自分用のメモ書きです。 南北朝時代から始まる天皇の正統性(正当性ではありません)のとりわけ「陰謀論」に関するサイトのリンクを張っておきます。真実として信じるかどうかは別にして、物語として楽しめます。真実かどうかを確かめる手段はボクには持ち合わせていませんので。最初にご確認を。 個人的には宗教的存在である天皇の政治利用に興味があり、とりわけ天皇を利用している人たちの手法は後学として知っていて損はない。特に南北朝の正統性の問題は歴史上で度々出現し、何度と無く論議になった。ブログでの議論を読んでいて今の世の中とは関係ないから流し読みでいいや〜、と思っていたが、南北朝の正統性問題はとりわけ明治維新期、それと2000年前後のお世継ぎ騒動でまた関連があることがわかった。調べればまだまだ出てくると思いますが、とりあえず自分で調べた分だけ。 (1)ヒロさんの日記: 4月24日:■「北朝」の明治天皇が、「南朝」を復権させたのはなぜか ・日本史の南北朝時代とはなんなのか? ・水戸光圀が作った「大日本史」と南朝正統の論理 ・陰謀論:孝明天皇暗殺と明治天皇のすり替え ・水戸学派、皇国史観 ・なぜ昭憲皇后ではなく、昭憲皇太后なのか?(孝明天皇暗殺の有力な状況証拠) (2)帝國電網省: コラム20:「明治天皇」は暗殺されていた!! 南北朝秘史-其の肆-(1998.1.4) ・孝明天皇暗殺の根拠 1.孝明天皇は、徳川14代将軍・家茂(いえもち)を信任していた。つまり孝明天皇は、徳川将軍家との協調を本位に考える「公武合体・佐幕派」であった。 2.孝明天皇の住む御所並びに京都市中の治安維持の総責任者・京都守護職に、会津藩主・松平容保(かたもり)が当たった。そして、この容保公も孝明天皇の信任を得ていた。つまり、維新後、「逆賊」とされてしまった徳川将軍家も会津松平家も、孝明天皇にとっては「忠臣」であった。 3.薩長土肥の志士達が、時代の流れに合わせて「開国維新」を目指したのに対し、孝明天皇は時代の流れをつかめず、相変わらず、「鎖国攘夷」に固執した。 ・明治天皇の即位前と即位後の違い。(すり替え論の根拠) ・すり替えた人物の名前は「大室寅之祐」(おおむろとらのすけ) ・彼は「熊沢天皇」同様、南朝の末裔 ・昭憲皇太后が皇后ではない理由 コラム20−1: 大室寅之祐(明治天皇)の出自と近代皇室について (2002.5.7) ・このサイトに投稿してきた匿名希望の方の大室寅之祐に関する長文 ・大室寅之祐の出生に関する詳細 「2000年雅子様懐妊の真相」 ・2000年8月の雅子様懐妊の真相は実は橋本竜太郎の長男橋本竜の次男を雅子様、広飲み屋(原文ママ)の間の子としてこっそり養子にしようとして失敗した・・・ ・TBSの報道番組で産婦人科医が出て来て、「妊娠8週目でレントゲン検査して胎児の姿が確認出来ず。(公式な宮内庁発表) と言う事は、有り得ない。雅子様は妊娠しておられ無い!!」と泣きそうな顔で話していた ・一説には、橋本龍太郎の長男、龍の次男を雅子様、広飲み屋の間の子と言う事にして、株価上昇に利用しようとしたが、雅子様が余りにも嫌がられるので失敗したと言われている。この情報の出所は、何と宮内庁では無く、首相官邸 ・橋本は大室と遠い親戚だから、佐藤栄作に自民党公認にして貰って26歳の若さで初当出来た ・雅子様もまさか自分が妊娠もしていないのに、2000年8月に自分の子供が生まれて来るなんて夢にも思っていなかったのだから。(小渕発言後、自分が2000年8月に子供を出産する予定になっていた事を知って、雅子様は部屋に引き籠もり成され、広飲み屋以外の人間とは口もきかなくなって、人間不信になられた一連の騒動 ・政府自民党の支持基盤は3つあって1、郵便局、2靖国、3医者なんだけど、3の医療会の票田を作ったのが武見だったり厚生族の橋本龍伍だった。(大室寅之祐東京明治天皇の弟大室庄吉の娘大室ヨネと橋本卯太郎の間の子が橋本龍伍) ・橋本龍太郎の父龍伍は大室寅之祐明治天皇の姪、大室ヨネの息子であるから本質的には南朝なのかも知れないが、大室ヨネが女性で有るから橋本天皇(半分南朝、半分北朝) ・一度目は広飲み屋(原文ママ)が結婚なされて3年目の1996年、丁度、橋本内閣の時、自分の孫を養子にしようとして失敗。