2011年4月30日土曜日

 『石焼きイモの詩』紙上座談会



長ったらしくてウザ~いヨタ咄を辛抱強くお読みくださった皆様、お疲れ
様でございました。

続きまして、野茶坊制作・聖教4面座談会風味『石焼きイモの詩』論評

(おちょくり?)座談会を、ご笑読ください。

すでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、『がんばれ公明党』板

の2年前(※南里注2006年4月)の過去ログからの転載です。

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長屋版紙上座談会『石焼きいもの詩』

2006年3月27日、山本総旧習長(S副理事長・社会協議会NO2!)

を迎えて、
奄美の壮年部・男子部合同総会が盛大に開かれた。


「誓願」の儀式であり「新出発」の会合。
婦人部心づくしの赤飯も配られた。

分県長が挨拶の中で「先生が会長に就任された時も、奥様が赤飯を炊いて

…」と話した。

はて…?

1960(昭35)年5月3日、先生の会長就任の時、夕食に赤飯でも炊いてい

るかと思ったら、
「今日は池田家のお葬式です」と奥様はおっしゃり、普段と変わらぬ食事

だったと先生は回想してなかったっけ?

ひょっとして分県長の言う「会長」とは、3代以外の会長…?

それはさておき、本題は山本総旧習長のおハナシ!
会合参加者3人に、感じたままを率直に語ってもらいまショウ。



 第1回:マイクは誰のもの?

A:山本総旧習長が喋り始めた直後、司会マイクをスッととって「ここで奄美の壮年部を代表して、一言お礼を申し述べさせていただきます。」と丁重にお辞儀をした地区部長がいたな。

B:司会交代かと思ったよ。お辞儀の仕方があんまり堂に入っていたんで、山本総旧習長もつい立ちあがって深々と返礼していた、鳩が豆鉄砲くらったような顔して。

C:で、その地区部長が「去年の衆議院選挙でT州会の…」と言いかけたとたん、分県長が大慌てで止めに入った。

B:そう。ほとんど力ずくだった。「それは予定にないから…」とか言いながら。

C:揉み合いになるかと一瞬思ったが、その地区部長は物理的な抵抗は一切せず、分県長の巨体に身体を押さえられマイクを奪われながら、「奄美広布の大事な話です」と静かに言っていた。

B:そして会合が終わるまで、そのまま司会席の横に平然と座って動かなかった。

C:図太い男だ。

A:総旧習長は、「彼、司会じゃないの? ああ、びっくりした」なんて言ってたな。

C:なぜびっくりしなきゃいかんのかね?

A:そりゃ、いきなりT州会のことを持ち出されたからだろう。

C:後ろ暗いところがあるんだな。

B:そう。去年の衆議院選挙で、J由連合のT田トラヲに代わって息子のT田タケシが立候補したんだが、そのT田タケシがSの座談会場を回って、山本総旧習長にじきじきに激励を受けたことを得意げに話していたよな。

A:ははは、若いから正直なんだ。

B:会員の中には眉をひそめる向きも多分にあった。実は私もその一人。

C:不快感や不信感を露わにする人も少なくなかった。

B:旧習の方からT田支持が打ち出されていたってことだな。

A:あの「ヤストク戦争」以来、ただでさえ奄美の選挙はデリケートだというのに、無神経なことをやってくれるもんだよ、毎度毎度…。

B:そう、「ヤストク戦争」。ひどかったよな…。かれこれ20年になるか…。地元幹部のトップが自主投票のオキテを破って、片っ方の支持を打ち出したもんだから、組織は修復不可能なぐらい滅茶苦茶になった。

A:実弾が飛び交うし…。

B:現ナマだな。毒饅頭とも言う。その毒饅頭喰わされた幹部もいただろうさ。

C:「ヤストク戦争」のしこりは根強く残ってるよ、組織の中にもまだま…。

A:そうだよなぁ。そこへもってきてバーターなんかやられた日にゃ、たまったもんじゃない。

B:そのバーターに、毒饅頭はつきものだろうよ。

C:ある圏幹部に聞いたんだが、つい数年前の選挙の時、T州会の関係者が自宅に挨拶に来たそうだ。関わりたくないから家にはあげずに玄関先での二言三言でお引き取り願ったんだと…。で、ふと靴箱の上を見ると、紙包みが置いてある。

B:中身は札束か?

C:そうだよ! 驚いて、すぐ後を追って突き返したそうだ。

B:まぁ、そうやって突き返した真面目な幹部は正直に話すんだろうが、そうじゃない幹部もいるだろうよ。

C:紙包みを突き返されたそのT州会の人間が、驚いた顔してたんだってさ。

A:ふ~ん、なるほどね。S幹部も平気でもらうのがフツーってことかいな。

C:そう考えるのが自然だろうな、相手が驚いた顔してたってことは…。

B:話を戻して、去年の衆議院選挙の時、そのT州会の御曹司に山本総旧習長は「キミのお父さんとはいろいろあったけど、まあ今回は…」なんてことを調子よく言ったわけだ。御曹司が自分で嬉しそうに話して回ったもんだから、バレバレだ。

A:そして選挙の後、地元の幹部が「T田支持を打ち出したことで、組織を混乱させて申し訳なかった」と謝罪した。地元幹部だけが責任を負った形になったんだな。

B:そう。実は山本総旧習長自身がT田とつながっていたわけだが、T田支持を打ち出した発信源の山本総旧習長自身は完全に頬被りだ。

C:無責任の極みだな。卑劣そのものだ。あの地区部長は、そのことを問いただそうとしたんだろうな。

B:そう。それ以外にあり得ないだろう。そして、そういうことは、総旧習長との個人的な会話ではなく、皆の前で質問して、総旧習長自身の責任を白日のもとにさらす必要があると彼は判断したんだろう。

A:しかし、今のSの会合、とりわけ大幹部の出席する会合では、そうした質問の場はない。だから彼は一計を案じて司会席に移動し、司会マイクでサラリと質問しようとしたんだよ。

B:会合に質問の場がないってことは、幹部が胸襟を開いた対話を恐れてるってことじゃないのか。

A:会員は従順でなきゃ困るってわけだ。

C:それにしても、山本総旧習長も肝っ玉が小さいな。

B:たしかに…。「奄美広布の大事な話です」とまで言われてるんだから、仮に後ろ暗いところがあったにしても、分県長を制止して、「では話を聞こう」となるのがスジだよな。単なるカッコつけでもいいからさ。

A:当然だ。それがS幹部としての最低限の矜持だろう。しかし、その最低限の矜持をさえ持ち得ないんだな。情けない。ブザマだよ。

B:分県長が質問した地区部長を止めたことでホッとしたのか、「いろんな人がいるから」なんて言って笑ってたな。

C:その「いろんな人」の話に耳を傾けるのがS幹部というものじゃないのかね、本来は。

B:まぁ、陰でコソコソT田あたりと会ったりしてるんだから、正々堂々と、臨機応変に、質問に応じる潔白さも柔軟さも持ちようがないだろうよ。

A:会合の後で、地元幹部がS班の男子部に「事故が起きてしまった! たとえ正義の言論であろうとも、法座を乱すことは許されないんだよ。」と叱責したそうだ。

C:何だ、それは。形式主義そのものじゃないか。まるで宗門だ。

B:しかし、正義の言論であることは認めたわけだ。そこは評価してもいいんじゃないか。

C:そうかも知れんが、正義の言論に優先する法座というのは、いったい何なんだ? 何のための法座か、誰のための法座かと言いたいね。

A:そりゃ幹部の権威を維持拡大するための法座だよ。

B:そんな法座とやらで、「師弟」なんか持ち出さないでもらいたいね。師匠が迷惑する。弟子も迷惑する。師弟利用だ。

C:質問しようとした地区部長に対して、その後、組織サイドから何らかの働きかけがあったのかね。

A:聞くところによると、何もないみたいだ。

C:何もない? それは意外だな。会合後、山本総旧習長本人が個人的に呼んで懇談するとか、地元幹部が家庭訪問して指導するとか圧力をかけるとか、あるいは激励するとか…、そんな風になるんじゃないのかね。

A:それが何日たっても電話一本ないらしい。その地区部長は首を長くして待ってるようだが…。

B:まぁ、地元幹部の大方も腹の中ではその地区部長に共感してるんじゃないのか、実際のところは。

A:案外そうかも知れんな。しかし、電話の一本もして、話し込んでいくうちに意気投合しちゃうかも知れんし…。

C:そうなると非常にマズイというわけか、立場上(笑)。

A:立場でしかモノを考えられないし行動できないんだなあ、かわいそうに。

B:ところで、山本総旧習長、顔色わるかったな。

C:そうだなぁ。前に見た時も、人相が悪いというか如是相が悪いというか、爽やかさというものが全く感じられなかったが…。

B:加えて今回は、血の気が失せて精気がなかったよな。青ざめていた。

A:初っぱなに予想外のカウンターパンチをくわされて、慌てふためいたせいもあるんじゃないか?

B:それもあるかも知れんが、ひょっとして勤行してないんじゃないか?

A:まさか、いくら何でもそれはないだろう。

B:わかるもんか。昔、先生が幹部に対して「勤行をしていない人は、顔がドス青くなる」と指導されたことがある。

C:ああ、「ドス青くなる」か…。まさにそんな顔色だったな。少なくとも、題目があがってる顔色じゃなかったよな、どう見ても…。

B:やっぱり幹部たるもの、生命力満々たる顔色じゃないとな。

C:ほんのり赤みがさしたような…。

B:そう。顔を見ただけで元気が出てくるようなさ。

A:赤みをさすだけだったら簡単だ。黒糖焼酎を一杯ひっかけりゃいい。

C:そりゃ名案だ。2ヶ月に1回来島するそうだから、次は水差しの中に黒糖焼酎を入れて差し上げよう、40度ぐらいのドぎつい銘柄をストレートでさ。

B:ついでにハブを生きたまま入れて、ハブ酒にしてやるか。精がつくぞ。

C:水差しの中でハブが毒を吐きながらのたうち回る。お似合いだな(爆笑)。

B:念のために言っておくが、ハブ毒はアルコールによって中和されるから、飲んでも全く危険はない。

C:焼酎の中にぶち込まれたハブは、毒と一緒に糞も出すけどな。

A:だから、ハブ酒をつくる時はまず水の中に入れて糞を出させてから、焼酎に入れるんだが…。

C:生きたハブ入りの水は危険だ。水はハブ毒を中和しない。

B:やっぱり焼酎にハブだ。糞もいい香り付けになるだろう。

A:さて、きょうはこのぐらいにしておこうか。次回から、山本総旧習長のお噺の中身について検討することにしよう。

B:いいよ、もう。生命力のなさを虚勢でカバーしたようなワケのわからんヨタ噺、何を検討することがあるもんか。

C:こちとら、忙しいんだよ。

A:まあ、そう言わずにつきあえよ。

B:しょうがねぇなぁ、まったく…。




 第2回:スッキリと気兼ねなく(1)

A:では、山本総旧習長のお噺の中身について…。

B:印象深かったな、いろいろと…。

C:最初の方で、「男だけの会合だから、ひじょうにスッキリと気兼ねなく…」とか言ってたな。

A:「婦人部も後ろの方で応援してくださってるから、言葉に気をつけなきゃ…」と言い足していた。

B:言葉に気をつけながら、スッキリと気兼ねなく…か。おもしろいね。

C:言葉に気をつけるとか、そういう問題じゃないだろう。俺が女性だったら怒るよ。

B:女性じゃなくたって怒るよ。先生の指導とズレまくってる。

A:まぁまぁ、二人とも忙しくて時間ないんだろう? そのぐらいにしておけよ。

C:ふん! 噺の初っぱなから気分悪かったぞ。

B:で、噺の内容はスジガキ通りだったのかな?

