Fさんによると、市役所の職員と教育委員会の人たちが、小学校の教室に避難している人たちに、退去を要求したそうです。渡波地区の人々は漁師や船員など水産業に従事している人が多く、水産加工会社の掃除など、わずかな日雇い仕事にようやくありつけた人たちがいました。
行政が提示した別の避難所は港から遠く、車も自転車も流された被災者たちには交通手段もありませんでした。「やっとありつけた仕事からも引き離されたら、どうやって生活しろというんだ!」と、被災者たちの怒りが爆発し、乱闘騒ぎになりかけた、というFさんの説明でした。
3時のニュースでNHKが「予定通りに進まない避難所では、強制的な統廃合は行わない」という行政側のコメントを発表し、騒ぎは収まりました。
夜のボラセン会議に出席しました。事務局のNさんから「H小の避難所から日赤の看護師チームが引き揚げるので、心のケア・チームに援助要請があった」との通知を受けました。他のNPO団体からも連携を依頼されました。
ローラー調査や泥だしをやってきた地域で、話しかけても一言も返事が出来ない夫婦がいるので同行して欲しい、との依頼でした。私たちの活動が認められ、様々な団体との連携が深まってきたことを、チーム全員で喜ぶとともに、「出来ない約束はしないこと」「約束は必ず果たすこと」「出来なかった約束も必ず全員で検討し、やり方を探したり、時期を待ちつつ、あきらめずに関わっていくこと」を貫き、「こころのケア・チーム」としての責任を担っていくことを決意しました。