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自分も大変お世話になった、
ゲーム攻略、記録映像に特化した番組
MONDO21「シューティングゲーム攻略軍団参上!」
を企画した中野龍三さん経営の株式会社 中野プロモーションから、
番組に関連したDVDが発売されることになった。
http://www.nakanoryuzo.co.jp/item2.html
「ゲームを「残す」ということ」として何か記事にできないものかと考えていた自分は、
これを記念の機会として、中野さんに取材をさせてもらった。
インタビュー記事として、以下にまとめました。
長文となっていますが、どれも「伝える必要がある」と、
中野さん、文中で紹介する「ゲー夢エリア51」主宰のぜくうさん、自分、
ともにそう考えるものです。
是非すべてお読み戴き、それぞれご自分の中に感慨として持てるように考え、
また、持ちつづけてください。
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(1)
Q:「シューティングゲーム攻略軍団参上!」のファーストシーズンを終えて、
支持者(視聴者)から多く寄せられている続編希望についての感慨を語ってください。
A:シューティングの続編や新たな番組の希望は随時いただいています。
メールが一番多いですが、ニコ生出演時のコメントや、
面と向かって…というのもありますね。
凄く嬉しいのと、でもなかなかそれが難しいのとで、ちょっと複雑な気分です。
ウチの番組は視聴率はそこそこ取れていましたが、
他にもゲーム・非ゲームに関わらず、魅力ある番組候補が目白押しですので、
次のシーズンで「枠」が取れないこともあります。
こればかりは自分に決定権があるはずもないので、どうしようもない部分ですよね。
もちろん、自分自身も続編を希望し、いただいた続編希望の声も伝えていますが。
今後、番組の続編を通すためには、再び「企画」を出す必要があります。
ただ、その際に「必要なデータ」というのがあって、
この企画を通すための合理的な理由として、それが必要になってきます。
でないと、文章力の上手い企画書が通ってしまい、それはそれで困ったことになりますからね(笑)
必要なデータは、
「シューティングゲーム攻略軍団参上!」に関連するものが見られます。
視聴率が決定的なまでに高ければ、それが使われて問題なかったんですが、
それほどでもなかったので、
「雷電IV 超絶攻略DVD」…つまり今回出したDVDですが、これが使われます。
つまり簡単に言ってしまえば、このDVDの売り上げ本数が高ければ高いほど、
「シューティングゲーム攻略軍団参上!」の続編企画が通る可能性が高い…
ということですね。
もちろんこれは自分が決めたことでなく、局との話し合いで出た結論です。
だから感慨としては、ベストは尽くしたとは思っていますが、
「雷電IV 超絶攻略DVD」を出せたという達成感については全くゼロで、
これから上手く売れてくれるか…という懸念が100%ですね。
4時間超のボリューム、番組同時収録、それからサントラCDまで付けたにも関わらず、
3,900円という破格の安値に設定させていただいたのも、
自分達の身を削ってでも続編企画を通したい、
という決意の表れだと取っていただいて問題ありません。
ただ“続編やりたい”だけでは、どうにもなりませんので、
出来るところからやっていかないと…ってとこですね。
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(2)
Q:今回の発売を記念して、話せる範囲で、苦労話を聞かせてください。
A:まあ好きでやってる仕事ですので、ツライとかいうのは憚られるんですが、
それでもネタとして話すなら、それはいっぱいありますよ。
まず、番組同様、「限られた予算でどれだけ高濃度な内容に出来るか」。
これが最大の問題でしたね。
次に今回のDVDは2.5倍の大ボリュームになったので、編集は本当に大変でした。
あと、前作DVDの話ともかぶるんですが、
こういった商業ベースのDVDを作ること自体がそもそも大変なことなんです。
ただ映像を取り込んでDVDに焼いて出す…なんて出来ないワケで、
他のちゃんとした市販のDVD同様の体裁にする必要があります。
だから自分は好きなゲームも我慢して、映像会社に入社して、働きながら勉強しました。
分からないところは上司に逐一質問し、
昼休みは社内にある映像の専門書や映像業界紙まで目を通す、
というのをずっとやってました。
もちろん映像の勉強だけで商品が作れるワケではありません。
DVDのパッケージの印刷についても専門知識が要求されます。
単に印刷ソフトの使い方だけでなく、
印刷所での見積りや打ち合わせや発注には、業界用語が飛び交います。
当然、1から覚えていくんですが、やはり不慣れなせいで、
上手く指示が与えられなかったり、提出データに誤りがあったり、
初めの頃はまあ散々でしたね。
始業前に印刷所に飛び込んで修正データを手渡しして、
昼休みを潰してまた印刷所に行って確認作業したり…と。
郵送してたら間に合わないんで、自分で運んでましたね、
普通に肉体労働ですよ(笑)
さらに新商品はプレスリリースする必要がありますから、
そういった体裁も学ばないといけない。
そして法務についてもやらねばなりません。
単に著作権について知っているだけでは話にならず、
業界ならではの「商習慣」に即したものになりますので、
予想以上に手順を踏んだり、急な出費があったりと、いろいろと大変です。
だから、物凄く多くのものを犠牲にしました。
もちろん得るものも、それ以上に大きかったですが…。
さっき話した通り、単に“やりたい”だけじゃ無理だと思いますね。
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(3)
Q:こうして「記録として、また商品として残すこと」の意義を、
中野さんなりに語ってください。
A:まあそれは2点あるんですが、
まず1点目は「過去の優れたゲームプレイ映像を亡失から救うこと」ですね。
結構自分の周りであるのが、過去に録った素晴らしいゲームプレイのビデオテープを数十本、
10年くらい押入れに入れていたらカビが生えちゃってて、
そのまま全部捨てちゃった…みたいなもの。
ビデオテープは温度や湿度をそれぞれ低めに保っておけば、15年くらいは何とかなるんですが、
保存が悪いと1年でダメになることもよくあることです。
ひどいやつになると、テープがドロドロに溶けていて、回すことさえ出来ないのもあります。
専門的には「ビネガーシンドローム」というんですが、ここまでくると修復はほぼ絶望的です。
じゃあDVDにすればいいのか?…というところなんですが、
DVDもそんなに長く保存できるメディアではありません。
ただ、商品化すると数がいっぱい各地にはけるので、
遠い未来にそれが何割か残って、
そこからデータの継承が出来る…ということが出来るかもしれません。
商品化は残したいデータを高い確率で残せる有効な手段だと考えています。
さてもう1点は、
「未来に優れたゲーム映像を広く伝えて、その魅力を伝えていくこと」ですね。
例えば能や歌舞伎は、国家の肝煎りで財団法人化して一定の予算を組んで、
伝統芸能を残そうとしていますよね。
対してゲームはというと、これが極めて遅れていて、
最近になってやっと明治大学がゲームの資料のアーカイブを始めましたが、
ゲームプレイの映像の保存に関しては、まだまだ未知数なのが現状です。
過去にどんなに優れたゲーマーがいて、
彼のゲームプレイは凄かったんだよ…なんて言ったところで、
