【東京】「恩返しの義援金」 ドイツから被災地中学校に
第二次世界大戦末期から戦後にかけて、ドイツ・ベルリン近郊のウリーツェン市で多くの命を救った八王子市出身の肥沼信次医師(1908〜46年)への恩返しにと、現地の聖ヨハネルーテル高校が生徒や市民から東日本大震災の義援金として集めた6900ユーロ(約76万円)を、姉妹校の私立八王子高校に託した。 (加藤益丈) 肥沼医師は八王子市の開業医の長男として生まれた。旧府立二中(現都立立川高)などを経て三七年からドイツに留学し、放射線医学の研究者として成果を挙げた。大戦末期にウリーツェン市に移り、ポーランドから引き揚げてきた市民の治療にあたった。 戦後の混乱や医薬品不足の中、肥沼医師は献身的に伝染病患者らを救い続けたが、自らも伝染病で三十七歳の若さで死亡。現地の墓石には「伝染病撲滅のため自らの命をささ(捧)げた」と刻まれ、ドイツの教科書でも紹介されているという。 八王子高は二〇〇七年、地元ゆかりの肥沼医師の業績などを学ぼうと、生徒が聖ヨハネルーテル高を訪問。〇九年には同校の生徒が八王子を訪れ、両校は姉妹校となった。 大震災について三月中旬、聖ヨハネルーテル高の校長から、被災地への深い悲しみをつづった手紙が届いた。その後、現地で生徒が小遣いを節約したり、保護者や学校関係者からの寄付を募るなどして義援金が集められ、先月、「被災地に直接届けたい」との要望とともに送られてきた。 八王子高には被災地の岩手県釜石、陸前高田、大船渡の三市の中学校出身の生徒がいたことから、義援金は三中学校に送った。佐藤寛文校長は「ドイツの人々が六十年前の恩を忘れないことに驚くとともに、ありがたい気持ち」と話していた。 PR情報
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