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きょうの社説 2011年8月12日
◎志賀で耐性評価 いまだに見えぬ判断の筋道
定期検査中の志賀原発2号機で始まったストレステスト(耐性評価)は、安全を確認す
る国の手順が依然としてあいまいで、出口へ至る筋道が見えないまま走り出した見切り発車の印象もぬぐえない。新たな原子力規制組織については、経済産業省から原子力安全・保安院を分離させ、「 原子力安全庁(仮称)」を置く方針が示されたが、再稼働を判断する仕組みはいったいどうするのか。安全庁が動き出すまで判断を先送りするのか、それとも移行期間として暫定的な仕組みを整えるのか。分からないことが多すぎる。 原発の再稼働をめぐり、菅直人首相が方針を二転三転させた混乱が尾を引くなか、保安 院が電力会社に「やらせ」発言を要請した問題が発覚し、原発立地地域の不信感はむしろ強まっている。 志賀原発は耐性評価の先頭グループに位置づけられるが、ここでつまずけば再稼働問題 はさらにこじれることになろう。首相が今月中に本当に退陣するなら、混乱に区切りをつけるためにも、停止中の原発の出口部分を、信頼ある仕組みに整え直す必要がある。 再稼働の可否を判断する1次評価は、定検中で起動準備が整った原発が対象となる。施 設が設計上、地震や津波などの災害にどの程度、耐えられるかを電力会社が調査し、国が判断する。北陸電力は原子炉などを製造した日立製作所に耐震性計算の一部を委託したという。 電力会社とメーカーによる調査は身内の自己評価であり、信頼性を高めるには、それを 客観的に審査する国の体制が重要になる。電力会社の評価は保安院と原子力安全委員会が審査する仕組みになっているが、経産省幹部の顔をすげ替えただけで保安院などの信頼を取り戻すことが果たしてできるだろうか。 北海道電力泊原発では、フル出力の調整運転を営業運転に切り替える判断をめぐり、国 と北海道知事の見解が分かれ、検査終了証の交付が先送りになった。これ一つみても最終判断の主体は分かりにくい。この出口の部分を明確にしない限り、他の原発でも同じような混乱は避けられないだろう。
◎原子力安全庁 「ムラ社会」と一線画して
政府が経済産業省の傘下にある原子力安全・保安院を解体し、「原子力安全庁」に移行
して環境庁の外局とする方針を固めた。原発の推進部門と安全をつかさどる部門が同じ組織内にあるのは極めて問題であり、経産省の影響を排除し、独立性を高めるのは当然だ。ただ、組織を変えるだけでは十分とはいえない。これまで原子力開発は、経産省と電力 会社、製造メーカー、原子力研究者などが強固な関係を築いてきた。これら産学官の関係者でつくる「原子力ムラ」の影響を完全に排除するのは簡単ではない。原子力のリスク管理に精通した専門家集団とするために、原子力の「ムラ社会」と一線を画す組織にしてほしい。 原子力安全・保安院は、福島第1原発の事故を防げず、事故後の対応も後手に回った。 安全性に責任を持つ組織でありながら、原発再開などをめぐり、電力事業者に対して、市民の意見表明や動員を働き掛けるなどの「やらせ」を行っていたことも発覚した。既に保安院に対する国民の信頼は失われたと言わざるを得ない。 原子力のムラ社会は、小さいがゆえに開発を推進する専門家と、安全性に目を光らせる 専門家の区別が明確でない。両者の立場が変わったり、産学官の垣根を越えた人事交流も盛んである。閉鎖的で仲間意識があるために、安全性を厳しく問えなかったことが重大事故を招く要因にもなった。 米国では、原子力規制委員会は大統領の直轄組織であり、高い独立性を保っている。来 年4月に創設される原子力安全庁も米国にならい、独立性を高める必要がある。原子力を専門とする人材が限られているだけに、見識の高い職員をそろえるのは容易ではなく、安全性に対する意識改革と人材育成が課題となろう。 福島第1原発事故はいまだ収束の見通しが立っておらず、使用済み核燃料や核廃棄物、 汚染がれきの処理など問題は山積している。これから「脱原発」が進むにせよ、原子力安全庁の業務がこの先10年や20年程度では無くならないことも理解しておきたい。
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