A:そうなんじゃないの? 県内他地域でもだいたい似たようなものだったようだ。

C:幹部指導の前に、二人の地区部長が感動的な体験発表をしたんだが、それに対しては一言もなかったな。礼を言うわけじゃなし、激励するわけでもなし。

B:それはスジガキになかったんだろう。会合で予定にないことをやっちゃいかん…てことは、前回、ハッキリしたじゃないか(笑)。

C:万事スジガキ通りか…。臨機応変・縦横無尽の先生とは全く違うんだな。

A:でも、先生のことをちゃんと喋ってたよ。

C:そりゃ、先生のことを喋らなきゃ指導にならんだろう。それこそ大事なスジガキだ。

A:いや、本人は大まじめの真剣そのものだったんじゃないのか?

B:そういうことにしておいてあげよう、とりあえず。

C:秋谷会長のことを引き合いに出してたな。

B:そう。「秋谷会長の本幹中継での話は、もう指導じゃなくなった」と…。

A:「先生の弟子の一人として、先生を守り、学会を守るために人生のすべてを捧げます」という、反省と誓いと決意に変わったと言っていた。

B:総旧習長も同じように反省と誓いと決意をしているってことかね。

A:そうだろうなぁ、そう言いたいんだろうなぁ。

B:じゃあ、具体的に何をどう反省するのかね。そこがハッキリしないと、誓いも決意もないだろう。

A:そうだよなぁ…。

B:今までの自分の何をどう反省するのか、何も喋らなかったよ、総旧習長は…。

C:秋谷会長だけマナ板に乗せて、自分は先生の善き弟子でございます…ってか?

A:そういうことになるのかなぁ。

B:本部職員になって40年、先生のもとで薫陶を受けてきたことを、しきりに強調してたよな。

C:だからどうだって言うんだ? 3月の本幹で秋谷会長も、先生の偉大さは自分が一番よく知っているみたいなことを言っていたが…。

A:その意味では、秋谷会長と山本総旧習長は、共通するものがあるかな?

B:総旧習長はこう言っていたな。「秋谷会長は5代目か…、5代目ね」

C:おいおい、秋谷会長が何代目かぐらい、わかりきってるだろう。何をとぼけてるんだ?

B:意図的に秋谷会長を小馬鹿にしたポーズをとってるように見えた。

A:こうも言っていた。「これから10代・15代となっていく中で、もし変な会長や変な幹部が出たら、三代の会長…、なかんずく池田先生と共に学会を作り上げてきた苦労が全部水の泡になる。絶対にそんな学会にしてはならない。」

C:まったく、話のスリカエがうまい。変な会長とか変な幹部とかいうのは、未来の仮定の話じゃなくて、今この時の現実の話だろうがぁ、現実の…。

B:そう。「そんな学会」になっているんだよ、すでに…。だから先生は…。

A:総旧習長も言っていた。「先生は去年の12月から首脳幹部に全魂の指導をしておられる」と…。

B:先生の指導はいつだって全魂だ。首脳幹部にものすごく厳しい指導をされてるってことだな、要するに…。

C:それで幹部は戦々恐々としてるわけだ。

A:総旧習長は、「先生がひとつのテーマについて3ヶ月も続けて毎日のように指導されている経験は、私は初めてだ」と言った。

C:初めて…? そう言ったけな。だとしたら、40年も先生のもとで薫陶を受けながら、一体何を学んできたんだよってハナシになるよな。

A:先生のおっしゃることは、ずっと一貫して変わらない。

B:そう。昔の指導を読み返しても、同じことを繰り返し繰り返しおっしゃってこられたように思える。

C:ところで、ひとつのテーマというのは、「幹部革命」「悪と戦え」ってことだよな。

B:そう。我々には「悪を叩き出せ」「下から上を突き動かせ」と…。

C:それこそ学会精神そのものじゃないか、牧口先生以来の…。

B:「その学会精神を絶対に忘れちゃいかんぞ」という意味で、先生は今から7年前に、『嵐の4,24』を書かれたんだよな。

A:そう思うね。しかし、我々は何をしてきた…? 悪を叩き出してきたか?

B:いや…。残念ながら…。

A:弟子のあり方が問われる時だよな、今…。

C:そうだ。我々は戦おうじゃないか! ただごとじゃないぞ、今は…。

B:総旧習長も同じことを言っていたよ(笑)。「ただごとでない時が流れている。ただごとでない弟子の戦いの始まりが今だ!」ってな…。

C:そうだっけな。ろくすっぽ覚えちゃいないんだよ。しかし、総旧習長のその言葉には全く同感だ。

B:総旧習長がどういう意味で言ってもか?

C:俺が言うのは、悪を叩き出す戦いに立ち上がらなきゃどうにもならん事態だって意味で、「ただごとではない」ってことだ。

B:3月の本幹で先生が通解を引かれた御書、覚えてるか?

C:そりゃ勿論覚えてるさ。

B:言ってみろよ。

C:え~ッと…、師弟契約御書…。正式には何だっけ? 要するに、師匠には善師と悪師があるから、悪師についていっちゃいかんぞって御書だ。

B:『最蓮房御返事』。1340ページ最後の1行だ。
「師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり」。

C:あ、そうそう。3月の本幹の中の、九州総会で先生はその御書を引かれたよな。

B:九州総会で引かれたから、印象に残ってるのか?

C:まあな。「お!」て思ったよ。九州総会で先生がこの御書を引かれる、そのココロは…? てな。

B:総旧習長は、噺の中でこの御書には一切触れなかった。

C:触れられなかったんじゃないのか。

B:スジガキになかったんだろうよ。

C:「悪師とはだれのことでしょうか?」って、サラリと質問してみるか、次の来島の時に…。

A:まぁ、いいじゃないか。九州総会で師匠が引用された御書に、山本総旧習長は一切触れなかったという事実だけで十分だよ。

C:お! 暗に明確にズバリ言うじゃないか。





 第2回:スッキリと気兼ねなく(2)

A:話を戻すが、総旧習長も「4,24」のことを言っていた。

B:たしかに言っていた。しかし、それもスジガキじゃないのか、今が旬の…。

A:まぁ、そう言うな。「この日を終生忘れまいと決意いたしましたぁっ!」て絶叫してたじゃないか。

B:「紅涙ふりしぼる…」なんてウツクシイ言葉も添えてな。但し、先生自らが真実を明かされた『嵐の4,24』には触れなかった。

C:しかも、先生が会長辞任された日付が、な~んかアヤフヤな感じだったぞ。「ご勇退をされたのは…、ん? 54年じゃない…? ああ、そうだな、54年の4月24日です」なんて言ってよぉ…。

B:そういう箇所はよく覚えてるんだな、キミは…。

C:だって、大事なことだろう、これは…。1979年、昭和でいえば54年の、4月の24日。俺でさえ、忘れたことないぞ。弟子が師匠を裏切った記念日だ。忘れたくても、忘れられないよ。

A:総旧習長は、昭和52年…、いや、もっとさかのぼって、昭和40年から説き起こした。

B:そう。ご丁寧に、「ちょっと体験発表していいね?」と前置きしてから…。

C:「お、体験発表か!」と期待したよ、俺は。

A:しみじみと語ったじゃないか。

C:「先生のもとで24時間、広宣流布ができたら、こんな嬉しい人生はない。」ということで、昭和40年に聖教新聞社に入ったんだよな。

B:ほう、よく覚えてるじゃないか。

C:体験談とか、具体的な話は記憶に残るんだよ、俺は…。

A:じゃあ、続けて。

C:若い頃は純真だったんだなぁ、総旧習長も…。ただ、聖教新聞社に入るのに、後ろ髪を引かれる思いもあった。

B:そうだったな。お父さんが病気に倒れて、お母さんがいろんな行商をしながら、必死で家計を支えておられた。

A:「今でこそパートとか何とかあるけど、あの頃はパートなんてなかったろう…」と、涙声になっていた。

C:ハッキリ言って、俺はそこでドッチラケたね。演技だよ、ありゃあ…。これは本気で体験発表する気なんぞ、さらさらないと見た。

B:まぁな。その後、「パートよ、パァと!」なんて言いながら、手のひらをこめかみの横でパァと広げる仕草で、おどけてみせて…。照れ隠しのつもりかな?

C:パートで働いている婦人部も会場の後ろの方にはいたぞ。どんな気持ちになったか…。

A:で、総旧習長も学生時代はアルバイトに明け暮れて…、まぁ、苦労したんだろうね。

C:そのぐらいの苦労なら、俺もやったぞ。中学の時の新聞配達に始まって…。

A:わかった、わかった。で、大学を卒業した山本タケシ青年は、地元に残って家にお金を入れて家計を助けなきゃ…という思いと、東京の聖教新聞社に就職して先生のもとへ行きたい…という思いが相半ばしながら…、結局、聖教新聞社に入った。

B:人生が二度あれば…って歌があったが、私もそんな思いをしたなぁ。東京で夢を追いかけるか、シマに戻って親をみるか…、ずいぶん悩んだもんだ。だから、タケシ青年の気持ちはよくわかるよ。

C:俺にはわからんね。聖教新聞社に就職しても、家に送金ぐらいできるだろう。給料がいくらだったか知らんが、いくら安月給でも、その気になればできる。逆に、地元に残っても、先生と共に広宣流布の戦いに人生を賭けることはできる。違うか?