(長男龍の長男か?)この時はマスコミに公にはならなかった。それより前に自分の娘長女の寛子を広飲み屋(原文ママ)と結婚させたかったが、その野望は失敗した。(広飲み屋(原文ママ)も寛子もお互い反対したから) ・二度目は2000年8月に雅子様が子供を生む予定で流産したが、(小渕内閣の時)この時は長男龍の次男(2000年8月生まれ)を広飲み屋(原文ママ)の養子にしようとして失敗。雅子様が公の場に出てこなかった。 ・三度目は先ず、橋龍の娘隠し子の和子が妊娠した。これが橋本と小泉の総裁選挙の少し前位の時。これに合わせる様に皇居に人工受精の装置が運び込まれ、南朝大室広飲み屋(原文ママ)(小泉・森派・安倍・岸派を中心とする自民党右派(右翼)のタマ)のおたねを某女に人工受精させ、今度は北朝今上陛下(宮沢派・河野派・吉田・麻生太郎─三笠宮(信子)秋篠宮・今上北朝派)のおたねを使い某女に人工受精。で、広飲み屋(原文ママ)の胤(たね)で人工受精した女は先ず、女の子を孕む。だ・か・ら小泉を中心とする右派(右翼)から皇室典範の女帝改正論が急に勢いずく。しかし、この女が流産したから右翼から女帝論が急速にトーンダウンする。 ・橋本の娘和子は女の子を妊娠してこちらが先行した。12月の最後迄、女の子か男の子かともめていたのは北朝三笠宮天皇今上一派(麻生)と橋本天皇の頂上対決でマスコミも男の子と言う事で準備してた。12月に入って少し長引いて最後に橋龍の権力によって和子の娘を愛子とした。広飲み屋(原文ママ)は最後、部屋のドアを怒って蹴って出て行かれたと言う。最後に小泉が「女帝は慎重に検討する」と言い出し、みんなが唖然とする ・佐藤・竹下・橋本派が敬宮愛子・岸・安倍・森・小泉自民党右派(ウヨ)が南朝広飲み屋(原文ママ)支持、吉田麻生三笠宮秋篠宮・明仁・宮沢・河野麻生派が今上陛下派、と考えたら分かり易い。小泉・橋本・麻生の3大決戦に皇室も巻き込まれていたと言う事。そして戦いはまだ続いて、今度こそこの3大勢力が、雅子様に男子を産むと言う事で凌ぎを削り、女帝改正には皆が消極的である コラム20−2: なぜ昭憲皇后ではなく、昭憲皇太后なのか? (2002.5.9) ・明治天皇の「皇后」(配偶者)であった一条美子(はるこ)皇后が何故、「昭憲皇后」では無く、本来「天皇の母」(又は先帝の皇后)を意味する「皇太后」 ── 「昭憲皇太后」の追号を贈られたのか? 1.両陛下を相並んでお呼びする場合、「天皇皇后両陛下」と称するのであって「天皇皇太后両陛下」とは称さないこと。「皇太后」は天皇の母親の意味であること。よって明治神宮の御祭神は御夫婦であられるから「明治天皇・昭憲皇后」が正しい。 2.亡くなった方にはご生前の時の最高の位でお呼びすることが常例。「皇太后」の称号は「皇后」より下の位になる。だから昭憲さまは生前「皇后」でしたので、「昭憲皇后」と称するのが正しいことになる。 コラム20−3: 「明治天皇」は暗殺されていた!! ・コラム20の変更・追加 ・幕末維新期の関連年表 ・鳥羽・伏見の戦で薩長軍が勝ったからこそ、明治元(1868)年1月15日に、大室寅之祐が京都御所に「明治天皇」として迎え入れられた コラム20−4: 続・大室寅之祐(明治天皇)の出自と近代皇室について -「萩」へマンジュウつくりに行ってくる -(2002.12.8) ・大室家誕生秘話 (田布施町のタブー) 1.大室家の家系図の始まりは、後醍醐天皇の玄孫である光親親王が1400年に田布施町の麻郷に亡命した 2.