後世の人には何が凄いのか全く分かりません。
伝統は、「形が現在に残っているから伝統」なのであって、
何も残せなかったら、それはただの遺跡です。
またその遺跡すら見る人がいなくて朽ち果ててしまえば、もはやただの「無」です。
そうなってからでは、もう遅いんです。
となると、やることはおのずと決まってくると思います。
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(4)
Q:これら番組や商品を通して、人々に「最も与えたい影響」を教えてください。
A:自分が会社を立ち上げ、TV番組を企画したり、
ゲームDVDを商業ベースで作ったりするのは、
それが最も効率的に広くゲームプレイ文化を伝播させられるから、と考えるためです。
また商業ベースなら宣伝面においても、
他の手段より優先的にマスコミに取り上げられますよね。
特にそれが、「これまでゲームを扱ってこなかったメディア」であればあるほど、
“伸び代”の関係で、ゲームプレイ文化をより多くの新しい受け手に伝播させられます。
総合的に考えて、多少のリスクを背負ってでも、会社を興すことを決めたワケです。
したがいまして、
「残すことを究極の段階まで突き詰めた結果」が、今の会社形態ということですね。
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(5)
Q:ゲー夢エリア51さんの「ビデオゲームクロニクル1 奇々怪界」を
中野さんのサイトでも紹介されていますが、
映像とは別に、こうして文献として残す意義を、中野さんなりに語ってください。
A:自分は「ゲームを競技する」ことと、その周辺のことくらいしか出来ないんで、
こうやって資料を集め、編纂し、
まとまった研究本の形に仕上げられるのは、凄いことだと思っていますよ。
ゲーム文化を残すにも、「いろんな形の残し方」があります。
「実際にゲームをプレイして観客や視聴者に伝える人」、
「そのプレイをDVDなど、映像媒体にして残す人」、
そして「ゲームを文献など、資料的価値のある本として残す人」。
ゲームを文化として伝え、残していく人は適材適所で、
自分に合った役割を選んでいくことになります。
つまり、
「僕はゲームをプレイして観客を楽しませるから、
キミはゲームの資料を集めて、本を作ってね」という感じで。
ゲームを文献として残す意義は、映像やプレイ同様、
ゲーム文化を正しく後世に残していくということで、
社会的にも大切なことだということです。
だから、「お互いの立場を尊重」しなければなりません。
間違っても、己の価値観を相手に押し付ける
…なんてことがないように、細心の注意を払う必要がある。
結局、ゲーム文化を伝え、残していくという大義において、
その目的は一つなのですから、それは当然のことだといえます。
したがいまして、
「ビデオゲームクロニクル1 奇々怪界」の仕事は素晴らしいと思っていますよ。
***** インタビュー記事 ここまで *****
(※ 「ビデオゲームクロニクル1 奇々怪界」の詳細、ご注文はこちらから
http://nakanoryuzo.cart.fc2.com/
また別の記事で、インタビューを交えながらあらためて紹介させて戴きます)
中野さん、ありがとうございました。
完売、大成功となることを祈っています。
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●「雷電IV 超絶攻略DVD」、詳細&ご注文はこちら!
http://www.nakanoryuzo.co.jp/item2.html
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伝えて、残してこその価値。
簡単に聞こえるが大変、しかし絶対必要な課題。
自分なりに言えばこうなる。
共存と逆行した行動をすることで自分達の勝手を押し通そうとする者達のことだ。
共存を受け容れられないものだから、酷い場合は人を陥れようとする。
しかしその先にあるものは、欲求不満の爆発しかない。
前回の記事
http://sgp-sv-tnk.net/?eid=19
で挙げた者達もそうであるが、必ず他人を犠牲にするという共通点がある。
■ 投稿 ■
かつて高槻にあった「マンモス城インベーダーハウス」の常連で、
現在自分がホームグラウンドにしているリブロス高槻へも時々来られる
Y.Kさんから、少し前に、自分の活動に関連する投稿を頂いていた。
ありがとうございます。
この項での参考資料として、
誤解を与えないよう改変せず、全文を掲載させていただきます。
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このページを読んで、あることを思い出した。
http://sgp-sv.com/rebaken.html
私は若い頃、ゲーセンでゲームをしていた人間の一人でもあるが、
ほかの人のプレイを観るのが好きな人間でもあった。
幸い、私が住まいにしているところは、ゲームのうまい人がよく集まっていた店があり、
その人達のプレイをよく観ていたものだった。
このあいだ、ふと時間が空いたので久しぶりにふらりと駅前のゲーセンに入ってみたら、
昔に見たうまい人の一人が懐かしいシューティングゲームをしていることに気付いた。
髪型や表情が、昔とほとんど変わっていなかったからすぐわかった。
何となく躊躇してしまって、このときは話しかける機会をなくしてしまったのだが、
理由は、その人がプレイしている周りでおかしなことが起こっていたこと。
私のほかに3人の男がその人のプレイを観ていたのだが、
どうやら彼らは知り合いではないらしい。
プレイを観ていたというより、後ろからくだらない野次をとばしていたのだ。
レバーの持ち方が、「●●●●持ちだ。 ●●●●の真似じゃないか」と・・・。
レバーの持ち方に、とある格闘ゲームプレイヤーの名前が付けられている!?
野次を飛ばされたその人は、とても不快そうだった。
私は、彼が若い頃にゲームしているのを何度も観ていたが、
たぶんレバーの持ち方はあの時と変わっていないと思う。
当時、「かわった持ち方だなぁ」と思っていたことをはっきりと思い出せるからだ。
その後、このページの内容を読んでいると、
私が通っていたゲーセンと同じところだったし、
何人かの仲間で「レバーの〜」とかやけに専門的そうな話を楽しそうにしていたのを
ちらっと聞いた記憶がよみがえってきたので、
「「レバ研」とはこれのことだったのか」と、記憶の断片がつながったのだ。
次の週にまた行ってみると、その人がいた。
今度は野次を飛ばすヤカラもいなかったし、何とか話しかけることができた。
昔は、何となく恐そうな気もしたので(?)一度も話すことができなかった。
彼も私のことを憶えていたようで、ごく普通に話すことができた。
ついでにいろいろと面白い話とか、「レバ研」のことも聞くことができた。
「それは●●●●持ちだ」みたいな悪い野次は、よくあることだそうだ。
偶然に持ち方が似ている、
それどころか、もっと昔から理論の裏付けまでして存在していたものなのに。
それに、たまたま同じ持ち方をしている人なんてそれより前からいただろうし。
だいいち指は5本しかないのだから偶然なんていくらでも有り得る。
Web検索してみると、「●●●●持ちは●●●●が考案した」とか、
程度の低い書き込みが多く出てくる。
誰だかわからないが、あちらこちらで間違ったことを吹聴している。
格闘ゲーマーって、そんなに程度の低い者が多いのか?
「●●●●持ち」は、●●●●氏本人の発言ではないと思いたいし、
ゲーマーのモラルとして本人も認めないものだと思いたいが、
実際はどうなのだろうか?