A:まぁ、そりゃそうだが、そこは人それぞれの事情とか思いもあるだろうよ。

C:それで、「今でも亡き父や母に申し訳ない…」と、また涙声になってたな。

B:そう。「親孝行したい時には親はなし。そん通りばい」って…。

C:その後ですぐ、「メモリアル・パークばい。まにあわん」て、笑いをとってたじゃないか。怒りを感じたね、俺は…。

B:「まにあわん」で終わったんじゃあ、体験発表にならない。もちろん信心指導にもなっていない。

C:まるで、先生のもとで戦うために聖教新聞社に入ったことが、親不孝だったと言わんばかりじゃないか。

B:その程度の認識なんだろう、親孝行について…。

A:「親孝行したい時には親はなし」ってのは、人情としては痛いほどわかるが、仏法の視点から見た親孝行は、生死をも超えるものだ。

C:そうだよ。俺は、親が生きていようが死んでいようが、どこまでも親は親だと思ってる。「オヤジ! おっかん! 生きてる時は心配もかけたけど、お陰さんで、俺なりに頑張ってるよ。ありがとう。また会おう!」と、感謝の題目あげてるよ。自分の子どもにも、そうであってほしいね。

A:そろそろ、話を戻そう。総旧習長の「4,24」…。

C:昭和52年にふるさとの大分に転勤の命令がくだったんだったよな。

B:そう。第1次宗門問題が勃発したからだそうだ。

A:大分は第1次宗門問題発祥の地だな。

B:そう。大分にきな臭い煙が出ていて、誰か本部から応援に…というわけでな。

C:そこで総旧習長…、またまた俺のカチンとくる言い方をしてたな。

B:ははは、「駅弁大学」に、「きしゃポッポ」だろう。

C:そうだ。そのころ、本部に大分出身者は2人しかいなかったと言っていた。
1人は…、え~と…、名前を忘れたが、東大を出た青年部全国幹部。そして、もう1人が山本タケシその人だったんだが、「わたしゃ大分大学・駅弁大学を出た、しがない聖教新聞の記者…きしゃポッポ!」だとさ、まったく…。

B:「かたや未来洋々、わたしゃ未来まっ暗…」とも言ってたぞ。

C:ああ、そうだったな。自分に対する誇りってものがないのかね、総旧習長には…。
自分の出た学校を「駅弁大学」なんて卑下して、どうするんだぁ? 広宣流布の大事な使命を担う聖教新聞の記者という職業を「しがない」だの「きしゃポッポ」とは何だ! しかも自分の職業だぞ。大分大学を出た聖教新聞の記者が「未来まっ暗」とは、いったいどういう了見だ?

B:そんな意識だから、会合冒頭の女性差別めいた発言も出てくるんだろう。総旧習長の発言を細かく見ていけば、差別発言はいくらでも出てくるんじゃないか?

C:要するに、根が卑屈なんだよ。何のために信心してるんだか…。

B:あ、そうだ。大分への転勤を、「白羽の矢があたった、黒羽の矢…」とも言ってたぞ。

C:もう思い出させるなよ、腹が立つ! 坊主にいじめ抜かれている大分の学会員さんたちを応援するために転勤するってことは、重大な使命じゃないか、責任じゃないか! それを「白羽の矢」なんて抜かすのは、その転勤を名聞名利で捉えてたってことじゃないか。ましてや、その重大な使命を、冗談にしても、「黒羽の矢」なんて言える感覚は、狂ってるとしか言いようがないよ。

B:まだ思い出させてやろうか。

C:いいよ、もう…。うんざりだ。帰りたくなった。

B:そうはいかん。これからがキミの本領発揮だ。

C:おい! この前は、あんたの方こそ、しぶしぶ付き合ってたんじゃないのか?

B:今日もしぶしぶだよ。だから、キミにも最後まで付き合ってもらう。

C:勝手にしやがれ。

B:総旧習長はおっしゃいました。「宗門問題は、私の人生を狂わせたとまでは言わんけど、左右しやがりまくりたくったのよ。」

C:「左右しやがりたくりまくった」て、舌を噛みそうな言い方だな。

B:舌が三枚ぐらいあるんじゃないか? 変幻自在に使い分け…?(笑)。

C:しかし、「宗門問題が人生を狂わせた」ってことは、「私は宗門問題を戦えませんでした。」と告白してるようなもんじゃないか。敗北宣言だろ、そりゃ。

A:大分には浜中和道という坊主がいた。山友とつるんで宗門問題を引き起こした中心人物と言っていい。本部から派遣された山本サンの使命は当然、この浜中を破折し打倒することにあったはずだ。

B:そう。だから、山本サンはこの浜中とどう戦ったのか、ぜひ具体的に語って欲しいものだが…。

C:何も語らなかったじゃないか。語りようがないんだろ?

B:戦ってないから…?

C:キッチリ戦ってりゃ、どう戦って、どう勝ったのか…、あるいはどう敗れたのか…、事実を語れるはずだ。

B:そう。ところが、彼は語れない。

A:「第1次宗門問題はきつかった。学会が謗法とか、成仏しないとか…。本当にくやしかった」とか、「坊主が折伏したのか。全部学会員がやったんじゃないか。歯ぎしりする思いでした」とか、さかんに激昂していた。

C:そんなものは、ただの泣き言じゃないか。

B:宗門の権威の前に臆しながら、ただひたすら口惜しがっていただけ…?

C:そういうことだろうな。そんなのは戦いとは言わん。何のために本部から派遣されたのか。

B:ところで総旧習長は、自分に白羽の矢が当たって本部から大分に派遣されたような言い方をしていたが、本当なのかね?

A:さぁ…。そこは本人の言葉を信じるしかないだろう。

B:私は、どうもそうじゃないような気がする。そして、そうじゃないと考えた方が、彼の立場も少しは楽になるんじゃないかなぁ?

C:どういうことだ?

B:その浜中和道というのが妙な男で、当時のことを事細かに、膨大な回想録に書いてるんだよな。ところが、その回想録に山本タケシの名前は登場しないんだよ。

C:つまり、山本タケシは浜中の眼中になかったってことか?

B:そう。当時の山本サンは、彼が言うように本部を代表して派遣された…なんてものではなかったんじゃないか? そう思えるんだが…。

C:つまり「白羽の矢」…、「黒羽の矢」とも言ったが…、それは山本総旧習長の大言壮語に過ぎないってわけか。

B:そう考えてあげた方が、彼のためにはいいと思う。

C:責任が軽くなるから…?

B:そう。もし彼が言うように「白羽の矢」が本当だったとしたら、彼の責任は途方もなく大きいよ。

A:しかし、総旧習長自身がそう言うんだから、それを踏まえて話を進めよう。

C:そうだよ。自分で言ってるんだからしょうがない。「白羽の矢」を信じさせてもらおう。自分で自嘲してる通り、「黒羽の矢」になっちまうんだが…。

A:「先生が勇退をしてでも収めなければならなかった事態…」と言っていた。

C:「白羽の矢」が事実だとすれば、その事態を招いたのは、ズバリ、山本タケシその人であるということになる。

B:そう。つまり、本部から大分に派遣された山本タケシが、山友に操られた浜中和道の振りかざす宗門の権威を大分の地で打破できなかったがゆえに、坊主どもの暴虐の濁流が全国的に拡大し、挙げ句の果てに、「先生が勇退をしてでも収めなければならなかった事態」を招いたということだ。そういうことになる。

C:1979年4月24日、最高幹部が先生に向かって「時の流れには逆らえません。」と抜かして、会長辞任を迫ったわけだが…、山本タケシは、その「時流」をつくった張本人ということになる。

B:気の毒だが、そういうことになるよなぁ、彼の言う「白羽の矢」を踏まえて話を進めると…。

A:総旧習長は「一献歌」がお好きなようだ。

B:「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」。これを繰り返し、唸っていた。



C:誰がそんな敗軍の将の歌を師匠に歌わせたのか!

B:無自覚の極みだね。弟子が今、敢えて歌うなら、深い猛省の歌として歌うべきだ。

A:さて、きょうはこのぐらいにしておこうか。次回の予定は…。

C:おいおい、まだやるのかよ。俺は本当に忙しいんだよ。

B:まぁ、いいじゃないか。もう少しつきあおうや。

A:では、次回の予定は、未定ということで…。









 第3回:そのお菓子がねぇ…(1)

C:さあ! 「今この時」に何かを残す対話をしよう。

A:はぁ…?

B:おい、どうしたんだ? この前は「まだやるのかよ」とか言ってたじゃないか。

C:どうもしないよ。師弟の勝利を渾身の力で飾ろうじゃないか。

B:だいじょうぶか…? 毀れてんじゃないのか、キミは…。

A:まぁ、気楽にいこう。さて…、山本総旧習長の噺は、一転してインドネシアに飛んだ。

B:2月に2週間ほど、インドネシアに行ってきたと言ってたな。

C:何しに行ったんだ…?

A:5月14日にジャカルタに会館ができると言ってたから、その準備かな…?

B:宗門問題では、インドネシアでも多くの脱会者が出たんだよな。

C:ああ、そうなんだ…。で、また山本サンに「白羽の矢」が当たったというわけか?

A:さぁ…。なぜ山本サンがインドネシアなのか、よくわからん。

B:山本サンて、SGIの仕事もしてるんだっけ?

A:さぁ…。まぁ、そこのところは措いておこう。

C:山本サンの「白羽の矢」は、「黒羽の矢」になっちまうからな(笑)。

B:で、5月14日の会館落成にむけて、インドネシアでは折伏や脱講運動が勢いよく進んでるんだろうな、きっと…。

C:で、山本サンは、その応援に行ったというわけか…。

B:たぶん、そうなんだろうなぁ……。本人はハッキリ言わなかったが…。

A:まぁ、いちいち言わなくてもわかるだろう…ってことなんだろうけど……。

C:観光旅行じゃなかったことだけは、たしかだな。ジャワ島はリゾート地だから行かなかったかと言ってたし…。

B:そう。観光地は学会員が少ないから行かなかったと…。

C:学会員の少ないところに行って折伏・弘教の種を蒔いてこられたのが先生の戦いなんだけどな、日本でも世界でも…。そのことを知ってて言ってるのかね、山本サンは…。

A:そういちいち、とんがるな。旅行の日程も限られてるんだから、そりゃやっぱり、学会員の多いところに行くだろうよ、一応は信心指導が目的で行ったんだろうから…。

C:一応は…てことは、再往があるのか?