明治天皇が明治32年に作らせた家系図に依ると(2chにカミングアウトされた方の情報)大室家の初代は家康が死亡した年に亡くなっている (3)南北朝正閏論纂(4) :(参考) ・江戸時代末期(寛政〜慶応) ・明治時代 ・江戸末期から明治10年頃までは、世の中は南朝正統説一色になって、他の説は皆無になったとあります (4)国際情勢の分析と予測: 8月22日「日本を戦争ができない親英米国家にするために太平洋戦争で日本はわざと負けた」論についての一考察 ・ 明治維新では北朝系の孝明天皇とその息子(真の明治天皇)がユダヤ金融資本に操られた伊藤博文らにより暗殺され、その後長州藩に匿われていた南朝の末裔である大室寅之祐が明治天皇にすり替わったという説 ・大正天皇・秋篠宮は北朝系の皇族であり、昭和天皇・今上天皇・皇太子(徳仁)は明治天皇の子孫で南朝系という説 ・明治憲法では「日本は万世一系の天皇が統治する」「天皇は神聖にして侵すべからず」との記述がある。実際には皇室は南朝系と北朝系の二系統が対立していたこと、天皇を暗殺した人々が日本政府を支配していたことを考えるとこれは実に皮肉な記述であるが、真実を隠す為には憲法で真相究明を禁じることが必要だったのかもしれない ・清教徒革命・名誉革命と明治維新の経緯は似ている ・フランス革命、ロシア革命、日露戦争の影にはユダヤ人金融投資家 ・小村寿太郎が南満州鉄道の日米共同経営を拒否したのは、帝国主義的欲望ではなく、ユダヤ金融資本が中国を侵略し植民地化するための道具にはならないとの意志が原因であったと思われる ・1909年に伊藤博文を暗殺した安重根は、公式には朝鮮の併合に反対した民族主義者とされているが、本当はユダヤ金融資本のエージェントだったのだろう。安重根が裁判で「伊藤博文は孝明天皇を暗殺した犯罪者であるから殺した」と語ったために裁判が非公開にされたとの説があるが、これは安重根が日本の皇室を尊敬していたことを示すのではなく、「我々の命令に従わないと明治維新の秘密をばらすぞ」というユダヤ金融資本から日本政府への脅迫を代弁したのだと推測する ・大東亜戦争とは一見米英の挑発に乗った愚かな戦争の様に見えるが、実は米英の挑発に乗った様に見せかけて「戦争の出来ない親ユダヤ国家」の地位を掴み、ユダヤ金融資本のアジア侵略の足を引っ張ることと日本国の長期的生存を目的にした戦争であったと考えられる ・1945年の敗戦後も、再軍備要求を拒否してアジアでの戦争に日本が参加しないことで戦争の拡大を防ぎ足を引っ張るという点で日本対ユダヤの大東亜戦争は継続しており、朝日・岩波文化人は日本軍の中核部隊として大活躍した。成田空港の拡張に反対する過激派も、空港容量に余裕が出来て米軍が成田空港や羽田空港を利用することがないようにする目的で日本政府の命令で活動していた可能性が考えられる ・大東亜戦争の犠牲は余りに大きかったが、日本の戦争目的は達成されつつあることを考えると真に偉大な正義の戦争であったと言わざるを得ない。「日本の中国侵略」も、実際にはユダヤ金融資本=共産主義の影響下にあった国民党・共産党の圧制から中国人民を救う解放戦争であったと考えるべきであろう。東京裁判で戦争犯罪者として刑死した人々や戦災にあった民間人も含め、大東亜戦争で死傷した多くの日本人はまさに聖戦の犠牲者であったと言える ・靖国神社は、明治維新から日露戦争までの間ユダヤ金融資本の手先として戦死した日本軍将兵と、日露戦争後にユダヤ金融資本の支配から日本とアジアを救うために戦った日本軍将兵の両方の霊魂が弔われている神社と位置づけられるべきであろう。「坂の上の雲」に代表される、日露戦争以後の日本=悪と決めつける司馬史観はこの真実をユダヤ金融資本の世界支配の期間中に隠蔽するために作られたのではないか? ・・・長々と書いてしまったが、明治から戦争期までの歴史物語の一つのあり方を見た気がする。最後のサイトはユダヤ人の陰謀論説を強く押している。物語としては大東亜聖戦の根拠を示したもので読んでいて面白いが、そこまでユダヤ人金融投資家が考えているのかは少々疑問。100年先まで考えるユダヤ人と言われているくらいインテリジェンスがあるらしいが、伝聞情報で確信がもてない。 まあ、真実かどうかは別にして、物語として読むと面白いことがわかった。 サンシン |
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銀狼転生 2007/03/05 10:19 |
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