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[ライフ]ニュース
【小松左京さん死去】産経を仕事場に 初長編はラジオ大阪の原稿用紙
2011.7.29 09:47
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関西を愛し、関西に住み続けたSF作家の小松左京さん。産経新聞大阪本社との関わりは古く、当時の思い出を平成17年、産経新聞社が大阪・桜橋から湊町に移転する際に語ってくれた。
◇
昭和29(1954)年だったかな。京大の同級生が産経の文化部に入っていて僕を誘ってくれ、(僚紙の)大阪新聞なんかで原稿を書かせてもらった。当時はなかなかいい原稿料をくれたんだ。サンケイビル3階にパーラーがあって、よくコーヒーをごちそうになった。あそこのライスカレーは辛みがあって、うまかった。SFで飯を食えるようになったころ、同級生の上司だった司馬遼太郎さんから「あいつ(同級生)がおごったコーヒーは全部、俺が伝票にサインしてたんだ」って言われたのがいい思い出だね。
本格的に仕事を始めたのはサンケイビルに隣接していたラジオ大阪(OBC)。いとこい(夢路いとし、喜味こいし)さんがしゃべる朝のニュースの台本を執筆したりしてた。そのころの女房の楽しみがラジオだったんだけど、それが故障してね。一人でぼやっとしてかわいそうなんで、じゃあ僕が面白いものを書いてやるって書き始めたのが『日本アパッチ族』。OBCの原稿用紙をパクらせてもらったな(笑)。まさかそれが、僕の最初の書き下ろし長編になるとは思わんかったな。(中略)
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