A:さぁ…。あるかも知れないし、ないかも知れない。つまり、わからない。

B:家庭訪問にまわったと言ってたよな、地方もずうっと…。

A:日本にいる時と生活スタイルが全然変わらなかったと言っていた。

C:「朝起きたら勤行して打ち合わせをして家庭訪問して座談会行って会合行って…、どこに行ってもそれが変わらん…」てな。

B:「俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇ」ともな。

C:何しに行ったのか本人がわかってないんじゃ、世話はない(笑)。

A:まぁ、それは言葉の弾みの冗談だろうけど…。

C:許せる冗談ではあるな。朝起きて勤行して…、まぁ、俺たち一般会員なら仕事をして、それから家庭訪問やら会合やら、そして月一度の座談会…。これは世界の学会員に共通することだろう。

B:インドネシアへ行っても生活スタイルが変わらないってことは、山本サンにとっちゃ、ある意味では安心材料だったかも知れないね。

C:そうだな。外国へ行って、そこで三色カラーの旗がひるがえってて、題目の声が聞こえたりなんかしたら、そりゃあ嬉しくなっちゃうだろうなぁ。

B:SGI190カ国! すごいことだよ。『嵐の4,24』…、会長辞任の後、「反転攻勢」を決意された先生は、世界を舞台に行動してこられた。

A:先生の行動というのは、端的に言って、対話だよな。

B:そう。世界中、どこへ行っても、どんな相手に対しても、一人の人間として、胸襟を開いて、対話、対話、対話…。人間に対する深い深い確固たる信頼があるんだ。民族や文化をの違い越えて、宗教の違いを超えて、相手を深く信頼し、尊敬していく。だから、豊かな対話が実る。そして、友情の絆が深まる。そのこと自体が信心の証なんだ。先生は、ご自身の行動を通して、我々にそう教えてくださってるように思う。

C:そうだよなぁ…。で、山本サンは、インドネシアでどんな対話をしてきたんだっけ?

B:はて…? 家庭訪問にずうっとまわって、そこでどんな対話をしたのか…、何も話さなかったよな、そう言えば…。

A:「水が最悪です」と言っていた。

B:ああ、思い出した。家庭訪問の話題になったらすぐに水のことを言い出したんだ。「ね、水、水…、飲めないんです」とか言いながら、顔をしかめてたな。で、ミネラルウォーター…。

C:何か、インドネシアの水だけが飲めないような印象を与えるよなぁ、あの言い方じゃ。
少なくとも、聞いてる方はインドネシアについて、いい印象は持たんぞ、あんな言い方されたら…。

B:ミネラルウォーターって、ほとんど世界共通じゃないか。水が飲めないのは、インドネシアに限ったことじゃない。例えばヨーロッパのほとんどの国でも、水は飲めない。ミネラルウォーターを買って飲むんだよ。

A:山本サン、外国へ行ったの初めてだったのかな?

C:そうだとしても、あの言い方はないだろう。しかも、家庭訪問のことを話題にした初っぱなに、顔をしかめてだぞぉ…。

A:日本と世界中、どこへ行っても変わらないことがあると言っていた。それは座談会の後にお茶とお菓子が出てくることだと…。

B:いいよなぁ、それって…。まさに心温まる対話の場だ。

C:ところが山本サンは何と言った…? 現地の学会員さんが真心込めてお茶とお菓子を出したその対話の場で、どんな対話をしたのか…、きちんと語ったか?

B:いいや、語ってない。「お茶とお菓子が出るのはいいんだけど、そのお菓子がねぇ…」と、また顔をしかめたよ。

A:「もう何とも知れんですな。油の臭いがねぇ…。」ともな。

C:それも、「ここにインドネシアの人はおらんね」と、わざわざ確かめてからな。

B:こうも言った。「だけど、あそこは電気が暗い国だからよかった。顔が見えないから…」。おそらく、家庭訪問に行った家でも、同じように顔をしかめたんだろうな。

C:ふう…。度し難いね、もう…。

A:しかし、「電気が暗くて顔が見えないから、よかった」というのは、ちょっと甘いな。

C:どういうことだ…?

A:人間、差別されると、相手の本心がよく見える。だから、電気が暗くて顔をしかめたのが見えなくても、あるいは言葉や態度に露骨に出さなくても、相手が自分をどう見ているか、自分たちの生活や文化をどう見ているか、以心伝心じゃないが、自然と伝わってくるものだ。差別されている人間ほど、そのあたりの感覚は鋭敏なんだよ。

C:ああ、なるほど。それはわかる。奄美人(しまんちゅ)の多くは、その感じはわかるんじゃないかな。

B:ある高齢の婦人部にこんな話を聞いた。昭和30年代半ば…、つまり奄美の学会草創の頃のことなんだが、東京から奄美に指導にやってきた幹部が、当時まだ入信まもなかったその婦人部の家を訪問して、あの…、何だっけ、沖縄でサータアンダーギーと呼んでいるお菓子…

C:ああ、小麦粉を丸めて油で揚げた…、奄美じゃ単にドーナツって呼んでるんじゃないか? 俺たちが子どもの頃は、最高に贅沢なおやつだった。

B:じゃ、ドーナツでいいや。その東京から来た幹部…、当時の首脳幹部の一人なんだが…、その幹部に、お茶とドーナツを3個出したそうだ。

C:あのドーナツ、買うと結構高いぞ。素人じゃうまく揚げられないし…。それに、当時の奄美は今の何倍も貧しかった…。

B:そう。その婦人部は、東京から幹部が来るというので、苦しい家計の中からドーナツを買って、精一杯もてなそうとしたんだな。ところがその幹部は、そのドーナツを見て一瞬…、ほんの一瞬だが、何とも言えない嫌な顔をしたそうだ。そして自分で気がついたのか、すぐに表情を取り繕って、いろいろと信心指導してくれたそうなんだが、その婦人部は、相手の一瞬の表情に胸を突かれて、指導もうわのそら…、ほとんど耳に入らなかったというんだ。そのことを例に出しながら、その婦人部がこう言うんだ。
「いくら幹部で、信心があるといっても、それが本当の信心かどうかは、必ず振る舞いに現れる」と…。

A:至言だな。

B:山本サンの「お茶とお菓子」の噺を聞いて、その婦人部の話をふと思い出したんだ。

A:それから山本サン、下痢の噺で盛り上がってたな。

B:そう。下痢の噺にずいぶん時間つかってたな。具体的に、生々しく…。

C:地方での家庭訪問を何カ所かやってジャカルタに戻ったら、「直通の下痢」だと…。俺はそういう具体的で生々しい話はよく記憶に残るんだが、ここで話していいかな?

B:やめとけ、やめとけ。気分が悪くなる。

A:まぁ、たしかに「油があわん」というのは、あったかも知れんな。

B:そりゃ、しょうがないだろうよ。食べただけ、エライじゃないか。

C:顔をしかめなきゃな…。お菓子の油がどうとかじゃなくて、そのお菓子を出してくれる人の真心をまっすぐに受け止めたら…、
せめて受け止めようとしたら…、顔をしかめるはずはない。

B:そう。下痢するのがつらくて、どうしても嫌だったら、「油が合わないんです。すみません」て正直に言って、頭を下げたらいいんだよ。その分、お茶のお代わりでももらったらいい。

C:日本とインドネシアじゃ、そりゃ水も油も違うだろう。それはそれでいいじゃないか。油で揚げたお菓子を食べて下痢するのもいいし、食べずに「すみません」て頭をさげるのも、いいんだよ。

A:大事なのは、そうしたものを超えた信頼関係を結べるかどうか…。

C:そうだよ。自分に食べられないお菓子を無理して食べることで善人ぶるんじゃなくて、要はありのままの自分を相手の前にさらけ出していくことなんじゃないのか。俺は自分の任された地域を家庭訪問していて、つくづくそう思うんだが…。

A:つまり、自分を相手の前にさらけ出す自信がないから、無理に取り繕うと…?

C:まぁ、そういうことだな。自信がないというか、確信がないというか…。

B:真剣に対話しようとする誠意がない、使命感がない…。

C:そういうことになるな。取り繕ったところで、すぐ見破られるんだけどな…。

B:だから、お互いに心を開いた対話は成立しない…。

A:だから、噺を聞いても、山本サンがインドネシアでどんな対話をしてきたのか、さっぱり見えてこない…。

C:まさしく「俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇ」だな(笑)。

B:ああ、それって冗談じゃなくて、実感を込めて本気で言ってたのか。

C:下痢しに行ったんじゃないか?(爆笑)

A:山本サンのインドネシア噺は話題が尽きないが、ここらで休憩しようか。

C:そうするか。





 第3回:そのお菓子がねぇ…(2)

A:それでは再開しよう。何の話だっけ?

B:山本サンはインドネシアに何しに行ったのか。「俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇ…」。

C:下痢しに行ったんじゃないのか?…で爆笑した。

A:ああ、そうだったな。それで、山本サンのインドネシア噺は話題に事欠かないと…。

C:爆笑ネタのオンパレードだよ。

A:それを全部とりあげてたら、この座談会が際限なくなってしまう。

C:際限なくやってもいいぞ!

B:やってられるかよ、時間がもったいない。

A:そうだな。いつまでも山本サンに付き合ってるヒマもないし、さっさと終わらせよう。

C:へいへい、そのように努力いたしましょう。

A:山本サンは、「世界広布は奇蹟ですよ!」と言っていた。

B:そのことが言いたくて下痢の噺をしたんだな。

A:下痢で3キロ痩せたと言っていたから、やっぱり大変だったんだろうよ。

B:「下痢を自身の人間革命の契機にしますッ!」と決意発表でもすりゃよかったのに…。

A:第一線の苦労が少しはわかったかな…?

C:「奇蹟ですよ!」なんて言ってるようじゃ、わかってるとは思えないね。世界広布は奇蹟じゃなくて道理だろう、大地を的とするんじゃないのかね。

B:それはその通りなんだが、彼の中で観念に過ぎなかった世界広布が、今回の下痢旅行を通して、まさに奇蹟に思われたんだろう。

C:仏を敬う如く相手を尊敬していく。これが要諦だろう、世界広布の…。最近も先生がおっしゃってるじゃないか。

B:相手を尊敬するところから、…自分に確固たる誇りがなきゃ相手を心から尊敬できるはずもないんだが…、その尊敬の一念、相手を最大限に大事にして相手から学んでいこうとする姿勢から、豊かな対話は生まれるんだよな。先生がご自身の行動を通して我々に示し続けてこられた通りだ。

C:ところが山本サンは、その正反対。相手を見下しているから…、つまり自分に誇りがないから、対話ができない。対話ができないから、世界広布も「奇蹟」としか思えないんだよ。

A:誇りと尊敬は表裏一体。卑屈と差別も表裏一体。

B:そういうことだな。自分に誇りを持てない者ほど、相手によって卑屈になったり傲慢になったり…。そんな輩に、胸襟を開いた対話などできるわけがない。

C:インドネシアに限ったことじゃないぞ。ある婦人部に聞いたんだが、会合の後、その婦人部が山本サンに「おつかれさまです。きょうはありがとうございました。」と丁重にお礼を言ったら、山本サンは無視して通り過ぎたというんだ。

B:気づかなかったんじゃないのか?

