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社説:原爆の日 経験を原発にも生かせ

 原爆が投下されて6日で66年。今年の夏は、いつもと様相が異なっている。3月11日に発生した東日本大震災は東京電力福島第1原発事故を引き起こした。地震と津波で壊滅した東北の町並みと、放射性物質による汚染によって住民が避難を余儀なくされた福島を、爆風と熱線によって廃虚と化した故郷と重ね合わせた広島と長崎の被爆者は少なくない。私たちは原子力の利用がはらむ危うさと今、向き合っている。

 今年の平和記念式典で読み上げられる「平和宣言」は原発事故を反映したものになる。

 広島市は初めてエネルギー政策の早急な見直しと具体策を政府に求める。引用するのは、核の軍事、平和利用双方に反対を唱えた被爆者で、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)議長などを務めた故森滝市郎氏の「核と人類は共存できない」との言葉だ。長崎市は、「脱原発」の言葉こそ使わないが、原発からの将来的な脱却を明確に打ち出す。

 被爆者・反核団体にも変化が見える。被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」は1956年の結成以来初めて全原発の順次停止・廃炉を求める「脱原発」を運動方針に掲げることを決めた。

 放射線被害に苦しんできた経験を踏まえ、原発の周辺住民や作業員に「健康管理手帳」を交付し、定期的な健康診断を実施するよう求める要望書を政府などに提出した。

 原水禁も、原発事故を受けて初めて福島で世界大会を開催し、「脱原発」を訴えた。

 運動は一枚岩ではない。「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張があるのも事実だ。

 すさまじい破壊力で一瞬にして大量の放射線を放出した原爆と、低線量の放射性物質の影響が広範囲で続く原発事故の違いは大きい。だが、人々が放射線被ばくによる不安に長年苦しめられる点は共通する。

 原発事故の場合、低線量被ばくの影響に未解明の部分があることが不安を大きくしている。原爆との違いも考慮したうえで、広島と長崎の被爆者を対象に放射線の影響を調査している放射線影響研究所など、専門研究機関が蓄積してきた専門知識やチェルノブイリ事故の経験を住民の健康管理に積極的に活用したい。

 核兵器と原発はこれまで切り離して考えられてきた。近年は原子力に対する「安全神話」も浸透していた。しかし、福島の事故は原発の危険性に改めて目を向けさせた。唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生かしながら、従来にも増して核廃絶のメッセージを発信し続けるのが私たちの責務である。

毎日新聞 2011年8月6日 2時32分

 

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