23/8/6
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低料金不妊手術キャンペーン
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福島県警本部は福島市のヤクザ風一家から言いがかりをつけられている私の身になにか起こったら、どうやって責任を取るつもりなのだろう。


福島市太平寺のある一家は、ホームレス猫へ無責任にエサをあげて、産ませては衰弱死、交通事故死を繰り返している。当方は当該一家へ2年程前から、啓発の為に、ポスティングや手紙の送付を再三しているが、一向に改善しない。

23年5月、直接、家を訪ねたところ、ちょうど、妻が外で庭をいじっていたので、話しかけたところ、「いきなり話しかけるなんて非常識だ!!」と。

話しかける前に、予め、「三日後に話しかけますから心の準備をしておいてください」と声を掛けておけというのだろうか。

他には、「日中、二人とも家にいるのに、声も掛けずに、勝手にビラを入れて良いと思ってるのか!」 と。

ビラをポスティングする際、いちいち声を掛けるほうがよほど失礼にあたる。家の中では赤ん坊が寝ているかも知れないし、手を離せない状態かも知れない。それらに配慮し、声を掛けずにポスティングするほうが、よほど良識的である。

私は、とっさに、ヤクザ一家だろうなと直感した。

妻は私に、「じゃ、連れてって手術して!!」と命令。

私は、「何を勝手なことを言ってるんですか。私は皆さんが低料金で手術できるように、私財をなげうって低料金キャンペーンをやってるんですよ」と反論。

すかさず、妻は、家の中にいる夫を呼び出した。

案の定、ヤクザ風の夫がでてきた。

そして私に向かって「どうやって生活してるんだ?!!」 と。

こっちが聞きたいくらいだ。私も「あなたこそ、昼間から家にいてそうやって生活してるんですか?」と聞き返した。

殴りかかりそうな姿勢で威圧しながら、屁理屈を並べ被害者ぶってパトカーを呼んだ。

二人来た警官へ事情を話したが、改善はされなかった。

近年の警察は、被害者ぶってパトカーを呼んだ人の場所から、訪問者を離れさせるようにというるようスタンス。
それでも警察の勤務態度は以前よりは大分、良くなった。

警察刷新前は、高圧的に、間違ったことを平気で言ったり、悪意に満ち満ちていて冤罪を作る警官がいた。

10年以上前から、私は悪い警官については、その都度、県警本部や公安委員会へ報告して改善を求めてきたことが功を奏しているのだろう

近年の警官は、間違ったことを言って揚げ足を取られるくらいなら、何も言わないほうが安全だと考えて、細心の注意を払っているようだ。

とはいえ、高齢の警官は間違った見解をあたかも正論であるかのように並べる。

「あなたが善意でボランティアをやってるんなら、飼い主がどういう悪い飼い方をしようとも飼い主の自由だべ」と。

善意で不幸な動物を助ける人がいようがいまいが、飼い主には不幸な命を作ってはならないという法的責務・社会的責務があるのだ。

《善意で助ける人がいるなら、飼い主が虐待飼育をしようとも飼い主の自由だべ》 という発想は、論点がずれてしまっている。

自ら知見の低さをさらけだして、世間から笑われていることに気付いていない
人は警察だけではなく、役所にも、新聞社にも大勢いる。

自分が世間から、どう見られているかを客観視できないからこそ、人は平気
で意見を言えるのだ。

話しは逸れてしまったが、私はヤクザには近寄らないというタイプではない。ヤクザの周りであろうとも不幸な動物がいると、放っておけない性分のため、未だに、このヤクザ風一家へアクションを起こしている。断定できないからヤクザ風と書いているだけで、ヤクザの可能性がある。

なので、今後、私の身になにかあったら、福島県警本部を追求して欲しい。

福島県警本部は動物虐待を放置し、何の義務もない一主婦の私の力に頼り、挙げ句の果てには、私をトラブルばかりを起こしている迷惑人間だと言い放った警官までもいるほど腐っている。

その警官は、パトカーを呼ぶ人が被害者で、呼ばれた人は加害者という単純な構図。

そもそも私は問題のないところへは出かけないし、着手もしない。

誰も手をつけようとしないところへ乗り込んでいっているのが私であり、行政も警察も到底できないことを私がやってあげている。

その恩を仇で返す悪い警官が福島署にいる。県警本部が一体、どういう教育をしているのかを知りたい。

要するに、その警官は、動物が虐待されようとも一向に構わない。それよりもパトカーが出動させられて仕事が増えて迷惑しているということ。

本来、警察の職務である《動物虐待防止》に努めれば、私が虐待者の家で出向く必要はなくなり、虐待者が私を追い払うためにパトカーを呼ぶ必要もなくなるのに。

この警官のように見識の低さを自覚できない者が、世間から笑われていることを自覚した時は、本人はどう受け止めるのだろうか。