C:1メートル足らずの距離で、しかも真正面からお礼を述べたというんだよ、その婦人部は…。その婦人部の前を知らん顔して通り過ぎた山本サンは、少し離れた場所にいた壮年部と談笑していたというんだ。

B:本当か…。そりゃあ失礼な話だ。その婦人部、気分を害しただろうな。

C:気性の激しい人でなぁ…、「何なのよ、あの態度! アッタマきちゃう」て、聞こえるように大声で怒鳴ったそうだ。それでも、山本サンは知らん顔してたそうだ。

B:やっぱり女性蔑視が身にしみついてるのかなぁ、山本サン…。そんな調子じゃ、誰ともまともな対話はできんぞ。何だか、かわいそうになっちゃうなぁ。

C:そうだなぁ…。本人が自覚しないことには、こればっかりはなぁ…。その自覚を促すための信心であり学会活動だと、俺は思うんだが…。

A:まぁしかし、世界にこれだけ仏法が広まったということは、仏教史上燦然と輝く奇跡的な偉業には違いないだろう、山本サンの言うように…。

C:だからぁ…、それは先生の行動、つまり確信あふれる大誠実の対話の力が、その原動力なんだよ。それを「奇蹟」なんて、そんな血の通わない言葉で片付けるべきじゃないだろう。師匠の心をわかろうとする者の言う言葉じゃないよ。弟子の言葉ではない!

B:先生の蒔かれた種が世界の各地で着実に芽吹き、一人、また一人と、蘇生のドラマが広がっていったんだな、相乗的に…。

C:そうだよ。まさに信心の血脈だよ。





 第4回:石焼~~きいも~~~


A:おい、どんどん先に進まないと、終わらないぞ。

B:そうだな。先を急ごう。

A:では、山本総旧習長のイスラム教講義、いってみよう!

C:講義ぃ…? ああ、皮肉ね。

B:まず、インドネシアは人口2億2000万人、そのうち9割がイスラム教徒…、つまり2億人近くがイスラム教徒で、世界最大のムスリム人口を擁する国だと言っていた。

C:ムスリムなんて言葉、使ったか?

B:いちいち細かいこと言うな。使ってないよ。世界でイスラム教徒が一番多い国とか何とか…、そんな言い方だった。

A:そして、日本の公民館くらいの単位で、礼拝所があると…。

C:「モスクというんです。」なんて言って、すましていたな。

B:まぁた、いちいちキミは…。まぁ、モスクがイスラム教の礼拝所のことだってことは知ってるぞってわけだ。

A:大小さまざまなモスクがいたるところにあって、モスクの塔に備え付けられているスピーカーからお祈りの声が街中に響くと…。

C:イスラム教って、たしか1日5回ぐらいお祈りするんじゃなかったっけ?

B:そうだったかなぁ。私は昔、アフガニスタンの留学生と対話したことがあるんだが、そんなことを言っていたような気がする。

C:ほう、そんな経験があるのか。ぜひ聞きたいな。

B:その彼が私のアパートに遊びに来て、私が題目あげてたりすると、「あ、お祈りの途中ですか。じゃあ、待ってます。」と言って、私が手渡した『21世紀への対話』の英訳本をパラパラとめくったりしていたよ。「きょうは時間あるの?」と聞いて、「はい」と言ったら、遠慮なく1時間ぐらい待たせたもんだ。

C:客を1時間も待たせて題目あげるかね…。

B:彼の場合はそれで平気だったんだよ。「お祈りは大事です。」と言っていたし…。

C:対話はうまくいったのか?

B:なかなか難しかった。一方的にしゃべりまくる私の話に、彼はじっと耳を傾けて、時々質問をし、しばしば「わかります。」と相づちを打ってくれた。それで私は勝ち誇ったような気になっていたんだが、今思い返すと、彼の方が対話というものを心得ていたよなぁ…。私が彼に入信…、まぁ彼にすれば改宗になるわけだが…、入信を勧めると、彼はにこっと笑って、「あなたはブディスト、私はムスリム。あなたは日本の人で、私はアフガニスタンの人。でも、あなたと私は友だち。それでいいじゃありませんか。あなたの話はvery interesting、とてもよくわかりますが…」とくるわけだ。

C:じゅうぶんうまくいってるじゃないか。相手があんたと違って、よくできた人だったからだろうけど…。日本語で話したのか?

B:そう。時々「その言葉、どういう意味ですか?」と尋ねることはあったが、流暢な日本語だった。

C:たいしたもんだ。それで、あんたは相手の話を聞いたのか?

B:いや、彼の話を遮って、一方的に喋りまくった。だから、お祈りを1日に何回するかといったことも、彼は話したような気がするんだが、情けないことに私は正確に覚えていない。誠実さに欠けた…。イスラム教に対する偏見があったんだなぁ、私の中に…。

C:イスラムの教義や世界観を聞ける恰好のチャンスだったのに、もったいないことをしたな。

B:そう。例えば、世界史的に見れば、ヨーロッパのルネッサンスが可能になったのは、ギリシャ・ローマの古典文化を継承・発展させたイスラム文化があったればこそなんだが、そうしたことも踏まえて、建設的な対話をすべきだった。

A:本題に戻ろうや、山本サンの…。

C:1日に何回も、スピーカーからお祈りの声が響いてきて、それを2週間も聞いてたらおかしくなるとか何とか言ってたな。

B:そう。おどけて、お祈りの声を真似て…。ちょっと私には真似できないが…。侮辱だね、あれは…。

C:「謗法ばい」と言ってたな。それを聞いて俺は、ベートーベンの『第九』を歌うことが謗法だと、日顕宗が学会に言いがかりをつけたことを思い出したよ。

A:で、そのお祈りの声を2週間も聞いて日本へ帰ったら、勤行ができなくなるとまずいと…。

C:勤行ができなくなるのは、イスラムの祈りのせいじゃなくて、自分のせいじゃないのか? ふだん、どんな勤行をしてるのかね、いったい…。

A:まぁ、それは冗談で言ったんだろうけど…。

C:質の悪い冗談だ。実にくだらん。

B:そして、耳で聞いて頭で感じるのを変えたと…。

C:「石焼~~きいも~~~」てな…。

B:困った人だよ、本当に…。本人は自分の言っていることがわかっちゃいないんだろけど・・・。

A:先生の著作、ちゃんと読んでるのかなぁ、『新・人間革命』とか…。先生はイスラムの学者とも対談して、深い共感をよんでいるんだけど…。

B:SGI憲章もご存じないらしい。第7条に「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と明確に書いてある。

C:ないない尽くしじゃないか。だから、ヨタ噺だというんだ。

A:「単なるヨタ噺ですから、みなさん、どうか、まともにとりあわないでやってください。」と、ひらにお願いするしかないね…。

B:本当に困った人だ。

A:まぁ、こうしたことも、その場でキチンと糾す機会があればいいんだが…。

B:冒頭の地区部長のT州会がらみの質問を封じたことに象徴されるように、その機会を自ら放棄してるんだから、しょうがないよ、まったく…。

A:「裸の王様」だな、まるで…。滑稽というか哀れというか…。

C:先生が「魚は頭から腐る」とおっしゃってるが、感性が腐ってるとしか言いようがない。組織の上にあぐらをかいてるから、そういうことになるんだ。

A:さて、このぐらいにしておくか。今回で終わらせるつもりだったが…。

B:インドネシアはこのぐらいにしておこう。指摘すべき点はまだあるが…。

C:きりがないよ。で、次回の予定はまた未定か…?

A:そうだなぁ。お互い、忙しいし…。





 第5回?:メンドくさくなったから終了~~

B:おい、ヨタ噺に付き合うのも、いい加減うんざりしてきたぞ。

A:そうだなぁ…。山本サンの噺を掘り起こせば、いくらでも話題は出てきそうだが、この座談会も予想外に長くなってしまった。

C:じゃあ、終わりってことで、ひとくさりまとめるかい…?

A:ヨタ噺のまとめは難しいなぁ…。まぁ、山本サンのように外見からしてその実体が容易に想像できる幹部というのは希有な存在なんだろうが、それだけに象徴的なお人なのかも知れんなぁ。

C:それにしても、どんな信心をすれば、あんな風になるのかね?

B:一言で言えば、心外に法を求めてるってことじゃないか。

C:だから、師弟がわからず、宗門問題も戦いきれてないと…?

B:そう。これは山本サンに限ったことじゃない。幹部も我々も、一人残らず、その落とし穴にはまる危険と常に背中合わせなんだよ。

A:そのことを山本サンは、自らのお姿を通して我々に教えてくださっているんだな。

C:その山本サンに感謝を込めて、やっぱりハブ酒を進呈するとしよう。2メートルクラスの特大級のハブ入りの…。

B:おいおい、2メートルのハブなんて滅多にいるもんじゃないぞ。

C:なぁに、だいじょうぶ。その気になって探せば見つかるさ。山本サンの顔色をよくするためだ。

A:そんな大きなハブは一升瓶に入らないだろう。胴回りの直径が4~5センチはある。

C:漬物用の広口瓶を使えばいいさ、バケツぐらいの、これまた特大級を…。

A:次回来島の時は、中で特大ハブがとぐろを巻いた特大瓶から、柄杓ですくった焼酎をあおりながら、山本サン、弁舌さわやかに…?

B:いや、ご本人もとぐろを巻くだけだろう。

C:ハブ酒で下痢をしたという話は聞いたことがない(爆)。


野茶坊:ハイ、そこまで! 終了~~~~。おつかれさまでしたぁ。



ともあれ、ヤマさんと一献かたむけてみたいもんだねぇ


(以上おわりです)



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



問題点は、他にも多々あるかと思いますが、そのすべてを取り上げることは物理的・時間的・野茶坊の能力的に、とてもとても不可能でありました、ふぅ…。

あとは、皆様でご随意にお願い申し上げます。




2011年4月24日日曜日

師弟の絆はもつれていませんか?

