陸前高田の高田松原のまきから大文字の送り火薪が完成



京都大文字の送り火

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がれきの中から薪出来上がる

やっと、何かが見えてきました。

一般お方が、撮った現在の松林
丸太から割った今回の送り火マツは、3月に被災して現在6月ですから、まだまだ水分を含んでいます。生きています。こうして切り出した送り火マツは、まだ水分を含んでいますから床から浮かせて、風がよく通ってゆくようにします。すると2日目には、海風を受けた木の表面が白く輝き出します。
薪を積み上げながら、時々その向こうの景色を見るとそこには、3ヶ月前の地獄のような津波の爪痕がそのまま残っています。建物の中からは風で揺れているカーテンや、壁の断熱材の銀色の紙が揺れていたりしてトタンの破片が「ガラン、ガラン」と音を立てています。夕暮れ時に、この場所を帰って行く子ども達や散歩する人々の思いはどんなだろうと思ってしまいます。

これだけ「大文字送り火の薪」が完成しました。

息子とともに薪の前で
2日間で私たちは、これだけの「送り火マツ」を作り上げました。そして6月16日の夜に大文字保存会の会長よりお電話があり、「大文字保存会として正式に15束名前を書いた薪を受け入れます」という電話を頂きました。
量的にはそんなに多くありませんが、大文字保存会で毎年使用される送り火の薪が1500本ほどらしいですから、これはその一部になります。しかし、東北の方々の思いが詰まった送り火の薪が、遙か京都で亡き人を送り出してもらえる事に、感謝せずにいられません。
この日は、天候も下り日になってきていつ雨が降るか分からなくなってきたので、車に積んで持ち帰ることにしました。