これだけ広がっている話なのだから本人が知らないなんて有り得ないし。
例えばお箸の持ち方に個人名なんか付けるだろうか。
ものの動かし方の根幹のところに、そんな個人名なんか付けて偉そうにして、
恥ずかしくないのだろうか。
そんなことが許されるフィールドじゃない。
低次元で非常識だ。
一部の質の悪いゲーマーが、多くの真っ当なゲーマーの邪魔をしないことを祈る。
私はこのこと一つだけを取っても、
このようなヤカラの温床になっている格闘ゲームが嫌いだ。
(Y.Kさんからの投稿記事 ここまで)
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次に、ハイスコアに焦点を絞って書けば、
これを悪く言う者達の特徴は前回の記事の通りであるし、
80年代後半には、ゲーム分野ではあるがアーケードゲームを支持しないある雑誌が、
毎月のようにハイスコアラー叩きを繰り返したりもしていた。
抗議の投稿を何人もで何度もしたものだが、一度も取り上げられることはなかった。
悪口を使わなければ主張もできない者達。
自分達の友人や支持者からのハイスコア申請しか受け付けない「ハイスコア集計店」
があったり(80年代後半)、
最近でも、公式ルールが整備されていない部分に付け込んで、
操作を代用するというハードウェアチート行為を使ってハイスコアを申請したり、
(※コマンド入力や、微調整など精密なレバー操作を代用したりする装置のこと。
90年代前半以前のゲームには、その禁止ルールが整備されていない。
極端に言えば、ゲーム開始〜終了まで全て自動で行うことも技術的に可能なのだ。
「認められている」ことと「ルール整備がされていないこと」は全く意味が違う。
しかしそれを理解しようとしないモラルの無いプレイヤーがいることも事実だ。
何のためのプレイなのだろうか? 「魅せよう」「観せよう」という意識が全く無い。)
自分達のコミュニティを崇めない人達を理由なく敵視して
Web上などで罵倒したり、虚偽を吹聴したり、
ゲームを、ゲーマーを、ハイスコアを、
「とにかく叩きたい」がために虚偽の研究結果を発表する学者がいたり、
それを得意げに発表するメディアがあったり。
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逆風に嫌気が差して180度振り向いてしまえば、
途端に追い風にのまれて、本来の意志と逆の方向に流され、
何をやってることやらわからなくなってしまう。
それも嫌なのなら、やめてしまうしかない。
しかし、理不尽な、不当な、逆風というものは
いつか勝手に、風上で自滅、崩壊する。
人を陥れようとした先にあるものは、欲求不満の爆発しかない。
それが、自滅、崩壊そのものだ。
そう考えれば、
止まっている余裕も、振興へ向けての動きを止める理由もない。
「ハイスコア文化を滅ぼそうとするもの」
(2009年4月28日、中野龍三プロゲーマーWEBに投稿した記事の誤字を一部修正したもの)
【#1:ゲームセンター客の著しいマナー低下・格闘ゲームに関連して多く見られる悪傾向・それを把握しながら改善努力をしない一部のメーカー、メディア、店舗】
一つの貴重な文化と環境の危機に察して、もう黙っていられない。
「いまだけ楽しめたら、先のことは別に関心はない」
「昔の思い出としてだけでいいんでは」
そういった消極的意見も聞かれそうだが、それに対しては逆に問いたい。
なんら恥ずかしくない形態を持ち、eスポーツとして期待も持てる文化が、
単純に「他の流れ」 にかき消されて崩壊しようとする状況を見て「かつて関わっていた者としてどう思うか」 。
「いま (これから) 関わっている者としてどう思うか」
「時間の制約はきつくなったものの今も現場を知っている者としてどう思うか」 。
ゲームのスタイルを、自分の意志の変化というよりは流れにのまれて変えてしまっている人も多い。
それは、悔しくはないのか。
いつまでも引っ込み思案では、流れに振り回されるだけで、自分はそれを楽しいとは思わない。
本記事の全事項を問題提起としたい。
【#2:単にその世界にいるから言うのではなく、ハイスコアは確実にeスポーツの中の文化】
まず、自分のことを例に挙げながら話せば、「認知されている文化」 、ことさらスポーツに身を置いている有名人達の発言に、
つい過敏に反応してしまうことがある。
自分は長距離陸上をやっていた。当然単独競技である。
団体競技は嫌いだった。
その個人単体のみの力が最初から最後まで発揮されるものでなければ競技として値打ちがない、
団体ならごまかしも効くし、精神的に他人に頼れる部分もあるではないか、という、これについては勝手ではあるがそういう価値観だ。
だからテレビなどでスポーツ観戦をする場合も単独競技のみと決めている。
その中でも、選手や解説者、芸能人らが 「このスポーツは頭脳やトレーニング、判断力に動体視力だけでなくメンタル面、センスも非常に重要で、団体競技のように他人に頼ることも出来ない。 〜〜 ほんとによく出来た文化なんだよ」 などと、わけしり顔で話していることが度々ある。
そのたびに、「ハイスコアもそれら全てが要求される。なら全く同じなんだけどなぁ。奥の深いeスポーツなのに、
なんで (日本では) これほどまでに認知されないかな」と自然に思う。
認知された文化の中にいる人達は、当然認知のための努力はしなくていい。
時にはメディアをはじめとする周辺が「評価の押し売り」までして持てはやしてくれる。
現在の日本では、ハイスコアラーは、ゲームの修練と同時に文化認知のための努力までしなければならない。
認知が極めて薄い中にあっても、かつて80年代後半から90年代前半までハイスコア争いが世界一盛り上がった場所でもあるのに、
皮肉なことだ。
一方、「ゲーム」 そのものの認知が低いかといえばそうではない。
家庭用ゲーム機の普及率は凄く、家族でゲームをして遊ぶのも「普通のこと」。
ほとんどのゲームセンターは、例えればカジノのように「ちょっとワルな大人」しか入れないような雰囲気でもない。
街にある普通のレジャーランドだ。
ハイスコア文化は、その中で 「ゲームセンターをより面白くする要素の一つ」として自然に生まれた。
メディアがゲームを紹介することは珍しくない。
だが複数ある要素の一つ「ハイスコア」 だけは、ほとんど取り上げられることのないまま今日に至っている。
(それもあり、「専門番組」という革命的なことを実現された中野龍三さん、MONDO21、プロデューサーの小林三旅さん、宮本訓志さんや番組関係者の方々には期待したいです)
しかしゲームセンターに入ればその光景は確実にあり
(最近は極端に減ってしまったが…それは続きで) 、特に意識しなくとも皆が知るところだったはずだ。
ハイスコアラーのプレイは、それを目指す人や興味を持つ人達の憧れになれるという側面もあり、ハイスコアラーの後ろには常にギャラリーがいた。
ハイスコアラーが多く集まる店は「スコア店」とも呼ばれ、競技、芸術的プレイを見られる場という側面を持ち、心地好い緊張感があった。
「ハイスコアブーム」のことについては別の機会に書きたいが、
まずここまで読んで、「ハイスコアは文化ではない」と言える人がいるなら、その主張するところを聞いてみたい。
文化とは必ずしも商業的理論と一体化しない。
