元大本営参謀で、戦後は明治薬科大学の理事長などを務めた高橋正二氏の報告を続けます。高橋氏が日本人の従軍看護婦たちの悲惨な死について語っています。
いわゆる慰安婦問題というのも第二次世界大戦の中で起きた出来事でした。戦争という異常な事態が異常な現象を生む、ということでしょう。
戦争が悲惨であることは、だれもが知っています。戦争という異常な環境の下で人権を踏みにじられた被害者は無数に存在しました。慰安婦の人たちもそうでしょう。いまの人道主義や道徳の規範からみれば、深く同情すべきであること、そして反省すべきであることは当然です。
しかし戦争という巨大な異常環境の中で人権を蹂躙されたのは、慰安婦の人たちだけに留まりません。この点にもこの種の案件をそのことが終わってから70年後に拡大して取り上げることの相対性の問題があります。戦争で悲惨な目にあったのは慰安婦の人たちだけだったのか。
戦争を回顧して、現代の人道主義という観点から、善悪の審判を下す、というような作業をするとき、総合的な視点がどうしても必要となるでしょう。
戦争は他の数え切れないほど多数の人たちにも悲惨な死や苦痛をもたらしたのです。その意味で高橋氏が伝える日本人従軍看護婦たちの死の悲劇は第二次大戦が終わった後に起きたという点ではきわめて異色ですが、戦争という大きな枠の中で起きたことも、また事実です。
高橋氏は「慰安婦の『強制連行』のごときは大ウソであります」と語りながら、「ここで悲しいお話を申し上げさせていただきます」と述べ、要旨、以下の報告をしました。
「昭和20年8月8日、ソ連軍の突然の攻撃を受けて、当時の満洲国東部国境に近い虎林の野戦病院の日本人従軍看護婦たちは松岡喜身子婦長以下34人、長春に移ると、ソ連占領軍から八路軍長春第8病院で勤務することを命じられた」
「間もなく昭和21年の春、加藤婦長らは城子溝にあるソ連陸軍病院第二赤軍救護所へと日本人看護婦数人を送ることを命じられた。勤務は1カ月間、月給は300円という条件だった。危険が感じられるので、誰を送るかは難しかったが、婦長は軍医らと相談のうえ、優秀な大島はなえさん(22歳)ら3人を選び、送った」
「1カ月以上が過ぎて、さらに3人の日本人看護婦を送れという命令がきた。さらに3回目、また3人を送った。そして第4回目の3人を送り出さねばならなくなった6月19日の朝、第8病院のドアに女性の体がドサリと、倒れかかってきた。なんとこれが最初に送り出した大島看護婦だった」
「大島さんは日本の振袖をイブニングドレスに再生した肩もあらわな洋服をまとい、足は素足で、傷だらけの顔は蒼白、体中に11ヵ所もの盲貫銃創や鉄条網をくぐった際の傷跡があった。脈拍ももう不規則で死が近かった。だが大島看護婦は必死で婦長らに告げた」
『私たちはソ連の病院に看護婦として呼ばれたはずなのに、最初からソ連軍将校の慰みものにされた。いやといえば、殺されてしまう。後から送られてきた同僚の日本人看護婦たちもみな同様の目にあった。もうこれ以上、看護婦を送らないよう、なんとか知らせねばと思い、厳重な監視の目を盗んで逃げてきたーー』
「血の出るような言葉を最後に22歳の生命は消えていった。翌日午後、満洲のしきたりに習って、土葬をして手厚く葬られた。髪の毛と爪をお骨がわりにして」
「その翌日の6月21日、松岡婦長が医局に入ると、午前9時過ぎなのに、看護婦が一人も姿をみせていなかった。婦長は胸騒ぎを覚え、三階の看護婦室まで駆け上がった。不気味なほどひっそりして、入り口には一同の靴がきちんとそろえてあった。障子を開けると、大きな屏風がさかさまに立ててあった。中から線香のにおいがした」
「22人の看護婦たちは制服制帽姿で、めいめいの胸のあたりで両手を合わせて合掌し、整然と横たわっていた。足は紐できちんと縛ってあり、みなもう冷たくなっていた。二列になった床の中央には机を置き、その上には前日に弔いをした大島はなえさんの遺髪の箱が飾られ、線香と水が供えられていた。そして遺書があった」
遺書
昭和二十一年六月二十一日
二十二名の私たちが、自分の手で生命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑と深くお詫び申し上げます。
私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるより死を選びます。たとへ生命はなくなりましても私どもの魂は永久に満洲の地に止まり、日本が再びこの地に還ってくる時、ご案内いたします。その意味からも私どものなきがらは土葬としてこの満洲の土にしてください。
<彼女たちの自殺は薬物(青酸カリ)によるものでした。それにまた彼女たちの汚れ物の一枚も残していないのも、日本女性の身嗜みと、一段と涙を誘うものがあります。ボイラー係の満人からの話では、死の当日、ボイラー室に大きな包みを二つ、持ち込んできて、
これを目の前で燃やしてくれと言うので燃やしてあげたということです>(高橋氏の解説)
この日本人看護婦たちが集団自殺したのは、明らかにソ連軍による「性的奴隷化」のせいでしょう。しかし日本の国会がソ連に謝罪を求める決議案を出したという話は聞いたことがありません。
by third-seaman
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