送り火の薪は、鈴木旅館のご主人に託すことにしました。
私は、陸前高田を離れる前夜、作り上げた薪をどうするかについて考えました。その前日に京都の大文字保存会側から「岩手で作った送り火用の薪に、亡くなられた方の名前や願いを入れたものを保存会として受け入れ、大文字の送り火で供養させていただきます」という承諾を得ていたので、この薪に現地で書き込んでもらわなければ、せっかくの送り火薪が意味を失ってしまうと思っていました。
試行錯誤の結果、私は宿泊していた宿の鈴木旅館のご主人に頼むことにしました。朝食の後、ご主人にこれまでの経過と思いを伝えました。すると「自分もこの震災で直接被害に遭っていなけれど、陸前高田の為に何かをしなければならないと思っていた。これは自分が責任を持ってやりましょう」と言うご決意を頂きました。
道路側に、看板を取り付けました。
話が決まったら、まだやることはたくさん残っています。まず、鈴木旅館前の入り口に「陸前高田の松を大文字送り火に」という看板を取り付けました。これは、この旅館に送り火に書き込むために来た人に一目で分かるようにするためです。
もう一つ、大きな事が残っていました。
私が陸前高田に入った次の日に、地元「岩手日報社」のAさんが作業現場に来て「この送り火計画を陸前高田の人のためにも、記事にして早く出しましょう」という話を得ていましたが、その時にはまだ大文字保存会側の許可を得ていませんでしたので、記事の掲載が伸びていました。
しかし、今回大文字保存会側からも鈴木旅館のご主人からも、送り火薪について許可を得たので、すぐに岩手日報社のAさんに電話しました。そしてその記事は、翌日の朝刊にカラーで大きく掲載されることになりました。