過去ログの月ごとの記事数を見てみると、去年の今頃は毎日のように記事を書いていたようです。
恥ずかしくて見返すのも嫌ですが、どうせろくでもないことを書いているのでしょう。
端的に言うと、今までなんだか”思いあがっていた”ように思えるのです。
今年に入ってからくらいでしょうか、「何を書いても驕慢なような気がする」という感じが、ずっとしています。
要するに、今の私は信心を論じるほどの人間じゃあない、ということなのだと思います。
と言って、何も言わないわけにもいきません。
このサブログを閉じなければならなくなります。
過去の記事は、どうせそんなふうに、思い上がったろくでもない記事に違いないのですから、過去の記事はどんどん消してゆくか、と思っても、それではこのブログの当初の”目的”とも違ってきてしまいます。
念のため添えますが、創価輩を口を極めて罵るような行為を恥じているわけではありません。
馬鹿を馬鹿と言っているに過ぎません。
言わば客観的事実ですから。
だって、本当に馬鹿、すなわち極度に頭が悪いとしか言いようのない馬鹿が創価馬鹿どもですね。
まだまともな創価員の皆さん、馬鹿と一緒にされたくなければ今すぐに抜けましょう。
YouTube 東京中野 創価馬鹿走狗によるつきまとい行為
http://www.youtube.com/watch?v=cLNCD6Af1tU
樋田昌志氏が、油断したのか東京中野創価の策略に嵌り、いつものペースをつかめないまま、創価の提示した”怪文書”に反駁できず「大惨敗」を喫しました。
これが過日のいわゆる「中野対決」です。
”怪文書”は、出所もその真贋も明確でないもので(だからこそ怪文書ですが)、もともと論じるに値しなかったのです。
あまりにも不公平な条件を突きつけられ、それでも勝って見せると意気込みすぎたのでしょうか。正当かそうでないかを度外視した(いつものことですが)創価が、”創価が自らをアピールするためのディベート”のシナリオを組み、そのペースに乗せられてしまった樋田氏がいるように思えます。
つまるところ、樋田さんは勝っていないかわりに負けたわけでもなく、ただルールの上で「負け」と判定されたわけで、ならば創価は「勝った」のかと言えば、そのように評価してくれる人が(創価内部にさえ)どれほどいるかは大いに疑問です。
そんな中野創価男子部を名乗るIなる人物とそれに率いられる数人は、過日中野駅近くでティッシュ配布を終えた直後の法華講員に絡みつき、しきりに「法論に負けた樋田一派」と話しかけました。
私たちは樋田さんと派をなしているという事実がなく、また法論とやらにも全くかかわっていないので、相手にする必要も感じなかったため、そのまま帰途に就こうとしましたが、Iらはしきりに話しかけずっと後をつけてきます。
制止してもやめないので、帰命戦士がビデオカメラを取り出しましたが、ご覧のようにそのときはすでに連中は背を見せて去っていっています。
まことみっともない、オカシナ姿です。
義憤に燃え声を高めているのは、先日帰伏するやご両親とお姉さんを束にして折伏したツワモノです。
2011年8月6日
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東京中野に巣食う創価悩乱走狗のストーカー行為
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学会の方々の行動は、信仰云々以前にまずは人としてどうなのかと思います。
そもそも人様(外部など)に迷惑をかける行為、嫌な思いをさせること自体が違うと思っています。
もう、悲しいけどお話にならないです。
私はもうあの世界の人たちと同じ土俵に立ちたくないというか・・。
後は、地道にこつこつ法華講として信仰していくだけだと思ってします。
でも考えようによっては、その人としておかしい活動を見てきて、その人たちのおかげで正しいものに気がつかせてくれた、学会員のおかしな活動のおかげで、正しい道に出会えたのかもしれません。(笑)
(ありがとう♪ 笑)
早く皆様気がついたらいいですね。
また、本当は何気に気がついているけど、どこか臆病に行動できない人もたくさんいらっしゃるんでしょうね。