よく分かってるじゃないですか」
俯いたまま、ファルグは微動だにしない。

「そこまで分かってるんだったら、責任を取って何とか逃げる方法を考えてください。
 私も一緒に考えますから。……もう時間がありませんよ?」
そう言って蝙蝠の方を向きなおし、改めて右手で銃を握り締める。
折れた左腕はまだ痛む。あまりの痛みに、吐き気すら込み上げてくる。
けれども、ほんのちょっとだけ、痛みが和らいだ気がした。



――だが、その思いはすぐに裏切られる。

「悪いが、それはできないんだよ」
「な!?」
思わぬ言葉に、ユナは振り向きそうになる。……が、ファルグに抱きつかれ、それをすることは出来なかった。
「ちょ……!こんな時に何やってるんですか!?」
だが、ファルグは答えない。代わりに、膨大な量のオーラをユナに注ぎ込んだ。

その通常ではあり得ない行為に疑問を抱いたとき、ようやくファルグがその口を開いた。
「俺の能力……覚えているか?」


一体何を?


そう言おうとした瞬間、ユナの頭をある考えがよぎった。
そう。ファルグの能力は二つある。
一つは、オーラを込めた物質を爆弾にする能力、非情な現実ブービー トラップ”。
そして、もう一つは――。


「やめ――」
続きを言うことは叶わなかった。それより前に、ファルグがユナのことを突き飛ばしたからだ。
その瞬間。あたりを光が包み、景色が瞬時に移り変わっていった。
「悪いな、また約束守れなかった」
そんな声が、聞こえた気がした……。




気が付いたときには、あたりは闇に包まれていた。
街灯の眩しいハイシーシティとは打って変わった暗闇に、目が慣れるまで時間が掛かった。

「ここ……どこ?」
飛ばされた箇所は、これまでいたハイシーシティとはまるで違う。
光がほとんどなく、あたりの状況が分かりにくい。
微かに聞こえる木々のざわめきや水の流れる音から、比較的自然が溢れる場所のようだ。
そして、自分は地面より一段高いところにいるらしい。
そこから飛び降り、後ろを向いて――


「あ……」


言葉を、失った。



――来月も、ここに連れてきてくれますか?

――ああ、約束する



その目に入ったのは、いつか来た公園の、大きな噴水。

――目印だ。今度俺が忘れたら、ここに念でちゃんと移動させてやるよ

そう、あの日に目印をつけた、あの噴水。



「嘘吐き……」
そう呟きながら、ふらふらと噴水の縁に近づいた。

「何でこんなことするのよ……」
そのまま、しゃがみ込んで。

「ずっと嫌な奴のままでいてくれたら!!
 ずっと嫌いになれてたのに!!」
ただ、泣いた。


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