エジプト:歴史的なムバーラク裁判始まる
2011年08月04日付 al-Hayat紙


■ムバーラクと息子2人が仲良く被告人席の檻の中へ

2011年08月04日『アル=ハヤート』

【カイロ:ムハンマド・サラーフ】

昨日、ファラオの時代以来のエジプト史上初となる、民衆の圧力によって退位させられた統治者の裁判が行われるにあたって、エジプト革命は文明的なお手本を世界に示した。2月の辞任前日に行った最後の演説以来、ホスニー・ムバーラク前大統領は初めて姿を現し、刑事法廷に出廷した。ベッドに横たわり、被告人席の檻に入れられたムバーラク前大統領の傍らには、2人の息子アラーとガマール、彼の政権で内相を務めたハビーブ・アル=アーディリーとその側近6名の姿があった。スペインで身柄を拘束されたムバーラクの親しい友人である実業家のフサイン・サーリムは公判に姿を見せず、欠席裁判となった。

デモ参加者の殺害教唆容疑を含む起訴状を検察側が朗読した後、アフマド・リファアト裁判長がムバーラク前大統領に罪状認否を質したところ、ムバーラクは自身の責任を否定し、「私はこれらの容疑全てを全面的に否認します」と述べた。続けて2人の息子も同じ言葉を繰り返して罪状を否認した。ムバーラクとアーディリーにかけられている容疑の刑罰は最高で死刑、アラーとガマールは最高で終身刑である。

ムバーラクの弁護団は軍最高評議会のフサイン・タンターウィー議長とウマル・スライマーン前副大統領の出廷と証言を求めた。

デモ参加者殺害の共謀と教唆の容疑がかけられているのはムバーラクとアーディリーおよびその側近のみであり、ムバーラクとアラーとガマール、フサイン・サーリムは、贈収賄と汚職、公金の意図的損失、地位の乱用の罪に問われている。

検察は刑法に定められた最高刑を要求しており、事前の意図をもってデモ参加者殺害を教唆した容疑については死刑、汚職の件については重禁錮刑が適用されうる。

この公判で、ファリード・アル=ディーブ弁護士がムバーラクとアーディリーの弁護団長を同時に務めていることがわかったが、これによって彼が依頼人のどちらか一方に罪をなすりつけてもう片方の容疑を晴らす作戦を取らず、両者の容疑を否定する方針を取るであろうことが確かめられた。公判が長引くと、自分の時計を眺めたり、息子ガマールに話しかけたりするムバーラクの姿が見られた。またムバーラクの手に結婚指輪がはめられたままであったことは、彼が治療を受けているとの主張に疑念を抱かせた。

ムバーラクは長いこと左手を額に置き、両目を閉じていた。そして時折、2人の息子に話しかけていたが、3人が顔を合わせたのは、4月13日に息子2人がマズラア・トゥラ刑務所に収監されて以来初めてだった。アラーとガマールは被告人席の檻の片側に寄って、父親の脇に立っていた。もう片側にはアーディリーと側近達が、木の椅子に腰を下ろした。

昨日の公判の最後に裁判長は、ムバーラク前大統領と2人の息子および海外逃亡した実業家のフサイン・サーリムの次回公判を、今月8月の15日と決定した。アーディリーと側近達の公判については、本日(4日)に延期された。また裁判長は、カイロ-イスマーイーリーヤ間の沙漠道路沿いにある軍附属の国際医療センター病院にムバーラクを入院させ、必要な治療を受けさせるよう命じると共に、彼の治療にあたっている医師団の随行を認めるよう命じた。

昨日はエジプト全土が、その歴史上でも特別な一日を過ごしているかのようだった。通りにはほとんど自動車や通行人の姿はなく、どの家でも国営テレビが生中継した公判の様子を視聴していた。

ムバーラクはシャルム・シェイフを出て、医療用飛行機でアルマーザ軍事空港に到着し、そこからヘリコプターで警察アカデミーに運ばれた。そして最後には救急車で、アカデミー内に設けられた法廷に移送された。警察アカデミーはつい数か月前まで「ムバーラク治安アカデミー」という名称で、1月23日の「警察の日」の祝日に、ムバーラクが革命勃発前の最後の公開演説をエジプト国民に向けて行った、同じあの場所である。

また、公判の後と、刑務所に移送される間に、軍と警察の将校たちが笑いながらアーディリーやアラーと握手していた様子が、エジプト国民の不興を買った。あたかも法廷で行われているのは彼らを顕彰する祝典であって、彼らの裁判ではないかのようだったからだ。

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(翻訳者:山本薫)
(記事ID:23539)