(ハイスコア文化は今後日本においても立派に商業面として成立する要素を持ち合わせているが)
理屈ではなく、一個人の感性だけにとらわれていないもので芸術面を合わせ持つものは全て文化である。
【#3:ハイスコアが下火になるとき】
自分は、恥ずかしながら自然消滅みたいな形でしばらくハイスコアの世界を離れており、
あるとき偶然にスコア仲間達と再会したことをきっかけとして改めてゲームの良さを思い起こし、またやろうと思うようになった。
そこでこの数年のゲームセンターやハイスコアを取り巻く状況を聞き、
実際に多くの「現場」を見て一番驚いたのは(愕然というほうが正しい)、各客層の大変なマナー低下だ。
過去に自分が拠点としていた店や周辺地域でも何度かそんな問題はあり、
店側・常連側で話し合いながら改善をはかったりした経験があるが、今回見たのはそんなレベル、いやそんな次元のものではない。
「これではハイスコアが衰退するのは当たり前。いや、そう仕向けられているも同然だ」
はっきりそう思い、ストレートに言えば腹が立った。
次に移るにあたって前置きしておくが、これはたまたま自分の周辺だけで起こっていることではない。
自分がいる大阪郊外でも、関西中心の街中でも、帰省したら地方でも、東京都心でもそれを見ている。
入店客の年齢層が広いのは、80年代前半にゲームセンターが健全な場所となってからは今もかわっていない。
以前とどこが変わったのか。
その点を、ハイスコア衰退の原因と照らし合わせながら次に挙げていきたい。
いうまでもなく、「格闘ゲーム」 についてを中心とした内容になる。
【#4:これでいいのか格闘ゲーム】
まず一番変わった点は、ゲームセンターに入るときに耳に入る音、声。
「すごく音がうるさい店」というのは昔からあったが、
ハイスコアラーや、そうでなくてもゲームジャンルを問わず、すこしマニアになるとそういう店は必ず皆、避けていた。
うるさいと、店内での会話の声も怒鳴り声、叫び声のようになってそんな中にいると落ち着かなくなる。
「うるさくない店」 は、各台の音量がきちんと考えて設定されていて、居心地が良いうえに、
なにもプレイするゲームの音量が小さいわけでもない。
「ただ適当に大音量を流しておけば、客ウケも良くて盛り上がる」なんて思っていないか?
格闘ゲームのそれは、平均的に酷すぎる。
大概の店では周りにあるほかのゲームの音までかき消されている。
気分良くプレイできる状態ではない。
それしか置かない、格闘ゲーム専門店のような店も見かける。
ゲームジャンルはもっと広いのだから、それを見ると残念に思うが、
それならそれで、騒がしく格闘ゲームをする人だけが行くわけだから別にいいと思う。
ただし、そこで遊んでいる人達が「専門店」ではない通常の店で遊ぶときは、
いつものやり方が当たり前だと思ってもらっては非常に困る。
大音量で、考えられないような大声を出しながら対戦する姿がどこへ行ってもとにかく目立つ。
ほかのゲームもそこにあっていろんな人がやりに来ているのがわからないのか。
ごくまれに、騒いでいる客に店員が注意する店、
「極端な大声は回りの迷惑になりますからご遠慮ください」とか貼り紙してある店を見かける。
これも当たり前のことなのだが、今の状況から見ればつい感心してしまう。
まるで暴動でも起こっているかのような状況でも放置している店が多いからだ。
自分はそんな場合、必ず口頭で注意する。
が、そんな連中が注意を聞き入れることは滅多にない。
大抵は「こっちは楽しんでいるのに何が悪いのか」などと「逆ギレ」で返してくる。
店員に注意を促してもなぜか躊躇され、納得がいかない思いをすることもままある。
現在主流になっているゲームジャンルがこの有り様だから、
スコアラー、いや格闘以外のジャンルが危機に陥るのは当然というより「必然」で、
格闘以外の「ジャンルそのもの」に原因があるわけではない。
ほかのジャンルの人気が下がることをわかっていながら放置している。
悪意の有無はともかく、故意である。
以上が一つ目の 「マナー低下」 。
自然に周囲に気を配るのが常識。
「楽しんでいるのだから周囲に迷惑をかけていい」などという理屈はない。
きちんと読まれていればわかることだが、格闘ゲームに関わる皆が悪いなどとは言っていない。
偏見ではなくはっきり言えば、対戦格闘ゲームでも「本当にレベルが高い人達」に限って、そういう悪傾向はあまり見受けられない。
【#5:これでいいのか格闘ゲーム 続き】
過去にも、ハイスコアが衰退の危機に遇ったことは二度ある。
90年代初頭、中盤といずれも格闘ゲームの台頭が目立った時期で、原因も規模は違うものの今回とほぼ同じだ。
当時はスコアラーとその支持層の絶対数がいまよりはるかに多かったことと、
シューティングやパズルで発売されたゲームが人気を博し、押し返したことで、とりあえず難は回避されたといったところだ。
「ニーズは変わっていくのだから」と言われるより先に言えば、ニーズは意図的に作るものだ。
仕掛けなければ、偶然がない限り、個体の力だけでは流行は起こらない。
前評判の立ったものに人が興味をもつのは当然で、冷遇したら冷遇しただけの結果しか出ないことも必然だ。
格闘以外のどのジャンルも、潜在的人気は衰えていない。家庭用を見ればわかることだ。
ゲームセンターでの対戦格闘ゲームは儲かる。
対戦が続く限り負けた側はコインを投入し続けるから、インカム面ではほかのジャンルはなかなか及ばないかもしれない。
が、いろいろなジャンルのゲームが遊べてこそのゲームセンターで、
台ごとのインカムだけを見て単純な計算、言い方を代えればある種の「どんぶり勘定」でジャンルを絞ってしまうと、
客層が狭くなり目当てが無くなった客足は途絶える。
メーカー側がもし「もっと儲かりますよ」と新ジャンルを開発してきたら、また方向性を変えるのだろうか。
そんな姿勢でごく近い将来まで大丈夫なのかと思う。
貴重な文化を道連れに、「最後はなんにもなくなりました… 誰もいなくなりました。」だけはやめてもらいたい。
では前章に続いて、次は「大会」について書きたい。
最近のゲームセンターでは、対戦格闘ゲームの「大会」も頻繁に見かける。
個人、グループが企画して開催するものから店側の販促企画、全国規模の大会、予選としてまで、大きさは様々だ。
スタイルはどこでも同じようで、マイクを繋げて実況しながらやっている。
実況は店員が行うものもあるが、客に任せるケースも多いようで、そこでのマナー違反がまた深刻だ。
…マイクの使い方(の最低限のマナー)と、
「ゲームセンターの中で行われているイベント」としての自覚がないものがマイクを担当していることが、実にほとんどだ。
ゲームセンターを貸切りにして行うなら、賛同している参加者がどう思うかだけだから、まあどうでもいい。
専門店であっても同じこと。
だが、「普通のゲームセンター」で、ただでさえほかのゲームはプレイすらしづらい状態なのに、
さらに追い討ちをかけるように、それこそ僅かにしか聞こえなかったゲーム音楽を、
全く聞こえなくするほど「マイクでまで」大声を上げていいものか。
ひどい場合は、非常識なギャラリーが発するような「奇声、罵声」を、マイクに口をくっつけてやっている。
マイク、アンプ利用を否定はしない。だが、使うにはマナーがある。
