2001年10月19日毎日新聞掲載
文:立川志の輔

 野依さんの顔。昔の日本人の顔。腰の据わった、腹を決めた顔。久しぶりにこんな顔に出会って私はなんだかとても懐かしく嬉しくなりました。昔のおじいさんってみんなこんな顔をしていました。30年もの間、ノーベル賞をねらっていたそうです。結婚式には研究に夢中になって1時間も遅れて出席、といういかにも化学者らしいエピソードにほほえみました。

 ああいう昔の顔立ちの下には昔の体がくっついているはず。

 こんなふうに考えたのは、第14回新潮学芸賞を受賞した斎藤孝さんの本を読んだからです。東京大学法学部を卒業して、身体に興味を持った異色の若い先生。著書「身体感覚を取り戻す(腰・ハラ文化の再生)」(NHKブックス)は、実に面白かった。

 体に関する言葉がどんどん消えていってるというのは最近よく耳にしますが、体そのものが萎えてきているのですね。「地に足がついていない」「浮足立ってる」は現代の日本を表す表現ですが、まさに言葉そのままに、私たちの体は、地面にきちんと足をつけていない。

 著者は言います。

 自然体というのは、無意識で動くことではなく、地に足がきちんと着いて、なおかつ肩の力が抜け、常に次の瞬間素早く動くことができる構えができてる体のことだと。

 「ムカツク」 「キレル」いまどきの若者の体と精神の分離。感情が体と遊離してしまっていることに対するいらだち。だから、、ハラを決められないし、本腰を入れられないし、腑に落ちることがない。

 本に掲載された、昔の日本人の写真を見ると、なんて姿勢がいいことか。ほんの50年前の日本人はこんなに姿勢がよかったのだ。

 違う国の人の写真かと思ったくらいでした。

 著者いわく「決まった体」。

 かっこいいんだ、これが。

 また、小学校でのユニークな授業「名刺を使った割り箸割り」には驚かされました。2人1組になり、1人が割り箸を横に持ち、1人はそれに対して直角に名刺を振りおろす。なにをしているのかって? 名刺がナイフの代わりに、なって、割り箸をスパッと切ってしまうのです。え、まさかと思うでしょう?

 ところが実際に、姿勢を正し全体重を名刺にのせると切れるのです。紙で木を切る。切った小学生のいきいきした表情、自分でも驚いてる様子が写真に出ています。さぞかし、みんなが熱狂したろうなと思われる授業風景。理科や社会や国語や算数を学ぶよりも、自分の体とまず話し合うのを学ぶことが大事なんじゃないか。

 ちゃんと立つこと、ちゃんと歩くこと、ちゃんと座ること、ちゃんと息をすること、動物なら本能的に知ってることを、人間は学ばなければわからない。

 体のバランスを取ることで精神のバランスも取れるようになる。もちろん子供だけではありません。

 キレナイ精神を養うにはキレナイ体を作ることしかないようです。

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