日経に出ていた記事だが、「2011年春の大卒、5人にひとりは定職なし」だそうだ。つまり無職だったりバイト生活だったり。
これをどう見るか。
もちろん「就職活動しながら決まらなかった」という悲惨なパターンがいちばん多いだろう。あと「自分探し」的に理想を追求して就職しなかった方とか。あるいは家業を手伝うとかね。
私も身体を壊して院を落ちこぼれてから5年くらいは定職に就いてなかったんで、あんまり人のことは言えない。まあ後半は編集してたけど(正社員じゃなかったんだけどね)。
私みたいなパターンは、自業自得の面がある。病気で倒れたとしても、別に就職先を探すことはできたはずだし。それに対し、一所懸命活動していて就職できなかった方はお気の毒だ。
背景のひとつには、
「大学を選ばなければ、統計上は必ずどこかに入れる」という大学全入時代があるんだろうきっと。
たとえば明治時代の大学生といえば、超エリート。国全体が貧乏で高い教育を受けさせるだけの余裕が、多くの家庭で欠けていたからだ。今考えると信じられないが、「卒業」というだけで「学士様」扱いだから、就職には困らなかったろう。それにそもそもそうした背景だから、ほとんどの学生は在学中も猛勉強してたはずだし。
しかし今は「誰でも大学に行ける」時代。「学生がどうしても欲しい」弱小大学では、受験科目が異常に少ないことがある。さらに一芸入試枠まであるので、学力に問題があってもどっかには入れる。
というかこの間テレビの街角ルポで、
分数の計算ができなかった慶大生見たんだけど。できないだけでなく、その結果でへらへらしてるのが信じられなかったというか(笑)
まず第一に、学卒が激増すれば限りある「大卒就職枠」からはみ出てしまうので、引き算で単純に就職落ちこぼれが出るのは仕方ない。
次に、大学大衆化という事象の善し悪しは別に、学士が分数計算すらできない事態では「大学卒=仕事能力が保証されている」とは限らない。よって「全入時代」で大卒が増えているのに対し、企業は逆に選別を強固にするだろう。
そりゃ就職できる人も減るよね。学生のほうも、こうした状況を勘案して「今の大卒は昔の高卒」くらいの感覚で就職先を選べばいいが、本人も家族もそう割り切れるものではないだろうから、「大卒にふさわしい就職先」と高望みする。で、ますますマッチングギャップが出る上に、大量に企業を回る結果、疲弊して就職自体どうでもよくなる。――という一面もあるのではないか。
思うんだけど、大学生活の後半を疲弊する作業に追い込まれる「新卒採用」という考え方、企業側ももう止めたらどうだろう。「大卒者」枠で、適宜通年採用すればいいじゃん。
たしかに新卒採用は一括して教育できるので便利ではある。しかし新卒も既卒も差別せず「即戦力のある人募集」にしておけば、無駄コストを省いて有能な人材を発掘できる。
求職側から見ても、こうしておけば既卒組に有利に働くので「新卒時に就職難だった」「病気や個人的事情で就職できなかった」なんて人を救える。
さらにこうなれば新卒の不利を克服しようと、大学は授業での実践教育に力を入れざるを得なくなるし、企業へのインターンシップにも積極的になるだろう。
そうなれば学生も在学中に自分のスキルを高められるだけでなく、自分がどのような業種・どんな職種に向いているか、単なる憧れや耳学問でなく身につけられる。就職後の「こんなはずじゃなかった」退職を防げるので、学生にも企業にもいい。
取り組んでみる社会的意義は大きいと思うんだけど。
日本の社会風土だと、学生も企業もどうしても横目で他を睨んでの横並びになりがちなのはわかるんだが、踏み込んでみてはどうすか。個々の企業・大学ベースの実験なんだから、失敗と思ったらすぐ元の採用方式に戻せばいいんだし。