これはゲームに限らず、他のイベント、街頭宣伝、電車や駅のアナウンスでも時々使い方を知らない者が騒音を撒き散らしていることがある。
電車や街頭宣伝などでは誰でも感じたことがあるのではないか。
ただの迷惑だ。
自分はマイクを使う仕事をすることもある者として、余計にそう思う。
しかし自分の神経が過敏なだけだとは思わない。
「プロ意識を持て」とまでは言わない。本当は持ってほしいが、ここでは言わない。
だが周りを巻き込めるマイクという道具を使うことの役割りを最低限認識しなければならない。
それを誤って使うとどうなるか、すらわからない者はマイクを持ってはならない。
マイクは、拡声器だ。
第一、大勢の集まるイベントでそれなりの役割を持てるのは誇りであると思うし、
それならば訓練もするのが、たとえ素人であってもイベントに携わる者としての常識、いや礼儀ではないか。
あえて二度書くが、実にほとんどの「大会」が、「マイクの〜」の理由で、関心のない側には「騒音」なのである。
さらに、大会に無関係なコーナーにまで、無理に「マナー無視の騒音」を聞かせる必要があるのか。
大会スペースで盛り上げたらいいわけで、貸切りでもないゲームセンターの中で「押し付ける」必要がどこにあるのか。
これはもちろん個人の常識とモラルの問題で、次に改善させようとしない店側の責任も大きいだろう。
そして、しっかりした主催元がある全国規模の大会の予選会を見ても、やはりその悪傾向が目立つのだ。
各地のゲームセンターで行われる予選会の状況をもし主催側が知っているなら、これも大問題だ。
そうだとすれば、自分達の盛り上がりのために、他の文化の存在を知りながら踏みにじっていることに他ならないからだ。
感性が薄いため「流される」中にしか楽しみを見い出せず、主体性に欠けて集団の中で自我が消える、
そんな人間が増えたことにも原因の一端があるとは思う。
だからといって非常識な行動が許されるわけではない。
注意を受けた連中が逆ギレする分量よりはるかに、文化的損失は大きい。
【#6:悪い象徴にしてはならない】
なにも対戦格闘ゲームの存在が悪いわけではなく、マナーと、放ったらかしのその周辺状況と「よそを軽視する」ことが問題なのだ。
格闘ゲーマーには常識的な人も大勢おり、彼らですらも非常識の蔓延には手を焼いている。
悪い傾向が強すぎて、象徴になってしまっている。
こんなイメージが更に浸透すれば、全ジャンルで心中にもなりかねない、と言ったらオーバーだろうか?
とにかく、「彼ら」がそうしてしまっているなら、改善も彼らの使命だ。
【#7:そして、一部のメーカーに対して】
メーカーは、こうした状況の全てを把握している。
そうでないなら、ゲームメーカーとしての義務感皆無と言うほかない。
ここは端的に言う。
メーカーが開発し、ゲーマーが賛同し遊び方を工夫し、
一緒にごく自然に培ってきた文化を、今度はメーカーが事実上加担する構図で不当、不自然に衰えさせる、
これは、「どうなのか」? これでいいのか? それでどう思いどう動くのか?
どの世界にも不届き者はいて、ハイスコアの世界にも文化の価値を落とすような輩はいた。
だがそれはあくまでごく一部で、全体の象徴では全くない。
ほとんどのハイスコアラーは、多少変わった例えを挙げるなら、どこかに役者にも似た使命感を持っている。
支持層によって、その自覚は更に促進される。
それにハイスコアラーは常に問題意識を捨てず、文化としての自浄努力を積み重ねながらここまできている。
【#8:ハイスコアラーを良く思わない者たち】
どの世界にも「妬みやひがみ」はあって、
ハイスコアは競技の性質上、昔からそれにさらされやすい。
ブームの頃は、支持層の数に比例して、「理由も意味もなく否定する者」もそれなりにいた。
理由を聞けば、場所、ケースを問わず以下のパターンに限定される。
「ハイスコアラーはゲームを楽しんでいない」
「点数稼ぎはプレイ時間が伸びて迷惑だ」
「競技の材料にするな」
「ゲームごときに真剣になってバカじゃないか」
そんな輩はいまもいて、上のフレーズに追加して多いのが、「意味がわからない、(だから) 「キモい」」 だ。
自分達だけの感覚で見て「異質なもの」に見えるから「けなす」だけなのだが、
そんな輩に限って異常にしつこく、ハイスコア集計まで否定したりする。
理由を聞けば前述の通りだから呆れるわけだが、これも「悪いタイプの格闘ゲーマーの象徴」なのである。
事実であるからはっきり書かせていただく。
そのように不本意な向き合いが生じている以上、両者が問題意識を強く持たなければ、
たとえ全てのメーカーと店舗が努力をしても、またまた堂々巡りになりかねない。
【#9:世界シーンに興味を】
ここまで述べてきた「格闘ゲームに関わる諸問題」は日本だけにとどまらないと聞く。
今後、自分としては世界シーンにもっと興味を持ち、情報交換なども図って、広い目線から文化復興・促進を考えてみたい。
このeスポーツ文化の場が、まず様々な意味で常識的に、ひいて健全、公正公平となり、
皆がそれぞれに主体性を持って行動を考え工夫し、
独創的かつ必要な議論が活発に行われるようになることを祈りながら、
これを投稿させて戴いた。
様々、意見もあろうかと思う。
内容に関わらず、是非それらを真正面から頂きたい。
現代の「負の流れ」に負けず、豊富なジャンルを揃えてハイスコア文化にも理解を示す、
そんな「がんばる店」の方々に限って「好みですから…」と謙遜されるが、
少しでも長い目で見るなら文化面だけでなく経営面でも、それこそが正解なんだ、と信じたい。
過去の遺物などにしてはならない。
(記事はここまで)
<これについての中野龍三さんからのコメント>
何とも身につまされる話ではないだろうか。
ハイスコアはもちろん、アーケード全体が下火になりつつある現状において、
我々は、お互いの立場やコミュニティを尊重しなければいけない段階に来ているということを、
如実に物語る内容になっている。
そのために必要な最低限のマナーさえないことを、氏は危惧されている。
いかに低迷したとはいえ、アーケードの輪の中には、様々なコミュニティが存在する。
そしてそれらが共存できず、コミュニティが減ってしまえば、業界はもたないだろう。
それこそ10年も20年も前は、あるコミュニティが別のコミュニティを追い出しても、
1つのコミュニティの規模が大きかったのと、次々新しい人たちが流入してきたので、さほど問題にならなかっただろう。
格ゲー中心の店、シューティング中心の店といった店舗もあった。
「自分達さえよければ」という発想でも、まだ何とかやっていけた時代である。
・・・残念ながら、現在のアーケードにおいて、そんな余裕はない。
コミュニティ数も要員数も少なければ、新規の流入もチョロチョロといった感じだ。
そもそも格ゲーやハイスコアの主流である、
ビデオ筐体を置くゲーセンの数が、恐ろしく減少している。
行けば大型筐体やメダルしかなかったり、最初からスロット台しか入っていなく、
パチ屋の予備校みたいな、とてもゲーセンとは呼びたくないものまで現れる始末だ。
我々はそんな中を生きているのだ。
どのみち自分は、何ら解決策や処方箋が試されないまま、
このハイスコアの世界が終息するということが、我慢できない。
数十年後に鍋をつついて「あの頃は良かったね」という話をするなんて、ぞっとする。
