第65回 葉加瀬 太郎 氏  

ヴァイオリニスト
葉加瀬太郎メイン
 今回の「Musicman's RELAY」は谷村新司さんからのご紹介で、ヴァイオリニスト 葉加瀬太郎さんのご登場です。東京芸大在学中の'90年、クライズラー&カンパニーのヴァイオリニストとしてデビューされ、セリーヌ・ディオンとの共演で一躍世界的存在になった葉加瀬さん。'96年ソロ活動を開始以降、ジャンルを越えた音楽活動を展開。コンピレーションアルバム『image』のツアーや夏のイベント『情熱大陸』、また、レーベルの音楽総監督を務められている『HATS』やラジオのパーソナリティー、そして画家としてもエネルギッシュに活動されています。昨年ソロ活動10周年を迎えられ、今年7月には初の全オリジナル曲によるニューアルバム『SONGS』を発表された葉加瀬さんに、今までのキャリアを振り返っていただきつつ、ニューアルバムやイベント、ツアーについてじっくり伺いました。 
プロフィール
葉加瀬太郎(はかせ・たろう)
ヴァイオリニスト

1990年 KRYZLER&KOMPANYのヴァイオリニストとしてデビュー。セリーヌ・ディオンとの共演で一躍、世界的存在となる。'96年解散後はソロとなり、国境やジャンルを越えオリジナリティに富んだ独自の世界観を創りだす。'02年自身が音楽総監督を勤める「アーティスト自身が自由に創作できるレーベル」 “HATS”を設立。'03年よりプロデューサーとしても本格的に活動。“HATS”に於けるアーティストプロデュースやハウステンボスのイベント、大阪ミナミの「なんばパークス」などを総合的にプロデュース。また、「テレビ朝日開局45周年記念ドラマ '流転の王妃 最後の皇弟'」の全音楽を担当。「中島美嘉ビューティフルライヴ」のトータルプロデュース。全世界で大人気のロールプレイングゲームPS2「ファイナル ファンタジーXII」のメインテーマ曲を担当するなどプロデューサーとしても幅広く活躍し、J-WAVE「ANA WORLD AIR CURRENT」のパーソナリティや個展を開く画家としての顔も持っている。毎年恒例となっている自身の全国コンサートツアーや、夏の野外イベント、イマージュの全国ツアーなどを含め、年間100公演にも及ぶ。

1.初恋がヴァイオリンのモチベーション?

葉加瀬太郎73--まず最初に前回ご登場いただいた谷村新司さんとの出会いをお伺いしたいのですが。

葉加瀬:谷村さんと初めてお会いしたのは僕のラジオ番組にゲストで来てくださったときなんですが、谷村さんは一言目に「会えると思っていたよ」とおっしゃって、すぐに意気投合をしました(笑)。J-WAVEで8年やらせていただいている『ANA WORLD AIR CURRENT』で旅について色々なお話を伺いました。谷村さんも僕の音楽をずっと聴いてくださっていたみたいで、すぐに「飯行こうよ」とお誘いを受けまして(笑)、それからは色々と連絡を取り合っている間柄ですね。

--では、公私にわたってのご関係ということですか。

葉加瀬:残念ながらまだ仕事をご一緒したことはないんですが、ちょくちょくメールでやりとりしていますね。谷村さんは凄いバイタリティーの持ち主ですし、考え方が普通じゃないですから「なんだ! このオヤジは!?」と思いつつも(笑)、音楽だけにとどまらず、色々なことを教えていただいています。

--ここからは葉加瀬さんのお話をお伺いしたいのですが、ご出身は?

葉加瀬:僕は1968年大阪生まれです。

--大阪のどちらですか?

葉加瀬:生まれたのは市内なんですが、3才の時に千里ニュータウンに引っ越しましたので、いわゆる団地っ子です。その当時の千里ニュータウンには子どもが一杯いて、小学校も1学年10クラスありました。要するに高度成長時代で、ただ前を向いているだけの時代ですね。実はつい二ヶ月くらい前に上海に行ってきたんですが、あの当時の日本にそっくりでした。上海も2年後に万博をひかえ建築ラッシュですし、みんなが右肩上がりで成長し続けることを信じて疑わないと言いますかね。まさに僕らの世代もそうでした。

--ご家庭内に音楽的な環境はあったんですか?

