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とはいえ旧制高校の雰囲気が残っていて、エリートの格を身にまといながらも豪快な人柄だった。同世代のある作家と、銀座で飲み歩いた。その作家が酔ってズボンを脱ぎ、「これが直木賞を取った一物だ、拝め」と言ったら、そこにたばこの火を押しつけたという真偽不明の「逸話」があるくらい。良くも悪くも、ガキ大将のようにやんちゃだった。
震災後でまた永続的な価値観が揺らいでいる。『日本沈没』など、小松さんの作品が読まれているが、読んでその価値観に納得するのではなく、小松さんを超えようとすることが「小松流」だと思う。(談)
■権威脅かす“毒”にしびれた
純文学好きの友人から、よく言われたものだ。「SFなんて、なんで読むの」と。小松さんの死に触れ、そんな言葉を思い出した。本格的な日本SFの勃興期、1960年代の前半に、どうしてあれほど、星さん、筒井さんと共に、小松さんの作品に熱中したのかなあ。
今の読者には不思議かもしれない。当時、若者を中心に熱狂的な読者を集めつつあったSFだが、旧来の文壇から、ほとんど無視されていた。何故? 恐らく、その作品の中に、自らの正統性を脅かしかねない“毒”を感じたのでは。
現実体験に重きを置く私小説とは対照的な壮大な想像世界。文科系とは、疎遠だった科学的知見。しかつめらしい純文学から抜け落ちていた笑いや、奇妙な味わい……。要するに新しかった。いや、読者は何か既成の権威を壊す可能性を見たのかもしれない。
時は60年安保から70年安保に向かう「反逆」の時代。それはまた、高度成長下、科学の未来が信じられたころだった。時代の空気とそこここで共振したのだろう。若者を超え、SFの存在感は増していく。その描く未来の一部が現前したような70年の大阪万博の中心に小松さんがいたことが、とても象徴的だ。