(中野龍三さんのコメント ここまで)
【 次回更新記事 『 閉鎖的な小さなコミュニティの「起こしたこと」 』 へ続く 】
Stage 1 【自分史をなぞって】
1983〜
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スターフォース
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マンモス城インベーダーハウス
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東京
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ムーブメント
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開拓
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タイムトンネルを抜けて
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リブロス
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高田馬場ゲーセン・ミカド
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スターフォース1億点トライアル 結果報告
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ミカドラブ。
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主な関連記事 『高田馬場ゲーセン・ミカド』
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「東京はいまでも元気だ。ミカドは見ておくべき」とメッセージを受け、昨年4月、初めて行ってみた。
東京はいまどんな風になっているんだろう。
自分が知る時代に、この店は存在していなかった。
全体を見ればやはりゲーセンと呼べる環境は減り、絶対数の差を除いては情勢は関西とも変わらない。
しかしリブロスがそうであるように、関東でもしっかり活動を続けている人達は熱く、
ミカドでは新しいコミュニティが新しい聖地を守り発展させるべく形成されていた。
■ あの日の思い出
80年代中後期。
当時の聖地巣鴨キャロットは、夏休みや冬休みの時期にもなると日本中からゲーマーが押し寄せるように詰めかけた。
スコアラーのみならず全ての層の愛好家で賑わい、
その時代の真っ只中にありながら、思い返しているいまこの時の感慨と変わらないものを感じさせてくれていた。
日々の出来事の中で、殆どの時間は無意識的に通り過ぎ、遠ざってふと振り返ったときに懐かしみとともに鮮明に美しく映る。
記憶は美化され装飾されるものというが、それを差し引いたところで何ら変わらないものが確かにあった。
「場のもの」であれ「人のもの」であれ、「力」とはそういうものなのだろう。
リアルにその場にいながら、はっきりと「自分は今この時代のここにいる」と意識させてくれる、
「ムーブメント」とは、それそのものが力だし、巣鴨はその中心地、だからこそ聖地と認められていた。
博覧会のように、店内至るところに動的なコミュニティがあり、訪れる人々を拒否せず受け容れながら増大する。
あちこちの台の周りを半円形に人が囲み、プレイが「披露」されている中に、
ゲーメスト誌に写真付で紹介されている名スコアラーの姿があった。
関西勢数人で電車で半日かけて行った87年のある時、雑誌が飛び出して実体化したような巣鴨で皆大はしゃぎ。
店に一歩立ち入った瞬間からそれは期待を遥か超えるものであったから。
「あの人が!・・あ、あそこにも!」
「お前、声かけて名前を憶えてもらってこいよ」
「言うならお前が先に行けって」
「怒られたらどうすんの?無視されたら?」
「そんな風には見えないから。大丈夫だからさっさと行けよ、ほら」
「じゃあ一緒に」
「俺は恐いから離れて見とく」
・・ガキだ。 結局、じゃんけんで負けた自分が挨拶をすることになった。
目の前であっさりと「妖怪道中記」の1コイン天界クリアのプレイを観せられた。
この「天界クリア」プレイを観ることは目的の一つだったのだが、それを何気なく観ているところで難なく済まされてしまった。
エンディングが終わり席を立とうとするところで、意を決して話しかけた。
その時の様子は、事が事だっただけにはっきりと憶えている。 ・・・
「あの・・すみません、ゲーメストで読ませて頂いてて・・あのその」
ここで、それなりに話したいことも纏めていたつもりなのだが緊張で真っ白になってしまってどうしようもない。
咄嗟に出た言葉が、
「いまのプレイもう一回観させてください」だった。
「いま観てたんだよね?」
「はい。でもできればもう一回・・」
・・・・・
「毎回必ず決まるものでもないけど」と謙遜しながら、その方は綺麗なパターンで天界クリアをもう一度観せてくれた。
スコアラーのプロ意識だった。
「ハイスコア・アート」。
それで許してもらうことにしよう。
■ 現代へ
ミカドを支えようとする何人かの方と会話することが出来た。
そのまま何人かの方を紹介もして頂いた。
その中に、あの時のあの方もいた。それは勿論驚いた。
「あの時はお世話になりました。一度しかお話させて頂いてませんが、あのとき妖怪道中記で・・」
「もう一回やってって声かけてきたんだったよね。憶えてるよ」
「ほんとですか」
「あんなこと頼んでくるのは君しかいなかったから(笑)」
そりゃあもうはっきり・・と。
何ということだ。
さて、
ミカドは「挑戦する店」だ。
その意気込みは、語られなくとも店内に溢れている。
「いまどきシューティングや古いゲームを置いてもウケない」とは誰が決めたのか。
真新しいゲームに決して劣ることなく、店の看板として立派に活躍しているではないか。
「やりたいことを仕掛けてみる」を実践している店だ。そしてそれは成功している。
行動は、人にも機械にも共鳴するのである。
これを一つの鏡として、たとえ店内の一角ででも「うちもやってみよう」と試みる店が増えていけばと思う。
勿論楽なことばかりではないだろう。
だが本当にゲームが好きで残すべきものを残したいのなら、いまこの時に「何かできないか」と意志だけでも、まずは明確に持ってみてはどうだろう。
いま持っている感慨は、遠い未来から振り返るものと同じなのだろうか。
疑う余地があるならば、それだけ挑戦のフィールドが広くなるというだけのことだ。
********************
ここでの縁をきっかけに、昨年11月には
「リブロス2009・文化祭」が実現した。
大勢のゲストの方々には全員手弁当での多大な協力を頂いた。
http://www.sgp-sv.com/leebros.html
ギャラも何も払うことができない。それでも・・
「それが前提だと考えてるなら逆に行かない。いまやる必要があるからやる」とまで有り難い言葉を頂いた。
このイベントの終幕、「業界にいま必要なもの」として
ミカド・池田社長が「皆」へ呼びかけた言葉、
『ベストを尽くすこと!好きなら遊べ!
