陸前高田市で送り火の薪を作る時にお世話になった方々



京都大文字の送り火

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そして、やっとこの2人に会えました。

ボランティアグループボランティアグループ
今回、岩手に来るようになったきっかけは、盛岡の薪ストーブ屋さんを知った事で、彼は以前から震災後に岩手県内で、さまざまな支援活動をやっておられるのを知っていました。
被災地から遠く離れている私は、これまで全国で発生した災害に対して、これと言ったボランティアの経験はなく、何をやったら被災地の人のためになるのかを、家族や、カヌーをやっている仲間たちと話す毎日が続いていました。

いくつかの出会いが重なり、プロジェクトは1つにつながりました。

私が作業をしていた陸前高田の小泉地区は、町の中心部から2kmほど北東に行った奥地にあるために、誰も来る人はいないだろうと思っていました。ところがこんな所まで人影をみて近づいてくる人達がいました。あるときは、京都のお寺のボランティアチームが「薪ストーブの薪の積み込み」に来たり、「ボランティアの最前線で困っている事はないですか」と聞いて回ったりしているチームが来たりします。
岩手日報社の新聞岩手日報社の新聞
その中のメンバーの一人が、「自分たちも岩手の内陸部で被災していない者として、何か役立ちたい」と言う事でした。
この後、このメンバーの一人の方が、送り火の薪を陸前高田から京都まで運ぶ事をやってくれる事になりました。
東海新報の記事東海新報の記事
こうして、陸前高田にいた6日間の間に、多くの方の協力を得たり出会いがあったりして、このプロジェクトは実行に移されつつあります。出会った方に共通する思いは「この被災した人のために何かをしたい」という思いです。陸前高田出会った方々は、会う人すべてがその気であふれていました。

後から知った事ですが、被災地には多くの新聞記者やテレビ局が入っているようでした。彼らの多くは被災地から遠い所で報道機関に勤めていましたが、今回の震災で若い記者たちの多くが現場に送り込まれて、毎日新しい出来事を探していました。
そんな彼らと話していても、被災地を毎日のように目にしながら「自分もライターとして、何かをやらなければ」という使命を持っているように感じます。