師弟相違せばなに事も成べからず (御書P900)』

・・・あなたの師弟の絆は、もつれていませんか?実例をもとにほぐしてみましょう。

以下は、サイト21世紀 近未来志向の創価学会員よ集え!投稿者から承諾を得ての転載記事です。
(※「石焼きイモの詩」は、奄美の会員に配布された公式録画DVDからの電訳です。登場する人物名は一部略させていただきました。若干加筆訂正しております。
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石焼きイモの詩    投稿者:野茶坊  

 …山本副理事長(現総務会議長・総九州長)の人となりを示す記録を紹介させていただきます。

2年前(2006年3月)の奄美における「指導」を、野茶坊の心の友〔どらン猫小鉄〕こと***が逐語電訳し、公開するのを心待ちにしていた力作(?)です。

これをどのようにお読みになるかは皆様お一人お一人の自由であることは申すまでもございません。

かなりの長文ですので、分割掲載させていただきます。連続投稿になりますが、ご容赦ください。

題して『石焼きイモの詩』。

…のっけからハプニングぶくみの、楽しい「指導」でありました。

   ◇ ◇  ◇ ◇  ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇

「奄美広布決着誓願大会」(奄美光城県壮年・男子総会)における山本武総九州長指導

                                            2006年3月27日  奄美大島文化会館

《式次第》
・題目三唱
・学会歌『威風堂々の歌』
・挨拶(H.M県壮年部長)
・体験・活動報告(地区部長2名)
・「弟子の戦いで断固築かん奄美城」(K.N県長)
・合唱『一献歌』『新・火の国の歌』
・記念品授与並びに挨拶(J.N総県長)
・総九州長指導(山本総九州長)
・題目三唱

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《以下、山本武総九州長指導の全容》

司会:総九州長指導。山本総九州長。

山本武総九州長:はぁい。

S.H地区部長:(司会マイクの前に立って)ここで、山本総九州長に、壮年部を代表して、一言御礼を申し上げます。

山本総九州長:はァ。(場内笑い)

S.H:九州長!

山本:はい。

S.H:奄美のために、いつも、いつも、ありがとうございます。

山本:〔返礼〕 (場内拍手)

S.h:さきの衆議院選挙で…、

山本:ええ。

S.H:徳州会の…

K.N県長:これは予定にないところだから…〔止めに入る〕

S.H:奄美広布の、いちばん大事な話を…。

K.N:いやいや、今、ちょっと話し中だから…。

山本:どうしたん?

K.N:***(聞き取り不能)。予定にないことで…。

山本:彼、司会者…? 司会者…?

K.N:司会じゃないんです。

山本:ああ、司会じゃないんなら、ごめんなさい。
ああ、びっくりした。
ありがとう。きょうは、いろいんな人がおるからね。(場内笑い)

S.H:〔静かに司会席の横に座る。会合終了までそのまま動かず。〕


※以上のやりとりの中の《S.H地区部長》は、山本総九州長に飛び入りでの質問を試みたのですが、県幹部に阻止され、山本総九州長にも無視されたワケです。会合終了後にも、後日においても、山本総九州長あるいは県幹部から《S.H地区部長》に対する何らの「指導」もしくは対話の機会を設けるはたらきかけもなく、完全に黙殺状態だったとのことです。なお、「徳洲会」につきましては、お手数ながら、ネット等でお調べください。
(野茶坊・注)

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でも、きょうは、ひじょうにスッキリした…、スッキリしたって言うと、婦人部がいるとスッキリしないのかって言うと、そういうわけじゃないけど…。(場内笑い)
あのぉ、婦人部の皆さん、うしろで応援してくださっているから、心からありがとうございました。
きょうは、男だけの会合…、ええ~、ワタクシも気兼ねなく、最後まで…、や、気兼ねなくっつうとまた…、言葉に気をつけないかんですが…、気兼ねなく最後までやりたいと思いますが、ようございますでしょうか。(場内拍手)

それでぇ、最初にですねェ、あのォ、やっぱり、島々から来た、来てくださった方…、
これは、船代を使い、飛行機代を使い‥ですねェ…、あのォ、簡単に幹部は会合やるから来いっちゅうけども、みんなお金と時間と、そして、もしかすると、きょうは月曜日だから、仕事の都合までして(ママ)来てくだすったんだと思います。皆さんと一緒に心から歓迎申し上げたいと思いますが、いかがでしょうか。(場内拍手)
  ええ、最初に徳之島!(「はい!」の返事)。 ああ~…。徳之島が22名だ。さっき、あのね…。24名か。ごめん、22と4じゃだいぶ違う。おおごとばい、え~、へ(笑い)。
県長がね、紹介してくださったけど…。
それでねェ、ここの…、さっき県長に許可うけた…、御宝前の品をね、島から来た方々に、せめてもの思いでね、あのォ、お渡ししてもいいかつったら、県長が、「それは、御本尊に聞いてください」…(場内笑い)。さっき、お題目を三唱する時に、御本尊様に聞きました。そしたら、「善きかな善きかな」(場内笑い・拍手)。
(M総県壮年部長を指して)ちょっと、壮年部長。いちばん数の多いバナナが徳之島だ。数、数が多い方がよかろう。はい、いちばん前におる…、誰でもいいんだよ。代表!
ちょっと、その三宝は返してよ(場内笑い)。上だけ取って、上だけ。そうそう、上だけ。

・・・中略・・・

〔徳之島・喜界島・沖永良部島・与論島からの参加者に御供物分配〕

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、大意)
・感無量です。
・広宣流布が池田先生と共に80周年へ向かう今、つまり、池田門下生の私たちにとって・は広宣流布の総仕上げに入りました。
・池田先生が去年の12月から全力の指導を始めました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以下、逐語)
今年の1月からの衛星中継での秋谷会長をはじめとする幹部の指導が変わったことに気がつかれた方…。気がついていらっしゃる…。
秋谷会長も、もう指導でなくなった。会長も、先生の弟子の一人として、先生を守り、学会を守るためにわが人生のすべてを捧げますという、指導というよりも、ご自分の反省と誓いと決意と、先生の一人の弟子としての思いを語られる話に変わったことに気がついていらっしゃると思う。
3月の本部幹部会では、正木壮年部長が、「秋谷会長といえども、みんな弟子です、その池田門下の弟子が、総仕上げに立ち上がる時が来ました」という、正木壮年部長の話だった。
去年の12月から池田先生は、秋谷会長をはじめとする本部の首脳の方々を三日とあげず呼ばれて全魂の指導を始められました。それは、今も続いています。先だっても、皆さん方気づいているかどうかわかりませんけれども、先生の元で最高協議会が開かれたという記事が二日続けて載ってました。
先生は今まで…、私も信心して48年、本部の職員になって私はもう40年になります。先生の元でさまざまな薫陶も受けてきました。先生の元でさまざまなご指導を受ける機会も、皆様方を代表して幾たびもありました。そしてその時、先生は一番時々に大事な指導を全力で私たちにしてくださった。だけど、ひとつのテーマについて先生が去年の12月から今に至るまで3ヶ月も、毎日のように指導されている経験は、私は初めてです。
先生はこうおっしゃっておられる。それは、これから先、50年、100年、200年と学会の広宣流布が進み栄えていくその日、もう一度創価学会を根本から作り直そうと。
それは、仏法の方程式からすれば、50年、100年後の学会と言っても、今の姿にすべてが含まれている、つまり、今の一瞬に未来のすべてがあるというのが仏法の方程式です。
どんなに50年・100年後、学会が栄えるような図面を描いていっても、今の姿がいい加減では、これは絵に描いた餅です。つまり、50年も100年も1000年も栄える学会をどうすればいいかということは、今その姿を作り上げておかなければいけない。
先生はその戦いを現実に手をかけて始められたということです。そして、その魂魄は何か。それは師弟の精神。学会は三代の会長以外、師匠はいないんです。ですから、これから…、今、秋谷会長は5代目か…、5代目ね…、5代目の会長だけども、これから10代も15代も20代も続くでしょう。その時に、もし変な会長や、あるいは変な幹部が出たならば、これだけ三代の会長、なかんずく、池田先生と共に世界に広がった学会を作り上げてきた苦労が水の泡になってしまう。そんな学会に絶対にしてはいけないッ!
そのためには何か。今の学会の中に、弟子の精神、師弟の精神というものを、毛スジもたがわぬものを今の学会にさらに深くさらに深く〔大きな身振り〕作り上げておかなきゃならない。先生は、その戦いに〔両拳を握る〕、手をかけて始められたということです。
私は、先生のその指導をうかがうにつけて、今、80周年に向かうこの5年というのは、ただごとでない時が流れてるな、ただごとでない弟子の戦いの始まりが今だな…。そして、師弟の精神の根本と言っても、じゃあ、だれが作るのか。それは、池田門下生である私たち一人一人が、自分の生き方をそこに貫くしかない。大勢の会合で指導したからできるわけじゃない。自分がどうするか。きょう集まった一人一人がどうするか。先生の弟子として俺は、今のこの5年間の広宣流布に賭けるぞと、人生の腹を決めるかどうかです。そして、その本物の弟子が奄美の地に何人いるか。
池田先生はこの3月の本部幹部会の時に…、九州総会でした…、その時にこう言われた。
牧口初代会長が九州まで足をのばして指導に行かれた時に、牧口先生が何と言われたか。
「青年はいないか。私は本物を探しに来た」と言われたよ。私は、なぜ今、池田先生がそのことを私たちに教えてくださったのか。それは単なる牧口先生の言葉じゃない。池田先生が私たちに、九州には何人の本物の弟子が立つのかということを先生が呼びかけてくださっているように私には思えてなりませんでした。
私は、この時、九州に本物の池田門下生が…、そのために私自身、総九州長とか、何とかという役職は関係なく、山本武という、先生に薫陶を受けた、わが決めた人生の、先生の弟子としての生き方を、もう一回その原点にかえって、この5年間、先生の弟子として、どこまで迫った生き方が自分に問うことができるか、生まれ変わった思いで戦おうと思って、今日は来ました(場内拍手)。
どうか、奄美の壮年部の皆さん。きょうは、一番いい時に、九州の中で奄美が一番先に、壮年部が立ち上がったなと言う思いで今日は感激で一杯でございますけども、やりませんか!(場内拍手)。わかりましたね。(?? 聞き取り困難)