オペレーターは場を提供すること!製作者は面白いゲームを作れ!』
それぞれが役割の中でベストを尽くすこと。
やっていないことはないか。できていないことはないか。
やる前に諦めてはいないか。自分で勝手に負けと決め付けていないか。
やりたいことは何なのか、わかっているならベストを尽くせ。
ゲーセンは、運営する側・支持する側、全部の知恵と発想を結集させることでまだまだうまくいく。
立とうとする者に注目せよ。必要を感じたなら動け。
「斜陽産業」などと、表面的な数字とイメージだけを持って軽く決め付けられるのは迷惑な事だ。
そんな言葉の出る風潮自体が文化的にも社会的にも百害あって一理無し。考察も研究も無いところに否定だけがあるものには、未必の故意を含め悪意を孕んだ意図があると注意せよ。
数の論理にのまれる事を恥だと思え。大事なものを大事と声に出せ。
根拠の無いレッテルは無主体、無機質な人間に不必要な流れを助長させるものでしかなく、そのような呼称、位置付けこそ無意味、無価値なものなのだ。
見方を変えれば、運営する立場かどうかに関わらず、積極的になりさえすれば誰もが「創り手」となって文化をプロデュースすることができる時代なのではないか。
“ スターフォース 完全一人プレイ・完全正攻法・1億点トライアル ”
ゲーセンでやることに拘りを持たないなら今までいくらでもチャレンジする機会はあったんだけど、
どうしても「ゲーセンで」やりたかった。
自分は、アーケード・ゲーマーだから。
その最初の場を、宇都宮・つるまきが与えてくれた。
http://clitochi.net/hp/prost/index.html
地元やよく知る場所では時間的に挑戦することが出来なかったのです。
お店関係者の方々をはじめお世話をしてくださった皆さん、先輩方、
年末の忙しい時間をわざわざ割いてあの場まで観に来てくださった皆さん、
お越し頂けなくとも各地から応援してくださった皆さん、
心から感謝します。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
途中、想定していた以上に点効率が落ちてしまい、
立直しを図りましたが7000万を超えた頃には営業時間内での達成は不可能と判断せざるを得ない状況でした。
ごめんなさい。
結果として、頂いている期待に応えることができませんでした。
達成の瞬間を、億の桁がどうなるのかをお見せすることができませんでした。
だけど、あれだけの応援がなければあの成績すら絶対に出せていませんでした。
どこから来るのかわからない力を、常に感じながらやっていました。疲れませんでした。
いつの時代にいるのかわからない錯覚の中で、スコアラーとしてよりゲーマーとして、最高に気持ちのいい時間でした。
******* 結果 *******
■ 90000000+α 残機19
■ 7:00〜24:00(17時間連続)
■ 途中最大残機数43(自己ベスト)
■ キャラ調整は全体の8〜9割が成功しています。
■ 連射スピードは最後まで高速のまま維持しました。(連射装置は非常用を含め取り付けていません)
■ 序盤1000万は、ノーミスではなかったけど意図して残機潰しをしていないプレイとしては過去最高の点効率でした。
今回の録画データは、何らかの形で残すことができたらと思っています。
どうしてもゲーセンで、決められた営業時間の中で出せなければ価値が無いと自分は考え、それを目標にしていた。
億の壁に対しては、今回、負けは負けです。
悔しいです。
また挑戦の場を与えて頂けるなら、今度は必ず達成します。
スターフォースは自分を育ててくれたゲーム。
とことんまで付き合い、闘いたい。
叶うまで諦めません。
※スターフォースとは、1984年にテーカン(現:テクモ)が開発した名作アーケードゲーム、
それのみを指します。
メッセージを頂きました。ありがとうございます。
------------------------------
株式会社アイエヌエイチ代表取締役社長・
高田馬場ゲーセン・ミカド代表 池田 稔
http://www.inhgroup.com/
http://mi-ka-do.net/baba/
------------------------------
ども池田@INHです。
いきなり、TNK氏にメッセージをくれ!
といわれたのでなにを書けばよいか(笑)
良くある質問を箇条書きっぽく書きます。
■ INHという会社
2004年からスタートした、ゲーセン盛り上げ部隊です。
人脈と行動力で、「レバーとボタンのゲーム」で
頑張ってるゲーセン店舗をほとんど無償で応援してます。
活動資金捻出とゲームのスーパープレイヤーの皆様の 芸術性、エンターテイメント性溢れるプレイ動画を世に広めたいため、
攻略DVDを、また、それとは別に自分のスキルを生かすために、
ゲームミュージックサントラCDなんかもリリースしてます。
これでも昔はミュージシャン志望だったんですよ。
■ ミカド
会社の仕事のつてで、はじめたゲームセンターです。
元々自分は株式会社アイモさんや株式会社GM商事さんといった、ディストリビューター兼、ロケーション運営をしている会社でゲーセン店長をやってましたのでその経験からですね。
田口社長(アイモさん)や小倉社長(GM商事さん)にはお仕事のいろはを教わり、今でも良い関係でお付き合いさせていただいてます。
・・・・つまり、独立しても元の上司には頭が上がらないってことです(笑)
■ ミカドの運営について
高校を卒業して以来、ロケで10年以上働いてましたが、
ビデオゲームはいつも職場のお荷物でした。
でも、自分がゲームセンター、アミューズメントの業界に入った切っ掛けは「幼少時代よりビデオゲームを中心としたゲームセンターというコミュニティが本当に楽しくて
沢山のお客様に同じ気持ちになって欲しい!」と考えたからに他なりません。
それなのに・・・
「ビデオは金にならんから、他ジャンルに力を入れよう」
「お前の好きな●●▲×の続編は売れないから、もう出さないみたいだよ」
いざ、業界に入っても聞こえるのはこういったネガティブな話題ばかり。
夢を持って働きはじめたのに俺が可哀想過ぎる!
なら自分の力で自分の好きなジャンルを徹底的に盛り上げたい!
