平常時の避難所に指定されている小学校が完全に廃墟になっていました。ここに避難した人たちは逃げられなかったでしょう。まだ自衛隊しか入っていない地域がたくさんありました。
車中、ケア・スタッフたちは下を向いて言葉を失っていました。臨床心理士の富永も運転しながら涙をこらえられませんでした。
H寺では全員が、必死の思いで炊き出しに臨みました。H寺の被災者たちは最初の1週間は電気もガスも食糧もない中で全員が言葉もなく、絶望との闘いだったそうです。
2週間が過ぎ、こうしてはいられない、という大人たちが動き始めました。3週間から1カ月がたち、ようやく人々の表情に笑顔が戻り始めた、とのことでした。そんなときの我々の訪問でした。
疲れ切った表情の老人や女性たちが「被災後、初めての温かいうどん、おいしかったよ!汁も残さずに食べたよ!ありがとう!」と言って下さいました。帰路につくとき、皆さんが寺の山門まで見送りして下さいました。
帰り途、女川漁港が違う景色に見えました。絶望の町としか思えなかった風景に、「この先、必ず被災地は復興していく」という希望のようなものが感じられました。
目に見える風景は絶望の廃墟かもしれません。しかし今、被災地を包む「目に見えないもの」は、「立ち上がろう!」「生き抜こう!」とする被災者たちの気持ちでした。そこに、どのように向き合うか次第で、私たちの目に入ってくる景色も、違ったものに感じられたのです。被災した方々に、私たちが勇気をもらいました。車中、皆が気持ちを一つにしていました。
Bチームの3人はこの日、NGOピースボートの泥だし「マッド・バスターズ」に合流し、市街地の泥だし作業を行いました。泥だし作業をしながら、地域の人たちに声かけと、情報収集を行いました。石巻漁港前の古い料亭の泥だしを一日で仕上げ、「必ず復興します、そのときは食べに来て下さい」とご主人に涙ながらに感謝して頂いたそうです。