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高校野球コラム

〈異動〉一から育てた でも宿命

2010年06月22日

 徳島商の監督、森影浩章(47)は練習試合を終えた後、別のユニホームに着替えていた。4月4日。向かったのは3月末まで12年間勤めた前任校、小松島が出る春季県大会決勝会場。「区切りをつけさせてもらった。徳商の選手や保護者には『優勝してきます』と言って出ました」。宣言通り、勝って、小松島の監督としての花道を飾った。

写真高校時代以来となる母校のユニホームを着て部員に語りかける徳島商・森影監督

 今年2月に全面改正された日本学生野球憲章では、指導者は部員の教育を受ける権利を保障し、自らの人格も磨き、過度な対価を受け取ってはならない、とされる。日本高校野球連盟に加盟する約4千校(硬式)のうち、3千余りは公立校で、監督の大多数は森影と同じ教員だ。部活動を指導する手当は、1時間あたり全国平均で約600円。

 「異動」もある。47都道府県の教育委員会によると、大半の教委が同一校での勤務期間に限度を設けている。マンネリ防止や教員自身の成長のためだ。例外的に延長される場合も、監督としての実績だけが考慮されることは少ない。例えば、定年後の現在まで福井商監督を40年以上務める北野尚文(64)について、県教委は「県内に商業科単独高が2校のみという事情もあった」と説明する。

 徳島の場合、赴任から5年が異動の目安。10年を過ぎると「積極的に動かす」(県教委)。森影も小松島で10年目を迎えたころから、次を意識し始めた。とはいえ、小松島への愛着は深い。「私が来た当初は、茶髪やピアスの生徒もいた。野球も1回戦を勝つのがやっとだった」。自らユニホームをデザインし、打撃に特化した独特の指導で鍛えあげ、春3回、夏1回の甲子園出場を果たした。中心となる存在ができて、学校全体が落ち着いた。生徒たちの変化が手に取るように分かった。

 「チームを確立する面から考えると、同じ学校に長くとどまる方がいいに決まっている。ただ、異動は公立の教師になった時点で宿命です」。あと3年で50歳。異動はこれが最後かもしれない。一から作り上げたチームと匹敵するくらいの思いを傾けられるのは、母校しか考えられなかった。希望を問われれば「徳島商」と答え続けた結果が、この春の異動だった。

 4月11日。森影は、小松島の試合を初めて観客席から見た。選抜大会に出場した川島との対戦は25―2の圧勝だった。試合終了を見届けずに帰るとき、新たな感情がわいた。「やっつけたい」。わき上がる挑戦心。心機一転という言葉が腑(ふ)に落ちた。(敬称略)

      ◇     

 新しい日本学生野球憲章は、高校野球を教育の一環と改めて位置づけ、指導者の責任の重さを強調した。球児と直接ふれあい、心や体を育み、その未来をも左右する「監督」は、全国に約4千人。全国選手権大会を前に、彼らの進む道を追った。

(山下弘展、庄司信明、福角元伸、野田枝里子が担当します)


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