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[ライフ]ニュース
【小松左京さん死去】遺言は「災害防衛国家構想」 転換期日本へ地球規模の提言
「もはや八十歳やから僕、いつ死んでもええテ思てたんやけどな。ほんまやで。でもこれから日本がどうなるのんか」。小松左京さんが古希を記念して平成13年1月から発行する個人雑誌「小松左京マガジン」。くしくも死去が公表された28日に発行された最新号第42巻の中で、東日本大震災後の日本について、小松さんはこう語っていた。
「“災害防衛国家構想”てどやろ?」と題し、東日本大震災について、執筆家の林章さんのインタビューに答えるかたちで掲載。A5判6ページにわたって、のんびりとした関西弁で収録されている。
「そりゃ、腰が抜けるほどびっくりしたワ。あの流されていく、家とかクルマな、あれみんな中に人がいてんのやデ。痛ましいこっちゃ思うたワ」と、テレビ映像を見た当日の感想を振り返り、「福島の原発は人災」とも指摘する。
インタビューは5月11日、大阪府箕面市内で行われたという。「先生、と呼ばれることを嫌うとてもシャイな人でした」とインタビューした林さん。同時に、時代を先読みする発想力や豊かな企画力を感じたという。
「日本はターニング・ポイントにいてる思わんか?」「日本としてはとにかく前へ進まなならん」と力強い。
また、「災害映像と被害データを世界中に提供して、これからの津波災害に役立てるいうことはできる」と提案。自然科学の専門家の調査の上に、工学、社会学、経済学、政治学、法学、マスコミなども参加した「総合防災学会」を設立し、総合的、横断的に分析することも発案している。林さんは「独自の発想にも、現実を見る目にも人類に対する愛情が満ちていていました。日本は必ず復興できると信じている、といった言葉が心に響きました」と話す。
小松さんは平成7年の阪神大震災について、ルポ『小松左京の大震災’95』をまとめた。「津波とその被害というもんには日本がいちばん詳しい」とし、ルポにまとめることで風化させず、世界に伝えるという役割を感じていたと明かす。
記事の最後では、「この地球いう巨大自然を乗り越えて、われら生物がこれまで三十五億年にわたって生き抜いてきたんや」。今回の大震災の体験を生かす役割を日本が担っていることを示すとともに、人類全体の連帯へと世界が向かう希望を託している。(田野陽子)
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