大文字送り火に陸前高田の松原ープロジェクト





京都大文字の送り火

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  • 一本だけ残った陸前高田市の松にまつわるプロジェクトです

陸前高田と、「京都大文字の送り火」のはじまり

3月11日に東日本、東北各地で起こった大震災と津波、原子力発電所の問題は、国民の誰もがテレビ新聞で目にし、そのニュースの度ごとに心を痛めました。
東北から遠い九州でも、赤十字や消防、警察などの関係者から応援に行った話などを聞いていると、同じ日本人として何かしなければならないという事は、強く感じる日々が続いていました。
そんな時、インターネットで知り合っていた薪ストーブ仲間のHさんが、この松を使って被災者の支援をしていることを知り6月の9日に「自分も手伝いたい」旨を伝えたところ「とにかく来て、やってみたらいいですよ」という事だったので、6月のはじめになっていよいよ行く決断をしました。
岩手のHさんのホームページを見ると、空き地に山と積まれた松の向こうに斧で割った薪が積み上げられている写真がありました。
当初、私もこの薪割をして被災者の支援金に充てようと思っていましたが、少し違ったのがこの薪を大文字保存会に買い取ってもらって、売れたお金をそのまま被災者の支援金に充てたら、薪が送り火として使ってもらえて良いのでは、と思うようになりました。
しかし、心のどこかに気になるものが、1つありました。
それは、「今、陸前高田において生き残った人々の心の中には、事があまりに急すぎて心のくぎりをつける上でも何かが必要だ」と思っていたことです。
そう思っているうちに、「大文字の送り火の薪に、陸前高田の人の思いを書き込んでもらうのが一番良いのでは」と思うようになってきました。
6月14日に陸前高田に入った時点では、まだ正式に陸前高田の松を大文字の送り火の薪に使いという許可は得ておりませんでした。
それが、6月16日の夜になって「大文字保存会として、15束名前を書いたものを受け入れます」というお話を頂きました。
それからの2日間は、必死で高田松原の松から送り火の薪にするための作業を続けました。

028.jpg1,かっての高田松原の松林

2,現地に着く2,現地に着く

3,松の丸太を切る3,松の丸太を切る

4,丸太を斧で割り4,丸太を斧で割り

P1000797.JPG5,完成した送り火マツ

P1000870.JPG6,旅館のご主人に託しました

8,京都に行く7,京都に行く

P1000900.JPG8,出会い

P1000904.JPG9,薪について

Unknown.jpeg10、放射能について

P1000914.JPG11,メディア・報道

IMGP2258.JPG12,大分での支援

OSK201108060145.jpg13,新しい計画

a78de2da02daf2e8cf6e704422b9c048.jpg14,迎え火