と思ったのが独立の経緯であり、
ミカドの運営スタイルの基礎でもあります。
ミカドをはじめ、いままで様々なビデオゲームのイベントを率先して行ってきましたが、
全てはロケーションが中心の草の根活動です。
http://www.inhgroup.com/event/
http://blog02.mi-ka-do.net/?day=20091001
ゲーセン(現場)が盛り上がらないことには何も始まらないし、
何も生まれないし、何も変わらないと考えているからです。
無償で出来る限界ギリギリまで、多数の協力者と助け合い、
ベストを尽くしてきました。
僕の発案する企画、イベントは全て、
アーティストのインストアライブイベントやプロレスや格闘技団体のファン感謝イベントを参考にしています。
誤解を恐れずに言ってしまえば、テーマは
「新規顧客獲得」
「ゲーセンはなれたオッサン勢、子供連れて戻って来い!」
といったところです。
なので、今のゲームセンターが好きで満足している人たちには僕の企画やイベントはピンと来ないかもですね。
それでも、自分だったら絶対行く!楽しそう!と思うものを考えて実践してきたつもりです。
格闘ゲームの大会に関してはX-MANIA外伝以外は若いスタッフやお店のお客様のアイデアを具現化したものとなります。
最近はアーケードビデオゲームに関するイベントが増えました。
正直、自分たちが人柱になった甲斐があったと考えています。
もっともっとロケーションでのイベントが沢山増えて、ゲーセン自体が儲かって業界が活性化すれば自分はすぐにでも会社を畳んで、参加する側に回ります(笑)
■ 昨今のアーケードゲーム、ビデオゲーム業界について
ありがたいことに最近よく、この手のイベントのトークショーとかで
語ってくれ!と各所よりお声が掛かるのですが、
2009年12月現在、自分にとってこの手の質問への答えは、
<駒澤社長×藤野社長インタビュー>
(第1回)
http://raiden4.air-nifty.com/blog/2009/03/89-1-016b.html
(第2回)
http://raiden4.air-nifty.com/blog/2009/03/post-4759.html
(第3回)
http://www.triangleservice.co.jp/lovelog/2009/03/-3.html
(第4回)
http://www.triangleservice.co.jp/lovelog/2009/03/-4.html
<THE PERFECT TERROR まもるクンは呪われてしまった!>
http://www.inhgroup.com/item/mamoru/
Xbox360版 まもるクン攻略DVDのオーディオコメンタリー第三音声で
グレフ丸山社長とガルチ茶谷社長との対談
上記が全てです。それ以外はいくら振っても何にも出てきません。
ゲームセンターの状況は上記からさっぱり変わってないし、
今後、どうすべきか?のある程度の結論もそれらに全て出ていると考えております。機会があれば、
是非記事を見たり、DVDをお手に取ってみてください。
■ TNKさんと俺
TNKさんとは、とある仕事で知り合いました。
そのときのご縁から、大阪のリブロスさんのイベントにも率先して協力させていただきました。
TNKさんはスコアラーとしての実力もさることながら、業界の今後を考えて色々と模索しているご様子です。
今後の活動に期待しております。
あ、そういえば、最近カプコンさんとの仕事で
http://www.e-capcom.com/ec/cmDispRcmndProduct/
doProductLink/1/1/A10002116/10/10/
cmDispRcmndProductDisp/1
CDを作っていたんですが、
どうしてもソンソンの「天竺」のBGMを基板から新規収録したくて、ソンソンの2千万点プレイヤーでもあるTNK氏に攻略方法を仰ぎました。
だってあのゲームコンティニューがないんだもん(涙)
んで、TNK氏のアドバイスどおりにプレイして無事に天竺まで到達、BGM収録できましたよ。
さすがスコアラーは凄い!っと再認識致しました。ありがとうございます。
********************
2009 12月29日・30日
ミカドにて “グラディウスIII”記念イベントが開催されます。
詳細情報:
http://blog02.mi-ka-do.net/?eid=953737
********************
自分の感慨は次の記事で。
前回の記事「タイムトンネルを抜けて」
http://sgp-sv-tnk.net/?eid=9
思わぬ幸運な出来事で始まった。
店長は、昔もインベーダーハウスに度々訪れ、支持されている方であったこと、
そのあたりからの流行の移り変わりを見て知り、
現在も未来も業界に携わる者としてまたゲームが好きな一人として強い創造意志があったこと、
スタッフの方々それぞれもゲームに関わる経験は浅くなく、自分からの提案に対して興味を持つだけの知識もあったこと、
過去の文化について毛嫌いをしていなかったこと、好奇心もあったこと。
片隅にある「STG・レゲーコーナー」は、
「見直してほしいものがある」という店長の挑戦だった。
現実味を持った可能性を探求しようとしていた。
器の基礎としてまずは足りないものは見当たらないと思った。
いや、そういう言い方はおこがましい。「なにかをさせてもらえれば」と思った。
全盛といわれる時代から遥か未来の現代、文化を継承する資質とはこういうものを指すのである、
と感じ、素直に嬉しかったし、
いつかの感覚に違和感なく戻ろうとしている自分を客観的に見て、やはり違和感がないことに目を丸くしながら、
これからできるであろうことを想像すると子供のようにワクワクした。
ハイスコア集計を始めるに当たっても意外なほど早く理解を得ることが出来、
自分が通い始めたのは8月、その年の秋にはアルカディア掲載店ともなった。
■ 「中野龍三プロゲーマーWEB」にて、先日の記事について紹介戴いている。
(http://www9.plala.or.jp/nakanoryuzo/news-kakorogu/news-09.12-2.html#1212a)
その中から一部を引用したい。
>>文化なら何でも復活できる…というわけではない。
しかしその観点からみても、ゲーセン文化にはそれ自体において、強烈な 「独自性」 が備わっている。
それは大画面と優れた操作性といった即物的なものではなく、
いかにオンラインが充実しようとも、あの肌身に伝わる“空気感”である。
いろいろな層の人間、年齢や社会的立場も様々で、まさに人種の坩堝だ。
こういった人々と同じフロアでプレイし、時には交流も出来る。それも生身の会話である。
こればかりは家庭用がどれだけ技術革新しても、再現不可能なフィールドである。
だから自分は、このブログ主同様、ゲーセン文化もまたヤマトのように“出会い”の時代が訪れると考えている。
ただし、待っているだけではダメである。
どんなにその文化が傍目から死につつあるように見えても、“種火”は残っているものだ。
そしてその“種火”は我々で保っていかないといけない。
もしそれが足りなくて、完全に家庭用ゲームやオンラインに飲み込まれ、いい様に組み換えられてしまえば、
その時は完全に終わりだと自分は思う。
また運良く飲み込まれるのを免れたところで、火が消えてしまえば、遺跡同様になってしまうだろう。
そうなると文字通りアンコールワットのように、かなり後になって誰かに発掘してもらう以外になくなってしまう。
どのみちその頃には、我々も生きてはいないだろう。
“種火の守り人” がいないことには、復活もムーブメントもないのである。
(中野龍三)
***** (引用ここまで) *****
遺跡にも化石にもしてはならないし成り下がるような要因は考えてみれば無い。
短く言い切れば、流行とは風潮そのもの、それは意図して仕掛けた結果、思惑通りであろうとなかろうとそれ以外のものではないのであって、
興味を持たせる企画を立てるのも人間なら乗るのも人間、
手段を考えればいいわけで、大勢を動かせば大勢が知る。
流行でも風潮でも動かそうとすれば動く。現に誰かが動かそうとしているから動いているのだ。
それをどちら側から捉えようとするかが主体性という問題である。
そして主体性とは、人が出会う場所があるからこそ生まれる。どんな文化だからといってこれは関係ない。
********************
仲間たちが、戻ってきた。
新しい時代のステージで、新しいコミュニティも気が付いたら自然とできていた。
噂は広がり、少しづつではあっても「今のリブロス」を目当てに来てくれる人も増えている。
そこでの根本にある思いは誰もかわらない。
大事な場所。
いくらそう思ったところで、応援しなければ続かないのは当然のこと。
インサート・コイン。支持したいのなら形で表そう。
「好きならば守れ」。
それは、皆わかっていた。
常に上昇線というわけにはなかなか簡単にはいかないようだけど、
それでも「急発展しているようだ」と目を見張るものがあって、
小さかったコーナーは今では店の名物になるほど拡大している。
自分がいなかった頃もしっかり活動を続けていた同志たちとの再会がこのあと連続する。
また偶然は続くものなのか、同じように復活を遂げる同志にも多く出会う。
リブロスが与えてくれたものは大きい。
課題はいくらでもあるにせよ、支持する側から「創り手意識」を持って対話することができる場。
自分が「育てられた」街、高槻。
ここは、インベーダーハウスの血を引き継ぐ店である。
【 次回更新記事 『高田馬場ゲーセン・ミカド』 へ続く 】
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