昨夜のNHKスペシャルは、原爆投下当時の日本軍諜報部が、B29による「特殊任務」を察知していたとの証言を発掘していました。この話は、終戦から間もない時期にも、一度読んだことがあります。(文芸春秋の記事だったように思います。)傍受した通信から、原爆が関係する作戦が探知されていたということでした。昨夜の番組では、さらに具体的に、長崎への原爆機を迎撃できなかった航空兵の無念をも取材していました。
遅れていたと言われる日本軍の諜報活動ですが、その程度の解析能力を持っていたことは、体験者である阿川弘之氏の著作を通しても知られています。「2発目の原爆機」についての情報は、参謀本部のトップにまでは届いたようですが、当時はソ連軍の参戦が大問題で「御前会議」が緊迫しており、対応が遅れて8月 9日11時の長崎原爆投下には間に合わなかったのでしょう。
しかし現地の防空戦闘隊「紫電改」に迎撃命令が出ていれば、全力をあげて撃墜することは可能であったでしよう。少なくとも、警戒警報も出さずに原爆投下を許したのは、信じられないほどの怠慢でした。広島原爆の経験から、「少数機の攻撃でも軽視しないように」との広報は出していたのですから、警報が出ていれば、かなり多くの人たちが救われたに違いありません。
このように「想定外の非常事態に弱い」のは、日本官僚の昔からの体質なのでしょう。歴史に「……たら」「……れば」は通用しないそうですが、私もここでは一言いいたくなります。長崎への原爆機が首尾よく事前に撃墜できたら、長崎の町が救われたことは確かです。しかし、それでも大勢が変わるほどのことはなかったでしよう。原爆の威力はすでに証明され、ソ連軍の侵攻は止めどなく進んでいたのですから。
もし2発目が失敗しても、アメリカ軍は次の原爆攻撃を実施することもできました。私が以前に読んだ情報では、長崎の後に、もう一度「3発目の原爆機」らしいB29がテニアン基地から飛び立ったが、途中から引き返したとのことです。日本がようやく真剣に終戦工作を始めたことを知って中止したのだろうと私は解釈していました。それにしても、自国の国民を守ることについては、最後まで真剣にならない日本の軍隊でした。