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米国における「流動性の罠」 - 浜矩子の妄想と愚論
週刊エコノミストの最新号に、三井住友銀行の山崎知洋(在NY)が、「家計の過剰債務が低成長を長期化させる」と題した米国経済評を載せている(P.40-41)。NYの株価急落とFOMCの直前のものだが、背景を考察する上で説得的な内容で、コンパクトに纏められた知見として参考になる。山崎知洋の論点で興味深いのは、昨年末からのQE2についての分析と評価で、この資金供給がダウ平均を20%押し上げる要因となりながら、米国内の資金需要の喚起という点では全く効果を上げてない問題が指摘されている。そして、FRBによる実質ゼロ金利政策とQE2による流動性供給、さらに銀行による貸し出し基準の緩和をもってしても、民間の資金需要を喚起できず、逆に中小企業の借り入れは落ち込むばかりで、米国が日本のような「流動性の罠」に陥りつつあると診断を下している。まさに米国経済の日本化。山崎知洋によると、リーマン・ショック以降、米国における格差社会は一段と厳しさを増していて、要するに、QE2の供給資金は一部の高所得層や投資家を潤してNYSEやNYMEXへの投機を過熱させる一方、ガソリンを始めとするコモディティの物価上昇という悪影響を及ぼし、低所得者層の生活を窮迫させているのである。山崎知洋は、QE3に対してネガティブな姿勢を示していて、QE2の二の舞になるだろうと予測している。


この山崎知洋の分析を元に、今週のNYSEの乱高下とFOMCにおけるQE3の判断を読み解くと、どういう結論が得られるだろうか。一つの見方として、週初(8/8)の634ドルの暴落は、S&Pによる米国債格下げの時機を捉えて、ヘッジファンドやウォールストリートが一気にQE3実施を呼び込むべく、環境作りのために派手な売りに出たと考えることができる。あるいはまた、基調は景気減速で、実体経済の見通しは悪い材料ばかりだから、余剰マネーの注入で株価を吊り上げようとしても、先行き懸念で下がる反動になるという見方もできる。NYSEの株価の内実は、次第に米国の中産層市民の個人資産の意味を失い、投機資本の余剰マネーが主たる構成要素になりつつある。つまり、バブルだ。量的緩和で資金供給したものが、そのままNYSEやNYMEXに流れ込んでマネーゲームさせているのであり、そこで膨張し高騰する部分はバブルに他ならない。だが、それをしなければ、株価を持ち支えることもできず、景気はさらに冷え込むため、ヘッジファンドとウォールストリートの注文どおりに、FRBは資金を市場に流し続けざるを得ない。今度のデフォルト回避の政治で、財政出動による景気対策の手を封じられた意味は小さくない。例えば、今後のリセッションの過程で、再び3年前のGMの破綻のような事故が生じたとき、連邦政府はその救済のために公的資金を使うことができなくなったのである。

バブルはどこかで弾けるだろう。米国か、欧州か、どこかの投資銀行が債務超過に直面したとき、3年前と同じ大型の連鎖倒産劇が起きるはずだ。政府は財政で危機拡大を鎮火することができず、山火事の規模と被害は3年前より深刻で甚大になるに違いない。仮に、今年の年末から米国が本格的な景気後退に入り、そして株価低迷の直撃を受けて、GMのような従業員を多く抱え労組の強い企業の資金繰りが厳しくなり、経営危機が現実化した場合だが、当然、茶会は救済を拒否し、市場原理に任せろと言い、選挙を控えたオバマ政権は世論の圧力に従わざるを得ないだろう。だが、その選択に出れば、失業者はさらに増え、地方は疲弊し、不況はとめどない泥沼に嵌り込む。3年前の金融危機のとき、米国は日本の轍は踏まぬと嘯き、日本が10年も20年も停滞を続けたのは、日本の政策の誤りや遅れが原因だと決めつけ、エコノミクスに無知な日本人の自業自得だと侮辱していた。13年遅れの「流動性の罠」を米国はどう切り抜けるのか、無能な日本の失敗を嘲笑した優秀な米国のお手並みを拝見させていただこう。サブプライムに端を発した不良債権の処理は未だ終わっていない。ショックの第2弾は必ず到来する。山崎知洋は、米国の家計部門の債務削減(ディレバレッジ)が進んでいない点に注目し、米国の消費者が持ち家を担保に借り入れて浪費した残債が、一向に減る気配を見せていない状況を重視している。

下げ止まっていた住宅価格も再び下落に転じ、持ち家の担保価値は下がり続け、賃金の減少が債務返済を圧迫している。日本の15年前と同じだ。格差拡大の進行も。山崎知洋によれば、米国の上位20%の層は、2007年から2009年の家計所得の減少が0.5%だったのに対し、下位20%の層のそれは6.5%の大幅減となり、所得格差が開いている。これは、失業率の増大と賃金の切り下げが原因だ。今後、米国の弱者に厳しい季節が続くことは間違いない。さて、日本だが、8/9に報ステで放送された中小企業の経営者の発言と、8/8付の浜矩子の東洋経済でのインタビュー記事の二つについて論じたい。円高への対応をめぐって、二者の言説が真っ向から対立している。前者は大田区の小さな町工場の経営者だったが、円高になっても海外には出ないと言い、その理由として、国内の企業に技術を移転するのは納得できるが、海外に技術を移転するのは容認できないと心境を語っていた。それは日本経済の利益にならないからだと言い、あくまで自分は日本経済を守る仕事をしたいのだと思いを語っていた。感銘を受けた。この言葉は、経営者の発言としては抽象的で精神論のように響き、少し戸惑う気分もする。だが、こういう言葉をストレートに言う中小企業の経営者もいるのだ。彼は、単なる経営論を述べているのではなく、マスコミの取材の機会に、まさに持論である政策論を言っている。理念と信条を視聴者のわれわれに訴えていたのだ。

