「子供たちに(未来に/次の世代に)借金を残すな」みたいな台詞を、よく聞かされます。つい半年前くらいまでは財政再建論者(財政再建至上主義者)のキャッチフレーズであったように思いますが、いつの間にやら反原発論者のスローガンとして使われる場面を頻繁に目にするようにもなりました。財政再建論と反原発論の双方を同時に唱える人は多くなさそうですけれど、しかるに考え方は似ているのかも知れません。
似たようなスローガンを掲げる財政再建論者と反原発論者の第一の共通点は、留保を認めないこと、留保を付ける人を敵視することでしょうか。つまり「景気の回復を図るのが先、財政再建は後で」とか、「国内を平常運転に戻すのが先、脱原発は復興が終わって余裕が出てから」みたいな立場を取る人もいるわけで、こうした人々は必ずしも財政再建や脱原発に反対しているものではないはずですが、しかるに「子供たちに借金を残すな」と叫ぶ財政再建論者や反原発論者の多くは、かかる「留保」を付ける人たちの声に耳を傾けようとはしません。
「不況時にはもっと優先すべきものがある」と語る人が財政再建を否定しているとは思えないのですけれど、それでも「財政再建を放棄するのか!」と噛みついてくる人はいるものです。あるいは「震災後で色々と余力がない時期にはもっと優先すべきものがある」と説いたからと言って脱原発に反対しているかと言えば、そんなことはなさそうに見えるのですが、にも関わらず「原発推進勢力の一員だ!」みたいにレッテルを貼って回る輩もいるのですから肩をすくめるほかありません。結局、財政再建なり脱原発なりが第一ではないと気が済まない人々がいるということなのでしょう。国民の生活なんて、彼らにとってはどうでも良いのです。
「子供たちに借金を残すな」と語る人々に共通するもう一つの特徴は、「自分たちの世代に解決不可能なことは、次の世代にも解決不可能」と信じ切っていることでしょうか。これは文明論の類にも通じる傲慢さの表れでもあります。発展しすぎた文明は人類に災いをもたらす、みたいな考え方も俄に勢いづく昨今ですけれど(政府の復興構想会議でも、その手の発言をする人がいます――参考)、これは要するに自分たちが文明の終着点に到達しており、これ以上の先はないという認識があってこそ可能になる錯覚です。自分たちが頂点に立っている、だからこそ自分たちが「行きすぎ」にブレーキをかける立場にあると、そう思い上がることが出来るわけです。
借金を残すな論も、それに通じるところがあるように思います。自分たちが頂点に立っているという意識があるからこそ、子世代が自分たちを容易く追い越していく未来を想像することが出来ないのです。だから、自分たちに解決不可能な問題は子世代でも解決不可能と確信し、借金を残すなと語ってローンを組むことを拒むわけです。もちろん、子世代にも解決不可能なことはあるかも知れません。ただ、我々の世代はもう少し、次の世代を信頼しても良いのではないでしょうか。歴史を振り返ってみれば、過去の人間を大いに悩ませた問題が時代の変遷と共に解決される、それもお話にならないほど容易く片付けられるようになったことも少なくないはずです。
借金を残すなと称して未来への投資を惜しんだり、「今」に過剰な節制を課すことで後代に傷跡を残すようなことは(喩えるならローンを組むことを避けて子供たちにも貧しい生活をさせるようなもの)、あまりクレバーではないような気がしますね。何も無尽蔵に投資をしろと言うつもりはありませんが、もうちょっと子世代が何とかしてくれることを期待したっていいはずです。繰り返しますが、自分たちの世代が解決できない問題は次の世代にも解決できないと考えるのは、自分たちがナンバーワンという傲りと次世代には任せられないとの思いがあっての発想でもあります。子世代を尊重するのなら、子世代が自分たちを乗り越えていくことをも想定して、子世代の「今」に節約を強いるのを止めても良いのではないでしょうか。
でも結局、我々の社会は自分たちの子世代を信頼していないように見えます。あるのは、子世代を自分たちの思い通りに育てようとする保護意識を装った支配欲ばかりです。だから将来への課題を子世代に託すという選択肢は最初から排除されています。その結果として、昨今の電力供給を巡る迷妄のごとく、全否定するか(原発の場合)、あるいは課題が解決済であるかのごとく強弁するか(風力や太陽光などの不安定発電)という悲惨な二元論に陥るわけです(不安定な発電手段の割合を増やすのだって立派な将来へのツケであるような気がしますが)。自分たちの代で何でも片を付けようなどとは考えずに、意識的にバトンを次世代に引き継いでいくのもアリではないかと思うのですけれど、それが出来なくなっているのが日本なのかも知れません。かつて日本には原子力で駆動するヒーロー(妹の名前はウランちゃん!)がいたものですが、今や科学の未来を夢見ることを止めてしまったとすれば、「経済成長の時代は終わった」などと称して半永久的な不景気に甘んじるようになったのと同様のことが、科学その他諸々の実生活に関わる分野でも繰り返されることでしょう。