石焼きイモの詩 2  

  しかも、きょうは、壮年部の合唱団が「一献歌」を歌ってくださった。この「一献歌」というのは、師匠と弟子の、仇討ちの誓いの歌であります。
私は、自分の体験で恐縮ですけれでも、昭和52年に…、その前には昭和40年だ…。
ちょっと体験発表していいね?(場内拍手)
体験発表な。もう、あんた…、役職っちゅうよりも、私も弟子、皆さんも弟子…。
昭和40年にですね、ボクは聖教新聞の本社に合格して採用していただいた。昭和40年でした。もう、ただただ、そん時は、池田先生のもとに24時間、広宣流布ができたら、こんな嬉しい人生ないな、ただただ、それだけが自分の人生の願いでした。
我が家は、おやじが寝たきりでした。半身不随で、そして、病院代も払えなかった。
母親がいろんな行商をしながら、お茶を売って回ったり、京染めの反物の注文をとって歩いたり…、まあいわゆる…、それまで主婦だった女性がお金を稼ぐ道は、当時はそのくらいしかありませんでした。今でこそ、パートとか、何だとかあるけど、昭和40年頃は、あんた…、パートなんかなかったろう…〔涙声?〕。
パァとよ〔右手をこめかみの横でぱぁと広げる仕草〕(場内笑い)。お金はパァと…。
だけど、ボクはとにかく、学校を…、アルバイトば~っかりして学校を卒業して、家にお金入れられるかと思ったら…、私の心の中で、家を助けなければならないと言う思いが半分、そして、でも若かったから…、とにかく先生のもとへいきた~いという思いと、どっちが強かったかというと、そっちの方が強かった。ボクは今でも、亡き父母に、申し訳なかったな、親孝行したい時には親はなしち言うけど、そん通りばい。
今言うても**(聞き取り不能)、**(聞き取り不能)メモリアル・パークばい。
まにあわん〔涙声? 明らかな演技〕(場内笑い)。
それで、就職したのが40年。
それで、私は昭和52年に、ふるさとの大分に転勤の命令がくだりました。
それは、第1次宗門問題が勃発したからです。
その頃、第1次宗門問題といえば、坊主が先生や学会の悪口を言いまくりたくっていた。
その震源地が大分でした、全国の…。
どうも大分にきな臭い煙が出とる。誰か本部から行って応援しないと、大分の人がかわいそうだ。当時、大分出身は、本部におる人間は二人しかおらんかった。 一人はMK君という東大を出た当時全国青年部主任部長。私ゃ大分大学・駅弁大学を出た、しがない聖教新聞の記者、きしゃポッポ…(場内笑い)。
ねぇ、かたや未来洋々、私ゃ未来まっ暗…そんなこたぁないけど…、それで、私に白羽の矢というか、黒羽の矢…。
ほでボクは52年に大分へ帰ったのよ。だから宗門問題ちゅうのは、私の人生を狂わせたとまでは言わんけども、ああた、左右しやがりまくりたくったのよ。
そらぁ、当時の宗門問題はきつかった、第1次は…。学会が謗法とか、成仏しないとか…。ね、どんだけ学会が謗法と言われたか…。ほんッとにくやしかった。坊主が折伏したのかッ! 坊主が屏風に坊主の絵を上手に描いたっちゅう早口言葉があるけども、折伏しとらんじゃないか!全部学会員がやったんじゃないかッ! 歯ぎしりする思いでした。
そして、池田先生がそのむこうに(ママ)、54年4月24日、勇退された。それは私たち弟子にとって、紅涙ふりしぼるという言葉が…、血の涙が出るほど悔しかった。私は、終生この日は忘れまいと、決意をいたしました。
そして、56年に池田先生が、「いちばん苦しんだところが、いちッばん一番幸せになるんだよ」と言って、大分に来てくださった。悔し涙の真っ只中で、先生が大分に来てくださった。今から25年前です、今年の12月で25年目です。
そしてその時、先生が、今この歌をずうぅっとォ…、指導に回る時に、「いつもこの歌をかけながら、行った先で聞きながら指導に回ってるんだよ」と言ってェ…、先生が、「テープ持って来い」と言われた。そして、指導が全部終わった、夜9時過ぎでした。熊本に先生が移動した後、熊本で先生が、熊本のこんな大広間に…、夜の9時か9時半頃、先生は下に降りてこられて、役員が、当時、まだ百名近くの役員がまだ残ってた。残った役員の人みんな来いって先生言われて、「いいよ」。先生がこの辺に座って、百名くらいが取り囲んで…、そして先生は「お世話になったな」。懇談をしてくださった。その時に「あのテープを持って来い」って言われて、持ってきて聞かせてくださったのが、この「一献歌」です。
「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」
池田先生がご勇退をされる…、ご勇退をされたのは、54年の4月24日です。
ん? 54年じゃない…。そうだな、54年の4月24日です。
その前の年の、53年の11月18日、この「一献歌」の一節を墨痕鮮やかに書かれた。
「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」
先生が勇退をしてでも収めなければならなかったこの事態…。
しかし! どんな立場になっても、戸田先生の弟子として…、戸田先生のまことの弟子は自分しかいない。だから、どんな身になっても、戸田先生の遺言だけは、どんな嵐でも、実現をしてみせる。先生のその深い思いが、「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」。
「五十三年霜月十八日。徒然なるままに、徒然なる歌を認む」と書かれてあります。霜月十八日というのは、11月18日、創立の記念の日であります。
私は、この歌を歌う時に、池田先生が今日まで歩んできた…、19歳の時から78歳に至る今日まで、自分のお金も、身体も、時間も、何もかもすべて…、戸田先生の弟子として、戸田先生の遺命を実現するためにすべて賭けてこられた先生…。
先生は、朝から晩まで、一分一秒も、先生の人生には私(わたくし)の時間がありません。公私とあります、公(おおやけ)と私(わたくし)。先生に私(わたくし)の時間は一分もないんです。私も先生とご一緒させていただいて、地方指導に行ったこともあります。本部で何日間か先生に常随給仕させていただいたこともある。先生の周りには、先生のお仕事の下請けと言ったらおかしいけども、報告書を持っていったり、先生のご指示をまた伝えたりする、まあ、いわば秘書の役割をする人たちが…、部門があります。この人たちの部門のお仕事は、普通の会社とは違います。どう違うか。それは、先生が目が覚めてから、おやすみになるまで、仕事。はぁ~あ、あの部署の仕事というのは、俺たちだったら身がもたんなと思うよ。だけど、よくよく考えたら、いちばん身がもたないのは先生でしょ。つまり先生は、朝起きてから寝る時間まで、広宣流布なんです。その人生を今日まで貫き通してくださった先生がいらっしゃるから、今、190カ国じゃありませんか(場内拍手)。190カ国よ。
私は、きょう、この話を皆さんと分かち合うつもりは、ありませんでした。だけど、きょう、「一献歌」を聞かせていただきながら、どぉ~しても、このことだけは、皆さんと、きょう、誓い合いたい。この思いで、まいりました。


石焼きイモの詩 3  

  話は一転しますけども、この前、私、2月に2週間ばかり、インドネシアに行ってまいりました。インドネシアに行ったことのある人…? ああ、おるねぇ、やっぱり奄美は…。

山本:いつごろ行ったン?

挙手者:4年ぐらい前です。

山本:え…? ああ、4年ぐらい前。何しに行ったン…?

挙手者:音楽研究です。

山本:え…? 音楽研究て、あの、あれかい、サンクロンじゃない、何つったか、インドネシアの…、あの竹のポロッポロッポロッつう何よ…

挙手者:***(聞き取り不能)

山本:日本語で言うてくれんか(場内笑い)

挙手者:竹の****(聞き取り不能)

山本:ああ、竹のな…。どこ行った?

挙手者:バリ島、***、***(聞き取り不能)。覚えてない島もございます。

山本:わかりました。ボクはきょうは…、今回、私は2月に行ったんですが、あなたが行かなかったとこばかり行ってきました(場内笑い)。あのぉ、ジャカルタ…、それからバリ島ってのは、これは、どちらかって言うと、リゾートでね…、だよな、リゾート。だからまぁ、どちらかというと、ハワイじゃないけど、観光地ですね。そこは学会員少ないから、ボクは行ってないんです。そんなとこ行きよったら…、そんなとこ、あんたは行っていいんだよ、目的が違うから。バンドンとかスマトラとか…。ああ、バンドン、スマラヤ、ジョグジャカルタ、それから、ジャカルタと行ってきました。

5月の14日に、このジャカルタの首都に…、ジャカルタですが、首都がね…。ここに会館ができるんです、大きな会館が。
このインドネシアというのはですね、国土は日本の5倍あるんです。人口は2億2000万あります。世界で4番目に人口が多い国。中国、インド、アメリカ、インドネシア。こんな大きな国なんです、意外と。
ほで、この2億2000万の人口の9割がイスラム教徒です。世界でいちばんイスラム教徒が多い国なんです。だからもう2億人近くがイスラム教徒。
ですから、もう…、イスラム教の礼拝所…、モスクと言います。これがもう、日本で言えば公民館単位ぐらいにあるんです。ジャカルタという首都にはもう、でぇっかい塔が立ったモスクがあります。そして、そのモスクは小さいかろうと大きかろうと、塔があって、その上には、マイク…、スピーカーが四方八方についています。ほで、そこで一日に何回か、お祈りの声が街中に響くんです。一日に3~4回ぐらい。もう、そこら中から響くから…、もう、会合してても打ち合わせしてても響く。「うゅ~~ゅぅ~~う~ュ~~~」つって(場内笑い)、これを2週間、***(聞き取り不能)あんた…(場内笑い)…、そらァ、あんた、謗法ばい(場内笑い)。それをあんた、2週間も聞きよったら、おかしゅうなるわさ、たいがい(場内笑い)。だから、これを聞いたら、あんた、帰ったら勤行ができんようになるとまずいと思って(場内笑い)、それで途中からボクはもう、耳で聞いて頭で感ずるのを変えたんです。「石焼ぁ~きいもぉ~」(場内笑い)。
そういう国だけどね、イスラム教は国教じゃないんです。だから折伏できるんです、折伏。それで、あなた、1万何千人でしょ、学会員が…。ほで、この5月に会館ですよ。
***(聞き取り不能)、そらぁ、あたし、地方もずぅっと回りましたけどね…、もう…、もう、回りながら途中でふと気がついたの。日本におる時と生活のスタイルが全然変わらんわけです、朝起きたら勤行して打ち合わせをして家庭訪問して座談会行って会合行って…て、あんた、どこに行ってもそれが変わらん。俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇて(場内笑い)。
で、ずうぅっと回りました、家庭訪問。水が最悪です。〔先出のインドネシアへ音楽研究に行った人を指さして同意を求めるように〕ね、水…。水、飲めないんです。
だから、****(聞き取り不能)時も、この…、ミネラルウォーター。
日本と世界中、どこに行っても変わらないのは、座談会終わった後、お茶とお菓子が出ることです。それで、ずぅっと田舎まわったときにも、来るたん…、あのぉ、行くたんびに座談会の後、お茶と、あのぉお菓子出るのはいいけど、そのお菓子がねェ〔顔をしかめる〕(場内笑い)、そらもう何とも知れんつったら悪いけど…、こん中、インドネシアの人、おらんな…〔右手を挙げる〕(場内笑い)…、もう何とも知れんですな。だけど、あっこは電気が暗い国だからよかった、顔が見れんから…。ほらもぉう…、油の臭いがねえぇ~、あわんのよ。
ほんで4カ所ほど回って、ジャカルタの首都に帰ったら、直通の下痢よ。もう、ジャッジャジャッジャ、ジャッジャジャッジャ、もうあんた、所かまわず時かまわずガンガン、三日間止まらんかった、三日。3キロ痩せましたよ。だから帰って婦人部の皆さんに言うたんよ、痩せたい人はインドネシア連れて行ってくださいって(場内笑い)。
ほうで、ボクの**(ほか?)に4人行ったんだけど、婦人部の…、何回も行っている婦人部の人がねぇ、ボクに、会合始まる前、薬くれてねぇ、これ飲んだら2時間は止まるち言うんです。箱に書いてある文字読んだら「下痢ストッパー」て書いてある(場内笑い)。そらぁ…、三日三晩ね、バナナばっかりで過ごしました。
ほでぇ、とうとうたまらんで三日目にクリニック行ったんですよ、地元の。その連れて行ってもらったクリニックが「SOS」て書いてある(場内笑い)。そこで薬もらったら、ピシャッと止まった。
で、ボクと行っているもう一人の男性の人がですね、SGIの南アジア部長ち言うて、あすこの…、あれ…、あのぉ、池田先生と一緒にですね、あのぉ…、アジアはほとんどの国、行ってる、先生の随行で…。そん人が我々と一緒に行ってくれた。その彼がですね、「もう山本さん、この程度の、あんた、アジアまわって下痢でねぇ…、下痢はインドネシアのパスポートよ」とか言われてね…(場内笑い)。**がいいちどのことかと思うてねぇ〔聞き取り困難・意味不明〕。ほんで彼が…、自分がインドに行った時にね…、池田先生の随行で行って、先発隊で行ってね、それで1日か3日前に行って、いよいよ先生が到着されるという時にね、下痢になったんだって。こうやって脂汗でね〔顔をしかめて身振り〕、すごぉ~い苦しかったんだって…。そん時に、インドの現地の学会員の人が、これ飲みなさいつって、大きな薬2つくれたら、ピタァッと止まったんだってよ。ほで、あとで聞いたら、その薬はね、牛の下痢を止める薬(場内笑い)。で、あんた、まぁ牛扱いだよ(笑い)。たいがい、あんた、えばるこたぁないよ、人間並みじゃないよ、牛並みよつうて言うてさ…。そだら、むこうから帰ってきたわ。そだら、ああた、山本さん、ああた、せめて、まぁ馬並みですなて…。ピタァッと止まった。
で、ボク思ったのはね、世界広布は奇蹟ですよ。ほんっと思った。かんったん****〔聞き取り困難、意味不明〕、ね、先生が、世界を回る時に、先生の奥様が、小さな炊飯器を持っていって、そして、洗面所のコンセントにそれ突っ込んでメシ炊いて、先生に朝食べていただきながら世界まわったって話聞いたことあるけどねぇ、私は、そうかなぁ、すごいことだなァと、観念で思ってた。だけど、実際、異国に行って、世界広布というのは奇蹟だと思った。池田先生の戦いがどれほどすごいか。