そして、中国へ出た者がどうなったか、技術の行方がどうなったかを現場で知っているから、この言葉を発したのだ。古舘伊知郎が、敢えて代弁として選んだメッセージの意味もあるかもしれない。こうしてテレビに登場する町工場の経営者は、どれも白髪で、つまりそれほど先が長くないことを自覚している。中国へ渡って技術を伝え残す道を選ぶか、日本でこのまま店仕舞して隠居するか、二つに一つの選択なのであり、彼は後者を選ぶと言っているのだ。その理由は、前者は中国のみを繁栄させ、日本を不幸にするものであり、無意味な技術流出だから。本当は、この経営者の判断と思想が正しいのであり、この理念に従って循環し拡大する日本経済が必要なのであり、そうした製造業の方向へ政策が舵を切ることが、日本が世界の中で生き残る道なのだ。どれほど円高になっても、リスクを吸収してバネにできる能力を日本の企業は持っていた。前回の記事で、円高に日本企業が対応できなくなった要因を述べたが、重要な一点を見落としていたことを反省する。それは、中小企業であり、系列の力である。日本の中小企業はどれも大企業の下請けで、トヨタやホンダやソニーや松下に部品を納品し、彼らの品質と価格競争力を維持し、ブランドを下から支えていたのである。日本は、バブル崩壊後の「改革」の過程で、米国からの要求どおりに系列の経営を壊し、大企業が下請けの中小企業を切り捨てていった。冷酷に切り捨てて、海外から部品調達するようになった結果、従来の製品競争力を失ったのだ。日本の強味とは、澤穂希が教えてくれたように、団結力しかないのに。

一方の浜矩子は、「貿易収支ではなく、投資により所得収支を稼」げと言い、国内でモノ作りをするのではなく、海外に資本投資をして、その収入で生きていく道を説いている。これは、昨年の「去る者は追わず」の話と同じで、国内をどんどん産業空洞化させろという主張の延長上の議論だ。この浜矩子の言説に対して、件の中小企業の経営者はどう思うことだろう。それでは、浜矩子に単純な質問を返したいが、その投資の原資は何なのか。原資となる富はどこにあるのか。国内に原資がなければ海外に投資などできない。浜矩子が言っているのは、20世紀前半の英国モデルであり、20世紀後半の米国モデルである。彼らは、「世界の工場」で貯め込んだ富を、製造業の競争力を失う前に、そうやって油田や鉱山や農園やらに海外投資し、保険や債券の金融商品のリターンで永続的に収入を得る構造を築いた。日本も同じ真似をしろと浜矩子は言い、円高で円の価値が上がれば、簡単に海外の企業や資産や資源や権利を買収できるから、その金融帝国の路線を進めと言っているのである。愚論であり、現実離れした妄想としか言いようがない。製造業の輸出競争力を失った日本に、海外投資する富(原資)をどうやって準備できるのだ。例えば、いま230兆円の日本企業の内部留保がある。浜矩子が言う富(原資)とはこれを指すのだろうか。このカネは、日本企業が輸出で稼いだものだが、ドル資産で計上されている。みずほや三菱や住友が管理していても、ドル債券に化けていて、ドル安でどんどん減価している。

米国債は勝手に売れない。GSやシティなど投資銀行が発行した債券もおそらく同じで、日本企業がすぐに円資産(日本国債・日銀券)に換えたいと焦っても、米国政府がみずほや三菱や住友に手を回して売却を阻止するだろう。また、そうさせないために、外資は日本企業に役員を送り込み、東京市場で株を取得して経営を押さえている。浜矩子も記事の中で言っているが、日本が持つ外貨準備やドル資産は、結局のところ大幅減価(債権放棄)の運命しかないのである。事実上、現時点で紙屑なのだ。金庫にある230兆円も半ば紙屑で、日本政府(70兆円)とメガバンク(7兆円)が持つ米国債も同じである。日銀や保険会社など日本の金融機関、さらに天下り法人など、全体でどれほどの米国債を保有していることか。日本企業が貿易収支で稼いだ富は、円資産で国内に蓄えられておらず、円で国内に回ってないのである。だから、いつまで経っても国内の需要や消費を喚起できない。ドル紙幣・米国債に換えて米国経済に貢いでいるのだ。ついでに言えば、浜矩子が言うような海外投資なら、すでに企業も個人も熱を上げてやっている。FX取引がそうだ。浜矩子は、円高はメリットがあるから、どんどんFXをやれと言うのだろうか。確かに、手持ちの円資金は少なくて投資ができるだろう。だが、投資して稼ぐ最終目的が国内で使う円であったなら、結局は同じで、円高になればなるほど円収入は小さくなる。個人の投資規模では特に大きなメリットは出ない。円が「隠れ機軸通貨」だなどと、ナンセンスな幻想もいいところだ。その可能性があったのは1980年代のみである。

競争力のある製品を売り、加工貿易で海外から冨を稼ぐ以外に、資源のない日本が海外投資する資金を得る手段はない。製造業を潰しながら、日本が冨を稼ぐなどあり得ない。



by thessalonike5 | 2011-08-11 23:30 | その他 | Trackback | Comments(0)
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