10日の第2試合開星―柳井学園戦で三塁の塁審をつとめた渡辺敏男さん(45)は、普段は福島県南東部の平田村職員として働く。今春の選抜大会で初めて甲子園でジャッジするはずだったが、原発事故でかなわなかった。この夏、改めて送り出してくれた同僚らへの感謝を胸に、夢舞台に立った。
平田村は地震の被害はほとんどなかったが、直後から原発避難者を受け入れた。渡辺さんは災害対策本部に詰め、休みなしで最大約250人の避難者の対応にあたった。
春夏の甲子園の審判委員は、一部を全国の高野連が回り持ちで派遣する。審判歴14年の渡辺さんは、選抜で待望の甲子園行きが決まったが、「避難者を置いて行けない」と断念。次の機会は、あるかどうか分からなかった。
だが夏が近づき、日本高野連から連絡が来た。夏は福島の審判の派遣枠はなかったが、特例として甲子園行きが認められたというのだ。
ところが、今度は放射性セシウムに汚染された稲わらを食べた牛の肉の流通問題が発生。7月下旬から県産牛の出荷は止まった。渡辺さんは畜産農家の稲わらの放射性物質を測定してまわった。村を離れることに迷いはあったが、「こっちは任せろ」と上司らが甲子園に送り出してくれた。
福島空港を飛び立つとき、窓から見える山々に「この美しい自然を汚してしまった」と泣いた。グラウンドで整列した開会式では、被災地の代表校に送られた大きな拍手に涙した。
「いろんなものを背負って福島から来た。精いっぱいのジャッジで球児に向き合いたい」。夏が終われば、また原発被害の最前線に戻る。(青田貴光)