倒された松の中から、「送り火の薪」が誕生しました。
これは、私たちが陸前高田の北東部に集められた「高田松原の松」から割って作り上げた、送り火用の薪です。肉体的に苦労したと言うより、それぞれの思いをつなぎ合わせることに苦労しました。しかし、この薪がこうして出来上がった頃には、預かる人、送る人、受け取る人、知らせる人が同じ思いで繋がり「陸前高田の松を大文字送り火にプロジェクト」は、動き出しています。特に京都の大文字保存会の関係者の方々が、今回の被災地に対する「思い」がとても強く勇気づけられています。
支援は、これからが始まりです。
私は、もう岩手に行くことはない様な気がします。でも被災した方々に対して何らかの手助けが出来ないかを考えている方は多いと思います。私も大分に帰り日常の生活に戻って、好きなカヌーのメンバーと、練習の後に「何か自分たちも手助けをやりたいですね」と話していました。
大分にも被災者の家族が370名ほど来ておられる事を聞いています。そのうち大分市内には34世帯、子供を含む家族連れが15世帯おられるという事が分かりました。そこで、私たち大分市のカヌー仲間で8月の末に、この親子連れを招いてカヌーを楽しんでもらおうと言う計画を立てて、昨日その家族の元へ、案内のプログラムを郵送しました。遠い大分にいてもやろうと思えば、何かが出来るような気がします。