似たようなスローガンを掲げる財政再建論者と反原発論者の第一の共通点は、留保を認めないこと、留保を付ける人を敵視することでしょうか。つまり「景気の回復を図るのが先、財政再建は後で」とか、「国内を平常運転に戻すのが先、脱原発は復興が終わって余裕が出てから」みたいな立場を取る人もいるわけで、こうした人々は必ずしも財政再建や脱原発に反対しているものではないはずですが、しかるに「子供たちに借金を残すな」と叫ぶ財政再建論者や反原発論者の多くは、かかる「留保」を付ける人たちの声に耳を傾けようとはしません。
「不況時にはもっと優先すべきものがある」と語る人が財政再建を否定しているとは思えないのですけれど、それでも「財政再建を放棄するのか!」と噛みついてくる人はいるものです。あるいは「震災後で色々と余力がない時期にはもっと優先すべきものがある」と説いたからと言って脱原発に反対しているかと言えば、そんなことはなさそうに見えるのですが、にも関わらず「原発推進勢力の一員だ!」みたいにレッテルを貼って回る輩もいるのですから肩をすくめるほかありません。結局、財政再建なり脱原発なりが第一ではないと気が済まない人々がいるということなのでしょう。国民の生活なんて、彼らにとってはどうでも良いのです。
「子供たちに借金を残すな」と語る人々に共通するもう一つの特徴は、「自分たちの世代に解決不可能なことは、次の世代にも解決不可能」と信じ切っていることでしょうか。これは文明論の類にも通じる傲慢さの表れでもあります。発展しすぎた文明は人類に災いをもたらす、みたいな考え方も俄に勢いづく昨今ですけれど(政府の復興構想会議でも、その手の発言をする人がいます――参考)、これは要するに自分たちが文明の終着点に到達しており、これ以上の先はないという認識があってこそ可能になる錯覚です。自分たちが頂点に立っている、だからこそ自分たちが「行きすぎ」にブレーキをかける立場にあると、そう思い上がることが出来るわけです。
借金を残すな論も、それに通じるところがあるように思います。自分たちが頂点に立っているという意識があるからこそ、子世代が自分たちを容易く追い越していく未来を想像することが出来ないのです。だから、自分たちに解決不可能な問題は子世代でも解決不可能と確信し、借金を残すなと語ってローンを組むことを拒むわけです。もちろん、子世代にも解決不可能なことはあるかも知れません。ただ、我々の世代はもう少し、次の世代を信頼しても良いのではないでしょうか。歴史を振り返ってみれば、過去の人間を大いに悩ませた問題が時代の変遷と共に解決される、それもお話にならないほど容易く片付けられるようになったことも少なくないはずです。
借金を残すなと称して未来への投資を惜しんだり、「今」に過剰な節制を課すことで後代に傷跡を残すようなことは(喩えるならローンを組むことを避けて子供たちにも貧しい生活をさせるようなもの)、あまりクレバーではないような気がしますね。何も無尽蔵に投資をしろと言うつもりはありませんが、もうちょっと子世代が何とかしてくれることを期待したっていいはずです。繰り返しますが、自分たちの世代が解決できない問題は次の世代にも解決できないと考えるのは、自分たちがナンバーワンという傲りと次世代には任せられないとの思いがあっての発想でもあります。子世代を尊重するのなら、子世代が自分たちを乗り越えていくことをも想定して、子世代の「今」に節約を強いるのを止めても良いのではないでしょうか。
でも結局、我々の社会は自分たちの子世代を信頼していないように見えます。あるのは、子世代を自分たちの思い通りに育てようとする保護意識を装った支配欲ばかりです。だから将来への課題を子世代に託すという選択肢は最初から排除されています。その結果として、昨今の電力供給を巡る迷妄のごとく、全否定するか(原発の場合)、あるいは課題が解決済であるかのごとく強弁するか(風力や太陽光などの不安定発電)という悲惨な二元論に陥るわけです(不安定な発電手段の割合を増やすのだって立派な将来へのツケであるような気がしますが)。自分たちの代で何でも片を付けようなどとは考えずに、意識的にバトンを次世代に引き継いでいくのもアリではないかと思うのですけれど、それが出来なくなっているのが日本なのかも知れません。かつて日本には原子力で駆動するヒーロー(妹の名前はウランちゃん!)がいたものですが、今や科学の未来を夢見ることを止めてしまったとすれば、「経済成長の時代は終わった」などと称して半永久的な不景気に甘んじるようになったのと同様のことが、科学その他諸々の実生活に関わる分野でも繰り返されることでしょう。
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