奥田 浩太さん NIC 第23期生 新潟高校卒
一“個”の人間として
「自分らしさって何だろう?」
私は無意識にこの問いに悩み、負の連鎖に陥った。人間は表現という媒介を経て解釈を求める。しかし、複数の意味や知識の結合によって成される表現はありのままの自分では無い。表現のまやかしから覚醒した先の『私の〜』といった所有関係をも排他した完全無垢な『私』など存在しない。
そこにある私の無意味な存在に気付きながらも、認めることさえ出来ず、認めることに怯えながら解釈の牢獄に自らを幽閉させる。解釈への欲望と、解釈からの逸脱。相反するベクトルが相殺することで、『無』になる。そこにある私には意味が存在するのだろうか?「自分は自分でありたい」「信念を貫きたい」といった、一種の強迫観念のような考え方が逆に自身の首を絞める結果につながったり、いわゆる枠にはまった典型的ジャポニズムだったりもする。無論、良くも悪くも。
NICがどういった学校か、どういった日々を過ごしているのか、は各々に任せるとして私が感じた事は、忙殺される日々にも関わらず「自分と対峙する時間」が増えたことだ。
額縁のような高校生活。華やかな「縁」に憧れて入学したは良いが、これといった目標もなく「画」の一部に成ろうと徹する日々。当然、勉学に励むわけでもなければ、部活に情熱を捧げる事もなく、燃えるような恋愛もしない平凡な毎日。その縁に収まらないような自分はふわふわと宙に舞ったまま。しかし宙に画は描く事が出来ない。
裁量で補う事が出来ずに齷齪するNICでの毎日。濃厚だからこそ生まれる悩み。直面してきた幾多の悩みは、何よりもそんな自分を変えてきた。対峙することで少しずつ見えてくる「らしさ。」まだまだ道は長く、未だに明確な語彙でもって説明することは出来ない。しかしNICは確実に自分を変える大きなきっかけを与えてくれたと思う。
伝統や意味を幾重にも壊乱する破壊性。秩序の予定調和を突き破る革命性。−私は、これらを常に念頭に置いて今後も精進したい。
おそらく、この冊子を手にする多くの方々がNICに憧れを抱き、薔薇色のキャンパスライフを想像し、将来に夢を膨らませると思う。ここで一つ断言しておきたいのだが、「薔薇色」などは存在しない。なぜなら世の中は薔薇色ではなく、実に雑多な色をしているからだ。煌煌と輝く赤色に染め上げるも、暗雲垂れこめる淀んだ色に染め上げるのも、すべて自分自身である(自戒の念も込めて)。さぁ、描こう−未来を。