石焼きイモの詩 4  

  52年のあの宗門問題。「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」と言い、先生が詠まれた心中のあの時の学会と、今この…、きょうも先生がこのメッセージに書いてくださった…、ね…、「妙法を受持する人を大梵天も帝釈天も仰いで尊敬されるであろうと仰せの通り、世界中の梵天帝釈から学会賞賛の声が寄せられる時代に入りました。」て書いてあるよ。その通りでしょう。
この前、福岡では、聖教新聞の55周年の祝賀会を行いました、外部を招いて。800人来ました。九州をつかさどる七社会ていうのがある。九電、九電工、西部ガス、福岡銀行、西鉄、西日本新聞、もういっちょう何だ…、福岡銀行言った? まぁいいや。七社ある。
5年前にも祝賀会やりましたけども、その時には社長で来たのは1人でした。あとは専務が来たり代理が来たりでした。今回は七社会の現役の社長が全員勢揃いしました。びっくりしたのは、来た800人です。その顔ぶれをよみあげただけでね、ため息がついた(ママ)。驚いてました。この5年間で社会の環境は一変しました。
その次の日、ワタクシは沖縄に行きました。沖縄でも55周年をやり、200人が集まりました。I 知事ておるでしょ? あの人の先祖は喜界島ですってね。喜界の人、おるかい? 喜界にはI さんの墓がある…、ああ、I さんじゃない、I さんの一族の墓。
そのI さんが、200人の…、学会員じゃないですよ、200人の来賓を前にして、彼はスピーチをしました。ボクはビックリしました。彼はこう言いました、私、そこにいた。きょうは、県庁を出る時に…、まぁ言葉は少し違うかも知れない、意味はそういうことです、県庁を出る時に…、秘書が書いてくれた挨拶の原稿をきょうは読んだけども、とても硬くて面白くないから、読むのをやめますて…。そんで、私は、長年聖教新聞の愛読者です。ですから、むしろ私が日頃読んでいる聖教新聞の感想を述べることの方が、きょうはいいと思って、原稿なしでしゃべりますってぇとっから始まった(拍手)。
そして、彼が言うには、実はワタクシの弟が、聖教新聞には「わが友に贈る」と「名字の言」と、そして、「人間革命」だけは「新・人間革命」だけは毎日読めと、弟から言われてますので、そこだけは毎日読んでますて言うんです。壮年部でも読んでねぇのいるんじゃないか?(笑い)
毎日読んでますって。その弟っちゅうのはね、創価大学1期生の卒業生なんです。その弟から言われた。ですから、聖教新聞読んでいる。そうすると、今思い出すのは、自分がこの前の選挙の時に…、3年か4年前か知りませんが…、いや、さぁ…、2~3年前の選挙…、そん時の2週間前に、池田先生のスピーチの大きな見出しがあったっちゅうんですよ。それは何やったかなぁ…、おい、Nくん〔県長or総県長。同姓〕よぉ、何やぁ、そのぉ…、あたる〔=指名される?〕と思ってなかった? パァッといくんよ。ねぇ…、えぇ…? あのねぇ…、あのねぇ…、うぅんとねぇ…、苦難…、きょう、全体会議であったやん…、苦難…、苦難は…、苦難にねぇ、一歩も動ずることなかれ!っていうような言葉なんですよ、先生の…。それが選挙の真っ只中でどれだけ私を勇気づけてくれたか。あの2週間は、池田先生のその言葉を胸に抱きしめて戦って勝ちましたて言うんですよ(拍手)。ねぇ! ほでぇ、自分は、もっと思うのは、「人間革命」を読んでると、創価学会の方が幾多の試練に(ママ)乗り越えて今日発展されているかということ、その皆さん方の非難中傷を乗り越えた歴史がよ~くわかりますち言うの。そして、もっと私が感激するのは5面です。それは体験談です。あすこの体験談読むと、自分が読むたびに思うのは、それこそ人生の試練の真っ只中にそれを信仰で乗り越えてこられた方の、まばゆいばかりの体験が書いてある。それを読むたびに、読むたびに、私なんかまだ苦労が足りないな、この人に比べたら、まだ苦労が足りないな…。その体験談の、私は愛読者ですち言うんです。
そして最後に、聖教新聞が550万もの…、ね…、朝日・毎日・読売に匹敵する新聞になれた発展のその要因は、ひとえにワタクシ思うに、配達員の皆さんのご苦労だと思います(拍手)。おぉ~う、あんた、俺よりわかっとるじゃないか。そしてその配達員の人…、池田先生が心から激励されている姿があるから550万の聖教新聞の今日がありますつって、200人前にして言うたよ。
〔メッセージをさして〕先生がここに書いていらっしゃる通~~りの時代が今、音を立てて来ていると思いませんか。そしてその広宣流布を、いよいよこの5年間で、本当に弟子が立ち上がって成し遂げた時に、それは…、それは…、「一献歌」の仇討ちを果たせるんじゃありませんか。
私はきょう、奄美の同志の皆さんと、その出陣をしたいと思いますが、ようございますでしょうかァ!(拍手) 戦おう!

最後にねぇ、もう一回その思いを込めて、壮年部の皆さんの「一献歌」を、歌いたい人は歌っていいし…、ううぅ…、聞こうよ。な、もう一回、やってやらんね。いいね、いい…。もう一回、その決意込めてね…。これを歌って終わりにしましょう。いいですかぁ。
じゃ、私も立って歌おう。

〔「一献歌」合唱〕

どうもねぇ…、これ歌うと、胸がさっ…(涙声?)。今年の5月3日***(聞き取り不能)、今年の5月3日が(ママ)ねぇ、壮年で大折伏やろう! きょうから! ねっ。壮年部の手で。入っても入らんでもいいから、奄美中の**(聞き取り不能)に、先生のこと学会のことをね、下種して歩こうよ。それでまず、今年の5月3日はね、奄美壮年部の、弟子の万歳をする、その誓いをきょうから出発したいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。

(以上 おわり)

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参考資料 by 南里Guy    ―創価学会 会則 第5章総務会―
(地 位)第28条 この会に、重要な会務の決定機関として、総務会を置く。
(構 成)第29条 総務会は、総務をもって構成する。
(権 限)第30条 総務会は、この会則に定めるもののほか、次の案件を審議し、議決する。
1) この会の年間活動方針
2) 宗教法人「創価学会」の代表役員以外の責任役員および監事の任免(責任役員は総務または参議の中より選任する。)
3) その他会長が必要と認める事項
 (会長選出委員会)第31条 この会は、総務会に、次の者からなる会長選出委員会を置く。
1) 総務会議長
2) 総務会副議長
3) 総務の互選によって選ばれた者15名
2. 会長選出委員会については、別に定める。
 (総務会議長および総務会副議長)
第32条 総務会に、総務会議長および総務会副議長を置く。
2. 総務会議長は、総務会の議事を整理し、総務会の事務を総理し、総務会を代表する。
3. 総務会副議長は、総務会議長を補佐し、総務会議長に事故のあるときは、総務会議長の職務を行なう。
4. 総務会議長および総務会副議長は、総務の互選によって定める。
5. 総務会議長および総務会副議長の任期は、総務としての任期による。
 (招 集)
第33条 総務会は、毎年1回、会長がこれを招集する。
2. 臨時総務会は、会長が必要と認めるときこれを招集することができる。中央会議の議決または総務総数の3分の1以上の要求があったときは、会長はこれを招集しなければならない。
 (定足数・表決)
第34条 総務会は、総務総数の3分の2以上の出席がなければ、議事を開き、議決することができない。
2. 総務会の議事は、出席総務の過半数でこれを決する。ただし、名誉会長、総務会議長、総務会副議長、総務、会長選出委員会委員、監正審査員、中央審査員、責任役員および監事の選出については、総務総数の3分の2以上の多数を必要とする。