前線キャンプ設営、ボラセン会議に出席し、翌日からの活動の調整を行いました。
◎5月23日(月)
女川地区・D小学校での登下校サポートを開始しました。
「いきいき女川っ子 見守り隊」と書かれたPTAの方々が着用するベストを、全員で着こんでの活動です。3つの班に分かれて子どもたちの登下校を見守ります。
A班・・・海沿いのO地区のコンビニエンス・ストアの駐車場前。避難所、被災家屋、
仮設住宅から父兄が車で子どもを送ってくる。駐車場に待機して子どもたちが
安全にスクール・バスに乗り込むまでの確認。
B班・・・山間のA地区。山の中のがけ道を通って登校する子どもたちに、学校までの
道のりを付き添う。
C班・・・崩壊地域のI地区。壮絶ながれきと化した港町の、がれきの中を登下校せざる
を得ない子どもたちを見守り、スクール・バスに乗り込むまでの確認。
「職場では、朝早く起きるのが苦手な若いケア・スタッフたちが、誰一人として寝坊せずに出発する姿には驚いた」と、彼らの上司でもある臨床心理士の富永が笑っていました。
下校サポートのときにA班は、被災地の子どもたちの現実を見た思いがしました。車で迎えに来るはずのお母さんが、何かの事情で到着が遅れていることに気付いた4年生の男の子が、ひと言も喋らず、すごく不安そうな様子になってしまったのです。
友だちがいたときには明るく笑っていた男の子でしたが、お母さんの到着を待つ間、車がやってくるはずの方向を向き、不安そうな表情で、ずっと黙って立ちつくしていました。私たちが話しかけても、言葉を発することさえできませんでした。
お母さんが遅れて到着すると、男の子は嬉しそうに走り出して、お母さんの車に飛び乗っていきました。学校で元気に遊び、子どもたちとの間でエネルギーを取り戻しても、家のことは心配で、心配でしかたがないのが女川の子どもたちの本当の心情なのです。
朝5時30分起床、6時出発も、なんのその!この子どもたちを見守り、ささやかでもいいから、力になってあげよう!RFJメンバーは夜のチーム会議で、決意をあらたにしました。
東京の物資支援チームから提供された、お絵描きノート1000冊(素敵な装丁の白紙ノートです)を、D小学校に寄付しました。子どもたちや先生の「女川・負げねっちゃ(負けないぞ)日記」に使ってくれたら…という願いを託しました。
牡鹿半島のO公民館に拠点を置き、長期にわたって支援活動を行ってきたPSプロジェクト代表のEさんと、牡鹿半島での活動の連携の在り方について打ち合わせをしました。Eさんは36歳のナイスガイ。
遺体の仮安置所が併設されている公民館で、震災以来、不眠不休で支援活動を行ってきた姿に心打たれました。Eさんとそのスタッフの皆様ありがとう!
今後、RFJは毎週月曜日にO公民館を訪問し、炊き出し・リラクゼーション・整体・心理ケアの展開を行うことになりました。