葉加瀬:全くありませんでした。父親はサラリーマンでしたが飲食関係の仕事をしてまして、本職以外にワインの勉強をしてサントリーのワインスクールでソムリエを育てるという仕事もしていました。その当時、まだワインのソムリエという言葉が日本には全然ない頃ですね。普段は大阪会館というホテルのようなところで仕事をしていましたが、日曜日はずっと家でワインの勉強をしている父親の姿しか知りません。母親は僕が生まれた頃には主婦をしてましたが、もともとは美容師でした。僕には2人の妹がいて、いわゆる2DKの公団の団地に家族5 人住んでいましたから、ご飯を食べた後はちゃぶ台をたたんで、お布団を敷いてみんなで寝ていました。

--ヴァイオリンはいつから始められたんですか?

葉加瀬:ヴァイオリンは4才からです。

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--始めるきっかけは何だったんですか?

葉加瀬:もちろん両親が始めさせてくれたんですが、ただ4才なので僕自身何も記憶がないんですね。ですから、始めたきっかけは憶えていなくて、後で聞いた話によると父の友達が音楽を薦めてくれたらしいんですが、とにかくその時代のニュータウン子というのは、それまでの子ども達とはちょっと違って、習い事がたくさんあるんですよね(笑)。公文式の算数・国語から始まって、新聞社が主催するサッカー教室、水泳教室、そういうものを当たり前のように習っていたんです。うちの母親は非常に教育熱心だったと思うんですが、放課後は1週間全部習いごとで詰まっていました。

--ヴァイオリンだけなさっていたわけではなかったんですね。

葉加瀬:はい。サッカーや剣道、水泳に絵画教室、公文もやっていましたし、普通の塾にも通っていました。とにかく毎日毎日習い事をしていました。

--それはハードな生活ですね。

葉加瀬:ハードでした (笑)。でもそれが当たり前だと思っていましたからね。もともとはその1週間のうちの金曜日がヴァイオリンの日だったというだけです。記憶があるのは小学校1年生、2年生くらいからなんですが、その頃になるとヴァイオリンをやるのは当たり前になっているので、毎日練習しなさいと言われて練習していましたけれど、「練習が好き」という子どもはなかなかいませんから・・・(笑)。

 ただ、自分の中で変わってきたのは10才、小学4年生のときなんです。当時、電車の駅で2駅分くらい同じ千里ニュータウン内で引っ越しをしたんですが、転校先の新しいクラスに伸子ちゃんという可愛い子がいて(笑)、実は伸子ちゃんがヴァイオリンを弾いていたんです。しかも僕よりも猛烈に上手だったので、それが僕のモチベーションになったんです。

--その子にいいところを見せようと(笑)。

葉加瀬:それもありますし、単純にお話がしたかったんです(笑)。その伸子ちゃんが実は団地も隣の棟に住んでいまして、彼女と「毎日学校ヘ行く前に15分でも、20 分でも練習しよう」と約束をしました。その練習のおかげで毎日登校時間ギリギリになってしまい、彼女と一緒に学校まで走っていました(笑)。それで、学校が終わったらすぐに家に帰って練習を始めて、2、3時間練習すると伸子ちゃんに電話をして、「息抜きにバトミントンでもしようか」と遊んだりしていましたね(笑)。

--なんだか微笑ましいですね(笑)。

葉加瀬:その子とは結局5年生、6年生と同じクラスで、中学校も同じ学校に行きました。また、僕は小学5年生くらいからヴァイオリンのレッスンとは別に、毎週土曜日に相愛学園の音楽教室へ午後1時から9時まで通っていたんですが、そこでも伸子ちゃんと一緒でしたし、高校は京都市立堀川高校音楽科というところに進学して、結局東京芸大に入ったんですが、実は高校も大学もその伸子ちゃんとずっと一緒だったんですよ。大学を卒業するまでですから、12、3年一緒でした。

--その方とは今でも交流があるんですか?

葉加瀬:彼女は今ミラノに住んでいるので、ミラノに行ったときは会いますね。

--なんだか結婚しても不思議ではないくらいの強い結びつきですよね。

葉加瀬:そうですよね(笑)。初恋の人だったことは間違いないですが、それだけ一緒にいるものですから兄妹みたいになっちゃったのかもしれませんね。一度高校の時に他の女の子と付き合っていて、振られたときに「恋愛に疲れた・・・伸子、俺と付き合ってくれよ・・・」と言ったら、「アホか! お前!」と言われて頭をパーンと叩かれましたけどね(笑)。