長崎は、9日、原爆投下から66年となる「原爆の日」を迎えました。平和祈念式典で、長崎市の田上富久市長は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて「原子力に代わる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要だ」と述べ、初めて、原発に依存した国のエネルギー政策の転換を求めました。
原爆が投下されて66年を迎えた9日、長崎市の爆心地に近い平和公園では、被爆者や遺族、およそ6000人が参加して平和祈念式典が行われました。式典には、これまでで最も多い44か国の代表が参列し、原爆を投下したアメリカを代表してズムワルト臨時代理大使が初めて出席しました。はじめに、この1年間で亡くなった被爆者や被爆して亡くなったことが新たに判明した人、3288人の名前を書き加えた原爆死没者名簿を被爆者と遺族の代表が慰霊碑の前に置きました。名簿に記載された人は、これで15万5546人となりました。そして、原爆が投下された午前11時2分に合わせ、平和の鐘が打ち鳴らされると、全員が黙とうをささげて追悼しました。式典の平和宣言で長崎市の田上市長は、福島第一原発の事故を受けて「たとえ長期間を要しても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力に代わる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要だ」と述べ、原発に依存した国のエネルギー政策の転換を初めて求めました。続いて、被爆者を代表して17歳のときに被爆し、家族5人を亡くした松尾久夫さんが「母と弟、それにおいは遺体さえ見つかりませんでした。この悲劇が二度と繰り返すことのないよう世界の国々の指導者に重ねて訴えます」と平和への誓いを述べました。このあと、菅総理大臣があいさつし、「原子力については、これまでの安全確保に関する規制や、体制の在り方を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保の対策を講じ、原発に依存しない社会を目指します」と述べました。長崎では一日中、原爆の犠牲者を追悼し、平和への思いを新たにする祈りが続きます。